爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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11年目の縦軸 16歳-32

2014年05月31日 | 11年目の縦軸
16歳-32

 最後のデートからおよそひと月ほどして手紙が届いた。放置の期限である。ぼくは文字を読む。その後も自分がずっとしつづける行為でもあるが、ダイレクトにもっとも響いたのは、根底から揺るがしたのは、この文章であった。彼女はぼくとの短い期間で終わってしまった交際にありがたくも感謝を述べている。非難も叱責もない。その後、何度も別の女性にはされたことなのに、若い彼女はしなかった。

 ぼくは呆気にとられる。この期間に進展も発展の努力もしないくせに、ここで終わってしまうのかという単純な驚きである。そして、自分は愚かなことをしてしまった、そのために何もしなかったという自分への憐みがともなったものである。ぼくは彼女のこころがわりを覆す努力をしようとも思わなかった。なにもリアクションがなければ、それはすなわち同意である。ここで完全に終わった。すべての終わりはさっぱりするものでもないということも教えられる。後味の苦さ。

 ぼくがとった行動は二つあった。

 先ずは写真を焼いた。こうすれば簡単に次にすすめると浅はかにも考えたからかもしれない。これほど陳腐で言い古された慰めとならない言葉が持ち主のない空中から耳打ちする。彼女ひとりが女性じゃないよ、と。だが、ぼくにとってひとりだった。アマチュアの競技者が四年間追い求める唯一の大会のように。

 写真と実物との差は歴然とあるというが、記憶にあるその写真は彼女そのままの愛らしさを寸分の狂いもなく刻み付けていた。ぼくは失う。後日、グループでデートした友人がその写真をもっていた。やはり、愛らしさという虚勢も化粧も施さない表現がいちばんぴったりときた。

 だが、焼いた。ぼくのこころからもいなくなった。そう単純に終わればよいが、そうはいかない。埋葬の許可もないまま葬ることはむずかしい。いずれ土中から暴かれる。
 あとひとつは、すべてがいやになりバイトを辞めた。高校も辞め、バイトも辞める。もし仮に自分の身内にそういう選択をする若者がいるならば、ぼくもやはりまっとうな道をすすむよう押しとどめたい。

 だが、ぼくが取らなかった行動の方がのちのちの影響は大きく、傷もひろがった。しないということが、こんなにも力を発揮するとは当然に予想もしていない。その結果のひとつひとつを拾い集める。数としては神社の境内の銀杏ほどもないが、そんなに少なくない数でもあった。しかし、大まかに言えばひとつの不幸という総称でまとめてもよさそうだった。

 ぼくはまだ十六才である。このときの恋など簡単に忘れてしまうだろうとも思っている。彼女には悪いが。世界には数えきれないほどの女性がいた。若くて魅力があり、ぼくのことを好きになってくれるひとも彼女が最後だとも思えなかった。しかし、日が経つにつれ、いちばん欲しいのは彼女とのあのなにもない時間であることに気付いた。しつこいようだが、ぼくは若かった。この、もしかしたら自分で招いた苦難を乗り切るのはそうむずかしくなさそうだった。毎日、悲嘆にくれるには元気もありすぎたし、エネルギーも充ちていた。満タンの車はどこにでもいけるのだ。それでも、点火の仕組みはどこかで狂いはじめていた。

 ぼくは、なぜはっきりときらいになったわけでもない相手との交遊を、こうも簡単に投げ捨ててしまうことをためらわなかったのだろう。次がいたからという理由でもない。打ち込むためのなにかが待っている訳でもない。ただのシンプルな欠陥品だ。根底には両親のいさかいというものが影響を与えているのかもしれないが、その部分をひとの所為にするのもずるかった。それに、これはぼくの人生である。すべての良いことも、悪いことも、世間や環境の下での避けられなかった被害ではなく、自分を基盤にしたうえでの意識した主体性での選択、あるいは逃げられない無意識での流れと思いたかった。どちらにせよ、加害者側であり、加担するという方式をとっているはずだった。

 彼女にも選びたい次があるのだろう。連絡をくれない相手を気長に待っているほど、魅力がうせたわけでもない。充分、若い蜂々を惹きつけられることが可能な存在のままなのだ。
 だが、ぼくはそれを遠い架空の世界であるとでも思っていたのだろう。アリババの話とか、シンデレラの靴の物語でもあるように。

 いままで何度もかけた電話番号がもういらなくなった数字になったことを知った。その数字の組み合わせを覚えていても、彼女にかける権利はもうないのだ。選挙におちた政治家。クビをきられた会社員。もう威力のあるボールを投げられなくなった野球選手。ぼくも同類だった。まだ十六才だったのに。

 気持ちというのは断続的ではなく継続性のあるものだった。ボーリングの球のような重い球体を坂道からゆっくりと転がす。はじめは止めるのも容易で障害物に引っかかることも起こり得た。だが、次第にそのものが力強さを増し加え、意志のようなものまでもつように感じられる。失恋したからといって急に停めることもできない。それ自体が、もう勝手な主導権をもって動いているのだ。だが、どこかの壁にぶつからなければいけない。もしくは川や沼のようなところに落ちなければいけない。そこが実際の終点であり、終止符である。ぼくは転がるものから飛び降り目にしないで終わらせよう、済ませようともまだ考えている。

繁栄の外で(33)

2014年05月30日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(33)

 自分は車を運転しなかった。免許はあったが、それは形状的にも、ペナルティ的にも無傷のまま財布の中にIDのためだけにしまわれていた。理由としては、移動中に本を読むことを最優先させたい気持ちと、飲酒運転へのおそれと、もちろん維持費の関係もあった。それで、車を運転して、どこか近郊を見て廻るということもしなかった。いくらか、失われることもあるが、それは天秤にかけた上でのことで仕方のないことなのだろう。

 貯金もいくらかでき、旅行することも不自由しないぐらいの状態になった。年末の休みに、どこか行くことを思い立つ。自分には、過去にそういう思い出が少なかった。それで、友人を誘い沖縄に行くことにした。白い砂浜と青い空である。東京にはないものが、そこにはあるのだろう。

 こうして、旅行というものが飛行機に乗ることと同列だという印象がインプットされていく。

 レンタカーを借り、友人はあまり酒が好きではないので、道中の運転をまかせた。となりでは早速、自分は缶のビールを口にする。その薄い味が、汗で流れてしまった水分の代わりとなった。まだ、カーナビのついていない時代で、手探りで地図を探し、運転した。だが、大まかにいえば、大きな国道を走っていれば目的地にはいずれ着いた。何もない浜辺で、人は誰もいなかった。そこでぼんやりと腰掛けながら、見るともなく波を見ていると、自分の人生なんてほんの一瞬であることを知る。もしかしたら、こじつけかもしれない。実際のところは、なにも考えていなかった。
 一度、旅行の面白さに気付いてしまえば、それは習慣化し癖になる。そのときに、はじめて海の外があることを思い出す。もっと早く、留学でもして行くこともできたかもしれないが、タイミングというのは最善なときにやってくるというようなへんな信仰のようなものもあった。

 外国に行くには、自分が何者かを証明しなければならない。それで、有楽町へパスポートを作りに行く。自分を証明するための手続きには、費用がかかるという理不尽なことも忘れ、できあがる日を待った。

 その日は、仕事が休みだった。パスポートを受け取り、新橋まで歩いた。操業したばかりのゆりかもめに乗るためだ。あれは、どこで降りたのだろう。まだ、空き地ばかりの場所だった。テレビ局もなかったはずだ。しかし、何もない場所をあてでもなく歩くことによって未来を予感できることもある。そして、頭の中ではビルの群れが建ったところを想像できた。

 はじめて外国に入ったのは、これもまた年末のサイパンだった。その場所と近さは、外国とも呼べないのかもしれない。乾燥した東京の空気のせいなのか前日まで熱があったが、現地には夜中に着き一晩ぐっすりと眠ると、熱もひいていた。そのまま水着に着替え、目の前のビーチにはいった。青く透き通る水は、自分の疲れを取り除いてくれた。そして、はじめて自分の国の通貨とは違うものを使った。旅行というのは、大雑把にいってしまえば、その国の小銭の感覚になれることだけかもしれない、という印象も受けた。

 暑い空気のなかで、ベランダに座り、ウオッカをグレープフルーツジュースで冷たく割り飲んでいると、いままでに感じたことのない幸せな気分になれた。これが旅行をする開放感のひとつであることを知る。

 本当は、1週間ぐらいかけてオーストラリアにもいきたかったが、年末の代金はかなり高かった。こうして、近場で海水に浸ったり、思いっきり太陽を浴びることのえもいわれぬ楽しさを経験した。文化的には、ほど遠かったかもしれないが、いまでもリセットする感覚でこのような場所への憧れがずっと体内にある。

 もっともっと若いときに経験していれば、自分という人間も大幅に変わったかもしれない。もしかしたら、変わらなかったかもしれない。しかし、金銭との相談もあることだし、休みを調整したりして計画しなければならない時代に入っていることから、できなかったことを考えても意味がないことも事実だった。

 また、荷物をバックにしまい帰りの飛行機に乗る。そこには多少の思い出と、自分のものの見方ややり口の限界を越えることとを一緒に連れ戻すことになる。

 家に着き、バックから洗濯物を引っ張り出し、洗濯機に突っ込みながら自分はさて次はどこに行くことになるのだろう、と考えていることを知る。自分は本を愛していたが、その反面スピードや経験の永続性で見知らぬ土地を実地で歩くことの楽しさの一端を知る。まだまだ、近場であったが、新鮮な衝撃を与えてもくれた海の外は意外にもこんなに楽しいものであった。

11年目の縦軸 38歳-31

2014年05月29日 | 11年目の縦軸
38歳-31

 クレジット・カードを何枚か保有し、パスポートがあり、運転するための免許証は実物よりわずかながら劣っていそうなここ数年の写真をともない、専有の保険証も自分のことを証明してくれる。ぼくの周りを取り囲んで認めてくれる複数のものたち。だが、外周がたくさん備わっていてもぼく個人の核心がより明確になるわけでもなかった。十六才のときと比べて。

 これらのものの総体が、さらに深い中心にいるのがぼくなのだろうか。一面では、そうだろう。ぼくはこのパスポートを使って、二十年も前には知らなかった土地を歩けることになる。その経験はぼくのものとなり、誰かに話すまでぼくの体内にとどめられている。あの青年はこのときの楽しみを知らないし、あるいは求めていなかった。数人の友人とつるんでいるだけで、楽しさの頂上には簡単にたどり着けたのだ。

 タレントさんが外国に行ってクイズを出すという番組をぼくは絵美と見ていた。質問に答えられるものもあり、なつかしいという生意気にも似た感慨を抱ける町もあった。あの片隅でぼくはひんやりとした空気を感じたとか、味覚という不確かなものでさえワインのうまさを再認識させようと挑んできた。

 それは過去をなぞる行為でもあり、当然、なつかしさという甘美の袋を開くことでもあった。過去は過去であるだけでもう充分、美しいのだとぼくは認識する。どんな最悪な失恋でさえ微量にその粒を含んでいるのだと思うとした。いや、もう意図も意思もぼくにはない。ただ、無条件に受容するのだという気持ちしかない。それしかぼくにはなかった。

 外国の空港で飛行機を待っている。電車と違い、来たものに直ぐ飛び込んで乗ればいいという軽いものではない。時間までぼくはビールでも飲んで過ごそうと考える。両替の狭間にいる。クレジット・カードを出して冷えたビールと交換する。種類がたくさんあるらしいがぼくには分からない。目の前に出されたのは普通のビールだった。つまりは、これでいいのだ。しかし、子どものころに教え込まれた感覚とはすこし違う。購入という行為には金銭(コインや紙幣)の授受が発生しなければいけない。ただのプラスチックの薄い板がぼくが払うであろうということを証明してくれる。仮のお財布には上限がある。それが、ぼくが世間から認められたお小遣いだったのだ。

 ここにアジア人がひとりという感覚も幼い自分には分からなかったであろう。同じような身の丈で、同一の言語で暮らしてきた。そのひとつの言葉でも誤解がときにはうまれた。厳密に比重にかければ、理解より誤解の方が多かったかもしれない。こんなにも言語があれば、理解などそもそも不可能なのだと気圧の関係で狂い、さらに酔いで生じた思考のまどろみのなかで判断し、決めた。永続性などなにひとつないのだ。このビールの泡のように、目の前にあるものを飲み干すだけで人生は過ぎ去ってしまうようにできていた。簡単なことだった。

 空いたグラスをみつけると、さらに店員はお代わりを促した。ぼくはポケットからまた薄いカードを差し出す。使用した事実がどこかの電線を通って、カード会社に情報が伝わり、さらには支払の通知が郵便で配達され、ぼくのであると証明された銀行からある日、引き落とされる。これがぼくの履歴にもなる。

 履歴こそがぼく自身なのだ。

 しかし、カードには有効期限というものが如実にあった。この日付までがぼくであり、明日は新しいものが届かないとぼくであることさえ売買間では認められない。ひとも同様に移ろっていくのだ。あの子の明日は希美であり、その明日が絵美であった。

 今度は絵美がクイズに答えていた。

 マンホールの口に手をおそるおそる入れるタレントさん。真実と疑惑の中間で。

 もうあの地点で排水溝というものを考えられるようにできていたのだ。汚れたものは下水に流す。過去も同様に流され、どこかで浄化される。

「免許証、見てもいい?」
「なんで?」絵美は不可解そうな様子をした。
「どんな顔かなと思って」
「きれいじゃないよ」拒みながらもバッグのなかをまさぐり、差し出した。
「どれどれ」

 ぼくは彼女の顔写真を見つめる。そういう写真にはめずらしくうっすらと微笑んでいるようだった。基本の顔のつくりがある。土台としての笑顔。しかめっ面。たくさんの感情がありながら、ひとつのものに数十年も左右されるとベースが勝手に決まってしまう。彼女にはたくさんの笑うことがある。ぼくも、おそらく数回、増やしたことになる。笑わすことは簡単なのだ。お互いが信頼し合っていれば。反対に、憎しみが含まれてしまうとそれを取り除くことはむずかしくなるだろう。

「どう?」
「こういうのって、大体、本人よりきれいに見えないけどね」
「え、写り、わるいよ」
「そのままだよ」

 言葉というのはむずかしいものである。彼女は不満そうであった。むくれている。ぼくは、あのすき間に自分の指や手を入れて真実さを試そうとした。今後、片手で暮らすことになるのも憤慨を引き起こしそうな問題だった。失われれば彼女の重そうな荷物を肩代わりすることもなくなる。ただ、ちょっとお世辞を言おうかどうか迷った結果なんだとの言い訳を胸にでも下げたい気分だった。

繁栄の外で(32)

2014年05月29日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(32)

 何もはじまってはいないのに、もう自分を過去の人間と定義していた。かずかずの思いを押入れの奥に突っ込んで、あとはこっそり目立たずに息をひそめて生きていこうと思っている。

 親の紹介で仕事をはじめた。いくつかの在庫の管理をきちんとしておけば、それは楽な仕事だった。接客もしたが、くるお客さんも限られていたので、あとは思う存分本を読むことができた。もともと本社が稼いでいるので、ぼくのところでの売り上げなど期待されている訳でもなかった。そのときに、いまでも愛してやまない「バルザック」や「ゴーリキー」の大作を読むことができた。彼らのすべての本が売っているわけではないので、網羅するために再び図書館によった。頭のなかできちんと分類し、整理をして、インデックスをつけて並べ替えることが自分の任務のように考えていた。その作業は地道さだけが求められ、それを行うことにいまの条件は都合がよかった。

 なにかを表現したいという渇望もいつのまにかなくなった。土曜の夜に友人たちと飲んでいるときに、多少のユーモアを含めた会話をすることだけが、そのときの自分のすべてだった。友人たちをささやかな笑いに誘うことだけが自分のアピールするべきことだった。あとの時間は、だんまりを決め込んで、本の内容を自分の体内に蓄積させることだけしか興味がなかった。

 給料をもらい、まだ自宅にいたので半分だけ使い、半分は貯金した。その大雑把な方法で、4年近く働くことになるので、意図したことではないがその後の何回かの旅行の費用などの元手ができた。しかし、それは4年後の話だ。何人かの若者が、リュックを背負い貧乏旅行をするような時代に、自分は本のことしか興味がなかった。それで、そのころにどこか遠くに出かけ、見聞するというたのしい機会を失っていた。しかし、これもまた自分の人生である。

 通帳の数字は、だんだんと増えていったが、それは数字だけの話で実感はまったくなかった。もう半分のお金で古いジャズのCDを買い集めることのほうが実感としてはぐっとあった。それを聴いて、感動することは、より一層の実感としての手触りがあった。

 誰か女性と交際することも避けた。意図的なのか、偶然か、それはもう分からない。こころのどこかでまた裏切られたり、自分を最前にもってこないだろう人たちへの小さな不安と不満と決別したかったのかもしれない。しかし、それも時間が経ったり、目の前に現れる人でかわることになるのだろう。

 自宅には犬がいた。仕事から帰ると、オレを散歩に連れて行ってくれと騒いでいた。ひもをつけ、家から出る。犬を連れていると、見知らぬ人も話しかけてくるようになる。小学一年生ぐらいの可愛い女の子が、「この犬かわいいね」と言って頭をなでた。内弁慶である我が犬は、なにも抵抗せずにそっとなでられていた。ぼくとしては、君の両親は君のことをずっと可愛いと考えているに違いないことだけは、はっきりと理解していると思ったが口には出さない。

 その子と数日にいっぺんは会ったが、あるときからぱったりと姿をみせなくなった。怪訝におもった自分は、母親にたずねると、「あの子、亡くなったらしいよ」と、近所に精通している彼女はぼそっと言った。

「え、あの子だよ?」とその女の子の特徴をはなす。すこし、懸命になっている自分がいた。否定の言葉がほしかったのかもしれない。

「そうだよ」と言って理由もいったはずだが、自分はもう憶えていない。ただ、命のあっけなさを知ることになるひとつの事件だ。

 その子の両親のショックを自分は、自分のことのように感じてしまう。しかし、慰めることも何をすることもできない。ただ、自分の考えるルートは決まっていて、いつも多恵子のこととつながる。彼女の両親も自分の娘への期待や希望があったはずなのだ。それを傷つけた自分というものが、もうその時点ではぼくのこころの中にシンボリックな銅像のように建っていた。

 ぼくは、自分の部屋に入り、ぼんやりとする。あの可愛い女の子の残像が消えることはない。死ぬというのは、いったいどういうことなのだろう? そう考えていると下にいる犬の鳴き声で現実に連れ戻されることになる。

11年目の縦軸 27歳-31

2014年05月28日 | 11年目の縦軸
27歳-31

 ぼくは自分の感情を問われる立場にいる。ハンバーグが好きかどうかの類いの話ではない。その作ったひとへの気持ちだ。忠誠心に似たものだ。ぼくは問われるたびに子ども時代はもっと簡単だったなと過ぎ去った月日をなつかしむことになる。少女たちは、そんなことは訊かなかったのだ。困れば、泣いたり、怒ったり、自分の母に言いつけたりする。めぐりめぐってぼくは自分の母から注意される。女性はか弱い生き物なのだそうである。配慮を多分に要する。ぼくは布団叩きで何度も、そのか弱い側から自分の尻を叩かれた。それでも、簡単だった。痛みとともに理解の扉の開閉は無事にすんだ。恨みもなにもない。

 なぜこうも複雑になってしまうのだろうか。好きとか嫌いになる感情が、ラジオの波長のように一定していないためであろうか。それとも、男女の感情の表現の仕方や受け止め方の単純なる差であろうか。

 質問と答え。質疑応答。誰もこの関係の正しい解答を教えてくれなかった。手探りでみな対応してきたのだ。失敗を繰り返したのかは知らないが、離婚する友人も増えた。学校を辞めるという選択とどちらが重いのであるかと片方しか経験していないぼくはひとしきり考える。

 ぼくは答える。好きである。ひとつの答えしかないはずだが、正解ではないようで相手は不服そうである。かけ算ならば間違えようもない。きちんと答えはでているのである。

 一先ずぼくに猶予が与えられる。第二審がある。弁護人は自分だけであり、判決の権利は相手がもっている。

 ぼくらはまだ部屋にいる。名作と言われている本のあらすじを紹介する番組を希美とふたりで見ていた。主人公はある日突然、虫になり、周囲との関係性がもてないまま疎んじられていく。

「うらやましな」というぼくの無神経な発言が、不本意ながらもあらそいを再燃させる。
「もう、全部、面倒くさいんだ!」
「違うよ」
「なにが違うの?」

 ぼくは即答もせずに、叱責という文字の書き順を考えていた。自分に口があることを呪う。話すことも弁解することも、しかし、これでしかできない。なぜ、名作であるのか訥々と解説者は述べている。ぼくは説明が長引けば長引くほど、再読したいという気持ちを失わせていく。みな置かれた状況から片時も逃げられないのだ。

 テレビは次の番組になった。覚せい剤というものが持ち出されている。生涯、少なくとも今後、九時から五時まで会社に拘束されることもないひとたちの得たい自由というものがぼくには分からなかった。もう充分過ぎるほど手に入れているのではないのか。その自由の制限の歯止めはどこまで効かせる必要があるのだろう。こう考えつづけると、ぼくには自由などまったくないようだった。そして、自由を望んだ瞬間に、この希美との関係も潰えるのだという我が身に起きる淋しさの本質の到達の予感におびえた。

 でも、考えてみれば自由を薬に頼った結果、牢屋という自由のなさの象徴のようなところに閉じ込められるのだ。不思議なものだ。ぼくのある友人は離婚して、次の再婚相手はまた同じようなタイプだった。ぼくには彼女たちの指摘できるほどの差が分からない。彼にとっては、とても重要な問題であるのだろうが。別の種類の自由を誰しも望むものなのだ。

 そういう彼女はぼくに惜しみなく愛情を表現した。だが、結婚の意思の返答は、どちらにするにせよ返ってこないままだった。ぼくは責められるのには慣れていったが、反対のことはしたくなかった。彼女もか弱い側の住人なのだ。そもそも敵対することになるには、あまりにも魅力的な敵であったのだ。

 ぼくらは夕方の町を散歩する。向かい合わないで横にその姿を感じる。肩の位置や歩幅など本質ではないところでぼくらは確かに合っていた。しかし、隅々が合えば、大きな部分でも一致するのではないのだろうか。薄い紙に描かれた同じ二つの四角い絵の角と角を重ねれば、他の辺も必然的にぴったりと合うことになる。まったく同じ理屈だ。無理難題を求められてもいなくて、訊いて安心できることならこれほどた易いこともない。ぼくはどんなことでも言うべきなのだろう。

 目の前で男の子の乗る自転車がゆらゆらと揺れている。転びそうだなと思った瞬間には、もう転んでいた。男の子は手とひじ辺りを強打する。泣くかどうか検討するような間があった。母らしきひとが近づくと、彼の緊張はゆるみ、遠くにいるぼくらまで声がきこえた。
「泣いちゃったね。痛そうだったね」と、希美は言う。

「泣かないの、男の子なんだから」近づくぼくらには母のその声も聞こえる。そばには姉らしき赤いスカートの少女もあらわれた。即席の看護婦の役目を彼女は果たしたい意欲があった。

「ああいう理屈もどういうもんかね」
「なにが?」

「痛みなんて外的なものには、女性の方が全体的に耐えられるもんなんだよ。だから、何度もこりずに赤ちゃんを産むし」
「その理屈も、あんまり言わない方がいいと思うよ。紳士って、そういうことを口に出さないから紳士になれるんじゃないの」

 もうぼくらは痛がる彼の横を通過している。この子もいつか問われるのだ。自主的にか、懇願されてかは分からない。痛みにも馴れる。自由にも馴れる。そして、不自由を選ぶ。ぼくは、泣きたいときは泣いてもいいんだよ、と聞こえないぐらいの音声で発した。好きだよ、という言葉もこのぐらいの音量なのだろう、いつも、いつも。

11年目の縦軸 16歳-31

2014年05月27日 | 11年目の縦軸
16歳-31

 ぼくは後悔という意味や感じ方、その言葉がもつ概念をまったく知らなかった。幼いころに戻る。五十円というお小遣いが半ズボンの前の足の付け根あたりのポケットにある。ぼくにとって大切な資産であり、大げさにいえば世界のすべてだった。

 ぼくは近所の駄菓子屋の前につき、何かを買おうとした。しかし、お金はなかった。ポケットに穴も空いていなければ、逆立ちもしてない。ぼくの世界はあっけなく消滅したのだ。喪失の打撃のピークはここからこれまで更新されていなかった。

 なぜ、新たなものを追加してしまったのだろう。そして、オーダーは、次の調理を手ぐすね引いて待っている厨房に通ってしまったのか。キャンセルというのはどの時点まで有効だったのだろう。
 更新したからといって、彼女は決して五十一円ではない。微々たる増加ではないのだ。棒高跳びの記録を一センチずつ増やしているのでもない。五億円でも足りない。五十億円でも足りない。では、例えとしてぼくがいまその金額をもっていたとしたら、あの状況に戻れる権利と交換するのであろうか。おそらく、そうするしか道はないのだろう。では、いまのぼくはこの過去のトンネルを通過した自分ではないのか? これは誰なのだ。この机の前にすわっているのは喪失のなんたるかを知っていて、明らかに、さらにきちんと表明しようとしている自分ではないのだろうか。すべての経験は避けがたく、だから、かつ美しい。

 何もしないということは罪であり、ぼくは何もしないということで正当な罰を受ける。

 例えば、車を走らせていたとする。給油のタイミングはいつでもあった。次の道路を曲がったところでと考えていたら、あるところから、ひとつもなくなってしまったことに気付く。だが、もう遅い。ガソリンはのこっていない。油断というのは愚かさと利口さの狭間でおしゃべりもせずに準備して決行を待ちかまえている。

 ぼくは自分のずるさと怠惰をひとつの美談にしようとしている。

 最後のデートをした。最後だと思っているのはいまの視点の上であり、その当時はデートのひとつだった。ぼくはその後、友人たちと隣町でお酒を飲んだ。今日、デートしてきたんだ、という自慢げな気持ちもあったことだろう。

 次の日になる。なぜか、電話をしない。楽しかったという短い感謝の報告もしない。次の日も。あさっても。来週も。

 ぼくらにとって大事なイベントがある。ぼくはクリスマスのプレゼントも確かに買った。中味は覚えていない。だが、ぼくは渡すために会う予定を作らなかった。バイトは大晦日までした。普通は、新たな年を初詣というイベントで彩ることも可能であった。だが、不思議とぼくは彼女に連絡しなかった。もちろん、嫌いになった訳でもない。そして、彼女からも連絡はなかった。ぼくがキライになったとでも思ったのだろうか。確かめる術もない。

 バイトの仲間とレストランで今年の最後の日に騒いだ。ひとりはぼくに気のある素振りをした。隠すフリでもなく、声高に宣言するわけでもない。若さというのはいじらしいものである。あの時代の若者はと限定しての話なのだが。

 ひとりで帰るときにも公衆電話は無数にある。インフラという言葉など知らなかったころだ。だが、ぼくは受話器をあげず、コインも投入しない。そのことに焦りもしなかった。ただ、ちょっと期間が空いてしまっただけなのだ。また、もとの状態になることは簡単なのだ、と信じていた。世界の運行が停まったわけでもない。軌道を数ミリ修正するだけで、ぼくらにはあの日々が、いとも簡単に復活するのだ。

 だが、やはり、きっかけは男性が作るべきなのだろう。彼女を安心させる言葉を吐き、お詫びの気持ちも告げる。言葉や優しさをともなう表情しか能弁になる方法はない。ぼくは、しかし躊躇していた。いや、ためらう前から行動に移そうともしていなかった。

 自分になにが起きていたのか。ミスを選んだという認識ももてない。ただ、しなかった。言いつけを守ったとか、誓いを立てたとか、何かの基準の前後や左右を考えてのことではない。ただ、しない。彼女からもかかってこない。もし、一回でも電話があれば、「あれ以来、会ってなかったね。どうしてだろうね」と無自覚な反省に似たものを伝えられたかもしれない。もっと大人の女性は、しつこくぼくの気持ちを確認するための質問を投げかけただろう。すべての失敗を若さの所為にする。若さというぼんやりとしたものの迷惑も考えずに。

 こうして次の年になった。阪神のすばらしき優勝の年も過去のものになってしまう。あの道頓堀に落ちた白いメガネ姿の人形をぼく自身の投影と考える。ぼくは、ここでも自分の失策をごまかそうとしている。そのことにもかろうじて失敗する。

 ぼくはあの日々を極限まで美しくするために、あえて、無意識にでも途絶えさせようとしていたのか。しおれる前の花として。そのためであるならこうむった被害もかなり大きなものだ。そして、この今日まで覚えているぐらいだから成果はあったのだともいえる。ぼくは被害者のフリをしている。彼女にとってみれば加害者である。また同時に両者とも罰を受け、両方とも若さという永遠性を閉じ込める努力を精一杯ながらして、むごさとともに勝ち取った。

繁栄の外で(31)

2014年05月26日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(31)

 それで再び、東京にいる。やはり、この場所は春の季節の到来もはやかった。服装は一枚すくなくても問題はなかった。

 ぼくはこれを最後にしようと覚えてしまっている多恵子の家に電話をかけた。だが、それは通じなかった。もう一度かけなおしても結果は同じことだった。

 意を決して、家の前まで出かけてみる。その家の前で見上げるとどこか様子が違っていた。青空を背景に洗濯物がひるがえっているが、家族構成がどこかしら違っているような印象をいだく。気をつけて、玄関の表札を見ると、まったく見覚えのない名前のものと代わっていた。山本さんの会社に行けば、答えは分かるのだろうがそこまではしなかった。愛情もそこまで止まりだったのかもしれない。こうして、また一つ過去を清算することになってしまった。冷蔵庫のおくにしまわれたものの賞味期限がきれてしまったように。

 バイトしたお金はいくらか残っていたが、それを使って資格をとるとか当然、普通の人が考えそうなことはいつも自分はしなかった。ただ、何枚かのCDに化け、何枚かの新しい洋服がタンスに並び、いくつかの美術作品の知識が増えただけだった。ただ、ぼく自身は絶対的なものへの希求が残っていた。もしかして、神はとおりのあちら側、信号の手前あたりで待っているのではないかとのむなしい予感が。

 しかし、そのときも見つけられない。見つけられなければ、この命を楽しむしか方法はなくなる。

 そのとき、あらためて一般的に金銭をどれだけ普通の人が愛しているのかを知る。そういうと語弊があるかもしれないが、愛ではないかもしれない、ただこの人生の旅へのトラベラーズ・チェックという価値がそれにはあった。それで、自分もポケットに何枚かあった方が便利だな、ぐらいの認識を得る。それで、人より多目に手に入れる算段をする。しかし、そうした能力がやはり自分にはないらしく、正式な学問のルートという通行手形ももっていないので、半端な方法でしかそれは叶わない。

 ただ、好きなものは好きという理由だけで、本を読んだり音楽を聴いたりした。それも、威張った理由では当然のところない。マニキュアした爪が好きな女性が、そのことを考えるぐらいしか意味はないのかもしれない。しかし、いくらかは本物に近付いているという甘い誤解をいだくことはできた。

 またもや伴走してくれる人も見つけられず、ガイドをかって出てくれる人も現れなかった。最短距離を歩くことは意外にも難しいのだ。その反面、遠回りや遭難は手近なところにいつもあった。たまには、足をひっかけられるような状況もおとずれた。それすらも、人生を華やかにするものかもしれない、と考えることにした。

 しかし、人生を本物で満たしたいという欲求も、ただ一人の女性の笑顔と引き換えにしてしまうような弱さも当然のようにあった。そのときに、徐々にではあるが冬のリゾート地で接した君江という女性が落とした影に影響され始めていることを知る。女性には、ああいう一面があるのだな、という不思議な驚きだ。その点では、自分はいつも過保護であったのだろう。そして、過保護であり続けようとした。自分だけに気をかけないやつとは相容れないという確かな子供っぽさが、自分の核心にのこっていた。そして、いまでも残っている。

 青春は終わったと思いながらも、それからの脱皮にとまどっている時期だ。いくつかの本や音楽が次への扉を開いてくれるとは思いながらも、そのページはまだなかった。外国語への欲求もありながらも、いつもそっと先延ばしにした。誰かとコミュニケートする時間もそんなにはなかったからだ。たえず、自分の体のなかから何かが呼びかけた。それは、「まっとうな人間になりなさい」とかでは決してなく、「立派な人間になれ」というものだ。しかし、そんな言葉は、祖母が自分の孫に言って聞かすような内容だ。だが、そんなことは理解しながらも、自分の体内からは消えなかった。消えないことには意味があった。

 こういう叫びとともに20代の前半が始まっている。ある意味でいえば、暢気なものである。切羽詰ったものとはいえない。もしかして、他の国に生まれて徴兵でもされていれば、重い銃をかついで、砂漠のなかで喉を乾かしていたかもしれない。これが、日本に生まれるということかもしれなかった。世は平和であった。昭和20年以降の日本が作り上げたシステムの上に、自分もあぐらをかいて乗っかっていた。それを愛してはいなかったが、愛などいったい何の意味があるのだろう。

繁栄の外で(30)

2014年05月25日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(30)

 自分は好かれる人間だとも、好かれるべき人間だとも一度も思ったことはなかった。ただ、何人かはぼくのことを気に入ってくれた。またそのうちの何人かとは肉体的にもそうなった。しかし、こころの問題のほうが常に重要であった。

 季節は、冬から春になろうとしていた。ウインター・シーズンも終了である。それを目的としたお客様も減っている。ちょっと前には、ぼくが配属されているところに違うホテルから移ってきた人もいた。そろそろ、見切りをつけるときかもしれない。頭の中には、そんな考えがちらほら芽生えた。

 君江さんとの関係も本気になりかけていた。それは、ぼくの方がということだ。自分は彼女を知って、女性像の変更を余儀なくされる。なんだ、女性って(人間って)こんな一面もあるのか? ということを知るからだ。

 しかし、中山さんに呼ばれ、「彼女のこと、きちんと見たほうがいいよ」との忠告をうける。年長者の意見というのは、どこかしらできいておくべきものなのだ。彼には、きちんとした結婚を考えている女性がいて、たまに別の人を知るという一般的に賢い方法を取っていた。ぼくに、そんな器用な振る舞いが出来るわけもなく、(過去にはしたかもしれない)一途になっていく。

 だが、用もなく待ち合わせもしたわけではないが、仕事が終わった夜に、ぼくがひとり歩いていると男女が楽しげに歩いている姿がみえた。背格好は君江に似ていた。もうその瞬間には、気持ちの上でも「似ている」という範疇を超えているのは感づいていたのかもしれない。だが、不確かな風船のような理性が似ている、というところにとどめていたのかもしれない。ぼくは、瞬時に木陰に隠れ、彼らを見た。そして、こちらへ近付いているころには、ぼくの愛情も手から離れ、持ち主のいない風船のように空中に跳ばされていった。残念である。

 彼女のことを悪く言う気は毛頭ないが、中山さんも大体のことはしっていたようだ。ただ、気晴らしに彼女に合わせたのだが、ぼくの方が勝手に本気になったのだ。

 それにしても、彼女の清純そうな雰囲気はいったいどこから来るのだろう。ぼくは、こうして誰かを裏切った経験を悔やみながらも、いつのまにか誰かに裏切られていたのだ。それは、自分の身に起こってしまうと、より一層ショックであったことを痛感する。身勝手なものである。

 それだけが決定的な要因ではないが、そろそろ東京に帰ろうと思う。日記も厚いページだったが、ほぼ埋め尽くされていた。この年にこの街でできそうなことは、すべて行ったのだった。女性の気持ちの一端をしり、愛情はこわれたバケツのようにいつの間にかこぼれ、自分には救済する方法がなかった。

 職場の上司にその旨を告げ、カバンに荷物を積み込み、そのまま引き出しにいれていたお札もカバンにしまい、ぼくはあとにする。読み終わった本や着古してしまった衣類を共同のゴミ捨て場にすてた。

 その前日に君江にも告げた。彼女は、
「そう、頑張ってね」と言ったが、ぼくは、頑張りえる何かを見出す必要を感じていた。

「頑張るよ」と言って、二人は別れた。彼女は本気でさびしそうな様子を見せたが、ぼくのこころの一部も本気で死んでいた。また、誰かを斜めに見ないでまっすぐと向き合えるかは自分でも不明だった。

 また、従業員が運転するワゴンに乗り込み、最寄り駅まで送ってもらう。来た時とは違い春の到来を予感させる暖かい日だった。駅の売店で、帰りまでの数時間で読めそうな文庫を探す。どれも不満だったが、それでもその中の一冊を手に取り、切符を買った。

 切符を財布にしまい、中山さんの電話番号をメモした紙切れを確認した。もう一度、会うことはあるのだろうか、と自分の未来をちょっとだけ空想した。

 到着した電車に乗り込み、窓側に席を見つけた。荷物を網棚にあげ、ぼくはジュースと買ったばかりの文庫だけを手元に置き、身体ごと座席に沈んだ。

 電車は動き出す。君江という女性のことは考えなかった。ぼくは、多恵子を裏切ったときの、彼女が感じたであろう気持ちのことにやっと自分自身で追いついた。どうしようもない間抜けなことであった。彼女と再び会わなければならないと思っているが、そのときは来ないかもしれない。この電車の中でぼくの青春と呼べそうなものも終わってしまったのだろう、といまの自分は知っている。 

繁栄の外で(29)

2014年05月24日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(29)

 近くには銀行もなかったので、手渡しでもらった給料はそのまま引き出しに突っ込んでいた。そんなに使う場所も娯楽もなかったので、だんだんとその無造作におかれたお札は増えていった。その分、自分の肉体もシェイプされた。貯まったお金をどうするかなど、自分の予定に入っていなかった。いつも通りの自分だ。

 たまに寝坊をしてしまうこともあったが、電車に揺られる通勤時間もないので、顔をさっと洗い服を着替えればことは済んだ。そこで、ぼくは何も意図していないが料理長に気に入られ、おいしいまかないを食べさせてもらった。いまでも、自分のどこを見て評価されたのか分かっていない。ひとつのお世辞も自分の口から決して出ることはないのにである。こうして、世間というものが少しは理解でき、だが、大幅には自分の手にあまった。

 仕事が終わり、大きな温泉に入った。そこでは開放感があり、自分の宙ぶらりんな姿も含めて、過去や未来のしがらみから離れることができた。それでも、自分ひとりの存在を今後、どう伸ばすのかどうやりくりするのかは多少は悩んでいたと思う。だが、正式なルートを外れていることは実感し、あとはドラフト外で頑張る野球選手のように地味な努力でしか報われないことをしる。その地味な努力というものこそ、自分からは遠かった。

 また別な日には、この前知り合いになった君江という子と会ったりもした。ぼくらには若さがあり、夜も疲れていたとは思うが、時間を見つけあっては少ないときではあっても立ち話ぐらいはした。

 彼女は、暖かそうなコートを着て、防寒のためかファッションのためか、それとも両方のためか帽子をかぶっていた。それがとても良く似合っていた。いまでも、同じような帽子を見ると、彼女を思い出すということがぼくの頭にインプットされている。

 ある日、彼女がわたしの部屋で飲みなおそう、と言った。

「部屋になにかあるの? そもそも入っても平気なの?」
 と、間の抜けた返事をぼくはした。彼女は、冷蔵庫の中味を思い出していくつか並べた。「それぐらいで大丈夫でしょう」ときかれたのだが、ぼくは、もうそんなにはいらなかった。ただ、ちょっと緊張感があったためそのように言っただけだった。

 そこのホテルに隣接されている宿舎に向かう。あたりは暗く、雪のためか音が消されている。その反面、ぼくらの足音が行進する兵士のような音をたてた。

 そこに着くと、彼女が扉を開け中の様子をうかがった。なんだかなれているような気もしたが、あまり考えないことにした。実際、そんなに考え続けることが出来るような状態でもなかった。だが、ほんの少し多恵子のことを永久に思い続けるであろう自分が消えてしまうことに、愕然とし嫌悪も感じた。きれいには、清潔には生きられないものである。

 彼女は、後ろを振り返り、誰もいないことを確認したのであとについてきて、という素振りをみせた。それで、ぼくも静かに靴を脱ぎそのまま従った。

 彼女は、自分の部屋の扉をあける。そこは無機質なつくりの部屋のはずだが、やはり女性らしくカラフルなものに変容していた。ぼくは、座る位置を探していたが、いつの間にかクッションを手渡され、その上に座った。部屋には、小さなラジカセがあり、音量を最小にしてその当時はやっていた曲がかけられた。

 彼女は、備え付けの冷蔵庫から缶を二つ出し、ふたを開けるよう両方ぼくに差し出した。ふたつとも開け、片方を彼女の手に渡す。冷えた身体でありながらも、ぼくは唇をそっとつけた。その喉越しにはまだ快適なきもちが残っていた。

「きれいに整理されているんだね」と、手持ち無沙汰になり自分は言った。
「そう?」と、その部屋を君江は首だけで一周、振りかえるしぐさをした。

 あとは、缶をすべて空にすることもなく、ぼくらは横たわった。彼女の、肩も首も腰もこわれてしまうぐらい華奢であることをしった。ぼくは、どうしようもなく優しくされることを望んでいたのだろう。そして、忘れることができるなら、どこか遠くに多恵子のことを放り投げてしまいたかったのだろう。

 ぼくは、いつの間にか目の隅から、涙が流れていることをしった。その場の男性としては、ありえないことかもしれなかった。 

11年目の縦軸 38歳-30

2014年05月23日 | 11年目の縦軸
38歳-30

「ああいうの見るの?」
「ああいうのって?」ぼくらはレンタル店を出たばかりだ。

「奥の部屋にありそうなやつ」絵美はアイスを舐めている。空いているもう片方の手で服を脱ぐ真似をした。ぼくの手には借りたばかりの映画の袋がある。

「あ、あそこの。うん、見ないこともないけど」
「はっきりしない返事。とっても、はっきりしてない」

 見るときっぱりと宣言できるほど、世の中の異性に認知されたものでもない。胸を張ることもむずかしい。しかし、見ないというのも正しい答えではない。胸に手を当てれば。さらに、それは代用に過ぎないものだ。プロの選手には使用が許されていない金属バットのようなものである。言い訳めいているが、ぼくは代用や模造品からこっそりと楽しみや満足を得ているなど、オリジナルに対して説得を企てたり、反論を準備するほど野暮でもなかった。だが、尋問はつづく。

「なんで、見るの?」顔中を疑問という表情に絵美はする。「どうして見るの?」
「どうしてね」
「おうむ返しばっかり」
「流行を知るためじゃないの」
「え、流行?」今度は失望という顔になった。「あんなのに、流行りも廃れるもないんじゃないの?」
「女性の雰囲気は変わるだろう」

 ぼくはいつの間にか見るという側の立場にたって発言をはじめている。どちらかといえば擁護もしている。なぜだろう。しかし、個々の違いとか、差異というのも確かに少ないものだった。どれも大まかにいえば同じだが、ある面では異なった趣向がある。こういう際立ったレアさは日の目を浴びないままで終わった方がいい。小さな差を整頓上手なひとの部屋のように美しく分類し、規定することにして、見るべき理由を無理にあげれば、時代に合わせた長い髪や短い髪のひとがいるから流行などと不本意と思いながら持ち出したのだ。凹凸の大小の兼ね合いもある。本来の好みや誰かとの相似性というのも重要なものだ。彼女たちは映像としてその当時のままで残る。年をとることを拒否できる代わりに、それほどまでに永続するものでもないし、大切に保管、保存されたりもしない。国会図書館にも居場所はないだろう。後続がたくさんおり、次から次へと登場するのだ。そして、流行を追う。

「家、戻って探索するからね」
「ないよ、どこにも」
「ほんとは、あるとこ知っているよ。さっき、片付けしたときに」

「なんだ」
「いっしょに見ていい?」
「いっしょに見るもんでもないし」
「見てもいいじゃん」

 家に着き、絵美はアイスの棒をゴミ箱に捨てる。当たりかはずれがあるものらしく小さく舌打ちした。ぼくはその間にいくつかの機械の電源を入れ、デッキの口に隠されていたものを挿入した。金属バット。模造ダイヤ。それから、ぼくらはダブル・プレーの名手たちを見るように展開を見守った。ときには、トリプル・プレーもあった。

 酔いが全身にまわってきたのか絵美はその場でうとうとしはじめる。ぼくは公に見ている自分の立場が恥ずかしくなってきたので、スイッチを消して、歯を磨いた。

 ぼくは布団をめくり絵美をもちあげて横たわらせる。オリジナルの重み。この実体の重みを感じることこそ、明日につながる責任のようだった。身体も熱を帯びている。風邪もひけば、発熱する人体。代用はそうした心配や愛が伴わなければ感じるであろうささいな迷惑をぼくにかけることもできないし、世話を要することも欲しない。ただ、挿入口から取り出されれば運命も終わる。簡単で、あっけないものだ。こころの交流もない。なくてかまわないという考え方もあるだろう。いちいち関係を深めていくほど、温泉のように毎分ごとに生み出される欲の根は重要ではないのだ。

 ぼくもその横に寝そべる。絵美の腕がぼくの首にからまる。アイスのにおいが息にまじっている。幼いころに見た何かの蜜に群れ集う昆虫たちの姿を目に浮かべる。ぼくの脳はあれより賢いかもしれないが、本能的なものを比較すれば同等のようだった。虫たちに、支払いやおつりという感覚はないのかもしれない。でも、手に入れるとか強欲にならないまでも引き寄せられる気持ちは、どんな生物も同じだろう。それらには子孫の繁栄とか存続とかまっとうな理由があるために正しいことにも思える。ぼくは、ただ暇つぶしを探しているだけのようなこころもちになった。

 ぼくはアイスのにおいの元をたどる。すると、その前のアルコールのにおいが後から勝ってきた。ぼくが代用品を見る理由があやしくなってきた。生きるということには汚れや腐敗がまぎれこんでくる。避けるということは不可能なのだ。それだからこそ無垢なものは尊く、精神的な意味合いもふくめて腐敗を遠ざけたひとを勝利者として認定できるのだ。ぼくの本能はにおいや接触から影響を受ける。ぼくが自ら生み出したものでもなく、刺激されて、魅惑されて存在が許されるのだ。その歯止めはいらない。そして、余りにも多くなると、代用品にまで手を染めるようになる。正式な場所でもなければ模造のダイヤを指にはめて満足する貴婦人の安心感のように。落としても失ってもかまわないのだ。本物は箱にでもおさめて大切にしよう。

繁栄の外で(28)

2014年05月22日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(28)

 いままでと違う環境にいるということだけで、日記をつけてみた。何よりも、文章を書いて頭の中を整理させるという営みが、自分は好きだった。その中味は、日々のことと、過去の反省と、未来に訪れることが等分に分けられていた。もちろん、書かない日もあった。でも、何かを記録するということが文明の近道といまでも考えている。

 その数ページを使って、この前の夜のことも記録されている。女性2人がぼくらの前に現れた。彼女らも微笑んだ。それぞれ自分を紹介し、酔いがすすむごとに話も内面へとつながる。だが、大体は中山さんが話の主導権をにぎっている。彼が、操縦しぼくらに違った景色をみせ、笑いをとったり多少の沈黙を保ったりした。すべては、彼の意図したとおりに行われていた。

 ぼくは、あまりしゃべらなかった。本来の自分はいつもこうである、と決め付けていた。それで、中山さんも態度を変えることもなく、こういう人だとぼくのことを認識していたのだろう。そこそこに盛り上がり、ぼくらは再び、寒い外を通過し、自分らの宿舎に戻った。

「どっちがタイプだ?」ということをきかれたので、自分は左に座った髪の短い子の方です、とだけ答えた。本当にそう思っていたかは、良く分からなかったが、彼が積極的にえらんで話しかけていない子を言ったまでだ。

「そう」と言って、彼は足を雪にとられないように下をみながら返事をした。

 何日かして、中山さんはまた連絡をしているみたいだった。彼の電話がなった。ぼくも彼の部屋でビデオを一緒に見ているときだ。二人の女性の片方と彼ははなし、そのついでにぼくに電話をかわった。そのときは、もうひとりの子とかわっていた。それで、いつのまにかまた会う約束になっていた。

 その日がやってきた。ぼくらは、ボーリングを数ゲームして、カラオケに行き、その後中山さんの車を止めたあとで、この前のロッジ風の店にたどり着いた。一緒に身体をうごかしたりしたことで、ぼくらには不思議な一体感があった。それで、過去から知っているような錯覚におちいった。そのため、自分もわざと作っていた防御がなくなってしまっていた。だが、また誰かを傷つけるのかという心配が頭のどこかにただよっていた。それは、なかなか消えない雲のように、ぼくの頭をすっきりとした青空にしてくれなかった。

 それで、ぼくらの会話も前よりはずみ、言葉がないという時間はおとずれなかった。それでも、ぼくは会話が途切れた瞬間にトイレにたった。立って歩いているときに自分は意外と酔ってしまっていることを感じた。トイレのなかの鏡で自分の顔を点検すると、あまり表面に出ていないことを知る。だが、物足りず冷たい水で顔をあらった。

 出てくると、中山さんとひとりの女性が消えていた。

「あれ、どうしたの?」と当然のごとく、自分は問いを発した。
「なんか、帰っちゃったみたい」と、髪の短い子はいった。彼女の名前は君江といった。ぼくは、まだ21で彼女は23才だったと思う。学生時代にはバスケットをしていたということが想像できる細身の体型で、小さな顔に短い髪がよく似合っていた。

「どう、楽しい? なんか、いつも心配事が消えないみたいな顔をしているよ」
 と、言われた。そのときは、そんな風には思っていなかった。しかし、快活な彼女と比べると、そう見えても仕方がなかった。彼女はいま使いはじめた電池のようなエネルギーが、身体のあちこちに充満していた。

 そこから、彼女が主導権をにぎり、ぼくらは楽しくはなした。ぼくは、こころのどこかで理想の女性を探すことが習慣化していたが、そのときの酔いでもしかして彼女がそのひとではないのかと考えている自分を知った。だが、風雪に耐えてこそ知る重みがあるのも事実である。

 その店内は、気にしてみるとちょうど良いライトと、適度な椅子のすわり心地と、間隔がほどよいバランスで座席が散らばっていた。店主は、そこに気付かせないように努力しながらも、居心地のよい場所を作り上げていた。しかし、そこを去る時間がきた。

 外に出ると、「また会おうね」と言って彼女の唇がふれた。ぼくは、多恵子のことを忘れてしまっている自分も忘れていた。 

繁栄の外で(27)

2014年05月21日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(27)

 毎日の決まった仕事をこなしていった。忙しく身体を動かしていると、思い悩んでいる時間は比例して減っていった。それが、願っていることであった。

 それでも、夜には一人になった。同じような業務についていれば自然と仲良くなる人が見つかった。必要以上に自分のことを詮索しなければ、普通に部屋を行き来し、一緒にテレビを見たりした。

 同じ日にいっぺんに休むことは不可能なので、休日はひとりで過ごした。バスに乗って、町までくだり好きなものを食べたり、品揃えの悪い本屋に寄ったりした。夜は、ラジオを聴きながら都会での生活のことを考えた。はっきりいってしまえば自分はそこしか知らなかった。アウトドアが好きでもなかったし、気楽に一人旅に出るわけでもなかった。それよりも頭の中で、知らない知識を増やしたりする空想の旅を自分は望んでいた。

 しかし、離れてしまっても多少の暮らしの土台ができれば、あとは数人の話し相手が出来るようになれば、どこにいても楽しいものになることを知った。そして、知らないところに足を踏み入れることも、知識を増やすことと同系列であることを実感した。

 数週間して、早めに業務が片付いてしまった日、たぶんお客さんが少なかったのだろう、そこで知り合った仲間に誘われ、ある近場にビールを飲みに行った。あしの裏には雪の感触があった。数十メートルあるくとロッジ風の建物が明かりを照らしていた。彼は、社交的な人だった。この前、ここに来たときに知り合いになった子がいるといって、いつもむさ苦しい場所にいるのだから、たまには羽目をはずそうぜ、ということになった。自分は躊躇したが、執拗な誘いに断るべき言葉を呑み込んでしまった。

 中に入ると、この辺のホテルで働いている人たち用の憩いの場所であるようだった。別のホテルで働いている人たちも同じように息抜きが必要なのであろう。多少、疲れた様子の人もいるにはいたが、仕事から解放された気持ちがありありと感じられ、ぼくの体内からもそうしたものが出ているか訊いてみたい気持ちになった。

「ビールにする? 一杯目は先輩のオレがおごるよ」と、ややふざけた調子で、彼が言った。店内の様子がまだ理解できなかったので、そうしてもらった。「じゃあ、あの奥の席を取っておいて」と指差された方面にぼくはむかった。窓の外はライトに照らされた雪がきれいにうつっていた。ぼくは、多恵子にも見せてあげたいな、と一瞬だけ考えていた。

 ぼくの前に、ビールのジョッキが2つ並べられ、あとはつまらないスティック状の野菜が同じようなグラスに入れられ、そのテーブルに置かれた。「とりあえずは、これで我慢して。きちんとしたものは後で」と言って、彼はその一本を口に運んだ。

 だいたいのことは予想できた。この前、意気投合した子たちも仕事を終えやって来るのだろうと。ぼくは、まだこころを閉ざすことが習慣になっていたが、まあ普通には楽しく応対しようとも考えていた。圧倒的なまでに自分は悪い人間であると攻めてもいたが、いくらかは大目に見ても良いのではないかと自分への点数を甘くした。その結論に導いたのは、東京との距離の差や遠さであったのかもしれなかった。

 ビールは、いつの間にか開いてしまった。一緒に来た中山さんにきき、「もう一杯それでいいですか?」との答えにうなずいたので、ぼくはカウンターまで歩いた。

 ビールを両手に歩き出すと、おつりをもらい忘れていると呼び止められ、もう一度取りに行った。そのときに店内に若い女性が2人、寒そうな感じも見せず入ってきた。ぼくの気持ちの中として、その子たちが中山さんの知り合いならいいな、と考えて席に戻ると彼が会釈している姿が見えた。ぼくは、目線で「あの子たちですか?」と彼に問いかけた。彼は、小さくうなずいた。

 ぼくは、緊張した感じで席に座った。彼女らも、ビールのジョッキではなくおしゃれなグラスの細い部分を握り、こちらに来た。色もそれぞれカラフルで、それを何色と呼んでいいかは分からなかった。

 ぼくは、ひさびさの笑みをつくった。そして、当分は女性のことを考えるのは止そう、と決意してあったことをすぐに撤回する自分を情けなく思った。しかし、どうにも仕様がないことだった。自分のこころを冷やそうと努力していたことが逆にかえって、誰かに暖めてもらう機会を待っていたようなものだ。

繁栄の外で(26)

2014年05月20日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(26)

 自分が生きて普通に生活してきたことが、その結果、誰かの不幸のきっかけになり、ある一人の将来を途絶えさせたり、大幅な目的の変更を余儀なくさせてしまったと考え続けた自分は、徐々にだが病んでいった。それで、誰かと密接に関係を継続させるということができなくなっていった。いままでもアウトサイドの人間だったが、もう一歩そとに出てしまった。そして、誰かと距離を置くことが通常のことになり、椅子2つ分ぐらい中に入ったような関係を保とうとした。そんな距離感で生きていくことは、こちら側では楽になったが、友人たち側の観点にたてば、それはとてもつまらないことだとも思う。当然の流れに身を任せれば、友人たちは次第に離れていった。こころの奥では、自分はそれを望んでもいた。浅瀬でいつまでもぐずぐずしていた自分は、だいぶ流れてしまった友人たちを探そうともしなかった。

 一回、アパートも引き払い、仕事も辞めてしまった。なにごとにも手のつかない自分は、この反省感を普遍的なものとして位置づけたかった。もしかして過去の誰かも、このような気持ちを持ったことがあるかもしれないと。その仲間がいるかもしれない。そうした気持ちをもったうえで、図書館にはいった。数々の本の中に気持ちを代弁してくれるものがあるだろうかと探した。そして、視力を悪くした。

 たくさんの文学書が、ぼくの頭脳の一部となった。また、多くの哲学書にも、悪行者のように手を染めた。それは、自分の精神の血肉となったかもしれないが、救いというものまでには到達しなかった。もしかして、宗教書のなかに、その解決策があるのかもしれないが、それを読み解くノウハウが自分にはなかった。それで、自分には焦りと焦燥が残った。

 このような解決不能の数ヶ月をおくった自分は、次第に両親にも疎んじられていくようになった。あいつは、普通の生活をおくることを努力していないだけではないのかと。当然といえば当然であるが、彼らは、ぼくが数十年育てた人間ではなくなっていることを知らなかった。ぼくは、もう一度、あの岸辺に戻りたいのかも分からなかった。ただ、罪悪感と、もう一度過去にさかのぼってやり直したいということだけを考えていた。

 誰かに話すことも考えても良かったかもしれないが、その度に多恵子の兄に殴られたことを思い出した。どう考えても自分の立場を弁護したりしてしまうだろう自分を恐れた。罪が決まってしまう前に、刑を定めていた。いつか、その地獄から逃れられるのだろうかと、自分は頭の中で模索した。時間は、いつまでたってもこころの上でも実際の両面でもいっこうに過ぎなかった。

 ある日、両親と衝突し自分は家を出て行くことを考えた。そこしか知らない東京を離れようと思った。さまざまなことを考え、冬のリゾート地で働けば、衣食住もつき部屋もあり、多恵子のことを考えることから離れられるだろうと思い付く。そして、履歴書を書き、そこに送った。何度か、電話のやりとりがあり、働き手を必要としているので、数日中に来てくれということになって、支度をして家を離れた。

 その日がやって来て、玄関を出る前に犬の頭をなでた。その犬は、ぼくがひとりで外に住んでいるときに実家にやってきたのだが、ぼくにも直ぐになれた。ただ、あまり賢くはないらしく、そのときもきょとんとした目付きでぼくを見た。

 電車は、徐々にスピードを上げ、眠ってしまった自分をいつの間にか遠くまで運んでいた。目を開けると雪景色になっていた。そうした場所は思い出を作るために訪れるのだろうが、ぼくはいろいろなものを捨てるために行ったのだと思う。

 駅につき、迎えのワゴン車に乗り込んだ。運転している従業員の声が、もう東京ではないことを教えてくれた。自分は、自分がしらないところを探し、また自分のことをしらない人々の中で存在させようとした。ぼくは、自分に割り当てられた部屋に入り、道中に読んでいた夏目漱石の坑夫という本を上着のポケットから取り出した。この作家の職業を軽く見ている主人公たちが好きだったのだが、この本はあまりにもリアルであり、陰惨でもあった。ぼくは、最後まで読み通すことが出来るかだけを考えていた。

 タンスに何着かの服を並べ、部屋の中を見回した。自分は、誰からも距離を置こうと決意をしていたが、そもそも人間のぬくもりを求めることを知ってしまった野生から離れた動物がもとにもどれないように、自分の限界もまた知っていた。 

繁栄の外で(25)

2014年05月19日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(25)

 翌日になって大体のことが理解できるようになった。

 そのことは、一本の電話があってからだ。ぼくは、隠れてみゆきさんとの関係も行っていた。彼女は、昨夜ぼくに電話をかけてきたようだ。そのときに、ぼくは外に買い物に出かけ、普段なら多恵子は電話に出ることはなかったが、ぼくの家族かもしれないという当たらなかった勘のために、自分に不幸を招いた。

「あの子に、酔っていたため余計なことまで言っちゃった。困らせようとしたのかな。ごめんね」という内容をみゆきさんの口からきく。ぼくは、当然困った状態に置かれた。もちろん、自分が蒔いた状況だったが、ぼくらはいつの間にか遊びの範疇を越えていたのかもしれない。そして、鬼につかまった。

 多恵子に謝るために電話をかけたが、取り次いではもらえなかった。ただ、なにか衝撃的なことがぼくらに起こってしまったらしいことを彼女の家族は心配していた。

 何度、電話をかけてもその状態に変化は見られなかった。それを数度くりかえしたときに彼女の兄に呼ばれた。ぼくらは、外で会った。おおよそのことは彼女の兄は知っていた。しかし、ぼくから本当のことも聞こうとした。立場上、ぼくは答えないわけにはいかず、かいつまんで起こってしまったことを話した。兄の人相は徐々にかわり、怒りがこみ上げいつの間にかぼくは殴られていた。それを当然のこととして黙って受け止めるしか、自分には方法がなく、回避するほど、いさぎよくない人間にはなりたくなかった。

「もう、多恵子には会うな」という怒声を浴び、妹が子どもの頃の病弱であったときのことを思い出しているかのように、目をつぶった。もしかしたら、涙が流れているのかもしれなかったが、ぼくは正視することもできず下をむいていた。ただ、「それは」といいかけたが、それ以上の言葉がでてこなかった。そして、いままでのことを考えている間に、彼女の兄は消えていた。ぼくの頬に痛みだけが残っていた。

 この置かれた状況を理解するために、誰かに話すことが必要であると思い、また誰かに責任を負わせたいという大人気ないことも考え、みゆきさんと会った。

 彼女は、いつものままだった。楽天的であり、大らかな様子のままだった。

「仲直りできた?」と質問されたが、直ぐには答えることはできなかった。

 時間を置いて、ぼくはいままでの経緯を話した。それには多少の時間がかかった。彼女は素直にあやまったが、責任をそんなには感じていなかったのかもしれない。もちろん、最大の責任は自分にあることは知っていた。その責めを日に日に感じるようになり、もちろん今では自分の一部にまでなってしまった。

 そう思いながらも、みゆきさんと数度、関係をもったが、いつの間にか関係は終わってしまった。みゆきさんといれば、多恵子のことを思い出すようになってしまうからだ。ある時などは、道行くひとを多恵子と思い違いし、追いかけたがまったくの別人であるという経験もした。

 当初は、うわさも耳にした。多恵子は、大学をすぐに休学した。そのまま病んでいき自殺の真似事までしようとした。その、きっかけと理由を作ったのは、まぎれもなく自分であった。そのことを考えると恐怖におののく。そして、それ以来、自分は幸福をつかむことなどないのだろうと思い、またそれを遠ざけた。

 だが、神というものもあっても良いのではないのかと、こころの奥から声がする。あるアメリカの作家は、ちょっとふざけた調子で、「神は許さなければならない、それが仕事なのだから」と書いた。そうは思いながらも、自分を憎んでいる人々が世の中に存在するということも否定できない事実であった。

 しかし、逆にこう考え出す。傷つけられた人間がいて、その対象に愛情を持とうが持つまいが介添えするような立場のものが神ではないのか。ぼくは、いつか出会うときがくれば、多恵子を守ろうと考えるが、とうとうそのときは来なかった。いまでは何をしているのかも知らない。その知らないことこそ彼女の幸せであるとするならば、自分の存在をやましさ以外の何者でもないことを、再び知ることになる。

11年目の縦軸 27歳-30

2014年05月18日 | 11年目の縦軸
27歳-30

 ぼくは希美から映画に誘われる。こまっしゃくれた映画。ブルース・ウィルスが裸足で駆けずり回ることもなく、トラック野郎もいない。柴又の風来坊がまた旅に誘われる映画でもない。

 ぼくはこれまでに女性の涙を見て、口を尖らせてふてくされた様子を見て、困った顔をいくつか作る要因となった。歓喜でさえ苦痛のようにゆがむあのときの表情も知っている。経験というのは無限にいくつもの箱を作ることだった。そこに無造作に表情のサンプルを放り込み、あとは漫然と忘れようとした。

 このような仕組みのなかで、映画が難解であってはならない理由などひとつもない。寂寥とした主人公の捉えどころのない心象に付き合わされることもあるのだ。ぼくは断片しか知らないラーメンを作る映画を思い出した。ぼくはどっちかを選ばなければならない。どっちかは二つだが、選択肢ももっと無制限にあった。

 インテリが夢想する漂白された革命とか、自分の恋人は友人と陰で隠れて寝ているとか、ぼくにとってどうでもよいことを主人公は悩みの種としていた。ぼくは、爽快になりたかった。早く、この耐えがたい地獄が終わり、ぬるくてもよいのでビールでも口に入れたかった。希美は退屈でもなさそうである。せめて代金分は楽しもうという女性特有の気持ちがあるらしかった。

 しかし、まったく見どころのない映画なども皆無だ。ぼくは最後のほうに流れた理知的な音色のトランペットにこころ打たれていた。悪くなかった。映像もなくなりエンド・ロールで曲目と演奏者を確認する。
「やっぱり」とぼくは言う。

 それまで退屈そうにしていたぼくが、映像もなくなって急に話したので希美は戸惑ったような様子をした。

「なにが、やっぱりなの?」
「あの音楽。トランペット」
「ラッパ」

 その響きはぼくに夕暮れ時の豆腐屋のもの哀しい音色を思い出させた。あのような売り方をしていたのは一体、いつぐらいまでだったのだろう。そうするためには、家に主婦たちがいなければならない。もう、みな外で働くようになってきたのだ。帰りにスーパーで買えた方が手っ取り早い。世の中は流通でもあるのだ。映画も同じ産業であり、仕組みだった。だが、それに引き換えても退屈だった。

 ぼくはぬるいビールも飲まずにすむ。まだ日は高く、椅子も高いスツールだった。柱も見当たらない大きな窓があり、ぼくらはその窓際のカウンターに座り、外を眺めていた。ひとりひとりにも、先ほどの映画の主人公のように知られていない殺伐とした気持ちがあるのか考えようとした。だが、少しのアルコールでぼくは愉快な気分になり、ひとのことなどどうでもよくなってしまった。

 すべてを置き去りにしなかった。ぼくの頭にはまだあの音楽が鳴っていた。ぼくは理解できるようになっていた。もし、あの十年以上も前の自分だったら、きっとこころに何も残していないだろう。もちろん、交際相手がさっきの映画を選ぶこともなかった。ぼくは、イングマール・ベルイマンを知り、難解さをすべて避けようとしたこともない。しかし、デートで見るような類いのものもあるだろうと提案したかったのかもしれない。でも、ビールの喉を通過する快適さは完全には奪われない。

 ぼくらは渋谷の町を歩く。いくつも近道を覚えていて、でも、急いでいるわけでもないので、歩き方はゆっくりとしている。地下鉄の駅を発車すると車両いったん空中に浮かぶ。その光景の不思議さをもう格別にめずらしいとも思わなくなっている。すれちがうひとは同じような服を着ていた。流行と個性の間を見つけるのもうまい女性もいた。デザインとサイズがあり、販売のテクニックと財布のひもの兼ね合いがあった。その吹き溜まりが渋谷というところのようだった。

 ぼくは希美が洋服と友だちへのプレゼントを選んでいる間、地下の大型の書店で立ち読みすることにした。ぼくは彼女の熱中とおおよその費やす時間を把握するようになっていた。ぼくは新刊を手にして、最初の数行を試しに読む。試着と同じだ。自分で選ぶ服と、似合うとすすめられる服は違う。自分で読んで楽しかった本と、気に入ると思うよと言われてすすめられる本も異なっている。でも、誰かに新しいものを教えてもらわない限り、自分の枠も興味も段々と先細りになってしまいそうな予感があった。ぼくは目ぼしいものが見つからないので、希美がいそうなフロアを探した。たくさんの女性がいる。ぼくがもし選ぶと仮定して、さらに、友人から気が合いそうに思うよ、と紹介されて一致する確率を想像した。しかし、ぼくはもう新しいものを必要としていなかったし、欲していなかった。気まぐれになることもない。忠実なる番犬も、あの裕福そうな別の飼い主に飼われたいなと浮気ごころを出すこともないだろう。首の紐にでさえ文句を言わないのだ。退屈さもそれほど認識していないのだ。たまの散歩とたまに噛む硬い骨があれば満足なのだ。

 希美の背中が見える。服が並んでいるレールの上でハンガーにかかっている服を左右にすべらせている。そして、一着をとって自分の目の前にひろげた。数秒して、どういう気分なのか分からないが気に入らなかったのかまた元にもどした。それから、もう一巡して同じ服を取った。そこで、にこやかな店員に声をかけ、試着室に消えた。手持無沙汰な店員はぼくを発見する。試着室にいる女性とこの適度な距離を保っているぼくの関係を思案するような表情になった。彼女もさっきの映画を見たら、あのにこやかさも簡単に消えるだろうなと想像する。そして、ぼくは段々とそちらに足を向けた。試着室から希美が顔を出す。店員のずっと後方にいるぼくに気付く。カーテンをもっと開き、ぼくにも新しい衣装を見せようとした。

 カーテンはもう一度、閉まった。ぼくは彼女が選んだ服のそばの値段を見るともなく見た。これではなく、あれだったのだろう。希美は不特定多数のものからひとつを選ぶ。それが、不思議とぼくでもあった。退屈な映画に耐えられる彼女の選びそうなものでもあった。