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悪童の書 az

2014年09月29日 | 悪童の書
az

 小学生のとき、近くのアパートに住む新しい友人がひとり増える。どこからか急に引っ越してきた。だが、引っ越しというのは大体がそういうものだった。家族構成として、弟がいて、母がいる。友人の父には会ったこともない気がする。部屋のなかでよく遊ばせてもらったので家庭の和やかな雰囲気も理解する。新たな友だちは、いたって大人しい子であった。直ぐにまた引っ越してしまい、年賀状がくるが、もう継続という観念も未来を共にする意識もなくなってしまった彼に返事を出すのも億劫になってしまい、ぼくからは出さなかった。冷たい人間である。いまでも少しの罪悪感がある。後世、結局はこんなことばかりをするはずなのに。繰り返される自然淘汰。

 遊びに行くと、お菓子を出される。ついでに飲み物も出る。この家族では普通のことなのだろうが、目の前にあるのはトマトジュースだった。ぼくはこれが苦手である。トマト本体も苦手であった。払拭できない嫌いなもの。しかし、ぼくの家族は全員、おいしそうにこれを頬張った。ぼくは橋の下から拾われたのだと仮定するが、それを簡単に否定できるほど、顔は父にも似ていた。

 後年、トマトをベースとしたスープも飲むし、本場のピザや熱したものに使う際のものは大好物でもあることを再確認する。もともとの用い方の誤りがあるのではないのだろうかと世界に問いかける。やはり、居酒屋で冷やしたトマトをおいしそうに食べるひとを見ると、ぼくは自前の発言を撤回せざるを得ない。あれは、あれでおいしいのだろう。

 彼の家とぼくの家には小さな公園があるだけだ。ひとりで夢中になって、セミをうんざりするほど捕った。夏には靴下を履くことなど一日もない日々だ。その前には鉄塔がある。あれから放たれる電磁波のようなものを子ども時代にずっと浴びていたんだな、と考えるが、副作用があったのかいまだに分からない。もっと大人になり、少し程度の放射能を浴びた方が賢くなると言いつづけたひともいた。もちろん、大地震の前のことだが、大量に放出してしまえば、箱にもどすこともできない。コントロールできる範囲内のことなのだろう。

 もっと距離が離れたところに親分肌の友人もいた。ぼくは不思議とこわいと思ったこともない。気に入られていたという甘い認識もある。彼も引っ越した。そして、年賀状を無視する自分がいる。

 大人になって年賀状の裏には家族の写真が印刷されることになった。ぼくは友人の子どもの成長をそこで確認する。ある日、会社の福利厚生のポイントで花を送れることができるのを知り、写真のひとりの友人の下の娘に宅配便(だと思う)で頼んだ。

「うちの娘、狙ってるの?」

 親切があだになる世の中なのだ。そのころのぼくは、かなり年上の女性が好きだった。そのことをわざわざ報告するほど、ぼくは理解も求めておらず、けん命になることも控えた。マンションの小さな庭に植え替えられ、ずっと育ってくれればいいとも願うが、枯れてこそ花だと思えば、否定する気もなくなり、あとはもらったひとの自由である。乳臭い子どもなど、ぼくは永久に無縁でいる。

 子どもは汚れようが、常に大事な何かを握っている。そばにいた子どもの継続的な姿など弟のことから更新されていない。四十年近くもなろうという遠い過去の話だ。弟はパンダのぬいぐるみをもっていた。白はだんだんと白であることを辞める。辞退する。ある日、どこかの遊園地に行ったときに手からなくなっていたことを知った。探しても、もうなかった。そこが大人への、成長へと向かう分岐点だったと書けば、うまくまとめようとしていると思え、すべてが胡散臭くなる。ひとは善意も悪意もなく、ほとんどの時間を暮らしているのだ。意識もあるようで無意識であり、無意識でいながらも意図的になる。

 母は、カステラを買う。離れた駅でいったん横に置いたため、持ち帰るのを忘れる。家で駅に電話している。駅の電話番号を調べる方法など、ぼくはいまでも思いつかない。結局、子どもの口にはカステラは入らなかった。そして、友人の家でトマトジュースを前にして困惑している。

 弟の誕生日は正月に近かった。母は雪が降るなか、片手にケーキをもって見事に転ぶ。そのあわれな姿は箱のなかにも及ぶと予想される。しかし、開封の瞬間に奇跡が起きる。ケーキは傷ひとつなく、店を出たままの姿が保存されていた。食い意地の張った話でもあった。

 弟もプールに行く。せっかく水着にきがえたのに、さあ、水中に入ろうとしたら後ろでゴソゴソしている。水に入るのには裸であるのが当然との認識と覚悟で水着を脱ごうとしている。風呂と間違えたのだった。状況を判断すれば、まわりは恥ずかしい部分を布で覆っている民ばかりであった。どう、彼は、世界を視つめているのだろう。

 東武線という野暮ったい電車にのりかえ、東京マリンに行った話である。もちろん、その路線の先に背の高い電波塔の建築など想像することもできないころのことだ。集客にはどちらに分があるのだろう。毎年、飽きずに行きたいのはプールのような気もするが、それも子どもでもできなければ、いつか魅力もなくなる類いのものだった。



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