爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 aa

2014年09月04日 | 悪童の書
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 生まれてはじめて定期券というものを購入する。通学で日常的に電車に乗ることになったのだ。意味合いとして「買う」というより「使用した」という方が正しい用法かもしれない。

 十六才の年になる直前の四月。結局、この一枚でぼくの学生生活も終わることになる。教師をもったのは六歳ぐらいからのわずかたった十年。その締めくくりとして定期があった。命あるもの、すべては永続しない。期限が切れるのは三ヵ月後。それからの数日、定期の有効範囲という拘束から逃れ、いつもと違うルートを使った。夏休みを目前にしたころ学校帰りに池袋に出て、渋谷まで行き、違う電車に乗り換えて代官山に向かった。

 ヨーロッパからの移民がはじめて自由の女神像を目にした感動と、このときの体験は等しいのかもしれない。あの地から別天地にたどり着いたのだ。新大陸は腕力と、駄菓子屋が支配する町ではなかった。

 そこに到るクロスロード。

 ぼくの育った町は分岐点になる。片方は東銀座の方面に向かい、もうひとつは日暮里を経由して新宿や渋谷につながる。高校をチョイスするときに、この差はけっこう大きかった。しかし、周回する線路ではなく青い電車は浦和の方に向かった。

 閑静とか、落ち着いたという表現を街に用いてもよいことなど誰も教えてくれなかった。自転車の買い物かごに食材やトイレの紙などの消耗品を満載してこぐ姿が、日常ではないことなど想像もできなかった。

 まだ中学生のときに、陸上部のスパイクの裏にはめる鋭いピンを買いに行く。あいにくと、スポーツ用品店はぼくらの町にはなく、となり町まで自転車で行って求めることになった。あるスポーツ店の店員の対応をいまでも思い出してしまう。固く締めすぎたピンはなかなか緩まなかった。自力ではダメなので(決して非力な秀才ではなかったのに)専門店に頼むと、姉と弟らしき店員はケンカでもしていたのだろうか、姉は自宅を兼ねているであろう階段をのぼって、いったんそこにスパイクを預けてまた下りてきた。用途に応じた器具が二階にのみあるのであろう。待たせていることを詫びる間もなく、ピンから解放された我が愛しきスパイクの片方は、上階から無残にも放り投げられる。放物線を描き。愛想笑いする店員。階段を転げ落ちる物体に視線を移し、悲しむぼく。つまりは、自由になるというのは、こういうことなのだ。解放は、放物線なのだ。

 ぼくはやる瀬なくとなり町を歩く。放課後の日常的な風景。日々の暮らし。営み。

 酒場がある。汚い、もしくは味のある、さらには風合いという魅力をなすりつけた暖簾が揺れている。その向こうでは焼き鳥がひっきりなしに焼かれる香ばしい匂いがしている。固いベンチに陣取るおじさんたちのズボンのひざの裏側。ぼくは無数にそれらを見てきた。楽しそうだ。しかし、ぼくは思う。きちんとしたスーツに身を包み、都会的な落ち着いた町に自分は住むのだと。住む権利を自分は有しているのだと。子どもたちはデザインに優れた制服がある私立の小学校に通う。そして、見送った朝ののこりには優雅に外国語の新聞を読む。何とかジャーナルとか、トリビューンという英字のものを。若さというのは愚かな希望をもつことである。

 代官山でひとり歩いている。夢想が現実になる。ここが約束の地だったのか。ぼくが夢のなかで追い求めた場所だったのか。友人の母たちが無理強いのようにあいさつを強要しない町なのだろうか。ぼくは自由である。

 洋服屋に入る。小遣いで買えるものを探す。試着する。金銭を払い、柔らかな感触の袋を代償として手にしている。まだ、放課後と呼べる時間だが、哄笑する客も身近になく、穏やかに風が過ぎ去っていく。ふらふらと揺れる危なげなハンドル捌きのおじさんもいない。燻された作業着もなく。

 ここもクロスロードだった。

 ひとは成りたいものだけになるのではない。

 過去を振り返り、家畜の臓物を食べている。レシピとも呼べない秘伝の製造過程の飲み物にも口をつけている。となりのおじさんは、「川向う」と蔑視をにじませ、ぼくに話しかける。突っけんどんも、また愛情である。少年は老いたのである。野望も負け戦になった。クロスロードで魂を売らなかった所為かもしれない。

 たまに思う。選択肢として、反対側に向かう電車に乗って、高校に通うこともできたのだと。江戸よ、さらば。スポーツで名を馳せる学校もそこそこある。だが、中学生に、とくに中学生のぼくに、先見性はまるでない。谷津遊園と行商のおばさんの町。競争社会を忘れさせてくれる場所。ここも、さらば。

 これもクロスロードだ。母は落花生を食べている。合理的という時代にすすみつつある世界に足を踏み込む息子は、そのカラを剥くという作業は省ける部類なのだと感じている。しかしながら、どこからか送られてくるカニの周りを、その手で取り除いてもらっている。やはり、面倒は女中や下請けに頼むことにするのだ。普通は。

「ねえ、お手伝いさん!」と、ふざけて母を呼び、こっぴどく叱られる。

 父はきょうも酒を飲んでいる。質より量という確たる信念のもと。ぼくは、こうならないのだという生きる見本だった。ひとは成りたいものだけに成れるわけでもない。痛いほど、知っている。ぼくのわずかばかりの歴史が痛烈に教えてくれる。かなり、痛切に。