爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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償いの書(12)

2010年12月31日 | 償いの書
償いの書(12)

「どうだった、こっちは? あまりいっしょの時間をとれなくてごめん」
「ううん、いいよ。楽しかった。妹さんの大事な時間だから、そっちを優先させないと、でも、きれいだったね。あんなに女性っぽくなっているとは、知らなかった」裕紀は、二次会に来てくれた。彼女の存在があることに、多くのひとは驚くことになる。そして、ぼくへの賛同や無神経さへの軽蔑の両方の感情が、それぞれのひとに表れた。そして、裏切られた人間の優しい許容の気持ちへの賛歌も同じようにあった。「あの子は、どこまで優しいのだろうか」という感じで。そして、だまされる運命が待っているのではないかという人間の切ない気持ちもそこに含まれているのかもしれない。そうしないと誓ったはずなのに、簡単にぼくのことを信じられない周りのひとがいた。

 ぼくは、家の車を借り、裕紀をとなりに乗せ、車を走らせている。彼女は、今朝、ホテルをチェック・アウトしたので荷物をトランクに入れてある。彼女の手には缶ジュースが握られ、それを開けようともしないまま会話がつづいた。

「昨日、ゆり江ちゃんに会った。彼女も大人になっていた」
「そうだろうね。妹と同級生だから24歳」
「ひろし君の空白の期間の記憶を埋めてくれる話題をたくさん聞いた。ちょっと詳しすぎて戸惑った」
「あの子と・・・」
「なに?」彼女は、やはりだまされる運命が今後、待っているのではないかという恐れをぼくは感じていた。
「いや、あの子にアパートの部屋を見つけてあげた」
「それも言ってた」
「でも、それぐらいだよ」

「あの女性との交際がはじまって、ひろし君のことを許せないとも言ってたけど、それはわたしが苦しんだからと思っていたから、それぐらい小さいときのわたしたちは姉妹のような感じで仲がよかったの。でも、それは違うしもう終わったことだから、と否定しておいた。でもね、ひろし君を知ってから、そんなに悪いひととも思わないようになったって」
「悪い人かもしれないよ」
「アパートも見つけてあげたし」
「だって、仕事上のお客さんでもあるわけだし」
「それだけ」その微妙な質問にぼくは答えられないでいる。彼女も別に問い詰める気もないようだった。

 車は快適に走り続け、目的地についた。そこには、彼女の祖母が眠っているはずだった。ぼくは、彼女が高校生のときにいっしょに来たし、その後、ひとりで思い出をたどりながら来たこともあった。

 生い茂っている草を掻き分け、ひとつの墓石を見つける。そこには、まだ新しい花が残っていた。

「お兄ちゃんの奥さんが、よく来るとも言ってたので、それかな」といい、彼女は自分の持っている分を広げ、交換した。ぼくは、自分がどうしようもない間抜けであることを、そこで知る。そこは、彼女の祖母も当然いるはずだが、いなくなった両親もそこに含まれていることは忘れていた。

 ぼくは、彼女が目をつぶりなにかをこころのなかで話したがっている様子なので、自然とそこから少し離れた場所に陣取った。さらに、背中を向け、彼女の孤独感を哀れみ、またそれに対峙しない自分の意気地のなさも感じていたのだった。
「わたしは、お祖母ちゃん子だった」
「前にも言ってたね」
「うん、どうしようもないぐらい優しいひとだった」こちらに近付いてきた彼女は、そう言った。目がいくらかだけだが赤くなっていた。
「そのひとに、似たんだね、たぶん、裕紀は」

 彼女は、そう言われることに驚いたように不思議な表情をした。目は大きくひらき、眉毛がすこしだけ上がった。ぼくは、そのような表情があることをその青空の下で知ったのだった。

「あの何分の一しかない」という曖昧な表現を彼女はつかった。その言葉が本当なら、いささかも信じていないのだが、彼女は当然のように優しい、しかし、その言葉が本気で用いられたのなら、彼女の祖母はどれほどの暖かさを有しているのだろう、とぼくは考える。

 ぼくらは、また車内に戻り、少し離れた場所に向かって車を走らせた。彼女は義理の姉から鍵を借りていた。そこには、彼女の家族の使わなくなった家が残っていた。目的地は、それでも誰かの手でいまでも整備されているのだろうか、長年、使われなかった家のようではなかった。ぼくらは、門の戸を開け、ぼくは芝生がある庭に向かった。そこは、ぼくらふたりにとって大切な場所だったのだ。彼女は、玄関から入り、庭に面している窓を開けた。ぼくは、その廊下に腰を下ろし、いままでのぼくら二人に訪れた歴史のことを考えている。もっと、長い期間にでもなった可能性はあったのだが、ぼくはそれを途中で投げ出した。その間にも、とても大切な女性がいたのだが、裕紀に憎まれているという不確かな事実に脅えていた。しかし、それは杞憂にすぎなかった。安堵と同時にぼくは自分のしでかしたことを今更ながら反省している。けれども、その感情が含まれての歴史なのだ、という開き直りもあった。

「ここ、覚えてる?」と、裕紀はいった。
「もちろん、忘れることなど出来ないよ」そこは、ぼくらがお互いのことを濃密にしった場所なのだった。
 彼女は、ぼくが振り向くと、きれいな瞳をまぶたをつぶって隠した。ぼくは、その美しさとイノセントさを見ながら顔を近づけた。

償いの書(11)

2010年12月30日 | 償いの書
償いの書(11)

「美紀ちゃん、可愛かった? きれいだった? どうだった?」

 ふたたび、ぼくの前には雪代がいた。昨日の結婚式の様子を彼女に問われている。ぼくは、いろいろと妹に便宜を働いてくれたことを感謝しようとしていた。ぼくらは、むかしよく来た喫茶店にいた。音楽は、いつもその日にあったピアノ曲が流れていた。ラベル? ソナチネ? ぼくは遠くに置いてあるCDのジャケットの小さな文字を眺めようとしていた。

「うん、きれいだった。あんなに清楚な感じが出せるなら、むかしから、しておいて欲しかった」と感想を述べた。

「特別な日だからね、ひろし君のときもわたしがしてあげようか?」と、からかうような目付きでぼくに訊いた。しかし、その返事はぼくの喉からすらすらと出てくるはずもなかった。それにしても、ぼくは、彼女の雰囲気がすこし変わっていることに戸惑っている。その原因をさがすと、体型がすこし変わっていることに気付いた。彼女がトイレに立ち上がったとき、お腹が膨らんでいることを知ったのだ。戻ってきたときに、ぼくは問いかけないわけにはいかない気持ちになっている。

「お腹に、いるんだ?」
「そう、あと3、4ヶ月で誕生する」
「良かったね」
「うん、いつか、お母さんも経験したかった」
 ぼくは、その相手となる男性のことを思い浮かべ、もしかしたら、自分がその立場にいたかもしれない可能性のことについても考えた。
「どっちなの? 男の子?」
「まだ、知らない。でもね、男の子だったら、ラグビーやサッカーをしてもらいたい。それを、お母さんのわたしが力いっぱい、応援する」

「良いコーチがそばにいるもんね。もし、女の子だったら?」
「わたしが好きになった男の子のはなしをしてあげる」
「島本さんのこと?」
「彼もそう。あと、油断すると浮気ばっかりする年下の男の子がいた。彼の話もしてあげる」
「なんだ、知ってたんだ。問い詰めてくれれば良かったのに」
「彼のことも好きだったし、年上の女性が気色ばんで問いただすなんて、わたしの美学としてなかった。やってはいけないことだと思っていた」
「ごめん、いろいろ」

「いいのよ、もう。でも、あの子はそれにもう耐えられそうもないから、しないでちょうだいね」雪代は、裕紀を連れて、ぼくが戻ってきたことをしっているらしい。
「もう、しないんだ」
「だと、いいんだけど」
「仕事も順調なんでしょう?」
「うまくいってる。優秀なスタッフも掻き集めたし。ひろし君は、東京の生活になれた? うまく生活がはまってる? 軌道に乗ってる?」

「なんとかね。だんだんと、こっちに戻りたいと思ってた気持ちを忘れることもたびたびある」
「大人になるって、忘れることだし、手から漏れていく水みたいなものだからね。それも仕様がないよ」
「雪代がしてくれたことは忘れてないよ」
「いや、いつか忘れるよ」

「だって、雪代だって子どもにぼくのことを話してくれるって、いま言ったばかりじゃないか」
「そうだね、いつか少年か少女になったこの子に会ってくれる? そして、いっしょに遊んでくれる?」
 ぼくは、そのことを想像してみる。その子とサッカーボールを蹴りあっている映像が浮かび、むかし、バイト先の店長の娘と、学校に入学する前に文房具を買いにいった思い出を楽しんでいる。そのくらいの年齢になった雪代の子どもと、自分がそれだけ年を積み、また、そのときには自分にも子どもというものがいるのだろうかという空想ももてあそんでいる。

「もちろん、喜んでそうするよ。その機会が訪れることを楽しみにしている。それまで、元気に活発な子になるように育ててくれよ」と、言った。ぼくらは、たくさんの約束を交わし、交わしたことを忘れたとしても、その言葉を言わないわけには、その当時はいかなかったのだ。
「あと、何日かこっちにいるの?」
「明日の夕方には帰らなければいけない。仕事もそう待ってくれないから」
「あの子も?」
「うん、あの子も」

「今度は大事にしてあげた方がいいかもね」
「浮気しないでね」
「そう、浮気もきっぱりとやめて」ぼくらは、笑った。母になる雪代という存在をぼくは認めなければならなかった。時代は変わっていくのであり、歴史は動くものなのである。彼女のその膨らんだお腹をみつめながら、ぼくはそのことを痛感した。話し終えたぼくらは、彼女を店の外まで送り、もう一度、ぼくは店内に戻った。店主にきちんとあいさつをして、音楽談義をすこしだけした。彼はぼくの質問に的確に答え、会話は有意義なものになった。そして、その彼の王国を今後も死守してくれるようぼくはこころのなかで願っていた。移ろってゆくものも美しければ、この店の変わらない点も、それは、また美しいものなのだからだ。

 ぼくは、ひとりで店を出て、裕紀のホテルに電話した。雪代と会うことは告げられなかったが、彼女は知ることになるのだろうか。新婚旅行に出かける前に、妹と山下が彼女のもとを訪れ、手紙を残していったそうだ。裕紀の存在は誰からも愛されることになる。そして、過去にぼくが取った行動を全員が彼女に済まないという気持ちを抱き続けているのも、また動かない事実だったのだ。

存在理由(43)

2010年12月30日 | 存在理由
(43)

 人との出会いで自分の枠がいくらか広がる場合がある。ぼくの同期は、季節ごとに洋服を替えるように女性を替えた。自分は、そうした努力を怠ったのだろうか、いつも最前列にはみどりがいた。しかし、聖人でもない自分には、2番や3番にも誰かが出てくる。卑怯なことは、分かっているが、自分でもどうしようもなかった。だが、先頭にみどりを置くことを辞めるつもりもなかった。

 待ち合わせて4人で、居酒屋に行った。同期は、かなり親しげに付き合い始めた女性と接し、知り合ってから十数日しか経っていないとは傍目には思えなかった。彼のいつも大らかな態度に自分は圧倒された。自分は、あのぐらい親しい関係になるには、数カ月や数年をふつうに要した。

 ぼくの家にも近い場所に住むさゆりという子は、その年代の女性としては、おとなしい印象を与えた。自分のことをあけすけに何でも話すようなことはなかった。そのことでかえって話を引き出したい気持ちにさせた。また、自分のオフィスに戻った時には、あのようなおとなしさで、きちんと自分の意志を伝えて仕事ができるのだろうかと、いくらかの心配も自分にさせた。その気持ちがあって、頼りなげな表情を眺めながら、話をすることに熱中していく。多分、他の人にインタビューしないことには、仕事にならない自分には、いくらか訓練されてきたのだろう、それを使って情報を引き出していく。

 彼女は、24歳だった。いまの会社に4年間も働いている。もう一人の子が言うには、とても業務において優秀なのだそうだ。優秀というのは、完成に近づくために段取りがきちんと把握できているのだろう。そして、失敗する要素の芽を摘み取っていくのだろう。

 ぼくの周りには、しっかりした女性が多かった。そのためか、そうした女性の美点を当たり前のように考えていた。さらに、自分はそれらを愛していた。しかし、目の前にいる女性は、いかにも頼りなげでやさしい気持ちを自分に付け加えた。

 それぞれが満腹になり、酔いも手伝って開放的なきもちになった。同期の失敗を忘れさせ、元気づけるという名目であったが、彼にはそうした計画も実際には必要ないようであった。逆に、自分は元気をもらっていた。

 店を出ると、コートを着ていても何の役にもたたないような寒さに包まれた。同期は、すぐに消えた。明日の朝は、元気な顔で出社してくれればいいと思った。

 ぼくは、さゆりさんと地下鉄の入口に向かった。空席がみつかり、そこに座った。話をきくと彼女にも学生時代から付き合っている男性がいて、その関係はいまでは最初の高揚はすでになくなっているようだ。それで、二人が一緒にいることが自然なことだ、という境地にもいかず、ちいさな不満が彼女にはあるらしい。あるらしいが、彼女はそのことを堂々と言えることはできないみたいだった。変えてほしい部分も口にだせないまま、また、最終的に関係を打ち切ることもないようだった。すべては、静かな流れに漂っている葉っぱのように、水面をぷかぷか浮いているような関係性だった。

 それをきいて、自分も同じようなものではないかと考える。愛しているのは確かだし、だれよりも大事に温めていきたい関係だが、とくに手を入れなくてもうまく動いている機械のように歯車もかみ合っていた。しかし、もっと能率を高める余地もありそうだった。かといって、具体的な対策は、戦況を見極めることのできない一兵士のように先延ばしにする。弾もそれなりに拳銃にはつまっているし、食料も確保できている状態だ。

 このように同じ共有することを並べたて、感情移入することによって、防御の壁を打ち壊し、親しさを深めていくことが自分の方法であるようだった。30分間ぐらいの地下鉄の車内で、行われた小さな奇跡だ。

 誰かのこころが、自分を信頼し、なんでも話せるようになり、友情がうまれ深まっていくことに、それが学生時代の延長ではなく、社会に足場をつくった人間としての嬉しさに、このころは敏感になっていたのだろう。それは、自分にとって、とても栄養になり、人生をカラフルにさせるものだと気付き始めた。

 駅に着いた。改札を抜け、ぼくは南口に向かった。彼女は、北口に行った。休日に暇なときには、一緒にコーヒーでも飲もうという、不確かな約束をとりつけ、自分の気持ちにちいさなさざ波がたち、それでも、暖かな気持ちをもって、家にむかった。自分のアパートには思いがけなく電気がついていた。鍵をもっているみどりが来たのかな、と彼女の不定期な休日のことと照らし合わせて考えた。

償いの書(10)

2010年12月29日 | 償いの書
償いの書(10)

 特急電車にのって、ひさびさに帰郷しようとしている。なぜなら妹の結婚式が地元であるからだ。ぼくは、そのこと自体をとても喜んでいる。そして、誰かが誰かを決定的に選ぶということを憧れをもって眺めている。ぼくは、少なくともいままで、そういうことができなかった。

 となりの座席には裕紀がすわっていた。ぼくがその重大な用事のことを告げると(妹は彼女の存在が戻ってきたことをまだ知らないでいた)、自分もひさびさに帰りたいと言った。祖母のお墓参りにも行きたいし、ゆり江という子と会う約束があるそうだ。
 道中、ぼくらはたくさんの会話をして、沈黙の時間も同じほどありながらも、まったくの苦痛を感じなかった。彼女は懐かしい風景が近付きつつあることに喜び、ぼくは東京での暮らしでそれらが少し遠去かっていることに疑問をいだきながらも楽しんでいた。

 駅に着き、迎えに来てもらっていた山下と会った。
「よ、若き花婿」と、ぼくはつまらないからかい方をした。
「近藤さん、あのひとって、裕紀さん?」と彼女の存在がまぶしいかのように目を細めて見ながら、つぶやいた。「驚かせないでくださいよ。何があったんですか?」

「詳しくは後ほど話すよ。それより送ってくれよ」と言って、ぼくは助手席に、彼女は後部の座席に納まった。
「山下くんの活躍、新聞で読んでるよ」と、彼女は自分のことのように喜んでいた。
「ありがとうございます。でも、不思議ですね。裕紀さんがぼくを覚えてくれているなんて」
 先ず、ぼくらは裕紀が予約をとったホテルに向かった。彼女の兄は、まだこちらにいたが気兼ねせずに過ごしたいということで、家に向かわなかった。それで、彼女らの冷ややかな関係性や、その原因を作ったかもしれない自分のことを思って悔いた。だが、彼女にそのことを質問する勇気もなかった。

 彼女の当面の荷物を降ろし、ぼくらはぼくの家に車を走らせた。もう、となりに座っている大男は、後輩ではなく義理の弟になるのだった。ぼくは、それまでの短いようで長かった歴史を振り返っている。
「あのひと、どうやって探したんですか?」
「新しい職場のそばで働いていた」
「運命みたいなものですかね?」
「さあ、どうだろう」
「もう冷たいことしないでくださいよ。それよりか、許してくれてるんですか?」
「山下には、どう見える?」
「ああいうひとですから、すべて許してしまうんでしょうね。なんか、先輩にはもったいないです。オレも謝るから、先輩もいっしょにあのひとに謝ってくださいよ」

「なぜか、みんなそういうな」と途方に暮れたような表情が車のミラーに写っていることにぼくは気が付いた。それは紛れもなくぼくの顔だった。自分にそんな表情があることすら、いままで知らなかった。

 家に着き両親に挨拶し、妹が階段から降りてくる懐かしい足音をきいた。ぼくは、それをずっときいてきたような気がする。その音はその日の感情によって微妙な差異があり、ときには悲しそうだったり、あるときは悩んでいるような音も立てた。当然のように今日は、喜びや期待の気持ちが混じっているような音だった。

「美紀、いま誰に会ったと思う?」と山下はさっそく情報をもらした。
「さあ、上田さんと智美さんかな?」
「違うよ、ひろしさんが高校時代に付き合ってたあの可愛らしいひと」
「うそばっかり」
「だったら、先輩にきいてみろよ」
「お兄ちゃんといっしょだったの?」
「そうだよ」
「あんたって、どこまでも度胸があるのね。それとも恥知らずなのか」と、つい母が口を出した。
「まあ、今日のとこは、ひさびさに帰ってきたんだから、ゆっくりしろよ」と、父はテレビでゴルフの試合を見ながら、くつろいだ様子で話していた。

 ぼくは、新しく増える家族のひとりといっしょに夕食をたべた。彼は、すでに自分の居場所を見つけており、逆に自分がお客様のようだった。食事を終えると、妹の部屋に呼び出された。
「なんか、いまさらになって言い難いことなんだけど、雪代さんがいろいろと衣装選びやらを手伝ってくれた。お兄ちゃんには関係ないといっていたけど、会ってお礼を言ってもらえる?」
「そうなんだ、もちろん言うよ」あとあときくと、雪代は洋服屋のとなりにできた美容室の経営も行っており、その商才に恐れ入るとともに、周りのひとを幸せにする才覚も出し惜しみしないようだった。
「じゃあ、お願いね」と、言ってまた階下に戻っていった。

 ぼくは学生のときまで過ごしていた自分の部屋に戻り、雪代とふたたび会うことになったら自分はどのような感情をみつけるのだろう、ということを漠然と考えていた。ぼくは辛かったあのころに戻ってしまうのか、それとも、裕紀はそのことを知ったら不安がるだろうかということを天秤にかけたり、空想の羽を伸ばしたりした。しかし、約束してしまった以上、会わないわけにもいかなかった。

 そして、ベッドの上でまどろんていると、階下の楽しそうな会話が心地よいリズムとなり、長旅の疲れも重なって、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。

存在理由(42)

2010年12月28日 | 存在理由
(42)

 一年近く、同じ駅を使っていると、なんどか見かけた顔があるものだ。同期に誘われ、となりのビルに入っている、とある生命保険の会社のOLと飲み会をすることになり、席に座って、その顔を眺めると、何人かはそれらに属している顔だった。

 それで、不特定多数の顔が、組織に含まれた一員の顔になり、それを手がかりに話し始める。そうすると、相手も何回かぼくの顔を見て知っていたらしい。

「ときどき、サッカーの本や、ファッション誌を持っていますよね」
 と、言われた。実際にそのとおりだった。
「なんだ、今度みかけたら声をかけてね」と伏線を引いた。

 話は、それぞれのグループが出来て、それなりに盛り上がっていく。なかでも賑やかなのは、ぼくの同期が入っているところだ。彼は天性の明るさがあり、その人柄に触れるとだれもが暖かな笑顔を浮かべる。だが、その反面なのか細密な仕事には向いていない。時々、注意をされているときも見かけたが、直ぐにそのことを忘れられるらしく、ストレスをためないで暮らすことができた。怒っている人も彼に対すると、怒りの持続が保てないようで、結論として「まあ、いいや。今度から注意深くしてね、」という解決になった。

 その人柄は、今回もまちがいなく発揮されている。彼のまわりには笑いの渦があり、その中心に彼が存在する。こころとこころの垣根がないのか、それとも低いのか、彼からは見習うべき美点が多かった。

 ぼくは、小さなグループで喋り、それから一対一で会話することになる。こうした中では、自分のありのままの姿を示せることができるが、生まれついてのリーダーには決してなることがないタイプだと、自分で分析していた。

 雑誌社のなかでの仕事を面白おかしく説明し、いくつかの成功体験と失敗した話をした。ぼくと話した子は、人の話に熱心に耳を傾ける子で、そういう子に対すると夢中で話してしまう瞬間と衝動がある。彼女たちは、その話を胸にしまい、きちんと折りたたんで整理する。あるとき、再び持ち出す要求がある場合は、劣化もせずに再構築することができた。自分は、そうした会話上のテクニックや術を有していないので、単純にあこがれてしまう。

 数時間が経ち、それぞれの疲れと酔いが深まり、それでも二次会にはカラオケに行った。自分は、片隅で酒を飲んでいる。華やかな歌がうたわれ、バラードで場が静まり、そろそろ電車の時間を心配するころが迫っていた。

 電車内でぼくを見かけた子が、よくきくと家も近いので、一緒の電車に乗り込んだ。いつもより、社内は混んでいて揺れも大きかった気がする。自然と手すりをつかんだ手に力がはいり、弱々しげな細い身体の彼女はぼくにもたれた。冴えない頭だった一日は、このようにして終わっていく。

 次の日は、社内であるテーマによるコンテストの発表があった。文章の能力のアップと潜在能力の見極めが必要らしく、毎年、行われているらしい。入社して数年のみの人間が参加できるが、ぼくは、そのコンテストで2位になった。そのことは嬉しかったが、問題は、昨日の同期が他の人の文章をそのまま使ったらしく、そのことがバレて小さいながらも問題になっていた。その後何日か彼はさまざまなところに呼び出され、注意されたり説明や弁解を要求されたりもした。しかし、思ったより罰は大きくなく、処遇も悪くないようにされた。甘いといえば甘いのだが、それも彼がふりまく人徳なのだろうかと、彼をよく知る人物は話し合った。

 とりあえず、ここしばらくは紙面に文章を載せることはなくなったが、営業的な面は人並み外れて能力があるので、その方面で活躍すればミスはなかった話になるとのことだった。それで、同期入社のものは一同ほっとした。仲間が、競争社会でふるい落とされるのは、あまり気持ちの良いものではなかった。

 何日かして、彼はとなりのビルの子と交際をはじめていた。社内で多少、元気がなかった彼を心配して自分はその子を誘い、仕事が終わったあと、彼を連れ出した。お互い、欠点があるものだ、という共通認識もあったのだろう。彼と交際している女性は、その日、ぼくと電車が同じ方面だったさゆりという子も連れてきた。自分には、真剣に付き合っている女性がいるという空気は、外面に出ないのだろうか。それとも、多くの人は、そんなことも関係なく生活しているのだろうか。今日は、彼に元気を取り戻してほしいという大義名分があるので、いそいそと仕事も早めに切り上げ、誰に呼び止められる隙もチャンスも与えず、冷たい空気の中に出た。ビルとビルとの間では、さらに冷気はつよく襲ってきた。

存在理由(41)

2010年12月28日 | 存在理由
(41)

 寒い日が続いていたが、春や初夏をたのしむ記事を掲載すべく会議をおこなっていた。日中の脳の空白の時間があり、そのときもそのような隙間に頭を突っ込んでいた。

 窓の外には、ビルの隙間から青空がみえ、またその間をぬって飛行機雲ができていた。実現化をせまられている問題もあることにはあったが、ぼんやりとした未来を空想のゲームとして、考えている状態だ。

 何本かの電話をする。外見を、美しさを保つことによって、仕事にありつける人たちがいる。自分は、そうしたギフトを与えられないでいる。しかし、多くの人はそのようなものは与えられないで、生活している。拠り所としては、小さな掛け金と、自分の能力の度合いによって得られた努力のかけらのようなものをかき集めて、自分の生活を組み立てていく。
 必然的に、幸福は自分に見合った大きさになる。

 だが、電話をかけている相手は、雑誌を美しいものにするには欠かせない人たちだ。彼らのスケジュールを確保し、それ相応の報酬をはらい、彼らのある一日を切り取って、紙面に象徴的にのり付けをする。

 となりのデスクには、音楽について詳しい知識をもっている同僚のデスクがある。その上にはCDが山積みになっている。日に日にその高さも伸び、たまに座席の下の段ボールに無造作に放り込まれていく。

 彼のために月に何回かコーヒーを買ってくるので、そのCDの山から無断で家に持ち帰っても良いという契約を結ぶ。ときには、彼の簡易な記事のためのメモが入っていて、それも勝手に読み、自分の音楽という広大な砂漠に水を与えるような状況が生まれる。知らないことは、誰かに頭を下げて覚えるほど、簡単なものはないだろう。

 自分には、人にたいして、参考にできるような何かを有しているのかが疑問になる。それは、「流行の先取り」という架空の見えないゴーストに縛られている場所に存在しているからには、消えない疑問でもあった。

 みどりには、はっきりとした目標があった。これから、成長が望まれるサッカーという分野での陰ながらの後押しと、純粋な気持ちでの応援。自分は、あるべき何かが常に揺らぎ、目標も定まらないので軸足はぶれ、その途中での努力も一時的なごまかしのような形のものになっていく。

 歴史のなかで古びない何かを生み出せる表現者になるというのが、最終的な目標といえば、それが目標になるのだが、そのためには、時には人生の中で挫折をし、幸運は、するりと手の平から抜け、やることなすこと裏目になってしまうような場面に遭遇しなければならないとも考えていた。その面からいえば、自分の境遇は幸運でありすぎるともいえた。

 こうして、ぼんやりと自分の人生の設定のあれこれを考えていると、コーヒーでも飲みに来い、という社長からの内線があった。彼は、たまに自分の立場をとびこえて、あまりにも無防備に行動をおこすことのあることが知られていた。その、無茶に付き合わされるのに自分はもってこいなのか、作戦も考えられずに、社長の部屋のドアを叩いた。

 最近のぼくの仕事ぶりをほめ、ほめられると浮足立ち、そこで注意を喚起されるというのが定番だったが、この日は、ただ、ほめられただけだったので、いささか拍子抜けもした。あとは、ニューヨークに消えた由紀ちゃんの現在の生活をいくらか教えてもらった。

「君も、それぐらいのことは知っているのか?」
「いえ、ぜんぜん連絡もとっていません」という事実だけを述べた。
「君は、ああいう子のことに関心はないのかね」
 返答を待つのでもなく、自分の若い時はああだった、というある年代の特徴のはなしをした。それには、頷くだけしか出来なかった。それ以上に、自分にはなにができるだろう?

 頭がはたらかない一日だったなと、軽い反省をしながら、となりの部署の同期に声をかけられた。用件は、となりのビルのOLたちと仲良くなり、飲み会をするので、お前もくれば、ということだった。断る理由もセリフも自分は浮かばず、言われたままに寒い戸外にでた。

償いの書(9)

2010年12月23日 | 償いの書
償いの書(9)

「会いたいけど、ちょっと怖いな」と、裕紀は好奇心と不安の間で、そう言った。ぼくらは、上田さんと智美に彼らの家のそばの店に誘われ、ふたりで行くことになっていた。ぼくらは、16歳のとき、いまのような4人連れで会ったことがある。あれから、上田さんと智美は順調に交際して、そのまま結婚することになった。ぼくらは、数年だけ付き合い、ぼくは別の女性と交際した。それは、ずっと憧れの気持ちをもって眺めていた女性だった。その女性の彼氏になれることなど無理だと思っていたが、意図せず、そうなった。いや、確かな意図はあったかもしれないが、いくつかの幸運の積み重ねでそうなった。その代わり、裕紀はいなくなり、ぼくは、そのことを悲しむより、当時の幸福感のほうがより勝っているような気もしていた。だが、東京に来て、裕紀を見かけてからぼくの気持ちは再燃した。彼女は、ぼくに恨みを、少なくとも表面的には持っていないことが知れ、ぼくは厚顔にも、また交際を申し込み、それは受け入れられた。

 ぼくらには、そのような短い歴史があった。彼女の恐れより、ぼくは自分の厚かましさを越えた恐れがあった。

 初夏のすがすがしい気候につつまれ、誰もが将来に安堵を与えてもらえそうな陽気だった。彼女の薄手の生地の洋服は、風に揺られ、またその風といったいとなり、たわむれているような印象があった。ぼくは、ずっと前に忘れるよう決意をした裕紀の匂いがそこにあることに驚いている。

「この店だっけ?」
「多分、そうだよ。入ろう」とぼくは言い、彼女の腰に触れ、彼女のおそい歩みをうながした。
 奥のほうに、智美の好奇心に満ち溢れた表情があった。彼女は直ぐに立ち上がり、こちらに小走りで向かってきた。
「ほんと、裕紀なんだ。ひろしが嘘をついていると思っていた」
「智美ちゃん。なんか妻の顔だね。なんか、おかしいね」

 と、その場で会話が永遠に続きそうだったので、ぼくは中断させ席に着いた。店内のお客さんは何事があったのだろうと、こちらをいぶかしげに見ていた。彼らにとって重要ではないことも、その女性ふたりにとっては天地がひっくりかえるような出来事だったのだ。

「こんにちは、裕紀さん。また、近藤みたいな男につかまっちゃったんだ」と、上田さんは皮肉そうに言った。彼の前には、すでにビールとフライドポテトがあった。彼の服装はだんだんと洗練され、そのときも椅子に斜めに座る格好といい、世の中をなめてかかっているような態度といい、どこか憎めない大人になりきれない少年のような雰囲気をかもしだしていた。

 ぼくらの前には、ビールのジョッキやワインのボトルが増えていった。その間、店内の客層は、家族連れから、若い男女になり、もう少し大人の男女になったりした。だが、ぼくらは10年前のむかしに戻ったように、大いに騒いだ。少し、迷惑だったかもしれないが、その年代特有の無頓着さも同時に引き戻していたのかもしれない。

 ふと、上田さんは陽気さをうしなった。なにか言いたそうな前触れの沈黙があった。
「この馬鹿が、まえにどういうことをしたかオレは覚えてるんだ。こいつに代わってオレも謝るよ。許してやってくれ」と、裕紀に向かってなのか、それとも、ぼくになのか、またはテーブルのフォークや箸なのか分からない視線で上田さんは言った。誰が、その次の言葉を出すのかタイミングが計れないでいた。

「良い先輩もったね。ひろし君」と、彼女はぼくに向かって言った。「あのときは、ひろし君はああするより仕方なかったんだと思う。器用に渡り歩けるひとじゃないんだし、もう、いまが現在になっているし」と、彼女は歴史の本をひもとくように言った。ぼくは、無言でいる。可能な限り無言でいるよう決意している。

「わたしも、一生、憎もうと思っていた」と、智美もぼくに不利な言葉を吐いた。いや、もしかしたら有利なセリフだったのかもしれない。ぼくは、こらえきれず席を立つ。ぼくは、そのトイレのなかで不覚にも泣いてしまった。あまりにも、あんなに残酷にまで優しい人間をぼくは知らなかったのだ。自分にされた酷い仕打ちのため、ひとは仕返しを思いつき、または存在を無視し、いやがらせをする世の中なのだ。その世の中から逃げ切れている裕紀を、もう一度ぼくに与えてくれた分からない存在や意思に、ぼくは感謝するのみだった。

 席に戻ると、以前のような状況に戻っていた。休日の夜の打ち解けた仲間たちというムードだった。そこには、憎しみも仕打ちもはいる余地はないようだった。

「そういえば、美紀ちゃんも結婚するんだよね」と、智美はぼくの妹の名前を告げ、ぼくに返事を求めた。
「そうみたいだよ。山下なら、ぼくも安心だし、性格も分かっているし」
「オレは、近藤みたいなやつは不安だよ。性格も分かっているし」と上田さんは冗談混じりにそう言った。ぼくらは、それでみな笑った。彼の憎めない表情で言われると、すべてが気の利いた冗談になった。

 ぼくは、裕紀の横顔を見て、心配な表情などいっさいなく、ただ、無心に大笑いしている姿の様子をいまさらながら愛おしく思っている。そして、つぐないということばが、ある小説の女主人公のように胸の衣服に刻まれている。

存在理由(40)

2010年12月23日 | 存在理由
(40)
 
 最初の仕事が経済関連だったので、向き不向きがあるかもしれないが、こつこつと個人的に経済も学んでいった。しかし、そのことは確たるゴールがないまま、世の情勢を掴むことにも繋がっていく。みどりがスポーツ関連に熱を入れている会社に勤めているので、その面でも知識を増やしていきたいとも思っていた。もし、会社という組織に将来的に属さない未来があるなら、一定の量の基礎知識と、また別の一点に集中した深い知識の両方とも必要だと思っていたからだ。

 スポーツという面では野球という競技がある。自分も学生時代に一時、打ち込んだことがある。前にもいったが、PL学園のあの二人の存在が、ある人々の希望の象徴になったのも事実だし、またある方角から眺めてみると、挫折感のきっかけになったのも否定しようがなかった。そうだ、自分は才能をもたずに生まれてきたのかという確かな証明でもあった。

 みどりは、日本のサッカーが将来、世界的に通用するスポーツになるのかの証拠を求めていようとした。日本人が力をいれてきた野球ですら、世界に名をとどめはじめる選手はまだ先の話だった。

 2月には、野球という競技が本格的に始動をする時期でもある。大勢の新聞記者や雑誌社の面々もそこに集まる。まわりの視線が集中するところにスターも生まれるのだろう。

 それなりの記事も雑誌にのることはあったが、本来はまだ入りたての青二才でもあった。人手が足りなくなると、ただの雑用として、それらの人々の運転手として行動したこともあった。沖縄や九州に行き、機材を運び、さまざまなものをセッティングし、また逆のことをして日々が吸い取られて行くことも多々あった。面倒だと思う間もなく時間だけが過ぎていった。

 そうしながらも、自分の頭と足を使った行為を通して、考えることも訓練していく。野球を見れば、この競技でメジャー・リーグに通用する選手は、そう遠くない時期に出てくることは分かった。多分、それは野手ではないはずだった。投手という孤立した存在で、颯爽と日本人も活躍するはずであった。それは名もなき、まだ見たこともない聞いたこともない人間であると予想した。しかし、実際は、牛を象徴としたチームの投手が、このあと活躍し出した。

 その選手の存在をそう遠くない地点でキャンプで見る機会もあったはずだが、疲れてホテルで寝ていたのだろうか、それとも、その地域の名所でも歩き回っていたのだろうか? 惜しいことをしたものである。

 学校で学んだ知識がある日、自分の知り得た情報を通して更新しなければならないと思ったのもこの頃のことだ。冷戦ということばですべてを表せる状態が、ぼくの学生時代には確かに存在した。しかし、その片方は、消えつつ運命になり、片方は異常なまでにその後、肥大化していく。そうした均衡が必要だったのか判断したこともなかったが、ソビエトは解体していった。ある政治家は、自分の言葉で西側に敬意を示し、そのことで過去の情報も世の中に流通し、より良い世界を求める希望を与えた代わりに、国自体が崩壊していった。世界は、より機動力を求めていくように見えた。

 知識が増えれば、幸福になれるという訳でもなかった。疑問は、執拗に存在し続け、それらは解決をもたらす力が世界にはないことをアピールし続けた。

 その頃の自分の生活は、長いこと続けているみどりとの関係を軌道から逸らすことを絶望的に恐れていることをひしひしと感じていた。そう必死になっていたわけでもない。休日には、仕事とは関係なく、そんなことは可能なのかどうか説明できないが、サッカーを観戦したり、ぼくの希望として、映画にもいったりした。数年も付き合えば、それを壊して、よりよい何かを求める気持ちもなくなっていったりする。その時の自分も女性に対してはそうだったのだろう。仕事では、少し進めば、自分には足りないことばかりで、責任もそんなにないことを知り、決定するのも誰かに任せていることが不甲斐なくもあり、わずらわしくもあった。

 煮詰まって来ると、いまの環境とは違う場所に存在する自分を確かめたくなるという発想が出たのもこのときだろう。休みをとって、友人と南国に行った。たくさんの太陽を浴び、潮風をかんじ、水着の女性に見とれ、夜はたくさんの酒を飲んだ。その開放感を通じ、また違った空気が抜けることを喜んだ。

 日本に戻ってくると、この夏にはじまるオリンピックの競技に出る選手の予選や、注目を浴びるだろう人々が紹介されていく。自分のピークをある日に設定することが目標となり、その自分の目標が他の人々の期待と直結し、それが裏切られると反省と釈明を求められてしまう人間のむごさの祭典だ。

 みどりもサッカーの情報収集をしている。現地に行って、取材をすることが決まっていた。若い人たちは、自分を市場に売り込むチャンスの場でもあり、そのことを証明すると、たくさんの金銭が動くことになる。

 自分も仕事をしながら、たくさんの人と接しながら、もまれて大きな人間になろうとする時期だった。多くの対向車とすれ違いながらも、接触事故も起こさずに、エンジンを駆動しながらもガソリンをなくすこともなく、ただひたすらに走ることが必要な期間だった。

存在理由(39)

2010年12月21日 | 存在理由
(39)

 人の気持ちを置き去りにして、日々の生活は過ぎていく。小さな土砂は、いつのまにか歴史の層になり、将来の歴史に興味がある人の目を通してしか、それらは注目されなくなっていく。ぼくのこころも、日常の忙しさに押し流され、自分自身でも忘れがちになっていった。

 それで、みどりとの関係性を、再度深めようと考えた。なんだかんだいっても、自分にはみどりがいるじゃないかとの安心感もあった。彼女は、相変わらず忙しくしてはいたが。

 日本にもサッカーのプロ・リーグが出来上がることが決まり、その考え方として企業中心というより、地域に根付いたものになるらしい。そのことを知ったのは、もっとあとになってからだろうか。

 それは、学生時代に能力を見せた選手たちには、将来の目標と選択肢が増えることになり、誰にとっても良いことのように思えてきた。かといって、それらは蹴落とす戦いでもあり、能力の見せられなかった選手たちは消える運命を甘受し、自分の存在を明らかにした人たちでも、40、50歳までそのことだけで生きられないことも確かだった。

 スポーツの印象を文章として記事にすることは、可能か、それとも正しいことなのだろうかと考える。それは、自分の肉眼で確かめることが最善であり、その場に居合わせて熱狂を共有することも楽しいのだろう。その次に、テレビで見ることも応援の一部であり、ラジオでも、楽しさの一環は感じられるだろう。だが、文章は、いったいどういう立場をとるのだろう。

 それは、その選手の考えかたや、生い立ちやエピソードや付加価値がないと成立しないのではないのか。自分では、それらのことができるとは考えられなかった。

 だが、みどりの生活はそれだった。それらの連続と繰り返しの毎日だった。なので、自然と選手たちに肩入れする時間が増え、エピソードを拾い上げる会話とメモに頼る日々だった。そして、その努力と満足感に満ち足りた表情を見ていると、自分のしている仕事が、一部のひとの繁栄に乗っかっているだけの、ある意味他の人を排除したうえで成り立っていると考えてしまうこともあった。しかし、そちら側に席を作ってくれるならば、自分もそちら側に行きたい気持ちがあるのも確かだった。

 これらのことは二人になっても話すことはなかった。話さなくても、自分の気持ちというのは外面にも出てしまうものだろう。みどりは、最近ぼくが変わり始めていると言った。学生時代から、知っているみどりにとっては、当然だろう。ぼくも、直ぐには否定できなかった。その変化が、良い方向に向かっているのか、悪い方向に向かっているのかは自分でも分からなかった。しかし、変化のない人生なんて、当然のようにありえないのだろう。

 寒い風が吹くなか、まだお台場といわれる前の多分、13号埋立地と呼ばれている場所に車を借りて、出かけた。そこは、人目をたえず感じている都市生活者にとっては、ひとまずの逃げ場のような場所だった。そこにはバイクが宝物でしかたがないような人間たちもたくさんいた。彼らの競争心とスリリングな運転に感心し、自分の暮らしてきた田舎でも、そのような若者がたくさんいたことを思い出した。思い出すことによって感傷も当然のように芽生えてきた。

 こうして、みどりが横にいる生活が戻ってきたわけだ。だが、こころの隙間には絶えず部屋にしのびこむ夏の虫のように油断できないものが存在した。
「仕事どう? そういえばこの前の雑誌読んでみたよ。あの記事書いたんでしょう」
 みどりは最近のぼくの働きぶりを雑誌の内容で知るのだった。そして、客観的に、どこが良いのか説明した。それは、いつものように的確であった。

 冬の空は、すぐに夕暮れになるが、春の前兆のようなひかりもそこには含まれていた。たぶん、人間は、その新しい予兆のようなものを感じさえすれば生きていけるのだろう、とその日の自分は考えていた。

存在理由(38)

2010年12月20日 | 存在理由
(38)

 それから、自分でも思いがけないことに喪失感が襲ってきていた。その思いをこころに隠しながら、日常の仕事をしてきていた積もりだったのだが、その積もりだけで終わっていたのだろう。

 社内の廊下で米沢先輩に会った。こちらを凝視している。

「どうしたの? 最近うかない顔をして。大切な人がどこかに行ってしまったみたいな顔だよ」
 素早い適切な対応もできず、そのことを米沢先輩にはよく注意されていたのだが、このときばかりは、そのことにも触れられずにいた。

「どう? 今日、たまたま私、飲む相手が見つからないのだけど、久しぶりに付き合わない?」
 と、誘われた。もちろん、過去にお世話になっているし、ぼくにはその誘いを断れるわけもなかった。
「はい、大丈夫です。終わる頃、内線をかけます」

「じゃあ、そのときまた」と、たくさんの荷物を抱えたまま、来たエレヴェーターに乗って彼女は消えた。先輩を見るたびにこの世には、試練もストレスもない錯覚に陥る。もちろん、それは錯覚にすぎず、常人は、ある種のピリピリした感情や、トラブルに包まれて暮らしているわけだ。

 この日は、週末の男の料理という記事のための取材をしていたはずだ。連絡を取って、いつものようにコンビを組んでいるカメラマンとセットで、とある専門家の先に向かった。その人が食材と、それに合うお酒を用意して、その過程を写真に撮った。その工程をメモしておき、同じような具材をそろえ、男性モデルを用い見栄えの良いものにしていく。別のカットでは、その料理を待ち望んでいる家族の写真が加わって終わりだ。

 あとは、それにあう文章と会話を作り上げ、雑誌の数ページを埋める。

 喪失感を内在している人間には、それなりの仕事だったと思う。家庭で、実際はどのような会話が営まれているか知らないわけで、そのことが嘘っぽく響き、真実味に欠けるということでチェックを入れた部長にその後注意されるわけだが、この雑誌の存在していること自体が嘘っぽいものだと、当時の自分は考えていた。

 とりあえず、その日のやるべきノルマはこなし、米沢先輩に電話をかけた。
「ちょっと、待って。化粧を直す時間ぐらい、あんたもくれるでしょう」
 という言葉とともに電話は切れた。

 会社から少し離れたところで待ち合わせをした。そこに着いた先輩の顔をまじまじと見た自分には、どこに修正が必要かはわからないほど完ぺきな表情だった。自分の顔を食い入るような視線で覗き込んでいることに気づいたのか、彼女は怪訝な顔をした。しばらく言葉もなく歩いた。歩いた先に店が見えてきた。そこは彼女が最近、開拓した店らしい。そこに連れて行ってもらった。
「あんた、彼女もいたんだよね」

「いまでも、いますよ。ここ最近あうことは少なくなっていますけど」
「その淋しさをなにかで埋めなければいけないわけだ」
 学生時代以来、そんな酩酊はなかったはずだが、何杯かのお酒を飲み、何回かトイレに通い、何回か米沢先輩のことをほめ、酔いかどうか分からないが目の前の女性は常にきれいな女性に見え、そのあと突然に記憶がなくなっている。

 記憶がよみがえるのは、夜中の米沢先輩の家のソファで、すぐにはどこにいるのか分からなかった。スーツがハンガーにかけられ、頭の上にぶら下がっている。頭にうかんだのは、「やばい、迷惑かけちゃった」ということだ。

 流しに置いてあるグラスを勝手に使い、水を飲んだ。となりの部屋に寝ているらしい彼女を起こしてしまう心配のため、気配をけして歩いた。と、横を見ると、その部屋に通じている横にスライドをするドアは、ほんの少しだけ開いていて中を見ると、暗くてなにも見えなかった代わりに、彼女の小さな寝息がきこえた。いつも完ぺきな昼間の姿とちがい、それはぼくにとってもか弱いような印象を与えた。

 またソファに転がり、つぎに気づいたのは朝だった。カーテンは開けられ、身支度も整えている米沢先輩がそこにいた。目をあいているぼくに気づき、
「早くシャワーでも浴びて、こざっぱりしなさいよ」

 と、言われるままぬるいシャワーを浴びた。喉もとには、小さな気持ち悪さがつまっていた。乾かない髪をタオルでこすっていると、新品のワイシャツが用意されていた。

「ワイシャツぐらい、きれいなもの着たいでしょう?」
 それに腕を通しながら、彼女の何人かの男性を想像してしまう自分がいた。そして、それにかすかな嫉妬を感じている愚かな自分がいた。米沢先輩に見合うような人は、このような気持ち悪い朝を迎えることもないだろう、と自嘲し、靴に足を突っ込み、先輩よりいくらかさきに外出し、会社に向かった。

償いの書(8)

2010年12月19日 | 償いの書
償いの書(8)

 返事を1週間待たされた。その期間にも朝のコンビニエンス・ストアで、ぼくと裕紀はすれ違うことになる。もちろん、そこで大事な答えなどきけるような雰囲気ではなかった。あまりにも、慌ただしい朝であった。返事を待つその1週間、さまざまなことを考えた。もし、断られたら、このように朝を、期待をもった朝を迎えるようなことができるのだろうか、それとも、別の店に立ち寄ることになるのだろうか、というようなことを。それは、あてどもないことで、実際には答えが与えられない限り、決定のしようもなかった。

 そして、ある月曜の仕事帰り、ぼくらは喫茶店で待ち合わせをして、コーヒーを飲んだ。
「この前のことなんだけど・・・」と、彼女は言いづらそうにしている。「あの気持ちって、変わっていない?」
「変わってないよ。いやだったら、いやでもいいよ。はっきりとした方がすっきりとする」
「条件付きで」
「どんな?」
「わたし以外に絶対に誰も好きにならないで。交際している間は」それは、普通の男女が条件にするような事柄ではなかった。当然の要求でもあった。だが、彼女にそう口に出させてしまうぐらい、ぼくは過去の自分の無頓着さを悲しんでいる。
「もちろん、そうするよ」
「なら、わたしでよければ」

 ぼくらは、そこで合意に達する。まるでビジネスの取り決めのように条件がついた。しかし、自分は同じ過ちをしないであろうという変な自信があった。それぐらい、ぼくの前にあらわれた8年後の彼女は魅力的であり、優しさでできており、誰よりも自分のこころのなかにある衝動が、その対象を欲していた。

 その日は、その店を出た後、長居をしないで、お互いに別れた。ぼくは、地下鉄の駅までどう歩いていたのか分からないぐらいに浮かれていた。地下鉄の車内でも、不自然なぐらい微笑んでいたかもしれない。家に着き、スーツをハンガーにかけ、手や顔を洗い、食事をするという普通の日常の営みも、ぼくにとって神々しい経験のような印象をあたえた。

 翌日も、コンビニエンス・ストアで裕紀を探す。彼女はそこにいて、もうぼくとは他人ではないのだという気持ちが、ぼくを幸福にさせた。そして、仕事をしながらも彼女のこれからの日々の表情のストックを増やしていけるというチャンスを喜んでいた。ぼくは、書類が入った引き出しを開け閉めしながら、重要な情報が増えていくファイルに紙を挟みながら、それを裕紀の数々の笑顔や困った表情が増えていくことに、例えていた。

 ぼくらは休日ごとに会い、その日は、大きな都市に不釣合いな大きな公園で、彼女の手作りのお弁当を食べている。女性の8年間になにがあるのか、ぼくはよく知らないでいたが、彼女がいつの間にか料理の才能を身につけ、ぼくを楽しませてくれた。ぼくは、資格をとるために勉強していることを語り、彼女は耳の悪い人のようにぼくのそばに近寄り、熱心に話を聞いてくれた。

 しかし、幸福のなかにありながらも、ぼくは雪代とそうした瞬間もあったことを、大切なこころの奥の箱にしまっている自分がいることにも気付いていた。それは、自分の脳があやつっていることだろうが、雪代の意思すら感じるような恐れを抱きはじめていた。これでは、まったく8年前と同じではないかという恐れを、ぼくは太陽を浴びながら考えていた。そのぐらい、思い出の力というものは、現在進行形の楽しさより重いものであった。

 ぼくは夕方になり、彼女の家のそばまで送って行った。階段の上に彼女の住まいがあった。ぼくは、そこで別れを告げ、彼女の唇に触れた。それは、過去の思い出と現在がつながる一点だった。ぼくは、これで雪代への思いが断ち切られるのだという決心が訪れることを望んでいた。それは、その瞬間は、はっきりと来たのだと宣言しておこう。

 別の日に上田さんが、出張に行っているということなので、ぼくの会社の近くまで用に来たのだから、いっしょにご飯でも食べましょうという、智美の誘いにのった。

「最近、休日も忙しくしているの? なんか、前より断ること多くない?」
「そうかな」
「彼女でも出来た?」ぼくの表情を見詰めている彼女の視線を避けようとしながらも、ひしひしと感じていた。「え、出来たの?」
「まあ。そんなひとがいる」
「相変わらず、手が早い」
「友人でも、失礼にあたりますよ」と、ぼくは、わざと丁寧に言った。

「どんなひと? わたしも友人になれそう?」彼女の判断基準はいつも、そこに焦点があたっていた。友人になれるか、それとも、まったくなれないぐらい性格があわないか、という点に。
「なれるかもしれないね。智美も知ってる裕紀だよ」
「つまらない冗談はいいからね。彼女と再会できる身分じゃないじゃん。いたとしても」彼女は、ぼくの言葉を待っている。だが、ぼくは、自分の置かれた立場がどういうものなのか、はっきりとさせようとしていた。「ほんとなの?」と、智美はしびれを切らしてそう漏らした。

「ほんとだよ。再会した」ぼくは、それから、いままでのいきさつをはなした。
「あのひと、どう思うかしら」と、上田さんのことであろうひとを思い浮かべているのか、自分の頭のなかでストーリーを組み立てていた。「それで、簡単に河口さんのことも許してくれてるんだ?」

「さあ、許してくれているんだろうとは思うけど、ぼくからは、そこにスポットを当てることはできない。だけど、彼女は優しさの固まりのようにできている」ぼくは、宝石店のいちばん上等な品物を覗き込んでいるように、彼女の存在と、その意味合いを語った。

「じゃあ、わたしも会えるんだよね」と、智美は言い、ぼくの幸福より、自分の幸福をよりいっそう考えているような口振りで言った。

償いの書(7)

2010年12月18日 | 償いの書
償いの書(7)

 ぼくがいた町では、それほど選択の範囲がひろかったわけではないことを知る。裕紀と電話で話し、「こんど、映画に行こう」という流れになり、なにを見るべきかで悩む。雑誌で目ぼしい映画を探すも、これといって見たいものが思いつかなかった。

「どんなのがいい?」と訊くと、彼女は、いつも、アカデミー賞で外国語映画賞を取ったものを追っかけている、と言った。ぼくは、その賞がどういうものか分からなかったので、その種類がどのような役割を果たしているのかも理解できないでいた。だが、まだ見ていないというので多分、ペレという映画を見に行ったと思う。それは、また別の機会だったかもしれない。それでも、休日をぼくは裕紀と過ごせるということだけで楽しかったと思うし、もちろんそれで充分だった。

 ぼくらは、混み合った駅前を避け、本屋さんで待ち合わせをした。どちらが早く着くにせよ、時間をどうやっても潰せた。

 ぼくは、コンビニエンス・ストアにいるのと同じように、視線で裕紀を探す。彼女は輸入書のコーナーにいて、写真集を手にとって眺めていた。そこには白黒の写真で撮られたバスが写っていた。ぼくは背中から声をかけ、彼女は振り向いた。本を置くと、タイトルが目に入って、
「こういうの、好きなんだ? 待った?」と訊いた。

「全然だよ。着いたばかり」と答えた。ぼくは、彼女が、その後どのようなものに興味を示し、愛情を注ぐのかを理解しようとしている自分に気付く。ぼくらは、高校生だった頃、そう自分の趣味を押し付けあうほど、なにかにこだわりなど持っていなかったのかもしれない。あれから、7、8年も経てば、自分だけの考え方というものもお互いに芽生えてきていた。

 ぼくらは、映画館の前に着き、2枚のチケットを買い、暗い中で2時間ばかりの時間を過ごした。彼女は過剰に感情移入をするタイプで、いつも大笑いしたり、よく泣いたりもした。

 その映画は、住んでいたところと別の土地で生活を強いられる子どもが出てきて、彼女はその少年のことを考え、そのときも大いに泣いた。ハンカチは彼女の手に握られ、その役目を充分に果たしているようだった。映画が終わると彼女はトイレに入り、メイクも直してきたようだった。ぼくは、その視線が自分に向けられている瞬間を恐れのような気持ちをもちながらも、喜んでいた。しかし、自分は彼女に値しないような間違ったことばかりしてきた人間ではないのか、という思いが時おり起こり、自分を悲しませることになる。

「こういうのが、外国語映画賞というのを取るのか」と、ぼくは冴えない言葉を呟く。彼女は、「今後も、ずっと追いかけるのがいいよ」と言い、ぼくは鮮明にその言葉をおぼえていて、実行しようという気になっている。しかし、彼女のニュアンスとして、それはぼくとなのか、それとも別々の間柄なのかということは分からなかった。

 ぼくらは雑貨屋に入ったり、洋服を眺めたりして、その町と午後を楽しんでいた。ある外国人旅行者らしいひとがたどたどしい日本語で道を訊いてきたが、彼女は、英語で返答し、その旅行者を安心させたのだが、道の説明はあまりうまくいかず、ぼくが言ったものを通訳してもらった。

「もう、ここの地理しってるの?」とその後、彼女は訊いたが、その町でぼくは仕事のお客さんができ、歩き回ったばかりだったのだ。最初は当然、道に迷い、路地は行き止まりになるし困った、という失敗談はあえて伏せていた。

 それから、ある店に入り、ぼくらは食事をすることになった。待っている間や、食事の間も、彼女は映画の話をした。留学したばかりのときにできた友人が映画が好きで、よく見につき合わされて影響を受けてから、わたしも自分から見るようになった、と言った。好きな映画のいくつかのストーリーを上げ、ぼくはその内容を空想して膨らませることになる。「いつか、見たいな」と、ぼくが言うと、「わたしの説明は脚色されて間違っているかもしれないけど」と不安な表情をみせた。ぼくは、別に間違い探しがしたかったわけではないし、彼女が興味をもつことを、自分も知りたかっただけであるということを伝えようとした。
 ぼくらは、休日に会うのは何度目かになっている。

「親しい友人ができた?」と、その都度、彼女は訊いたが、ぼくの答えは新しくはならなかった。上田さんや智美の話をして、たまに会うぐらいだと言った。

「智美ちゃんにわたしも会いたいな」と彼女は、言ったが、ぼくは再会したことをそのふたりになぜか告げられずにいた。どういう気持ちでそうなったのかは知らないが、ただ、今のうちは、言わないほうが良いのかもしれない、と判断していた。

 ぼくは、そのあたりで自分のなかで芽生えた気持ちを隠せずにいて、ついに言ってしまった。
「ぼくと、もう1回、もう1回、あのときのように、ぼくの彼女になってほしいんだけど」
「いつか言われるかもしれないと思っていた。即答しないとダメ?」
「別に、考えてもらっても問題ない」
「わたし以外に誰かを好きにならないか、心配でもある」ぼくは、そういうことを一度したのであった。だが、彼女が直ぐに断らないということだけで、ぼくは充分に幸福でもあったのだ。

存在理由(37)

2010年12月16日 | 存在理由
(37)

 朝、由紀ちゃんは女性らしい素敵な服装であらわれ、ぼくを間違いなく魅了したのだった。昨日のうちに友人に話し、ぼくは別行動をとることを告げていた。彼らは、それで問題がないようだった。

 実費の分だけ精算し、ぼくは荷物を抱え、駐車場で待っている由紀ちゃんのところに行った。車のドアを開け、となりに座りこんだ。彼女は、パット・メセニーが好きで、その一瞬やわに聞こえるギターが車内に流れていた。
「友だちは変に思わなかった?」

「いや、ひとりで運転するより、同乗する人がいた方がはるかに楽しくなるよ、と言って賛成してたよ」
 車は走り出し、まわりの風景も適度に変わっていった。冬の樹木から、海岸線に変わり、すこし窓を開けると、潮のにおいがいくらか漂ってきた。そして、そのことは開放感につながった。

「いいにおいだね」と彼女は、横目でちらとこちらを見て、ささやいた。
「そうだね」とぼくは、いくらか眠たい体を深くシートに沈めながら、また、窓を閉めた。

 海岸線のお土産屋を何軒か通り過ぎたが、自分にも必要だったことを思い出し、どこかのひとつに寄って、とお願いした。
 典型的な干物を店先に並べている前に車を着けてもらった。これなら、配っても誰も嫌がらないだろうということで、小さな瓶に入っているものをいくつか物色した。

 そこから、家まで何事も起こらないだろうと安心していたのだが、急に由紀ちゃんはまじめな顔つきになり、言い出しにくいことなんだけど、と言って少しの間だけ黙った。

 その間に、パット・メセニーは、やわな音楽ではなくある面ハードな音楽なのだなと、考えをあらためる時間があった。
「ニューヨークに留学することになった」
 ぼくは唖然とし、「えっ」という言葉を、ふと出してしまったと思う。

 前の彼氏ともそのことは話しており、そのことが二人の溝を作ってしまったとも語った。「そうなんだ、それなら仕方ないよね」と理由を聞いた自分は言った。その理由とは、彼女も遊んでばかりいたわけではなく、雑誌社を仕切る立場に参入するため、コネと語学を身につける必要と、兄からの命令があったらしい。この辺は、自分ひとりで、生き方の判断をすればよいだけの自分には分からなかったが、違うよその国には、それに見合った違うルールがあるのだろう。

「空港まで送りに来てくれる?」
「もちろん、行くよ」と、平然とした顔をつくり、口調にも気をつけ答えた。ぼくは、このことにいたくショックを受けていたのだろうか。

 それから数日して成田にいる。いくつかの荷物のまわりにぼくは陣取った。彼女の友人も何人かいたので、親密に話す時間はあまりもてなかった。この前の車内での会話が、遠い記憶にかわっていく。彼女の様子は、さびしい気持ちがないといったら嘘なのだろうけど、そうした素振りはあまり見せなかった。それより、若い女性に特有なものだと自分は考えている、この後の未来に焦点があっているような、後戻りはできないという印象的な表情だった。そして、しばらくたって彼女は手を振り、ぼくも手を振った。

 職場に午後にもどると、部長の視線とあった。いつも怖いが、きょうはそんな表情より、いたわりの方が強いような目だった。たぶん、ぼくの行き先を知っていたのだろうか。ぼくは、わざと聞こえるような声で、取材先の名前を口に出し、疲れたという嘘の告白までした。

償いの書(6)

2010年12月16日 | 償いの書
償いの書(6)

 結局、その連休の間、ぼくは電話をしなかった。8年間も離れていたのだから、7、8日間、声を聞かないことなど大したことではないのだと考えたからだ。だが、その数字がかかれたメモを見て、声を聞きたくなかったといえば、嘘になった。なんども眺めては、後悔しながらもふたたびその同じ場所にメモを戻した。

 そして、あっけなく連休は過ぎ去ってしまい、ぼくはまた地下鉄の満員電車をさらにひとりぶんだけ窮屈にする人間として、そのなかにくるまれている。

 ぼくは、いつものコンビニエンス・ストアに立ち寄り、習慣化してしまうであろう行動をとった。品物ではなく、ぼくは最初に裕紀の存在を目で探しているのだ。彼女はそこにいて、ぼくの方を振り向いて、にっこりと微笑んだ。
「楽しい休みになった?」と、裕紀は近寄ってきて、ぼくに尋ねた。

「野球を見に行った。裕紀は、どうだったの?」
「楽しかったよ。買い物もできたし、たくさんおしゃべりしたし、リラックスもできたし」
「よかったね」とぼくは言い、そこに含まれている自分、彼女の世界の登場人物になった自分を想像しようとした。

 だが、彼女は、「じゃあ、またね」と言って、直ぐにひるがえって、ぼくを残し、店から出て行った。ぼくは、電話をしなかったことを問い詰められればいい、と考えていたが、彼女は関心がなかったのかもしれない。朝の短い時間では、交流を深くすることなど不可能なのだと、自分の判断を甘やかした。

 しかし、ぼくのこころの奥には、裕紀の存在を立証する種がまかれはじめたのだ。それを、ぼくは考えることで毎日、適度に水を与えていたらしい。気がつくと、それは大きな存在になっていて、もう少し広い場所にかえる必要があるようだった。こころの片隅になど置いておける存在などでは、そもそもなかったのだ。それは、当初から気付いていたのだが。

 ある日、休みが明けてから、1週間ほど経ったのだろうか、ぼくはいつも通り、仕事が終わったあと、部屋でビールを飲みながらテレビを見たり、音楽を聴いたりしていた。そこにある彼女の電話番号が、もうどうにも無視できない状態になって、とうとう電話をすることになった。ぼくが、彼女と電話をしていたころは、彼女と直接話す前に誰かが取り次いだりもした。ぼくは、あのころの不安感を取り戻そうとしていた。しかし、彼女がそこにいれば、彼女以外はもう出ることもないのだと思って安心した。

「もしもし、近藤です」
「ああ、ひろし君、やっとかけてきたんだ。わたしからは、あまりしづらかったもので、ごめんね」
 といいながらも、ぼくは、何かを性急に伝えることなどなにひとつ持っていないことも事実だったのだ。ぼくらは、あれこれと重要じゃないことを話しながらも、それぞれがぼくらの空白の期間の価値観の変貌などを(それほどには変わっていなかったが)知る要素にも、その会話はなったのだった。

 そうしながらも、ぼくは空いていた数年間も彼女を失っていたことなど考えられないでいる錯覚におちいっている。彼女は、ぼくと別れ、両親を失い、兄弟との関係もこじれてしまっていたが、本質的な優しさを、いっさい、失っていないようだった。ぼくは、そのことに驚き、そのことになぜだか戸惑った。ぼくだったら、さまざまなものを呪い、いろいろなものを恨んだだろう。自分を正当化するために、誰かを傷つけるようなことまで考えたかもしれない。しかし、彼女はなにごとも素直に受け入れ、善意に考えるようだった。

「裕紀は、どこまでも優しいんだね」と、ついぼくは、思ったことを言ってしまった。

「なんで? どういうところが?」ぼくは簡単に説明がつかず、自分が彼女にした酷いことにそれは触れるのかもしれないからだが、なんとなく話をごまかしてしまった。そして、機会が与えられるなら、彼女に一生をかけて、償う作業をしたいものだと思っていた。それを、彼女が受け入れてくれるのかは、また別の問題だった。

 ぼくは、電話を切り、いろいろな用事をしながらも、ついつい彼女のことを考えてしまっている自分がいることに抵抗を覚えたり、やはり嬉しいことだと考え直したりしている。彼女も同じような気持ちであってくれたらいい、とも思っていた。それは、恥ずかしながらも恋のスタートだったのだ。ぼくらにとっては、再スタートになるのだが。ぼくらではない、ぼくの気持ちがそうなのだ。

 こうして、ぼくは雪代を手放してしまったやるせない気持ちを、裕紀の存在で消そうとしていたのかもしれない。ぼくは、もし、運命のひとがいるならば、ひとりであってほしいと考える世界があるならば、そこの住人ではないのだなと、少しだけ考えた。その答えは、もっと年をとったときに決めればいいのだろうとも思い直している。

 ぼくらは電話の回数を重ねていくうちに、話の流れとして、いくつかの予定を立てることになる。彼女に現在、交際相手がいないことも確認したし、ぼくにもそういう相手がいないことは、早い時点で彼女は知っていた。それで、好奇心の多い年頃のぼくらは、プランを組み立てては、そのうちのいくつかを実行することになる。世の常として。

存在理由(36)

2010年12月15日 | 存在理由
(36)

 その年の仕事も最後の日になり、たまった書類や、投げ込んだだけで終わっている引出しの中の荒療治的な片づけをしながら、なんとなく安堵したり、この9か月間のドタバタを振り返ってみたりしている。さっそく、飲み会に変わってしまいそうな予感がありつつ、半分ぐらいの社員はすでに姿を消してしまっていた。そこで、いつも後方から突然あらわれる我が部長は、今日も防犯センサーに引っ掛かることもなく、ぼくに近付いていた。

「おつかれ、君は正月はなにをするんだ?」
「全然、決まってませんけど」
「帰省は?」
「しないつもりです」

「それなら」といって、ポケットから封筒を出した。中身は部長の家族が行けなくなってしまった豪華な旅館の宿泊券らしきものが入っていた。ぼくの給料では、到底、手もあしも出ないものだ。それを頑張りにむくいると称して、ぼくに譲ってくれた。使わない手はないので、数人の学生時代の友人に電話をすることが、今年最後の仕事になった。

 何人にも断られたが、車を出してくれる男性と、暇をもてあましそうな予感だった女性ふたりが話にのってくれた。
 ひさびさに学生時代の気持ちを取り戻し、車の中で騒いだり、ホテルに着く前に現地のおいしいものを探していた女性のアドバイスに従った食事を楽しんだり、埒が明かないお土産を買う時間に付き合ったりしながら、夕方になった。

 温泉にも入り、やはり豪華な食事に恐れ入りながらも食べたりした。「あんたのところの部長って、気前がいいんだね」と、女性たちはいたく感心した。ぼくは、その恩恵にむくいるための人質のような気分になって来る。そして、そのことを発表する。しかし、彼らもそれぞれの会社で同じように働かされていた。自分の人生のマニュアルのなさを痛切に感じながら。
 ふた部屋借りていたので、男性と女性でちょうど分かれた。そこにフロントから電話がかかってきた。ぼくを名指しで誰かが訪ねて来ており、それを不可解な気持ちながら、ラフな格好でロビーに向かう。

 思いがけないところで知り合いに会うと、その存在が際立って見えることがある。そこには、なぜか由紀ちゃんがいた。
「どうしたの?」
「お兄ちゃんにきいたから」

 お兄ちゃんは、わが部署の部長である。彼女には兄弟であるが、ぼくには怖い存在である。何事も裏表を知っていないと気が済まない人なのだが、このことに何の意図があるのか、自分には判断できないでいた。
「それで?」と何か続くべきはずだという確信を持っている自分は、そうたずねるしかなかった。
「もっと、嬉しそうな顔をすればいいのに」
「いや、びっくりしただけだから」

 と答えになっていないような言葉が自分からもれる。きけば、彼女はおどろかそうと、わざわざ車を飛ばして来たそうだ。それで、当然以上に自分は驚いていた。それにしても、こんなにきれいな女性がいたのか、といままでの自分の目の不確かさを再確認しただけだった。
「これから、どうするの?」
「知り合いのおばさんの家が近くにある」

 今日は、そこに泊まるらしい。会う要件もあったし、ついでに来たのとも言った。「じゃあ、せめて、明日一緒に東京に向かおうよ」とぼくは提案した。彼女はうなずいた。

 本当は、ぼくにとって、この時期のみどりは、いかに素晴らしい存在だったかを残すために書き始めたのだが、ちょっと脱線しはじめている。そのことを上手く表現できていないもどかしさもある。だが、どうなるにせよ、これも真実なのだと思うしかない。

「じゃあ、明日迎えにくるよ」といって、由紀ちゃんはロビーから消えた。しかし、ぼくのこころからは簡単には消えなかった。それを振り払うように、部屋にもどり、グラスに残っているビールを飲み干し、またもや温泉に入ろうと、生渇きのタオルを手にして、階段を降りた。