爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 ad

2014年09月07日 | 悪童の書
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「これ、参考にして、勉強してみたら」と、英語の教師が言う。ぼくらは彼女にあだ名をつけていたはずだが、もう思い出せない。手には授業でつかうものとは違う種類である物語のような教材があった。

 ぼくは機会は平等であるべきだと信奉し、いかなる差別も自分の人生にあってはならないと、潔癖に考えていた。これは、逆の意味での賄賂なのだ。こんなことは、黒人たちが働く綿花の農園だけで行われることなのだ。平等たる世界を妨げるあらゆる種や果実に手を貸してはいけない。そう気取った言い分に身を任せたのもつかの間、しかし、意に反して、実際には薄い本を受け取ったが、この病いのような精神の所為で、家で開くこともしなかった。ただ、怠けたい気分の言い訳が最初に出かかっているだけだろうか。結果は、怠ける。怠る。どちらにせよ同じことだ。いまになっても思い出せるバカげたアイドルの唄の歌詞を口ずさむ記憶量があったのに。時間は有限で、なるべくなら有効につかうべきだ。彼女は、まだ十六才。いや、ぼくが十四才ぐらいのころのことだ。

 冷静になれば、文部科学省認可の最低限の知識がつめ込まれた教科書以外のこの別の教材を開いても良かった。ハンプティー・ダンプティーの人生? なんかより余っぽどタメになることが多く書かれていただろう。

 十年ほど経ち、ぼくと友人はアメリカ西海岸に向かう飛行機に乗っている。既にスムーズにいかないことをここから教えられる。機内で働く女性に要求するために発した、「ジンジャー・エール」がもう通じない。第一関門ですら失敗であった。より簡単な、「コーク、プリーズ」は自由自在に利用できる。口のなかの無理強いも、甘噛みもない。炭酸飲料であることには変わらないと自身に納得させる。

 さらに、ホテルの夕飯前の「ヴォッカ・トニック」も空気を微量に震わせただけで終わった。「ビア・プリーズ」を代用としてもちだす。銘柄は? という追っての質問がある。「クアーズ」は耳が覚えていた。コマーシャルは常に偉大である。ぼくは喉を潤す。ぼくが聴いている世界と、彼らが聞きたがる音は似て非なるものだった。あのときの突っぱねた意固地さが、自分をこうして苦しめた。

 目と耳は機能として別であり、独立をそれぞれが主張した。

 ぼくはその後、ジャズという音楽が大好きになる。段々と演奏するひともさまざまな人種や肌の色とまちまちになっていくが、根底にながれるリズム感覚は、これこそ遺伝子としか理由をつけないことには、なだめられない類いの性質であることを知る。音頭。盆踊り。手拍子が、いつか揉み手になる。その自分の体内の奥深くに根付いている現実と向き合わされる度に、当然、不愉快さを感じ、違和感が生じる。

 人の文化。他人の領域との接点。

 だが、外国語をいくつも流暢にあやつれることと、賢さを同列に置くことも否定したい気になる。それはシャツを小さくコンパクトにたためることを自慢するひとより勝った特技ではないのだ。しかし、自分で書きながら言い訳以外のなにものでもないことを実感している。だったら、自分もその賢さ以上のものを示したらいい。現実のお金をもっと稼いだらいい。ひとは机上の空論と怠け癖を別個の部屋にしまっている。暴かれることも望んでいない。

 耳ではなく親切の度合いだと思おうとした。その後、英語圏など縁遠く、フランス語で同じ体験をする。なにも通じない。こちらにもトランプのもち札がほとんどない。アンプティー・ダンプティーを勉強しておけばよかったのだ。

 ラスヴェガスというアメリカの一大ヘルスセンターのような場所は歓楽をもとに作られた人工的な町だ。賭けをする場所の大きな画面に、ベースボールの長谷川という東洋人が巨大なモニターを通して写っている。現在になってこの時期から数年経ったビデオがクローゼットの奥から出てくる。イチローがいて、松井がいて、この長谷川というピッチャーがオールスターの一日に集っていた。アンドリュー・ジョーンズというバッターもいる。彼も後日、自分が日本に行くなどと予想したこともないだろう。そこで、二十四勝で負けがないという奇跡的なピッチャーがいることも知らない。その青年がピン・ストライプのユニフォームを着ることも誰も知らない。

 将来のために、大まかな円を想像して、その空白の塗り絵をつぶすように勉強しておくことが、利益をともなう価値のある学問ともいえた。ぼくは、それを怠った。その為に、多少の差異のある味覚で我慢した。だが、このひとつひとつの小さな摩擦が旅の楽しみでもあり、醍醐味であるともいえた。

 借りた車でガイド付きの少人数のオプションの旅もあった。移動中、運転手とガイドの両方の役目を果たす男性はずっと差別に基づく自分の主張を止めなかった。彼にぼくらは町の隅々まで運んでもらうしか方法がない。最後は、笑いだすぐらい、毒舌はひどかった。

 あらゆる差別を根絶することなどできない。自分がしないということが最大の防御と攻撃でしかない。クリント・イーストウッドの町にも行く。彼も後年、グラン・トリノという名作を映像にする。差別に屈しないひと、克服するひとバンザイである。あの運転手はきょうもガソリンをまき散らすように、世界を相手に毒を吐いているのだろうか。彼もまた悪童の愛すべき一味であった。