爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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当人相応の要求(12)

2007年03月21日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(12)

例えば、こうである。
モータリゼーション。四つの車輪の物語。遠くへ、短時間で行きたい人類。その結実としてのT型フォード。
その創始者。ヘンリー・フォード。1863年生まれ。車社会の到来。二足歩行へのあきらめ。
自動車社会と産業。社会の時間のようなテーマ。一点ものという考えは消え、流れ作業がはじまり、そのコンベアーを動かすために人が必要になる。モダン・タイムス。1901年、デトロイトというアメリカの都市においてフォードが車両の大量生産を先駆け、その為に人も流入する。
モータータウン。
人が増えれば、ちまたには音楽というこころの食料が必要になる。疲れを癒すためのアルコールと俗っぽさが混じる音楽。
デトロイト。モータウン。
彼は、古い音楽に熱中する。ベリー・ゴーディという人が作った音楽レーベル。ある種のおもねりが入ったサウンド。タンバリン。
車も土台が重要なら、軽いポップ・サウンドもベース・ラインが重要になる。彼にベースという楽器に目を向けさせてくれた人物、ジェームス・ジェーマーソン。モータウンの躍動する音楽の原動力。イギリスのアメリカかぶれのロック少年を魅了するその音色。彼は、考えもしなかった。音楽を聴くときに、渋い、ときには甘いボーカルやタイトなリズムに熱中するのは分かるが、派手さの一見ない、低音用の楽器を聴き入るために、スピーカーに耳を近づけようとは。
車に戻る。
日本では、トヨタ2000GT。流線型。ほぼ彼と同年代の車。世界に立ち向かうこと。敗戦国の復興の象徴としてのデザイン。東京オリンピックや万博というデータと同じ位置づけの車。
ジェームス・ボンド。
車の後姿。彼は、子供の頃、遊びに行ったいとこの家で時間を過ごすことが多くなった。外車に乗っているいとこの父が運転している隣を通過する国産車。彼の子供の視線でも、その頃のフェアレディやスカイラインという車のデザインは上質に映る。誰かの真似だったのだろうか? とても素敵なオリジナルな印象を持っていたが。自分を追い越す後部の丸いライト。夕暮れになるとそれが点灯する。彼の子供の頃の思い出として、そのことが鮮やかに残っている。
友人たちが、車の免許を取り出す。彼は、最高のドライブ・ミュージックのテープを作ることを夢想する。高速用。渋滞用。秋の景色用。ベリー・ゴーディという人が作った音楽レーベルが、いつも役立っていたことにある日、気づく。46分内の作業。TDK。
またもや車に戻る。お手本を越えてしまう真似。真面目な日本人。
性能が良くなりすぎた車があり、彼の青年時代は、貿易摩擦という言葉と概念がはびこりだす。誰もが低燃費を考えているわけでもないのかもしれないが、運転途中で故障するよりは、誰だってしない方が良いと思っているだろう。その方面での成功した日本の車。ついでに、テレビやビデオという製品が、外国に入り込み、図体のでかい肩にも、日本のラジカセが乗っている。その反面、ジョギングのお供として、小さな四角いものにヘッドホンをつなぎ音楽を流しながら走っている人々。現在は、アメリカ発信の小型な再生機器が耳に入っている。
車に戻る。どこにでも行ける車。だが、当然のように、多くの人には目的地がある。彼が、子供の頃にはなかった、カーナビというシステム。高性能になる社会。ものを覚えることを減らす人間。旅行先のレンタカーに搭載され、彼もその恩恵に充分すぎるほど、蒙った。彼の友人が運転していたのだが。その理由とは? 彼は、多くの青年たちを魅了するエンジンを原動力として動くものが好きになれずにいた。また、読書のさまたげになる行為としても。CO2。
 ある日、就職の面接で免許がないという理由で落とされたことを懸念し、近所の自動車教習所に通う。人より長かったが、小さなカードに自分の緊張した顔写真が入ったものを手に入れる。そのことは、生活のリズムや、仕事の面で彼の役に立ったのだろうか。
でも、彼は若い頃に、環境破壊のことを懸念し、潔癖な性分もあるが、そのことを含め車に乗れなくなる。サイクルの物語。リ・サイクルの物語。
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当人相応の要求(11)

2007年03月06日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(11)

例えば、こうである。
アウシュビッツ。地理的には、ポーランドの都市の一部。だが、その名前が伝達してしまうイメージ。負の遺産。
彼は、人類が起こした最大の惨事として、この出来事を勝手にこころの中で認定する。もし、神がいるならば。
潰える希望。逃れない希望。「それでも人生にイエスと言う」
数字の発明とタトゥー。ナンバリング。
商品が配達途中に行方不明にならないとでもいうように番号化される人々。実際は、行方など追われなくなってしまうのだが。
彼は、人間の悲惨さの極限と、強迫観念に迫られつつある人間の行動を知るために、その歴史の記録を、一歩退いた地点から眺める。もちろん、影響がないように離れてはいるが、人類の一員として、知れば知るほど、ある種の純粋なこころを失ってしまう。もし、誰かが、この行動を止める力を持っているならば。タイムマシンという理想の輸送手段があるならば、彼は活用するだろう。
「それでも、人生にイエスと言えるのか?」
長年の主題。落ち込んだときの人生のテーマ。ビクター・フランクル。悪夢のような30代。ある時期の最低な境遇に負けなかった人。ユーモアをもって、自分の人生を遠くから眺めること。
彼は、思う。この勇気ある人が、この極限的な生活に足を踏み込まなかったとしたら、彼の物語を読む情熱は消えてしまったのだろうか。人のピンチを、離れたところで安楽にむさぼり読む自分の怠惰さ。
身代わりになること。ある一人の人生が、強制的に終わろうとしている。瞬時にではなく、餓死という期間を経て。「わたしには、家族がいる」と呟く男性。その反対に、
「神に仕えているわたしには家族はいない」と身代わりになるコルベという名前の男性。
彼は、考える。自分は、その状況を受け入れるだろうか。極限を試されたとして、軽快でも、滑稽でもよいから、また泣き喚いたとしても構わないから、その自分の人生を投げ捨てることなど出来るだろうか?
反対の立場。収容所の看守。いや、もっと権力のある所長という立場のヘスという人物。彼は、その人の残した自伝というか日記というか、自分について書かれたものを読む。感想は、人を殺すという重いことをまったく考えていないような、ただ義務感と勤勉さのあらわれとして職務をたんたんとこなす男性像にあきれる反面、おそろしさも感じる。こうした人が、ある責任ある立場にいると、何をしでかし、また何に気づかないのだろう。
それ以外にも、読み物や映画も耽読したり、あさって見たりもした。しかしであるが、その現実のもっている重みには当然のごとく、近寄れないでいる。
「それでも、人生にイエスと言う」
1945年1月27日。ソ連軍を通して、その場所は解放される。待つ、ということ。
人体に残る金を取り除き精製し、再利用する。
1492年。スペインからユダヤ人追放。
彼は、いろいろなことを考える。それとは別に、どうしても口を閉ざしてしまいたくなる。知識を得てしまうということは、もの凄く大切なものを捨ててしまうことなのだろうか。書店の本棚に手を延ばさなかった自分を、取り戻すことは可能だろうか?
数字。犠牲者は何人という数字。なにも意味をもたない数字の羅列。彼は、思う。ひとりひとりの人生を知りたいのだと。だが、時間が過ぎる。関係者も存在しなくなり、また居たとしても頭脳や記憶は褪せてしまい、それでも、だれかが語り継げたりするのだろうか。
満腹になって眠るということを自然の状態と受け入れている彼の態度。腹が減ったといっては憂鬱になる彼のガールフレンド。
1945年。解放された人たちは、何をしたのだろう。最初にしたかったことは、一体どんなことだろう。彼の単純すぎる脳細胞は、答えを見つけられないでいる。でも、暖かい布団と、ダイエットの心配をする境遇を真底、愛していたりもする。誰かの眠りを妨げないように。
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