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当人相応の要求(26)

2007年07月14日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(26)

例えば、こうである。
 遠く、離れた人々と話したくなる気持ち。会えない不安とやりきれなさ。そのつぐないのような、文明による解消。
 長時間、誰かの足を頼りに手紙を送り届けることもない。その方が、心のこもった形式なのかもしれないが歴史の勢いは判断せず。スピードを上げる世の中。
 アレグザンダー・グレアム・ベル。伝達するということに特許がいる。1876年2月、その特許は認可され、3月には電話で通話がされている。
 時代というのは、同じようなものを考え付き、要望するもので、実際に機器を作ったのは、別の人ともいわれているし、数人の発明家が関与している。しかし、ここでは伝達の象徴としてのベルという名前を残す。
 さまざまな使われ方をする運命の機器。喧嘩も伝達するし仲裁も伝えるし、決定的な別れにも使われる、過去には黒い存在感を放った道具。
 お客様という圧倒的なステータスをあげる消費者。その数々の不満の捌け口として使われる電話機。彼も、する側には少ない時間を用いたが、される側にまわって、不満の言葉をきき、日々の糧を得るために我慢もした。
 遠く離れた人の肉声をリアルに感じたい気持ち。その手段。妥当ではない手段だが、それを踏み越えてしまう衝動。小さな隠れるほどの録音装置を、部屋の見えない部分に置く。何事も主張しないように。
 ウォーターゲート事件。
 ある国の最高の権威を持っている人の立場も揺るがすようになる事件。悪役になることを、もって生まれた性分のように感じさせる人。人の秘密を嗅ぎ付けたい衝動ならば、誰も持ち合わせているのだろうか? 普通に売られている盗聴器。それを拒めない、見つけられない会話たち。
電線を通じての関係。筒状の紙が、言葉を並べ立て、送り出される。
 孤立しても、世間と渡り合えてしまう機器。電信装置。電子的な郵便。
 メールというものが映画の題材になる。有名コーヒー店の紙コップを背景にして。
 さらには、セキュリティー、コンピューター上の不法侵入が問題になり、それらも映画化されていく。ハリウッドで題材になることへの認知と証拠。
 会話をしたかったはずで始めた電線が、対面的な対話を足早に避けていく。
 その繰り広げられる架空的なお店で、支払いは何桁かの数字を打ち込み、あとは届くのを待つだけ。似合う服か、袖を通すわけでもなく、試食をして味見をするわけでもなく、幸せをつかもうとする消費者。
 一時期、人嫌いでもあった彼は、そのためだけでもないが、(サリンジャー的な逃避と幽閉)将来的にそうした事柄が行われるのを感じ、自分もそれを利用するのを確実視したのだが、その向こう側、利益を得る側にまわることは夢想しなかったし、当然のように実現することもなかった。
 しかし、ビジネス感覚と、当たるという嗅覚を感じる人は、どこにもいるらしく、そのお陰で世間的な地位もあがっていき、スポーツクラブのオーナーにもなっていく。
 しかし、慣れてしまえば安易なものに傾くのが人間であり、わざわざ会いに行くこともせず、電話で商談をし、一時的に愛する人も探し、その仲介料をどこかに納め、幸福を掴んだ気になる。
 彼も、その電信装置を買い、友人との酒を酌み交わしながらの会話の時間を潰し、慣れ親しんでいき、自分のものにしていく。
 日常で使う小さなものから、数百万円の車まで、それで買えてしまう。良いことなのか、悪いことなのか、セールストークの得意な人の生き延びる道はあるのか? 彼は、そんなことも考えている。でも、家の中を見回すと、些細なものだが、そうした方法で買ったものたちが、いつの間にか増えていることにも驚きを感じている。そして、今日も、数時間机の前に座り、文房具の最高の形としてのパソコンと対峙している。
 本当は、眼と眼を合わせ、嬉しさや驚きなど感情の微妙な揺れこそが人生かもしれないが、フェイクの世の中だし、仕方ないかと、あきらめている。

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