爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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あの日を望んだわたし-1

2024年11月03日 | あの日を望んだわたし
あの日を望んだわたし-1


夜の街を歩く女性。仕事帰り。帰宅途中。コンビニの袋をぶら下げている。

A:「ああ、今日もうまく行かなかったな。最近、彼ともなんか気まずいし、数年前、大学ぐらいからやり直したいかな」

自宅に近づいている。マンションの窓を見上げる。

A:「あれ、朝、電気消してなかったっけ?」

鍵を開ける。見なれない靴が玄関にある。窓際のカーテンが揺れている。

A:「あれ、窓も開いている? もしかして…」

咳払いの音。

A:おどろきながら「誰かいるの?」

B:「わたし」

A:「誰?」

B:「数年前のあなた」

A:「なんで?」

B:「誰かが、ぼやいたので、未来に引っ張りこまれた。わたしも、未来の自分、どうなっているんだろうと、ちょっと、願ったのも悪いんだけど」

A:「SF、とんだSF」

B:「映画でしかありえない」苦笑い。「ところで、なんか、その袋に食べられそうなもの入ってるの?」

A:「普通にお腹、減るんだ?」

B:「減るよ、いつもより余計に。ある意味、旅行といっしょ」

テーブルにいくつかの皿。

B:「想像の延長線以上にいないね」グラスを持ちながら室内を見回す。

A:「すみません。期待をどっちにも裏切らなくて」ため息。「で、どうやったら、戻れるの?」

B:「知らない」不満顔。「とりあえず、今日はここで寝なきゃ」

A:「向こう、あなたがいなくて困らないの?」

B:「時空の問題なんか知らないよ。あっちにも、あっちのわたしが残ってるんじゃないの」あくび。「お腹いっぱいになった。パジャマ、貸してくれる? サイズももう分かっているから」

A:「太ってないからね」優越感のある表情。

B:「そうだね、おやすみ」

A:「明日、寝坊したら、仕事に行ってくれない?」

B:「明日もいるか、分かんないし」


朝、身支度を整えているB。

B:「なんか緊張するな。スマホ貸してよ」画面に触る。「指紋も同じだね」

A:「そりゃ、そうよ。行ってらっしゃい。困ったら、家電にかけて、登録してあるから」


職場に着く。同僚に会釈するB。

C:「昨日、ごめんね。言い過ぎたかも」反省している素振り。

B:「全然、気にしないで下さい」首を傾げる。

C:「あれ、肌の調子よくない? 髪形もなんか可愛いし」

B:「そうですかね…」にやけ顔でパソコンを開く。「パスワードか、いつものパターンね」警告音。「彼氏の名前に好き。SUKI」もう一度、警告音。

C:「どうしたの?」

B:「すいません、ちょっと席外します」

給湯室の隅。

B:「パスワードかかってるよ、あのパターンじゃないの?」

A:「マコト、LOVEだよ」

B:「ラブ?」スマホを片耳に押したまま笑う。「アップグレード。いや、ダウングレード」

Bしずしずと席に戻る。

B:「開いた。レッツ・パーティー」

C:「どうしたの? 朝から変だよ」

B:「いやいや。いつも通りですよ」
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無職のころ

2024年10月01日 | 複製
過去の何回かの無職生活。

誰かが、生き延ばしてくれた。

トム・ワトソンの全英での粘り。

ハナレグミの曲。

大沢誉志幸のカバーを含め。

ビーチ・ボーイズというドラマ。

なんだ、再放送、今日からまた。

見逃した。

1話は、配信で間に合う。

これからのこり録画しよう。

え、5話ないじゃん。

ピート・ローズが亡くなる。晩節。

司馬さんが神がいない日本人の拠り所として、名こそ惜しけれ、と言っていた。
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雨の月曜

2022年12月05日 | Weblog
新聞でも、テレビでも、きょう一日、クロアチアというワードがひっきりなしに使われる。

その文化や風土を考えることもない。

ただ、目の前の倒すべき敵として。

パールハーバーにもひとがいた。

キエフにもひとがいた。

大連にもひとがいた。

満州にもひとがいた。
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ジーンズを買いに

2022年08月19日 | Weblog
もう学校に通っていない。

劣等感もないが、それを補うように無数に本を読む。

17歳。1986年。

町屋で乗り換え、表参道で降りる。

古着屋とアンティークショップ(値打ちのある骨董品ではなくアメリカの大衆雑貨)を巡り、渋谷から帰ってくる。

ハウスマヌカンという名称があり、彼女らの眉は太かった。

アンニュイという言葉が健康的な女性というのを凌駕する。

しかし、そんなことはない。

表参道で地下から地上に出る。

森英恵ビルがあった。

一生、入らないお店だが、その存在は知っている。

あの頃の、勢いのあった日本ももうない。

サイズの合う、良い感じに色落ちしたジーンズを買う。

その頃の、ぼくの制服。

コカ・コーラとリーバイス。

会社名であり、若さの特権的ななにかでもある。

タワーレコードの黄色い袋と輸入盤の匂い。あの長細い箱。あれは、翌年以降か。

空は、なぜか晴れている。

取り戻せないなにかでもあり、本のなかに書かれていたような過去の記憶でもある。それをパッケージしたものが青春と呼べそうなものかもしれない。
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最後の晩酌

2022年08月14日 | Weblog
見知らぬひとから友人になる途中、空いた時間があると、いわゆる「最後の晩餐」を訊ねる。

本心を知りたいわけでもなく、空白の時間を埋めるべく、会話の導入を質問という形にしたもの。

しかし、お酒というものに傾きがちな自分が、なぜ、「最後の晩酌」というお題を持ち出さなかったのか、いまになって理解ができない。

さて、どんなものがいいのだろう。

それは、酒の種類や量ということではなく、場所や空気感や日射しや昼や夜など、さまざまな背景が影響されるだろう。

南国のホテルからビーチを見下ろし、ソルティドッグみたいな冷えたものを。

イタリアのあまり有名でもなく、きれいでもない店で、ソフィア・ローレンみたいな引力に反発する凹凸ある服の中身を想像させる方の給仕を受けながら、赤いワインを飲んだり。

いまは、トップの力量をもたないサッカー選手のそれでも頑張る雄姿を見ながら大きなジョッキでビールを飲んだり。

大きな波が打ち寄せるのを室内で鑑賞しながら、鋭い味覚を感じる日本酒を選んでみたり。

秋が店じまいするころ、どこかの小さな店でためにならないラジオを聞きながらおでんでぬるめのコップ酒で手を温めたり。

ひとりでの妄想という頭のなかの会話。

そう考えるだけで、答えも得ないまま、なにか飲めそうである。

最後は点滴になるであろう、という未来を予測できる若者でもない自分の実感。

情景描写大会。

最後というより、経過とか未来が見えてしまう。

明日への英気という観点があるものなので、致し方ない。

この最高の一杯のシチュエーションというお題としての落第。
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