拒絶の歴史(111)
ぼくが好きだった二人、ラグビー部の先輩の上田さんと、幼馴染みの智美が結婚することになった。彼らは交際したときから相手を変えず、そのまま突き進んでいったようだった。だからといって冷静な判断が欠如していたわけでもなく、なんどかの大きな喧嘩もあったらしく、そのことは当事者同士しか分からないことも多いだろうが、結局は、このひとと決める何かが大きく働いたのだろう。
その点では、自分は揺れる小船のようなものであり、不安定で何回かは浮気をした。彼らのように一心になにかを思い続けることができればよかったのだろうが、ぼくは注意散漫なひとのようにある時は没頭しもしたが、またあるときは別の女性にこころが傾いた。
その真剣さの証人になるためにぼくは結婚式が行われている中に座っていた。披露宴では社長にお酌をしたり、当人以外にもその父の会社関係のひとがいる手前、ぼくは一従業員のように働いた。また、両者の知り合いということでつたないスピーチも任された。智美には言われたくもない幼いころのエピソードを告げ、上田さんにはぼくら後輩がいかに彼を慕っており、また、彼のユーモアできつい練習が軽減したかを語った。何人かは泣き、何人かは笑った。ぼくは大役のあと呆然として、酒を飲んだ。
智美と上田さんが会ったときのことを思い出していた。それは男女2人ずつで、お好み焼きかなにかを食べていたのだと思う。ぼくは、そのときに会った同じ年の女の子に恋をして、数年間付き合ったのだ。ここに、彼女がいても良かったし、もしかしたら、上田さんと智美の代わりに、ぼくと彼女であってもおかしくなかったのでは、という幻想を楽しんだ。それぐらい、失ったものというのは、自分にとって美しいものに化けていた。
しかし、ぼくには河口雪代という大きな動かない存在があったことも事実だし、彼女と育んだ数年間も失うにはあまりにも巨大なものだった。後悔というものとはまったく別に、もうひとりのなれたかもしれない自分を、頭の中にだけでも生かそうとしていた。
この楽しさは、二次会や三次会にもつづき、雪代も途中から合流した。
「ちょっと、飲みすぎじゃない?」と酒量のちがう彼女は冷静に言った。
「だって、今日ぐらいは仕様がないじゃないか」
「そうよね、そうだよね。でも、ちゃんと帰れるようにしておいてね」
二次会から、ラグビー部の同窓会のようなものになり、上田さんを知っている先輩たちや後輩たちが大勢、集まった。知っている何度も繰り返されたエピソードでみんなが笑ったり、彼の意外な一面を知り、しんみりしたりもした。彼は、まだ高校一年で部活に入りたてで、身体も大きくないし、相当しごかれたようだった。だが、陰で懸命な練習を積み、レギュラーになれるまでになった。その練習につきあったひとは能力があったのだが、遊びにも忙しく、熱心さを失っていったようだった。俺も、あのときにもっと食いしばって頑張っていたら、後輩たちに慕われる先輩になれたのにな、と語った。
ぼくらは、もう上田さんの優しさやユーモアしかしらなかったので、その懸命な練習をした努力など気にもかけなかった。だが、彼のそうしたここ一番の頑張りがあってこそ、智美のこころにもきちんと思いが届いたのだろう。多くの時間をくだらない会話に占領されながらも、彼は基本的にはまじめな人間なのだろう。
智美の周りにも、彼女の知り合いや友人たちがたくさんいた。ぼくが過去にしてきたことを面白く思っていないひとも中にはいたことをふたたび思い出すことになる。何人かは酔っていて、ぼくに詰め寄ってきて愉快なことばかりがつづく訳ではないことを、演劇中の預言者のように知らせた。
「裕紀という子のことを今でも思い出す?」
「思い出すし、忘れようと思ってもこのように突然誰かが彼女の名前を告げに来る」
「自分が酷いことをしたの知ってる?」誰かが横で制するのを見かけるが、今日ぐらいは勢いでいってしまおうと智美の友人の目は、そう語っていた。
「もちろんだよ、できるならずっと謝りたいと思っている」
「でも、謝らない」
「だって、会うこともできないじゃないか」
「理屈は、そうだけど」
その子は、突然、泣き出した。そして、訳の分からない言葉を連呼した。だが、それは彼女の感情が嬉しいことや悲しいことの起伏の操作がうまくいかなくなっただけなのだ、とそうずるい自分は判断した。
「なにか、したんですか?」
いつの間にか横にいた後輩の山下は、心配そうなそれでいて面白がってやろうというどっちともつかない表情でぼくらを見守った。
「お前と同じで、ぼくが過去にしたことをいつまでも消せないインクで書かれたもののように迫り、ぼくに塗り替えるように責め続ける」ぼくも少し酔っていた。もう少し頭を冷やしたほうが良さそうだった。
「あのひとのこと、みんな好きでした。近藤さんのことより、ずっと好きでした」と山下は言った。ぼくは、その言葉を信じられないという風に、彼の顔を見つめ続けた。
ぼくが好きだった二人、ラグビー部の先輩の上田さんと、幼馴染みの智美が結婚することになった。彼らは交際したときから相手を変えず、そのまま突き進んでいったようだった。だからといって冷静な判断が欠如していたわけでもなく、なんどかの大きな喧嘩もあったらしく、そのことは当事者同士しか分からないことも多いだろうが、結局は、このひとと決める何かが大きく働いたのだろう。
その点では、自分は揺れる小船のようなものであり、不安定で何回かは浮気をした。彼らのように一心になにかを思い続けることができればよかったのだろうが、ぼくは注意散漫なひとのようにある時は没頭しもしたが、またあるときは別の女性にこころが傾いた。
その真剣さの証人になるためにぼくは結婚式が行われている中に座っていた。披露宴では社長にお酌をしたり、当人以外にもその父の会社関係のひとがいる手前、ぼくは一従業員のように働いた。また、両者の知り合いということでつたないスピーチも任された。智美には言われたくもない幼いころのエピソードを告げ、上田さんにはぼくら後輩がいかに彼を慕っており、また、彼のユーモアできつい練習が軽減したかを語った。何人かは泣き、何人かは笑った。ぼくは大役のあと呆然として、酒を飲んだ。
智美と上田さんが会ったときのことを思い出していた。それは男女2人ずつで、お好み焼きかなにかを食べていたのだと思う。ぼくは、そのときに会った同じ年の女の子に恋をして、数年間付き合ったのだ。ここに、彼女がいても良かったし、もしかしたら、上田さんと智美の代わりに、ぼくと彼女であってもおかしくなかったのでは、という幻想を楽しんだ。それぐらい、失ったものというのは、自分にとって美しいものに化けていた。
しかし、ぼくには河口雪代という大きな動かない存在があったことも事実だし、彼女と育んだ数年間も失うにはあまりにも巨大なものだった。後悔というものとはまったく別に、もうひとりのなれたかもしれない自分を、頭の中にだけでも生かそうとしていた。
この楽しさは、二次会や三次会にもつづき、雪代も途中から合流した。
「ちょっと、飲みすぎじゃない?」と酒量のちがう彼女は冷静に言った。
「だって、今日ぐらいは仕様がないじゃないか」
「そうよね、そうだよね。でも、ちゃんと帰れるようにしておいてね」
二次会から、ラグビー部の同窓会のようなものになり、上田さんを知っている先輩たちや後輩たちが大勢、集まった。知っている何度も繰り返されたエピソードでみんなが笑ったり、彼の意外な一面を知り、しんみりしたりもした。彼は、まだ高校一年で部活に入りたてで、身体も大きくないし、相当しごかれたようだった。だが、陰で懸命な練習を積み、レギュラーになれるまでになった。その練習につきあったひとは能力があったのだが、遊びにも忙しく、熱心さを失っていったようだった。俺も、あのときにもっと食いしばって頑張っていたら、後輩たちに慕われる先輩になれたのにな、と語った。
ぼくらは、もう上田さんの優しさやユーモアしかしらなかったので、その懸命な練習をした努力など気にもかけなかった。だが、彼のそうしたここ一番の頑張りがあってこそ、智美のこころにもきちんと思いが届いたのだろう。多くの時間をくだらない会話に占領されながらも、彼は基本的にはまじめな人間なのだろう。
智美の周りにも、彼女の知り合いや友人たちがたくさんいた。ぼくが過去にしてきたことを面白く思っていないひとも中にはいたことをふたたび思い出すことになる。何人かは酔っていて、ぼくに詰め寄ってきて愉快なことばかりがつづく訳ではないことを、演劇中の預言者のように知らせた。
「裕紀という子のことを今でも思い出す?」
「思い出すし、忘れようと思ってもこのように突然誰かが彼女の名前を告げに来る」
「自分が酷いことをしたの知ってる?」誰かが横で制するのを見かけるが、今日ぐらいは勢いでいってしまおうと智美の友人の目は、そう語っていた。
「もちろんだよ、できるならずっと謝りたいと思っている」
「でも、謝らない」
「だって、会うこともできないじゃないか」
「理屈は、そうだけど」
その子は、突然、泣き出した。そして、訳の分からない言葉を連呼した。だが、それは彼女の感情が嬉しいことや悲しいことの起伏の操作がうまくいかなくなっただけなのだ、とそうずるい自分は判断した。
「なにか、したんですか?」
いつの間にか横にいた後輩の山下は、心配そうなそれでいて面白がってやろうというどっちともつかない表情でぼくらを見守った。
「お前と同じで、ぼくが過去にしたことをいつまでも消せないインクで書かれたもののように迫り、ぼくに塗り替えるように責め続ける」ぼくも少し酔っていた。もう少し頭を冷やしたほうが良さそうだった。
「あのひとのこと、みんな好きでした。近藤さんのことより、ずっと好きでした」と山下は言った。ぼくは、その言葉を信じられないという風に、彼の顔を見つめ続けた。