爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

作品(2)-6

2006年05月29日 | 作品2
フー・ノウズ フー・ケアーズ

Chapter 6

 季節は、確実にかわり、月日は、秋の日差しのように人々を置いてきぼりにし、束の間である人生を、もっと早めようと躍起になっている。
 その中で優二は、まだ無名のままでいる。つまり、彼の創作した絵画に、視線を集められない状態でいる。その不安定な足場を満潮時の海水のように、失意が彼の膝元まで登ってきている。

 生涯で一枚しか絵が売れなかった画家がいる。その絵画には、人をひきつける魅力がなかったのだろうか? それとも、そもそも値打ちや価値がなかったのだろうか? 現在の優二は知っている。そんなことは、ないと。
 彼も、すでに36歳になっていた。間もなく37歳を目前に控えている。あの人の月日。麦畑で費えてしまうある画家の人生。
 こころの交流を最低限にして、その自らの芸術と向かい合うような日々は、いずれ破局をむかえるのは、目に見える事実ではないだろうか。しかし、そうするしか方法論がないのだ。そこまで、自分を伸ばすことに誠実なのだ。

 彼は、日記を手にする。あの画家の。最良とはいえない文章かもしれないが、どうしてこれほどまでに人の心にダイレクトに伝わるのだろうか、と別の面から納得できない優二がいる。
 彼の心も崩壊に向かっているのかもしれない。以前の友人を断ち切ってしまった。家にも戻れないでいる。彼の弟が、その家族を新たに作り、幸福な一枚の写真を送ってくる。彼には、芸術を突き詰めるしか、残された道はなかった。

 彼は、壊れそうな頭脳と神経を抱えたまま、外出する。爽やかな日差しを浴びるのも久し振りのような気がしている。それでも、ある画廊に足は、向かっている。

 なぜか、彼の家のポストに入っていた招待券。それは、いま脚光を浴び始めている画家の作品を発表するためのものであるらしい。詳しくは分からないが、なぜ自分のところに届いたのだろう、と彼は、いくらかいぶかしげだ。

 その前に広々とした公園で休憩していた。ペットボトルの水を飲み、疲れをいやそうとしている優二。背中や、手の平が汗ばんでいる、すこし目をつぶった後に、彼は、また歩き出した。

 画廊に入って、絵に集中する。どんな絵画からでも学ぶことは出来るのだ。彼は、一人の少女の肖像に目が奪われる。その、可憐な、赤みを帯びた頬。

 そこへ、少し話しながら一組の男女が、彼の横に現れる。その絵にそっくりの、いや十年ぐらい経ったらこうなるはずだ、というそのままの時間軸を感じることのできる女性。そして、恋人らしき男性。かすかに横目で追いかけると、次の絵にむかってしまった。

 優二に、希望が生まれる。いまの二人のような、美しい男女を自分の絵に取り組むのは、どうだろう。彼の中から、活力が生まれる。もう一度、その二人を見て、脳裏に焼きつけ画廊をあとにする優二。さあ、今から、今日から取り掛かるのだ。

 こうして、ある芸術家の救済をするような終わり方で、幕を閉じる。手を文字通り絵の具で汚した分だけ、成長する絵描き。そして、日常と芸術の狭間の悶え。さらに人生マイナス困難のエピローグ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品(2)-5

2006年05月27日 | 作品2
フー・ノウズ フー・ケアーズ

Chapter 5


 優二は、真相を知る。逆に、真相の持つエネルギー自体が、彼を追い抜こうとする。
 彼は、友人に呼び出され、酒を飲んでいる。ウオッカ・ベース。透明な色。
 
 その薄暗い店内にたたずむ2人。お互いの表情も、いくらか読み取れなくしている。
「この前、どうだった? 会ったんだろう」動物園での一件。
「ああ、楽しかったよ」
「いいこだろう? 気さくだし、話しやすいし」
「そうだね。気楽な感じで、いられたよ」

 酒がすすむ。隠れている真実、臆病気味の真実が表に出ようとしている。
 その優二のためを思っていてくれる友人には、本命の恋人がいた。本命ではないのもいたらしい。それが、優二と、この前に会った女性であったのだ。彼女も、その前にすすまない関係を解消したく、優二と会ったのだ。

 優二の表情は、その店内にいる所為で、うまく誤魔化せたかもしれない。目の前で、扉が閉じられる瞬間。彼は、希望を持ち始めていたのだろうか。その店内に聴こえてくれる優しい、マーヴィン・ゲイ。
「また会いたいとか言ってなかった?」
「そんなことも言ってたような」
「なんだ、はっきりしないな」
 問い詰めたいのは、優二だった。こうした感情は、潔癖すぎるのか。みな、普通にやり過ごせるのか? と彼の酔い始めた頭脳は、問答する。
「どうする?」
「彼女に、その気はないんだろう」優二に、なかったのだ。

 外に出ると灰色の雲。黒ずんだ板塀。女性の気持ち。
 優二の電話が鳴った。その当人の女性からだった。
「この前は、楽しかったです」
「ごめん、ぼくの都合に合わせてもらっただけだよね」
「今度の週末、車が空いているので、あの言っていた場所に行きません?」

 彼は、断ってしまった。彼女は、友人の存在を打ち消そうとしているだけなのだ。彼に、興味はないはずなのだ。電話が終わる。また、空虚さが残る。

 彼は、地下鉄に乗り、文庫を開いた。明治時代。そこに自由な選択は、あったのだろうか。迷える気持ち。服の内ポケットに潜んでいる電話。さっきは、悪かった、とあやまろうか。いや、それには遅すぎるような気がする。
 
 家に着き、水を大量に飲む優二。幸福を掴みたくないのは、自分なのだろうか、と自問する。服をたたまずに、適当に脱ぎ捨て、ベッドに横になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品(2)-4

2006年05月24日 | 作品2
フー・ノウズ フー・ケアーズ

Chapter 4


 数日、経ってしまった。その分、彼の持ち時間が、ちょっとだけ、何日か分だけ減ってしまった。

 その間も、彼は仕事をしている。というよりこなしているという方が正解かもしれない。
 ある頼まれ仕事。ホームページのキャラクターの原案を、イラストを描くソフトを用いて描いている。こうした、力の入らない仕事に、彼の性分が合っているのかもしれないが、本人はいささかも認めようとしない。需要と供給。

 さらに数日が過ぎ、この前いっしょに飲んだ女性を誘うように、友人から再三、強要される。彼は、仕方なしに電話をかける。この辺が、明確な意思を欠いている結果かもしれない。

 彼は、自分の都合を含め、動物園に行こうとする。スケッチブックを手にして。

 それでも、描きながらでも、会話は出来るもので、彼女の、その明るい社交性にいくらか、自分の暗部に日が当たり、救われる気分がするのを、正直にこころに向き合うと感じてしまう。

 彼女は、通信会社で働いている。年齢は、28歳。妹がいて、その家庭内でのやりとりを聞くと、彼のこころは自然とほころぶ。10代の頃は、ダンスに励んでいる生活を送ったそうだ。
 でも、このデートに乗り気かどうかは、彼には分からない。彼そのものが、女性の本質をつかめない性分なのかもしれない。

 彼は、自分の指で構成した象を見せる。やはり、そのタッチに彼女は、驚きその絵を欲しいと言う。彼は、気軽にきれいに破って、その絵を渡す。その程度ならいつでも性能の良いコピー機のように、複製できる自信があるので。

 日も陰ってきて、彼らは終了の音楽とともに、門に向かう。その暗くなった木陰を歩いているときに、自然に指が触れた。それから手を握った。

 ある店に入る。いくらか賑やかな話し声がする。そして、タバコとアルコールの匂いも混じり合う。

 彼女は、やはり気を使っているのだろう、空白を埋めるように、また家族や妹との話で彼を笑わせてくれる。また、会社内で起こった、さまざまなエピソードも。彼女の唇には、天性の話術の能力があるのかもしれない。彼は、再び笑う。そして、鬱々とした気持ちが溶解するような錯覚に陥るが、それは、やはり錯覚だった。

 すこし酔った足取りで、2人は店をあとにする。

「また、会ってくれますか?」と彼女は、勇気を振り絞った感じの声を吐く。
「いいよ」と彼は、応じた。
 そこで、地下鉄に乗るため、階段をおりる二人。数滴、雨が彼女の肩に、きらりと光ったように見えた。そして、彼女の眼の中にも、それに劣らないきれいな光が宿っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品(2)-3

2006年05月19日 | 作品2
フー・ノウズ フー・ケアーズ

Chapter 3

 
 彼が、用事をすませて家に着くと、ポストに手紙が入っていた。見慣れない封筒の形。エア・メール。封を開いて読み始める。

 お元気ですか。
 あっという間に時間というのは、過ぎてしまうものですね。
 優二君と過ごした一時が、とても懐かしく感じられます。そう遠い話ではないのに。

 わたしも、やっとこちらの生活に慣れてきました。午前中は、語学の学校に通って、午後は、毎日ではないのですが、絵のクラスにも入っています。
 そこでは、やはり本場だけあって、とても密度の濃い時間が過ごせています。
 その授業がない日は、新しくできた友人と連れ立って、いろいろな所も見て廻っています。同封した写真も見てくださいね。

 ご飯は外で、安いこともあるし食べることも多いのですが、見よう見真似で自分でも作っています。手際は、そんなでもないことは、保証済みですよね。

 そちらの生活はどうですか? 仕事の方も、はかどっていますか? 優二君は、直ぐに挫けてしまうようなことは、ないと思いますが、時々、息抜きも必要ですよ。
 デートなどもしていますか? よく女性の話に耳を傾けてあげてくださいね。お節介かもしれませんが、わたしからの忠告です。守ってください。

 あまりに、ここでの生活が楽しいので、戻ることを考えたくない心境になっています。また、周りの空気とか、本物の芸術に触れる機会もたくさんあるので、その面でも刺激的です。優二君も将来、短い期間でも来て、きちんと自分の目で確かめた方が良いですよ。

 長くなりましたが、今の気持ちを知って欲しかったので、書きました。

 では、お元気で。

 彼は、その便せんをていねいにたたみ、封筒に戻した。そして、机の中にしまった。
 玄関に置きっぱなしの食材を冷蔵庫にしまい、かわりにビールを出して、缶を開けた。飲みながら、なぜか鼻の奥がつんときた。それから、彼女の、あの長い髪の匂いがするような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品(2)-2

2006年05月12日 | 作品2
 フー・ノウズ フー・ケアーズ

Chapter 2


 そして、二人の距離は離れている。心の問題は、もっと遠くに分かたれている。部屋で、彼女の留学先の場所に、地図の表面にピンを刺した。

 彼は、ひとり今日も部屋で、頼まれたイラストを描いている。音楽を小さくかけていたが、集中が途切れ、消してしまった。
 創刊したばかりの雑誌に、実際は、どうでも良い空間を埋めるための仕事。才能の浪費。だが、浪費することも重要かもしれない。とくに彼女のいない空白を埋める身にとって。

 その頃、学生時代の友人に誘われる。ひとりになったことを心配して、女性を近づけるためのセッティング。彼は、久し振りに身奇麗な格好をして、出掛けた。その店に思ったより早く着く。その為め、さきに飲みはじめていた。
 そこで、ある思いを動揺させる事件。ある若者が財布を拾った。その落ちている財布を、背中を向けている客に、「落としませんでしたか?」と言っているようだ。彼の席から、少し遠いので細かい言葉のやり取りは分からない。だが、きかれた男性は、首を振っている。それで、拾った持ち主は、自分の席に戻っていった。その席には、屈強な若者が、4人ほどいた。彼らは、財布を開き、中味を点検している。そして、彼は、そこまで見て、自分のお酒と、今日のこれから起こりうる出来事を予想して、思いを巡らす。
 そこへ、ある男性があたりをきょろきょろ見回している。なにかを完全に探している人の様子。そして、見つからず、店員に何事か話しかけている。その言葉は、「この辺に落ちていませんでしたか?」と言っているように見える。
 だが、その男性はあきらめて店を出る。真実を知っている優二。だが、なにも行動にうつさなかった自分の不甲斐なさを見つめる。正義と保身。

 そこで、心にいくばくかの振動を残したまま。友人と女性2人が入ってくる。彼は、今日は上手く行きそうもないな、と既にゲームを投げてしまっている。

 段々と、4人の気持ちが打ち解け始めてきたとき、お酒の力もおおいに借りたが。そこで、当然の話題として、現在の仕事について話が移行する。
 彼の絵についての話は、はじめのうちは興味を呼び起こすらしいが、徐々に組織に留まっていない男性として見られているように、優二に疎外感を与え始める。

 結論として、会計を終え、彼は気持ちの整理のつかぬまま家路に向かう。共同生活の難しさ。2人の天才画家の理想の破局にまで、酔った頭は思考を続けるよう追い求めてきた。

 彼は、家に着き、それでも今日会った女性のワンピース姿をキャンバスに刻印するようむなしい努力をはじめる。もっと、真実に近づきたい。真理を掴みたいという気持ちを原動力にして。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作品(2)-1

2006年05月01日 | 作品2
フー・ノウズ フー・ケアーズ  2005.02.18~

Chapter 1


 彼は、その駅前の通りを歩いている時に、自分の天職についてひらめいた。
 彼の名前は、山口優二。この物語は、彼の苦悶の歴史。格闘の過程。織りなすタペストリー。

 子供の時から、彼は一人でベランダにたたずみ、そこから見える景色をお気に入りのノートに描き写した。物体のサイズを正確に描写することは、まだ出来ないが、そこには何か暖かい目線があった。そんなに大きな町ではないので、風景が大幅に変わってしまうことはなかったが、彼がその行為に飽きるのにはかなりの時間が経過した。そして、前途を塞ぐように、目の前にマンションが建った。
 次は、ユニークな生徒が必ずする先生や生徒のデフォルメしたイラスト。それをあまり大っぴらに周りの生徒に見せることはなかったが、時折見せたときには、微かな笑いと、幾分かの感心を示された。そして、彼もちょっとした手応えを感じた。喜んでもらえたんだと。
 暇なときには、自分の自画像を授業中にも、一人で部屋にいるときも描いた。悲しいタッチが多かった。
 恋した女の子の描写。しかし、それは苦手だった。本物や写真すらにも到底、及ばなかった。

 絵に対する情熱を忘れていた頃、サッカーに明け暮れていた日々、当時のガールフレンドに無理矢理連れて行かれた美術館での対面。黄色い絵。アルルの孤独な男性の考察。衝撃というのがあるとすれば、その画家の作品と、優れた内面を表した文章に触れたときだろう。一個人が、あそこまで正直に自分の内面をさらけ出せるのか。それは、公表することを目的にしていないためか。絶対的な自信とある意味での完全なる未成熟。

 その人の絵が金銭的な意味で、重要視されている報道が、その頃は多かった。天分を生かすことが円やドルで量られるとは、なんとも淋しい気がした。また同時代に、自分が生きている間に、当然の報いを受けることを望む気持ち。栄光や名誉を先延ばしに出来る期限。
人生全体が、ある種の才能を有しているものだけが感じてしまう、質の悪い結末のストーリー性のない喜劇映画。笑える部分が少ないドタバタ。出来の悪い脚本。醒めない悪夢。疲れきってしまった一人の男。その履き古された靴。オランダ人。

 しかし、人生にはさまざまな寄り道。回り道。生活の為に優二は会社勤めに入った。幸いにもデザイン会社での口が1つあった。その会社内でも他の才能に恵まれた人々が大勢いた。彼にもちょっとしたきっかけとささやかな幸運。ある食品会社のお菓子のパッケージを手掛け、それから、その会社のほとんどの製品を任せられることになった。やりがいのある日々だった。また金銭的にも報いの多い仕事だった。
 その頃には、たくさんの美術館もまわった。節操のないぐらい多くのものを吸収したい時期でもあったし、実際にも手に入れた。
 宗教画の歴史。王侯貴族の肖像画。ルネッサンス。印象派。それ以降のアバンギャルドの流派。それらをものにするのは、やはり余暇と金銭がどうしても必要だという事実。早くそのような状態になれることを望んだ。

 1つのきっかけとして当時、知り合いになった友人の紹介で、まだその時は無名バンドのCDのジャケットを彼が手掛けた。レコード店の片隅に並んだ自分の作品をばったり見つけた時は、少し誇らしげな気持ちになった。

 所属していたデザイン会社の規模が小さかったので、能力のある人はそこを足掛かりにして、他の会社にスカウトされたり、それ以降は独立したりするのが常だった。かれも31になった頃、そのような状況になった。彼は、会社勤めはもう懲り懲りだと感じていた。もう少し自由に自分の才能を伸ばしたかったし、別のジャンル、きちんとした油絵にも挑戦したかった。
 でも思い通りにはいかなかった。スランプも感じていたし、需要がないとどこから手をつけてよいか具体的に分からなかった。そのような時はカメラを手にして街を歩いた。自身で気に入った写真がとれると、それを元にして風景画を描いた。春には、咲いている色とりどりの花を接写した。一枚一枚の花びらの繊細さを絵筆で表現できるように。
 
でも、いつも考えるのは、アルルの暖かさ。そこにいる自分を考えてみる。自分自身の内面とのみ会話する時間。

 彼は、浮世絵に近付く。外国人の眼を持ったと仮定して。現代のテクノロジーまみれの日本人が簡単に江戸に戻れるわけもないのだが。しかし、風景に記憶や記録が残ってしまう。

 ゴッホが模写した渓斎英泉の描く人物。西洋の肖像画のモデルのたたずまいと根本的に違う不自然とも呼べる女性の姿。極端なまでの首の曲げ方。色を重ねることや、点描などではなく、些細な一本の線が重みを持つ瞬間。

 浮世絵を見続けることにより、彼も、女性の造型としての対象がほしくなり、以前のデザイン会社に勤めていたときの同僚に頼み、モデルをお願いした。顔のタイプは、鼻筋が通っており、なおかつ顔全体が華奢な印象を有していた。その彼女も絵を描くので、ほとんど同時に互いを見つめあいキャンバスを塗っていった。そのような多くの時間を共有している、同じことに専念している2人が、外面的な色や形に興味を抱き続けたにせよ、内面にまで興味を探求しないことなど可能だろうか?

 疲れたときに、よく2人は近くの公園に行く。きれいな噴水のある落ち着いた場所。遠回しに将来について語り合う。また、当然のこととして現在のことも。絵をかくことではなく、そのような他愛もない時間が多くを占めていく。さらに夜につづく。2人でお酒を飲みに行くことも、計画をしていたわけではないが自然と増えていった。

 でも絵もおろそかにしなかった。ある時には、お互いの指からはじめて、各部分をデッサンしていった。繊細さ。濃厚な時間。

 2人は都心に行く。ピサロとシスレーの展覧会があるためだ。このように、気張っていない絵画が2人とも好きだった。金儲けをあてにしない生活。日本人の置いてきたもの。その後、お茶を飲みながら、いつまでも語り合う。パリのはずれ、川のふもと。そのような場所で日がな絵筆をもって生活できたら。彼は、その頃、片手間に手伝った舞台の美術を誉められ、自分の意図とは別に、そちらの方面で忙しくなっていった。そのような状況も彼女になら話せた。
 2人はあるいて新宿御苑に入る。都会のオアシス。駆け回る子供。幸せの象徴としての乳母車。ゴッホの手に入れられなかったもの。普通の生活の固まり。刻々かわるものに目をとめた印象派。そして、手袋越しに2人は手をつなぐ。そう確認しないと消えてしまいそうな、なにかがあったからだ。

 近くのヴェネツィア料理店に入る。
「昔の江戸って、ベニスみたいに川ばっかりだよね」彼女が言う。
「そうだよね。あのまま残して都市を再構築ができたかもしれないね」
 料理が運ばれる。黒い色のスパゲティ。
「でも、いくらか昔のままの風景が残っている場所もあるでしょう?」
「そりゃ、あるよ。景色というか空気の中にも、記憶って残るものだよ」
 優二は考える。そうだよな、どこかを歩けば、ここを前に通った時は、ああしてたっけとか、その場所や、なにかの存在にも記憶自体が棲みついている。
「今度ね、フランスに行くことになった。何か、ほしいものある?」
 優二は思い巡らす。自分もどうしてもアルルに行ってみたい。
「どうしようかな。モンパルナスとか、もし行ったら、数枚写真を撮って来てくれるだけでいいよ」
 ユトリロとかモジリアーニ。一人はどうでもよい街角をアートにした。もう一人は、女性を不自然なバランスでありながら、美しく描いた。独創的でありながら、普遍性すら感じる。
「もしかしたら、留学できるかもしれない」
「本当に? すごいじゃん」
「その、下見も兼ねて」
「仕事は?」
「一時的なら、在籍したままで止めなくてもすむかもしれない。あとは相談で。優二君は戻る気ないの?」
「会社に? ないよ」
 2人で一本のワインを空けた。当然のように互いに饒舌になった。

 帰りのタクシーの中で、彼女は確認のように留学の件について話した。どうして、止めないのかということをも暗に含んでいたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする