最後の火花 21
母はぼくに腹を立てていた。その証拠として、「一体、誰に似たんだろう!」と漏らした。それは、ここにいない誰かを差しているようだった。
ぼくは段々と山形さんに似ていく。座り方や、話し方も似てくる。いっしょにいるという単純なこと自体が師でもあり、悪いお手本ともなり得る可能性がある。
「男の子は、それでも宝だよ。将来の働き手になるんだから。お母さんはああいうけどね」
山形さんは労働が浸み込んだ手のひらを揉んでいた。自分のやわな感触とはまったく異なっていた。
いない父に似ることも当然あるが、ぼくに証明の手立てもなく、確認の方法もない。ぼくのぼんやりとした疑問を山形さんは遺伝ということばで形にした。
「王様に男の子が生まれれば、あとで王子という名前に変えられ、いずれ自分も王様になる。また男の子が生まれる。王子となって王様になる。歴史はその繰り返しなんだよ」
「女の子は?」
「別の王子様と結婚する」
「王子様って、そんなにいっぱいいるの?」
「いるさ。王国というのがあればいいんだから」
それから山形さんは凡その政治形態の解説をしてくれたが、ぼくには一切わからなかった。その様式を維持するためには(別のあらゆる形態でも)税金や年貢というものが必要であるようだった。
「役割ってずっといっしょなの?」ぼくは毎日、同じ遊びをする退屈さと比較していた。
「個性があるから、ちょっとは変わるよ。それに善政もあれば悪政もあるからな」ぼくはその差も分からない。お小遣いを与えられ、やりくりも消費も税金も無関係なのだ。だが、ぼくはどうやら王子の家系ではないことぐらいは分かった。一生、入れない場所に一生会うこともない人々がいるのだろう。そのひとたちは何に喜び、何に悩むのだろう。そのときに使うことばはぼくや山形さんのことばと似ているのだろうか。だが、そもそも遠い過去の話をしているのだろう。古くないと何人も王子が生まれたことにはならなくなる。
「善い政治と悪い政治って、どう違うの?」
「そうだな、大多数が幸福になっていると思える社会は、善い政治なんだろうな」
「全員じゃ、ダメなの?」
「そういう理想は通用しない社会なんだよ。まだ、まだ。学校でもみんなが好きな規則なんてものも存在しないし、大人になると分かるよ」
「会社では?」
「好きな仕事ができて、好きな同僚に囲まれるといいけどな、これもなかなかだよ」
「なかなか、なに?」
「実現しにくいということ」
ぼくはもう一度、王子の話題にもどった。山形さんの口は、「カエルの子はカエル」という聞き慣れないことばを発する。それが良い意味での例えなのか、悪い風にもとられることもあるのか、ぼくには分からなかった。どうやら似るという前提は間違っていないようだった。ぼくに対する母の衝動的な怒りをぼくは有していないと感じているが、これも誤りなのだろう。印象というのは身近なものに対して誤ってしまう。効果を発揮しない。他人のぼんやりとした印象のなかにこそ正確な判断があるのだろう。すると、身近なもの、深い関係になることを恐れてしまう、避けてしまいそうな自分もいた。
山形さんは次にまったく正反対の理論をもちだした。「とんびが鷹を生む」と言い、その成り行きを説明した。ぼくは混乱して、困惑する。大人は逆のことも受け入れているのだ。すると、好きもキライもなくなってしまう。
「大人は平均ということも考えているんだ。こっちの力が不足していても、こっち側で補う。つじつまがあって、能力も平均化する」
「平均した方がいいの?」
「魅力があるのはひとつのことに飛び抜けた能力がある方だよ。誰も太刀打ちできない才能の持ち主がね」
ぼくは再び、混乱する。平均を愛すれば、突出したものが欠けてしまう。ひとが美談にするのは平均さなどではないこと。ぼくは自分がどういうものか分からなくなる。
「計算に負けないひともいる。歴史のことに詳しいひともいる。地図や方向感覚にまぎれもない才能をもっているひともいるんだ。だが、学校ではそのどれをも伸ばそうと子どもたちに教えるから、どこかでいびつになる。それも平均のうちだよ」
「でも、通らないといけない」
「そういうこと」
母の料理は山形さんによるとおいしいらしい。ぼくは、この味しか知らない。母は学校で料理を習ったわけではないようだ。山形さんが有している資格も仕事柄、覚えなければならなかったものだ。学校で机に向かうと、どのような能力を与えられるのだろう。
「もっと、いい子になってね」と、帰ると母は優しく言う。そして、抱きしめる。母の匂いというものがあった。機嫌によって多少だが、変わる。
「とんびが鷹を生むこともあるよ」と、ぼくは覚えたてのことばを使った。
「こら。いい子になるはずでしょう」母の手は固くない。何度、叩かれても痛くないだろう。
「カエルの子はカエル」と山形さんは言う。母はそのことに不服なようだった。ぼくにもっと立派な未来が訪れることをかすかに望んでいるようだった。母がどこかの大きな家でのんびりと暮らせるよう、ぼくは勉強をして偉くなろうと固くはないが、誓ってもいた。
母はぼくに腹を立てていた。その証拠として、「一体、誰に似たんだろう!」と漏らした。それは、ここにいない誰かを差しているようだった。
ぼくは段々と山形さんに似ていく。座り方や、話し方も似てくる。いっしょにいるという単純なこと自体が師でもあり、悪いお手本ともなり得る可能性がある。
「男の子は、それでも宝だよ。将来の働き手になるんだから。お母さんはああいうけどね」
山形さんは労働が浸み込んだ手のひらを揉んでいた。自分のやわな感触とはまったく異なっていた。
いない父に似ることも当然あるが、ぼくに証明の手立てもなく、確認の方法もない。ぼくのぼんやりとした疑問を山形さんは遺伝ということばで形にした。
「王様に男の子が生まれれば、あとで王子という名前に変えられ、いずれ自分も王様になる。また男の子が生まれる。王子となって王様になる。歴史はその繰り返しなんだよ」
「女の子は?」
「別の王子様と結婚する」
「王子様って、そんなにいっぱいいるの?」
「いるさ。王国というのがあればいいんだから」
それから山形さんは凡その政治形態の解説をしてくれたが、ぼくには一切わからなかった。その様式を維持するためには(別のあらゆる形態でも)税金や年貢というものが必要であるようだった。
「役割ってずっといっしょなの?」ぼくは毎日、同じ遊びをする退屈さと比較していた。
「個性があるから、ちょっとは変わるよ。それに善政もあれば悪政もあるからな」ぼくはその差も分からない。お小遣いを与えられ、やりくりも消費も税金も無関係なのだ。だが、ぼくはどうやら王子の家系ではないことぐらいは分かった。一生、入れない場所に一生会うこともない人々がいるのだろう。そのひとたちは何に喜び、何に悩むのだろう。そのときに使うことばはぼくや山形さんのことばと似ているのだろうか。だが、そもそも遠い過去の話をしているのだろう。古くないと何人も王子が生まれたことにはならなくなる。
「善い政治と悪い政治って、どう違うの?」
「そうだな、大多数が幸福になっていると思える社会は、善い政治なんだろうな」
「全員じゃ、ダメなの?」
「そういう理想は通用しない社会なんだよ。まだ、まだ。学校でもみんなが好きな規則なんてものも存在しないし、大人になると分かるよ」
「会社では?」
「好きな仕事ができて、好きな同僚に囲まれるといいけどな、これもなかなかだよ」
「なかなか、なに?」
「実現しにくいということ」
ぼくはもう一度、王子の話題にもどった。山形さんの口は、「カエルの子はカエル」という聞き慣れないことばを発する。それが良い意味での例えなのか、悪い風にもとられることもあるのか、ぼくには分からなかった。どうやら似るという前提は間違っていないようだった。ぼくに対する母の衝動的な怒りをぼくは有していないと感じているが、これも誤りなのだろう。印象というのは身近なものに対して誤ってしまう。効果を発揮しない。他人のぼんやりとした印象のなかにこそ正確な判断があるのだろう。すると、身近なもの、深い関係になることを恐れてしまう、避けてしまいそうな自分もいた。
山形さんは次にまったく正反対の理論をもちだした。「とんびが鷹を生む」と言い、その成り行きを説明した。ぼくは混乱して、困惑する。大人は逆のことも受け入れているのだ。すると、好きもキライもなくなってしまう。
「大人は平均ということも考えているんだ。こっちの力が不足していても、こっち側で補う。つじつまがあって、能力も平均化する」
「平均した方がいいの?」
「魅力があるのはひとつのことに飛び抜けた能力がある方だよ。誰も太刀打ちできない才能の持ち主がね」
ぼくは再び、混乱する。平均を愛すれば、突出したものが欠けてしまう。ひとが美談にするのは平均さなどではないこと。ぼくは自分がどういうものか分からなくなる。
「計算に負けないひともいる。歴史のことに詳しいひともいる。地図や方向感覚にまぎれもない才能をもっているひともいるんだ。だが、学校ではそのどれをも伸ばそうと子どもたちに教えるから、どこかでいびつになる。それも平均のうちだよ」
「でも、通らないといけない」
「そういうこと」
母の料理は山形さんによるとおいしいらしい。ぼくは、この味しか知らない。母は学校で料理を習ったわけではないようだ。山形さんが有している資格も仕事柄、覚えなければならなかったものだ。学校で机に向かうと、どのような能力を与えられるのだろう。
「もっと、いい子になってね」と、帰ると母は優しく言う。そして、抱きしめる。母の匂いというものがあった。機嫌によって多少だが、変わる。
「とんびが鷹を生むこともあるよ」と、ぼくは覚えたてのことばを使った。
「こら。いい子になるはずでしょう」母の手は固くない。何度、叩かれても痛くないだろう。
「カエルの子はカエル」と山形さんは言う。母はそのことに不服なようだった。ぼくにもっと立派な未来が訪れることをかすかに望んでいるようだった。母がどこかの大きな家でのんびりと暮らせるよう、ぼくは勉強をして偉くなろうと固くはないが、誓ってもいた。