爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 am

2014年09月16日 | 悪童の書
am

 閉店を間近にひかえたスーパーの店内のことである。

 何度も見たことのある無口そうなレジの店員は、明らかに金額を安く打ち間違えている。誤ってというより、意図と呼んだ方が正確だった。彼はつぶれる店のささいな利益を追求するより、自分の昇進の立場を確保するよりも、常連への便宜を図ることを選んだのだろう。それをコントロールできる立場にいて、その操作も実行もむずかしいものではなさそうだった。

 結局、彼はレシートをくれない。当初の金額と確実に不一致な紙を証拠としてのこしたくないのだろう。ぼくは要求もせず、品物だけが入った袋をぶら提げて帰る。この彼も、やはり悪童なのか?

 再開をのぞんだ店も、前のドラッグ・ストアが移動して売り場面積も広くなり、そのまた空いた敷地にはコンビニエンス・ストアが入った。目の前には別系列の店舗があったにもかかわらず。

「すいません、並んでもらっていいですか?」

 コンビニエンス・ストアで日々くりかえされるアナウンスである。はじめて来るひとが従えるような完全なシステムはないものかとぼくはきちんと先頭に立って考えている。

「あ、そう。後ろいる?」

 明らかに風体の悪い輩である。そういう土地なのだ。高級スーパーに集う美容院帰りのマダムが多い店ではない。しかし、彼はひとりごとか、店員にいったのだろうとぼくは勝手に解釈している。しかし、ぼくの横を通り過ぎる際に、「返事もしねえ奴なんだな!」聞こえるか、聞こえない程度の微妙な音量で凄みを利かせて彼はささやく。口げんかがキライな自分でもない。しかし、ほぼ毎日、ぼくはこの店に来なければならない。悶着を起こして、来づらくなるのはぼくの日常の生活の為にならない。メリットもまったくなし。だが、これも逃げの口上である。そして、明日も別の架空の列がつくられていくのだ。

 一台のパソコンを買って、その操作を覚えたことによって、都内のあちらこちらで働けることになった。あの日が、独立記念日だったのだろう。国交があれば、よその国にも行ける。貿易もできる。購入を決意して重い荷物を運んだ正確な日付もまったく覚えていないのだが。あの重さの移動によって、野蛮な地域の兄ちゃんのままであることも避けられた。エアコンのきいた室内で大汗をかくこともなく済ませている。手先とわずかな頭脳だけで仕事はすすむ。春に種をまき、秋に収穫という長いスパンも消えた。その代わりに、スピードという別の刃に苦しまされることもある。メールという便利なものの恩恵にもあずかっている。結果、生身の触れ合いが減ったとしても損はなく、その損の分量は、あのおじさんの小さな声の恫喝だけである。

 パソコンを動かす原動力となるシステムは数年ごとに鞍替えする。XPというものが長い間、普及していた。みなが、安定して使いやすいのが最大の理由だろう。真理というものを知る。皮肉的に。次に準備している9と仮りの名がついて試作されているものを、サポートが終わったXPをそのまま再利用したらいいのにという意見があった。未来は過去より劣っている。そして、慣れ親しんだものがいちばんであるという真理も別方向から攻め上がってくる。

 ソロバンもいらない。レジとバーコードを一先ず信頼する世界になった。店員はそれを逆手にとる。宇宙の星々の運航を変える。

 あの素朴な味のむかしながらのラーメンを望む口と舌もある。改良というのは信頼に値しない場合も多かった。

 しかし、ネット上の地図は気転がきいた。手元の端末で迷うというかすかな焦りすら手放すことになってしまった。文房具も購入すれば、翌日、見知らぬ制服姿の誰かが運んでくれる。花でさえ、配達してくれる。株券という生身の存在もうやむやになった。生きている人間は直接に、なにに手を下したらよいのだろうか。どれで手を汚すべきなのか。

 資格でもあればさらに自分の遊泳範囲はひろまっていくのだろう。そこまで実態の可動範囲をひろげることを拒む。

 スーパーはほとんど売り尽くし、ものがもうない。あったとしても安い値札に貼り替わっている。数日後には内装の工事のひとが入っていた。壁や天井はより見栄えがあるようにドラッグ・ストアにふさわしい清潔感がただよう色になっていた。電気のワット数も増えたような気がする。仕事帰りに安くなった惣菜や生鮮品を買うチャンスが減った。古い地図はこの店の名称がまだのこっていたりする。

 ぼくになされた善でも、ある面からみれば害だった。大っぴらにならない程度の悪だった。この基準は誰がどこで決めると、きっちりとなるのか。投資というのは損失と違うのか。ペンキを塗り替える費用は回収できるのか。どれぐらいの医薬品や、シャンプーであたまを洗えば利益に転換できるのだろうか。計画を立て、実質としての結果がでる。その間に社員の給料がある。どちらかといえば彼は会社や組織より、ぼくに得となるよう働いてくれた。小さな謀反である。浮気されたから、浮気しかえすという理不尽な理屈があった。自分の身体は、利益を生み出すものなのか、提供するに値するのか、損失を穴埋めするものなのか分からなくなる。形状的には穴埋めに近いような気もする。



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