爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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問題の在処(31)

2009年03月31日 | 問題の在処
問題の在処(31)

 順調にお腹はふくらみ、その誕生を期待するようになっていた。彼女は、数か月前に産休を取った。いつか仕事に戻るのか分からないが、彼女には、その様子がないようだ。このまま、家庭で子供を育てることを、いまのところは望んでいた。

 その前に、彼女の両親に会って結婚の許可をもらいに行った。ふたりは拍子抜けするほど、あっさりと許してくれた。しっかりした自分の娘の判断を大事にしているようだった。それを感じて、ぼくはあらためて決心にともなった責任の重さを知った。

 それぞれのアパートを引き払い、ぼくらは家族と収入に応じた家に住まいを替えた。ぼくは、家のことをすることが減ってしまった。しかし、一人で暮らしているより居心地の良いものに変わったことは間違いない。

 時間が経って、ぼくは病院の一室の前にいる。彼女の体調は急激に変化を遂げ、もう一つの命をまさに産み出そうとしている。それを、ぼくは変わってあげることは出来ない。ただ、期待と不安に包まれているだけだ。

 元気そうな男の子が夜中に産まれた。ぼくは、家族をもった手応えを感じていた。その時にでも、頭の片隅にはA君がいた。彼にも、このような瞬間が将来のいつかに訪れてほしいとも思っていた。

 男の子は、幸太と名付けられ、世間の一員になる。それ以後は、早かった。
 彼は、歩き出す。自分の疑問を問うことを覚える。泣かないように我慢することを、ある日学んだ。一緒に遊んでいる子が有利になるよう、取り図ってあげる優しさを見せた。そうしたことが、成長の一部であるようだった。当然のように、ぼくも祐子も一緒に成長していた。

 その一部を写真というかたちでA君にも送った。彼は、いまだに別の世界にいる。

 ある夏休み、ぼくらは千葉に海水浴に行った。祐子は大きな帽子をかぶり、さらに大きな砂に刺した傘の下に隠れていた。ぼくは、幸太に手を引っ張られ、砂浜と海水の境にいた。彼の小さな海水着は、もう来年には着れないだろう。少し、遊んだあと彼は急に眠気を感じ、祐子の横で眠ってしまった。ぼくは、アイスクーラーからビールを取り出し、缶を開けて飲んだ。祐子も同じように口にした。見上げると、空は限りなく青かった。

 ぼくは、少し経ち彼ら二人の静かさを後に残し、海に入った。どこまでも遠泳しようと思った。そこで、手足を動かし、波に乗った。

 この海は、まだ学生のころ、A君とB君と一緒に来たことがある。その当時をぼくは、泳ぎながらも考えていた。自分の存在が遠くまで来てしまったことを実感した。誰が、当時この家族3人で自分がここにいることを想像できただろう。ぼくは大きなオレンジ色の丸い球をつかんで、休憩した。そこから、砂浜の方を眺めると人がいることが分からなかった。海の家の大きな木製の柱と屋根だけが目に入った。

 そこから再び、ぼくは泳いで戻った。彼女らは、ぐっすりと眠っていた。幸太は、彼女の腕にからまれ、一体になっているように見えた。
 夕方になって、泊まっているホテルに帰った。ぼくと幸太は一緒にシャワーを浴び、砂を落とした。そこから出ると、彼女は冷たいものを飲んでいた。日焼けしないようにしていたが、いくらか鼻の頭が赤くなっているようだった。

「ごめん先に。あれ、鼻、日焼けしたみたいだよ」と、ぼくは自分の鼻を指差し、口に出した。

「え、やだな」と彼女は眉間にしわを寄せ、鏡に向かった。
 夜になり、乾いた衣服に包まれ、近くのレストランにいった。いま、稼いでおこうという雰囲気が、その店に充満していた。活気があって、華やいだ女性たちも多くいた。それを目の端で追っている若い男性もいた。

 ぼくらの前には新鮮そうな魚介類が並べられた。幸太は、大きな海老のヒゲを興味ありげだが、おそるおそる触った。動かないと分かると、安心して握った。ぼくらは楽しかった。そこに隣の部屋に泊まっている幸太と同じ年ぐらいの女の子が入って来た。

「あの子と、お友達になれた?」と、祐子は顔を近付け問いかけた。
「うん、なったよ。パパも友だちができた?」と彼は、ぼくに尋ねた。
 ぼくは、しばらく黙ったが、この文章がその答えになることを期待した。

(終わり、ネクスト)
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問題の在処(30)

2009年03月31日 | 問題の在処
問題の在処(30)

 また再スタートになった。新しいYシャツとネクタイを身に着け、面接に行った。ある児童書を主に取り扱っている会社だった。まったく今までの自分と関係のない会社にも面接にいったが、結果は悪かった。自分は、人生の裏面ばかり気にしていたような会社に所属していたので、今回もあきらめていたが、数日後には連絡があり、雇われることになった。それで、希望が膨らんだ、とかはまったくなく息をひそめて生きるような気持ちだけが残っていた。

 扱っているものが違っても仕事の順番などは、さほど違いがなかった。ただ、やり合う相手が世間ずれしているとか、社会に出る書物の受け取り手が違うだけのような気もした。

 そのような時に面倒見のよい女性があらわれた。ぼくは、26になっていた。その人は29歳で短大を卒業してからその会社に入っていたので、その面ではかなりのベテランだった。ぼくを、まったくの素人と考えていたようでいろいろなことを手取り足取り教えてくれた。ぼくも、仕事を覚えて直ぐに戦力になりたいので、たいへん役に立った。

 しかし、仕事ではまじめに働きながらも、会社の終業時刻になれば、さっと引き揚げた。自分では悪いことをしていなかったが、誰かと深く付き合うことを恐れるようになってしまった。また、妥協して自分から言い出すようなことでもなかった。

 それでも、ずっとそうしている訳にもいかず、また女性の多い職場なので、なにかと勝手に想像されるのも嫌なので、4,5回に一度ぐらいは夜の飲み会にも出かけるようになった。

 そのような時にでも、自分から楽しい話を持ち出して人を笑わせる、普通の人はするであろうこともしなかった。人の話をきいて、たのしい時は少し笑った。その合間に、これまた少しだけアルコールに口を近付けた。

 ぼくに仕事を教えてくれる人、祐子さんといった、はぼくと帰りが同じ方面なので、一緒に地下鉄で帰ることもあった。そのようなときに、「なにか心配ごとでもあるの?」と訊いてきた。さきほどの場を盛り上げる祐子さんとは違って、女性っぽくなる瞬間だった。ぼくは、こころを閉ざすのが習慣になってしまっていた。なので、返事も曖昧だった。

 そのようなことが何回か続いた。ある日、ぼくはいつも以上に酔った。自分の本心は、このように大人しく振舞うことに慣れていなかったのかもしれない。その時も、いつもの仕事のように祐子さんがとなりにいて介抱してくれた。急にぼくがそのような態度をとっても彼女はなんら変わらない応対をした。
 ぼくは、かなり酔っていたので、自分の友人のことを多分話しただろうと思ったが、彼女の態度にはそれが見えなかった。

 気がつくと、彼女の家で朝を迎えた。何度もこうした過ちを繰り返しているような気がする。そんなことがあっても職場での彼女は、いつもと変わらず、またぼくの仕事の心配もしていた。

 ぼくは一度だけで終わらそうとしていたが、彼女はそうは思っていないらしく、次の約束が決められていく。それが決められれば、従うようになってしまった。ぼくは、またある種の関係を第三者と結ぼうとしていた。それが生きるということならば、多分ただしい選択なのだろう。

 時間は過ぎ、仕事にも慣れ、ほかの人ともいくらか打ち解けるようにもなり、楽しい環境になり始めているときだった。祐子とも、休日にもデートをするようになっていた。この関係は、ぼくが望んでいたような人生設計には入っていなかったが、しかし、これが自分にぴったりと合っているといえば、そうは言えた。
 あるレストランにいた時だ。二人の前には細長いシャンパングラスがあった。そこからは微小な泡が上にのぼっていた。幸せな状況であったのは確かだ。

「言わなければならないことがあるの。わたしに赤ちゃんができたみたい」
 こういう瞬間が来ることを予感していなかった。しかし、即答することはできた。「おめでとう」

 自分は、命を大切にすることを知った。その命をどうこうすることは反対されてもできなかっただろう。
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問題の在処(29)

2009年03月28日 | 問題の在処
問題の在処(29)

 長いこと触れていないアルバムだったが、自分の母校のものであることは直ぐに分かった。隣の同僚は定時ギリギリにならないと出社しないので、その前に様子をうかがいながら開いてみた。

 A君は、その年代特有の初々しさをもって写真にうつっていた。数ページめくるとぼくの顔写真もあった。自分の以前の顔は、どこか完成されていてまた逆にこれからたくさんのことを経験しなければならない未熟さももちろんあった。

 定時になって、やっと隣にも同僚があらわれ、忙しげに働き出した気配があった。彼は、情報をどこまで入手しているのだろう。その時、ふと彼の喉からおかしな音がした。

「これ、何々さんですよね?」と、ぼくの方にむかって訊いた。「なんだ教えてくれたら簡単だったのに」
「いや、人違いだと思っていたので」
「彼のこと、覚えてます?」
「まあね」
「どんな感じの子だったんですか。連絡をするような間柄ですか」

 そこから、今までのぼくらの関係を説明した。誰にきくと、一番、彼の人柄が分かるか尋ねられたが、それは多分自分だろうと思った。B君の存在があったが、彼に迷惑をかけてしまうようなことは拒みたかった。しかし、どこかで友人が誰であったのかは、その後の同僚の取材で分かってしまったらしい。

 仕事柄、自分が話さない訳にはいかなかった。その後、自分の雑誌社以外にも何件か、同じように質問された。当然のことだったが、彼がそんなことをする人間には思えなかった、と答える以外にぼくに出来ることはなかった。

 その後、A君の20数年の人生がかいつまんで報道された。それは、成功者にはほど遠いイメージだった。学歴もなく、職を転々として、それからこういう事件を起こすに至る、という内容だ。彼を知る自分にとっては、そんなレッテルを貼り付けてほしくはなかったが、世間はそうしたものを求めていた。また、簡単にジャンル分けして、どこかに納めたかっただけなのかもしれない。

 A君の裁判が始まる頃になって、ぼくは自分の仕事にも嫌気がさし、辞めてしまった。決して、満たされないなにかがこころの中にあった。この現状を続けていれば、それは膨らんでいく一方だろう。また、彼に対する間違った報道に、自分もなんらかの形で加担してしまった責任も感じていた。ぼくに、方向を変えることは出来なかったかもしれないが、多少は誠実な記事がどこかに残っても良かったのかもしれない。

 いくらかかるのかも知らないが、A君の両親は彼を見捨ててしまったので、ぼくが裁判の費用を肩代わりした。それが続いて最終的には、ぼくの貯金がすべて消えてしまった。別に後悔しているわけではない。ただ、ぼくが若い時に書いた、あるひとりの女性のための伝記で手にした金額がすべてなくなった。ひとりの人生の栄華の代価が、ひとりの人生を救う金額に化けたのだ。最後には、救うことにはならなかった。罰を定める金額になっただけだ。

 A君の正当性も悪意も、もうなにも書き残したくはない。ただ、子供のころから知っている人間と、気軽に会ったり話したりすることは不可能になってしまった。自分の息子にも親友というものが、いずれ出来るのだろう。なによりも大切なものがなくなってしまったぼくのようにはなって欲しくなかったが、未来は誰にも分からないのだ。

 貯金も底をつき、ぼくはまた仕事を探すことになる。いままでとまったく違うことがしたかった。あまりにも大きな夢や希望なんていうものは、もうぼくには残っていなかった。ちいさな欠けらすらなかったという方が正しいかもしれない。ぼくは、本気で人と接することもできなくなってしまったのかもしれない。

 それらから、立ち直ることは出来るのだろうか。やってみる価値はあるのだろうが、成功も失敗も、その当時のぼくには、関係のないことになっていた。
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問題の在処(28)

2009年03月27日 | 問題の在処
問題の在処(28)

 メモを手渡された。内容は、同棲中の男女のいざこざがあり、その結果は男性が思い余って女性を刺殺。男性は警察に自分で出頭したそうである。ぼくも、何度も見たような新鮮さのない記事である。

「そうですね、またですか」と、同僚に言ったような記憶もある。しかし、その名前を見てからは、他人事ではなくなった。

 男性の名前がA君と同じであったからである。最初に考えたことは、同じ名前の人がいるであろうということと、彼がそんなことをするわけではないという認識だ。

「ちょっと、席を外しますね」と言って、会社のロビーにある公衆電話に向かった。電話をかけるとA君の自宅には案の定、つながらなかった。さらに、B君の名刺を見つけそこに電話をかけた。

「なにか知ってる?」と用件や挨拶もなしに、息せき切って言ってしまった。彼は忙しいながらも相手をしてくれたが、なにも知らなかった。知らなかったので、事件をかいつまんでぼくの方から告げた。B君も驚いたが、ぼくと同じように、「人違いだろ」と簡単な感想を言った。ぼくも、そうあってほしいとは返答したが、嫌な胸騒ぎは消えなかった。

 部屋に戻り、知らない振りをしたかったが、そうも出来なかった。だが、急ぎの仕事があったので、そちらに関係する資料を入念に調べた。調べながらも時間が止まってしまったような気もしたし、また時間がいつもより自分の周りを素早く通り過ぎてしまうような不思議な感じも同時にもった。圧倒的な向かい風の中にいながら、耐えられないほど後ろからの追い風の中にもいるような変な対流を感じていた。

 今日やるべき仕事を、遅れもせずにこなし、一日が終わろうとしている。さっきの同僚は熱心に取材をつづけ、たくさんの電話をかけていたことも聞こえていたが、進捗状況を訊いてみた。

「なんだよ、急に。いつも、こんな事件に見向きもせずに」
「そうだったけ」とごまかしながらも、彼の眼の隅には好奇心があった。それは、そこはかとないものだった。

 状況を確認すると、それは確かにA君のようだった。今の家や、実家などと照らし合わせても、彼に間違いはなかった。だが、なぜそのようなことが起きてしまったことは、まだ分からなかった。

 家に着くもニュースにはかからないものが多く、もしかしたら早めのニュースにまぎれ、もう古びてしまったのかもしれない。それで、家の留守電を確認すると、何人からの録音が残っていた。しかし、それは何も教えてはくれなくて、逆にぼくに問いただしているものが多かった。

 夜の遅い時間で悪かったが、B君にまた電話をした。
「やっぱり、Aみたいだな」と二人のこころも口調も重苦しく、会話は当然のように途切れがちになった。
「取材が多くなるかもよ。ハイエナのように吸いつかれるよ」
「お前の仕事みたいなところだろ」

 ぼくは、返事ができなかった。その通りであるのは間違いはなかった。二人で持っている情報を足しても、なにか発展したものに変わることはなかった。ただ、互いの心配が本物であるということを確認しただけだった。その夜、ぼくは寝付かれなかった。明日のことを考え、憂鬱な気持ちが芽生える。多分、大きな事件ではないが彼の交有関係が調べられ、そこにぼくも浮かび上がることだろう。彼らにとって、取材をする人間が隣にいるわけだ。それを、彼らは得意にしている。

 それでも、いくらかは寝たようだ。だが、身体は不自然に重かった。いつものような満員電車に揺られ、頭に入らないながらも文庫に目を通し、いつもとまったく変わらないように努力した。努力をしても、なにかが大幅に変化することはまったくのことありえない。

 社に着いた。いつもの座席にすわる。ここだけは、いつも慌ただしい。慌ただしいながらも、ぼくは猛烈に孤独を感じた。大切な友人が、自分から遠く離れてしまった。その前にぼくはなにかが出来た筈かもしれない。自分を責めても仕方がないが、なぜかそうした。そして、隣のデスクには、見覚えのある卒業アルバムがあった。
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問題の在処(27)

2009年03月25日 | 問題の在処
問題の在処(27)

 平穏無事な日々が続いた。ぼくを悩ませるものは、その時には何もなかった。それが、幸福かといえば分からないが、思い出としてこころに刻むような出来事が少なかったのかもしれない。なので、こころに波風の立ちようもなかった。

 毎日が淡々と過ぎていった。あまり熱心になれない仕事ながら忙殺され、疲れた頭を癒すように同僚や友人たちと酒を飲む日々が週に数回あった。

 自分には未来を切り開くようなエネルギーが欠けているようにも感じた。大きな流れに身を任せたが、辿り着きたかったのは、そのような場所ではないという居心地の悪さもあった。しかし、大方の人間はそんなものだよ、という先輩の酔った目をみながら聞かされると、それも間違っていないということも理解できた。だが、間違っていないことは、即刻正しいという判断にはならない。

 ふとした時に、自分のなれそうな最大限の人格をイメージした。イメージはするが、それがこの世の中に生きていて、暮らしていけるだけの金銭を得られるかはまったくの別問題だった。そう考えると、過去の選択自体を陽の下に照らして点検する必要がありそうに思えた。

 成り行き任せの将来の具体像がなかった女性との関係。もう少し、人に自信をもって言えるだけの職業とかなどもその一部だ。

 そのような時に、悪魔は(こんな表現を使うしかない自分の限界)他の人と自分の生活を比較させて、より自分は劣っていて、不幸せであると納得させるよう躍起になるのかもしれないのだ。そして精神が空中分解するまで追い込んでしまう人もいるのだろう。

 その頃だろうか、日本には災難が続いた。その後、地震があったりテロがあったりして痛ましい事件も続いた。速報性を求められている雑誌社は絶えず忙しさに足元をさらわれていく。しかし、忙しさは考えることを中断させてしまう。

 B君は、女の人を取り換えることを辞め、早々と結婚することになった。その子は、この前にあった子だが、今までとはまったくタイプが違い、地味な感じの人だった。なぜ急に方向を転換して選んだのかは分からないが、それでも、こちら側にもまた正しい選択であるということを納得させる何かがあった。いつまでも、輝きだけを求めて生活することも出来ないのだろう。なにか堅実なものを土台として、それを地道に膨らます努力にシフトする時期が、ぼくらにも来ていたのかもしれなかった。

 ぼくには、そういう相手がまだいなかった。女遊びを続ける友人もいたし、それを横目に見ながら、ぼくも少なくない過去の女性のことを脳裏に浮かべた。自分の幸せだけでもなく、彼女たちの今後のことも考えた。幸せになってほしいとも思おうが、その思いも人間である自分としては思い上がった考えでもあるかもしれないと理性的に判断した。

 多くの事柄が自分にとって対岸の火事だった。仕事上でも、そうだった。自分に影響を与えることも少なくなってしまった。

 そのような時に、ある事件が起こる。ぼくが、ここで勤めているのもこうした運命のやりくりの一部であることを違う何かが確かめようとしていたのかもしれない。

 しかし、将来のことなど知りえない自分は、いともたやすく騙されてしまう。未来は、順調なのだと。

 朝、いつものように眠たかった。新聞もテレビのニュースも見なかった。
 職場につき、定位置に座る。コーヒーを飲みながら、今日のざっとした計画を頭に浮かべる。そうなることも少なかったが、こうした頭の訓練を日常的にするようになっていた。自分の一日の指揮官は自分自身であるということを確かめるため。その時、こんな事件があったよ、と隣の席に座っている同僚が声をかけた。
「ひどい世の中だよな」
 彼のいつもの口癖がはじまったと思いながら、メモを見た。
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問題の在処(26)

2009年03月24日 | 問題の在処
問題の在処(26)

 そのような身軽になった時だった。A君が久々に地元に帰ることになった。ぼくも自分の生まれ育った土地に戻るのは、随分と長い間していないことだった。どこかで会おうという約束が成立し、それで、予定の時間に間に合うように、懐かしい土地に向かった。

 駅に着くと目に入る景色は、様子が少し違った。このような時に考えるのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画の内容だ。観た当時は、なかなか気付かなかったが後で振り返ると、頭の中にある街のサイズと、実際のそれとは、違って見えるということなのだろう。そこまで期間を空けることはなかったかもしれないが、その年代特有の忙しいふりが、自分をそうさせなかった。

 A君とB君と待ち合わせている場所についた。二人は、もう先に来ていた。二人といったが、本当は四人であった。それぞれに交際相手がいた。ぼくには、いなかった。

「お前も、もてないな」とB君は、照れ隠しのように言った。
「そうだな」とぼくは微笑みながら軽く頷いた。明日香には、その頃ある程度の知名度があった。直ぐに廃れてしまったが、その時は、それを誰かに告げるなどとは自分に考えられなかった。

 5人で食事をしたが、それぞれの環境の違いなどもあり、最初の頃はうち解けなかったが、次第に中学からの同級生という立場が、徐々に垣根を取り除いていった。

 A君は、交際相手と同棲しているとのことだった。仕事のお得意先の会社で勤めていたとのことで、成り行き上、仲良くなっていき付き合い始めたとのことだった。彼は、とても幸福そうに見えた。それを見て、自分も我がことのように嬉しくなった。

 ぼくも最近のことを訊かれたが、しばらくは誰とも付き合っていないと言ってしまった。友人たちに本音を明かさない自分は、友だち甲斐がないような気がした。しかし、そんな瑣末なことは直ぐに忘れてしまった。
 彼らは、それぞれ実家に戻るということなので夜の八時ごろに別れた。ぼくは、帰るには時間がまだあったので、以前にバイトをしていたレコード店の方に向かった。店長がいれば、挨拶ぐらいしておこうと考えていた。もう5年近く時間は過ぎていた。しかし、ぼくの短い歴史では重要な場所だった。

 近くまでいって見上げると、その場所はカラオケ店に変わってしまっていた。彼らは一体どこにいってしまったのだろう。呆然と立ち尽くして、その幻影を見つめていると、母親と子供の親子三人がぼくの横を通り過ぎた。そして、そのお母さんがぼくの方に向かって声をかけた。

「・・・君だよね?」
 それは、確かにぼくの名前だった。振り返ると、レコード屋の店長の奥さんだった。
「あ、久しぶりです」と言って、小さく会釈した。
「どうしたの? 急にこんなところで」
「友人が地元に一時、帰ってきたのでぼくも一緒に食事でもということで来ました。ついでに店長に挨拶でもと考えていたんですけど、店がなくなっていました」
 と、ぼくは事実を告げた。説明によると、その土地を貸し、もっと儲かるカラオケ店に替えたそうだ。自宅は近くのマンションに移り、そこに住んでいるそうだ。
「・・・さん、覚えてる。小さい頃遊んでもらったのよ」と5年だけ大人になった少女に問いかけた。その子は、「うん」とちょっとだけ恥ずかしそうに首を傾けた。だが、直ぐ母親のスカートの裾をつかみ、隠れてしまった。

 より年少の子は、はじめて見た。可愛い子だった。その年代の子としては、ちょっとだけ肌が浅黒かった。ぼくが見ている視線の先には、店長の奥さんの視線もかすかに感じていた。

「うちのは相変わらず、夜はどこにいるか分からないのよ」と彼女は言った。
「また近いうちに来ると思うので、その時にでも」と、曖昧な返答をしたが、おそらくその機会はないのだろう。電車に乗り、まぶたを閉じた。過去と現在と未来の自分を、どのような基準で計測すればよいのか答えを探した。
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問題の在処(25)

2009年03月23日 | 問題の在処
問題の在処(25)

 なんとなく薄々は感じ始めていたのだろう。誰かが自分の手から、するりと抜け出す状態と遭遇する。それは生きている間は、避けられないことなのだろう。

 売り出し間もない女優がいる。彼女には、無制限の未来がある。それを男性の視線が見逃すはずがない。明日香の帰りの遅い日々が続くようになった。自分も仕事柄、おなじように遅くなることが多くなった。それで、夜のひと時を一緒に過ごす時間も必然的に減っていった。

 そのようなことが続いたある日のことだった。編集部で、ぼくは一枚の写真を手にする。男女が一緒に仲良さげに歩いている姿が写っていた。それを使って記事をまとめる仕事が与えられる。どのようなことも体裁よく仕上げることが知られ、ぼくのところに回ってくることが多くなった時期だった。だが、その写真を見て、ぼくは動揺する。なぜならば、男性の横にすがるようにしているのは明日香であるからだった。そして、動揺しながらも、やっぱり、こういう瞬間が来ることも予感していた自分がいた。彼女の輝ける未来に、多分、ぼくは参加することがない事実と対面する瞬間ということがらだ。

 ぼくは、気分転換のために同僚と、近くの店へコーヒーを飲みに行った。
 事実があるのは確かだが記事自体を揉み消したいという気持もあった。上の空で同僚と話しながらも長くは席を空けられずにいた。それから、勘定を済ませ、部屋に戻った。

 また、写真と対面する。それを持って、写真を撮った人に電話をかけ具体的な状況などをきいた。彼は、その時の詳細を手帳にでも残していたのだろう、少し時間があって、棒読みの言葉で状況を語った。
「きっと、大げさに書くようには値しないかもな」と彼は、電話の切り際に言った。

 ぼくは、歯車であることの手前、売上に関わることを避けることは出来なかった。それでも、なんとか自分のレベルは保てる内容にしたかった。もちろん、その記事を文学作品にする訳でもないが、文章に敬意をはらうことは忘れたくなかった。

 家に帰って、久々に明日香とあった。最近の出来事をきつくならない口調でたずねた。

「別に、変わったことはないけど」と、彼女はきょとんとした表情になった。なんで、急にそんなことを訊くのだろう、とぼくはやましさが半分のこった気持ちで過剰に反応したかもしれない。

 ぼくは、自分の書いたものの真意を言いもしなかったし、当人に尋ねることもしなかった。そうしている間に確実に時間だけは過ぎた。彼女にへんなレッテルがはられることを恐れたが、もう手を離れてしまった以上、どうしようもないことだった。

 それで、雑誌の発売日になった。彼女は前日に、誰かから聞かされていたらしく、その日はぼくの家に戻らなかった。ぼくの存在のことをよく思っていない人が、彼女の所属しているところにいたらしく、これでその人の気持ちも納得できてしまったのだろう。

 数日して、電話がかかってきた。当然のように、雑誌に書かれたような二人の関係はなかったし、やましいことは何もない、だが、ぼくが彼女に言わなかった事実にショックを受け、そのことにこだわりつづけた。

 ぼくも明日香のことを信じたかった、と言ったが本心はどこまで信頼に足るかは当人のぼくですら分からないことだった。

 ぼくらの関係は、あっ気なく終わり、彼女はぼくの居ない間に自分の荷物をかたづけた。ぼくもそろそろ、自分の住む場所を変えたかったこともあったので、家賃を払う時期のタイミングを計り、別の場所に引っ越した。

 こうして、ある女性のことを思い出に変換する作業に入るわけだが、そう簡単に気持ちから彼女の残像は消えてくれなかった。そして、いまでも時折彼女のことを思い出すこともある。

 ある日、彼女は外見を重視しているグループの列から消え、田舎に帰ったそうだ。それで、ぼくもふとした時に彼女の存在を見てしまうこともなくなった。

 何枚か残っている明日香の写真は取っておいたつもりだが、注意深くもないせいか、どこかでなくしてしまったらしい。ぼくは、自分の交際している女性と離れることになってしまった自分の仕事に多少の嫌悪を覚えたが、これもただのスタートにすぎなかった。
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問題の在処(24)

2009年03月19日 | 問題の在処
問題の在処(24)

 4月になった。自分の収入の土台として、ある雑誌社で働いている。主に有名人の私生活に張り付き、それを扇情的に書き立てて売上につなげるようなタイプのものだ。それを人生最大の目的として働いている訳でもなく、なにかのステップに役立てれば良いと考えていた。

 その頃には、明日香もきちんとした定期的なドラマに出るようになっていた。その所為もあって、二人の会う時間は自然と減っていった。それは互いの望むことが実現した結果でもあった。それでも、休日があえば、誰よりもぼくらは楽しく過ごすことが出来た。

 ぼくは通勤の途中に本を読む。熱心に読んでいたが、たまには中吊り広告が視線のはしに入る。自分のいる部署はそれらの全面を扱っている。売れ行きが良いこともあれば、それなりの時もあった。だが、自分のこころが満足して充足した気持ちになるということは少なかった。まったくなければ、転職のことも念頭に浮かぶが、文章に関わっていれば、そこそこには楽しくなれた。しかし、自分の表現したいものは別にあった。だが、そのスペースを与えられるのは、ほんの一握りの人間だけだろう。

 22歳の自分は大したことを経験しているわけでもなかった。急激な天変地異にあって、それを通過したこともなかった。ただ、普通の繁栄した国の片隅にうまれ、普通の経験をしただけだということにも、自分自身で気づいていた。

 それでも、そう厭世した気持ちでいられ続けるほど年老いてもいなかった。まだ、若かったし横には美しい女性がいた。

 彼女は、髪型をすこし替えた。洋服の着方も洗練されていった。もちろん、交有関係も広がった。基本的に自分の領土を広げたがらない自分は、ときおり彼女を遠く感じはじめるときもあった。しかし、それで直ぐ関係がいびつになるということも今のところはなかった。

 自分の仕事は受け取った写真に、状況を付け足し肉付けしていくようなものだった。何度も書き直しては、なんども修正された。だが、ほんとにその文章を求めている人間など地上には誰もいなかった。ただ、注意をひく写真を見たいだけの不特定多数の存在を感じるだけだった。

 学生時代にシナリオを書いて渡していた人間とは縁が切れた。彼が、その後どうなったかまでは知らない。そして、どうでもよい垂れ流しの内容が後世に残ることも考えづらかった。

 だが、自分はどうにかものになる人間になれてもよさそうな感じがこころのどこかに残っていた。それを、いつ捨てるかのタイミングも考えないといけない。捨てきれないで、一生、その思いと付き合うことも怖いと感じていた。
 普段は、そんなことを素振りにも出さなかった自分だが、明日香は、ぼくが楽しそうもない顔をすると、自分のことのように、
「好きなことをして生きた方が良い」と言った。

 堅実な面の多い彼女から、このような言葉をきくと不思議な気もしたが、一方では、その考え方は当然でまっとうなことでもあると納得した。

 家に帰ってまで文章を求める作業はしなくなっていた。ある日、片思いの気持ちがなくなってしまったように、ぼくからするりとそれは抜けた。ただ、一時のことだとは思っていたが、本当はそうでもなかったようだ。自分のあるべき才能の耐用年度は、意外にも短かった。そのことに気付くのは、もう少し後のことだったが。

 能力が消えてしまえば、あとは自分の糧を求めたり、追い越したり、追い付いたり作業に生きることのみが残った。それを自分はそこそこにやっているだけだった。

 しかし、会社の仕事とは別に、以前に知り合った男性からタレントのゴーストライターを頼まれた。金銭に困っていたわけではないが、一冊ぐらいは、その作業にも手を染めてもよいかと深く考えずにのってしまった。ある現金が手に入り、自分は名乗る権利を失う。

 そのような状況であったので、ぼくの口座にはその年代からすると、いくらか多い残高があった。なんのために増えているのか分からないまま、ぼくの日常は過ぎていくことになった。
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問題の在処(23)

2009年03月15日 | 問題の在処
問題の在処(23)

 多分、明日香の持っている穏やかさが一番自分に合っていたのだろう。いま当時を振り返ってみると、そのことは良く分かる。しかし、物事が進行中のときには、自分が最善の道を選んでいるかどうかなど分からないし、分かりたくもなかった。

 まじめな彼女は、ある役柄を自分で設定すると、もちろんそれが仕事でもあるわけだが、なかなかそこから抜け出せずにいた。それで、仕事から帰ってきてもたまには、違う存在であるかのように映った。たまみの不思議な挙動で慣れっこになっていたので、そうしたことにも自分は驚かなくなっていた。

 しかし、数日経てば気の抜けた炭酸飲料のように役柄や設定は抜け、いつもの彼女に戻った。それで、いつもの彼女は、とても穏やかな人だった。

 二人で街をよく歩いた。彼女はすれ違う犬を撫でることがあった。犬自身もそうしてくれることが、なにより嬉しそうな表情をした。子供のころに犬にかまれた経験を引きずっている自分は、遠目でそれを見た。彼女は、振り返りぼくにもそうするように促した。何度か試そうとしたが、犬はいつも態度を豹変させるような雰囲気を出し、彼女がいつもなだめてくれた。

 世界がそうした細々したことをとおして、彼女に役割を与え、暖かい手で包んでくれているように感じることが、ぼくには多かった。こうした時に、ぼくは友人のA君のことを思い出したりもした。気がかりということでもあったが。

 明日香と違い、A君は自分で意図したことではないが、世界とのずれで自分の存在を実感し、その小さな傷をとおしてしか役割が与えられていないようにも思えた。その点、B君はひとに傷を与えている事実も知らないし、認めようとも当然のようにしなかった。それは、ある面ではとても幸福のような気もするし、とてつもなく不幸の固まりを抱えているようにも、ぼくには思えて仕方がなかった。

 ひとりの人とある程度の関係を深めれば、たくさん学ぶことがあることを知り始めた。

 そうした優しい明日香の存在があり、多くの人目に入る仕事を選んでいるのだから、そこはたくさんの男性の視線が待っている事実もあっただろう。ぼくは、そのような心配を感じながらも、それだけに捕らわれることは恐れたし、またそれほどに暇でもなかった。根底には、自分はサービス・エリアのような存在でもあるということをかすかに感じてもいた。いずれ、彼女はどこかに走り出さなければならないのだろうと。

 その時に、ぼくはぶざまにならないで済ますことができるだろうかと、そのことも心配の種だった。優しい彼女は、自分から大変な告白を簡単にはできないだろう。それを強いることもしたくなかった。自分は、いつものように心の中のどこかで別れる準備をしていた。それは一種の病気なのだろう。永続的な関係性未発達症とでも命名すれば良いのだろうか。

 しかし、幸福な人間が常にそのようなことばかり考えているわけでもないし、頭の中でこねあげているわけでもない。楽しいときは誰よりも楽しい気分でいられた。

 ぼくは、そろそろ学生時代にピリオドを打つ時期になっていた。80歳までの自分の人生を4等分するならば、我が第一期学生時代は幕を閉じるのだ。次は、第二期雇われ時代に突入する。もっとましな選択はあったのかもしれないが、速報性のニュースといいながらも、人のスキャンダルを暴き立てるような出版社に入ることが決まっていた。ある人の世話でそこを紹介され、自分は深く考えもせず、そこに決めてしまった。しかし、つまらないながらも運命という言葉がどこかにあるならば、その言葉は威力を発揮できるよう、どこかでじっと待機しているのだろう。それを撥ねつける勇気と実行力のある人こそ勝利者でもあるのだろう。

 自分は、勝利者になれるものを持っていたのだろうか。そのことは分からない。でも、自分の小さなアパートの、これまた小さなテーブルで明日香の存在を感じながら食事などをしていると、目の前まで幸運はきていたのだなと思うことがあった。しかし、それも過去のことだった。
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問題の在処(22)

2009年03月07日 | 問題の在処
問題の在処(22)

 明日香は、だんだんと仕事をするようになった。その要求が確実に増えてきた。そもそも根本的に頑張り屋である彼女の望みに、なにかの力が報いたいと働いてもいるようだった。また、仕事がないときにも演技の学校などにも行った。夜は、夜で二人になる時間ももてた。

 ぼくは、学生時代を半年ほど残し、一番、のんびりとした時期でもあった。
 図書館に行っては、いまの期間をつかって知らない本のリストを減らす作業を続けた。疲れては、昼間ののどかな公園に座っては、ベンチで怠惰な時間を過ごすことも多かった。その横には、たまには明日香がいた。

 ぼくは安いカメラを手にいれ、被写体としての明日香を撮った。その造形的に優れた横顔は、この瞬間だけはぼくのものでもあったようだ。その証拠としての写真でもあったのかもしれない。

 そのまま、まだ続けている飲食店のバイト場まで行くこともあった。たまに、明日香も見知らぬお客のように座っていた。ぼくは、最初はそんな気も少なかったかもしれないが、徐々に彼女に傾く気持ちが膨らんでいってしまった。止める必要もないが、もうそれは止まらぬ速度まで到達してしまったようだ。

 また、深夜ドラマの原型である筋書きを求める催促の電話がかかってきた。ぼくは、三本ほど手元にあったので、それをカバンに詰め込み、この前の場所に向かった。

「なんか、いつも済まないね」と、彼は丁重に言った。
「いえ、いいんですが、これで終わりにしなければならないと思います」
「なんで? 困るな」と一方的にいって、その後は口喧嘩のようなものになったり、彼の懇願があったり、ぼくの説得にかわったりしながら、20分ほど話した。ぼくは、自分の才能の浪費をとどめたかった。しかし、彼は、ぼくのつまらない才能をなじりながらも、最後には頑張ってみろ、という言葉にかわった。ぼくは、小さくうなずき外に出た。

 彼のたばこの煙りが充満した薄暗い部屋から、快適な外に出ると、ぼくはこころから自由な感じがしたのを覚えている。

 最後に、彼からもらったお金をもとに、ぼくは気前よく使い切ってしまうことのみを考え、明日香のために服とバックを買いに行った。あの頃の、表参道のひかりとそれに伴う未来に拓けた感覚が、いまの自分の中にもまだある。その空気の一部として、自分が存在していた事実も美しいものだったと記憶している。
 必要なものを手にいれ、家に戻った。

 彼女も、ちょうど演劇クラスから帰ってきたところで、手荷物を嫌うぼくが大きな袋を抱えていることに注目した。

「どうしたの? そんなに大きな荷物」
「最後の原稿代を無駄に使ってみたかった」と言って、彼女にそれを手渡した。
 明日香は、無駄遣いしないでね、と言いながらも包みが開くたびに嬉しそうな顔をした。ぼくは、それが自分の頭でねつ造したものが化けた事実に嬉しかったのかもしれない。だが、事実は事実として、そのような半端な仕事に自分は向いていて、将来、ロシアの無限に続くような小説が書ける人間になりたかった希望は、明日香が袋をひらいてしまったときに、空気より薄いガスのように、この世界に散らばってしまったのだろう。だけれども、その時はそんなことには気付きもしないことだった。

 彼女は、新しい服を着て、ぼくにカメラをもたせ記念として写真に撮ってほしいと言った。

 それで、ぼくらは近くの公園まで散歩した。

 彼女のことを撮っていると、学校帰りのちいさな少年たちがぼくらのことをからかった。彼らは、そのような瞬間を与えられても当然の好奇心をもっていた。

 ぼくは、自分にもそう遠くない将来、かれらのような好奇心の固まりが、自分の分身として訪れる世界を想像した。その想像は意外と安易なものだった。そのかたわらに明日香がいてくれれば良いが、それは、自分で決めても良いことだとは思えなかった。
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