爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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拒絶の歴史(9)

2009年09月27日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(9)

 3年生が部活動から姿を消し、我々1年生と2年生だけで練習をしている。直ぐさきの目標がなくなってしまった現在、力の入れ具合は足りないものだった。疲れた身体で家に戻ったあとも、試験のために勉強をした。勉強に疲れたあとに本を読むことがあったが、そのままベッドの上で寝てしまうこともあった。気付くと朝になっており、また眠い身体を揺り起こし学校に通った。

 その間にも週の何回かは、練習が終わったあとに裕紀という子とあった。ぼくらは、いつの間にか正式に付き合っている関係になっていた。彼女は、この前のぼくの試合の様子をほめてくれた。ぼくがいつも彼女に見せていた雰囲気とは違い、いくらか野蛮であり躍動感のある姿が目新しかったようだった。彼女の周りには、いままでそうしたタイプがいなかったからなのだろう。そして、彼女のようなタイプもぼくの周りにはいなかった。

 だが、ぼくらはお互いの似通っているところを探し出し、差異の部分は気付かないようにした。それは、まともに女性と交際したことがない自分としては順当な段取りであった。夜のつかの間の時間を見つけては電話で話し合った。そのような時間を持つことが、スポーツ一辺倒であった自分の生活をカラフルなものに変えてくれたりもした。

 試験も終わった12月のことだろう。裕紀が幼い頃に習っていたピアノの先生が小さなホールでコンサートをすることになった。ぼくはそれを聴きにいくことに誘われ同意した。その横には県立の美術館があり、彼女の学校の先生が熱を入れていた画家の個展が偶然に行われており、そこもついでに行くことになった。

 彼女は幼い頃からそういう生活を送ってきたらしい。母親に連れられ、先生の家でピアノの練習をしたり、絵画を見ることが趣味の父のお供に、あらゆる美術館をまわった。それが、どういうことなのか自分はあまり理解できなかった。家の周りにある野原を駆け回ることが幼い自分の仕事だった。文化的だとも思えないが、ほかに方法もなかった。ただ、何にも悩みを感じずぐっすりと眠ることだけは充分に与えられた。

 それで、ぼくはきれいな買ったばかりのシャツを着て、待ち合わせの場所に向かった。彼女の長い髪は陽射しを浴びて黒く輝き、適度な風で揺れている。制服とはまったく違った印象で、すこし大人びた雰囲気をただよわせていた。ぼくは、いくらか自分が自分自身でいないような感じがして、しっくりとした気持ちにはほど遠かった。それで、自分を落ち着かせるためにゆっくりと歩き、彼女に近づいていった。

 ぼくらは互いの勉強の出来栄えをはなし、ラグビーの練習にあまり身が入っていないことを正直に告げた。後輩ができればなにかが変わるんだろうけどね、とあまりにも理想論てきなことを言った。そして、年末の空いた時間にまた上田先輩の家の仕事を手伝うことを語った。社会の勉強のためでもあり、なによりも小遣いが増えることが重要だった。

「偉いんだね」と彼女が感心したように言ったことを覚えている。ぼくらは、いつのまにか手をつないで美術館の入り口に着いていた。そこに二人ではいって、小さな声で彼女が話す作品の詳細を覚えていった。大して、なにもしていないつもりだったが、それは自分を身体の疲れとはまた違った疲労を要求した。これだったら、校庭を2、3周走り回っている方が余程楽だとも思っていた。

 ぼくらは、そこから出てベンチに座った。ベンチの周りには掃ききれない量の落ち葉が色をつけ、たまっていた。そこで、最近のことをまた話し出す。ぼくの幼馴染の智美はウエイトレスのバイトをはじめていた。そのことを裕紀の口からきいた。それは、彼女にとても合っているように思えた。ぼんやりと将来自分たちがなるであろう形をぼくらは求め出している。裕紀はバイトなどする必要もなかったし、父親がそれには反対のようでもあった。それを否定する気がないほど、互いが互いに対して寛容な家族のようであった。

 時間が来て、時刻は夕方を少しまわっていた。美術館の横に隣接されている小さなホールに入り、彼女は当然のように知り合いが少なからずいて、それらの人と話していた。自分は、そのことをなぜか予想していなかった。しかし、考えれば普通のことだった。ピアノを教える側は、何人かを担当するものなのだろう。ぼくは、いささか場違いな人間であるような気持ちがしたが、彼女はこちらを見て微笑みながら、「ごめんね。いろいろ知り合いと会うのも久し振りだから」と言った。

 ひとりのおばさんは、裕紀と長い間会っていなかったのだろう。どういう関係かは知らないが、彼女の成長した姿にいたく感動していた。もし、知ることができるならば、彼女の幼い姿を自分も見る機会がもてたら良かったのにとふと思った。

 ぼくは座り心地の良い椅子にすわり、音楽に耳を傾けた。このようなきれいな天上てきな音楽が世界にあることを知った。これも、大人になっていく過程で必要なことだと理解した。また、自分の住む世界との違いもまたあるがままに感じた。そのような気持ちで帰り道を歩いている。ぼくらは自分が立っている現在というものを愛していたのだろう。その日にはじめてぼくはキスをする。彼女で良かったな、というのが率直なうれしい感想でもあった。
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拒絶の歴史(8)

2009年09月22日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(8)

 その日は、目が覚めたときからさわやかで、身体も羽根が生えたように軽かった。今日は、県の大会でラグビーの決勝がある日だ。ぼくらは順調に勝ち抜き、なんどか危ない試合もあったが、ここまで来ればその勢いを消したくないと思い続けた。しかし、いつも勝利を得るのは、もうひとつの学校だった。

 大きなグラウンドで行われるため、ぼくらは現地まで自力で行くことになる。比較的家の近い上田先輩と誘い合わせ、電車に乗った。少しばかり緊張していた自分であったが、彼の話術によりリラックスすることが出来た。まあ、いつもと同じなんだと。そんなに張り詰めていては身体が持たないであろう。彼には不思議とそのような気持ちを誘引させるなにかがあった。

 ロッカーでユニフォームに着替え、監督の渇をきき、グラウンドに飛び出した。思ったより観客も多かった。相手の学校には大きな旗が振られ、ぼくらの学校は吹奏楽部が頑張って音を鳴らし続けた。だが、いつの間にかそれも見えず、耳にはなにも余計なものははいってこない状態になった。

 確かにぼくらの出だしは良かった。彼らには、甘えと余裕があるように思えた。ぼくはその時は、左ウイングというポジションで何度かトライすることもできた。足は、いつも以上に動き、自分の判断もその日は冴えていた。

 しかし、後半に入ると、ぼくらのフォーメーションはばらつき、作戦も後手にまわった。いつしか逆転され、疲労もピークを迎えた。その後、ぼくはまたトライを決め、いくつかのタックルをくらってひっくり返った。しかし、今日は負けることにはいかないんだと思い、何度も何度も耐え、立ち上がり続けた。

 あと残り少ない時間で相手の島本というスタンドオフのパス回しに翻弄され、悠々とトライを決められ、その後ゴールキックも会計係の正確さのように見事に蹴られた。ここらで、ぼくらの集中力は、いくらか途切れ始めたのかもしれない。
 最後に、ぼくにもチャンスが廻ってきた。ボールを受け取り、ラインぎりぎりを走っていた。目の前は広大で、行く手を阻むものはなにもないように思えた。ヒーローになるチャンスである。だが、どこからあらわれたのだろう、島本さんがぼくの足に喰らいつき、ぼくは転倒した。ボールは無残にコロコロとぼくの目の前を転がっていった。

「お前なんか、まだまだだよ」と相手は捨て台詞のように言った。悔しいが、それは事実であった。
 結局、試合はもう少しのところで負けてしまった。三年生はそれで、もう部活動を終えてしまう。最後ぐらいは相手に勝って、やめてほしかったが、ぼくらにはその力はなかった。島本という選手を見るために何人かの大学関係者が来ていたが、ぼくらのチームにはそのような選手は見当たらなかった。そして、その割にはなかなか良い勝負をしたのも事実として証明されるだろう。

 試合後は視野もひらけ、いろいろなものが見えるようになった。最初に目に入ったのは、島本さんと話している河口という女性だった。彼女は微笑んで勝利者になにかをささやいていた。遠くだったので、その言葉までは聞こえないが、それは励みとなるような言葉なのだろう。

 ぼくの前には、智美と裕紀という子が現れていた。彼女たちもぼくに微笑みかけてくれた。
「見に来てくれたんだ」
「約束したじゃない。でも、よく頑張ったよね」と優しげな言葉をかけてくれた。しかし、自分に甘く判断することはできなかった。いくつかのミスが無造作に置かれた玄関の靴のように整理されるのを待っていた。そして、数語の言葉をやりとりし、ぼくはロッカーに消えた。三年生は負けた悔しさより、運動と練習からの開放感に浸っているようだった。ぼくも、いずれその気持ちを抱くことになるだろうと予感したが、まだ実感としてはなにも分からなかった。

 着替えを済ませ、駅に向かう街路樹を歩いていると、となりの駐車場から自分の名前を呼ぶ女性の声があった。そちらを向くと河口さんが窓を開けてこちらを見ている姿があった。

「もう家に帰れるの? 電車だったら乗っていってもいいよ」と言った。ぼくは、どう返事をしたか覚えていないが、気がつくとドアを開け、助手席に座っていた。車のなかは女性の匂いがし、彼女の今日のぼく自身に対する高い評価が聞けた。だが、今日の試合で彼女がどちらを応援していたかは訊けなかった。自分の母校と、交際相手のいるチームとを。

 疲労した身体が窓を少しあけてそこから入ってくるさわやかな風を求めていた。彼女はいくつかの質問をして、ぼくもそれに答えていたが、いつしかまぶたはその重みをこらえることが出来ないぐらいに眠気が襲ってきた。
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拒絶の歴史(7)

2009年09月19日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(7)

 秋の心地よく晴れた一日だった。何回も腕時計をみて、待ち合わせの時間に遅れないように支度をした。財布には高校に通うときの定期が入っており、父親からもらった映画のチケットもなかにあった。玄関で靴のひもを結んでいると扉がひらき、父親が数本のゴルフのクラブを手にして、家の中に入りたそうにしていたので、立ち上がった。父はなにか言いたそうな顔をしていたが、結局はなにも言わなかった。

 歩き出すと、しばしば脱走する隣の家の犬が、ぼくに近づいてきたので、頭を撫でた。そうしてもらうと満足したように自分の家に戻っていった。ぼくが幼少のころから飼われていたので、ぼくの写真のなかにもその犬の成長がときには混ざって写っていた。

 3駅ほど電車に乗ると、小さな繁華街にでた。そこに若い子達が待ち合わせのために使う場所があり、ぼくらも電話で確認したようにそこで逢うことになった。そのような場所なので人目につくことも気になったが、今日は知り合いの顔は見えなかった。すこし立って待っていると、裕紀という名前の智美の同級生が向こうから歩いてきた。黄色いワンピースのようなものを着ていて、その上からセーターを羽織っていた。その色柄からか彼女の周りだけ、ぼくにだけ見える特別な光線のようなものを感じていた。

 映画がはじまるまでには時間があったので、ファーストフードの店に入り、飲み物だけを頼んだ。彼女を目の前にして、ぼくは少し緊張していたかもしれない。彼女は育ちの良さそうな雰囲気があり、ゆっくりとした話し方をした。それを見ていると自然に自分もいつもどおりの自分に戻った。ぼくは、ラグビーのはなしをして、先輩の愉快なエピソードをいくつか並び上げた。彼女は、それを聞いて笑ってくれた。あまり内面を出さないタイプのように思っていたが、笑うと人懐っこい顔に変わった。

 彼女は、学校のことを話し、友人たちへの愛と評価をいくつか並べ、家族のことを簡単に教えてくれた。父親は製薬関係の仕事をしており、子供たちにも化学の勉強をさせたがっているようだが、自分では本を読んだり、歴史を学んだりすることの方が楽しいと言った。ぼくは、いくつかの質問を挟み、その答えにうなずいたり、納得したりした。

 時間が来たので、映画館に入り座席にすわった。あれは、「愛と哀しみの果て」という長い映画だったように思う。文化的に背伸びをしたかった自分だが、ぼくはいささか飽きてしまっていた。横では、彼女は静かにハンカチで目の辺りを拭いていた。

 また、外に出た。いくらか日は沈みかけ温度も下がり始めていた。運動日和の一日だったなと思って、身体を動かしたい衝動にかられたが、背伸びをする程度でおさめていた。

「どうだった? むずかしい映画に誘ったみたいで悪かったかな」とぼくは言った。
「そんなことなかったよ。とても、感動的だった」と彼女は、一切のうそがない声でそう言った。ぼくは、単純に男女の差のことだけを考えていた。物事の捉え方が、まったく違うのだろう。

 座っているだけだったのに、いつも以上にお腹が空き、近くにあったピザ屋に入った。焼かれたばかりのカットされた数枚を皿にのせ、ジュースを飲みながらぼくらは段々と打ち解けていくようになる。よくよく考えると、ぼくはデートらしいデートをしたことがなかったことを知る。それまでは知らない者同士が意思を通わせ、共通点を見つけようとする作業なのだろう。彼女はおいしそうにピザを食べていた。ぼくも、何枚でも食べる自信があったが、そこそこにして止めておいた。それよりも話が弾み、彼女のこれまで過ごしてきたアウトラインがぼんやりと分かってきたことが楽しかった。

 その店をでてから、ぼくらはデパートで洋服を一緒に見て、CD屋で何点かの音楽の好悪を話し合った。横には小さなキーボードが置いてあり、彼女はそれを手馴れた様子で弾きはじめた。

「どう、うまいでしょう?」と彼女は言ったが、それは特技の範疇を越えているように思えた。

 あまり最初から遅くなっても悪いので、ぼくらはそれぞれの家に帰ることにした。小さな町なのでそれほど遠くもないことから彼女の家まで送ることにした。直ぐにそこに着いてしまい別れ際にぼくは、
「今度、強豪校とラグビーの試合をするんだ。負けたくないので、見に来てくれる?」と誘ってみた。

「うん。行くよ」と言って家に向かって歩いていった。そこは大きな建物であるのは間違いがないようだった。しかし、自分はそれを見て、ささやかな自分の家と小うるさい家族を、本当は愛しているのだろう、と感付くことになる。

 駅まで運動の不足を解消するように走った。そうしていると、自転車に乗っている同級生と偶然すれちがった。

「こんな場所でなにしてるの?」と訊かれた。
「知り合いのところまで行ってきた」とそれ以上質問されないようにまた走り出した。
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拒絶の歴史(6)

2009年09月09日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(6)

 今日も練習をしている。秋に大会があり目標は目前にせまり、それで練習にも力が入っていた。もともと選手層の薄いチームなので、ぼくは一年生ながらレギュラーを掴むことが出来た。監督は自分の思い切った判断の失敗を払拭するためだろうか、ぼくに対して熱心に指導した。頃合いがわからなった自分はいつも以上にばててしまった。その時期には学校のテストもあるので、夜も疲れた身体を有しながらも、勉強に励んだ。そちらの方面でも学校の地位は保たれていた。簡単にいえば文武両道を目指していた学校なのだろう。

 だからといって、それ以外の時間がまったくないわけでもなかった。上田先輩は練習が終わった後にぼくに近付き、

「智美という子と付き合うことになったよ」と、ぼくに報告した。
「そうですか、早かったですね」となにに比較してはやかったのか分からないながらも自分の口からその言葉が出た。「でも、良かったですね」ぼくは、智美はそのことをどう考えているのかも訊いてみたかった。

 そのころ、一日一日身体の筋肉が鍛えられていくように、精神面でも成長したいと望んでいた自分がいた。人間の成長でいまぐらいが大幅に変わる時期だと考えていた。精神を豊かにするものに対する憧れがあったが、それは漠然としたものであり、具体的な形はとっていなかった。

 ちょくちょくうちの父親は電気の工事にもいった。そのお客さんのなかには映画館もあって、なにかの配線の調整やらエアコンの修理をしてくる。定期的にエアコンのメンテナンスもあるらしく、そこからたまに映画のチケットをもらってきた。そのチケットを妹と奪い合うこともあったが、段々と大人になるにつれ趣味や嗜好もかわってきて、それぞれが手に入れたいものを手に入れられるようになった。もっと若いころは同性の友達を誘いにぎやかに観に行ったが、そろそろ女性と観に行くタイミングにもなってきていた。

 それで今日もまた映画のチケットを入手できた。誘えそうな女性を頭の中で並べてみるも、その列は驚くほど少なかった。それで、智美に連絡して、この前に会った裕紀という子の電話番号を教えてもらい、そこにかけた。コール音が鳴り待っている間、メモをした字面だけを見ていると、その名前は男性のように思えたが、まぎれもなくきれいな黒髪の女性だった。はじめて電話をかけたはずだが、彼女が電話に出るといつかぼくから電話がかかってくるんではないかと待っていたかのような錯覚を覚えた。2、3回スケジュールと待ち合わせの確認を行い、ぼくらの予定は成立した。そうしてみると、自分の髪型や(そろそろ床屋に行く時期か?)服装などが気になりだした。鏡に向かって自分の顔を左右に揺らし眺めていると、そこに妹があらわれた。

「なにしているの? ちょっとそこ使いたいんだけど」と言って有無を言わせず占領した。

「鏡を何遍もみたって、きれいにならないよ」と憎まれ口をたたき、自分の部屋に向かった。

 その復讐なのだろうか、テーブルで夕飯を食べていると「あの映画の券、誰と行くことにしたの?」とわざとらしく妹は言った。どこかで、電話を盗み聞きしていたのかもしれない。もしかしたら、智美から聞いたのかもしれない。彼女らは、それほど仲良しだった。

 少しビールが入って陽気になった父は、自分が若いときにみた映画の話をした。それはぼくらにとって繰り返され続けた話だった。もうスタートから終わりまで暗記してしまった内容で、妹はうんざりした顔をした。

 食事も終わって、自分の部屋に戻り、勉強をしようと思っていたが、自然とテレビの誘惑に勝てず居間で音楽番組を見てしまっていた。妹も横で見ながら最近のヒット曲を一緒に口ずさんでいた。彼女は、それらの音楽をすぐに覚えた。ぼくは、テレビのなかにいる人物たちに熱中するほどもう子供でもなく、名前を覚えるのをあきらめてしまうほど大人ではなかった。

 たまに強がりからマスコミとの接近を避けていたが、最近になって方向転換したロック・ミュージシャンがテレビの音楽番組に出れば、見逃さないぐらいにはまだ夢中になっていた。世の中に対して「売れる」ということが最高の基準で、それに達しない人々は無意味な人間に含まれるという風潮が、その頃のテレビにあった。つまらないことに疑問をもつことへの探究心が、自分のなかから湧き出ていたが、となりで歌っている妹をまえにして、自分の論説をぶちまける気にはなれなかった。

「お前も勉強して、優秀なお兄ちゃんに恥をかかせないでくれよ」
 そう言って、自分の部屋に入った。だが、多くのひとと同様にあの頃、もう少しだけ勉強をしても良かっただろう、という後悔は少なからず持っている。
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拒絶の歴史(5)

2009年09月08日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(5)

 ひとつ上の先輩たちが修学旅行に行っており、その週は練習が少なかったので、上田先輩に用件を頼まれた。彼の家は材木業をしていて、その後はその資材を有効にいかすため不動産も扱うようになる。その時期に大量の材木を運ぶ人手が必要らしく、ぼくらから見たらかなりの高額のバイトを彼は紹介してくれた。上田さんは家業のことに無頓着で、むしろ嫌っているようにすら思えた。それで、不平も言わず働くぼくらを彼の父の社長や、ほかの従業員も愛想よく接してくれた。

 ラグビーで鍛えた数人にとっては大した労働ではなかったかもしれない。それに、どこまでも力が湧いてくる年代でもあったのだ。だが、まわりにいる大人たちの中には身体が小さいながらもコツのようなものを覚えていて、いとも簡単に運び出している人たちもいた。

「また、機会があったら来てくれよな」

 と、仕事が終わると愛想の良い社長に送り出された。ぼくらの手には、封筒にはいった何枚かのお札が握られていた。そして、爽快感のようなものもあった。

 修学旅行から帰ってきた上田さんは、この前のお礼だからといってお好み焼きをおごってくれると言った。ぼくは充分にお金をもらったし、その必要はないですよと断りかけたが、オレの親父がお前を気に入ったみたいだからよ、とぼくに断らせることをさせなかった。だが、ほかにも理由があるようだった。

 彼は小遣いに困ったことがないぐらいに裕福であり、父も彼に対していくぶん甘いところがあるように見えた。それでも、男同士で行くのもつまらないと彼が言うので、ぼくは、智美を誘った。彼女は、友人をひとり連れて行くけど良いか? と何度か念を押した。

 ぼくらは放課後、駅で待ち合わせ上田さんが知っている店に向かった。そこは長年営んでいる店らしく、あまりきれいとはいえないが、味はしっかりしていそうな感じがした。店内に入り彼は自分の持ち味を発揮し、いろいろなことを話してくれ、その場の雰囲気も楽しいものになった。それから彼の顔なじみの店員さんにいくつか注文をし、上田さんが手際よく焼いてくれた。出来上がりも上々だった。彼の少なくない才能を今後知ることになっていくが、これもそのひとつだった。

 智美の友人というのは、この前家に行って驚いたという大きな家に住む同級生だった。そのはなしを聞いていたので、ぼくらと同じタイプではないのかと不安を抱いていたが、期待以上に気さくで話していて楽しい子だった。智美と親しくなるぐらいだから、最初からそれぐらいは予想してもよかったかもしれない。

 何回かお好み焼きはひっくり返され、ぼくらの胃の中に瞬時に消えていった。なんといっても食欲が前面でリードして行動する年頃なのだ。このまま何枚でも食べられそうな気がしたし、家に帰ってもなにかを食べないことには眠りにつくこともできないだろう。

 この店の料金は、彼が払ってくれた。ぼくらも何度も出すといったが、彼はそうさせなかった。その後、ファーストフードの店に入って、お茶を飲みながらそれぞれの生活を話し合った。智美は女子高の開けっ広げな生活のことを楽しげに話し、裕紀という友人は面白そうに笑ったり、相槌をうっていたりした。色が白くて、長い髪のきれいな横顔にいまごろになってぼくは気付いた。目の前にお好み焼きがあったときは、まったくのこと無関心だったのだろうか。いまになって少しドキドキしている自分を感じた。

 帰る時刻になって駅まで向かった。ぼくと智美は同じ方向なので、そのまま電車に乗らず歩き出した。上田先輩と裕紀さんは階段をのぼり少し経ってそれぞれ反対のホームに降りてくるところが見えた。二人の姿が電車で運ばれている姿を目にして、ぼくらもそこを後にした。

「上田先輩って楽しいひとだと思わない?」とぼくは智美に訊いてみた。
「そうだけど、一回だけじゃ分かんないよ」とある意味、堅実な一面を見せた。それはぼくにとって意外なことだった。いつもなら、軽々しくなんでも評価する彼女だと思っていた。「それより、あの子どう思う?」にやっとしながら智美は言った。

 自分は、自分がいるランクにこだわった。ぼくの家はあまりにも普通の家族だった。大きな家で不自由なく暮らしている女性のことについて判断する基準もなかった。頭の中では妹の普段の姿が目に浮かび、また手が届かない対象としての河口さんという女性がいた。そうしたことを考えていると、すぐに返事がこないことを不服に思ったらしい智美は、「わたしだったら、売込みが上手だと思うんだけどな」とぼくの味方になれるような口振りをした。
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拒絶の歴史(4)

2009年09月07日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(4)

「ねえ、さっきのひと誰だったの?」と、智美がしつこくたずねてきた。
「うちの学校を卒業して、今日その関係でなのかテニスを教えにきてたひとだよ。顧問もいないみたいだし、その代わりかな」
「きれいなひとだよね」
「そうだね」

 ぼくらは智美の家の方向に歩いている。それから彼女は自分の学校でおこった出来事をこまかく説明していた。そのことをもう少しだけ思い出そうとしてみるも、なかなか記憶というのは厄介なものである。彼女の楽しそうな口振りは思い出せるが、内容はなかなか出てこない。ひとつだけ覚えているのは、彼女はクラスメートの家に遊びに行ったとき、そこがとてつもなく裕福な家であるらしく、巨大ともいえる家の外観のことを話していた。それをうらやましいとも思わず、ただ掃除がたいへんであろうと実際的なことを言っていた。自分は、夢のない人間だよな、と語ったことを思い出す。それに対抗して、その掃除がたいへんなことを例をあげて述べていたが、もうそのころには彼女の家のそばまで来ていて、最後まで説明は聞かずなにか別の約束をして別れた。

 家に着いてみると、妹がテーブルに向かってアイスを食べていた。
「どうだった?」と、妹はスプーンをじっと見て言った。
「お前も行ったんだろう?」
「そうだけど」

 ぼくは階段をのぼり、自分のベッドの上に横たわった。スポーツ馬鹿で自分の人生を終えるつもりもなかったので、机の上の文庫本を手にしてみたが、朝になるとその本は床に落ちていた。いつのまにか眠ってしまったらしい。

 また学校のグラウンドに向かっている。一年生はさまざまな練習の準備をするために30分ほど早く来て、仕度をしなければならなかった。そこに、おしゃべり好きの上田先輩がやって来た。

「昨日、きれいな子と歩いていたらしいな?」彼はそう言ったが、どこで自分をみたのかいぶかった。
「あいつ、幼馴染みたいなものですよ。全然、そんな雰囲気になりません」彼と話していると、なんでも話してしまう自分がいる。多くの後輩たちも彼のその話術にはまりこみ、いらぬことまで話してしまうのだろう。
「今度、紹介してくれよう」

「本気ですか?」とぼくは言ったが、返事も待たずまた誰か後輩をからかいだしていた。彼のように人生を渡れたら楽しそうだな、と最近いつもそう考えている自分がどこかにいた。しかし、生まれついたときに彼とぼくとでは与えられたバックの中の荷物は違ったものであったのだろう。

 また決まった練習がはじまり、泥だらけになり多くの汗が流れた。横目で見ると、今日も河口さんがテニスのラケットを振っている姿が見えた。こころのどこかで、今日もいないかなと考えている自分が確かにいたが、なぜかその気持ちを誰にも気取られたくなかった。また、そうした考えを忘れてしまうほどだんだんと練習はきつくなり、疲労も増していった。

 自分は身支度が遅いからなのだろうか、それとも、部室のこまごまとした整理が好きなのだろうか、今日も気付くと誰もいない場所で水道で手足を洗っていた。それは、あまり行儀の良い姿ではなかった。そして、夢から訪れたように河口さんがいた。

「わたし、今日で練習にくるの最後なんだ。途中までいっしょに帰りましょう」と言った。

「はい」とぼくは不可解に思いながらも、そう返事をしていた。
 河口さんは、いつもぼくらがたまっている自動販売機の前で、ジュースを2本買って、一本手渡してくれた。また、上田さんにお金を返すことを忘れている自分を発見する。

「わたしの知り合いがね、わたしの母校に足が速くて優秀な子が入ったんだよ、と教えてくれた」それが、どうやらぼくのようだった。「だから、興味もって見てみた」

 自分は、「それで」と訊きたかったが、その言葉自体は自分の口から発せられなかった。ほかの言葉も待ったが、それ以上はなにも彼女は言ってくれなかった。ただ、知合いというのは島本さんのことだろうと思う。彼に認められるということに、自分は少しだけ優越感をもった。

「頑張ってね」といって、そのまま河口さんは消えてしまった。ぼくは、次はいつ会うことができるのだろう、とぼんやりとした未来を空想していた。
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拒絶の歴史(3)

2009年09月04日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(3)

 家に着いてバックを投げ出し、そのまま風呂場にむかった。汗と泥をいきおいよくシャワーで流すと爽快な気持ちになった。風呂場から出て、Tシャツと短パンの姿で扇風機の前に陣取り、髪の毛を乾かした。テレビでは素人みたいな即席のアイドルたちがうたを歌ったりゲームをしたりしていた。それを見ながらも伸びた爪が気になっていた。後で切ろうと考える。そうしていると、料理のにおいがしてきたのでキッチンにむかった。

 とてつもなく空腹だったので大急ぎで食べ、また畳の上でごろごろしながら爪を切った。そこに母親が入ってきた。

「智美ちゃんが来たわよ」と言って、すぐにまた出て行った。

 智美というのは中学の同級生で、そんなに家も遠くなくずっと親しくしていた。彼女は、高校は女子高に通い出し、最近は会う頻度は減っていたが、この前に偶然駅近くで会って少しだけ話した。ぼくは、和室を出て玄関に向かった。手にはまだ爪きりが握られていた。

「どうしたの?」と言ったら、彼女はきょとんとした顔をした。
「どうしたって、この前お祭りに行くって約束したじゃない」
「あ、そうか。それで、今日みんな早く帰ったんだな。まだ2、3日後かと思ってた。すぐ着替えてくるよ」

 そういって、急いで階段をかけ登った。着替えと言っても、そう見栄えが大幅に変わるわけでもなかったが、とりあえずは知っている人とすれ違っても恥ずかしくないぐらいの格好にはなった。

「ごめん、ごめん。すっかり忘れてた」

 そこから彼女に対して少しだけご機嫌をとり、それでもからっとした彼女の性格はすぐに怒っていたことを忘れてしまうらしい。いつも、そうだった。彼女はなぜか知らないが、うちの母と仲が良かった。ぼくが運動して帰ってくると、いつのまにか家にいていっしょに話したり料理を並べたりしていることもあった。それで、自然とこれもまたぼくの妹とも仲が良くなる。彼女たちは、いっしょに買い物に行ったりもする。

 そういう姿を見ていたので、多くのクラスメートはぼくらのことを同じ年でありながらも兄と妹のように感じているらしかった。もしかしたら、姉と弟だったかもしれない。だが、高校にはいってから智美の生活も以前より忙しくなり、そうたびたびぼくの家に入り浸っているということはなくなった。そして、そうした生活にぼくらはちょっとだけ恥じらいを感じるようになっていた。

 暗い街を通り過ぎ、にわかに活気付いている場所に入ってきた。ある人々は浴衣を着て、ある人々はうちわで自分の首もとを扇いでいた。小学生はいつものように駆けずり回っていた。そこにいる多くのひとのことをぼくは知っていた。父親が町の小さな商店街のこれまた小さな電気店を営んでいることが理由の一部であった。彼らの家に、父の小さな軽トラックの横に乗り、買ってもらったが手には持てない荷物を運んだり、ぼくもその店で留守番をさせられることもあった。だから、彼らもぼくの顔ぐらいは知っていた。それなので挨拶をされれば誰かを確認することや頭で判断する前に自然と言葉が口に出た。

「こんにちは」
 と、同じ声が2度したのでわざわざそちらを振り向いて、ぼくももう一度挨拶した。

「あ、今日の・・・」そこには昼間テニスをグラウンドで教えていた河口さんがいた。島本という他校の先輩はなにかを買いにいったらしく、その大きな背中がこちらからも見えた。

「疲れているんじゃなかったの?」と優しげな口調でいった。
「ええ、でも急に誘われたもんですから」と、少しどぎまぎしながら答えた。彼女は、突然ぼくの目の前にあらわれた意識した「女性」だった。

「じゃあ」といって、彼女は島本さんの方に歩いていった。ぼくは、なんだか自分の子どもじみた服装がいやになった。彼女は薄手のワンピースを着て、腕には派手な色のバックがあった。ぼくもあのような女性といつか歩けることになるのだろうか、と未来への希望と限界を天秤の両端にのせてみた。答えはすぐには出てこなかったが、こころのなかにその質問を保留という立て札を立て、保管するようにした。

「誰?」と智美が問いかけてきたもののぼくの思考は止まってしまったらしく、また返事をすることも億劫に感じていた。そのままなにも答えずに、智美が食べるといった水飴を買った。ついでに自分の分も買って二人で大きな石のうえに座り、馬鹿みたいに無言で食べた。
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拒絶の歴史(2)

2009年09月03日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(2)

 車を走らせているとコンビニエンス・ストアが目に入った。それで、いくつか必要なものが頭に浮かび、車を停めて店内に向かった。ペットボトルの飲み物やヨーグルトをプラスティックのかごに入れ、それ以外に引越しで使うことになるガムテープも数個そこに放り込んだ。いまは2月も終わりに近づき、あと一月ぐらいで荷物をダンボールに詰め込まなくてはならない。まとまった時間をつくることは難しいかもしれないのでいまのうちから用意をしておいても早過ぎるということはないだろう。

レジで会計を済ませている間、店の中で相当なボリュームでかかっている音楽に合わせ少しだけリズムを取った。いままで聴いたこともない日本の歌手だった。ハスキーな女性ボーカルで、その声はなぜだか自分を安堵させた。しかし、用がすんでしまったので最後まで聴くこともなく店を後にする。

 またエンジンをかけ、車を走らせた。サム&デイブの古いバラードに曲がかわると途端に自分はセンチメンタルな気持ちになった。そのためか、さきほどの映画館で目撃した様子を執拗に頭の中でなぞった。

 ぼくは、あのころまだ高校に入ったばかりだった。日々そうであったが、夏休みはとくに泥と土ぼこりと一体になったようにラグビーの練習をした。県内には、目標としやすいようなはっきりとした敵がいて、彼らを追い越すということがぼくらをしっかりとまとめる原動力になっていた。だが、実力的にはどう考えても劣っていたといまなら考えるが、そのころは意地と努力でなんとでもなると思っていた。あきらめというムードはぼくたちにはなかった。ただ、正確にきちんきちんと実力を伸ばそうとした。

 グラウンドの横では優雅にテニスの練習が行われていた。

 顧問の先生がいないためか、今日は別の女性がテニスを教えていた。ちょっとした休憩になったときそのことに気付いた。そちらを見るともなく見ていると一学年上の先輩が、

「河口雪代というんだ。ここの卒業生だよ」と言って、彼女についてのいくつかを教えてくれた。今年の春に卒業したばかりで、テニスも上手だったらしい。いまは地元の大学に通っており、「休みの期間だけ教えにきたんじゃないの?」ともいった。「タイプか? 島本さんの彼氏だけどね」と、ぼくらが倒すべき目標の選手の名前をあげた。

「別にそういうわけじゃないですけど。島本さんて、あの島本さんですか?」とぼくは、訊きなおした。

「どっかの大会で知り合ったらしいよ。どちらも美男と美女だしさ」

 と彼はすこし水を含んで、グラウンドに走り出した。一年上のその先輩は上田さんといった。背があまりたかくなく、身体的にも大きくなかった。それでも足が速いこともあり、ここぞという場では活躍した。しかし、ぼくら後輩から見れば、彼の気さくさが一番の助けになった。ぼくも練習が終わった後、上田さんと行動をともにして楽しい冗談をきいていると、練習の疲れを忘れることが多かった。また、おしゃべりなひと特有の情報網があり、いろいろなことを教えてくれた。

 一日の練習が終わり、水道水で手や顔を洗っていると、その河口と呼ばれた女性がそこにいた。多くのひとがそこにいて同じく手などを洗っていたはずだと思っていたが、いつの間にか皆の姿は消えていた。その日は、なにかのイベントがあって先を争って帰ったのかもしれない。

「練習、つかれた?」と彼女はいった。

 ぼくは、あたりを見回し、彼女は誰に声をかけたのだろうと探したが誰もいなかった。もう一度、彼女の顔をのぞき、「はい、疲れましたけど、毎日のことですから」と返答した。だが、その答えは発しても良かったのかはいまだに疑問だった。
「そう。あの高校に負けないように頑張ってね」といってタオルで手を拭き、立ち去った。彼女も同じように炎天下で一日を過ごしたので、疲れた様子をみせてもよさそうなのに、そのようなものは見当たらなかった。ただ、静かな気配のままいなくなっただけだ。

 ぼくは着替え荷物をまとめ、グラウンドを後にする。彼女は負けないようにといったその相手の学校のスター選手と交際していると上田さんはいった。ただ、ふたりとも違う世界の住人のように感じていた。冴えない自分にとっては、その世界に入る権利は与えられていないのだろう。

 陽は段々と暮れはじめ、いくらかしのぎやすい気温になっていた。ポケットから小銭を出し、自動販売機でジュースを買った。買った瞬間、この前上田さんにお金を借りていたことを思い出して、明日にでも返そうとこころに留めたが、また忘れてしまうような心配もあった。だからといって、うるさいことを言われないこともまた知っていた。
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拒絶の歴史(1)

2009年09月02日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(1)

 4トントラックの助手席にすわっている。トラックは高速道路をひたすらに走っている。運転しているのは幼いころからの友人だ。彼は運送業をしていたが、ぼくのために一日を空けてくれた。そのトラックは彼の手となり足となって、すでに身体の一部を動かすような意味で彼の一部にもなっていた。車のなかで多くの時間をすごすことになれていない自分は窮屈さを感じていたが、彼はまったくのこと、そうは思っていないようだった。ちなみに、後ろの荷台で運ばれているのは、ぼくの引越しの荷物だ。

 ぼくは、大学をでて4年間、地元の企業でつとめたが、その会社が拡大のために東京に支社をつくった。そこに4月から配属されることが決まり、地元で生涯を終えることしか考えていない自分にとって、それは少しだけ迷惑なはなしだったが有無をいわせない何かがあった。そして、こうして夜中に車の中で見るべき景色もないまますわっている。

 大学時代から交際している女性がいたが、このはなしが出てからお互いの関係はぎくしゃくしだした。そろそろ、永続するなかになってもよいというはなしも、それなりに出始めていたが、ほんの少し前に交際は終わってしまった。それには、彼女の両親の心配もあった。彼女は、ぼくより3つ年上で近々30代になろうとしていた。ぼくらが住んでいた町は、まだまだ年齢的なものに多くのことが縛られていた。ぼくが東京にいくことは彼らにとっては、果てしなく遠くに離れてしまうことであり、関係を引き伸ばすことは無駄に思えるらしかった。しかし、ぼくは当然ながらまだまだその関係を引き摺っており、修復できる可能性も捨て切れずにいた。

 このように思い出というものは、すべてその町にあった。

 交際していた女性はその後、すぐに別のボーイフレンドを作り、ぼくらはそれ程大きな町で暮らしているわけでもないので、すれ違ってしまうことになる。映画のナイト・ショーを観るためにぼくは会社の女性の同僚とチケットを買って待っていると、彼女はやってきた。最初、ぼくのことに気付いていないらしかったが、一緒にきていた男性がひじで彼女をつつき、ぼくの存在を知らせた。ぼくも、その男性を知っていた。彼は、ぼくより2学年上で、高校時代に同じラグビーをしていて、強豪校のスター選手でもあった。ぼくらの学校は、いつも2番手に甘んじていたが、勉学を最重要事項にしている学校にとっては、そのスタンスは間違っていなかったのかもしれない。しかし、ぼくも多くの下級生と同様、彼を憧れの目をもってながめた。それから、ぼくもいくらか活躍して、彼の目の端に入るようになったのだろう。

 そのスター選手は、東京の大学にスカウトされた。そのことを町中が自分のことのように喜んでいたと思う。ぼくも少しはそのように考えていたが、多くの部分では彼のようになれないであろう自分を哀れんでいた。もうひとつ、自分の売りを見付けないことには、自分の存在は虫けらのようになってしまうだろうと、高校時代の単純な脳は、そのような焦りを感じてしまっていた。

 結局のところ、彼はすぐにアキレス腱だか、大事な筋肉の一部だかを切ったり断裂してしまい、ぼくらの地元の夢も、それに比例してしぼんでいった。もともと、スポーツをするために大学にはいった彼のそれからの身の振り方は、あまり幸福が待っていなかったかもしれないが、その辺はもう自分にとってはあまり関係ないことだと思い、彼のその後を興味をもっては追わなかった。

 その彼が、ぼくの目の前にいた。挨拶することもなしに遠目でぼくらは存在だけを感じていた。ぼくと一緒にきていた同僚の子は、その2人ともしらなかったので一々はなすこともしなかった。

 映画を見終えて車に乗り、ぼくらは小さなレストランに入った。その子の誕生日が近かったので、すこし高めのイタリアンレストランを選んだ。それが2月のことなので、もうゆっくりと話せる機会もないだろうと、閉店ぎりぎりまでぼくらは話せるだけ話し合っていた。

 その子は、優秀な子であり多くのぼくが担当している業務を引き継ぐことになっていた。その為に、最近は残業も多くなってしまい、彼女の個人的な時間が奪われてしまったお詫びも兼ね、ここにいた。デザートもきちんと彼女はたいらげ、勘定をすませて店をあとにする。店のまわりには雪が舗道の邪魔にならないように積み上げられていた。そこに店から出る照明があたって、きれいに反射されていた。

 ぼくらは車に乗り込み、彼女の家まで送っていった。彼女は両親とともに暮らしており、玄関は彼女の帰りを待っているように明かりが灯っていた。車から出る彼女を見送り、また車を走らせた。以前、交際していた女性は、この後どのように過ごしたのだろう、と脳裏にちらっと浮かんだが、いつものお気に入りの古いソウル・ミュージックをカー・ステレオから流し忘れるようにした。
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