爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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存在理由(23)

2010年11月30日 | 存在理由
(23)

 結婚という制度がある。それぞれの人が、そこに無作為かのように放り込まれていく。

 夏の容赦ない太陽の光線が、それでも薄めのスーツを選んだはずなのに、ぼくの身体を汗だらけにしていった。買ったばかりの靴は、いまにも靴ずれを作ろうとしている。

 友人が結婚することになった。まだ、大学を卒業して、半年ぐらいしか経っていなかった。その妻になる人ともぼくは学生時代から知り合いだ。その女性の体内には、赤ちゃんがいる。その子も、あと半年もすれば、我らの地球上の一員になるはずだ。ようこそ。

 けじめの瞬間というのは、いろいろ考えさせられるものだ。ぼくも、そこに居合わせることによって、さまざまなあれこれを考えている。地球上で、二人といない完璧なる関係を営めそうな人には、会えるのだろうか? そもそも、そうした考え方は、いびつにすぎるのだろうか? とかを。

 数杯の酒でも酔えないまま、友人代表ということでスピーチをすることになった。こうした行為に向いている人もいるのだろうが、ぼくは不特定多数の存在のまえで、なにかをすることが、昔からからっきし駄目だった。しかし、この式をよくするためなら、いささかの自分の気持ちなど、あとに置いてきても構わないと思っていた。しかし、意気込みだけで、それはあまり結果として良いものではなかった。その証拠として、汗でぬれたハンカチが残った。

 終わりに近づけば、妻になる人の両親は泣き崩れ、ぼくは当然のようにみどりの両親の顔を重ね合わせる作業を、自分の頭の中で作り上げていく。彼らがどれほど、自分の娘を大切に思っているかが理解できそうだった。それを受取る代償というのは、どれほどのものなのだろうか。

 結婚式が終わり、ホテルを出ても、夏の太陽の攻撃はゆるんでいなかった。ぼくは、みどりと待ち合わせをしている場所に向かった。そこから、二次会は、一緒に参加することになっていた。

 彼女は、仕事のときとは見違え、すてきな衣装を着ていた。ぼくは、緩めたネクタイをもう一度結びなおし、歩きだした。
「どうだった? 感動した?」と、みどりは快活に訊いた。

「そりゃ、もう。裕子ちゃんの両親なんか、泣き崩れちゃって、たくさんの人がもらい泣きして」
「一緒に泣いた?」
「少しはね」
 二次会というものの存在意義なのか、それはとても寛いだものになり、ぼくも、自分のあまりにもうまくなかったスピーチをからかわれたりもした。しかし、この時は、飲めば、その量と同程度の酔いを確保していった。

 みどりは、別の人と話している。初対面の人とも、境界をなしに話していくことができるのは彼女の魅力の一つでもあり、特技でもあった。音はまったく聞こえないが、大声で笑っている姿が遠目に見える。ぼくの視線に気づいたのか、こちら側を急に振り向いて、にっこり笑った。あとになって、不思議な瞬間が強く記憶に残る場合があるが、この時の彼女の表情もその一つであった。大切な瞬間や表情は、いつも写真として残っているわけではなかった。いくらか、写真がその時の記憶の助けになったとしても、忘れてしまうことも当然のように多くある。

 ぼくは、いつものように知り合いの中の渦に紛れて行く。

 仕事を数カ月したばかりの友人たちは、それぞれ顔が大人の緊張感を漂わせるようになったが、お酒がすすめば、もとの大学時代の友人にもどり、数々の昔のエピソードで大笑いしていく。あの時には、もう戻ることはできないんだな、と苦い焦りの気持ちもいくらか、そこには含まれていたかもしれない。

 時間も経ち、三次会に行く人もいたが、ぼくは何人かの友人にまた連絡するという軽い約束をし、みどりと一緒にそこをあとにした。

 電車は、もうなくなっていた。みどりの家を経由して、タクシーで帰ろうと考えている。しかし、なぜかタクシーはまばらで、すこし駅の方に歩いて向かった。照明が強くなってくると、車も多くなり、タクシーも止まった。ぼくが先に乗り込み、彼女も横にすべりこんだ。

「楽しかったね?」
「そうだね、そういえば先刻のひと、知りあい?」みどりは怪訝な顔をする。そのことを一番知っているのは、あなたじゃないかとの顔だった。その表情は今だけは自分のものだった。

存在理由(22)

2010年11月29日 | 存在理由
(22)

 それでも、毎日毎日、仕事のことばかりを考えている訳でもなかった。同じようなエネルギーを費やして遊びのことを考えたり、多少の流行を追うようなこともしている。

 また、ひとりの女性を大切に思い続けたいと考えたとしても、20代前半の男性が、それらに縛り続けられるのも難しいことだろう。一般論にしてごまかすが、自分もその一員であるので仕方がない、という考え方はずるいかもしれないが、ぼくの場合は事実なので弁解のしようもない。

 実際に行動があったかどうかではなく、もしかして、ほかの人の方がしっくりする、ある一部があると思う。
 例えば、なにか職場で発言をしようと思っているときに、躊躇している間に、別のひとりが、それとぴったりの言葉を口に出した時に、不思議なつながりを感じたりもする。

 つまり、長い弁解があったが、米沢先輩のことが、仕事を離れていても気になって仕方がないときがあったのだ。自分として、女性を尊敬したいという一面が強かった。その分、力づくで守ってあげる、というようなことを、あまり浮かびもしないし、表面化することもなかった。そのことで不満を覚える人もいるかもしれないが、しかし、自分の前には当然なのかしれないが、そのようなことに不満を持ち出す人は表れもしなかった。

 数か月付き合ったので、先輩の行動の時間がいくらか分かっていた。そこで、一緒に途中まで帰り、どちらからか誘うような形で、お酒を飲みに行ったりした。多分、彼女は、ぼくのこと何とも思っていなかったのかもしれない。そして、ぼくも露骨にそれらの感情を表に出すこともなかった。だからといって、感情が消えるわけでもなかった。

 たぶん、自分としてもなりたくもなかった人間になってしまう嫌悪感もあったかもしれないし、どうしようも押し殺せない感情もあったかもしれない。ただ、ひとときでも先輩と過ごし、その笑い声をきいたり、会話を楽しんだりすることで、一日分の焦がれる気持ちは薄らいだりもした。

 もちろん、みどりを離したくない気持ちもあった。おとぎ話の国に住んでいるわけにもいかず、さまざまな急に訪れる自分の感情に戸惑ったり、怯えたりもしながら、対処していった。
「最近、なんか楽しそうじゃない?」
 ある日、みどりのところに電話したときに、そう言われた。
「なんで?」
「なんでって、そう思ったから、言ってみただけ」
「別に、特別、思い当たることもないけど」
「そうなの? ただ思っただけだから」

 不安に感じたのか、週末に会おうとみどりは言い、電話を終えた。安定した関係なので、それをわざわざ壊す気持ちなど、さらさらなかった。そして、とても大切なことだが、ぼくの等身大の姿を一番に認めてくれているのは、やっぱりみどりだけだった。それにひきかえ、米沢先輩は、ぼくのなれるかもしれない可能性を含んだ姿を、具体化してくれたり応援の言葉をかけてくれたりもする。そのことも、ぼくにとって、とくにその時期のぼくにとっては、とても必要なことだったし、女性の口から、そのような励ましのことばを聞くのは、かけがえのないことだし、貴重な瞬間でもあった。

 みどりは友人から車を借り、ぼくの家の方まで来て、ぼくを乗せ、一時間半ぐらいで行ける海の近くまで走った。彼女は、いつも行動力を見せようというときは、考えすぎずに現実化していく能力があった。

 潮風を浴び、網で焼かれた魚介類を食べ、久しぶりによく話した。そうすると、なんだ、会話が最近、少なかっただけだったのか、と自分自身の気持ちとしても安心感を抱くことになった。彼女は長めのスカートを風になびかせ、可愛らしい帽子をかぶり、ジュースを持って、早足でこちらに向かってくる。そうすると、これまでの一緒に過ごしてきた様々な思い出が浮かび、ぼくを幸福な気持ちにさせるとともに、多少の罪悪感と、緊張感をはらんだ気持も芽生えるのだった。

 太陽は、一日分の労働を終えました、もう休みますと決意したように、はるか遠くの地平線に戻りはじめ、その変わりに鮮やかな紫色の光線を残し、まもなく消えていった。彼女は、その時に流行っていた曲を口ずさみ、最近、会ったという面白いスポーツ選手の話をした。そのことを一緒になって笑っていたが、どこかにさっぱりと晴れないこころを自分は有していた。

拒絶の歴史(130)

2010年11月28日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(130)

 仕事の最終日を終え、シャワーを浴びたあと、実家の運送業を継いでいるラグビー部時代の友人の力とトラックを借り、荷物を積み込んだ。それは、思ったより少ないものだった。だが、少ないながらもぼくの26年間が積み込まれているのだなとも感じた。

 妹と母は、おにぎりやコーヒーをポットに入れ渡してくれた。これから、夜中かけて彼は運転してくれるのだ。自分では必要ないとも思ったが、それを受け取った。

 車は走り出し、すぐに高速道路に乗った。車は快適にすすみ、途中何度かはサービスエリアなどに停まり、もらったおにぎりやコーヒーなどを口のなかに積め込んだ。運転してくれる彼は、口数が少なかった。高校時代からそうだった。だが、チームワークを乱そうとも一度も考えたことはなく、ただ、自分の与えられたパートをきっちりと行った。それは、きっちりという範疇を越えていたのかもしれない。だが、彼がミスをしないので、その評価はかえって高まらず、数回のミスが逆に目立つことになった。ときに、そういう人間がいることを知ることになる。そのきっかけが彼だった。

 それで、ぼくは小さな音量でラジオが流れていることも気にならず、自分の10年ほどの生活を振り返るチャンスが暗い外の景色にくるまれた中で与えられ、それを充分すぎるほど活用した。

 大雑把にいえば、そこにはふたりの女性がでてきた。ひとりは、ぼくの生活から追い出し、ひとりは、ぼくに愛を与えてくれながらも、最終的にはぼくの前から去った。それを、させたのも自分であるのかもしれない、ということを考えるのは辛かった。だが、ぼくの前には新しい生活が待ち構え、希望があるというより、反対にあの小さな町でやり直したことがあるのではないかという後悔の方が大きかった。だが、トラックは、順調に前に進んでいった。それが順調過ぎれば過ぎるほど、ぼくは後ろ髪を引かれていく。

 もう関東に入り、最後のサービスエリアで底をついたコーヒーを飲みながら、友人と話している。
「あの高校のときの近藤の彼女、スタンドで応援をしているのを見ながら、オレも好きになりそうになっていた」
 と、彼は恥らいながら、そう告白した。

「そうなんだ、気付かなかった」
「お前は、いろんなことに気付かない性質なんだよ。スター選手は地道な人間の頑張りの上にたっていることもな」彼は皮肉でもなく、そう言った。

「そうかもしれないな。最近になって、そう感じるよ」
「ああいう子と別れられたお前が信じられなかった。最後だから、言っておこうと思う」
「自分でも信じられないけど、そのときの衝動というものは、自分で制御できていると思うのも間違いだと思う」
「まあ、それでも楽しかったんだから良かったんだろう?」それは、質問でもないようだったので、ぼくは答えずにいる。ただ、彼女の崇拝者がここにもいたことを新たに知ったのだった。ぼくは、もうその女性の姿をリアルな形として思い出せなくもなっていた。その後、知った数人の女性のミックスされた映像とそれは結びつき、また別のときには、その女性たちの誰とも似ていないことも知る。

 車は、再び走り出し、1時間もしないうちに指定されたアパートの前に停まった。それは、会社が用意してくれたもので、安い賃料で借りられた。家具もほぼ揃っており、服や趣味のものを持ってくるだけで良かった。

 そのアパートのそばのコンビニでは、朝の配達があって荷物を運んでいるドライバーの姿があった。また新聞配達の帰りであろうバイクも仕事を終えた余韻のようなものを引き摺りながら、朝日とともに消え去った。

 ぼくらはトラックの中で仮眠した。だが、ぼくは目が冴えてしまい、雪代のことを考え続けている。ぼくがふと目を覚ましたときに、ぐっすりと眠っている身体の横になっている姿勢などを。まくらの上には髪がいつもの匂いを発して乗っていた。ぼくは、別れても何度かその匂いの持つ女性を探そうとしている自分を発見することになる。だが、もう当分は、また一生会うこともないのかもしれないという気持ちがぼくを存分に落胆させた。

 会社に出勤するサラリーマンの姿も去った後、ぼくらはアパートに荷物を運び込んだ。それも終え、お茶でも飲んでいけよというぼくの誘いに応じず、彼は去っていった。そういうあっさりとした性分なのだ。

「このポット、家に帰していくよ」と、言って空になったトラックをぼくは見送った。
 また、新たな部屋に戻り、トイレや風呂や収納などを確認し、ほっと一息をついた。

 少しずつ、段ボールを開放し、さまざまな荷物を取り出そうとしたが、半分ぐらいで飽きやめてしまった。スーツはハンガーにかけ、タンスにしまい、当面着る服も出たので、あとはゆっくりと今後やればよかった。その気持ちにさせたのは、雪代の手紙が出てきたことが大きかったのだが、それを敢えて、気付かないように振舞ったが、その主張は大きく、とうとうぼくはそれを手にしてしまう。

 封を開け、また読み出すと、ぼくはその存在を失った重みに耐え切れず、声をあげるほど泣いてしまった。彼女は、いま目覚め、一体何をしているのだろう? と考え続けた。離れても、電話一本で声ぐらいは聞けるのだ。前にぼくらは反対の立場で離れて暮らしていたとき、よくそうして愛を確認し合ったのだ。だが、なにかがぼくにストップをさせ、行動をとらせなかった。ソファに座りなおし、もうひとつだけ段ボールを開けた。実家を出る前の分で、そこには雪代の匂いすら詰まっているように感じた。あたりを見回せば、あの服も雪代と買いに行ったんだと思ったり、あれは彼女がくれたものだ、と記憶をもどすきっかけにもなった。そう考え部屋中を見回すと、いたるところに雪代の残像がのこっていることを改めて発見することにもなった。

(終)

ネクスト

存在理由(21)

2010年11月25日 | 存在理由
(21)
 
 バームクーヘンの薄い層を回転して殖やすように、経験やコネクションを重ねて行く。

 それらのことを通じて、本来の自分に近付いていったり、自分の核を探し当てても行くのであった。

 もちろん、忙しい時期が長く続けば、大金を掴んで、リタイアしたいという気持ちが芽生えたりもするが、まだまだ、そのような状態になってもいいのは、かなり先の話だ。それまでは経験を通して、自分にあった比喩的な羽織れるコートを見つけ出していく。

 まあまあ、忙しくなり出していたのだ。抜擢という程でもないが、いくらか文章が書けるということと、以前のバイト時代の知己があることで、経済や金融のことより好きな、メーカーの製品を紹介する部門にかわってしまった。先輩は、ぼくを育てられないことを残念がり、しかし、優秀な後釜はすぐに見つかり、そこに自然と入っていった。ある人は、好運があるとも言い、また別のある人は、正規の道を逸れたとも言った。自分としては、好きなことをして快適なことをした方が良いくらいに思っていた。まあ、試用期間内はいろいろなことがあるのだろう。

 元気をなくす前兆のようなものを、すでに企業は発し始めていた。熱を出す前の子供のように、一時的に病的な元気をみせることもあったが、それは、その後の急激な凋落の前触れでもあったのだ。しかし、それでも、自分は企業という中での無名性のさまざまな製品を愛してもいた。これこそが、日本の製品でもあるという感じで。

 音楽が、部屋の中で立派なかたちを取ったステレオの前で聴くことではなく、気軽に簡易に外に持ち運べるという形式が、ぼくの学生時代のある時期に、急に現れるようになった。あるものが発明されると、そのライフスタイルまで変わってしまうことを知った。そのことが金銭の上下として株価の変動や会社の名声につながることを知ったが、無からあるものをクリエイトする喜びの方が、それより、より一層の幸福をもたらすことを知っている。

 また、あるものと、現存するあるものとを組み合わせることによって、思いがけない連鎖反応があることも知った。友人通しのつながりなどもそうだろう。売れていく品物にも、それらが含まれているが。

 こうして、経営をする人というより、現場で何かを作り出そう、という熱気に入れることは、とても嬉しいことだった。その後、予算は減っていき、自分の思い通りのプロジェクトに入れない、なれない気持ちをもっている人も見たが、それでも、製品というのは、どういう形でも生まれたがっていて、ある人の、それぞれの熱意や経験や夜中のひと時などを利用して、なんとかこの世に生をうけようと思っているようだ。

 みどりにも、そのことを告げ、
「良かったじゃない。好きなことに戻れて」と、言われた。
「そんなに、好きそうに見えたかな?」
 自分では、意外と分からないこともある。それにしても、彼女は好きなサッカーの仕事に打ち込んでいる。時間もなく、そのことに、いくらか嫉妬の気持ちを抱く自分もいる。

 たまには、仕事帰りに一緒に食事をすることもあったが、他の人たちはどうしているのか分からないが、時間を工面して、会う時間を見つけ出すことも段々とむずかしくなる。それが、大人になるということなのだろうか。学生時代は、金銭的なゆとりがあれば、もっとあんなこともしてあげたいな、と確かに考えていたはずなのだが。

 夏の前の重苦しい空気を感じて、スーツの上着を脱いで片方の肩にかけて、歩いている。まだ、ネクタイをきちんとしていることが求められている時代でもあった。みどりも、グラウンドを廻ることが多いせいか、健康的に日焼けした肩をノースリーブから覗かせている。いまにも、雨が降りそうな気配が、湿気の多い空気に感じられる。少し、お酒が入ったせいか暑くなったと、みどりは言った。

 みどりの家のそばの川沿いを歩いていると、自分には将来、幸福なことしか待っていないのではないかとの錯覚を抱く。それぐらい、自分にとっては、そこはホームグラウンドのような場所だった。雨がぽつぽつと降り出したかと思うと、彼女のいつもの玄関が見えた。いくつかのアパートの電気が窓から光を放っていた。 

存在理由(20)

2010年11月24日 | 存在理由
(20)

 それで、物事を順調に覚え始めたなという自負が大嫌いな失敗の塊は、その自信のアキレス腱を噛みつき出す。失敗というかたちをとった落とし穴は、いつの間にかきれいな形の落とし穴を準備万端に作っており、ぼくもそのことにまったく気付かずに、自分の道を優雅に歩いている積もりだった。だが、それさえも、振り返ってみれば貴重なスパイスという、人生の隠し味であることを知るのだった。もちろん、その当時は、そんなに悠長に考えることは出来なかったわけだが。

 インタビューが立て込んでいるときがあった。体調が悪いながらも、自分として完全に近いものを用意していた。その後、いつもより多めに風邪薬を飲んで眠りに就いた。そのせいか、ぐっすりと夢も見ずに、深い眠りに落ちたまま目覚ましの音を感じることもなく寝坊してしまい、あわてて出かける用意をし、昨夜の資料を急いで鞄に詰め込んだ。

 その日は、直接、相手の会社の前で、先輩、米沢という名前だが、米沢先輩と待ち合わせをし、受付で入館の手続きをして、部屋に通された。そこで、

「資料は揃ってる?もう一度、目を通しておいて」
 と言われ、まだ完全に眠気と体の痛みが抜けきっていない気分を残したまま、そのことを直後に忘れてしまうほど、焦ってしまった。
「あれ?」
 独り言だったが、米沢先輩はすぐに聞き留め、「どうしたの?」と、言った。
「次の人の資料と入れ替わってしまっているみたいです」

 なにも先輩は答えずに、ぼくは冷たい視線で睨まれた。やりやがったな、こいつ、という意味をその凝視した眼は語っていた。
 それ以降は、のどの渇きと時間の流れの遅いことを確認しながら、時間を持て余していった。

 結論としては、先輩の上手な彩り豊かな質問と、それまでの資料がいつの間にか頭に入っていることに驚いていただけだった。ぼく以上に明らかに時間がないはずなのに、いつ、彼女はそれらを詰め込んでいたのだろう。ぼくの出番も、ぼくの存在を示すアピールもできないまま、その時はきれいに過ぎ去った。体調が悪かったせいか、その日は、
「早く帰っていいよ。だけど、おごってもらうからね」と、不敵な笑みを浮かべ、先輩は言ってのけた。恐ろしい。

 次の日も、なにも注意されず、時間が過ぎていく。夕方、紅茶を飲みながらワープロに向かい原稿を仕上げていると、先輩が近づいてきた。
「今日、飲みに行くよ。支払いは分かっているよね」
「はい、まあ」と、うなずき、その時を待った。

 その店は、ぼくの財布の中身を確実に知られているような、値段だった。説教くさい言葉もなく、これを励みになにかを成し遂げるべきだ、というような貴重な教訓もないまま、その時間は過ぎていく。いっそ怒鳴りつけられた方が簡単に気持ちは割り切れたのにな、とは思ってみるのだが、それは自分に対して甘すぎるのだろうか。

 失敗には一言も触れられず、ぼくのガールフレンドのことを質問したり、自分のいままでの交際した男性のエピソードを面白おかしく脚色したりして、その時間はとても寛いだものだった。

 数杯のアルコールが、その場をあたたかい饒舌なものに変えていき、ぼくのネクタイもいくらか緩み、先輩の指輪をくるくると回す酔ったときの癖にも気づき、ハイヒールも急に大きくなったように半分脱ぎ、それからその足は裸足になりたがっていたようだった。普通の人がそうする様子を見せるのをぼくは好きじゃなかったのだが、先輩がするそのような態度は、南国で生まれた人のように大らかな自然なナチュラルさがあった。

 やはり、ぼくの財布の中身は知られていたのか、会計を済ますと、ちょうど、良い感じに札が消え去った。給料の2日前だったと思うが、安い定食を2日、昼間に食べられるぐらいの金額だけが、きちんと薄くなったトーストの色のような財布に残っていた。
「じゃあ、今日は御馳走になるね」
 と、先輩は独り言のように、また勝利者のように言って、タクシーの中に消えてしまった。

 ぼくは地下鉄の入口の明かりを、ふらふらとした足取りで探し、その階段を下って行った。電車内の窓ガラスに映った姿は、学生時代の表情を見つけられなかった。コンパ帰りらしい大学生は、前のシートでゆっくりと眠っていた。ぼくは、良い先輩をみつけられたな、と感謝の気持ちでいっぱいだった。 

拒絶の歴史(129)

2010年11月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(129)

「もう最後なんで、サッカーの練習に顔を出してくれよ」と、なんどか友人の松田に誘われていたが、いろいろと片付けることがあり、本意ではないにしろ断っていた。だが、最後の週になって、それでは、あんまりだという執拗な誘いがあって、ぼくは履き慣れたサッカーシューズを持ち出した。これは、東京に持って行く荷物には、なぜだか入っていなかった。向こうで、そうした仲間ができるとも潜在的には思っていなかったのだろう。

 春は間近に迫り、ぼくは爽やかな気分でグラウンドに立っている。たくさんの少年たちがいて、思い思いにウオーミングアップをしていた。ぼくもあらゆる筋肉を伸ばし、彼らに最後ぐらいは良い印象を持ってもらって、今日を終えたかった。ぼくは、少年時代はサッカーを日が暮れるまで練習していた。高校生になり、ラグビーに種目を変えてから、そこそこの選手になったが、全国大会に出るという夢は叶えられなかった。だが、なぜだか今はそれで良かったのかもしれないと考え直している。

 ラグビーを通して、掛け替えのない友人ができ、それを熱心に追い続けている後輩もでき、彼はいずれ妹と結婚してくれるのだろう。ぼくの無様ながらの頑張りも応援してくれた幾人かもいて、そのうちの一人と熱烈な恋愛もできた。いつもぼくらが負けてしまうライバルもいて、スポーツだけが人生ではないということも彼らは教えてくれた。名前を明かせば、それは、雪代であり島本さんであった。ぼくは、その人生にもう関与することも出来ず、ただ新たな未来を作るよう模索するのだろう。だが、それも悪いことではなかった。もっと、悪いことが起こる可能性だってあったのだ。誰も、ぼくを認めず、誰もぼくをこころの底から愛してくれるひとも見つけられない人生だってあったのだ。

 しかし、ぼくは数年間、本気で愛されたらしい。そのことを手紙という形でありありと知った。その地を離れてしまうことは淋しかったが、生きるということは、こういう自分の思い通りに行かないことを含めて成り立っているのだろう。

「やっと、来てくれたんだ」と、松田は言った。彼は、高校を不本意ながらも途中で辞め、そのときから彼のサッカーのセンスを失うのをもったいなく思っていたが、彼は小さな子どもたちに教えるチャンスを与えられたことにより、その才能をまた開花させることになった。その原因となった、彼の子どももきちんと教育され、徐々に大人になっていった。その小さな命がこの地上になかったことなど、ぼくはもう考えられずにいる。ただの友人がそう考えるぐらいだから、実の親はもっと真剣に考え続けているのだろう。

 ぼくは最初のうちは自分自身の身体の動きに馴染めずにいたが、次第に自分の思い通りに身体は指令を受け、さまざまなパスや、守備を的確にこなし、その練習を楽しめている自分を発見する。もうそうなれば、さまざまな悩みや、東京への転勤など自分の頭のどこにも見当たらなかった。ただ、いまがあり、ただ、そこだけが現実であった。過去も未来もぼくの思いから消え、それはぼくが持っていないぐらいだから、誰の支配下に入るものでもなかった。

 汗を同時に流した分だけ、ぼくは認められ、不甲斐ない動きをした分だけぼくの信用は損なわれることになる。だが、その日はぼくの信用はずっと残ったままだった。

 練習が終わり、松田やもうひとりのコーチがジュースやお菓子を買ってきてくれて、グラウンドで汚れたウエアのまま食べた。
 それが終わると、もう少年時代が過ぎた子たちもいつのまにか集まり、集合写真を撮るためにわざわざぼくのために来てくれた。

 ぼくは4、50人の子たちに囲まれ、最大の笑顔でその写真の中心にうつることになる。それを東京に行く前に貰い、その写真がいずれ、ひとりの人間に影響を与えるなど、そのときのぼくは考えることもできずにいる。まあ、当然の話だが。

 ぼくは、なぜだかその後、涙が流れそうになり、トイレに消えた。そこから出ても、誰かにそのことを知られるのを恐れていた。しかし、ある一人の女性がその前にたたずんでいた。

「みんな、近藤君のことが好きみたいだね」それは、あるサッカー少年の母であり、ぼくが社長としばしば通った飲食店の女性でもあった。
「そうみたいですね。なぜか、分からないけど」
「東京に行っても、こっちのこと、忘れない?」
「もちろんですよ」
「きれいな子もいたけど、わたしみたいなひともいたことも忘れない?」
「忘れることなんかできないですよ」
「ほんとうに?」
「だって、忘れさせようとしたのは、あなたじゃないですか?」
 ぼくは、そこで彼女の唇の暖かさを知る。それは、どのようなものにも例えられないほど、信用や信頼という言葉にふさわしかった。

「これで、じゃあ、ほんとうに何年も忘れない?」
 ぼくは、洗練された返事もできず、ただ、無力な少年のようにうなずいた。また、女性への憧憬と恐怖心も同時に植え付けられていったのだろう。
 またそこを後にし、グラウンドに出ると、松田に声をかけられた。
「うちの手料理を最後に食って行ってくれよ」というセリフにぼくは何気ない現実の愛おしさを知ったのだった。

存在理由(19)

2010年11月23日 | 存在理由
(19)

 休みが終わり、それぞれの仕事に戻っていく。大きさも性質も不揃いなものを、きちんと上に並べられるような努力をそれは求めている。

 人間は、なぜ仕事をするのだろう? もちろんのこと、生活の糧を得るためが大前提となっているが、それだけでもないだろう。毎日の食事や家賃。ある程度の恥ずかしくない服装。多少の娯楽に多くは吸い取られていく。しかし、それがすべてであるならば、人間の向上したいという気持ちは、どこに持っていけば良いのだろう。

 ぼくは、その時も、そのような考えを第一にしたいと思っていた。仕事に上下などもないし、尊くないことなど、ないのも知っているが、自分の生み出すことによって、いくらかの痕跡と誰かのこころが揺す振られていくことを期待してもいた。

 またもや先輩はコーヒーを片手に部屋に入ってくる。最近は、彼女の様子や振る舞いで、昨夜をどう過ごしたのか、知ることも出来るようになっていた。今日は明らかに眠たげで、そのままコーヒーを持ったまま、自分が書いた原稿をぼくにチェックしてくれと頼んで、どこかの部屋に消えた。しかし、どう小細工しても、ぼくの能力では動かせないほどの見事な表現に満ちていた文章だった。

 ある著名な文化人と言われている人と一緒にインタビューに行った。その男性は明らかに先輩に好意ある視線を向けていた。そのことを気付いていないのか、気付かないふりをしているだけなのか分からないまま、そのインタビューは終わっていく。最後に、今度一緒にどうこう、という軽やかな誘いをやんわり断り、そこを後にする。そのことがなくても、あまり尊敬できる人物ではないことは確かなのだが、そのままの記事では問題が残ってしまうので、うまくデフォルメをしながらも見事な記事に作りかえられて行く。

「どうだった?」
 先輩はかなり時間がたった後、部屋に戻ってきて、眠気が消えた表情できいた。
「いやあ、どこも間違いがないし、完璧に近いですけど」
「そう、まだまだって感じもしていたけど」

 と、完全にお手上げ状態の自分に拍子ぬけしたような声で答えながら、椅子に座った。

 それから、ある場所で昼食を一緒に先輩ととり、また同じような経済の専門家と呼ばれている人に会いに行った。

 たかがお金の損得の話かと、仕事をする前は考えていた。もっと文化とか文芸の匂いのするものに自分は惹かれていたが、なんでもやってみれば違った印象を受ける。つまりは、お金のプラスマイナスの話にすることではなく、新しい発想で現状を打破していく話だったり、なによりもそこに将来の希望が含まれていないと、読者は納得しないのだ、ということに気付いていく。
 そう考え出すと、自分の気持ちもいくらか変わっていく。否定的すぎる文章や考え方に建設的なものが加わったり、解決策の提示を挟むことによって、将来の希望、簡単にいえば、明日の生活は、ひどかった今日よりいくらかましになっているだろう、という感覚が人間の支えになるのだ。

 移動の電車の中で先輩は目をつぶっている。その横で自分は、これから起こるであろうことをおさらいしている。資料を集める方法もなんとか伝授してもらい、そこだけは気に入って貰えるようになった。まだまだ完全ではないが、任されていくことも増えていく。この積み重ねが、生活のためだけにしているのではないという充足感にも繋がっていく。

 そのインタビューも済んで、先方の会社をでると、小雨が降っていた。足早になり、そのビルの裏手の喫茶店で雨宿りをする。きまって、ミルクティーを飲む自分を先輩は怪訝な顔で目にする。

「紅茶もおいしいですよ」
 と、苦い言い訳の言葉を発しながら、ぼくはそれに口をつける。
 雨がやみ、先輩は資料をぼくに渡し、会社に戻らないからよろしく、と去っていった。

 仕事も終わり、自分の家に帰り着替えながら、ステレオのスイッチを入れる。電源が暗い中で輝き、音が流れる。たくさんの時間を音楽を聴いていたいので、疲れないような音量と設定にしてある。多分、古い黒人の音楽は生活の苦悩をギター片手に歌っているのだろう。しかし、そこにも直ぐには解決されないけど、いずれそのうちに改善されるなにかを求めている、そこはかとない希望が底辺に流れている気がする。

存在理由(18)

2010年11月21日 | 存在理由
(18)

 人見知りという性格を大事に抱えて生まれてきたような感じで暮らしてきた。捨てるタイミングを逃してしまったみたいに、部屋の片隅に居座っている。普段は、気にもしていないのだが、やはり、あそこの隅にあるなということは自分自身が一番よく知っている。

 みどりの家に到着し、車のドアを開けると、彼女の両親が出てきた。久しぶりに会う娘と、その横にいる男性。つまり、ぼく自身だが。

 彼女の両親には前にも会っていた。その頃は、まだぼくは学生だった。いまは、少しは大人になった人間と見られているのだろうか。室内に入ると、料理がたくさん並べられ、それは彼女の好きなものが多かった。

 何杯かのビールとともに打ち解けてきて、この時もぼくは快活に過ごすように努力した。まだ一カ月だが、仕事上、見知らぬ人に会った時に自分の存在を相手が勝手に好意的に思ってくれることなどないということを身に沁みて知った。そこには、いくらかのアピールと同調と優しい戯れのような喧嘩が挟まっていることを覚えていく。もちろん、みどりの両親に対して、戦略上どうするなど考えもしないが、彼女が居心地よく過ごせるならば、どんなことでもしよう、と思っていたことは確かだ。

 日が沈み、彼女の過ごした学校や、よく下校途中に寄った店なども歩いて、さまざまなことも話した。15歳の彼女は、どんな感じだったのだろうと考え、そのことも口にする。

「いまと、まったくおんなじだよ」
 と、みどりは答えた。多分、そのとおり全く同じだろう。少し気が強く、優しさを隠したような少女だろう。

 彼女の小さな頃の写真も目にする。赤いスカートを履き、ブランコに座ってこちらを見ている。右の膝あたりに絆創膏が貼ってある。その数日前に運動会の練習があり、その時に転んだときのものだ、と傷口をいたわるようにみどりの母親は言った。

「運動会では、練習の甲斐があってか、一番だったけどね」と続けた。母親は、みどりが東京にいってからも頻繁に電話をかけ、忙しいみどりを少しだけ煩わさせ、また同じように少しだけ心配な気持にさせた。

 朝になり、みどりの気遣いもあってだが、ぼくらはそこから近い温泉で一泊することになっていたので、また車を出し、そこに向かった。車の後方の窓から手を振る両親。それを見ながら、ぼくはやはり、ちょっとジンとなっていた。自分の両親には、なぜかそのような気持を持つことが出来なくなっていたが、優しい心があるならば出口を求めていて、そのような気持ちになってしまった。

「どうしたのよ」
「別に、優しい人たちだなと思って」
 東京の空とは違う色を、その景色はもっていた。見事な景観で、このようなところで育つのは子供には退屈かもしれないが、いまでは良いものだなと実感している。窓を開けるとさわやかな空気の味がして、肌にひんやりとした感触を与えはするが、それはとても嫌なものではなく、反対だった。

 途中、山中で車を停め、彼女は覚え始めたカメラを取り出し、そこらの景色を撮った。ついでのようにぼくの写真もとった。その後、そのときに写されたぼくの肖像は、彼女の部屋でこころもとなく存在していた。でも、自分で見ても、そのときの自然な笑顔はあとにもさきにもないような、繕っていない表情をしている。

 彼女の部屋に永久に存在し続ける予定だったその写真は、まだカメラの体内にフィルムとして残っていて、それをぼくが見るのはまだ先だった。それを大事に抱え、車内に戻る。

 いくつかの名所スポットをめぐり、美しい夕陽を堪能し、カーナビなどなかった時代を背景として、地図で探し当てたホテルに向かった。

 永久であろうとする思い出たち。これから、たくさんのことを経験し、学んでいこうとしている自分。その途中で手にいれ、また捨てられて行こうとしているものは、どんなものたちなのだろう。幸福の取得のために、かげで犠牲となるものは、どのような形態をしているのだろう、と多少、運転のためにつかれた気持ちと眼で、そのようなものを掴みたいと考えていたあの頃を思い出す。

拒絶の歴史(128)

2010年11月21日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(128)

 ぼくの家のポストに手紙が入っていた。その手紙はいまは自分の部屋の机の上に置かれている。
 丁寧に封を開くと、見慣れた文字が飛び込んできた。

 ひろし君。
 こんにちは。
 お元気ですか?
 といっても、まだそんなに離れてから時間も経っていないけどね。
 前には、わたしが東京にいるとき、たまにこのような手紙をやりとりしましたね。あの頃のことを思い出しながら、書いてます。

 どこかに、あの手紙がしまわれていると思うけど、どこに行ってしまったのかは謎ですけど。
 それでも、さまざまなひろし君がくれた手紙の内容は、わたしのこころの奥に刻みつけられています。
 もう一度さがして、またあの気持ちをリフレッシュさせて確認したいです。
 そういえば、この前は、映画館で会いましたけど、繊細なこころの持ち主であるひろし君が、わたしたちの姿を見て傷ついていないといいんだけれど。

 あのひとは、わたしが極端に淋しがってると思って、映画に誘ってくれました。みな、わたしに対して優しい感情をもってくれていることに、いつも感謝しています。

 こちらで暮らすのも、もう直き終わってしまうんですね。その前に、なるべくなら誤解を与えたくはないと思っていたんだけど、してしまったことはもう取り戻せないことなので仕方がありません。
 もう終わった関係なので、あまり真剣に受け止めないで、ひろし君はこの手紙のつづきを読んでください。

 そう前置きをしておきます。
 わたしは、ひろし君のことが、こころの底から好きでした。
 誰よりも、懸命な気持ちで愛していました。
 それなのに、わたしの気持ちと比較しても、ひろし君のわたしへの愛情が少なく感じました。それも、だんだんと減っているのではないかとの心配も増えました。それが、どうしてもわたしには許せませんでした。

 なんかいか憎んでしまおうと思ってもみたんですが、それすらもできず、しつこくわたしへの愛情があるかどうか訊いてしまいました。

 たまには、優しく答えてもくれたりしたけど、やはりあまりのしつこさで何度かはいやな顔もしましたね。もう、これで訊くまいとも思ってみたけど、最後には誘惑に負け、また質問してしまいました。ごめんなさい。でも、もうこうなれば問われる心配もないんですもんね。

 その反面、ひろし君はわたしの愛情に対して、訊くことはしませんでした。もっと尋ねてくれればいいとも思っていました。ひろし君は、その気持ちにあぐらをかけるほど、余裕があったのかもしれません。
 その気持ちを比較すると、悲しくなりました。

 でも、年上のわたしは、あまり重みをかけるようなことはしたくありませんでした。
 だけど、やはり最後にはこのような手紙を書き、愛情を押し付けようと思っているのかもしれません。
 ごめんね。

 東京にどれぐらい居るのか分からないけど、元気で頑張ってください。地元には、あなたの味方がたくさんいることを忘れないでください。また、忘れてしまうほど、東京で素敵な友人たちをたくさん作ってくれればいい、とも同時に思っています。
 また、いつか少しだけ大人になって再び会えるといいですね。それまでは、もっと立派になった男性がわたしの目の前に表れることを想像しておきます。
 これまでのわたしを支えてくれて、好きになってくれたことに対して、率直にありがとうと言います。
 また、あなたの成長に付き合えて良かったですし、同じ歩みを与えてくれたこれまでの時間にも感謝しています。
 では、お元気で。
 いままでの、たくさんのことをありがとう。
 河口雪代。

 ぼくはそれを読み終え、なんども封にしまっては、また取り出して、ひろげて、読み進めて、またしまった。
 自分も返事を書こうと思ってペンを取ったが、どんな気持ちを伝えればいいのか分からずにいた。簡単に電話をかけて声をきこうかとも思ったが、彼女がそのような手段を使わなかった以上、その努力の度合いの違いが失礼に感じてしまい、それもできずにいた。

 結局は、引越しの荷物のなかに忍び入れ、ガムテープでその箱を閉じてしまった。いま、直ぐにやり直すことは、重い決断をさせてしまった自分にとって、安易すぎる方法に思えた。また、彼女がぼくの愛情が比較して少ないと誤解を与えてしまったことを、払拭させる自信もなかった。なぜ、彼女はぼくの気持ちをきづかないのだろう? というやるせない気持ちも同時にあった。

 妹が楽しそうに、多分、山下と話しているのだろう、電話の声が聞こえる。ぼくも、だれかと、ただ未来が真っ白で築かれていない相手と話したいもんだと思った。思ってみても、雪代の書いた手紙の筆跡と、そのときの彼女が机の前に座っている姿まで、はっきりと頭に映っていた。やはり、ぼくも愛情の表れを手紙に残すべきだと考え直すが、また再度躊躇する自分もそこに残っていた。

拒絶の歴史(127)

2010年11月20日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(127)

 同僚の女性と外回りをして、いったん会社に戻り、今日の仕事をまとめた。それから、自分の車に乗り換え、さっきの女性と映画を見ることになっている。その前に、すこし時間があったので喫茶店で時間をつぶした。

「いままで、時間をたくさん取らせて悪かったね」
「だって、誰かが近藤さんの仕事を引き継がなきゃいけないんだし、しょうがないですよ」
 ぼくらは同僚の噂話をしたり、未来についてのささやかな展望を話したりした。もちろん、もっと身近な未来でもあるこれから見る映画についても話した。

「このようなラブストーリーって、男性はつまらないですか?」と、彼女は訊いた。
「そんなことないよ。普通に見るよ。だけど、泣いたりするのは、ちょっと恥ずかしいけど」
 そこを出て、映画館にあるいて向かった。まだ、空気は冷たく、溶けない雪が道路のはじに追いやられていた。その横を通り過ぎる車のライトが雪を照らし、不思議な色合いを見せていた。

 チケットを二人分買い、ロビーにあった椅子に座って待っていると、ぼくは見慣れた顔を見ることになった。それは、雪代だった。そんなに時間が経っていなかったが、もう自分との縁が切れたせいなのか、印象が違って見えた。彼女はぼくの存在に気づいていなかったようだが、隣にいた男性、島本さんが彼女のひじをつつき、ぼくの方に視線を変えた。それで、彼女はぼくを見た。ぼくは自然と目を逸らせるようにしてしまった。彼女らの噂はきいていたが、実際にそれを目にすると、ぼくは動揺し、やはり傷ついた。となりにいた同僚は、その変化に気づかずに天真爛漫に話をつづけていた。ぼくは、相槌がおろそかになり、彼女は一瞬、会話を止めた。

「どうかしました?」
「ううん、別に。それで?」と、話のつづきを聞こうと努力した。もし、彼女をぼくの新しい交際相手だと雪代が考えていたとしたら、彼女も傷つくのだろうかと想像してみた。だが、その結果はどうやっても出てこなかった。もう、ぼくのことなど忘れ、それで島本さんをまた選んだのだろう。そして、皮肉なことだけれど、彼らが寄り添っていると、とても似合っていて、それだけで、自分は敗因をもっていることを知った。

 前の回は終わり、たくさんの人々が出てきた。何人かはハンカチで目元をぬぐい、そうしないひとも、目元が赤かったりした。これから見る映画はそうした映画なのだ。

 中にはいり、ぼくらは左側に、雪代たちは右側に座っていた。ぼくは、なるべく映画に集中しようとして、彼らのことを考えないようにしたが、その行為すら無駄であることを知るのであった。ぼくは、雪代のことを考え続け、島本さんの存在を憎んでいた。だが、雪代の幸福の要因に島本さんが今後なるのであるならば、その憎むこと自体が無意味であった。

 およそ2時間経って、ぼくのとなりの同僚は泣き、ぼくはただその映画に入り込めない自分がいた。館内が明るくなると、雪代たちはもういなくなっていた。そして、いなくなっていたとしても、ぼくのこころの中には彼らがありありと座り続けていた。
「楽しめませんでした?」
「そんなことないよ。多分、もう一回みないことには、なぜあのような行動をしたのか理解できないと思う」と、本気のような、言い訳のような言葉をぼくは吐いた。

 それから、ぼくらは車にふたたび乗り、イタリアン・レストランに向かった。なるべくなら、もう雪代たちに会いたくなかった。ニアミスは、一日に一度で充分だった。だが、前から予約したのでいないとも限らないその店へ向かった。その心配は取り越し苦労で、彼らの顔はその店にはなかった。

 さきほどまで、あんなにも泣いていた女性とは思えないほど、彼女の食欲は旺盛だった。デザートまで行っても、美味しそうな表情は絶えることがなかった。ぼくは、その顔を見て、いくらか安堵した気持ちになっていたが、車でなければ、やはりワインでも飲んで、今日のことを忘れたかった。

 ぼくらは楽しい会話をし、ぼくの東京での活躍の言葉をきき、また車に戻った。彼女は、玄関に向かいながらきれいなハイヒールの音を立てていた。そのリズミカルな歩み自体に希望が含まれているようだった。そして、ドアを開ける際に振り向き、「とても楽しかったです、今日は」という言葉を残した。

 ぼくも同じ気持ちであったが、辛いこともあったので、同じ言葉を返すことができず、ただ、暗い車内でうなずいた。

 ドアが閉じても、ぼくは動くことができず、カセットテープを探した。古いソウル・ミュージックがあり、それを入れた。甘い歌声はぼくを癒すことができるかもしれず、それに期待したが、やはりこころの底からの開放など、その日には訪れようがなかった。

 最後にコンビニに寄り、必要なものを買い込み、その店員がぼくが知っていたゆり江という子に似ていることに気づいたが、もちろんただ気づいただけで終わった。仕事が終わってから数時間でぼくの気持ちが大幅に変わってしまうことなど予想すらしていなかったのに、やはり現実とはむごいものだとのいくらか幻滅した気持ちも手に提げたビニール袋の中に入っているようだった。

拒絶の歴史(126)

2010年11月15日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(126)

 会社での送別会も終え、ぼくは宙ぶらりんのような状態になる。やるべき仕事にはもう手を出すこともできず、新しい仕事はこの地にはなかった。外回りをして挨拶もしたが、それにも限度があった。知り合いを探し、彼らと勤務中にも関わらず喫茶店でコーヒーを飲みながら話し、さまざまな噂話を聞いた。

「そういえば・・・」という感じで友人は切り出した。「雪代さんと島本さんは、どうも縒りを戻したみたいだよ」
「そうなんだ」ぼくは平然とした顔を装ったが、それは無理だったかもしれない。「なんで、知っているの?」
「だって、いっしょに歩いているところを何人かが見ているみたいだから、そういうことなんだろう」
「ふん、そうか」ぼくは、急に世界がつまらない場所であると感じ、疎外されているとも感じていた。

 それからも、話は続いたが身が入ったものとはならず、ぼくは見てもいない映像を必死に探し、追った。それは、難しいものではなかった。ぼくは、高校の数年間、彼らの親しそうな映像を何度も見ていたのだ。それを数年スライドさせれば、いまのような状態になるべきだった。彼らは一体どのような会話をし、雪代はぼくといるより楽しいのか、安心させてもらえるのかと考えていた。もし、そうならば彼女にとって幸福なことになる以上、仕方のないことかもしれなかったが、そう平易に自分の気持ちを納得させることなどできなかった。

 会社に戻り、社長に、「もう少し身を入れて、後輩の心配をしてやれよ」と軽く叱責された。普段、彼の言葉を素直に聞き入れていた自分だったが、今日は虫の居所が悪いせいか、「充分、教えているつもりですよ」と返答してしまった。彼は、すこし驚いたが、それ以上なにも言わなかった。彼は、ぼくのことを高校時代から知っており、運動部の常として、目上のひとに刃向かう自分など知らなかったはずだ。ひとは、ときに余計な振る舞いをしてしまうものだ。

 その言葉が間違いではないことを立証するため、ぼくは誰彼構わず、熱心に指導した。それはいくらか空回りしながらも、ほんのすこしだけは助けになっていたのだろう。その様子をみて、何人かは相談しにきた。自分のことは自分で片付ける風潮が最近はあったが、それがなくなると後輩たちも仕事がやりやすそうな雰囲気を見せた。ぼくが、ここに残っている限りは、こうした役目を引き受けようと考え出した瞬間だった。

 ぼくが仕事を引き継ぐ女性が外回りに行くので、ぼくもそれに同行することにした。彼女が車を出し、ぼくは横に座り、ネクタイの結び目などを確認した。
「東京での生活、心配じゃないですか?」
「まあ、いくらかそういう思いはあるけど、仕様がないことだし」
「わたしだったら断るかも」
「ぼくだって、ここでずっと生活するはずだったんだよ、気持ちのなかではね」ぼくは、その生活に雪代がいることを望んでいた。
「着きましたね」
「ぼくは、なにもしないからね。頑張って」彼女は、少しにらんだような目をして、ぼくを見た。

 ぼくは、どこにいても、誰といても、雪代が別の男性と歩いたり、話したりしている映像が消えなかった。そのときも、まだその衝撃が強く、こころはどこかに飛んで行ってしまっているようであり、その場に馴染めなかったが、さすがに彼女がお客様の前でうろたえている状態を察し、手助けをした。ラグビー部の本能のようなものが、いつもぼくをそういう行動にとらせた。
「ありがとうございました」と、車に戻り、彼女は言った。

「いや、ぼくもどれだけミスしたか教えてあげたいところだよ」そして、今現在、どうやっても戻すことのできないミスを継続中であることは当然のところ伏せていた。

 次の場所に移動する前に時間があったので、コーヒーをふたりで飲んだ。
「そうだ、仕事の引継ぎなんかで残業させたお詫びとして、ご飯でも今度おごるよ」彼女は断ると思っていたが、直ぐにスケジュール帳を取り出し、あれこれと予定を調整していた。

「この日なら、大丈夫そうです。あと、ひとりでは行けないような映画があるので、付き合ってくれません?」
「まあ、いいけど。即決型なんだね」
「あの社長が、いつも口を酸っぱくして言ってるから」

 その日も終わり、職場に戻った。机の整理をしていると、どこからか社長が近寄ってきた。大体、こういうときは飲みの誘いなのだ。
「ちょっと、行かないか? いつものところへ」
「あそこですよね?」
「なんか、あったのか?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど、行きましょうか」

 店に着き、ぼくらはいつものような流れで、飲み物を頼み、料理を注文した。社長は自論をまた展開し、すこしだけぼくの心配をし、東京に行かせることを詫びて、ペースをあげて飲んだ。その間もそこの女性はぼくに対して冷静な対応をしていた。女性のこういう何事もなかったような態度を見るたびに、ぼくはいくらか動揺し、すこしだけなぜか傷ついた。

拒絶の歴史(125)

2010年11月14日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(125)

 ぼくは、なんとなくだが、東京にいるのは2年ぐらいなのだろうと考えるようになっていた。あまりにも大雑把な予測だが、それは、雪代が向こうに2年いて戻ってきたことが、頭のどこかの片隅に眠っていたのかもしれない。だが、2年であったとしても、それなりに別れをいうべきひとの顔が浮かび、それらのひとを訪れた。

 ぼくは、学生時代にバイトでお世話になった店に行った。

「そうか。まあ、それも人生だし、頑張ってこいよ」と店長は言った。
「そうですね。何が待っているか分かりませんが、何とかやってきます」
「それにしても、あのきれいな子はどうするんだ?」
「待っててくれるといったんですけど、結局は別れちゃいました」
「なんで?」

「なんでって、向こうが愛想が尽きたんでしょう」
「酷い。ひろし君は大丈夫なの?」と、そこの娘のまゆみちゃんは言った。彼女は、もう小学校の高学年になり、身長も伸びて、大人の入り口に立っているようだった。
「酷いけど。まゆみちゃんも大人になれば、分かるよ」
「分かりたくないけど」
 それ以降も、ぼくはそこで世間話に興じた。新しいバイトの子とも話した。スポーツショップでずっと男性を雇っていたが、いまは大学生の細身の少女がそこにいた。その子と、スポーツの話をしたり、大学の勉強について話した。ぼくは、ラグビーで頑張った時期の話をしたが、それを自慢話にしないようにするには工夫がいった。だが、どこからかまゆみちゃんがぼくの学生時代の写真をもってきて、彼女に見せた。
「精悍だったんですね」
「え?」
「精悍です」
「そうかもね。精悍だった」

 まゆみちゃんは見てもいないぼくの残像を熱心に話した。バイトの子をライバル視しているようにも感じた。それから、
「ひろし君、きょうの予定は?」と訊いた。
「今日は別にないよ。もう挨拶も済んだし」
「じゃあ、わたしと付き合って。買い物に行く」ぼくは、妹が小さかったころのことを思い出している。ぼくにも小さな正義感があって、弱いものを守ろうという気持ちがあったのかもしれない。それで、小さな妹の手をひいて、いっしょに歩いた。いまは、それがまゆみちゃんになろうとしていた。

「ごめん、付き合ってあげてくれよ」と、店長が言った。「そういうの言うの、やめて」とまゆみちゃんは店の奥に言った。それで、ぼくらはふたり並んで歩いた。ときには、会話もつづいた。
「別れたりすると、電話とかもしなくなるの?」
「それは、しないよ。他人というか、つながりがなくなっちゃったんだから」
「そう簡単にいくの?」
「簡単じゃないけど、無理してでもそうしないと、けじめというものだからね」
「電話すれば? いま」
「誰に?」
「誰にって、あのひとに」
「そんなに心配しなくていいよ」
「わたし、学校の帰りにひろし君の彼女の店の前を通った。とても、きれいで、わたしもああいう大人になりたいって思った」
「たぶん、なれるよ」
「ひろし君とあのひと、お似合いだと思うけどな」
「ありがとう、ぼくもそう思っていた」
「わたしが大人になって、ああいう素敵な女性になったら、ひろし君も振り向いてくれる?」
「いまでも、充分すぎるほど大切に思っているよ。その時には格好いい男性も現れて奪い合いになったら、ぼくは、もうおじさんで負けてしまうしね」
「ふふふ」と彼女は大人のような笑い方をした。

 ぼくらは、その町でいちばん大きなデパートに入り、ぼくも東京で必要になりそうなものを考えたが、それは東京で選んだほうが選択肢が多くなることに気づいた。彼女は、自分に似合いそうな服をあてがった。いま、それは似合っても、成長の早い彼女の身体は、もう来年には着られなくなっているだろうことを予想させた。そして、来年また次の年には、彼女がどう日々変化しているのか、ぼくは興味をもったが、知ることができないということを淋しくも感じた。

 まゆみちゃんはひとつの帽子をかぶって、こちらを振り向いた。とても魅力的な笑顔で、値札が端にぶらさがっていたが、それすらも愛らしく感じさせた。ぼくと雪代のように、彼女も誰かに恋するのだろう。その幸福な男性はいったい、いまごろ、なにをしているのだろうと考えた。

「良く似合ってるね。買ってあげるよ」
「ほんと?」
「しばらくは会えなくなるだろうし、それぐらいはしてあげれるよ」
「次に会うときまで被っている」
「もう、ぼろぼろになっちゃっているよ」
「大切に被るよ」
「サイズも変わっちゃうよ」
「これ以上、頭なんか大きくしないよ」ぼくは、笑った。子どものように無心に笑った。

 店を出て、ぼくらは初めてデートをするようにファーストフードのお店でジュースとアイスコーヒーを飲んだ。途中、彼女はトイレに消え、買ったばかりの帽子を被ってきた。ぼくは、それに触れず、彼女もなにも言わなかった。今度、会うときがもし2年後ぐらいだったら、彼女はきっと多感な時期になっているのだろう。ぼくと、自然とこうして会話もしなくなるだろう、と考えていた。だが、会わなかったとしても連絡を取る方法はいくらでもあるのだし、いつか、大人になった彼女を発見するのは、それは楽しいことだろうなと思って、最後のコーヒーをすすった。

存在理由(17)

2010年11月13日 | 存在理由
(17)

 4月を終えると、5月には連休が待っていた。ひと月ほど、新たな環境で自然と精神は消耗し、それを回復させねばならず、また更にはたくさんのことを吸収しなければならない身にとっては、まとまった貴重な休みたちだ。その頃の5月の東京の空は、10代最後の着飾った少女のように輝いていた。

 遥か遠い中東の子供たちも、同じような空を見ているのだろうか。自分の周辺のことに追われていると、そのような考えは自然と頭から締め出してしまう傾向にある。だが、この時は多少なりとも違っていた。なぜならば、休みの前に雑誌社の先輩と飲むことがあり、その人は取材で2月、3月と中東に行っていた時の写真を見せてくれたからだ。

 もちろん、テレビの報道で湾岸戦争と呼ばれるものを人並みに注意をはらって見てはいたが、彼の写真を通して、本来の姿を垣間見ることが出来た。

 悲惨な写真も山ほどあった。それは、戦場にもなっていたぐらいだから。だが、兄の子供と同じ年頃の子どもの姿に、日本と場所は違うが、その年ごろ特有の快活さと他者に対する好奇心がみなぎっている1枚の写真を見て感動してしまった。

 たまたま、あそこに存在しているということだけで、彼らの教育過程や、誰かを失ってしまうことや、微かな憎しみを覚えていってしまうことなど、そのようなことまで考えさせてしまう何かが、その写真には含まれていた。同じ部署の女性の先輩が、そのカメラをぶらさげた先輩に引き合わせてくれ、とても感謝している。

 人との出会いというのは、偶然なのだろうか? その中東の少年はぼくに勇気をくれるために10年ほど前に生まれてきたのだろうか?

 みどりの両親が住んでいる長野に向かっている途中、そのことを反芻し、ぼくは無言でいる時間が長かった。車を運転しているぼくをみて、
「静かだけど、ちゃんと起きて運転している?」
 と、暖かい口調で話しかけた。
「もちろんだよ。だけど、少し先のサービスエリアで休もうか?」
「うん。熱いコーヒーが飲みたくなってた」
 彼女は、カセットテープの音楽から、ラジオ番組に変え、天気予報を気にしていた。
 コーヒーカップを手にし、ガラスの扉から出てくる彼女。その2つのカップをぼくに渡し、背伸びをした。細めのジーンズがとても似合っていた。

「それ、いつから履いているんだっけ?」とコーヒーを戻しながら、みどりのジーンズを指差し、ぼくはたずねた。
「なに言っているの、この前一緒に買いに出掛けたんじゃない」
 女性の不満。覚えられることが、男女で違うのだろうか。ぼくは頭の中の記憶を探したが、いつのことか全く思い出せないでいたが、あの時か、と独り言のように呟いた。

 コーヒーを飲み終え、運転が好きな彼女は、自分の番だということで、シートに座り、椅子の位置やミラーの角度を調整した。
 しつこいようだが、5月の空は、なんの後悔や雑念もない人の気持ちのように見事に青く輝いていた。ぼくは、うしろのシートをガサゴソ探し、自分のバックのジッパーを開けた。

「なんか、なくした?」
 ぼくは包装紙に包まれた箱を出し、みどりの華奢な手首と、白い腕に似合いそうな買ったばかりの時計をプレゼントした。
「どうしたの、これ?」
「いや、最初に出た給料で、なんか買おうと思っていたから」
「こんな、大きな子を育てた覚えはないけどね」
 と、彼女は言った。車内には、5月のさわやかな風と、古い70年代の甘いソウル・ミュージックと将来に対する希望が満ち満ちていた。

 ぼくは、中東の少年のことを忘れてしまっていた。彼らたちも、大切な必要なものを手に入れることが出来たのだろうか。その後、なんとか存在を証明できるのだろうか。
 もう直ぐ、彼女の両親の家に着く。ぼくは、下手な舞台俳優のように、その役柄にいくらか緊張し出した。

拒絶の歴史(124)

2010年11月13日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(124)

 一筋縄では行かないというのが人生の真実であるならば、やはり真実は、ぼくにも当然のこと当て嵌まった。

 いま考えると、ぼくは自分の考え出した結論や決断に依然として悩んでおり、それを見かねた雪代はわざと自分に冷たくするよう決めていたのかもしれない。ぼくらの関係は徐々にぎくしゃくとし出し、潤滑油のない機械のように軋み出した。そして、何度も彼女が放った言葉、

「ひろし君は、前のような情熱でわたしを愛してくれているのかしら?」を何度も連呼し、確認を求めた。そして、最後には、「あのような状態に戻るまで、わたしたち少し距離を置きましょう」と小さく言った。さらに、「将来、それでも、わたし、ひろし君とまた会うことになると思う」と自分のこころに告げるように、それまで伏せていた目を上げて、ぼくに言った。
「将来また会うんだったら、このまま継続していくのと、違わないと思うんだけど」と未練を含んだ言葉を自分は発した。
「違う。大違い」と子どもをたしなめるような口調で彼女は答えた。「ひろし君の問題でもあるし、わたしのこころの問題でもある」

 それは、ぼくらにとって大事件であった。ぼくは、こころの支えを失おうとしていることを実感した。そして、ぼくは何度も彼女が放った言葉を考えている。仕事中、車の運転をしながら、信号で停まると、その言葉を丁寧に雪代の口調でなぞった。そうしていると、信号で停まるたびにその言葉を思い出すことが癖のようになってしまった。段々と、ぼくは自分の反省点も探すようになる。やはり、以前のような情熱で、ぼくは雪代を愛することを忘れてしまったのだろう、と結論を下す。しかし、それは時間という流れがある以上、仕方がないことだとも思えた。新鮮さが物事の重要な基準ならば、ぼくは合格点を取れず、成熟を判断の材料とするならば、ぼくは失敗していないことになった。

 それから、何日か経って、自分は荷物を実家に送り、自分自身も雪代に鍵を渡し、そこから離れることになった。それでも、最後にぼくらはベッドの中で抱き合った。なにが自分たちを別れさせたのか、ふたりとも分かっていなかったと思う。あのとき、ぼくは何らかの言葉を発していたら、この喪失感を味あわないで済んだのかもしれない。ぼくらは、パーフェクトに抱き合い、パーフェクトに優しさを出し合った。

 朝になり、その日はぼくは休みだったので、小さなバックに最後の残した荷物を詰め込み、家を出た。
「いままで、ありがとう」とぼくは言った。
「わたし、こんなときだけど泣かないよ」と、ほほにえくぼのようなものを見せ、雪代は言った。
「うん、元気で。また会うという言葉が本当なら、そのときまで元気でいて」
「ひろし君も」

 ぼくは玄関のドアを閉め、上空の青空を眺めた。もし、そのときをもう一度やり直すならば、ぼくは玄関をまた開けるべきだったかもしれないし、彼女もそれを開けて飛び込んでくるべきたったかもしれない。だが、ふたりはそうしなかった。そうしない以上、ぼくらは自分の未熟な判断を固く守ったことになる。

 家に着くと、親父はあまり言葉を言いたがらなかった。母は、何度か、
「それでいいの? あの子に迷惑かけていない」と念を押すように言った。
「ふたりとも子どもじゃないし」と、ぼくは答えるにとどめた。この家にいるのもあと一月半ほどなのだ。あとは、東京に行ってしまう。

 妹は、もっと直接的に、
「高校生のときの女性みたいに、お兄ちゃんはすぐに別れることができる。人間が冷酷にできているのよ」と冷たくなじった。それを、ぼくは神秘の書のなかに書かれている自分のページを探りあてたような気持ちで聴いた。
「お前らみたいに、意中のひとがひとりで済ますことができたらな」
「本当は、できたんでしょう? ただ、しなかったんでしょう?」
 と、疑問のように訊いたが、それは問いでもなかった。ただの答えであった。

 ぼくは、自分の荷物が入った段ボールを開けず、それを東京までの一時的な経由地であり、保管場所のように自分の実家のことを考えていた。ぼくは、8年ぐらいそこから離れており、ある面では家族に対して醒めていて、またこころのなかでは、それだからこそ頼っており愛していた。しかし、彼らは心配のあまり、ぼくやぼくの行動に対して辛口だった。

 ぼくは、残された仕事をし、引き継げるものは引き継ぐよう、資料を整理した。夜は、雪代の存在を忘れるかのように酒を飲んだ。飲み屋の女性と何度かそういう関係になり、ぼくらは、互いに未来のない関係を楽しんでいたが、最後には、「本気になってしまう前にやめましょう」と、冷たく言われた。情のある女性は、自分の情に対して、能動的になることを恐れていた。ぼくは、違う場所で飲むようになり、雪代を忘れたかったのか、その女性を忘れるようにしていたのか、酔った頭で判断できないようにまでなった。

 仕事は暇になり、ぼくの送別会の予定が組まれるようになった。

存在理由(16)

2010年11月09日 | 存在理由
(16)

 ネクタイの結び目がしっくりと手に馴染みだしたころ、所属部署が決まっていく。それによって、スーツとネクタイに別れを告げることができた同僚がいた。

 ぼくは、経済を学んできたという安易な決め方ではないと思うが、そうしたことを専門にしている部署に入った。その会社の力を入れている部署でもあったので、好運ではなかったかと思う。しかし、さまざまな社外の人に会うため、きちんとした格好は抜け切れないでいた。

 もちろん、直ぐにひとりでなんでも出来るわけもなく、名刺をもって方々を回ることからはじまる。その同行する役目を引き受けてくれたのは、6年先輩の女性だった。

 入社したときから、駅から会社までの区間で会うことも多かった人だ。会社の途中で、きまってコーヒーを買い込み、さっそうと歩いていた。電車内で読むのであろう新聞と、長い髪と、そのいくつかのセットで印象付けられる人。

 最初のうちは、ぼくの存在がどうしたものか分からず、適当に相手をされていた気がするが、真剣な態度で接すると、彼女もその態度に答えてくれる人だった。

 仕事上では、尊敬できるお姉さん的なキャラクターだったが、一緒に仕事帰りにお酒でも飲めば、くつろいで誰よりも妹のように人に甘えたがる人だった。同僚たちの間でも、そのギャップに負けてしまい、陰で好意を寄せる人も多かった。

 仕事上では、かなりの人数に会って、インタビューしたり、その金銭上の哲学をきいたり、景気の動向を占ってもらったりした。その原稿のあらすじを、先輩に見せるためにワープロに向かったりもした。はじめのうちは、まったく相手にしてもらえない内容らしく、先輩からのチェックが厳しかった。しかし、褒めるのが好きな人らしく、お酒を飲んでいるときには、よくセンスがあるとも言ってもらえた。やはり、普通に血の通った存在でもある自分は、採用されなくても、その言葉に嬉しい感じを抱いた。

 経済的なものの見方を大前提にしている人を相手にすることが多かったので、自分も影響されるのかとも考えていた。多くの人は、儲けを生み出さないことには罪がある、と言葉には出さないが表情は、そう語っていた。泡のような経済は破綻し、下り坂を走っていたが、彼らはそれでもいくらか疲弊していたが、大筋はその考えを変える必要もないと信じているようだった。

 自分は、いままで行動規範として、そのようなお金を最優先にと考えたこともなければ、今後ずっとそのようなことを持つこともないだろうと知っていた。しかし、ものごとを成功させるという、その過程で頑張った姿、いくらか自慢とアイロニーの入った話をきくことは楽しかったし、とてもためになっていく。

 女性のまえで疲れた表情をあまり見せたくもなかったが、ときには週末にみどりの家により、いつもより遅い土曜の朝を迎えることが多くなった。

 彼女は、あまり音もたてずに、いろいろなことをすることがうまかった。
「よく寝てたね」
「ごめん、起こしてくれればよかったのに」
「そうだね、今度そうする」
 そのような会話が何回か続いた。

 彼女の仕事も順調だったらしく、相変わらず忙しそうにしていた。スポーツは週末にすることが多いので、自分も彼女と一緒にサッカー場へ出かけ、彼らのそれぞれの発露である運動する姿を眺めた。急速に人気が芽生えだしていたサッカー。しかし、究極には、アマチュアであり続けることの美しさもあるのではないだろうか、と自分は考えていた。

 あまりにも見返りを望みすぎて、日本の経済は傾いていったのではないのだろうか。しかし、誰にも止められない力が働いて、物事が決められ進んでいくこともある。そして、結果としては、これ以外に方法がなかったというように納まるところに、きちんと嵌まっていくこともある。

 彼女は何人かの選手に取材をするため出かけている。夕飯までに時間があるので、デパートや本屋や靴屋によった。そうだ、最初に出た給料でみどりに何か買うはずだった、ということを思い出し、デパートに戻ってみたが、こうした時に、急に頭の中は週末のようになり、なにも浮かばなかった。月曜になって、会社の先輩にでも訊くか、と考え数袋を抱えた腕で、一休みしようとビールが飲めるところを探した。