爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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リマインドと想起の不一致(32)

2016年05月28日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(32)

 ひじりが誰とも交際しておらず、ぼくの求めに応じた幸運やチャンスを、どれほど理解し、評価していたかは不明で、あるいはまったく、当時は考えてもみなかった。例えば、付き合っている人がいるとか、好きな人がいて、頭の中から離れないという返答も、もしかしたらあったかもしれないのだ。ぼくはその架空の人物に嫉妬して、ある場合は羨望したかもしれない。自分をその立場に置けないという事実にも失望して。

 しかし、無償に近く得たものは体力にしろ、頭脳にしろ、あって当然と考えてしまう。裸で生まれても、自分には服を着せてくれる親もいて、夜に会ってくれる恋人がいた。預金残高もなく、自分名義の財産がなくても、ぼくは幸福だった。そして、普通のこととして認められない幸運こそ、手放しに素晴らしい贈り物なのだろう。

 ぼくには賛美する対象がありながらも、きちんと面前でそれらに相応しい一言も発したことがない。誰もそういう機微を教えてくれることはなかった。生まれながらに宿している性質として有しているもものいるのだろうが、ぼくはそっち側にいなかった。そして、後年、文字でその代替を不名誉なまま行っている。牢屋で幸せだった家庭をなつかしむ手紙を記して、一方的に送りつけるように。

 ぼくらの交際は一年を越える。それが恒久的な感覚を芽生えさせ、安心感も与える。終わりという予感はどこにもなく、このドラマは最終回をむかえないのだという誇らしさもあった。しかし、テレビや映画は結論を通過して判断を下すものなのだ。終わりがはじまりでもある。

 君はぼくの横にいる。ぼくの下にいる。斜めにもいる。当たり前だという認識は新鮮さを奪うものだが、いつまでもフレッシュな気持ちを失わせない場所にぼくらは奇跡的にいた。

 ぼくはその特別な部屋にひじり以外の者を住まわせることをしなかった。ぼくにとっての王宮でもあり、孤独な空間だった。相部屋でもない、たったひとりの予約された部屋。ぼくは、彼女を追い出すことをせまられていない。永久に連泊するのだ。

 ぼくらは写真を撮った。ひじりはカメラを手渡して、名前も知らない人にボタンを押してもらうように頼んだ。その数秒で、とある無名の女性は、ぼくがひじりについて思っていることを推測できただろうか? 当然のこと無理だ。その女性はあのぼくらの町にいない。ぼくとひじりの日常や、非日常を知っていない。

 ぼくは何日か後に、その写真の焼き増しをもらう。ここにあの日の彼女がいる。封じ込められた中世の王女のように彼女はここにいる。

 ぼくは壁に飾る場所をあれこれ考えながらも、それを先延ばしにして、一先ず引き出しにしまう。彼女がくれたもの。無形のものや、有形のもの。永続するものや断片的なもの。そのすべてが受粉を待つ花のように、神秘的で神々しかった。

リマインドと想起の不一致(31)

2016年05月19日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(31)

 秋になってひじりは少し大人びる。服装にシックという要素が加わった。だが、話せば十六才の普通の少女に過ぎない。完全な大人の女性という姿をまだ手に入れていないし、ぼくも鑑賞していない。

 ここで彼女を失った。いや、ここで彼女を失うさきがけが生じた。

 大人というのは、手放しに魅力につながるものだ。匂いや、立ち居振る舞いに表れた時にこそ。

 サッカー選手のレギュラーも調子が悪ければ試合の途中で交代させられる。ぼくは自分の未熟さを正当化させる言い訳をさがしていた。言い訳や理屈は性能の良い接着剤のようにあとでいくらでもくっつけられるものだ。調子が悪いのも、バランスをくずしていたのも、決してひじりではなく、ぼく自身の側の問題だった。ひじりに非はない。ぼくはある年上の女性の誘惑に身を任せた。責められる要素があればこそ、いたく甘美な体験になった。

 ここに君はいない。ぼくは排除したつもりもないが、ある日、彼女を遠退けた。彼女は親と旅行に出掛けていた。ぼくとゆかりという女性は野球を見て、食事をして、寝た。

「若いのに、上手なのね」とゆかりは言う。いまのぼくはお世辞に過ぎないのを知っているが、そのときはただ単純にうれしかった。

 何度かあやまちを犯し、ゆかりが飽きたのか、ぼくの罪悪感が喜びより勝ったのか分からないが、関係は直きに終わった。となりの芝生は青く、現在の芝も曇りもなく華々しく、かつ初々しかった。

 ぼくはまた以前のままの自分に戻る。ぼくには論理だって責められる理由はなく、美点も欠点もうやむやにでき、証拠がないために立証できないことを確信していた。すると、ゆかりが年上の男性と付き合っているといううわさを耳にする。土は丹念に舗装され、もともとあった花や種子は見事に地面の下にかくれた。

 ここに君もいる。ぼくの汚点を信じることさえできない君がいる。より一層、美しくなりつつあるひじりがいる。どうして、ぼくはこのような愚かな迷いを自分に許したのだろう。

 ぼくらはパンとジュースを買い公園で陽を浴びていた。秋は猶予もなく、段々と日を短くする。その分、夜のひじりと長時間いっしょにいることになる。朝のひじりと昼のひじり。夜のひじりは今朝より数時間だけ大人になる。別れたその後の夜中のひじりはぼくのものではない。

「何かいいことあった?」

 と、突然、ひじりが無邪気に質問する。ぼくにとっての良いことは、確実に彼女にも無条件に歓迎されることなのだ。感情は等しさや一致に近づくが、ぼくらの身体は分離される。その肉体の影響が自ずと気持ちにも表れる。

「とくに、ないけど」

「そうなんだ」だが、気にもしなかったように直ぐにひじりは最近、自分に起こったことを楽しそうに話し出した。最後の結末に近づくにつれ、その前に自分でこらえ切れずに吹き出してしまう。到達したはずの話題は少しだけ先延ばしにされる。ちょっとだが我慢して結論を待つ。少しだけ裏切る。それは分量という問題ではなかった。ぼくはゆかりのある一部を空想する。両方を取捨もなくもてる王様のような立場も同時に夢想する。

リマインドと想起の不一致(30)

2016年05月08日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(30)

 ここに彼女もいた。

 ぼくは連続性、一貫性に困っているのか、それとも、その事実をぼく自身が疑っているのか分からなくなっている。

 ぼくはひじりとあてどなく歩いている。背景には公団の無機質な建物が縦横に並んでいる。もしここで記憶喪失になったり、自分の父のように記憶がなくなるまで酔ったら、帰る家すら分からなくなる不安があった。ぼくもひじりも恵まれたことに一軒家に住んでいた。だから、その心配はいまはない。

 反対に、ぼくは今後、どんなことが起ころうと、ひじりが髪型を変えようが、服装を地味にも、派手な奇抜なものにしても見つける自身があった。ひとつの個性を愛しているのだ。発見に近かった。そして、ぼくらには小さな歴史が作られつつあった。

 夏が終わる。ぼくらは何度かその間に身体を重ねた。昨日と今日で一日分だけ知り合える。その日の彼女は度のないメガネをかけている。ぼくは部品と考えている。小さなパーツ。ぼくは彼女からそれを外す。ぼくらの間は0ミリになり、また10センチほど離れることになる。若さは汗の量でもある。ぼくらはひとつのポカリスエットを交互に飲む。

「女のひとって受け身ばっかりで、上達とか考えなくていいのかな」とひじりが言った。
「どういうこと?」ぼくにとって最上級の難問だった。そして、きょとんとした顔と評された。
「なんとなく」

 ぼくは理解できないまま家に着く。時代は八十年代の半ばでテレビでは洋楽を流す番組はそうはない。ラジオ局もそう選択肢はなかった。友人から借りたテープをぼくは流す。世界は愛や恋より重要な問題らしきものもありそうだった。思想や世界平和や貧困の問題があった。ぼくはチャリティーのうさんくささを信じていない。またひとに施しをするほど恵まれた環境にもいなかった。かといってひとから恵んでもらうほど困窮してもいなかった。ぼくはラジオをFMからAMに変える。世界はよりいっそう身近になる。ひとは向上心だけで生きているわけでもない。欲にまみれ、下品なことの追求もある種の青春の正統な発露だった。

 コーヒーを飲み過ぎたためか眠れなかった。すると一匹の蚊が顔の周辺を往き来する。それも彼らの真っ当な仕事だった。ぼくは電気をつけ蚊の居場所を探すも、光のもとではシャイらしくまったく姿を見せなかった。

 ぼくはふたたび暗闇のなかで、先ほど耳にしたひじりの上達ということばを頭のなかでもてあそんだ。あれは、愛の一途な表明でもあり遊戯でもあった。啓示のようにキャッチボールのうまい先輩のことを不意に思い出した。気持ちのいいということはああいう状態を指すのだろう。そう思いながらぼくは睡魔に簡単に導かれた。目を覚ますとまだまだ夏の朝だった。セミだけがいくらか元気が足りないようだった。

リマインドと想起の不一致(29)

2016年05月07日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(29)

 江川と西本がいた。人気のないリーグ側の(実力はあった)ロッテには野武士みたいな落合がいた。関西の鉄道会社はまだ球団をたくさんもっていた。産業も変わる。小売りの時代ではなかったのだろう。

 三島由紀夫は辛うじてまだ読まれていた。夏休み前には読まれるべき文庫本が本屋に平積みされていた。

 インターネット網は発達せず、それより、そういう計画自体が知られていなかった。だから、仲間内は小さく、同じ意味合いでより広かった。商店街で近所のおばさんが買い物をしている。どこか見知らぬ倉庫から我が家まで配達してくれるわけもなかった。酒は酒屋で、魚は魚屋だった。

 君もここにいた。ぼくは、ありふれた曲のサビのように、この八字をくりかえし唱えなければならなかった。

 ぼくは電話をする。それ専用の国営企業はいくつかに分かれた。だからといって電話が通じなくなることもなかった。ぼくはひじりの声を聞く。電線を通じて。どんな仕組みか分からないながらも。

 ぼくにはなつかしむという感情もまだなく、すべては進行形のなかにいた。そして、愚かしさという事態も知らず、賢さという定義も手の平にも、胸の中にもなかった。三十年の無駄な知識をひきずったぼくはあの情熱を思い出すという手法でしか取り戻す術を与えられていない。

 その間にたくさんのスターが生まれ、多くがその後、濁流に呑み込まれた。彼女はバイトが休みだった。前日に航空機がどこかのはじめて聞く名前の山の中腹に落ちていた。ひとり、スターが消えた。もっと多くの個々のスターがいただろう。ぼくは電話をしながらその様子を見守った。世界は安全な場所ではなかったが、電話をしているぼくとひじりは危ないところで危険地帯をすり抜けていた。

「こわいね」と、ひじりがぽつりと言った。ぼくは完全に彼女を守る方法を探した。いつもそばにいることはできない。ヒット曲は不可能なその類いのことを歌う。彼らもまた童話のなかにいた。

 現実は童話ほど甘くはなかった。ぼくは翌日、本屋で読むべき本を探す。まだ、ぼくは意図的に本を手にしたことがない。その後の人生を考えれば大きな一歩であったわけだ。頭を悩ました作家や哲学者の人生も煎じ詰めれば数百円で流通されている。相対的な価値というのはその程度のものなのだ。

 ぼくは風量を強にした扇風機に吹かれて本を読んだ。ここにひじりはいなかった。ぼくだけの世界が構築される。いや、ぼくとどこにいるかも分からない作者とだけの間柄だ。ぼくはある場合、死人と会話する。死んだひとが生きている間に頑張った事柄を無心に受容する。ぼくには判断材料の在庫も一覧もなく、比較したり検討したりすることも許されない。一先ず、受け入れる。反発という感情もない。だが、目の前にいる両親を小馬鹿にして、反論する。

 ひじりに呼び出され、ぼくは外に出る。夏の夜はまだまだ暑く、盆踊りの音が遠くから聞こえる。死者がどこかから戻ってくるのかもしれない。迷信に過ぎなくても、行事というのは滞りなく進めなければいけないのだ。