爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

悪童の書 aq

2014年09月20日 | 悪童の書
aq

 平等であるべきもの。時間。

 すべての地上にいる人間が同じ刻みのなかで暮らしている。しかし、奴隷と、大農場主と、窓際族と、証券会社の売れっ子と、六本木のホステスの時間が等しいのかと問われれば、違うような気もする。感覚の問題である。

 同じ人間でも違う。十二才と四十二才のながれる時間はあきらかに違う。揚子江と滝のようでもある。

 一年は、あっという間というのは、どちらかといえば否定的なニュアンスがある。これも正しくないかもしれない。だが、全面的に素晴らしいことなのだと仮説をたて、その立証につとめる。生きている間に、あたまはつかっておかなければならない。あっという間なのだ。早く。

 スケジュールという追われるべき計画をたてた最初は中学二年の夏休みを起源とする。これも仮定だ。

 朝の六時に起き、七時から九時まで陸上部の練習をする。校庭は工事があったと思う。水はけを良くするためだったろうが、転ぶと痛そうな地面になった。その期間、ちょっと離れた私設のグラウンドを使用していた。そこから学校にそのまま移動して、シャワー代わりに昼ごろまでプールに浸かる。

 昼飯を家で食べ、午後は親が不在の友人の家で遊ぶ。エアコンのリモコンは無骨な時代だった。大まかな温度しかない。夜は盆踊りに行ったり、祭りに行ったり、自転車を無心に漕いでいたりする。風呂に入り、夕飯を大量に食べ、十二時には就寝。そして、また翌朝の六時である。勉強は、どこに置き去りにされたのだろう。

 意中の子もいる。しかし、強引であったことは一度もない。塗装を剥がさなくても地はシャイである。たまに強引なこともする。こんな時期に、ある友人たちは、隠れてこっそりである。スケジュールとはまた別のところで楽しみがある。

 もっとさかのぼり、夏休みの暑い時期に昼寝を強要されている。どうやっても、眠くない。となりには母がいる。

「目をつぶってれば、眠れるから」という簡単な理屈で諭されている。言いつけ通り、目をつぶっているが、眠りはまったくこない。相手もシャイである。かといってしなければならないことなど、ひとつもない。またしていたことも覚えていない。ノートに落書きするぐらいが関の山だ。または絨毯の模様にそってミニカーを走らせること。やはり、時間は無限だった。

 すると、しなければならないことがあるということが時間を縮めるのか。

 中学生にもどる。教育実習生がくる。大学生の女性である。勉強の総仕上げかもしれないが、檻に入れられる小鹿であるともいえた。無許可で胸をさわる。こんなに柔らかな素材があるのかとびっくりする。結果、こわい先生に呼び出される。天秤にかければ、これを含んだとしても幸福は勝る。

 ある友人の正座をする時間の長さと、とっさのひとこと。こわい男の先生の厚い胸板に手を当てるよう強く引っ張られる。男という同性の胸に手のひらが密着する。

「これが、気持ちいいのか?」

 怒られる理由もさまざまだった。女性の胸にさわって叱られ、他校の生徒に、「舎弟」ということばをつかっても怒られた。先生も知らない訳じゃない。まさか。

「気持ちいいです!」なにを思ったのか、友人はそう呟く。この後、ずっとぼくらの話題としてもちきりだった。伝説のひとことは、こうして作られる。教師は唖然とする。目を白黒させる。表現は無数にある。ゲンコツを喰らう頭だけがひとつである。殴られる頬はふたつになった。しかし、あの感触は永続性を勝ち取ったのだ。

 こわい先生はあっけなく世を去った。これがばれれば、叱られるだろうなという予想のもとにいた。だが、しないわけにもいかない。そして、うまいこと逃げおおせるなどもまったくもって望んでいない。少し軽減されるかもしれない罰を求めるが、後遺症にもトラウマにもなっていないので、妥当な罰であったのは実証済みだ。

 時効を待つひとのビクビクとした時間は早いのか遅いのか考える。捕まえにきてほしかったという逮捕後の安堵した意見もきく。頭を一発、張り倒されるぐらいで直ぐに解決するぐらいの罪が最大のものであってほしい。指紋を採取され、前後左右を向いた写真を撮られる。出所を待つ時間も、延びるのか縮むのか不明なままである。

 仮説から離れてしまっている。紆余曲折もなく、ただ別物になってしまった。注意も指摘もない。ぼくのした悪いことが漏らさず書きのこされればいいのだ。問題ない。

 懺悔という観念があり、閻魔さんという実行者がいる。それより、借金や税金の取り立ての方がこわく感じる。生身のものの傷のほうが、想像しやすい。傷が治る時間もかわる。こちらは間延びする。反比例だ。時間は走馬灯のようであり、傷口は時間の経過がゆっくりとしている。日焼けからの回復も然りである。

 腕をみる。女性の腕にいくつかの痕がある。点々と。その傷により伝染性の病気から永続的に守られているのか考える。しかし、ぼくが考えることではない。国家のひとつのグループが国民の健康を考えるのだ。ぼくはその痕の美醜だけを考慮すればいい。ひとの肌に永続するものをつける。眠れないままごろごろとする昼寝から疎んじられた少年の横に腕がある。そこにもこの痕がある。羊を無数に数え、腕の痕は直ぐに終わる。学校で習った数字の桁はもっと多かった。