爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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拒絶の歴史(82)

2010年06月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(82)

 翌日、目が覚めてもぼくは終わった関係に捉われている。それはつかの間楽しめれば良いだけの関係であったはずだが、意外なことにぼくのこころの深い部分にしっかりと錨を降ろしていたようで、その鈍い重さが体内にずっと残って居続けたままだった。それを振り払うようにどんよりとした身体にシャワーを浴びて生き返ろうと試みたが、大学に向かうためにバックを担ぎ外に出ると、そこは生憎の雨模様で、またどんよりとした身体に重い脳をさらにプラスした。

「なんか元気ないみたいなんだね」と、斉藤さんが言った。こうした面では女性は敏感であった。
「そう? いつもと同じだと思うけど」ノートを開き、ぼくはそこに顔を伏せた。
「なら、いいけど」と言って彼女もそれ以上、干渉する興味が失せたようだった。

 その日の一時間は、あまりにも長くぼくはいろいろなことを空想した。空想の中の女性は実際の身体を有し、ぬくもりや吐息を目の前に存在するかのように感じた。また、ぼくや彼女が発言した言葉や、言われなかった言葉や、言葉を用いないでも意思の疎通がはかれたことや、さまざまな思い出がぼくの脳裏をよぎった。外は相変わらず雨で、その音が他の音を消して空想させる静けさが保たれていた。丁度、外国語の授業でその未知なる言語が、ぼくの耳にも心地よく聞こえたが、理解とかは得られず、頭脳への痕跡はまったくなかった。

「やっぱり、なんか変だよ。こころがここにないみたい。上の空っていうのが当てはまるのかな」と斉藤さんが再び現れて言った。
「体調が悪いのかな。どこもおかしいところは感じないけど」
「早退すれば」
「このあとバイトもあるんだよな」
「それは、ご自由に」と言って、彼女は外に出た。傘を教室に忘れたらしくしばらく呆然としていたが、直ぐに振り返り取りに戻った。

「この前の洋服、もう着て見せた?」とぼくが言葉をかけたがそれを無視し、まっすぐに歩いていった。ぼくは言葉の行き先を確認するように彼女の背中を見たが、どこにも落ち着き先はなかった。それで、ぼくも仕方がなく食堂へ向かった。そこで温かいそばを買い、ジュースをお盆に載せ、ひとりで隅のテーブルに座った。

 またもや空想の翼をひろげ、いや違ったかもしれない、思い出のいくつかのピースをあれこれ取り出してもてあそんだだけかもしれない。それは楽しい反面、もちろんのこと思い出すだけで痛みを伴った。何度も言うが、ぼくらはただの遊びのつもりだったのだ。ほんとうはそう思っていたのは向こうだけかもしれない。感情の引き出しが多かった自分は、いとも簡単にその女性に所定の引き出しを与えていた。

 その間にもそばをすすり、ジュースを飲み干した。グラスの中の氷はカランと良い音を立て、ぼくの中でなにかが終わった印象を得る。また午後もいくつかの授業を受け、それが終わりいつものようにバイトに向かった。

 バックを置き、店の中に立った。そこにいればいつものような状態に戻れた。仕事も適度にあわただしく、のんびりと空想している暇など皆無だった。最後にお金の計算をして、店長に確認してもらい店を出た。雨はもう止み商店街のなかに無造作にこわれた傘が捨てられていた。

 家で食事をするのも面倒だったので、途中の飲食店を探した。そして財布の中身を考え、バイト代が入ったばかりだったので、上田さんの父に連れて行ってもらう店にひとりで寄ることにした。誰かの声を聞きたかったのかもしれないし、それに応答する自分の声を確認したかったのかもしれない。なんとなく孤独だった。戸を開けると、一日雨だったためかお客さんは少なかった。

「今日はひとりで来てくれたんだ」きれいな女性がカウンターの向こうから声をかけた。
「はい、ここでいいですか?」ぼくは、その前のカウンターの座席を指差した。
「どうぞ、ビールでいい?」

 ぼくは頷き冷えたグラスを手にした。それから、いくつかの言葉を交わし、その間に常連らしきお客さんはみな帰り、静かな店内にぼくら二人だけが残っていた。話をきくと、彼女はひとりで男の子を育てていた。身体を動かすことが好きで、もう少し大きくなったら、ぼくがいるサッカーのチームに入れてみたい、と言った。

「これでも、何回か練習を見に行ったことがあるのよ、知ってた?」ぼくは首を横に振る。自分がなにも知っていないことも認識する。そして、今日の思いの当然の帰結のように、ぼくはあるサッカー少年の幼さの残る母を思い出していた。

拒絶の歴史(81)

2010年06月22日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(81)

 ぼくは高校時代の友人の家に電話をかけた。彼に取り次いだのはそこの家のまだ小さな子どもだった。彼はたどたどしい言葉でぼくの名前を告げ、その父親と電話をかわった。

「ごめんね、いつもあいつが電話に出たがるもんで」彼は子どもの対応を詫びていた。
「気にしてないよ。それより、今日代わりに練習に出てくれてありがとう」
「いや、こっちこそ楽しかったよ。やっぱり集団で身体を動かすって楽しいよな」
「だったら、もう少しだけ回数を増やしてみないか? ぼくも、ちょっと他のことで忙しくなってきたし、また勉強もそろそろ本腰をいれないといけない時期にもなってきた」
「そうだよな。まだ学生だもんな」
「ごめん、社会人だって当然のように忙しいよな。だけど、たまには身体を動かしたって、デメリットなんかないと思うけど」

「うん、嫁と相談してみるよ」ぼくは、その言葉にちょっとだけ愕然としている。自分の未来を切り開くのに誰かに相談しなければならない事実などぼくにはまだなかった。そのぐらい自分が子どもであるということに驚いたのであろうか? もしくは羨望だろうか?
「まあ、その気になったら連絡くれよ。ぼくより本格的にサッカーに関わってきた時間も長いし、でも、ぼくもあの子どもたちとの時間をきっぱりなくす情の無さもさらさらないんだけど」

「うん、考えてみるよ」その口調には前向きな何かがあった。それから、シャワーを浴びビールを再び空けて、簡単な料理をつくった。食べ終わった皿を流しに運び、そのままゆっくりしてビデオを見ていると、また電話がかかってきた。何人かのことを頭に浮かべ、さきほどの返事がもうもらえるのかとも少しだけ考えていた。しかし声の持ち主は女性だった。
「さっきうちの子に会ったんだって?」
「うん、いつまでも練習を続ける様子だった」
「今日、なんか用事があったんだ? 練習に顔を見せなかったので」

「でも、別のひとが行ったでしょう? 彼、学生時代優秀なプレーヤーだったんだよ」
「子どもって、けっこう人見知りするじゃない? いくら上手くたって、いつものひとがいいものなのよ」

 ぼくは、そのことを考え自分の幼少時代に思いを馳せた。やはり、そのことは事実のようだった。ぼくらはいつもの方法や、いつもの仕方が好きなものだった。そこからずれていくものに怯えていた。段々と成長するにつれ、意外なことが起こってしまっても対処できるようになったが、子どものころには親の陰に隠れてしまえば済むようなこともたくさんあったしそれを経験した。

「また、来週には会えると思うよ、いつものお兄さんに」
「もう、わたしは、そこでしか会えなくなると思う」
「どうしたの? 急に?」
「主人の転勤が決まって、またこちらに戻ってくることになった」
「じゃあ、それ以外では会えなくなるんだ?」
「淋しい?」
「それは、もちろんだよ」
「でも、すぐ忘れちゃうでしょう?」

「そんなことないよ」ぼくらは、数年にわたり秘密の関係を築いていた。その終わりはいとも簡単にこのように訪れるとは思ってもいなかった。

「ごめん、あの子がお風呂から出てくるみたい。いままで、いろいろありがとう。じゃあ」と言って、唐突に電話は切れた。ぼくは喪失感を覚えている。それは自分にとって都合の良い能書きだったかもしれないが、失ったものがあるというのもまた両面から見れば事実だった。

 こうして始まるものもあるし、終わり行くものもあった。また、当然のように途中のものは数え切れないほど山ほどあった。その途中に置き去りにされているものを自分はとてつもなく愛おしく感じていた。それはどこにも行ってはいけなかった。ただ、そこにあるだけで正しいものもあるのだ。しかし、この日はぼくにとって象徴的な一日だったかもしれない。手から漏れていくものがあり、手に入れたばかりのものがあった。昔にさかのぼって友情がいくらか違った形で復活していくときでもあった。変化しないものなどないと今の自分はしっているが、その当時の自分はまだ受け入れられず、それに両手でしがみついていたのかもしれない。

拒絶の歴史(80)

2010年06月20日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(80)

 翌日の仕事も終わり、いくらかの封筒に入ったお札をもらったぼくらは、そのまま買い物に出掛けた。それは斉藤さんが望んだことだからだった。彼女は、あまり服装にはこだわらない方に見えた。それで、洋服を買いに行きたいので付き合って、と言われたので意外な気がした。

「どんな服ですか? デート用ですか?」と、ぼくはその行動自体を茶化した。
「まあ、いつもいつもむさ苦しい格好をしているわけにもいかなくなって」
「へえ、そのひとに付き合ってもらえば、趣味もききながら」
「急にかわった方が楽しいじゃない。それと近藤君の彼女はなんだかんだエレガントなひとだから、目も肥えているでしょう」

「あれは、仕事用ですよ。ぼくなんか、こんな無頓着な格好をしているし」と、自分の服を見下ろし、いつもと代わり映えしないTシャツとジーンズの姿をみた。その格好自体がユニフォームのようにも思えた。
「付き合いたくないの?」彼女はむきになったような表情で言った。
「そんなことないよ」と言って、それからは無言で歩いた。

 ある店の前まで着き、ぼくらはその店に入った。店員さんは洗練された服を着て、ぼくらの品定めを一瞬でしたかのような表情をしたが、ただの錯覚だったかもしれない。斉藤さんは勧められるままに何点かの服を胸の前にあて鏡を覗き込み、またそのいくつかを試着室の中で着替えた。やはり、女性は服装で変わるものだなと、当然のようにちょっとだけだが感動した。

 ぼくは視線をさまよわせながら、手持ち無沙汰でもうひとりの店員さんと話をしたりした。

「いつも、洋服を買いに来るのに付き合ってあげるの?」
「あれ、大学の友達ですよ」
「じゃあ、彼女とかはべつにいるんだ?」
「まあ」ぼくは曖昧に返事をした。すると、店員さん同士がこそこそと話し出した。「そう、あのひと」とまた先程の店員さんが独り言のように言った。ぼくらは小さな町の住人なのだ。

「これにすることにした」と言って、斉藤さんが試着室から出てきて言った。丁寧に袋にしまわれ、彼女はそれを手にして、また以前のいつもの服に戻り、お金をはらった。あのバイト代がこのように華やかに変われば、それは本望だったのかもしれない。

 ぼくは疲れてビールを飲みたい気分だったので、彼女に一杯だけ付き合ってもらって、身体のなかにいれた。やはり、女性との買い物というものは意外と疲労を伴うものなのだろう、と実感した。斉藤さんがあれこれ迷わない人間の部類だったとしてもだ。

「付き合ってもらって、ありがとう。なんかこういうことって、女の子の友達にも頼み辛いじゃない?」それに同意するかの判断にぼくは困っていた。本当だろうか?
「全然、普通に店員さんとかと話していて楽しかったし」
「そう」といってビールは片付き、ぼくらは店を出た。彼女は直ぐに洋服がはいった袋を忘れてしまい、ぼくはそれを手にして外に出て、彼女に渡した。ぼくはそれからひとりで家までの道をゆっくりと歩き、夏前の緑の放つ香りを楽しく嗅いでいた。そこでひとりの少年に会った。彼は空き地でサッカーボールを足で自由に扱っていた。

「なんだ、近藤さん、ここにいたのか。練習に来てくれなかったんで」
「別の大切な用事があったんだよ。その代わりに別のコーチもきてくれただろう?」ぼくは、高校時代の友人に代理を頼んでいた。彼は、もうすでにひとりの子の父にもなっていた。「彼、うまかっただろう」
「そうだけど、近藤さんも来てくれなくちゃ」
「あまり、遅くならずに家に帰らなきゃね」
「分かってますけど、もう少しだけ」

 ぼくは、また家まで歩く。斉藤さんの服装のことを考え、その購入した店の雰囲気を頭に浮かべ、同じような店で働く雪代のことを想像した。サッカーの練習に明け暮れる少年はぼくの名前を知っており、急遽代理を頼んだ友人のことを思い浮かべた。家に着いたら、彼に電話をしようと考え、また歩を進めた。

拒絶の歴史(79)

2010年06月19日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(79)

 雪代から第一陣の荷物が届き、ぼくはそれを宅配業者から受け取り、代わりに判子を押した。ぼくはそれを翌日、大学に通う前に担いで、倉庫にしまってからいつもの通学路に戻った。この後、何回かこの作業を繰り返せば、雪代の理想の店舗のイメージに着実に近付いていくのだろう。

 段々と会社が軌道に乗り、その分大きくなっていく過程で人手が足りなくなっていった上田さんの父の会社は、従業員も増やしていったが、臨時で誰かを雇う必要もあった。

「誰か優秀な子を知らないかね?」と彼はぼくに先日のこと投げかけた。ぼくは探してみると答え、何人かに声をかけた。

「こういう話があるんだ、斉藤さん。会計のこまごまとした整理をしたり、図面とかもひくのかな?」

 定期的に働く必要もない彼女は、即答はしなかったが、ある週末を利用して、ぼくとふたりでそこでバイトをした。引き出しや段ボールには未整理の書類やら、請求書の原案やら契約書の閉じられていないものがぞくぞくと出てきた。ぼくらは、それを手際よく分類し、ファイルにしたり、書類をつくったり、できたものを封筒に入れて誰かの確認を待つだけの状態にした。

 建築とは実際に関係ない仕事だったが、その裏面に入らないことには、何事も見えてこないものがあるのだろう。それは、雪代の洋服を並べたお店も同じことかもしれない。忙しくなれば従業員も雇わなければならないし、会計や税金の計算の話もでてくるのだろう。父の電気屋でもそうした問題があり、ある時期がくるといつもバタバタしていた。それを遠めに見ながらも自分も影響を受けていたのだろう。

 昼は豪華な弁当が用意され、また午後も同じようなテンポで働いた。ぼくらは最小限でしか無駄口をたたかなかった。少し休憩を挟めばコーヒーや菓子が準備されていて、6時過ぎまで働いた。普段使わない筋肉が痛み、なれないためか肩も凝った。目もしばしばした。それでも、なにごとかの達成感が自分にまとわりつく子どものように付きまとっていた。

「次の日も同じ感じで頼むよ」と上田さんの父が言った。「また、あそこ行こうよ。君も飲めるんだろう?」と斉藤さんに向かって言った。彼女は、「大丈夫です」とだけ答えた。

 ぼくらは、初夏のような陽気のなかで暮れていく町並みを歩いた。店内はいつも落ち着いていて年上のきれいな女性が手際よくビールを運んだり、料理をだしてくれた。皿の上には、それにちょうど合っただけの分量の料理がのっていた。それを多少は、物足りないと思っていた若い胃袋を持っていた自分だったが、斉藤さんは感嘆していた。そして、その女性となにやら数語言葉を交わしていた。

 ぼくは冷たいビールを飲み干した。疲れた肩や目がほぐされていくような感覚があった。ぼくらは大学の授業のことを話したりもしたが、大体は上田さんが仕事の話をしてその場をしきっていた。ぼくらは目に見えない仕事の難しさや、それを乗り越えた喜びなどをいくらかだが理解する。このような場面に出会えることには、ぼくらの町がそもそも小さなものだったし、またぼくや息子のラグビーを応援してくれ、頑張りを見届けてくれた彼の存在が大きかった。大都会で、自分の力の未熟さを常に感じることが多かったならば、また違った存在に自分もなったのだろうと思った。その都会で雪代は暮らし、またそれも自分の実現すべき目標があるゆえだった。

「明日もはやくから頑張ってもらわないと困るので」と言って、上田さんの父は席を立った。会計を済ませ、ひとりで店をふらっと出てしまった。ぼくは、斉藤さんとまだ座っていて、残された料理を平らげていた。店はもう誰もおらず、店主である女性とつかの間だが楽しく歓談した。

「近藤くんの学校ラグビー強くなったよね。近藤君が頑張ったからでしょう?」
「彼は、そのことを訊かれるのが嫌いなのよ」と斉藤さんが言った。
「そうなの? ごめんね」
「嫌いでもないですけど、自分にチャンスを掴む能力が欠けていたのかがずっと心残りでもあるし・・・」うまくその気持ちを言えない自分をもどかしく感じていた。
「でも、まだまだこれからだし」と言って、その女性はにっこりと笑った。

拒絶の歴史(78)

2010年06月18日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(78)

 大学生活に戻るため東京を去った。そこでしか買えない本を購入し、それを長い電車内の慰みとした。ぼくらの地元では絶対的な数量がなにごとも足りず、趣味の範囲から漏れたものは、都会で買うしか方法がなかった。

 長い道中を終え、慣れ親しんだアパートに戻り、荷物を解いた。その後、上田さんの父に電話をかけ、週末に時間を作ってもらう約束をした。彼は、いつも行く居酒屋にぼくを誘い、我が子のように接してくれるはずだった。

「用件というのは?」せっかちである彼は遠回りというものを知らなかった。直ぐに問題点を見つけ、解決策を提示する。ぼくは、雪代に言われたことを要約し、簡単に説明した。彼はビールを飲み干し、その間に考えたのであろう言葉を発した。「あの美人といううわさの子だね?」
「そうです。丁度お店に陳列できるぐらいのものが入ればいいんです」
 上田さんの父はそのことには触れず、「智美ちゃんみたいな子のほうが愛嬌があって可愛いけどね」と自分の息子のガールフレンドのことを持ち出した。その子とはぼくも幼馴染みでもあったため知っていたが、彼の言い分も充分過ぎるほど理解できた。だからといって、ぼくは自分の気持ちを大切にすることを忘れなかった。

「まあ、それは抜きにしてそれぐらいなら用意するよ。近藤君からお金をもらうのはあまり良い気分ではないけど、ここはビジネスに徹して・・・」と言ってあれこれ算段したような表情を浮かべ、氷の入ったグラスを口に運んだ。

 それでも、その値段はあまりにも破格だった。しかし、彼の会社がいま建てている駅前のビルのテナントに、その店をいれるのはどうだろうかと、逆に提案された。その内容に対して即答できない自分は、家賃なり更新料などを聞いてメモし、それを雪代に伝える約束をした。

 その話が終われば、仮の父と息子のようにくつろいでお酒を飲んだ。最後には、簡単に書類にサインをするために会社に来て、その際に倉庫の鍵を渡すよ、と言われて別れた。人間関係の機微を感じ、楽しい一夜になった。「いろいろと手助けしてもらいたいこともあり、そこはギブ&テイクで」と慣れない横文字を上田さんの父は途中で使った。ぼくも上田さんからたくさんの恩恵をもらっていたので、それぐらいは手伝うつもりだったし、その覚悟もできていた。

 家に帰り、雪代に電話で報告した。「荷物はでき次第送ってもらっていいよ」と言い、さらに上田さんの父から提案されたことも彼女に告げた。具体的な店のイメージはまだ彼女の頭に完成されていなかったのか、それを思案している空白があった。しかし、「考えてみるね」と言い残し、電話を終えた。逆にぼくのイメージの中ではあの建築された間近のビルに彼女が立っている姿を容易に想像できた。また、そこからそう遠くないほころび始めた商店街のスポーツショップにいるぼくや店長の姿も実際のぬくもりとして実感できた。ぼくは、あの町並みも愛していたのだろう。

 数日たって上田建築という会社に行った。ぼくは前身でもあった材木を運ぶ会社に出入りしていたのでそこの事務員とも親しい関係が築けていた。彼らは社長の息子の友人ということでぼくに対していつも甘い応対をしてくれた。

「美人さんのために頑張る近藤くん」とあるひとりは言った。ぼくが行おうとしていることは彼女らにも筒抜けだった。ぼくは直ぐに鍵を受け取ることも出来ず、出された紅茶などを飲みながらしばし歓談した。「坊ちゃんももっとこっちに来てくれると嬉しいんだけどね」と言って会社の仕事と一線を置いている上田さんのことを少しだけなじった。だが、そのこと自体彼らの間に愛情が発酵されていることの証拠だった。

 結局、上田さんの父は突発的な仕事で現れず、まあ常に突発的な事柄で彼の生活は成り立っているわけだが、あらかじめ用意されていた書類が事務員さんの手によってうやうやしく引出しから取り出された。ぼくはそこにサインをして、書類の写しを受け取った。

「今度、その子もここに来てくれるといいんだけどな」と彼女らは自分で接したことでしか判断しないという確かな証拠や絆を求めたい性分の持ち主のようだった。

「どうですかね?」と言ってぼくは事務所のドアを開け、すがすがしい外気に触れるため外に出た。それから、鍵を持ってその場所まで歩いていって、中を確かめてみるためそこを開けた。当然のことだが中味は空っぽで、これから積まれていく荷物のことを想像した。これから彼女の夢の扉は開かれていくのであり、それと反対に自分の未来がまだまっさらである事実にも至った。そろそろ、土台としてのなにかを見つけないことには、自分の未来がただぼんやりと過ぎてしまうような不安も感じた。だが、そのまっさらなことを逆に考え、どうにでも変化できることを楽しもうと思っている。

 また鍵を閉め、そこをあとにする。上田さんの父の好意に感謝をし、その夜に彼に電話をかけてそのことを告げた。彼はいつものように照れくさそうに反応し、「また、あの店付き合えよ」と言って会話を締めくくった。

拒絶の歴史(77)

2010年06月17日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(77)

 5月の連休を利用してまた東京に向かった。雪代もその期間には仕事がなかった。
 5月の東京は、ぼくが住んでいるところより、日差しがもっとギラギラしているような感じがした。それは、ビルの反射する光の多量さかもしれず、また人々の放つエネルギーのせいかもしれなかった。

 ぼくは何度か行っている雪代の家に向かった。最寄りの駅からそこの途中の町並みを歩いていると不思議な懐かしさも感じる。彼女がここにいるだけで、ぼくにとっては馴染みの町になるのかもしれない。歩いていて目に留まったそばの公衆電話に入り、雪代の家に電話をかけた。

「着いたよ。あと10分ぐらいでそっちに着けると思うよ」
「分かった。家の前で待っているよ」
「いいよ、そこまでしなくても。何か必要なものある?」と、たずねた。彼女はなにか料理の調味料を言った気がする。ぼくは、ちょっと遠回りしてスーパーに寄った。ぼくらの町より品数も多く、買いに来ている人も洗練されているような様子だった。

 雪代は、一階の玄関ロビーの前まで出て来ていた。誰かを待っている無防備さが彼女のまわりに漂っていた。ぼくは手を振り、彼女もそれに答えて手を振った。結わいた髪の毛がそれに合わせて揺れた。ぼくは視線を逸らさずに彼女の前まで歩いていった。

「疲れた?」
「ぜんぜん。期待も大きかったから」
 5月の空気とひかりは彼女に存分に振りそそぎ、自然の照明となって彼女を照らしていた。彼女はぼくのバックを奪い取り部屋に向かった。なぜ、雪代はぼくのような存在を大切に思ってくれているのだろう? といういつもの疑問がぼくの脳裏をよぎる。部屋に入り、ぼくらは通常の営みのように抱き合った。ぼくの身体は彼女の寸法を覚えていて、しっくりと凹凸の部分がなくなった。彼女のつぶった目のまつげはそれだけで芸術作品のように美しかった。ぼくに視線を向けないときでも、それはぼくを感動させていたのだ。

 それから、ぼくらは簡単に食事を済ませ、渋谷に出掛けた。ぼくは服を何点か買い、彼女も同じようにした。このごろの彼女は自分のために洋服を用意するスタイリストや、実際に足を向ける店の人などとも懇意になり、こまごまとしたものを買い貯めていた。

「そっちにひとつ倉庫を借りてくれない? ひろし君」と、彼女は言った。「実際にお店を借りるときまで、いろいろと買ったものを用意しておきたいから」

「分かった」と言って、ぼくはいろいろと思案した。上田さんの父親に頼めば、ひとつぐらいは簡単に借りられるだろうと考えた。それは帰ってから頼むことにしよう。このように彼女は自分の未来を計画し、実際的な形に移し変えていた。「本気で実現させる気なんだね?」

「疑っていたの?」と、言って彼女は笑った。ぼくが、そのことを応援していることを充分に知った上での言葉だった。「そんなことないんだよね?」

「もちろん、ぼくだって早くあそこに帰ってきて欲しいと思ってるよ」
 ぼくらは手をつなぎ渋谷の周辺を見て歩いた。そうしていられるのも数日の間だけでもあったが、そのつかの間の瞬間をぼくらは楽しんでいた。しかし、時間の観念がゆっくりと流れている若者の時間は、それをあまり貴重なものだとも感じていなかったのかもしれない。

 その後、ビールを買い込み緑豊かな代々木の公園に入った。ぼくは、初めて来たがそこは落ち着ける場所だった。

「ここ、あのラグビーをした後に会った公園に似ていると思わない?」
 ぼくらは自然と過去を振り返ることをあまりしなかった。そこには別の女性が入り込んでしまう要素があって、彼女にも別の男性がいた。ぼくは、周りを見渡し、全体的に似ているなと感じていたが、相違点も当然だが同時に考えそれぞれを区別していた。それは雰囲気が違うということだけではなく、ぼくと彼女の関係性が変わったことが大きく関与しているのかもしれない。ぼくは、あの頃ただ雪代のことを一方的にあこがれていただけの無力な人間だった。しかし、いまでは彼女の微笑みを見ることができ、こうして暖かな手のひらも感じることが出来た。そのように自分の思いを数年前に戻していると、年月の過ぎ行く速さと、結果的に良い方向に転がった自分の生活のことを考えた。それだけではなく、会うこともなくなった人々の犠牲の上でそれは成り立っているのかもしれないということも同時に考えていた。

拒絶の歴史(76)

2010年06月12日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(76)

 また、講義を受け、その受けなくても良い時間が途中にあれば図書館で勉強をしている。静かに誰もが視線を落とし、ときには空中に視線をさまよわせ、また鉛筆でなにかを書き込んでいく。多くのひとのなかで自分もそのようなことをしている。いま、振り返ればあのような時間はとても貴重な時間であったということを知っている。その当時、知っていたかどうかはもう思い出せないが。

 そのような作業に疲れれば喫茶室や食堂で斉藤さんと談笑し冷たい飲み物を飲んでいる。
「会社員の彼氏とはどう?」と、ぼくは決まって訊かないわけにはいかなかった。楽しい答えのときもあるし、つめたい受け答えのときもあった。相手は、女性なのだ、ということを考えずにいられない。

「そういう自分はどうなのよ」ぼくは、自分の相手が大人であり、その許容量の大きさに甘えていたのか、それとも、そのような事実はまったくないとでも感じ取っていたのか、喧嘩などはあまり考えられなかった。そのようなことを言葉で説明し、彼女の答えをまったが、ただ「ふうん」という風に流れてしまうような返事があっただけだった。

 また、図書室に入ったり、眠気を感じながら授業を聞いていたりした。窓のそとは快晴で、そこに出られない自分を憂鬱に感じ、その反面どうしようもない睡魔と格闘している。たまには負けたりときには、それは突然どこかに消えたりした。そういうリズムに合わせていると、自分はなにも学ぶ気力がないのではないかという不安とも絶望とも呼べる感情がぼくのどこかから引っ張り出されてきた。

 しかし、それも終えればいつものようにバイト先のスポーツショップに寄った。そこはぼくがいるべき場所になりつつあり、具現化された世界でもあったのだ。まあ、少し大げさだが。

「大学って、やはり行くと楽しい場所なのだろうかね?」と店長は訊く。彼は、それを経験していなかったらしい。それで疑問は疑問として正確な立場を取っている。だが、その答えが欲しいのかは分からなかった。

「どうしたんですか、急に?」
「いやあ、近藤君を見ていると楽しそうだなと思えるし」彼は、しばしばぼくの呼び方を変えた。このバージョンは尊敬が含まれたときの呼び方だったのだ。

「まあ、どうなんでしょう」と、あいまいな返事しかできなかった。自分が進行形で行っていることの判断というのは難しいものだった。過去のラグビーをしていたときの楽しさや辛さをいま以上、自分が知ってはいなかったという事実と照らし合わせても。

 ここでも、お客さんの対応をドリブルのようにうまくやりすごし、ラグビーのトライのように購入させた。袋には彼らが買い求めたものが入れられ、店から出るその背中に大声で声をかけた。店長はどこかの学校に春がはじまった運動部の備品を納入しに行き、不在だった。店長の奥さんは幼稚園から自分の子どもを連れて帰ってきた。その子とも段々と懇意になり、彼女は、ぼくを、

「ひろしくん」と呼んだ。偶然にもその子の公園での遊び仲間にはぼくの高校生時代の友人の息子もいた。彼らは思いがけない妊娠をして、途中で学校を辞めた。サッカーの優秀な選手でもあったので、それはもったいない感じだったがひとつの命の引き換えの代償としては、それはどうしようもないことだったのだろう。彼は当然のように息子にサッカーをさせたがり、ぼくのスポーツショップにも寄った。そこで、ぼくらの交友は再会し暇な時間があれば話すようにもなった。彼は、息子と奥さんを連れ、ぼくがサッカーを教えているグラウンドにも来るようになった。

「もっと大きくなったら息子も入れたいな」と、いつも彼は言った。ぼくは、自分が教える能力よりも彼の潜在的な持っている力を信じていた。それで、「いまのうちから、自分で教えることもできるじゃん」ともぼくは言った。

「なんていってもチームワークを学ぶ大切さをおしえなきゃ」と彼は言った。途中で集団からはみでた人間にとっては、それは痛いほど分かる気持ちなのだろう。ぼくは、やはりその経験を通して、子どもたちへの接し方や、親が持っている愛情を理解する一端になっていったのだと思う。しかし、完璧でもない自分は、それで誰かの息子や娘である人間をまったく傷つけないわけにもいかない。また、数年でも社会でも揉まれ、それで得た金銭で妻子を養っていく過程を日々行っている彼を、どこかで羨ましくまたどこまでも尊敬していったのだろう。

拒絶の歴史(75)

2010年06月10日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(75)

 何度味わっても春というものは楽しい季節である。

 子供たちのサッカー・リーグが始まり、ぼくも試合に同行している。熱心に毎回応援に来る親がいて、たまには祖父母や兄弟、また中にはませた子もいて、小さなガールフレンドが友達を連れて、ある男の子を夢中で応援していた。ぼくは春の日差しの下で、半分は本気で、半分は遊びの感覚でその試合を眺めている。真剣勝負しかしなかった自分は、やはりスポーツにたいしていびつな感情をもっていた。誰かを徹底的につぶさないことには、ぼくは勝ち残れなかった。それより、幼少期は身体を動かす楽しみを知り、健康に暮らせればそれで良かった。それゆえに、ぼくは自分が実際に動いた昔みたいには燃えなかったし、彼らにもあの気持ちを要求することはできなかった。簡単にいえば、挫折の気持ちが大きかったせいかもしれない。

 それでも、誰かがゴールを決めれば本人と同じように喜んだし、失点をしてしまえば自分の傷のようにこころが痛んだ。だが、彼らもそうした感情を繰り返すことによって大人への準備ができていくのだとも思う。いつも勝てるわけでもないし、毎回負けるわけでもなかった。自分より能力のある人間を目標にし、自分が持っていないものを所有している他者を見習うようにもなっていく。

 その日は、2対2で引き分けた。何回かはゴール・キーパーがボールをゴールに入れさせないために見事にはじき、何度かは簡単なパスの連携をしくじった。そして、試合が終わればそれぞれの家族や小さなガールフレンドのもとに走っていった。ぼくは、過去の自分の残影をそこに見ることになる。自分で頑張れば良いだけではなく、そこには誰かの視線へのお返しも含まれていく。

 それから、ぼくはコーチとビールを飲みに行くことになる。その日は、彼の交際相手もいた。ぼくらは自然と打ち解け合い、いっしょにいてくつろいだ気持ちになれた。
「今日の試合どうだった?」と、コーチが訊いた。
「そこそこ攻撃もまとまって、あの子も身体を入れて守れるようになったし・・・」
「両親たちはお前にももっと本気で応援してもらいたいらしいよ」
「そう見えてしまうんですよね」ぼくは、自分の熱の低下を責められるのを仕方がないことだと感じていた。だが、これ以上自分のスタンスを変える必要も感じられないでいた。「ぼくが、ラグビーをやってきたときのあの気持ちを誰かに期待できないことは理解できますかね?」

「それは、分かるよ。だけど絶叫しろと言っているわけでもないんだよ」
 ぼくは、ビールを飲み干した。誰かに期待をかけて、自分の周りにも、それが関係者ならとくに要求するのは自然なことだったかもしれない。ぼくも、自分の後輩たちにはよくそうした。しかし、未完成な身体やこころにそれを要求するのは酷な気がした。しかし、言葉では、「もう少し先頭に立って応援してみます」とだけ言った。

「それなら、良かった。全体的に二人で教えてるときの割り振りもうまくいっていることだし、お前以外を探すのもまた嫌だしな」

 また新しいグラスや料理が運ばれてきた。雰囲気を変えるためか、コーチの恋人は、いろいろなことを質問しだした。彼女はサッカーについてそう熱心なわけでもない。スポーツ全般に対してもそうだったが。それで、会社の仲間のことやテレビのドラマの話をした。雪代は普段そうした内容を話さないのでぼくは新鮮な感じを抱いた。そして、話がやんだり、自分が言いたいことを終えると、その代わりにおいしそうに料理を口に運んでいった。

 店を出てひとりになると少し肌寒かったが、それでも以前の冬の風に比べればそれは心地よいものに違いがなかった。家までの道を歩きながら少し頭が冷えていくと、人間関係のわずらわしさを少し感じた。彼らの息子はそこにいるだけで彼らの英雄なのかもしれないが、そこまで歴史に名前を残す存在にはならないかもしれない。自分の子供でも生まれればまた気持ちは変わったかもしれないが、その当時の自分にはそこが限界点だったかもしれない。

 しかし、ぼくは練習でも親身に接し、与えられるすべてを教えていたと思う。しかし、日曜に応援する親たちはそこでのぼくだけを判断した。彼らの考えも間違っていなければ、ぼくの態度もそう改める必要のないほど誤ったものではなかったかもしれない。だが、もうちょっと冷静になって考えようと、いまのもやもやとした気持ちを保留のままどこかに預けた。家に着くと、留守電の明かりが点滅していた。雪代からだったので、ぼくはそのまま電話をかけ直した。直ぐに彼女は出た。ぼくになにか異変とかしっくりしない気持ちがあると、彼女はいつも察するのか電話をかけてきた。

拒絶の歴史(74)

2010年06月08日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(74)

 雪代が地元を去ってから一年が経っている。ぼくは大学の3年になり、今後の生活をよりいっそう考えるようになった。足がかりになるものをそろそろ作らなければならなかった。順調に行けば、雪代の東京での生活も半分を過ぎ、折り返しになった。それが思い通りに行くかは分からなかったが、離れている期間も耐え難くなってきていた。

 妹はその後、徐々にだが雪代の名前を口にするようになり、新たな関係を構築する時期に入ったのだろう。直ぐに改善されるようなものは何もないが、そのきっかけでも出来れば、自分としては充分だった。

 このような日々があり、授業もまじめに受け、その後のバイトも自分を出し惜しみせずに行った。その評価としてバイト代がちょっとだけ上がった。

「少なくて悪いな」と、店長は言った。

「そんなことないですよ。仕事以外の面でもいろいろ楽しいこともありますし」とぼくは返事をした。そこで、ぼくは多くの身体を動かすことの好きなひとびとと会うことが出来た。たくさんの用具があり、陳列されているのを見るたびに幸福な気持ちになれた。店長の仕入れの方法も的確だったので、ずっと埃をかぶってしまいつづける商品もあまりなかったし、もちろん大都会でもないので注文を受け、取り寄せるものも間々あった。だが、総じてカラフルな靴や、用具がところ狭しと並べられているその店内にいることが好きだった。

 母校のラグビー部の後輩たちも来たが、もうぼくが直接に知っている顔はなかった。だが、彼らは一方的にぼくに好意を持ち、親しくなるといろいろなことを質問するようになった。直接知らない分だけ、ぼくは逆に気楽な気持ちになって接することができた。もうぼくの時代より能力の優秀な人材を集められるようになったが、彼らはノスタルジックな気持ちなのだろうが、ぼくらの負けた試合のいくつかを感傷的に聞きたがっていた。それで、話すこともあったが多くの場合は過去の栄光など自分は捨ててしまったと考え話さなかった。しかし、失敗の数々はいまも自分の体内にしこりのように残っていた。

 また当然のように彼らは東京でモデルをしている女性のことを訊きたがった。しかし、それには答えず、ただ自分らも能力を発揮して、ひとの注意や関心を惹けるような存在になってくれ、とすすめることしか出来なかった。彼らは不服だったかもしれないが、そんな高校生の頭の中に雪代の存在を入れることに自分は興味がなかった。ただ、自分で手探りで方法を見つけるしか彼らの楽しい未来は訪れないのだろう。

 こうしたことが金銭面以外のバイトのメリットだった。ぼくが働いている店に自分を慕う何人かがいるということが、自分をある面では落ち着かせていた。誰しも自分の居場所が必要であるように。しかし、過去から連綿と流れる自分の歴史がすべてここにあるという狭い感覚も自分に与えた。だが、大学を卒業すれば自分にもまた新たなページが開かれるという希望ももっていた。その間は、自分はここで温まっている積もりだった。

 妹も家の電気屋の近くの酒屋でバイトを始めた。そこの店主はぼくらが子供のころから知っていた。それで、彼のところであればということでうちの父が頼んだらしい。結局のところ人と接することにぼくらは子供のころから自然と馴れていったのだろう。たまに店番もしたし、ぼくは大人になるにつれ配達を手伝った。小さな町だったのでぼくの顔は意識もせずに知られていった。妹も愛想の良いほうだったので、難なくこなしていくだろう。

 小遣いが増えれば多少の自由が手に入った。それをどう生かすかは教育が施されるわけでもないので、自分らで考えるしかなかった。ぼくらは何を目指せと親に押し付けられることもなかったので選択は自由だったが、失敗も成功もそれゆえに自分自身に多くを負っていた。それで、困ったことになったとしても、もちろん自分の責任だった。

 ぼくは、あるとき親が望んだような息子像を捨ててしまったように感じる。それは雪代という存在が大きく関係していた。ぼくにとっては最善の選択が、彼らにとってはそうではなかったのかもしれない。しかし、それでも自分の人生はそれなりに進んでいた。

 バイトも終わり、いつものように外で歌っているシンガーを見た。ラグビー部の後輩たちもまだ残っていたので彼らにジュースを一本ずつおごった。それを渡すと喜んで彼らは飲んだ。ぼくも上田さんによくそうしてもらったのを思い出している。

 歌は感傷的なものになっている。彼はいつまでこの土地にとどまっているのだろう、とぼくは考えている。羽ばたくときを決めるタイミングをその歌手は知っているのだろうか、それとも、それを躊躇しているのだろうか。ぼくは、考えながらその場を立ち去った。

拒絶の歴史(73)

2010年06月06日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(73)

 妹が大学に受かり、なにかをプレゼントしたいのだけど、なにがいいかねと雪代と電話で話している。

「それなら、普段使えるようなバックを探してあげる」と彼女が言った。ぼくはそれで迷っていた荷を彼女に預け、軽くなったような気持ちをもった。「今度、戻るときまでに見つけておくね」と言って電話を終えた。ぼくは、それがどのような形状のものかを想像し、次に色のことを考えた。彼女が探すものだからまずくないものなのは理解できたが、それまでに妹と面と向かって会ったことはなかったので、それが似合うかどうかは少し不安だった。

 何日か経って、雪代は戻ってきた。その間にも妹から何度か催促されていたので、少しでも早く渡してしまいたかった。ぼくは、予定を作り、妹と会うことにした。当然、そこには行かないと雪代は考えていたが、せっかくなので彼女を誘った。もう、彼女の存在を無視してよい時期は過ぎたのだと思っている。ぼくは、妹とも親しくなった以前のガールフレンドとの縁が切れたために、その関係を壊した要因になった雪代のことを好きになれないらしい感情は理解できた。しかし、それはもう昔のことなのだ。覆すことのできない歴史の一部であるという風に定め、もう過去に捨ててしまおうと考えている。

「行ってもいいの?」
「もちろん、雪代が選んだものだよと言うから」
 ぼくらは支度し、待ち合わせの喫茶店に向かった。よく行く素敵なピアノがいつもかかっている店だった。その日、店の主はビル・エバンスをかけている。思いもよらないときに聴く彼の演奏はシンプルでありなおかつ装飾もあって、さまざまな思いを導き出してくれた。

 妹はまだ来ていなかった。ぼくは店主の子どもの野球についていくつか質問し、彼は丁寧にそれに答えた。そうしていると妹が入って来た。彼女はぼくがひとりだと思っていたらしく、少し動揺した表情をした。しかし、いまさら後戻りできないことに気づいたようにぼくの前まで歩を進めた。

「なに、飲む?」とぼくは訊いた。
「アイス・レモンティー」と彼女は答える。ぼくは、雪代の顔と妹のそれを交互に眺め、雪代を紹介した。「はじめまして」と妹は言い、自分の名前を告げた。それからバックを手渡し、
「彼女が東京から持ってきてくれた」とぼくは言った。妹は感謝の言葉を述べ、それでもいくらか腑に落ちない表情をしていた。「彼女のことは知っているだろう?」
「美容院のポスターを見てます」
「わたしのことはともかく、お兄ちゃんの選択したことを許してあげてね」と雪代が口を開いた。
「そんなことを言わなくていいよ」とぼくは彼女を制した。
「憎んでなんかいません。お兄ちゃんが変わってしまうようでみんな怖かったんだと思います」
「じゃあ、もう平気なんだ?」とぼくは訊ねる。
「前のひとのこと、わたし好きだったから」

 ぼくらは沈黙する。そして沈黙のようなビル・エバンスのソロ・ピアノが流れている。店主は耳をふさごうとしているようだった。少し話したあと妹は予定があると言って、先に帰った。最後に雪代は、「大学生活を思う存分楽しんでね」と言った。

 ぼくらは店に残っている。音楽は華やいだものに変わった。インテリジェンスよりリズムだと主張する音楽だった。その軽薄さをそのときのぼくは愛し、また和んでもいた。同時に妹は父や母に彼女のことをどう伝えるのだろうと考えている。

「可愛い子だったね」ぼくは耳を音楽から彼女の言葉に切り替えた。
 外に出ると春を予感させるような暖かい日射しがあった。
「辛くなかった?」
「大丈夫よ、あれくらい。でも、ひろし君の方がいままで嫌だったでしょう?」

 ぼくは、どう答えたらよいか分からなかった。ただ、自分の過去に起こったことを順番に並べ、どこが間違いのもとか探し正そうとした。だが、それは誰にも決してできないことだった。ただ、雪代と深い関係になるタイミングの時期をずらせただろうかとも考えている。

「何かひとつ片付いたみたいでさっぱりとした」と彼女は言った。その彼女のいつもの大らかさが戻ってきたようで、ぼくは安心した。「お腹減った」と子どものように雪代は言った。そして、ぼくの腕に手を回し、きつく掴んだ。もうぼくは何も恐れないで暮らせると考えている。

拒絶の歴史(72)

2010年06月05日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(72)

 サッカー少年たちは正月にある高校生の全国大会を見て、自分たちにもあのような未来が訪れるものだと思っていた。ぼくは母校の出ているラグビーを同じように見ている。あそこに行けることを三年間の望みにしていたが、自分にその輝ける栄光は結局のところは来なかった。だが、いまではその状況を受け入れることが簡単になってきた。何かが足りなかったのだが、それにチャレンジした記憶だけは確かなものになっていた。そして、ぼくはいまだに交友のある友人たちを多くもてたことに感謝している。幼馴染みの女性は、ぼくの好きだった先輩と交際しており、妹はやはりぼくの信頼していた後輩と付き合っていた。愛されるべきものから守られるというその範疇から、自分はちょっと出てしまったような気もするが、それはもちろん自分が望んだものを手に入れることの結果だった。いまさらやり直しのきかない状況だったが、やり直したいとも思っていなかった。

 ぼくの県の高校のサッカーチームは勝ち進み、近くにある体育館でイベントがあり、大きなテレビを並べ観戦した。小さなサッカー少年たちに誘われ、ぼくもそこに出掛けた。ぼくは、そこである少年の姉のゆり江という子と思いがけなく再会することになった。最後に会ってから、3、4ヶ月は経っていたのだろう。あの頃はまだ少女のような外見であったが、いまは大人の女性になりつつあった。

「久しぶり。元気だった?」と、会わなかった人に自分はいつもこのように声をかけるなと冷静な判断をする自分がそこにいた。
「うん。いろいろありましたけど元気です」
 彼女は実際にほほもふっくらとして元気そうだった。その年代特有の溢れるエネルギーがぼくにも伝わって来た。

 その後は離れてサッカーの試合を観戦し、応援の声をあげた。前半にぼくらのチームは一点を取られ、いくらか落胆のムードが漂ったが、後半に2点を取り返し、結局のところ逆転でチームは勝った。応援する側としては、もっとも熱があがる試合だった。子どもたちも興奮し、これからまた練習に力がはいることが予想された。ぼくの母校のラグビーチームは先日に敗退し、もう帰ってきていた。その気持ちを払拭させるほど、この日のサッカーは良いゲームだった。

 外に出ると、ある子たちは既にドリブルをしてサッカーボールを転がしていた。ぼくはゆり江という子と話したかった。そして、目線で追った。彼女もそのタイミングを望んでいたのだろうか、お互い近付いていき、いっしょに歩き出した。

「元気だった?」と、ぼくは同じことを再び言った。
「この通りです。元気に見えません?」
「そんなことないけど、姿を見ていない期間があったので、どうしていたかなと思ってた」
「勉強をいっぱいしてました。近藤さんのことは弟からたまに聞いていて知ってました」
「そう、それなら良かった」
「ラグビー負けちゃいましたね。残念でしょう?」
「全国大会に出れたんだもん、充分だよ」ぼくは、いつもそのことにこだわっていた。その後は、会話が途切れ途切れだが続いた。その間も不安感はまったくなく安心して彼女といられた。ある大きな橋を渡っている途中、彼女はふと立ち止まった。

「わたしのことも、たまに思い出してくれます?」と懇願のような言葉を吐いた。
「思い出さないわけないじゃないか」と、ぼくは正直な気持ちを述べた。だからといって、雪代といる関係を壊す気もさらさらなかった。そのことで胸が少し痛んでいる。だが、こうしてぼくは彼女のその日の視線をいまだに思い出すことになっている。そして、そのときの胸の痛みもなんとなくだが思い出しているのだ。

 橋を渡り切り、ぼくらは左右に別れた。ぼくは振り返ると、彼女の揺れている髪が見えた。そして、その段々と小さくなっていく身体を見つめながら、どこか虚しい気持ちも抱いていた。そして、自分の身体の芯にある他者への冷たさをはっきりと思い知ったのだった。

 ぼくはあそこで勇気をだし、再び追いかけてなにか暖かい言葉を言えたのではないかと空想したり、そんなことをすれば雪代との関係にひびが入ることも知っていた。なので躊躇したのだ。自分の身体も思いもひとつきりである以上、あのときの自分の選択は、ああするしか方法がなかったのだ、と自分自身を納得させた。

拒絶の歴史(71)

2010年06月05日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(71)

 雪代はまた東京に去り、ぼくは大学の始まる前の時間を持て余していた。それでも、スポーツショップへバイトに行き、週ごとの休みになる子供たちにサッカーを教えていた。いまではもう教えるというよりいっしょに楽しむだけになっていた。彼らはぼくの存在をそのままに受け入れ、ラグビーに熱中していたことや、そこでぼくなりの挫折を味わったことなどは問題外でもあるようだった。彼らもいずれ多かれ少なかれ挫折を経験するのだ。その克服はそのときに習えばいいことだし、それは誰かが教えてくれるものでもなかった。夢をつくり、それを叶えることに向かって努力することを礼賛する社会だが、そのけじめとしての挫折から逃れることには誰もが目をつぶっていた。

 しかし、身体を動かしボールを追っていれば思考からは離れていられた。汗をながす効用をぼくは信じていた。子供たちの成長を誉め、欠点をなるだけ目立たないようにするよう励ました。ボールをひとりで持ちすぎる子がいて途中で奪われ、逆に守備で後ろに下がりすぎ攻撃を楽にさせてしまう子もいた。彼らには、ぼくともうひとりのコーチが実際に身体の使い方やガッツを教え、次の練習試合でできるよう見本をみせた。

 ひとの希望を育てることに喜びを感じていたが、こころでは過去にひとりの女性の将来を曲げてしまったことを覚え、その意識は徐々に膨らんでいった。彼女はそんな風には感じず、ぼくのことなどもう忘れていたかもしれないが、ぼくはその事実を捨てきれずにいた。もう会えない以上、それをどう確かめたらよいか自分自身で分からなかった。その罪の行方の落ち着き先を決められないため、いつまでもぼくのこころにそのことは残ってしまっていた。

 コーチと練習後、ビールを飲んでたまには練習方法の改善を話し合ったりした。だが、そのことばかりで頭は占められていたわけではなく、さまざまなことを話し合った。

 その日は、彼の恋人が時間が経ってから合流した。何度か会ったこともある仲だが気さくで話やすいひとであった。決して美人とはいえないような顔だが、笑ったり驚いたりすると表情がころころ変わり、とても人生を楽しんでいるようなタイプだった。それで、ぼくもその瞬間を居心地よく感じていた。

「離れていると淋しくない?」と彼女はぼくらの関係について尋ねる。
「もちろん、そう感じることが多いけど、彼女は二年しか東京にいないと言っているんだ」
「それで、戻ってくるの?」彼女は普通の女性のように身の回りのことに関心があった。ぼくは、雪代が常日頃言っていることをかいつまんで話した。そして、「わたしもそんな洋服屋さんができたら行ってみたいな」と雪代の計画の一部である洋服を売る店のことを話すと彼女は感嘆して答えた。ぼくはまだ想像に過ぎないその店の固定客を獲得するよう奮闘するセールスマンのように感じていた。酔った頭は、雪代がその店に立ち接客している姿を容易に想像できた。彼女は微笑み、きれいに磨かれた窓の外は快晴で、飾られた洋服はカラフルな花のような印象を作り出していた。

 それから何杯かの空のグラスがテーブルを占め、料理の皿はからになっていた。ぼくは何回かからかれ、何度か反対にからかった。それは、とても楽しい夜だった。
 お会計を済ませ、汚れたジャージが入った荷物を担ぎ、彼らと別れた。そのにぎやかな雰囲気が急に去ったことによって、ぼくはふと孤独感に包まれていくのであった。自分ながらそのことに驚いている。

「お休み。気をつけて、ひとりに耐えてね」と、彼女が別れ際に冗談っぽく言ったのが現実味を帯びてきた。誰かに無性に電話でもして会話をしたくなった。だが、ぼくの無意味な話をただ聞いてくれそうな人は見つからなかった。見つからない以上、ぼくは無言であれこれ考え事をした。サッカーの練習のこと。バイトのこと。勉強のこと。何人かの女性のことなどを。

 そうしていると直ぐに家に着いた。汚れたジャージをバックからだし、次の機会に着るために新しいものをタンスから出していると、電話がかかってきた。その相手は妹だった。不思議と彼女が電話をかけるタイミングに、いつも雪代はいなかった。彼女が大学の受験のために最終の追い込みをしていて、それに飽きたためか、それとも両親に頼まれぼくの様子を訊くためなのか分からなかったが、いろいろな話を交わした。

 ぼくは思いがけなく会話ができたことを喜んでもいいのか、それとも面倒なのか決めかねた態度で受話器を耳にしていた。彼女は最後に、
「大学に受かったらプレゼントをちょうだい」と言って電話を切った。ぼくは、あいまいな返事をしてさっきの作業を続けた。なにを妹は欲しがっているのか想像できなかった。ぼくは、ある女性が妹のいまと同じ時期にぼくから去ってしまったことを思い出している。2年という月日がひとをどう変えるのか、自分にはどう考えても分からなかった。

拒絶の歴史(70)

2010年06月03日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(70)

 年末にかけて雪代はインドネシアの島に写真を撮られに行った。なにかの洋服だかサングラスだか、それとも両方のための広告の写真らしい。その温暖な気候のため、春に向けての快適な生活の写真が撮られるのだろう。物は売れなければならないし、そのきっかけとして誰かの目に止まらなければならなかった。それで彼女は東京からそのまま行ったので、当分会うことも声を聞くこともできなかった。

 ぼくも大学の休みに入り、高校のラグビー時代の先輩のコネを使って北海道のスキー場で働くことになった。彼は高校卒業後、そこに就職していた。メリットにあまりならなかったのは自分がスキーをしなかったからだが、裏方で働く人手が足りなかったので、小遣い稼ぎのためそこに向かった。

 なにかを片付けたり、料理を並べたりこまごまとした仕事がいくらでもあった。ぼくは、体力が有り余っていた時代でもあり、それを何かで解消するのは楽しいことでもあった。2週間ほどの滞在でいくらかの金銭になり、夜は夜で先輩と楽しくお酒を飲んだり、部屋で仲間を呼んで騒いだり、将来のことを語り合ったりした。ぼくらには共通の気持ちが残っていて、直ぐにあの時代に戻れた。ひとつのボールを無心に追っかけていた時期がぼくら双方にあったのだ。それで、仕事以外にそうした交友を再び深めることによって、その機会はよりいっそう有意義なものになっていく。

 いつものように早目に起き、朝の料理の準備をしているのを手伝った。若い男女も何人かバイトに来ており、そのお陰なのだろうか裏方にも活気があった。お客で来る方がそれは楽しいだろうが、ぼくらもそれはそれで楽しかった。消費につかうお金があり、ぼくらは別の形で消費するためにお金を貯めた。

 一日一日はあっという間に過ぎ、ぼくは与えられた個室で文庫本を手にしたまま寝てしまうこともあった。やはり、いつもとは違う気の使い方をしていたのかもしれない。しかし、何日か経てば自然となれていき、自分のリズムが作られていった。自分のリズムを作ることをぼくは高校の3年間ですでに行ってきたのだ。

 馴れてくれば、今日は昨日の続きであり、明日は今日の繰り返しでもあった。だが、マンネリとは違い創意工夫も求められた。そして、仕事が終わった後、風呂に入り先輩の部屋でビールを飲んだ。

 短い日にちであったとしても、終わりに近づいてくれば淋しい気持ちになった。先輩はここで多くの時間を家族と離れた場所で過ごし、ひとりでやりくりしていた。だが、連休をもらいぼくが帰るときにいっしょに戻ることにした。ぼくのバックにはたたまれた服があり、いくつかの荷物が増え消耗品は言葉通りに消えていった。道中、話し相手がいるということは実際にしゃべらない時間があったとしても、安心感というものが違かった。
 ぼくらは最寄りの駅までいっしょに戻り、ぼくは自分のアパートに向かう。彼は思い出したかのように、

「そうか。実家には戻らないんだ?」と確かめた。
「そうです。今頃、彼女も戻ってきていると思います」
 彼は、彼女の以前の交際相手の名前を口にした。別の高校のスター選手でもあったそのひとのことを自分はもう考えることもなかったので、誰かの口からその名前が出たことに単純に驚いていた。嫉妬とも違い、また他の感情とも違うものだった。もうその二人を結びつけることができなかったのだろう。しかし、ぼくらはあの選手に悔しい思いも何度もさせられたので、ぼくらは彼の実体を消し去ることが不可能だったのだろう。

 家のそばまで行くと、部屋の照明がついていることが知れた。戸を開けると雪代がこちらに歩いてきた。彼女は緊張感のないリラックスした表情をしていた。
「どう? 良いとこだった?」と、ぼくは彼女のその表情を見てなにも考えずにそう口に出した。

「とっても。今度いっしょに行こう。で、北海道はどうだったの?」
「先輩がいたし、楽もできたし楽しかったよ」
「また、聞かせてね」と言って、ぼくの首に腕をまわした。それはいつもの彼女の温度とにおいだった。ぼくは荷物を分け、洗濯物を洗濯機に放り込んでシャワーを浴びた。濡れた身体をタオルで拭きながら部屋に入ると、シチューのような良いにおいがただよっていた。ガス台の前で彼女がなべの中をのぞき右手でかき回していた。そのうしろ姿が原始的な場所に行った所為なのか、太古から営み続けられた儀式のような印象を与えた。ぼくの視線に気付いたのだろう、雪代は振り返りなにかを問い尋ねたそうな顔をした。

「どうしたの? もう出来るよ。いろいろしてあげられなくてごめんね」
 と彼女は言ったが、その存在があるだけでぼくはただ幸福であったのだ。

拒絶の歴史(69)

2010年06月01日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(69)

 ぼくらはまだまだ未完成の学生でもあった。

 近くの場所に新しく作られる美術館のデザインの公募があった。ぼくらの教師はちょうど良い機会なので生徒全員に応募してみろ、と言った。それで、ぼくらは頭を悩ませ、いくつもの線を書いては消した。斬新なデザインが望まれており、実際に建築まで行けるか判断する際には、建築士が手を加えるそうである。

 その前に、小学生部門、中学生、高校生、大学生、有資格者という段階があった。若ければ若いほどファンタジーに傾き、大人になると空想の飛躍はなくなり実際的な形体になった。それをミックスして後世に残るものにするようだった。それぞれの段階でトップ3が決められ表彰される模様で、ぼくらは学んだ過程を計る機会として活用することにした。

 それで授業が終わり、バイトも片付けた後、ぼくは部屋にこもって線を引いた。外部の設計を考え、それに似合った内部のことも考えた。正解がなく、ただ無から作り出すクリエイトの力を試すことは、疲れると同時に爽快感もあった。だが、そればかりにこだわっていると夢の中でもそのことに追い回されている自分がいた。

 時間はいくらあっても足りなかったが締め切りがある以上、未完成なものでも仕方がなかった。言い訳でもあるがそれは事実であった。それを教師にいったん見せいくらかアドバイスをもらい、手直しに時間を費やした。そこは経験者の意見でもあったのだろうぼくらの問題はいくらか解決に向かった。

 生徒全員のものをまとめてその事務局まで送られた。送られてから、もうそのことは一切忘れてしまった。いつものようにバイトをして、いつものように休日にはサッカーの練習の相手をした。たまに上田先輩の父に呼ばれて、食事をおごってもらうこともあった。ぼくは遠く離れた彼の息子の代役でもあり、また材木を売ることから不動産に手を伸ばした彼の現状と、ぼくの大学生からの意見を交換することもその機会には含まれていた。企業は優秀な人材を確保することに必死になっていた時代であった。それは小さな会社であるならなお更だった。

 先日、上田さんの学園祭で会ったときの彼の現況をぼくは彼の父に報告した。父は芸術など形が不明瞭なことに息子が傾斜していることを不安がっていた。しかし、彼の写真や絵画を見た自分はその実力を誉めた。ぼくが誉めたからといって暖かな未来が待っているとも思えないが、そのことは父の表情からよりいっそう理解することができた。こうしてある人を起点に人間関係が膨らんでいった。ぼくは高校時代に体力を使って、山から木材を運ぶバイトをした。そのことはぼくの後輩にも引き継がれており、バイトができない練習の忙しいラグビー部のつかの間の金銭の取得の機会であり、その小さな穴から社会を見るチャンスでもあった。ぼくらはあまりにも運動に傾きがちで、世間というものを知らないで過ごしてしまう恐れがあった。先輩の家の仕事を手伝うことにより、そこは守られた範囲であったが、社会の成り立ちの最初のページが開かれた。

 ぼくは注がれるままにビールを飲み干し、息子への愛情と心配の言葉を同じように呑み込んだ。いくつかの問題は解決し、いくつかの問題はそのまま放って置かれた。
 ある日、もう忘れてしまった公募の結果が教師の口から告げられた。結果として、ぼくの友人でもあった斉藤という女性の仕事が大学生部門の第三位に選ばれた。賞状といくらかの賞金が彼女に与えられる予定だった。ぼくは幹事になり彼女のお祝いを企画した。ぼくは自分のことのように喜んでいたが、すべての人がそうではなかったと後で知ることになる。そこには嫉妬や羨望の気持ちがあったのだろう。

 ぼくは自分の作業にかけた数日が無になってしまうことを悲しいとは思わずに、むしろ潔く感じていた。いつもいつもそう簡単に認められる世の中ではないのだ。認められようが無視されようが、ぼくの可能性が直ぐに変わる訳でもなかった。ただ地道に実力がつくことを求めていた。

 ぼくは、ある店で乾杯の合図を叫んでいる。ビールは無数にあり何かのきっかけがあれば盛り上がることのできる年代なのだ。彼女は幸先の良いスタートを切ったが、これからの勉強を考えればそれが有利に働くのか、不利になるのかは誰にも分からなかった。ただ、彼女の発想の良さと問題に対する適用力があることは、確かに立派に証明できた。

 彼女は前に立って、自分の功績を恥ずかしがるような言葉を述べた。拍手や冷やかしの言葉があったが、その後その建物がどのように作られ、誰の仕事を推すのかは分からなかった。

 ぼくも前に出て最後の言葉を言いその会は終わった。結局のところ騒ぐことが与えられたことと、一致して学ぶことを教えられたようだった。だが、多くの仕事はひとりの時間が求められ、そこで右往左往する過程の結果なのだろう。

 ぼくは斉藤さんの荷物を担ぎ、彼女を途中まで送った。ビールの飲みすぎでか彼女の言葉は聞きづらかった。ぼくは暗くなった空き地に自分の創造した建物が建っていることをイメージしようとしたが、それはあまりにも非現実的に思えた。