爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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拒絶の歴史(111)

2010年09月26日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(111)

 ぼくが好きだった二人、ラグビー部の先輩の上田さんと、幼馴染みの智美が結婚することになった。彼らは交際したときから相手を変えず、そのまま突き進んでいったようだった。だからといって冷静な判断が欠如していたわけでもなく、なんどかの大きな喧嘩もあったらしく、そのことは当事者同士しか分からないことも多いだろうが、結局は、このひとと決める何かが大きく働いたのだろう。

 その点では、自分は揺れる小船のようなものであり、不安定で何回かは浮気をした。彼らのように一心になにかを思い続けることができればよかったのだろうが、ぼくは注意散漫なひとのようにある時は没頭しもしたが、またあるときは別の女性にこころが傾いた。

 その真剣さの証人になるためにぼくは結婚式が行われている中に座っていた。披露宴では社長にお酌をしたり、当人以外にもその父の会社関係のひとがいる手前、ぼくは一従業員のように働いた。また、両者の知り合いということでつたないスピーチも任された。智美には言われたくもない幼いころのエピソードを告げ、上田さんにはぼくら後輩がいかに彼を慕っており、また、彼のユーモアできつい練習が軽減したかを語った。何人かは泣き、何人かは笑った。ぼくは大役のあと呆然として、酒を飲んだ。

 智美と上田さんが会ったときのことを思い出していた。それは男女2人ずつで、お好み焼きかなにかを食べていたのだと思う。ぼくは、そのときに会った同じ年の女の子に恋をして、数年間付き合ったのだ。ここに、彼女がいても良かったし、もしかしたら、上田さんと智美の代わりに、ぼくと彼女であってもおかしくなかったのでは、という幻想を楽しんだ。それぐらい、失ったものというのは、自分にとって美しいものに化けていた。

 しかし、ぼくには河口雪代という大きな動かない存在があったことも事実だし、彼女と育んだ数年間も失うにはあまりにも巨大なものだった。後悔というものとはまったく別に、もうひとりのなれたかもしれない自分を、頭の中にだけでも生かそうとしていた。
 この楽しさは、二次会や三次会にもつづき、雪代も途中から合流した。

「ちょっと、飲みすぎじゃない?」と酒量のちがう彼女は冷静に言った。
「だって、今日ぐらいは仕様がないじゃないか」
「そうよね、そうだよね。でも、ちゃんと帰れるようにしておいてね」
 二次会から、ラグビー部の同窓会のようなものになり、上田さんを知っている先輩たちや後輩たちが大勢、集まった。知っている何度も繰り返されたエピソードでみんなが笑ったり、彼の意外な一面を知り、しんみりしたりもした。彼は、まだ高校一年で部活に入りたてで、身体も大きくないし、相当しごかれたようだった。だが、陰で懸命な練習を積み、レギュラーになれるまでになった。その練習につきあったひとは能力があったのだが、遊びにも忙しく、熱心さを失っていったようだった。俺も、あのときにもっと食いしばって頑張っていたら、後輩たちに慕われる先輩になれたのにな、と語った。

 ぼくらは、もう上田さんの優しさやユーモアしかしらなかったので、その懸命な練習をした努力など気にもかけなかった。だが、彼のそうしたここ一番の頑張りがあってこそ、智美のこころにもきちんと思いが届いたのだろう。多くの時間をくだらない会話に占領されながらも、彼は基本的にはまじめな人間なのだろう。

 智美の周りにも、彼女の知り合いや友人たちがたくさんいた。ぼくが過去にしてきたことを面白く思っていないひとも中にはいたことをふたたび思い出すことになる。何人かは酔っていて、ぼくに詰め寄ってきて愉快なことばかりがつづく訳ではないことを、演劇中の預言者のように知らせた。

「裕紀という子のことを今でも思い出す?」
「思い出すし、忘れようと思ってもこのように突然誰かが彼女の名前を告げに来る」
「自分が酷いことをしたの知ってる?」誰かが横で制するのを見かけるが、今日ぐらいは勢いでいってしまおうと智美の友人の目は、そう語っていた。
「もちろんだよ、できるならずっと謝りたいと思っている」
「でも、謝らない」
「だって、会うこともできないじゃないか」
「理屈は、そうだけど」

 その子は、突然、泣き出した。そして、訳の分からない言葉を連呼した。だが、それは彼女の感情が嬉しいことや悲しいことの起伏の操作がうまくいかなくなっただけなのだ、とそうずるい自分は判断した。

「なにか、したんですか?」
 いつの間にか横にいた後輩の山下は、心配そうなそれでいて面白がってやろうというどっちともつかない表情でぼくらを見守った。

「お前と同じで、ぼくが過去にしたことをいつまでも消せないインクで書かれたもののように迫り、ぼくに塗り替えるように責め続ける」ぼくも少し酔っていた。もう少し頭を冷やしたほうが良さそうだった。
「あのひとのこと、みんな好きでした。近藤さんのことより、ずっと好きでした」と山下は言った。ぼくは、その言葉を信じられないという風に、彼の顔を見つめ続けた。
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拒絶の歴史(110)

2010年09月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(110)

 毎日、同じ顔ぶれと職場で出会い、そして日々磨耗されていく生活がつづく。学生時代のように毎日が新鮮でハプニングが起こるような生活は終わったのだ。それが終わって悲しいという気持ちも段々となくなっていった。スムーズではなかったがこうして気持ちはシフトチェンジされていくのだろう。

 年末になっている。ぼくの会社はさまざまな建築物を建てていった。ある公共スペースがあったのだが、あまり誰にも使われなかった。そこで、ビルのテナントのひとも含め、会社のひとが先頭に立って忘年会のようなパーティーをしようということになった。

 それは、ぼくともう一人の同期の女性に任され、招待状を作ったり、部屋をセットしたり、ケータリングを頼んだりした。まだ好景気でそうしたお金を渋るような世界にはなっていなかった。

 招待状をもって雪代の店にも行った。
「あの人、近藤さんの彼女なんですよね?」
「そうだよ」
「どんな風な馴れ初めなんですか?」
「話すと、とっても長くなるよ」
 帰りの車のなかで彼女は熱心に訊いたが、ぼくの反応に不服そうだった。しかし、この長い話をかいつまんで話す重要性も感じなかったので、「高校1年のときに母校に遊びに来ていた大学生の彼女に一目ぼれした」とだけ言った。
「それから、付き合うようになった?」
「いや、まだまだ。それから2、3年経ってからだよ」
「それにしても、センスの良い店だよね」
「行くといいよ、もう少し垢抜けるといいよ」
「ひどい」といって彼女はふくれた。ぼくは大笑いして謝った。

 その日、家に帰ると彼女は店の常連さんに招待状を渡した、と言った。
「建てたけど、あそこのスペースを使うような手ごろなイベントがないもんだから、それをみんなに社長は見てもらいたいみたいだよ」
「あまり知らないひとも多かったよ」
「そうだろうね」

 ぼくは手持ち無沙汰になるのを避け、以前、バイト先の店の前で歌っていたストリート・ミュージシャンを探した。探して連絡先を知り、彼に電話をかけた。彼は要望を告げると、こころよく引き受けてくれた。それは、ぼくの学生時代といまをつなぐ線のようなものだった。彼は別の都市に移り、また場所を変え歌っていた。それは成功にちかづいているのか、それとも後退しているのか分からなかったが、彼の魅力をほかのひとにも知ってもらいたかった。

 その日になり、ぼくと同期は司会のようなものを任され、いくつかの守るべき進行をきちんと成し遂げ、社長の挨拶もあり、あとはそれぞれがそれぞれの持ち場で談笑した。
 ぼくは雪代の店に来る人々と多く話した。会社の一員というより、雪代の交際相手という立場を尊重しすぎたのかもしれない。そこに社長の息子であるぼくのラグビー部の先輩だった上田さんが入ってきたのが奥に見えた。彼も帰省してきたのだろう。

 ぼくは司会の座に戻り、音楽でもということでストリート・ミュージシャンを紹介した。彼の歌は迫力があって、何人かのこころには、きちんとメッセージが到達したようであった。何枚か手持ちのCDが売れ、彼はぼくのそばまで来て感謝を述べたが、それを言いたいのはぼくの方だった。時代が経って、そのスペースはまだ未熟なひとの練習兼アピールの場として、もっとあとには音楽のイベント広場として正式に使用されていくことになる足がかりとなったことを、ぼくは喜ぶことになるが、その頃はもちろんまだ知らない。

 しかし、忘れていたのだが、上田さんの横にいる小柄な女性のことを思い出した。彼女も歌いたいがといってぼくと同期のところに寄って来た。もうひとりはさっきのミュージシャンにギターを借りてもいいかと相談していた。ぼくは上田先輩にお願いされ、もうひとり急遽紹介しますと言って、小柄な女性の歌手と大柄な男性のギタリストを紹介した。

 彼女は歌い出し、ぼくは上田さんの大学の文化祭で彼女の歌声を聴いたことを思い出している。2、3曲だったが、彼女の天性のその声にぼくらは感動することになる。先程のストリート・ミュージシャンはかすみ、それで気落ちしているのかと思ったが、彼も一遍でフアンになってしまったようで、歌い終わった彼女と楽しく話し合っていた。だが、歌わない彼女は居心地を悪そうにし、別の世界の住人のような顔をしていた。

 その会が終わり、社長に誉めてもらい、みなが退散した後、同期とぼくは残りケータリングなどの後片付けをしていた。あと数日でぼくらの年末の仕事も終わるのだった。ぼくは今日の見事な成功に酔い痴れ、学生時代のような気持ちを思い出していた。
「彼女と話したよ」
「なんだって?」
「洋服を選ぶコツのようなものを教えてもらった。あと似合う色とか」

 ぼくは空いたビンを握りながら、先程の小柄な女性の歌声が耳にこびりついて離れないことをなぜか誰にも言えずにいた。
「聞いてる?」
「聞いてるよ。早く片付けて帰ろう」と、歌声が消えないように、ぼくは無言で手を動かしたかった。
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拒絶の歴史(109)

2010年09月20日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(109)

 もうあまり練習には参加しなかったが、子どもたちのサッカーの大会があり、それを何回か見ていた。試合に勝ち続ける喜びがあり、負ける悔しさがあった。それを通して労わりや責任が生まれた。ぼくもずっとそういう時間を過ごしてきたのだ。しかし、もうあまり勝ち負けに依存はせず、ただそれぞれの能力を発揮してもらいたいとも思っていた。結果として、それは勝利として廻ってきたり、ときには不調として現実にあらわれたりした。一喜一憂というよりかは、もっと大きな時間のスタンスに立つようになっていた。

 その日は、雪代も休みでいっしょに簡易にできているシートに座っている。ぼくの応援しているチームは見事に組織だってさまざまなものをカバーしていた。自分の観念を大切にする子どもにとって、そういう行動ができるようになるには並々ならぬ練習があったのだと思う。それを植え込んだコーチや友人の松田のしてきたことの素晴らしさに感動していた。試合をみながらも練習の過程を常に念頭に置いてしまっている。そのことは、ずっとラグビーの試合を通して実感してきたことだった。ぼくらの前の倒すべき相手は、どれほど練習に時間を費やしてきたかは即座に分かった。なので、このチームはしっかりとまとまっていて、すべての時間に安定していた。それは行き過ぎた安定かもしれず、後半になるともっと荒々しい勢いで攻め込んできた相手のチームにぼくはちょっとだけ肩入れすることになる。ひとりの優秀そうな子どもは、ひとりでがむしゃらに突破しようと試み、なんどか失敗し、また何度かは成功した。その負けん気にこころ魅せられていった。

 結局、ぼくが応援して関係のあったチームは勝ち、次の試合に望めた。相手のチームのさっきの子は悔しそうに地面を蹴ったり、ボールにあたったりした。それは過去の自分かもしれず、そうした行動をとるしかない彼の未来への希望をぼくは確かに感じ取っていた。
 試合が終わって直ぐに移動もせず、じっとしているといろいろな人が近寄ってきた。

「また練習に来てくださいよ」とか、「うまくなったでしょう」とか言われ、また子どもの成長に関与したことに感謝されたりもした。そうしていくらか気分もよくなったところで別の女性が近寄ってきた。
「近藤さん、河口さん、こんにちは」
 それは、ゆり江という女性だった。ぼくは何度かその女性と陰で交際をし、もちろんのこと雪代はそれを知らなかった。
「見に来てたんだ」
「弟が、この試合が大切だからと言っていたので。近藤さんも、いつもありがとうございます。いそがしいのに応援に来てもらって」
 と言って、彼女は去った。その背中に寂しさとも怒りとも、どちらとも取れるような印象が残っていた。

「知ってる子?」
「あの子のお姉さんだよ」と言って、ひとりの子を指差した。そして、「妹とも同級生なんだよ」
「そう、可愛い子ね。もっと親しい関係なんだと思った」

「これで、充分親しいよ」言い訳にならない言い訳をいい、ぼくはいやな感情を自分の体内にためこんだ。駐車場まで戻る間、ぼくらには会話がなかった。そうしたことは度々あったので意識することもなかったかもしれないが、いまだけはその沈黙の時間が長く感じられた。
 しかし、彼女はお腹が空いたと言って、甘ったれたような声をだした。それで、ぼくはその前のことを忘れた。

 ある店に入ると、松田と家族がすでにいた。ぼくらは、約束をしていたわけではなかったが、同じ席に座れるようにセッティングしてもらった。
 ぼくは、松田がはいってからの練習方法とその成果を誉め、雪代は奥さんやその息子を相手に機嫌よくしゃべっていた。思いがけなくあった相手と話も弾み、その時間は楽しいものになった。

「可愛いお姉さんのいる選手、あの子有望ね」と、雪代はなにかのはずみにその名前をだした。意図したかはしらないが、ぼくもその子の活躍をこの目で見ていた。

「ああ、あの子」と松田も同調し、彼の数々ある特徴を述べ、いくつかの欠点や修正点をあげた。彼の眼力にぼくは自分にないものを見つけた。また、雪代の別の眼力を恐れた。

 その後も食事を楽しく続け、松田は仕事のことや、そこで会ったひとびとのことを冗談にし、奥さんはそれについて笑ったり、たしなめたりした。彼の息子は行儀よく育っていた。もう5、6才になっていたはずで、その今後の成長も期待させた。雪代も楽しく会話し、いつもの日常の煩瑣なことを忘れていたようだった。

 それぞれが別の車に乗り、家路についた。雪代はただぼそっと、
「ひろし君は以前のような情熱でわたしを愛してくれてるのかしら」と言った。その言葉が口について出た最初の機会で、それ以降、別れる3年間ぐらいのあいだで時折りきくことになる。ぼくは何度も肯定し、何度かは返事をしなかった。それは、当然のことであると考えていたからだろう。ぼくらの関係も5年間ぐらい経っており、彼女を知ってからはもう2年ぐらいがプラスされた。傲慢といえば傲慢であったかもしれないが、水を与える造園家のように手抜かりなくそれをするべきだったのかもしれない。

 この日は、そんなことないのは知っているだろう? と答えたような気もするが、もしかしたら無言だったかもしれない。亀裂というのは自分が原因を作ったとしても憂鬱なものだった。
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拒絶の歴史(108)

2010年09月19日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(108)

 才能が評価され、それがきちんと陽のあたる場所で照らされるようにできている人々がいるのだ、と改めて認識する。

 雪代の店はその地元でも知られていくようになっていたが、もともと自分が出ていた雑誌であのひとの現況というようなページが作られ、彼女の店が紹介される。それは温かみのある記事で、サクセスの変化した形を体現しているかのように彼女を取り上げていた。

 店も彼女自身にもスポットが当てられ、それ以来、店に来る人も多くなった。それで、忙しくなったかわりに余分に従業員を増やし、彼女もちょっとは寛げるほど休みが与えられるようになった。それまでは、不眠不休のような状態で店を軌道にのせていたのだ。

 彼女は、「自分も美しくなるのはもちろんだけど、ほかのひとにも着飾る楽しみを伝えたい。それを誰かにきちんと誉めてもらえることも重要なので、そのような人も探して欲しい」というようなコメントが雑誌の最後にあった。実際に彼女が言った言葉なのかどうか分からないが、確認すれば良いものをぼくはしなかった。ただ、きちんとぼくは彼女を見つめ、それを誉めていたかと問うならば、答えは50点ぐらいだったろう。

 彼女とぼくの関係を知っているひとから、からかわれたりもしたし、自分が彼女の名声を頼りにして生活をしているような誤解を植えつけてしまうかもしれないという心配もした。しかし、長年ぼくらや、とくにぼくのことを知っている人たちに対しては、いらぬ心配でもあったし杞憂のことでもあった。

 ぼくも同じように仕事をしていた。だが、それはもちろん誰かの甘い評価を期待するほど恵まれた仕事でもなかったし、ほとんどは地味な作業に費やされる内容だった。だが、それでも社長はぼくの頑張りをほめてくれ、まあ時には叱咤されたりすることもあったが、仕事が終われば古くからの友人のようにいっしょにお酒を飲んだ。

 雪代の店からの賃料がきちんと回収されることを彼はとても喜んだ。彼はそのような戻ってこないお金のことを、急に大きくなってしまった会社のために心配していた。それを自分自身で何度も出掛けて、いろいろな言葉数を費やして、それこそ汗だくになって回収しているようだった。世間は、そう簡単にできていないことをぼくは知ることになる。突然、ひとがいなくなってしまう家もあった。行き場のない家具が捨てられた動物のように愛を求めているような錯覚ももった。

 それでも、家の中にはいり、鍵をしめればそこは安住の場所になった。
「ひろし君、わたしあんなに誰もがうらやましがるような女性に見える?」
「さあ、どうだろう。ぼくにとっては、そうだけど」
「あれは虚像なのよね。モデルの仕事をしているときはそれは、そういうものだと思って楽しめたけど、いまはきちんといろいろ管理して、交渉したりして作り上げたものまで薄っぺらになってしまうようで、なんか出なければ良かったと思ってしまうほど」
「でも、それでいろいろとお店にも足を運んでくれてるんでしょう?」
「うん、だから、そういうものまで一瞬にして壊れてしまうような不安があるんだ」
「取り越し苦労だよ。時間がたてば、どこかにきちんと納まるよ」
「そういうものかな」

 2つの頭脳はずっと平行線のままだった。ぼくは、まだ社会がどうあるべきものなのか、まるで分かっていなかったかも知れず、自分の毎日起こることや、それに伴って成長する部分の期待と焦燥で精一杯だった。彼女の心配の分まで許容できるほど余裕もなかった。
 そういった日には、ベッドのなかで抱きしめあって寝ることになる。彼女は強い抱擁を求めていて、ぼくも答えたかったし、頭脳で解決できない二人の隙間をなるべくなら狭めていきたかった。

 翌日には、彼女は元気をだし、誰もがうらやむような女性になった。ぼくはコーヒーを飲み、机にあった資料をまとめていた。仕事も忙しかったが、空いた時間があれば資格をとるために勉強した。それで、寝不足になったとしても、朝のコーヒーで自分自身を勢いづけた。

 車に乗り、音楽を聴きたくラジオをつけるとアメリカの60年代のポップスが、心配しなくていいよ、と唄っていた。それは、あまりにも軽薄に思えたが、その軽薄さゆえにいまの自分にはぐっと来た。ぼくは以前通っていた大学のそばのアパートを家主と確認するためそこに行ったのだった。数年前の何の心配もないぼくや友人たちがそこを歩いているようなまぼろしの映像がぼくの脳裏にはあった。だが、誰もが成長や役割を与えられている以上、そこにとどまることはできなかったし、雪代もいまごろはそうやって頑張っているのだろうと、家主と話しながらもぼくは考えていた。
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拒絶の歴史(107)

2010年09月15日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(107)

「もしもし、近藤さんですか?」電話をかわると、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「はい、そうです。どういうご用件でしょう?」職場にいるのを忘れないように、丁寧なことばを選んだ。
「わたしです。ゆり江です。覚えていますか?」
「もちろん」
「よそよそしいんですね」
「どうしたのかと思って。急に」

「わたしも家を借りようと思い立って、そうすると近藤さんがこういう仕事をしていると聞いたもんだから、相談できるかなと思って連絡したんです」
「そうなんだ」
「はい」
「いっぱい物件あるから、こんどこっちに来てみなよ」

 彼女は何日か経って、ほんとうにやって来た。少し大人びた雰囲気をただよわせていた。みな忙しそうにしていたので、ぼくが対応した。
「もう働いているんだ?」
「ええ。それでひとり立ちも悪くないかなと思って、少しのボーナスだったけど、敷金ぐらいにはなるかなと思って」
「偉いんだね」
「家にいると弟とかもうるさいし」
「サッカーも上達したのかな」
「最近、練習に行ってないんですか?」
「結構、仕事が忙しくなってしまって」

 そういいながらも手ごろな部屋を何点か見せた。その前に自分で選んでいたので、それを彼女に確認してもらうだけだったのだ。彼女は、しばらくそれを見て、足りない情報は質問した。ぼくもその頃にはお客様の質問のレパートリーぐらいは頭に入っていた。それで難なく答えた。彼女は5件を最終的には2件に絞り、ぼくは車を出し、横に彼女を乗せ、その2軒を実際に見に行った。

 ひとつは学校の横にあり、今の時間は部活を頑張っている生徒たちの声がきこえた。春には桜並木があって可憐な花がきれいに咲き、街往くひとを楽しませることだろう。夜はその反面、静か過ぎるきらいがあった。鍵を開け、中に入ると内装もきれいで台所も料理をするのに申し分のない広さが保たれていた。
 そこを後にしもう1軒に向かうため車を走らせた。
「最初に車の横に乗せてもらったときを思い出しますね」
「ぼくの?」
「忘れてしまいました?」
「忘れてなんかないよ」

 また同じように鍵を開け、中を見た。そこは商店街の真ん中にあり、横にはきれいな小さな川が流れていた。さっきのアパートよりは賑やかなところにあり、飲食店も夜遅くまで開いている店が数箇所あった。
「さっきのところより、ちょっと中は小じんまりしてると思うけど」
 ぼくは、トイレや浴室の戸を開け、自分の身体を引き、彼女が見やすいように場所を空けた。

「ここ、いいですね」
「そうだろうと思った」
「良さそうですよね?」
「ぼくもこっちにするね」
「決めようかな」
「何日か考えるといいよ。あとで後悔してもなんだし」
「そうですよね。後悔するようなことは良くないですよね」
 ぼくは、彼女の家のそばまで送り、自分は会社に戻った。その日には、もっと大きな約束もあり、優劣をつけるわけではなかったが、頭を早く切り替えてそちらの仕事に考えを向けたかった。だが、彼女の存在を直ぐに消してしまえるほど、ぼくは利巧にはできていなかったし、彼女はその点でチャーミングすぎた。

 結局は、何日か経って用意した書類にサインや印鑑を押し、ぼくは鍵を渡し、もう一度そのアパートに彼女といっしょに行った。
「もう代えられないけど」
「ここでいいです」ためらったように、「たまには、遊びにきてくれます?」と言った。
「ぼくが? だって素敵な男性をこの目で見た覚えがあるけど、別れてしまったの?」
「いいえ、そのままです。ただ、友達として遊びに来るぐらいはできるんじゃないですか?」

「そうだよね、ごめん」
 それから数日経って、引っ越し祝いという名目でぼくはワインやビールや食品を買い込み、彼女の部屋に向かった。もしかしたらそうした行為は避けた方が良いのだろうかと頭の中では考えていて、シグナルもきっちりと放たれていたことを確認していた。しかし、何人か彼女の知り合いも来るということなので、ぼくはその危険信号をさえぎった。
 部屋の中に入ると、何日かまえの契約以前の部屋とは様変わりしていた。そこには女性の住人がいることが明らかで、ぼくの鼻腔もそのことを知った。カーテンの色は淡く、ベッドのまわりも小さなものがきちんと整頓されていた。

「ともだち、来られなくなった」
「じゃあ?」
「近藤さんだけです、いやですか?」
 ぼくは逃げるわけにもいかず、アルコールを飲み、彼女の手料理を食べた。そして、彼女が幼い頃から知っていた裕紀という女性の過去の話を興味深くきいていた。

 そして、すべり台のうえのボールが自然と転がるように、ぼくは間違いを犯し、それはそのとき一度切りというわけにもいかなかった。彼女にはある男性がいて、ぼくにもある女性がいた。しかし、その頃の肉体的な衝動はぼくらにはどうやっても歯止めがきかなかった。
 それを誰かが知っていたかもしれないし、誰も知らなかったかもしれない。ただ、ぼくはその後も彼女や、またその部屋の様子をずっと忘れることはなかった。
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拒絶の歴史(106)

2010年09月12日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(106)

 日本という国家のお金の流れがそのころは違っていた。もう、それはいまとは別の国でもあるのだろう。

 夏休みになると、社員旅行ということで半分ずつの人員が休み、南の島に出掛けた。ぼくは前半の方だった。あとあとよく考えると、どこの店がおいしいとか、あそこはおすすめであるとかのリサーチができているので後半のひとたちの方が恵まれていたかもしれないが、ぼくは誰かの手垢のついた情報など知りたくもなかったのかもしれない。それで、新鮮な目でその町を追った。

 いままで知っている青空とも違っていたし、経験したことのある砂浜ともそれは違うものだった。数ヶ月で全身にたまりこんでしまった疲れや心配や自分の明らかになった未熟さをその数日間で忘れてしまおうと考えていた。

 太陽を浴び、水着一枚で寝そべっていると、つぶったまぶたの裏で過去のあれこれが通り過ぎていった。そこでぼくはラグビーボールを固く抱き、誰にも奪われないようにして、誰かのタックルを避け、がむしゃらに走っていた。トライを決めると、決まってあるひとりの女性の視線を想像した。違う学校の同級生で、色白で汚れた部分がどこにも見当たらないような女性だった。ぼくは、彼女を18歳のときまでしか知らなかった。雪代と交際をしたため彼女と別れた。それは別れという生易しいものではなく、一方的にぼくの世界から追放したのだった。そうするより仕方がないことだったのだが、彼女のその後の数年の変移を、ぼくはその青空のしたでどうしようもなく知りたいと思っていたのだ。

 都合のいい話だった。だが、ポケットの奥や机の引き出しのなかのどこかにいつもそれは納まっていた。ふとしたときに、それは思いがけなく表面に浮上した。多分、このようなきれいで新鮮な景色をみてこころが洗われたためでもあろうが、そこにはぼくもひとをだましたりする前の存在として認められた架空の世界に飛び込める入り口でもあったのだろう。

 そのときに顔の上に水滴が落ちた。プールからあがってきた社長が、目を開けると笑顔でそこにいた。

「喉が渇かないか? なにか飲みに行こう」
 と言って、タオルで身体をふきつつもう歩き出していた。
 カクテルを2杯頼み、ぼくらは白い椅子に座った。日陰にはいると、そこは別天地のように過ごしやすいところとなった。
「あいつ、結婚とか口に出してるらしいな」と、きっと息子のことを指しているのだろうとぼくは考えた。
「そうらしいですね。そこまで発展するとはぼくも考えてませんでしたけど」

 ぼくは、彼の家のバイトを手伝い、もちろんそれはいまの職場になるのだが、家の仕事とかかわりになるのを避けていた彼は、ぼくらに食事をおごってくれた。その場に同級生を呼び、彼は智美と会い、ぼくは裕紀という女性に会ったのだった。それは、7年ぐらい前のはなしだった。彼らはそのまま交際相手を変えるようなことはなかった。後輩の山下もそうだった。ぼくは、別の相手といまは住んでいる。

「どう思う?」
「どう思うって、社長もあの子のこと、気に入ってたじゃないですか」
「そうだけど」といって彼はにこやかな表情になった。「まだ早いとか、向こうの家族のこととかもあるし、そういうことだよ、分かるだろう?」
「はい、分かります」
「近藤君はどうなんだ?」
「まだまだ、ぼくは彼女に比べれば子どもですし、まだ一人前とも呼べないし」
「うん」
「否定してくださいよ」
「うん」
 拍子抜けして、ぼくはカクテルを飲んだ。大きなフルーツが口につけるのをちょっとだけ邪魔した。

 他の仲間たちもそこに集まってきて、社長にねだりいろいろなものを注文して、その話はどこかに消えてしまった。

「社長、近藤くんばっかり可愛がるの、やめません?」
「可愛がってないよ、でもな、あのラグビーの時の近藤君の活躍を見たら、どの親も彼のことを好きになるんだよ。それを分かんないだろう、お前たち、子どもたちは」
「そうですけど、彼は自分でそのことを話しませんから」
「いろいろ、あるんだろう。察してやれよ」
 夕日は傾き、部屋にもどって夕食のために化粧をする女子社員がいたり、まだまだ泳ぎ足りないひとがいたり、寝そべったまま身体の赤さを心配するほどになってしまっている同僚がいたりした。ぼくは、もう1杯シンプルなお酒を飲んだ。それは南国的なものではなかったが、自分の口にはぴったりとあった。

 二人でひとつの部屋だったので、もどってから交互にシャワーを浴び、タクシーを乗り合わせて夕飯に向かった。美味しい肉を食べ、シーフードもたくさん食べた。何日か、そうして無為に過ごしたあとまた飛行機に乗り、自分の暮らすべき場所にもどった。雪代はぼくの日に焼けた身体をみて、ただ単純に驚いていた。ぼくは、海の向こうで彼女以外の別の女性を考えていた自分をすこしだけ後悔していた。
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拒絶の歴史(105)

2010年09月11日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(105)

 連休になると参勤交代のように友人たちが地元に戻ってきた。

 上田先輩は、ぼくが彼の父の会社に入ったことを喜んでいたと同時に戸惑っていたようだった。だからといって、ぼくの運命に口出すことまでは考えていないようだった。彼は、ぼくの幼馴染の智美と交際していた。彼女も地元の企業で勤めていた。自由気ままだった彼女も、毎日会社内で働いていた。多分、それが大人になることなのだろう。自分の気持ちを最優先にすることをいくらか後回しにし、誰かの失敗のために謝り、自分の失敗をしらないところで誰かが詫びたりすることだった。

 一学年後輩の山下も戻ってきた。彼は大学の最終年で、それが終わっても社会人という立場でラグビーを続けることになっていた。ぼくは、彼が原石のころから知っていた。将来、ものになると思い、情熱を入れて彼が成長するよう見守った。それが、結実することを当然のことだが自分のように喜んでいた。そして、彼の交際相手もぼくの妹ということもあって、ぼくのこころのなかで大切なうちの一人と認識されていた。

 雪代は、毎日働いていた。ひとびとが休んでいるときに、洋服屋は開けていないとまずかった。ぼくも仕事の関係上、ひとびとと合う休日は減ったが、大人になって夜の時間を有効に使うことを知った。そして、戻ってきた彼らとも仕事が終わったときに会った。

 実家に帰ると、山下がいた。相変わらずの食欲ですでにご飯ははじまっていた。ぼくも雪代を連れ、空いている席にすわった。彼女の存在もそのころはもうぼくの家族に受け入れられ、ぼくもたまに彼女の両親と対面することがあった。こうして、自分のまわりの糸は自然と張り巡らされていった。

「仕事馴れました?」
「まだまだ失敗ばかりだよ」
「ボールが手から転げ落ちてしまうように?」それは以前の高校の監督がぼくらの前で口を酸っぱくして言っていた言葉だった。ぼくらはかげでその言葉を多用した。それを山下はわざと使った。それでぼくは笑ったが、みなはきょとんとした顔をしていた。

「なにそれ?」と妹は言っていた。彼女は、ぼくが山下を家に連れてきたときから彼に関心があり、それをいまだに当初のように継続しているようだった。
「なんなの、それ?」と雪代も言った。
「ぼくらの高校時代の先生の口癖だよ。彼は、ボールを簡単に落とすようなことを一番きらっていた」
「近藤さんもきらってました」

 それで全員が笑い、場はいままで以上になごんだ。ぼくらも箸をとり、ご飯をくちに運んだ。雪代はその料理の作り方を母にたずねた。母はそういうことを喜ぶ性質だったので、必要以上に長い説明になったが、それを懇切丁寧におしえた。逆に母は、彼女の髪の結い方を訊いた。それで、雪代はご飯が終わったら教えると言って、実際その後、一回髪をほどき、また同じようにセットした。妹もそれを見ていたが、彼女の髪はそれができないぐらいに短いものだった。

 翌日は休みだったので、ぼくは上田さんと智美といっしょにドライブした。彼らの関係のなかにそろそろ結婚という話が持ち上がっているようで、ぼくはそれを単純に驚いていた。後ろの座席に座りながら、彼女の中学生ぐらいのイメージをぼくは思い浮かべている。曲がったことが嫌いで、先生であろうと先輩であろうと痛いぐらいに突き、訂正させた。大人になってそれはいくらか消えたが、ぼくはそのころのあの少女を別の人格のように懐かしんでいる。

 ぼくと雪代のなかには、そのような言葉はまだ出なかった。それはぼくの頭になかったからかもしれず、もしかして別の誰かがそういう相手かもしれないと、うすうすとその希望を生かそうとしていたのかもしれない。彼女がどう思っていたのかしれないが、ぼくはその表れに気づきもしなかったし、信じてもいなかった。

 海岸まで行き、目の前をふたりが手をつないで歩いている。彼女のもう片方の手には、食べものが入った編みこまれたバックが握られていた。ぼくは砂浜から流木をひろい振り回していた。気づくと後ろに犬がいて、ぼくの手からそれを奪おうとしていた。一瞬、びっくりとしたがぼくはその頭をなで、木を放り投げるとその犬は無心にそれを拾いに行った。口にくわえるとぼくの方にちょっとだけ視線をむけたが、結局は飼い主のほうに一心に走っていった。

 5月の太陽はあたたかで、ぼくらは砂浜にシートを敷き、それからサンドイッチを食べ、ビールやコーヒーを飲んだ。太陽は頂上にいき、また頂点に登り詰めたひとが疲れたかのように傾き、柔らかな日差しに変化を遂げた。

 ぼくは、彼らの会話と波の音を交互にきき、それをまた直ぐに消していった。スポーツを熱心にやったことでこのような友人をもてたことを見たこともないひとに語りかけるかのように感謝していた。だが、頭のどこかには仕事のことが入り込んでいた。それも大人になることだろうと、その数パーセントの存在もそのままに放って置いた。
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拒絶の歴史(104)

2010年09月05日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(104)

 バイトの残ったお金で何着かスーツを買い、ネクタイを数本雪代がプレゼントしてくれた。これが、今後のユニフォームになるのだ。履きなれない靴は、どこかにマメを作り、それこそが自分の人生を変えてしまったことを証明しているようだった。

 目を覚まし、ひげを剃り、歯を磨き、トーストを食べという行為を決まった時間にすることが、何より求められ、その日の準備として確実に行われた。

 毎日、雪代より早く出勤した。最初の何日かは研修をしたが、大きな会社でもないのでなにごとも実地で学ぶ必要があるようだった。先輩に同行し、横で会話をきいて学ぶことが重要だった。先輩たちの技を盗むということはラグビー部時代に自然としてきたことだったのだと改めて認識した。そうしないことには、自分はレギュラーをそう早く取ることができなかった。また、誰かの失敗をあげつらうことをしなかったが、実際の生活では自分のミスを的確に指摘された。それが、ストレスになったといえばなったし、また金銭を継続的に獲得するということは、こういうことも含まれているのだろうと知った。

 しかし、家に帰れば雪代がいた。いっしょに入った同僚たちは家族暮らしもいたが、ひとりで住んでいるひともなかにはいた。それに比べれば、自分は誰かと話して自分の悩みを軽減させることは簡単だった。だからといって、何もかも話していたかというと、そうでもないことは、雪代の口ぶりからも明らかだった。ぼくは、悩みが直ぐに口を突いて出て来る人間のようにはできていないらしい。それを消化するには時間がいった。

 服が自分の身体に馴染んでいくように、ぼくの会社員生活もなんとなくだがしっくりときだした。

 あるところから、電話がかかりマンションやアパートの管理を頼まれて実際に相談したり、それをまた求めている人々に貸したりもした。ぼくの町は段々と郊外に延びていき、そのような需要は増えているようだった。町がにぎわい活気が加われば、自然と若者たちも多く流入した。

 そういう数字上の繁栄を社長はなにより喜んでいた。だが、誰よりも彼は、多くを外で過ごし、交渉したり、説得したり、希望をもたせたりということが好きなようだった。

 仕事が終われば、彼はいつもの先輩の父に戻ったが、ぼくはもう、そう馴れ馴れしく接することはできなくなっていた。できないというより自分で一線を引いたという方が正しいのかもしれない。彼はそれを少し淋しく思っているようだが、ぼくは他の同僚たちの視線がある以上、そうするしかないと考えていた。

 結局、仕事の面で休日がひとと違ってしまったため、サッカーのコーチをする機会を減らすことになった。それはいっしょにしていた人にも言ったし、友人だった松田にも言った。それでも、日にちが合えば、ぼくは身体を動かすことも愛していたので、それに関わった。小さな子たちと練習することもできず間隔が開いてしまうと、彼らの一瞬一瞬の成長は見られなかったが、急激に伸びていることに対して驚くことになる。そして、自分のさぼったつけをその都度ごとに払うことになる。だが、時間が限られている以上、それは難しいことでもあったのだ。

 このように4月は始まり、月日はあっという間に過ぎていくようになった。学生時代ののんびりとした生活はいつの間にかどこかに消えていた。連絡を取り合おうなと約束した友人たちとも、その約束の実現が簡単にいかないことを知った。

 雪代の店も1年経ち、春物の服を並べていた。彼女もそのような服装をしていた。彼女にはきれいでカラフルな色が似合った。たまに外出中にその店の前を通ることになった。ぼくの会社がそこを管理してもいたのだ。彼女が店の中に立っている姿を見ると、ぼくはたまにこのひとの本来の姿を知らないのではないかと錯覚した。ぼくの目の前にいる彼女は、また別の女性なのかという気持ちだ。だが、たまに遠くで目が合うと、彼女はぼくを認めた。それだけで、安堵し幸福な気持ちになることがあった。

 辞めてしまったバイト先にも外出中に寄ったりした。ぼくの座席には、もとのラグビー部の後輩がいた。それで、終わってしまった自分の学生時代を理解することにもなったし、また今の生活をきちんと作り上げる必要も感じていた。

「ネクタイしてるんだ」
 学校から帰ってきたまゆみちゃんは、ぼくのその姿をみてぼそっと言った。それは以前知っているぼくの姿ではなく、違う人間に変化してしまうイメージを植え付けてしまうようだった。だが、2、3分も話せば内面はなにも変わっていないことを感じ取ってくれるらしい。それを、度々することもできないが、できれば今後もそうしてあげたいと考えていた。

 しかし、外回りを終えて会社にもどればやるべきことが山積し、さまざまな小さなプランなど頭の片隅に追いやられてしまった。それが不満かといえばそうでもなく、これもまた新たな使命だとも思い、順々に片付けていった。
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拒絶の歴史(103)

2010年09月04日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(103)

 年が明けて、卒論を書き終えて、もう何もすることがなくなった。

 雪代は毎日、自分の店に出勤していた。その店は軌道に乗ったらしく、定期的な利益の確保を考えられるようにもなっていた。ぼくは働く前から上田さんの父、もう社長と呼んでいたが、としばしば会った。彼は、ラグビー部の先輩の父でもあったので、ぼくは高校生のころから知っていた。向こうも同時にぼくの幼さの消えないころから知っていた。スタンドで誰よりもぼくらのチームを大声で声援してくれたのも彼だったし、練習が忙しく小遣いもそれほど多くなかったぼくらをアルバイトで雇ってくれたのも彼だった。ぼくは建築科に入り、将来はそういう方面に進みたかったが、優秀でもなかったので彼の経営している不動産の会社に就職することになっていた。同窓の斉藤さんは、その能力を買われ、設計会社に入ることになっていた。

 ぼくはある夜、上田さんに呼ばれ、いつもの飲み屋に連れて行かれた。
「近藤君は、うちの会社に入ることになったんだよ」
「おめでとう」と店の主が言った。いつ見てもきれいな女性だった。
「これから、頑張らなくちゃならないんです」
「そうだよ。いままで面倒みて来たんだし」と彼は言ったが、本来ならその立場に自分の息子がいることを望んでいるのは明らかだった。だが、その息子は東京でデザイン会社に勤務していた。

 カウンターに座ったぼくらは、時が経つにつれ減っていくお客さんの中で、三人で暖かく談笑した。彼女の息子はぼくがコーチをしているサッカーチームに入り、そのエネルギーを持て余すほど、張り切っていた。徐々に練習時間が増えていくとともに、彼はボールのコントロールが上手くなっていった。そういう上達の過程を見ることが、ぼくは何よりも好きだった。そして、そのことを彼女に伝えた。彼女はそのことをとても喜び、
「ありがとう」と言った。

 その小さな子にはお父さんがいなかった。それを知ってか、ぼくは彼をその時間だけでも大切に扱おうと考えていた。なんだかんだ、世界には味方が多いのだ、と納得してもらいたかった。素直な彼は、そうしなくても自分で未来を切り開いていくだろうが、それでも自分のすることは無ともいえないだろう。

 たくさん食べて、時間も経つと、店が終わった雪代も合流した。彼女は上田さんが建てたビルのテナントとして店を営業していた。繁盛すれば、そのビルの価値を高めると考えていた上田さんは、気になって時折り忙しい合間に顔を出すそうである。絶えず動いている彼はいたるところに顔を出すが、その店のセンスの良さに単純に驚いていた。

「近藤君は、なんだか幸せな子なんだな」と、自分の息子を見つめるようにして、ぼくに言った。
「ほんとうよ、みんなに信頼され、きれいな彼女がいて」とカウンターの向こうの加藤さんもその意見に賛同したようだった。ぼくは、それで雪代の横顔を見た。彼女は意図してふざけた表情をした。それで、みなが笑った。

 ぼくらは閉店までいて、それから店を出た。春にはまだ早かったが、なんとなく空気が入れ替わる予兆のようなものを感じさせる夜だった。ぼくは雪代の手を握った。

 仕事をするようになったら、どこにも行けなくなると思い、
「旅に出るよ」と言って、そのことを説明した。まだ、卒業旅行などという言葉が一般化する前の話だったかもしれない。
「どこに行くの?」
「さあ、どこがいいだろう?」
 行動はイメージできたが、具体的なものはなにも思い浮かばなかった。
「今までで、撮影とかも含めてどこが良かった?」

「バリ島かな」と思いを馳せるようにして彼女が言った。ぼくは彼女が写っていたその雑誌だか、パンフレットだかを思い出していた。20代前半の輝ける一瞬がそこにはあった。いまは大人の女性として完成しつつあり、その彼女の数年の移り変わりをもぼくは考えることになった。

 家に着き、ぼくは部屋のなかを片付けた。彼女はシャワーを浴び、その間に何冊もある彼女のアルバムをめくった。その時のバリ島でのくつろいでいる写真も見つかった。少し日に焼け、少し普段見せるよりリラックスした表情で彼女はこちらを向いていた。彼女は、部屋に入って来て、
「何みてるの?」と首をこちらに傾け、のぞきこむようにした。
「そう、この時。ほんとに楽しかったな。でも、こっちに戻って来たいな、という時期でもあった」

「そうなんだ」と、ぼくもその当時を考えながら言った。あの頃は、彼女は東京にいて、ぼくはひとりだった。今は戻ってから一年近くが経過しようとしている。今後、増えていく写真はぼくと彼女を写し続けるのだろうかと、将来のことをぼんやりと考える。しかし、最近は写真を撮っていないなということも同時に考えていた。こまめになにかの昆虫を採集するように、彼女の一瞬、一瞬を記憶しておかないといけないなとも感じていた。
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