ai
サルのように木にのぼり、ビワを食べている。どこかでこの果物はわざわざ買うものではないと思っていた。小学校のうらの家で。絶対に無断で取っていたことはばれていたはずだが、一度も注意されたことはない。どうせ落ちて無駄になるのなら、腕白な小学生の腹のなかにでも収まった方が良いとでも考えていたのだろうか。
それでも、食卓にも並ぶ。比率として種の大きい食べ物だった。このころには存在もしらないアボカドというのも、種の存在感は強かった。改良される世の中なのに、まだ手つかずにいる。
風邪を引いて寝ている。一人暮らしの部屋。あの部屋、好きだったなと初恋の女性を思い出すように甘美な印象しかない。更新もしないで引っ越してしまった。どちらも戻れない日々だった。
友だちの母親がイワシのつみれ汁を作ってくれる。好物のひとつだ。骨も一切なくなり、それでも感触としてはのこっている。前述の果物とは大違いである。忘れていたが、祖母のお手製のものも好きだった。あれが愛情の結晶のようにも思う。もうふたりに頼むこともできないだろう。帰れない日々である。
なめろうと落花生の国、と軽蔑感をにじませ、となりの県を馬鹿にする。埼玉の三郷という場所と千葉の松戸からの侵入を看視し、守っている地域だ。砦なのである。
美しい物語は、「手児奈」さんの悲劇と、「エロスとプシュケ」の邂逅の話に尽きると思っている。言い寄られるという恍惚感を実体験できない自分は、ハンサムなアイドルの容姿を仮にもっていたら、毎日、ナンパしに行くというつまらない発想しか浮かばない。じっとしていても来るものは来るのであった。断るというのが苦手な自分は、それも大変だろうな、とポケットで皮算用をしていた。もちろん、預金は空である。
市川というところで、ソロバンの試験を受けている。内弁慶であった自分は本領を発揮できずに合格から程遠い。実力のパ・リーグであった。
兄と弟はスイミングをして、ぼくはソロバンを習っている。この母の取捨選択はどこから来たのであろう。それで数字に拘泥する自分ができあがる。試験場であった大学の机は傾斜していた。その異なった感触と、周囲の雰囲気に完全にのまれている。アウェーということばを大人になって知る。また常連というものになっていることを好む面々も知っている。口を開かなくても一杯目の飲み物が目の前に出てくる。飽きっぽい自分は、そのお任せになじめず、反対に平気でいるひとのどっしり感に圧倒される。
そろばん塾では、優等生であった。生徒内でテストがあり、一位になったりもする。自分の名前は普通の読み方ではないので、いつも間違って呼ばれた。訂正する気もない。相手は権力者である。こういうことがずっとつづけば、真実というのは決してひとつとは限らないと頭のなかにインプットされる。大げさに考えすぎるきらいがあるが。家族も友人もあだ名で読んだ。ぼくは女性の名前を言うことをためらう。できれば、「ねえ」ぐらいでごまかす。相手は声の届く範囲のそばにいるのであった。
と書きながらも、ソロバンには常に真実はひとつしかなかった。正解がいくつも、無数にあったら採点もややこしい。哲学やそれぞれの宗教観とは別の類いのものだから。この二律背反の世界にいる。数字を取れば世界はきっちりとして、物語の結末はどうすることもできた。ツーアウトの裏の攻撃である。
しかし、自分が書いたものを時間が経って読み返すと、もうそこには自分の体臭がなかった。共有の財産、または債権になっている。それを他人事のように読む。結末をどうするか試行錯誤したはずなのに、もう成長した子どものしつけの失敗など、やり直すことはできないのだ。自由に泳げる少年時代は、もうぼくには訪れなかった。木の珠を前後に弾かせるしか、ぼくにはないのだ。
そのなつかしの大学の構内のプールサイドでジャズを聴いている。管楽器がいくつも並んで奏でる音はいつでも爽快である。野外であることはもっと魅力を増した。1プラス1以上のものがある。無限大だ。ソロバンを習っていた子が是認する話ではない。否定すべき現実である。しかし、事実は事実だ。
ここに来る前の電車内で、むかしの同級生に会った。きれいな女性であった。同じくぼくの同級生と結婚していた。子どもがふたりいる。誰々のママと普段は存在をあやふやなものとして呼ばれるらしいが、ぼくはいまだに旧姓で呼ぶ。それで訓練されたのだ。いまさら変更も利かない。
「同窓会で再会したときに、なんとなく、このひとと結婚すると分かった」と彼女は言う。ぼくは安堵する。未来は決まっているのだ。予感をバラの花びらのようにすすむ歩幅に合わせ、ばら撒いてみる。彼女には起こったのであり、ぼくは誤って踏んでしまった。そう望んでもいた。
音楽は終わる。落花生の国にいる。駅前で酒を飲む。灘の酒だった。ぼくは関西も知らない。いつか行かなくてはならないと考える。東京の外れで暮らした。暮らし過ぎた。この基準は果実の種のように自分の体内で大きく膨らんでいる。もう引き抜くことも、取り除くこともできない。世田谷辺りで医者の次男として生まれた自分を想像する。確実に未来は別のものになっていた。そこにもサルのようになれる木が植わっているのだろうか。そろばん塾もあったのだろうか。もう判別することもできない。何度もターンをしてしまった。このプールで。
サルのように木にのぼり、ビワを食べている。どこかでこの果物はわざわざ買うものではないと思っていた。小学校のうらの家で。絶対に無断で取っていたことはばれていたはずだが、一度も注意されたことはない。どうせ落ちて無駄になるのなら、腕白な小学生の腹のなかにでも収まった方が良いとでも考えていたのだろうか。
それでも、食卓にも並ぶ。比率として種の大きい食べ物だった。このころには存在もしらないアボカドというのも、種の存在感は強かった。改良される世の中なのに、まだ手つかずにいる。
風邪を引いて寝ている。一人暮らしの部屋。あの部屋、好きだったなと初恋の女性を思い出すように甘美な印象しかない。更新もしないで引っ越してしまった。どちらも戻れない日々だった。
友だちの母親がイワシのつみれ汁を作ってくれる。好物のひとつだ。骨も一切なくなり、それでも感触としてはのこっている。前述の果物とは大違いである。忘れていたが、祖母のお手製のものも好きだった。あれが愛情の結晶のようにも思う。もうふたりに頼むこともできないだろう。帰れない日々である。
なめろうと落花生の国、と軽蔑感をにじませ、となりの県を馬鹿にする。埼玉の三郷という場所と千葉の松戸からの侵入を看視し、守っている地域だ。砦なのである。
美しい物語は、「手児奈」さんの悲劇と、「エロスとプシュケ」の邂逅の話に尽きると思っている。言い寄られるという恍惚感を実体験できない自分は、ハンサムなアイドルの容姿を仮にもっていたら、毎日、ナンパしに行くというつまらない発想しか浮かばない。じっとしていても来るものは来るのであった。断るというのが苦手な自分は、それも大変だろうな、とポケットで皮算用をしていた。もちろん、預金は空である。
市川というところで、ソロバンの試験を受けている。内弁慶であった自分は本領を発揮できずに合格から程遠い。実力のパ・リーグであった。
兄と弟はスイミングをして、ぼくはソロバンを習っている。この母の取捨選択はどこから来たのであろう。それで数字に拘泥する自分ができあがる。試験場であった大学の机は傾斜していた。その異なった感触と、周囲の雰囲気に完全にのまれている。アウェーということばを大人になって知る。また常連というものになっていることを好む面々も知っている。口を開かなくても一杯目の飲み物が目の前に出てくる。飽きっぽい自分は、そのお任せになじめず、反対に平気でいるひとのどっしり感に圧倒される。
そろばん塾では、優等生であった。生徒内でテストがあり、一位になったりもする。自分の名前は普通の読み方ではないので、いつも間違って呼ばれた。訂正する気もない。相手は権力者である。こういうことがずっとつづけば、真実というのは決してひとつとは限らないと頭のなかにインプットされる。大げさに考えすぎるきらいがあるが。家族も友人もあだ名で読んだ。ぼくは女性の名前を言うことをためらう。できれば、「ねえ」ぐらいでごまかす。相手は声の届く範囲のそばにいるのであった。
と書きながらも、ソロバンには常に真実はひとつしかなかった。正解がいくつも、無数にあったら採点もややこしい。哲学やそれぞれの宗教観とは別の類いのものだから。この二律背反の世界にいる。数字を取れば世界はきっちりとして、物語の結末はどうすることもできた。ツーアウトの裏の攻撃である。
しかし、自分が書いたものを時間が経って読み返すと、もうそこには自分の体臭がなかった。共有の財産、または債権になっている。それを他人事のように読む。結末をどうするか試行錯誤したはずなのに、もう成長した子どものしつけの失敗など、やり直すことはできないのだ。自由に泳げる少年時代は、もうぼくには訪れなかった。木の珠を前後に弾かせるしか、ぼくにはないのだ。
そのなつかしの大学の構内のプールサイドでジャズを聴いている。管楽器がいくつも並んで奏でる音はいつでも爽快である。野外であることはもっと魅力を増した。1プラス1以上のものがある。無限大だ。ソロバンを習っていた子が是認する話ではない。否定すべき現実である。しかし、事実は事実だ。
ここに来る前の電車内で、むかしの同級生に会った。きれいな女性であった。同じくぼくの同級生と結婚していた。子どもがふたりいる。誰々のママと普段は存在をあやふやなものとして呼ばれるらしいが、ぼくはいまだに旧姓で呼ぶ。それで訓練されたのだ。いまさら変更も利かない。
「同窓会で再会したときに、なんとなく、このひとと結婚すると分かった」と彼女は言う。ぼくは安堵する。未来は決まっているのだ。予感をバラの花びらのようにすすむ歩幅に合わせ、ばら撒いてみる。彼女には起こったのであり、ぼくは誤って踏んでしまった。そう望んでもいた。
音楽は終わる。落花生の国にいる。駅前で酒を飲む。灘の酒だった。ぼくは関西も知らない。いつか行かなくてはならないと考える。東京の外れで暮らした。暮らし過ぎた。この基準は果実の種のように自分の体内で大きく膨らんでいる。もう引き抜くことも、取り除くこともできない。世田谷辺りで医者の次男として生まれた自分を想像する。確実に未来は別のものになっていた。そこにもサルのようになれる木が植わっているのだろうか。そろばん塾もあったのだろうか。もう判別することもできない。何度もターンをしてしまった。このプールで。