38歳-17
「ここに、絵はがきがあるね」と、絵美は何かの束をつかんで言った。
「絵はがき?」ぼくは、そちらに視線を向ける。誰かが旅先からぼくに送ったものだろうか。そのようなものが家にあるとは考えにくかった。「なんだ、ポスト・カードか。どんなの?」
ぼくは手渡される。いくつかの絵がこじんまりと縮小され、その紙面のなかにおさまっていた。
「いつ頃のものなの? 書いてあるか」のこりのカードを裏返し、美術展の名前と、開催され展示されていた期間を告げた。「もう十年ぐらい前。わたし、高校生ぐらいだったのかな。ねえ、誰と行ったの?」
「高校生?」ぼくは大人通しの親密なやりとりで絵美を判断していた。その一言で急に年代差を感じてしまった。
「誰と?」
「多分、これはひとりだろう」それは嘘でもない。このカードのときは確かにひとりで行った。その日の容赦ない暑い日射しのことすら思い出していた。だが、シャガールの一枚が呼び覚ましたものの答えとしては真実ではなく、深いところであの日の情景をぼくのこころに刻み付けていることを知った。彼女のあの日の服装。ぼくらに話しかけた美術館のなかの少女のこと。またさらにこの絵から受けた印象をもたらしたぼくの過去の少女の姿。
「誰が描いたの?」
「シャガールっていうんだよ。さまよえるユダヤ人」ぼくは、自分の内面の問題を別の次元の話題に転換させようとしているようだった。
「買うほど、好きだった?」
「ぼくが買ったのかな……」
「買わなかったら、ここにないじゃない」
「まあ、そうだけどね」ぼくは数枚の角をそろえて、元あった場所にしまおうとしたがまた絵美はぼくの手から奪った。「高校生か」
「そのころに、会いたかったとか?」
「やだよ」
「なんで?」
「だって、サッカー部員の誰かとか、ゲームがうまい誰かとかが好きだったんだろう?」
「そのとき、何才?」
「二十七かな」
「好きなひといた?」
「いたと思うよ」
「思う?」
「だいぶ前のことになったからね」
「写真とかないの?」
「ここには、ないんじゃない」ぼくは思い出を客観視することをきらった。それはぼくのなかで酵母のように発酵をつづけていた。決して腐らず、容積が少なくなることもない。ぼくの一日のうちの数分はそのなかの住人でいる時間もあった。写真はその没入を避ける役目となるかもしれない。だから、ぼくは過去の写真に未練がないのかもしれなかった。
「わたしと撮ったの、どうしてる?」
「あるよ、ここに」ぼくはある箱を指さす。
絵美は確かめるようにそのふたを取った。
「随分と乱暴な片付け方だね」
「ガサ入れ」
「あ、ひどい」
ぼくらには数か月の過去があった。その瞬間のいくつかがそこに切り取られて保管されている。深い思い出となるにはまだ日が浅かった。ぼくは糠床を大事にするひとのことを想像する。あれ自体を食べるわけではないが、あれそのものが宝なのだ。きゅうりやなすの奥底まで浸透し、味をかえる。ぼくも生まれたばかりのまっさらな状態ではなく、周囲の力や愛の圧力によって、どこかで変化していた。その変化は正しいとも悪とも呼べない。ただ加わる機会があっただけだ。そして、その加わったものから変形を強いられたことを通過しないと、いまのぼく自身にもならなかったし、なれなかった。やはり、正しいことなのだろう。
「このときの、絵美、眠そうな顔してる」
「髪もぼさぼさ」
「でも、可愛いよ」
「ほんと?」
「うん」
「でも、これもいつか捨てちゃうの?」彼女はもうすでに処分が決まって、手放すときのように悲しそうな顔をする。
「どうして?」
「だって、古いのもうないじゃない」彼女は首を周囲にまわす。
ぼくはこぶしを自分の胸に叩き付け、「ここにあるよ」という風に振る舞った。それは事実でもあり、同時にごまかしでもあった。その両面が普通のこととしてあるのをいまの自分は気付いていた。ひとは真実を打ち上げながら、どこかで歪曲させている。平気で嘘をつこうとしながら、真実がまぎれてしまうこともある。嘘が信用され、本質が疑われることもあるのだ。ぼくは見抜くということを主題にして生きようとした自分の過去を思い出し、いまになってみると、自分の気持ちすら正当に見抜けないことを感じていた。
「ぼくがもってなくても、誰かがもっているんじゃないの?」
それはあくまでもぼくの大いなる期待であった。だが、なくした尻尾を大事にする爬虫類などいないだろう。ホルマリン漬けにして保管する技術もない。ひとは自分の過去を大事にしている。だが、それもどこかで脇道にそれてしまったように、別の観点から味付けされていた。誰もとがめないから。第三者が指摘できない範囲にとどまっているからこそ。
「誰かがもってるの?」
「絵美の高校生のときの写真を大事にしているひともまだいるよ。清純で、おとなしくて」
「垢抜けなくて、野暮ったくて、田舎くさくて」
「それが清純だよ」
「じゃあ、もういらない」
ぼくと絵美のふたりがうつった写真は箱にしまわれた。ぼくはアルバムのようなものを買おうと思い、そのことを告げた。ぼくらは外に出て、買うことに決める。ひとが生きれば荷物ができる。そして、全部を捨てたくないのに、また生まれた状態の裸に戻される。途中で得た感情や愛は、どこに葬られるのだろう。いまのところは、アルバムのなかに丁寧に挟まれる。それよりもっと多くのものがぼくのこころにあり、ある一枚のカードがきっかけで簡単に想起され、ぼくのこころを揺すぶりつづける。
「ここに、絵はがきがあるね」と、絵美は何かの束をつかんで言った。
「絵はがき?」ぼくは、そちらに視線を向ける。誰かが旅先からぼくに送ったものだろうか。そのようなものが家にあるとは考えにくかった。「なんだ、ポスト・カードか。どんなの?」
ぼくは手渡される。いくつかの絵がこじんまりと縮小され、その紙面のなかにおさまっていた。
「いつ頃のものなの? 書いてあるか」のこりのカードを裏返し、美術展の名前と、開催され展示されていた期間を告げた。「もう十年ぐらい前。わたし、高校生ぐらいだったのかな。ねえ、誰と行ったの?」
「高校生?」ぼくは大人通しの親密なやりとりで絵美を判断していた。その一言で急に年代差を感じてしまった。
「誰と?」
「多分、これはひとりだろう」それは嘘でもない。このカードのときは確かにひとりで行った。その日の容赦ない暑い日射しのことすら思い出していた。だが、シャガールの一枚が呼び覚ましたものの答えとしては真実ではなく、深いところであの日の情景をぼくのこころに刻み付けていることを知った。彼女のあの日の服装。ぼくらに話しかけた美術館のなかの少女のこと。またさらにこの絵から受けた印象をもたらしたぼくの過去の少女の姿。
「誰が描いたの?」
「シャガールっていうんだよ。さまよえるユダヤ人」ぼくは、自分の内面の問題を別の次元の話題に転換させようとしているようだった。
「買うほど、好きだった?」
「ぼくが買ったのかな……」
「買わなかったら、ここにないじゃない」
「まあ、そうだけどね」ぼくは数枚の角をそろえて、元あった場所にしまおうとしたがまた絵美はぼくの手から奪った。「高校生か」
「そのころに、会いたかったとか?」
「やだよ」
「なんで?」
「だって、サッカー部員の誰かとか、ゲームがうまい誰かとかが好きだったんだろう?」
「そのとき、何才?」
「二十七かな」
「好きなひといた?」
「いたと思うよ」
「思う?」
「だいぶ前のことになったからね」
「写真とかないの?」
「ここには、ないんじゃない」ぼくは思い出を客観視することをきらった。それはぼくのなかで酵母のように発酵をつづけていた。決して腐らず、容積が少なくなることもない。ぼくの一日のうちの数分はそのなかの住人でいる時間もあった。写真はその没入を避ける役目となるかもしれない。だから、ぼくは過去の写真に未練がないのかもしれなかった。
「わたしと撮ったの、どうしてる?」
「あるよ、ここに」ぼくはある箱を指さす。
絵美は確かめるようにそのふたを取った。
「随分と乱暴な片付け方だね」
「ガサ入れ」
「あ、ひどい」
ぼくらには数か月の過去があった。その瞬間のいくつかがそこに切り取られて保管されている。深い思い出となるにはまだ日が浅かった。ぼくは糠床を大事にするひとのことを想像する。あれ自体を食べるわけではないが、あれそのものが宝なのだ。きゅうりやなすの奥底まで浸透し、味をかえる。ぼくも生まれたばかりのまっさらな状態ではなく、周囲の力や愛の圧力によって、どこかで変化していた。その変化は正しいとも悪とも呼べない。ただ加わる機会があっただけだ。そして、その加わったものから変形を強いられたことを通過しないと、いまのぼく自身にもならなかったし、なれなかった。やはり、正しいことなのだろう。
「このときの、絵美、眠そうな顔してる」
「髪もぼさぼさ」
「でも、可愛いよ」
「ほんと?」
「うん」
「でも、これもいつか捨てちゃうの?」彼女はもうすでに処分が決まって、手放すときのように悲しそうな顔をする。
「どうして?」
「だって、古いのもうないじゃない」彼女は首を周囲にまわす。
ぼくはこぶしを自分の胸に叩き付け、「ここにあるよ」という風に振る舞った。それは事実でもあり、同時にごまかしでもあった。その両面が普通のこととしてあるのをいまの自分は気付いていた。ひとは真実を打ち上げながら、どこかで歪曲させている。平気で嘘をつこうとしながら、真実がまぎれてしまうこともある。嘘が信用され、本質が疑われることもあるのだ。ぼくは見抜くということを主題にして生きようとした自分の過去を思い出し、いまになってみると、自分の気持ちすら正当に見抜けないことを感じていた。
「ぼくがもってなくても、誰かがもっているんじゃないの?」
それはあくまでもぼくの大いなる期待であった。だが、なくした尻尾を大事にする爬虫類などいないだろう。ホルマリン漬けにして保管する技術もない。ひとは自分の過去を大事にしている。だが、それもどこかで脇道にそれてしまったように、別の観点から味付けされていた。誰もとがめないから。第三者が指摘できない範囲にとどまっているからこそ。
「誰かがもってるの?」
「絵美の高校生のときの写真を大事にしているひともまだいるよ。清純で、おとなしくて」
「垢抜けなくて、野暮ったくて、田舎くさくて」
「それが清純だよ」
「じゃあ、もういらない」
ぼくと絵美のふたりがうつった写真は箱にしまわれた。ぼくはアルバムのようなものを買おうと思い、そのことを告げた。ぼくらは外に出て、買うことに決める。ひとが生きれば荷物ができる。そして、全部を捨てたくないのに、また生まれた状態の裸に戻される。途中で得た感情や愛は、どこに葬られるのだろう。いまのところは、アルバムのなかに丁寧に挟まれる。それよりもっと多くのものがぼくのこころにあり、ある一枚のカードがきっかけで簡単に想起され、ぼくのこころを揺すぶりつづける。