爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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流求と覚醒の街角(70)時

2013年11月04日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(70)時

 ぼくは奈美を待っている。いつもの時間。腕時計はずっと見ていると時はゆっくりとすすみ、目を離したすきに急に時間が経っていることを知らせるようだ。いつもなら。そして、ぼくはこの奈美を待っている時間を気に入ってしまっていたのだった。無駄とも呼べるが、この真空の時間がぼくのこころの濃度や透明度を測ってくれるらしかったので。だが、この日は、まったく時は動かないようだった。

 ぼくは奈美とはじめてあった日を思い出そうとしている。友人の結婚の披露宴があった。ぼくは用意をする。シャワーを浴びてひげを入念にそり、タオルで拭きながらきちんとアイロンのかかったシャツを見る。横にはこの季節にはあまり着たくないスーツがハンガーによそよそしくかかっていた。ネクタイの色も柄もそれなりに華やかなものだが、実際は個性もないものだった。きょうの主役は自分ではないのだ。

 仕度をしながら見るともなくテレビをつけている。どこかの地方の高校野球の予選だった。ぼくにはどちらの学校にも思い入れもなかったが、有名になりかけているエースが投げると、そこだけは画面が締まって見えた。ぼくは今日、結婚する友人と同じようにスポーツで汗を流した日々を思い出していた。ふたりともあの日には戻れないが限定された時間が共有の財産であることは知っていた。ぼくらはそこでの生活とは別の部分でそれぞれの人生を作りかけていた。ぼくは真剣な愛に破れ、彼は最愛の女性を見つけているのだ。ぼくはそれを祝う。そのために着たくもないスーツを暑い最中に無理をして袖を通すのだ。

 ぼくはトラックでリレーのアンカーだ。ただ走るということがすがすがしさと懸命さを持ち込む。ぼくのチームは三人で一位を死守してぼくにつなぐ。その貴重な貯金を、アンカーであるぼくは切り崩して使い果たし、さらには借金までしてゴールを迎える。数人に追い抜かれて、すがすがしさは霧散する。仕方がないのだ。周りは各チームの強豪たちなのだ。ぼくはひとりたたずむ。慰められもしない。ただ、負けるのを薄々は知っていて、覚悟もままならないまま走っていた。ぼくは友人である前の走者とグランドをあとにする。そのバトンを渡すのはぼくではなく、嫁になるひとなのだと、この日にずるく思うとした。ぼくは、誰に慰められたら良いのだろう。ぼくの真剣なる愛は数ヶ月も前に終わったのだ。次の試合があっても良いころで、今日もまた友人たちに特定の彼女がいないことをからかわれるのだろう。

 その日に奈美に会った。あの高校野球の予選は当然のようにエースのひとりの力で勝ち抜いた。ぼくはその嬉しさを根本的には理解できないのかもしれない。負ける側になることをその少年は知ることになるのか考えようとしたが、はっきりいえばぼくとは無縁で、それほど理解することに能動的でもなかったのだ。他人という範疇にずっと存在するべきひとたち。あの日の奈美は当初は他人だった。ぼくらはどこかで流れを同じくし、澱みにいったん紛れ込み、同じ流木を手と手を合わせて運んでいった。一致するというのは存外に心地の良いものであった。だが、まだここに来ない。

 いつも遅れる奈美だが、もうその猶予の時間は過ぎていた。多分、来ないのだろう。事故にあった訳でもなければ、誰かの死や病気で病院に駆けつけたわけでもないのだ。ただ、もうぼくの前に姿を見せないことを決めただけなのだ。それは彼女にとっても簡単な選択ではない。楽しいことだけのことでもない。ぼくは心残りのひとのようにちらと電話を見る。着信もメールもない。ぼくから、かけることも考えなかった。未練がなかったはずもないが、バトンをもつ友人はぼくにつなぐことを放棄しただけだという映像をぼくは勝手に、無断で作り上げて丹念にもてあそんだ。これも楽しさをもたらすだけでもなく、傷を深める意味しか有しないようだった。

 ぼくは路上で呼びかけられるままある店に入った。メニューを見ることもなくビールを頼んだ。どれほどのお客がいるかも考えられなかった。ただ、また大切なひとをひとり失うだけなのだ。

 お客さんは歓声をあげる。ぼくはテレビに目を移す。ある投手がボールを放って無残にくず折れていた。あの予選で同じ年代では敵がいなかった少年も、負けることがあることを知ったようだった。だが、男の子は立ち上がらなければならない。勝っても負けることがあると知っていても、もう一度、立ち上がって向かわなければならないのだ。そう客観視できた自分は、自分の試合に負けてばかりいるようだった。しかし、ぼくには奈美との二年ばかりの貴重な思い出が残った。そのすべてをぼくはビールを飲みながらだが思い出そうとしていた。週に一度会えば、最低でも百近い奈美の姿があるはずだった。当然、別れることを前提にして記憶を刻み付けているわけでもない。記憶というぼんやりとしたものを前にぼくには選択の自由などもない気もする。しかし、男の子は立ち向かうべきなのだ。投手は代えられた。数日後には次の出番があるのだろう。そこで憂さを晴らせばいいだけだ。ぼくにはブルペンもない。敗戦の詳細や原因を記事にする記者もいない。ただ、ビールの泡を前に、自分で思い出すだけだ。これが、普通のひと。これがスポットライトの照らさない場面と、他人の耳を意識せずにひとりごとを言って。

(完)


流求と覚醒の街角(69)傘

2013年11月03日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(69)傘

 急に雨が降る。一本の傘を買う。もちろん雨になる予感はうっすらとはあったのだが、前兆も、はっきりとした予告をすることもなく、したしたと雨は落ちてきた。その一本の傘の中で寄り添うようにぼくと奈美は歩いていた。これも、覚えておかなければならないことのひとつだ。奈美がいた確かな情景。

 傘を買ったのはいいが、本降りになってしまったので雨宿りをした。奈美はコーヒーを飲んでいる。気がつくと外は明るくなりかけていた。嬉しいことだったが、手元には傘があった。ぼくらはそれを大事に持ち歩くことになるが、いずれ忘れた場所も思い出せずに置いてきてしまう。こうして、何本もの傘が失われてくる。すると、世界でいちばん大事にされないのは傘のようでもあった。

 取り戻すことも考えないし、わざわざ探すこともしなかった。空は快晴に戻っていた。樹木は最後の雨粒を落として自分たちの栄養の源になるものすら忘れてしまうようだった。

「あれ、さっきの傘は?」
「あ、ほんとだ」ぼくは空になった両手を自分のではないように眺める。
「でも、もういらないか。こんなに晴れてるし」奈美は上空を見上げる。

 ぼくは思い出している。奈美の写真のなかに以前の交際相手が写っていた。その写真を見つけたときにも、「こんなのがまだあったんだ」という感情が入っていないことばを。幼いときのノートや洋服がでてきても、もっと大きな揺れがこころに表れるはずだった。それすらも浮かばせることのない過去たちが実際にあった。あれもいらない。これも、もういらない。

 周りを見ると、誰も傘をもっていない。そして、どこにも置き忘れた傘の存在を示すものもなかった。世間は移り行くものであり、過去を放擲することが使命のようでもあった。遠くのベランダではどこかの母が洗濯物を干し始めていた。洗濯物をそのまま放置することは許されない。過去にはならず、乾燥させまた着たり、シーツならば布団を覆うことが求められる。ぼくは湿った衣類のようなものをこころのなかに残している。ある種の直らないウィルスのようなものかもしれない。菌は増殖もしないが、かといって反対に根絶することもない。ただ昔の形状のまま残ろうとしている。生きるのは体内に自分が生まれたときにもっていたものだけで構成されていくわけではない。多少の切り傷が、肌のうえに永久に残ることもあり、遺伝とは別の抗体が自分自身を守る役目を担ってくれるようにもなった。

 洗濯物の一部がある女性の手から離れて、地面に落下する様子が見えた。女性はその落ちていくものを眺めて唖然としている。ほんとうは遠くて良くは見えない。勝手にこちらが想像しているだけだ。なす術がもうないが、あとで拾いに行くのだろう。探すのは容易だ。また洗い、また干す。ときにはそうした驚きが含まれるのが人生だった。一瞬だけ手元から離れ、また自分のものになる。

 傘の中におさまる必要がないぼくらには適度な距離が保たれていた。ぼくらが数年かけて作った適度な幅。居心地の良いほうの側。ぼくはまた新たにそれを作り直すのを考えることすらできなかった。一度、エッフェル塔が建てば、ぼくらの短い歴史以上に永続する。ぼくと奈美にもその永続性を求めたかった。だが、傘は失われたことすら主張もしない。あの傘たちはいったいどこに行くのだろう。

 ぼくらはあるベンチに座る。日当たりもよく雨の名残はなにもなかった。だが、日陰を見るとまだ地面は湿っていた。それを知っているのか分からないが猫が脅えた様子でそろそろと歩いていた。急にその不自由な立場に飽きたのか嫌気がさしたのか、高い壁を無造作に駆け上った。

「あれなら、ダンク・シュートもできるね。ま、ボールはつかめないけど」奈美は手を丸め、ぼくに突きつけた。ぼくは手の平の部分をくすぐった。奈美は引っ込めるのでもなくそのままにしていた。幸運を告げ知らせる手相が世の中にはあるらしい。奈美にはどういう未来が待ち受けているのだろう。いつか、ぼくの写真も、こんなものが残っていた、となんの感情も紛れ込ませることもなく無心に言うのだろうか。それとも、ぼくらはこんなこともあったね、と一緒に見る機会に恵まれるのだろうか。後ろを見ると、さっきの猫が回りこんで来ていた。空いている日当たりの良さそうなベンチに乗り、体勢を整えるように何度か体をずらし、眠る準備をはじめた。

「悩みもなさそうだね」と奈美は言う。「友だちも恋人もいないみたいだし、やっぱり、どこかにいるのかもしれないけど」
「味方とシュートを決めたことを喜び合うこともない。手の平でハイタッチもしない。あの手の裏ではね」

 猫は片目だけを開け、うるさそうにこちらを見た。もうそれぐらいで自分のうわさは中断してもらいたいという意志のようなものも感じられた。奈美は唇に人差し指をもっていき、「シー」と言った。傘を永久にもたない存在。身軽であることを生活の主義にしているものたち。引越しも別れもなさそうに思えた。勝手にベンチで寝て、勝手にどこかに帰る。ぼくらは声をひそめて話そうとお互いが考えているようだが、実際には何も語り合わなくても充分に幸福に近い領域にいつづけていた。

流求と覚醒の街角(68)涙

2013年11月02日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(68)涙

 涙にきちんとした形などあるのか? 様々な状況で涙というものが訪れる。嬉しさが込み上げた瞬間に。念願が、時間が相当かかったが叶ったときに。それらは歓迎すべきものである。ぼくは、この期間に何度か奈美の涙を見た。テレビのドキュメンタリーで困難な立場ながら全力で尽くし頑張ったひと。奈美は泣き、ぼくも涙を誘発された。しかし、ぼくの発した言葉や態度がきっかけで生じたこともあった。それは少ない回数だと思いたいが、どれほどの頻度で泣かすぐらいが適正なのか、ぼくはその平均値をもっていなかった。

「結局、女は泣くんだよ」と、友は言った。その言葉の裏には山でマツタケを見つけたほどの驚きもなかった。「あれは、浄化作業の一環。自分自身へのリンス」
 そう宣言されても、ぼくの落ち込みが減るわけでもなかった。前夜、奈美は泣いた。ぼくがいなければ、彼女の悲しみはひとつなかったことになる。だからといって、ぼくが奈美の喜びの源泉の機会だって度々はあったのだ。恐らく少なくない程度には。

「あれは爆弾でもなければ、決してテロでもない。でも、奈美ちゃんも泣くんだね?」と、友は付け足した。彼の認識では奈美には弱い要素がないようだった。先ほどの彼の理論とは一致しないようだが、自分の発言自体をもう忘れているようだった。

「もう、どれぐらいだっけ?」
「どれぐらいって?」ぼくは質問の内容が分からなかった。
「付き合ってだよ」
「二年近く」

「あいつの結婚のときに会ったんだよな、お前ら。すると、あいつも、もう二年か・・・」友はそのふたりの不仲を暴き立てていた。それを聞くと、ぼくと奈美はいかに親密であり、互いを必要としているかが深く理解できた。その別の友人には申し訳なかったが。だが、それも本質的には相対的なものではない、ぼくと奈美だけの問題でもあった。しかし、あの完璧なる結婚を遂げたと思っていたふたりの仲が亀裂するならば、世の中に安泰などひとつもないことも彼らが身をもって教えてくれているようだった。

 友は、それから新しい恋人の話をした。ぼくは映像をうまく思い浮かべられず、そのぼくにとっては架空に近い人物の容貌を、前の女性として想像していた。彼らのはじまったばかりの愛は手垢もついておらず、すべては新鮮でみずみずしくあった。友は常に会うたびに驚きを得られ、一日の別れにはその見返りとして寂しさを感じていた。継続をつづけるたびに、ぼくらは激流を捨てる。だが、激流には魅力があった。荒々しいざらざらとしたもののなかにだけ眠る真実もあった。そのうちに石は角を削られ、磨耗していった。表面がなめらかになり互いがぶつからなくなることもまた歓迎すべきことだったが、刺激が足りなくなるという諸刃の面もあった。だが、いつまでも刺激を求めることも間違いに通じそうだった。

 ぼくらは別れる。ひとりになって自分だけの思考に戻った。すると、彼との会話がさっき以上に耳と脳に響いてきた。今度、彼は新しい恋人を紹介するともいった。奈美もその女性に会うことになるかもしれない。ふたりは融和するかもしれず、反対に、相性が合わないかもしれない。永続する関係を構築する必要もないふたりの仲を心配することもない。ぼくと奈美の今後だけが問題なのであった。ぼくは自分が未来に目を向けるのが単純に下手であることに、その道で気付いていた。気付くのもかなり遅かった。ぼくは過去と過ぎてしまった変更が不可能な時間にただようことを愛しており、そのぬかるみで転げまわりたかった。だから、ぼくは奈美の涙にこれほどまでに拘泥しているのだろう。明日、奈美を死ぬほど笑わせればいいだけなのだ。結論としては。いや、笑いなど必要もなく、安心感を与えられれば終わりなのだ。それでも、未来はなんだか本音をぼくに対して現してくれそうにもなかった。誰もがそう思っているのだろうか。

 ぼくはきょう何度も奈美に電話をするタイミングがあった。身近に電話を保有して生活するようになっているのだ。その為、鳴らない電話は必要以上に存在を主張した。バッグやポケットのなかで身を潜めて。

 涙は、どこに身を隠しているのだろうか。製造するのはどのときなのだろう。他人のことばが信号となり、傷をつけたり、怒りを誘ったりする。涙として結実するにはあまりにも時間が短すぎる。咄嗟に言い訳を考えつくのも時間がかからない。重みもない言い訳。永遠に泣くこともできない身体。だが、ずっと悲しみを引き摺ることはできる。涙以上にそれは重いものだろうか。ただ、煩わしいだけのものだろうか。過去を愛する自分はその煩わしさにも愛着をもっていた。肩を寄せ合って、夜を徹して会話したいぐらいに。

 夜、だいぶ遅くなって奈美から電話がかかってきた。ぼくは友との会話を再現し、彼の新しい恋人と今度、会おうと奈美に告げた。

「何人目の恋人だろう、多くない?」と、奈美は言った。
「彼も彼なりに、別れれば泣いたりしたんだよ」ぼくは友人の弁護をした。
「ほんとう?」疑念はどこにでもある。質問になったり、涙になったりする。黙られることがいちばん怖かった。ぼくはそれを避けるためにできるだけ言葉を費やした。彼女の笑い声を聞く。乾燥した笑い。湿度の多い悲しみ。どちらも奈美の一部であり、どちらも愛さなければならないと、ぼくは電話の距離を考慮に入れながらも考えていた。

流求と覚醒の街角(67)遠隔

2013年10月29日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(67)遠隔

 ぼくは奈美と会うのが久し振りだった。お互いの社会側に見せている約束や予定が優先され、個人的なことは二の次にされた。だが、もっと前ならぼくらはそれらをいちばんに持ってきていたと感じられてもいた。だからといって性急な解決もなく、準じた衝動も意外と冷静なものに変化してしまっているようだった。醒めというのは熱を奪うことであることを薄々とだが念頭に置いた。

「なぜ、そんなこと言うの? 淋しいな」

 ぼくがこの関係を奈美の視点から喜んでいなければ、解消することをも示唆に入れるセリフを吐くと悲しそうな顔でそう答えるのだった。「わたしを不安にさせるようなことを言わないで」
「ごめん、もう言わないよ」ぼくは奈美の不安の固まりを払拭させるように声ではなく、ただの音のようなものを出した。これで良いのか? これで、良かったのか? 奈美も、ぼくも。

 しかし、ぼくらの会わなかった数日の間に、違和感のようなものが芽生えたのも確かだった。ぼくは直りかけたかさぶたを無理に引き剥がすように、先ほどの言葉を言わないわけにもいかなかったのだと考えていた。ぼくは、あとでそれを後悔し、そもそも引き摺るとか未練という状態から抜け出せない自分を何より愛し、愛着をもっているらしいのだ、と気付いた。未練こそが純なる愛の証拠の唯一のものなのだ。それを過去のある日から継続して温め、またその状態をもう一枚の布団を重ねるように自分の上にゆっくりと被せようとした。前提には最愛なるものを失う自分を発見しなければならない。他者のような目をもって。

 その不用意なひとことでぼくらの間はぎくしゃくとなる。この現実の関係こそが夢であり、前日のぼくの見た夢のなかで彼女は別の男性と家庭をもっていた。ぼくはその奈美本人の姉か妹のどちらかとの知り合いに過ぎないのだという不安な脳の状態にあった。実際には存在さえも許されていない人間との関係なのに。人間が継続することで勝ち得る喜びと無力さがきょうのぼくには同時に生まれていた。

「本当はぜんぜん思ってもいないことを言ったんでしょう? さっきは」

 奈美は自分の安心を得ようと、わざわざ不安の要素を思い出そうとしていた。引き出しはもう一度、開かれたのだ。言葉はこの場合は、真摯な意味合いを決して有しないものたちなのだ。ぼくは何とでも言える。テクニックも高尚な哲学もいらない。ぼくはまったく思っていなかったと告げる。しかし、思っていないことなど、口から軽々とも、また重厚な声色でもでてこないものだった。ぼくはどこかで奈美の幸せを最優先にするというメルヘンチックな思いに捉われていた。だが、それも奈美の幸せであるのか、ぼくの幸せでもあるのか、かつまたぼくの逃亡であるのかも分からなかった。

 奈美は不安を消した表情をつくる。だが、その様子を維持すればしようとしたほど、毀れやすいものとなった。水面のさざ波はいつまでもなくなる気配はなかった。この数日の不安がぼくを小さな攻撃的な少年にした。無論、毀したいとも本音では願ってもいないのだ。シーソーの両端にいるふたりのように停止したものを揺さぶって、傾きを加え、動きを与えたかっただけなのだ。実際に動くには動いた。だが、シーソーを片側は降りるという札をもちだしたのだ。それゆえに均衡は崩れ、奈美は低い位置で不安になった。

 ぼくは過去のあの日も同じような態度を取っていた。心配させる材料になることをぼくは無計画に放った。あそこでぼくには君だけしかいないのだと強く拘束することもできたはずだ。そして、また今度も同じことをしようとしていた。舟を転覆させることに魅力を感じ、別の舟を用意するよう無意識に相手にせがんだ。ぼくはひっくり返った舟の底に辛うじて首を出して息を吸った。頭上をひかりもなく覆うその底の曲線が生み出す狭さと窮屈さにいることもまた愛だった。ゆがんだ熱情はそのぐらいの場所だけで生息し、放出する熱も冷ましていくのだろう。

 翌朝、奈美の表情はいつもと同じだった。ぼくらの関係ももとにもどった。だが、いつもは次の約束など決めることはなかったのだが、その日の奈美は次の予定を確実に入れた。手帳に丸をつけ、カレンダーにも同じことをした。それは祈りに近いもののようだった。いや、託宣とでも呼びたいほどの生真面目さが指にあった。ぼくは部屋を出て別れた後も仮に奈美の妹や姉がいたら、どんな女性だったろうかと想像した。そのある意味で同一にはならない、同質でもある「まがい物」の方が自分にぴったりと来るような印象をもっていた。そう考える自分も日々の自分より低劣で、愚かしさにまとわりつかれていた。歩きながらぼくの電話がなる。奈美はぼくのひとときをも失わないように会話をした。その不安を再燃させる心配もなかったのだが、きっかけをそもそも作った自分には大いなる罰がくだってもよかったのだ。

 ぼくらが繋がっているのは電波という見えないもので、よくよく考えれば他のひとも、見えない何かを信じようとしているだけのようだった。ある場合には指輪になったり、役所への届けで代用された。神秘さをもたない繋がりではぼくらの関係の正しさも立証できない。だが、ぼくは誰になにを証明しなければならなかったのか。ある日、再会することになるかもしれない誰かや、自分の亡霊に、現在の幸福の証明と、過去の選択の正しさなのかもしれない、それは。しかし、電話も終わる。目に見えない電波はさらに遠いものになった。だが、そうなってみると逆に奈美はぼくの頭のなかでより一層近付いたようだった。

流求と覚醒の街角(66)丘

2013年10月26日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(66)丘

 性格に起伏があり過ぎるのは問題だ。穏やかなひと。穏健なひと。すべて、褒め言葉だ。しかし、自然ではある種の高低が彩りを与え、凹凸が美へと通じた。

 ぼくらは欄干から下の流れ行く河川とその周囲の木々を見ていた。せせらぎを聞き、清らかさを全身で受けた。都会がもたない、そして、味わえない美的感覚があり、ぼくらは堪能する。こころゆくまで。

 奈美はソフトクリームを食べた。ぼくはビールを飲んだ。これはもう運転をあきらめるという宣戦布告だった。だが、奈美はいつものことだとのあきらめの視線を向ける。しかし、彼女はもともと運転が好きなのだ。ぼくは、それよりアルコールに傾いた。

 しかし、ただアルコールを摂取するだけなら都会の一日の汚れをはらんだ裏道にも、それなりの美しさがあった。また、ストレスも微量な香辛料になってくれた。自分の不甲斐なさをつまみに、多少の悪口を合いの手にして。それでも、やはり新鮮な空気は何ものにも変え難かった。

「ひげ、のびてるよ」
「休日の男の勲章だよ」
「もう、酔ってるの?」

 ぼくは空いた片方の手の平であごを触る。毎日、定期的にのびるのだから役目はきちんとあるのだろう。だが、いまのぼくには利点のひとつも思い浮かばなかった。奈美に指摘されるぐらいのことしかぼくにとっては重要な意味をもたないのだ。奈美の口元にあった白い丘はもうなだらかなものになっており、こんもりと小さく膨らんだぐらいに減っていた。そう考えるとすべてに角度があった。鋭角なものもあれば、緩やかな傾斜もある。奈美の頬骨。そのうえが赤く塗られている。肩のかたち。ここにも緩やかさがあった。ぼくは足を組みかえる。名残惜しそうな様子で奈美は食べ終えた。

「甘いもの、ずっと嫌いだったの?」
「そんなことないよ。若い頃、子どものころは好きだったよ。毎日、チョコレートを食べても飽きなかった」ぼくは、それをもう何遍も伝えた気がすると思っていた。だが、これからもずっと言いつづける予感もあった。継続して自分のことを伝えられる範疇にいることこそ幸せであるのかもしれない。ぼくは、これが好き。これが苦手。ある日、これダメだったよね? と、再確認のように問われる。なだらかな頂上に向かい、こころはなだらかに親密さを深めていく。すると、ぼくも奈美の好悪を理解しておく必要があった。ストックして、ご機嫌をうかがう。いや、もっと前向きにプレゼントなどにも使える。

 バイクの団体が駐車場に集団でとまった。彼らはひとりに対してひとりの乗り物がある。ガソリンのタンクが描くカーブも傍目に見ると美しいものだった。このぼくが感じている新鮮な空気より、より一層うまいものを彼らは吸っているかと考えてみるも当然のこと答えは出ない。乗り物の無防備な差によって瞬間で判断することが多くなり、そのために神経の深い部分では疲労がことのほか早く蓄積されていく。それは刺激にもなり、疲れのもとともなる。だが、快適な空のもとで受ける疲労など快感の一部なのだ。

「屈強な大男たちがアイスを食べてる」
「だって、酒も飲めないだろう。法律上で」
「そろそろ行く?」

 奈美は運転する側に乗り込み、キーを回した。ぼくはくつろいでとなりに座る。早起きした所為か眠気が襲ってくる。
「あくびって、伝染するよね?」ぼくはあくびを堪えながらそう言った。
「やめてよ、あくびって言葉を聞いただけで、したくなった」

 それから、実際にした。ぼくらは一泊するためのホテルに向かう。もう直ぐそこだ。着いたら仮眠をしてもいい。また車を置いて、その辺を歩いてみることもできるだろう。ぼくは意味もなく車のなかにあった地図を眺める。年齢的なこともよるが、ぼくらには自由があり、行動範囲もその自由ゆえに増していった。ぼくは奈美と行った場所が多くなっていることを知る。日本の地図を眺め、こころのなかで、あそこもだと言った。ぼくは奈美というひとつの対象を知りたかっただけなのだ。結果としては、彼女と自分の馴染みとは別の場所で時間を過ごし、彼女の違った面を知るようになった。総合的には、それも奈美だった。チョコレートを食べなくなった自分も、やはり自分の一部だったのだ。

 ホテルでチェックインを済ませ、部屋に入る。窓のそとは木々が多い。道路も見えなかった。庭にはいくつかの気取ったベンチが置かれていた。
「疲れてなかったら、歩いてみる?」と、ぼくは奈美を誘う。
「いいよ、ちょっと待ってて」

 ぼくは靴が汚れていることを知った。いつ、付着したのだろう。ティッシュを取り、汚れを拭ってゴミ箱に捨てた。靴を脱がなくても許されるところがあり、そのことを疑問にも思わない自分もいた。奈美はバッグを開け、なかの洋服をハンガーにかけた。多分、明日着るものらしい。ぼくには皺の心配をする服もない。無精ひげを気に病む女性もいなかった。礼儀という範囲をぼくはどこかで置き去りにしたのかもしれなかった。ぼくの前でもきちんと服装を整え、化粧や髪型のチェックを入念にして怠らない女性もいた。それは、ぼくのためというより接するひとへの最低限の礼儀のような気もした。幼い頃から両親がきちんと教え諭したのだろうか。
「いいよ、外出よう」と奈美が言った。

 ぼくは、もう一度あごに触れる。奈美の円を基準にした身体。ぼくの直線を多用とする顔の輪郭。丘。ぼくは鍵を手にした。横目で奈美のかけられた明日用の服を見た。その服をデザインしたひとは女性の身体の構造も奈美のそれも充分に知っていると感じられた。だが、ここにいる奈美を独占できるのも、また自分だけだった。

流求と覚醒の街角(65)ニット

2013年10月23日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(65)ニット

 曇り空の下の彼女。

 彼女は暖かそうなニットの上着を着ている。ひとは動物と違い着替えることによって温度調節が可能だ。いまは寒い。ぼくは何度目かの奈美の冬へ向かう服装を見ることになった。水着や薄手のブラウスも可愛かった。だが、シックな色合いの洋服もよく似合った。かといって春先の淡い色が似合わないわけでもない。これが、恋する状態が生む結果であることも知っていた。その感じたものを言葉としてもっと告げるべきだったのかもしれない。

 防寒もおしゃれになり、女性本来の柔らかさを生んだ。目も強い光線で痛みつけられることもない。物事は層を通過した向こうにあり、直接に触れ得るものは少なかった。

 樹木も赤く色付いた。すでに芽吹くことを止め、後退の時期に入った。だがこれを越えないと新しいものもやって来ないのだった。いったん袋を空にする必要があった。どんぐりを貯め込む動物も片一方ではいるけれど。

 ぼくらは落ちた草木を踏みしめた。乾燥した音が靴の裏でする。耳はときおり吹く冷たい風に敏感になっていた。暑いときは耳は熱に対してなにも教えてくれなかったが、反対に冬に近付くと主張をするようになる。その歴然とした差をぼくは奈美に報告する。

「そうだね。でも、自分が熱を出したり、酔ったりすると結構、主張する部分だよ、耳って」
「そうかもね」とぼくは答える。鼻の先も冷たくなっている。「太陽が沈むと急に冷え込みそうだね」

 奈美はその言葉を聞くと条件反射のように上空を見た。樹にしがみつく葉っぱは段々と少なくなっていく。
「鍋でも食べる?」
「そうしようっか」ぼくはふたを開けた瞬間の湯気を想像する。冬の本場。冬の本番。今夜の献立。「また、スキー行くんだろう?」
「本当にしたくない?」

 ぼくは返事をしなかった。秋が終わろうとする一日に何も決断したくなかった。ただ、鍋に入る具材を決めることは別の問題だった。食べ物を通しても暖まり、言葉を通じて温かい気持ちにもなる。実際のヒーターやお互いの体温で寒さを避けることもできた。ぼくらは手をつなぐ。子どものころは両親の間に挟まり、この安心感を得た。思春期になるとこの状態になることを恥じ、周囲の視線に過剰に反応した。しかし、また戻って結び付きを信じるようになる。会話はなくても身体の末端の一部が親密さの証拠になった。

 この季節の日射しは夕方の五時までももちこたえなかった。電気のない時代なら、一日の作業を終え、小さな灯りで晩のひとときを過ごさなければならないのだろう。だが、ぼくらはライトアップされた場所に向かっていた。電飾がひとびとを呼ぶ。ぼくらはため息とともに美に見惚れる。

「見惚れてるね?」と奈美がぼくに言った。ぼくはあの場所でラファエロの絵を前にして同じセリフを別の女性に言われたことを思い出していた。
「そうだね」ぼくは視線を奈美に向けた。「男性は好きなものを一心に見つめる」
「女性は?」
「気にしてない異性とずっと視線が合っていても困らないらしいよ。受け売りだけど。男性なら、変な誤解をされたら困るからしない」

「好きだったら?」
「最初は、視線を合わせないようにうまい具合に逸らす。心理学的にはそうみたいだけど。実証する数も少ないんで本質はどうか判断もできない」
「シャイな男性もいっぱいいるけど」
「いるし。潤んだ瞳の女性もいっぱいいる。誤解を与えているのもしらずに」

 ぼくらは温かいものを飲んだ。奈美の頬は寒さによって染まっていた。ぼくは、この頬もどこかで見ていたのだ。
「お腹すいたね」
「空いた。賛成」
「スーパー寄って、白菜とか買ってうちに来る?」
「そうしようっか。賛成」

 ぼくらはその後、ビニール袋をぶら下げ、奈美の家に向かった。正面には月が出ていた。星も少なかったが、どこか遠くで瞬いていた。どれほどの距離かを知らなくても夜空に光っているものを、子どもも星と認識する。無闇矢鱈と足場もない空中から落ちてこないことも、法則は知らないが気付いていた。ある日、流れ行くものに願をかけることを教わる。だが、ぼくは一度もしたことがなかった。上空にあるものより、目の前にあるものの方が結局は誠実であり、正しいのだ。ぼくは奈美の肩の辺りの毛糸を触る。それは一本の毛糸に過ぎなかったのだ。もともとは。いつか形を成し、立体的なものになった。ぼくの女性観も、若い頃の恥ずかしさを越え、立体的なものとなった。その分だけ、いなくなれば痛みが加わることも知っている。ただの一本の糸に過ぎないのだとは考えにくい。ぼくらには無数の思い出ができ、毛糸も複雑に編み込まれ、象徴的にカラフルになるのだ。

 奈美は部屋のカギを開ける。部屋は寒くて暗い。電灯がつく。ガスが野菜を温める。湯気が出る。腹を満たす。奈美は服を脱いで体温を調節する。食べ切れなかった野菜がまだ底にのこっていた。ぼくは見る。見惚れるというのはやはり重い言葉だった。ぼくは奈美を見る。結わいた髪のため、のぞいた耳は幾分か赤くなっていた。ぼくはまだ新しいソファのうえに座り、もうなにもしたくないという怠惰な気持ちで温まった部屋のなかで集中力を消え行く湯気のように四方八方に分散させていた。


流求と覚醒の街角(64)途中

2013年10月21日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(64)途中

 ぼくは奈美を待っている。読みかけの文庫を開き、一瞬だけ待っている自分という存在を解放させる。これならば、どこにでも行けるのだ。北欧でスパイを追いかけ、南仏で太陽も浴びられる。だが、そこで肩を叩かれて、品川駅に連れ戻される。ぼくは文庫にしおりを挟む。この作業をぼくは何度もした。すべては、途中で中断される運命が待っていて、それを再開させる喜びがあった。

「なに、読んでたの?」
 ぼくは返事をする代わりに、その本の表紙を見せた。奈美はただ、小さな声で、「ふうん」と言った。風の強い日で奈美の髪は乱れていた。だが、それもぼくの認識不足で無造作というある一点を目指し、そこに到達した髪型かもしれなかった。だから、ぼくは口を噤んでいる。

 ぼくらはある店に入った。奈美はトイレに立つ。戻ってくると、
「やだな、髪、ぐしゃぐしゃになって。この風で」と言ったので、ぼくの第一印象は正解であったのだ。
「でも、似合ってるよ」
「え、どういうこと?」

 ぼくはまた黙る。ぼくの側から中味が見える冷蔵庫があったので、そこに視線を向けた。中には途中までの瓶が所狭しと並べられていた。開けたばかりの風味が消える心配もあった。何事も新鮮である期間があり、適度な馴れ合いの時期もあった。ぼくと奈美もあそこに置かれた瓶の中味のような状態なのかもしれなかった。それは別のものを継ぎ足す必要もあるのかもしれず、飲み切って別の新しいものと段階に移行させることを最優先させるべきかもしれない。だが、ぼくだけの問題でもなかった。

 飲み物の注文をすると、その冷蔵庫の奥から店員が瓶を引っ張り出していた。その際に手前にある数本を外に一旦出し、また閉まっていった。何かを選ぶということはぼくの年代になると、あのような抵抗や摩擦を起こすのかもしれない。

 ぼくらは注がれたグラスを重ねる。奈美は今日、自分に起こったことをかいつまんで話した。ぼくは奈美のきちんと起承転結が構成された話を聞くのが好きだった。彼女ならいずれ母になり、子どもにお話を聞かせるという役割を充分果たすことがいとも簡単に想像された。その子どもはつづきを熱望する。すべては完結しないのだ。途中が居心地の良いものであることも知る。

 空腹を満たして、ぼくらは映画館の遅い上映に間に合わせた。ぼくはその途中でちょっとだけ居眠りをする。金曜の最後は一週間の疲れが出易かった。だが、ぼくはその映画の感想を発表して大衆にアピールする立場でもない。辛うじて意識をきっちりと保つことにも責任は生じない。眠りたければ眠ればいい。だが、それは数分の喪失だけだったのだ。失われたものもほぼない。また途中で目を覚まし、つづきを楽しんだ。

 その後、終電間近の電車でぼくの家に向かった。軽食と飲み物をぼくらは途中のコンビニで購入する。これもまた何度もしたことになっていった。奈美はシャワーを浴び髪を乾かす。顔は幼くなっていた。ぼくも衣服を脱ぐ。歯もみがく。一日経った頬はすこしザラザラしていた。ぼくらはお互いが費やす時間のおおよそを知るようになっていた。ぼくがシャワーを浴び終えれば奈美の髪は乾いているはずだ。ぼくらは喉を潤し、自分たちの存在を確かめ合うことになる。そうしなければもちろんいなくなるわけでもない。無数の過ちを犯しながらも、ぼくには際限もない喜びも与えられるのだ。途中の関係だからこそ、ぼくらはスタート以上の相性も確認し合うことができた。

 奈美は丸まって、ぼくに腕と足を載せ眠っていた。髪は乱れている。小さな声で寝言を言う。深夜のカーテンに隙間があり、外灯の明かりが部屋に侵入している。その先に時計があった。もう深夜だった。これもまた夜という時間の途中だった。ぼくは寝られずにトイレに立つ。奈美の髪を留めるものが洗面台に置かれていた。ひとにとって生活に必要不可欠なものが増えていく。奈美のいくつかのものがぼくの部屋にも置かれている。歯ブラシがあり、お気に入りのコップもあった。その集大成が奈美という人間を浮かばせるのだろうか。ぼくのものも同様に奈美の部屋にいくつかあった。シャツもあった。ぼくが泊まるときに着るTシャツ。専用の箸。ぼくらは痕跡を残し、すべては死までそれらを散在させて生きるのだ。そのひとの証拠はその小さな集まりであった。

 ぼくはベッドにまた入る。奈美をまた元の状態にする。足と腕をぼくの身体の上に乗せる。また小さな呻き声を出した。時計は数分すすんだようだが、その間の数分など人間に重大な変化も与えない。決断をくだす時間でもない。まさに、深夜だ。ぼくはそれでも女性の温もりを感じられるのだ。もしかしたら、目を覚まして奈美と対面しているより、こうして一人用のベッドで窮屈になりながらいっしょに居るほうが時間としては長いようでもあった。ぼくがいちばん知っているのは奈美の寝ている時間。でも、それもぼくもまた記憶がない。夢の途中にいて、その境目を行ったり来たり制御できるほど人間には能力も可能性も与えられていなかった。

流求と覚醒の街角(63)ソファ

2013年10月20日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(63)ソファ

「あれ、ここにあったソファはどうしたの?」奈美の部屋は様変わりしていた。
「この前、粗大ゴミでもっていってもらった。少しくたびれてきたから」
「そうなんだ。残念だな。あれ、座り心地がよかったから」
「新しいの明日の午前中に配達されるから、それに馴れて。あと、置くの手伝って」

 結局、ぼくは以前のアパートにそのまま住んだ。奈美は新しい家具を手に入れる。ぼくらは交わる一点を思いがけなく避けてしまったようだった。新しいものに馴れて、と奈美は言った。ぼくは前のソファに愛着がこれほどあるとも思っていなかった。だが、失われてはじめてそのものがもたらしてくれていた快感を知るようになる。だが、どこかで古いソファは再生されていくのか、反対に既に解体されてしまっているのかもしれなかった。どちらにしろ元にもどすことができないものたち。

 ぼくは座りなれたところが奪われ、床にクッションを敷いてすわった。奈美がぼくに寄り添い、テレビを見ていた。土曜の夜は、親密なひとと過ごすとより魅力的な一日になることを自信をもって告げていた。自分をアピールするとか、自分のつくったものを必死に売り込むといういつかは経験するもがきの時間ではない。ただ、ゆるやかに関係は深まっていくのだ。奈美はぼくのひざを枕にして眠ってしまった。ぼくは行動を制限される。動けるのはテーブルにある豆を食べ、お酒のグラスを握ることぐらいだった。その酒も氷で薄まり味のないものに変化していった。

「わたし、寝てた?」と、当然のことを奈美は訊く。
「寝てたよ」
「足、痛かった?」
「ぜんぜん。でも、このごわごわした布地で奈美のほうこそ痛くなかった?」

「ぜんぜん」そう言って、奈美は首の骨の継ぎ目を修正するように首を降った。ぼくはその様子を見てから冷蔵庫に飲み物を取りに行った。余程、親しくならなければ冷蔵庫を無断で開ける権利もない。そこは人間の生活の聖域でもある。ひとのひざを枕にすることも、かなりの関係性を要した。
「わたしも飲む。のど、渇いた」
「どれ?」
「同じのでいい」

 ぼくは両手にグラスを持ち、数歩だけで縦断できる部屋を歩く。ぼくはここに何度、来たのだろう、と不意に考えた。同程度、奈美もぼくの部屋に来た。そこをひとつにする可能性もあったのだ。だが、なんとなく先延ばしにした。

 翌朝になってトラックが停まる音がする。その前に窮屈にバックする電子音がしていた。それから奈美の部屋の玄関のベルがなる。先ずは受け取りにサインをして、男性がふたりで重たい荷物をなかに運び込んだ。ぼくはすることもなかった。二人が靴を履きなおしてから、また電子音がしてエンジンを吹かす音も聞こえた。ぼくはそれを合図にダンボールの梱包を剥がしていった。

「こういう色か」
「けっこう、高かった。丈夫そうだから、ずっと、使えるけどね」
「丈夫がいちばんだよ」

 ぼくはゴミになったものをたたみゴミ捨て場に持っていった。収集される曜日がやはり自分の家と違うことになんとなくだが驚いていた。生活習慣はささいな取り決めや指示に影響されることらしい。ぼくはふりかえって奈美の部屋を見る。あそこにいるひとを知ったから、自分はこの町にいて、あの部屋に入る権利も与えられたのだ。その部屋のソファにすわることもできる。数年前の出会いが出会いという平板なこと以上に化けたのをいまのぼくは知っていたが、あのときはこんな日が来るとは当然のこと知らなかった。時間は早急に過ぎ去ろうとするが、利点もたくさんあるのだ。

 部屋にもどると奈美はもう座っていた。
「新しいのって、いいね」とうれしそうに身体を動かした。
「よくないのもあるよ。新品の革靴とか」
「じゃあ、何年も付き合った女性のほうが楽しいという論理になるよ」
「まあ、扱いやすいけど」
「新品もいい?」
「そりゃ、いいね」
「ここに座って」奈美は空いたスペースを片手で叩いた。ふたりがゆっくり座れる幅があった。「新しいのに馴れて」

 奈美はそればかりを昨日から言っていた。ぼくは奈美と会ったときに、前の女性の存在を充分意識させられる結果になった。比較とか不満の問題ではない。ただ違うタイプの存在であるということだけだった。千差万別という言葉以上に違っているわけでもない。ひとが意識する異性など偶然でもなく似通ってくるのだ。それでも、ある面では違っていた。だが、不思議でもなく人間の順応性は段々と馴れというものが生活を支配していった。

 ぼくは奈美の横に座る。自然と身体が寄り添う。人間が触れる温か味を感じる。そのひとが放つ微量の個性の匂いも感じる。それが安心の原因であり、赤ちゃんが母に抱かれただけで泣き止むのと同じ理屈だと思った。しかし、新品の家具だけが発する塗料のような匂いもあった。奈美はこの上で生活を今後する。ぼくもこれに座る権利がある。ぼく以外はここに座る男性もいないのだと思った。すると、新しいものだが急に親しみを覚えた。名前をつけられてはじめて大事にするという感覚も芽生えそうであった。ぼくはその布地を撫で、これを何と呼ぼうかと考える。しかし、またしても奈美はぼくのひざの上で横たわる。その重みすら自分は名付けたかった。でも、愛とか安心とかの陳腐すぎる言葉しか浮かばず、幸福というものも陳腐が作る最高傑作だとも感じられてきたのだ。確かに、数年前には知らないことだったのだが。

流求と覚醒の街角(62)更新

2013年10月17日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(62)更新 

「借りてるアパート、更新の時期になった」意味もなくもらす一言。ぼくの考察のない口。
「だったら、いっしょに住んであげようか、これから?」
「でも、住宅補助とかもらってるからな」

 奈美は珍しく即答しないで沈黙する。「女性に対して、正解の答えではないと思うけど。先ず?」
「そうだよな」
「ありがとうとか、うれしいとかじゃない、普通。ショック。まっさきに住宅補助だって」

 ぼくは転勤先からもどっていまの場所に住んだ。転勤の途中で以前の交際を終えた。彼女は度々、遠いあそこまで遊びに来てくれた。走り去る彼女の車。バックミラー。そして、新しい女性とここに住んでから出会った。しかし、その期間を正直に分析すれば、前の女性を忘れることを拒んだ年月であり、自分自身に対して許しや猶予を与えた時間だった。でも、それも一面から見たら、どこかに残っている程度の残滓で、ぼくは奈美を当然のこといちばんに考えていたのだ。過去の楽しさを取り戻せないことなど本人である自分がいちばん知っていた。解約された関係など。

「奈美だって、住宅補助をもらっているだろう?」
「もらってるけど。ねえ、話をすり替えようとしているの?」
「してないよ」
「付き合ってから、どれぐらいか知ってる?」
「知ってるよ」
「じゃあ、答えて」

 付け込まれる男性。複数の質問による殴打。ぼくは掻い潜りながらも軽いパンチは受ける。ある女性の大切な時間を占有したならば、そこには自ずと責任が生じた。責任をきちんとまっとうするには、ふたつの生活がひとつに近付くことを検討するのだった。

 だが、奈美のささいな怒りは長持ちしなかった。ぼくらは先ほどの話題を棚上げにする。決してなくならないが、当面は忘れるのだ。正直にいえば、ぼくは奈美の次など考えられなかった。ぼくらには共有した過去の時間の累積があり、ふたりにしか分からない暗黙の了解みたいなものを通じた居心地の良さも感じていた。それは、将来を選ぶ基準として貴重なものだったし、壊せるものでもなかった。消滅し得ないなにかが、もうはっきりと存在していたのだ。ぼくはいまのアパートに住んでいた期間で、それを温め、純粋に納得していた。

「それ抜きにして、どっか別に住みたい場所とかあるの?」
「ひとりのままなら、あそこでいいよ。どこで買い物すればいいかも分かってるし、周りの環境もそれほど悪くないしね」
「ふたりなら?」
「もう少し自然の多いところとか。休日を過ごしやすそうな」
「向こうの家はどうだったの? こっちに帰ってくる前だけど」

「仕事が忙しかったからね。受け持つ範囲も広いし。職場と自宅の往復で、それ以外の思い出もそれほど多くない」だが、それも突き詰めれば嘘だった。ぼくは前の女性との思い出を直ぐに思い返すことができた。ぼくも若く、それゆえにがむしゃらで計算などしないまま前の女性とぶつかった。彼女もまた若く、愛がこわれることを異常におそれた。いくらおそれ、避けようとしても結局はやってきたのだ。その期間を通過したぼくは、いまここでも真剣に対応しようと思っていた。

 ぼくらは理想の間取りを語り合った。休日の過ごし方。そこには、段々とぼくらの子どもがいるようにもなっていた。その子のための環境を重視する。その子を可愛がる奈美の両親の印象まで、もうぼくの手元にあった。それを失うのも簡単であれば、同じぐらいにすくって価値あるものにするのも簡単であるようだった。

 結局、夜遅くなり、ぼくは更新がせまったアパートにひとりで帰った。理想の間取りではないし、やはり、そこには奈美がいるべきだとも確かに感じられた。いないことへの不満と憂鬱。その感情がぼくの奥底から生じ、さざ波立つように主張をしていた。穏やかにするのには何を取り込み、なにを防ぐ必要があるのだろうか。しかし、ここにも奈美との思い出の断片が無数にあった。ぼくが別の場所に越してしまえば、その断片はどこかに葬り去られてしまう可能性があった。前の部屋に、前の女性の記憶の断片が散らばってあったように。

 翌日になる。アパートの住人がゴミを出している。見覚えのない顔だった。だが、向こうがにこやかに会釈をしたので、ぼくも同様にする。しかし、数歩もあるくともうその顔が思い出せずにいた。印象ならなんとなく分かる。相手もぼくの背格好とか眠そうな顔とか、ネクタイの柄とかの、ぼくに付随するものだけでぼくというものを判断の材料にするのかもしれない。ぼくも奈美のことを当初はそう感じていたのだろう。だが、何度も会い、何度かは多少の衝突を積み重ね、お互いを愛すべき対象として認識して育てていった。その育ったものにはやはり注いだだけの愛情が伴っていた。失うこともないが、大事にしなければ枯れることもありえる。

 油断していたのか、定期の期限が切れており、改札を通り抜けられなかった。ぼくは日付を確認する。それは昨日だ。昨日のこの土地にぼくは存在した。明日は、どうなっていくのだろう。奈美と歩むべき場所の最善のところはいったいどこだろう。そう悠長に思っている暇もなく、舌打ちをされる列から逃げた。定期を更新する。日付と駅名と簡単なぼくの氏名や概略。これだけが自分を証明するものだった。この不確かな情報の集まったものが、今朝の自分だった。

流求と覚醒の街角(61)地図

2013年10月15日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(61)地図

 奈美はガイドブックを見ている。ぼくはとなりで観光案内を見つめていた。これからしたいことがたくさんありながらも、おおよそのルートを決める必要があった。気を長くしていると冬は突然にやってきて、心細さも増していくのだ。大げさに考えれば。

 誰かがいなくなることに不安感をいだきはじめるのはいつごろのことなのだろうか。道に迷うことを恐れ、もう引き返せない立場になったことも知る。焦燥を隠しながら生きるのが大人なのかもしれなかった。

「このガイドブック、古くない? この細い道ないよ」奈美はその箇所を指先でなぞる。ぼくも首を伸ばしていっしょに見た。

「ほんとだ。こんなに早く変わるものかね」と言いながら出版された日付を確認すると、いくらか年数が経過したものであることが分かった。「時間が経ってるね」だからと言って、ルートを決めないわけにもいかなかった。

 ぼくらはさらに簡略化されたパンフレットを観光案内所でもらった。地図と照らし合わせ、案内板でも同じことをして、どうやらそれらしいルートは決まった。それから、また車に乗り込んだ。

 ひとは移動してなにかを見た。それを思い出と呼び、数枚の写真に納めた。写真のなかの奈美はもう変化することはない。誰も許さない。だが、流れつづける現実は小さな変更をひとびとに与えた。与えるという軽いものでもないのかもしれず、それは押し付けるという類いのものなのだろう。ぼくらは静かに受容し、日々の生活ではそれほど意識もしていない。振り返って分かることなのだ。更新前後の運転免許の顔写真の差がはっきりと示すように。

「そのガイドブック、どうしたの?」ぼくは当然の疑問を浮かべる。
「ここに来たことのある友だちにもらった」奈美はその女性の名前を言った。「もう、来ることもないしくれると言ったから、もらったんだ。じゃあ、このおすすめの店とかももうないのかな? おいしいとか言ってたのに」
「どうだろうね。ないと思えばないし、あると思えば、ありそうだし」
「意味深だね」
「さっきのパンフレットにも下とか裏に山ほど店の紹介があるよ」
「隠れた名店じゃないけどね」

 ぼくらは最初の目的の地点で止まり、小さな滝を見るために山道を歩いた。空気はひんやりとして、緑が放つ匂いがあたりにただよっていた。歩いていくと段々と水が流れる音がする。さらに勢いを増すのか流れるというものではなく落下の音になった。

 最後に立ちはだかるように大きな岩があった。ぼくは奈美の腕を引っ張る。すると、目の前に滝があらわれた。そこだけゴツゴツとした岩はなくなり、小さな広間のような平らなスペースになっていた。写真を撮るひとがいて、ただぼんやりと眺めているひともいた。小さな水のしぶきが風によってはこちらに運ばれてきた。すがすがしさというのは、こういう状態を指すのだろう、という見本のような所だった。

 ぼくらは、そこにいるひとにカメラを預け、ふたりの写真を撮ってもらう。ひとは大体が親切になる可能性をもっている存在であり、こういう場所ではかなりの確立でそうなった。

 ぼくらは堪能してそこを後にする。先ほどと違うルートを歩くと、湧き水を大きな入れ物に汲んでいるひとが少なくないほどいた。ぼくは片手をだして手のひらのうえの水を飲んだ。体内が浄化されるような味だった。ぼくはさらにすくってその冷たい水で顔を撫でた。
「どう?」
「気持ちいいよ」

 車に乗ると、奈美は空腹を訴えた。ぼくも同意見だった。あるか分からないがガイドブックのなかの名店を探すことにした。過去に友人が楽しんだもの。もし、あっても同程度のクオリティを保っているかも分からない。オーナーも変わり、メニューも変わっているのかもしれない。でも、あればあったで楽しめるだろう。

 ぼくらは一本外れた道を走っている。看板には動物がでてくる地域であることをイラストによって告げていた。飼い馴らされる動物がいて、奈美はそうしたものが好きだった。でも、ここで大きなものが不意にあらわれたら、その気持ちも撤回することになるだろう。動物園以外で実際に見たこともないが、ぼくらは未知なるものも恐れるのだ。奈美を守れるのはぼくしかいない、と単純に思う。しかし、そう考えている間に店の前まで来ていた。

「あったね?」
「あるね」
「営業してそうかな?」と奈美が心もとなく訊ねる。
「だって、車がそこに停まってるから」

 ぼくらは外に出る。奈美はまだガイドブックを手にしていた。店の名前と外観を見比べていた。奈美の友人はおいしいと言った。ぼくはその女性と過去の女性を同一視した。あの子の味覚をぼくは信頼しているのだろう。ひとがおいしいと感じるものは大まかにいえばいっしょだった。すると、会話とか店の雰囲気とかサービスの気の使い方が大きな要素であることも知る。ぼくらは店をでるときにどこかで採点をしている。だが、扉を開く前はひとの好悪の印象に頼るしかないだろう。ぼくは第三者に異性を紹介してもらい好きになるという経験がなかった。その情報を鵜呑みにもできず、疑うこともできないのだろう。カーテンを開ければ朝日があるように、そこにただ奈美がいたのだ。前の女性もそうやっていたのだ。急にカーテンが閉じられることもある。地図に道がなくなるぐらいなのだから、それも正面で受け止めるしか方法としてはないのだろう。

流求と覚醒の街角(60)ガラス

2013年10月13日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(60)ガラス

 奈美が友人と旅行に行き、お土産を買ってきてくれた。中味を開けると、カラフルなグラスが出て来た。ガラス製の彩色が施されたもの。ぼくはそれが作られる過程を想像してみる。もし、大量生産の品でなければ、製作者が熱で溶かし、形成してできあがる。色をつけるのが、いったいどの過程で行われるのかがまったく分からなかった。素材そのものに色がもう含まれているのか、あとからこびり付けるように付着させるのか、途中のどこかで紛れ込ませるのか、正解はぼくにはなかった。それが機械の流れ作業でできるならば、それでも、同じように回答はなかった。安価につくられる大量生産品。ぼくらは、どれも十ヶ月ぐらいは母の胎内にいた。安価でもなければ、規格というものもなかった。すべてが個性の産物であった。

 そして、どの過程でいちばん個性という色が付着するのだろう。親の存在は大きなものだ。遺伝子というもので、先ずは決定的な枠組みをつくる。生活をともにしながら形成していく。まわりの環境で言葉遣いや美意識も決まる。あるいは、馴染んでいく。負けず嫌いとか、友情を重んじるとか、弱いものに対して手を差し伸ばすことが自然にできるとか、その子自身の特徴もあった。やはり、それもまわりの環境に助けが必要な子がそもそもいたから育まれる可能性もあったのかもしれない。

 ぼくはグラスを丁寧に洗い乾かした。乾かしたといっても朝に洗ったものをそのまま伏せていただけだ。仕事が終わり、流しにそれがあることを見つける。ぼくは氷をそこに入れる。それから液体を注いだ。グラスは軽やかな音を発した。コロコロンと。

 ぼくは以前、こういう状態で何かを回想した場面があったことを思い出していた。だが、それは直ぐにはでてこなかった。あえて早急に回答を求める代わりに、過去のいくつかの場面を頭のなかで再現させた。ガラス製品がでてくる範疇において。

 子どもなら理科の実験がある。ビーカー。フラスコ。六人ぐらいの班でひとつの実験をする。率先して頑張ってくれたあの女の子の名前をもう思い出せなかったが、あの子は奈美と共通するものがあることを今になって知った。顕微鏡で見つめるものもガラスの板にのせた微細な何かだった。学校も終わってみなで集まる駄菓子屋でジュースを飲んだ。瓶は自分でふたを開ける機械に突っ込み、斜めにして開けた。飲み終わると勝手に裏にまわって派手なケースの一角におさめた。ある時期、瓶は店にもっていくとお金にかわった。

 大人になってワインを飲んだ女性の爪のことを思い出す。そうだ、ぼくはあの子と別れて夏の日の仕事が終わった転勤先の場所で回想したのだった。それは確かに自分でありながら、もう自分ではないような気もした。あの日より、何かの拍子に割れてしまったビーカーに驚くあの少女の顔のほうが、いまの自分にとってはより一層の真実味があった。ぼくはあの子の真剣さに対する報いに憤慨しても良かったし、さらに大人として慰めることもできたことを知った。しかし、当時の自分はその子をからかって、さらにいじめた。いや、いじめるという認識もなく、他のグループがうまくいっていること自体から集中力を殺がせる必要を無意識に感じていたのだ。その奥底の心境など真剣なる先生に通じるわけもなく、こっぴどく叱られた。数日間、あの少女は口をきいてくれなくなった。だが、ぼくの日々の暮らしにとってそれほど痛手を受けるわけでもない。放課後も休み時間もその子がいなくても順調にすすみ、かつ楽しめたのだ。でも、こころの奥では謝るタイミングも見計らっていた。だが、結果としてはその子から一方的に謝ってきた。自分の不注意でぼくが代わりに先生に叱られたと彼女にも不本意な気持ちがのこっていた。それ以後、自分がどう返答したのかも覚えていない。あの時期の炭酸飲料の味ほどにも覚えていなかった。

 ぼくは、あらためて酒を注ぐ。ひとつのグラスというものも意外と味気ないものだと感じる。こういうものは対になったりして、またはセットで使うことによって生きるのではないのだろうか。奈美も同じものを買ってきたのだろうか。今度、訊いてみることにしよう。

 ぼくはシャワーを浴び、その間に実験室の少女の名前を思い出そうとしたが、どうやってもでてこなかった。記憶の引き出しのどこかには仕舞われているはずだ。ぼくに思い出にするかしないかの選択権などなく、勝手に放り込まれているはずだ。しかし、それを取り出すには、ぼくの力だけしか頼るものがなかった。そして、その力も意に反して頼りなかった。

 ぼくは飲みかけのグラスにまた酒を注いだ。新鮮な入れ物を有したことによって、味がかわったような錯覚があった。味覚も視覚もだいたいはあやふやなものであるようだった。そのあやふやさを通過して、ぼくらは判断の条件にする。すると、判断も当然、不安定な結果を招くことになるのだろう。

 蛍光灯にさらすとさらにグラスの色が変化した。ぼくはそれを奈美だと思う。ある面では勇気があり、別の面ではしぶとかった。だが、自分に甘くもあった。この固定されたグラスには変化は訪れない。違うのだろうか。中味になるものが及ぼす影響をひたすらに待っているのかもしれない。最終的に変化をするのは割れてしまって使い物にならないときだけだ。そして、あの少女は泣き出す。ぼくは、もっと早めに謝れば良かったと後悔している。しかし、後悔の数など並び立てれば、とにかく無数にあるのだ。大量生産の後悔、とぼくはひとりごとを言う。その最後列に加わるようなものを阻止しようと、これから何ができるだろうかと思案をしたが、新しいグラスの所為で思いのほか、酔ってしまったようだった。ぼくは後悔が海の波のようになって押し寄せる姿を想像しているうちに眠ってしまったようだった。眠りの入り口は柔らかく、その後に移動したベッドのうえも心地よかった。ガラスのような固いものはどこにもなかった。そして、ぼくのひとことや、行いの所為で泣く女性を増やさないとぼんやりとした頭で誓った。

流求と覚醒の街角(59)ベルト

2013年10月12日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(59)ベルト

「食べ過ぎた。ズボンがきつい」と、奈美は言った。座敷にすわり、両手を後方につけている。のけぞったという表現のほうが似つかわしい。
「柔道部員かよ、その食欲」
「いまなら、勝てそうだよ」ベルトを緩める真似をする。「この外したベルトで叩いてみたり」
「そういう趣味ないよ」
「気付いてないだけかもよ」彼女は自分で言ったことについて笑った。「笑ったら、もっと苦しい」

 靴を履き、会計を済ませて外に出る。さっきまで吹いていた大風のため路面にはゴミや葉っぱが散乱していた。夜中に誰かが散らかったものを掃除するのかもしれない。その作業を知らず、運ばれたものがどこで焼かれるのかも知らなかった。角を曲がると電波塔が見える。受像機がなければ、その恩恵は分からない。ぼくは奈美の発信するものを受け止める箱に過ぎない。

 そこは坂道が多かった。階段を登ったり、坂をくだったりした。
「これで腹も引っ込むよ」
「太たって愛してよ」と奈美が言う。
「自己肯定が過ぎるね」

「人間なんて愛着で生きてるものなんだよ。なくなったら淋しいとかで」
「一理ある」
「なんで、今日、そんなに理屈っぽいの?」奈美は階段の途中で立ち止まった。足音がつづいてこないことに気付いたぼくも同様にそこに停まる。そして、振り返る。
「奈美の方が理屈ばっかり並べていると思っていたけど・・・」
「きょう、送ってくれなくていいよ」奈美はそう言うとぼくを追い越して歩いていった。ぼくは追いかけることもしなかった。男同士ならこういうことはあり得ないのだ。しかし、男同士の間では永続性なども微塵も考えられないのだ。明日には路面のゴミも片付くかもしれない。それに基本はさっぱりとした人間である奈美は簡単にこのことを忘れているかもしれない。ぼくらは大きな喧嘩などもしたことはなかった。だから、どちらが最初に頭を下げるという順番を決める機会もなかった。

 ぼくはただゆっくりと歩く。大風はやみ、その反対にぼくらの関係には静かな波紋がひろがっていた。些細なこと、とぼくは何度も口に出した。店員が誤っておつりを間違うのも万単位ではない、一円とか十円とかの話なのだ。すべては些細なもので成り立っているのだろう。それをうやむやにするか、きちんと問題点を把握して解決するか、それぞれに性格によって対処の仕方も違った。

 ぼくは家に着く。携帯に履歴もなければ、ほこりをかぶりそうな家の固定電話にも留守電がなかった。愛というのも順調にいかないことがよりいっそう記憶の源になった。

 ぼくは前の女性との別れの場面のいくつかを思い出していた。歯ブラシが部屋にのこっていたことや、彼女の日常の部屋着もあった。きちんとした別れ話もない代わりに走り行く車の後部を思い出していた。映画なら走って呼び止める。いつか抱擁して永遠に導く言葉を吐く。だが、普通の人間は、自分に訪れた運命を甘んじて受け入れるだけだった。ヒーローになることも、ヒロイン性も有していないお互いにとっては。

 眠りが浅いということも憂鬱の残した確かな証拠だった。ぼくは寝起きに携帯の履歴を見る。やはり、なにもない。今ごろ、奈美も同じ動作をしているのか考えた。ぼくらは終わりになる種を終始、撒き散らしていることをそこで知った。だが、それにジョウロで定期的に水を注ぐことなど決してしないのだ。土を掘り返し、種に栄養を加えなかった。

「ベルトで一回、叩かせて」と奈美は翌日の夕方に電話で言った。
「いいよ、存分に」ぼくはふざけて答える。
「太っても、痩せても、わたしのことが好きって言うんだからね、そのときに」
「言うよ」ぼくはすべてに寛容でいようと思った。「じゃあ、こっちにも提案がたくさんあるんだけどな」

「男性って、努力をしてるとか、向上する背中とかが美しいと思うんだけど」
「フェアじゃないね?」
「え?」
「公平じゃないと思うね?」

「え?」
「聞こえてるだろ?」
「うん?」奈美は堪え切れずに笑った。「電波が悪いみたいだよ」
「じゃあ、直接、会って言うよ」
「会いたいの?」

「うん?」と、ぼくはやり返す。喧嘩して仲直りをする。かさぶたを作って大人になる。学校の机のうえで勉強したことを応用することもある。目の前の女性をどのように扱うかを実地で学ぶ。喧嘩して終わりにできない関係もたくさんあった。仕事のお得意さんに笑顔を見せる。生意気でいられる期間など人間にとって短いものだと知った。しかし、それは不幸でも足かせでもなかった。喜びは、相手を喜ばすことからも多く得られたのだ。階段をいっしょに踏みしめられること。同時に降りる音。常にそばにいる存在。急に奪われることが段々と怖くなった。いや、怖くなるという道中に恐れと戸惑いを覚えるのだろう。ぼくは無意識に自分のベルトを触った。その穴がいくつあるのか数えた。あまり数はない。一つ目は前の女性であるのだろう。そこはもう入らないし、利用することもない。ただ、最初にあるというだけだ。すると、理論的にいえば、あと数個は別の女性も待っているはずだった。でも、しっくりくるのはこの穴だけだ。奈美との時間。ぼくは四つ目と五つ目のベルトの穴を手探りでいじった。なんだか、理屈っぽいと言われたことを思い出していた。しかし、理屈など必要ではなく、ただ、太ろうが痩せようが奈美を気にかけていると言えばいいことだけは理解できていたのだ。

流求と覚醒の街角(58)結露

2013年10月10日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(58)結露

「結露って、どうしてできるんだろうね?」と奈美は寝そべったままの姿で指を伸ばし、窓ガラスを触った。そこはぼくの部屋だった。冬の朝。暖房器具の働いていない部屋は思いのほか寒かった。

「どうしてだろうね。奈美の部屋はできない?」
「うん」その濡れた指をぼくの顔に寄せる。「気密なのかね」
「ここより、高級な部屋なんだろうね」

 ぼくは閉じ込められた空気のことを考えている。外気との温度差によって見えなかったはずの水が浮かび上がる。ぼくらはこのベッドのなかでも呼吸をしている。ぼくは奈美のことを好きだという気持ちを自分の体内に閉じ込め、その対象として奈美を拘束しようとする。自由な人間も、象徴としての壁面に水を浮き立たせる。何らかの証拠を残すようにできているのだ。ある面では嬉しさの表出であり、別の面では無粋の極みの証拠だった。

 ぼくは立ち上がり暖房をつける。それから冷蔵庫の前まで歩き、飲み物を取り出した。乾燥した空気がのどから必要以上に潤いを奪っていた。だが、窓ガラスには水滴があった。

 蒸発していたものが結集して自分たちの存在を伝えた。ぼくはベッドに戻る途中でカーテンを薄く開け、外を眺めた。やはり、湿ったガラスは透き通るという自分の役目を放棄していた。ぼくは手の側面で窓を拭いた。葉っぱのなくなった樹木が寒そうに立っている。だが、あと数ヶ月もすればふたたび青々と繁るのだろう。

「ちょうだい、それ」奈美も水を含んだ。のどがかすかに動いている。「わたしの足、冷たかった?」
「もう、そうでもないよ」

 となりの家のポストから新聞を引き抜く音がする。バイクで配達する音もする。休日はゆるやかにだが動き出そうとしていた。
「お腹、空いた」と奈美が言った。いまは真っ白な顔をしている。
「昨日、買ったパンならあるよ」
「食べる」と言って彼女も立ち上がった。

 ぼくは音楽を探す。世界には歌えるひとと歌えないひとがいて、聴くひとと聴かないひとがいた。笑わすひとと笑わすことができないひとがいて、笑うひとと、笑わないひともいた。休日の朝を優しげな音楽が充たす。

「暖かい飲み物、作るね」ガスのコンロを点火する音がする。ぼくの家まで管が敷設され、それを当然のことと思っていた。電話にはもう段々と線が必要ではなくなってくる。テレビも電波を飛ばした。柔らかな音楽もスピーカーから見えない波動を出して、この耳に達した。ぼくに達するものたち。

 奈美はふたつのカップを両手にもっている。そのどちらを自分用にするのか当てようとした。彼女の左手はぼくの近くに。彼女の右手は自分のそばに置かれた。目の前には湯気がたっている。これも水の変化した形なのだろう。ぼくらはふたつのパンをちぎって食べた。思ったより堅かったが、それでもおいしさが奪われているわけでもなかった。ただ、水分はある程度は必要だった。

「こう寒いと、出掛けたくないね。もう一回、ベッドに入っていい?」
「いいよ、好きなだけ」そう言って、ぼくは読みかけの本を開いた。ひとりでするべき最たるものは本を読むことだった。だから、ぼくはここでひとりだった。だが、近くに、手を伸ばせば近くにひとがいるというのを意識している部分がぼくには数パーセントあった。その数パーセントは比重としても重いものだった。

 ふたりでする最たるものもある。免許も資格もいらない。自分が大人になったと判断しているだけでいいのだ。相手もぼくのことを気にしており、ぼくらは一致することに喜びを感じる。しかし、それもときには愛を介在させないことも可能であるように思えた。本の作者をまったく知らなくても、紙面であるそこに美と興味を抱くだけで良かったのだ。

 奈美の寝息が聞こえる。ぼくは音楽を消す。それから、またお茶を入れ、本のつづきをすすめた。この一作だけが奇跡的におもしろいのかもしれず、また、別にもっと楽しい本もあるのかもしれなかった。ひとの噂より実際に本を開くことこそが重要であった。ぼくの指先は乾いていない。ページをめくるのも困難ではない。そこに若さがあり、これもまた日に日に奪われるものかもしれない。

 自転車も乗るのはひとりですることだが、若いときには大勢で群れて走った。その中から大人になったぼくを奈美が選んだ。あのころのぼくらには差などなかったかもしれない。ぼくらは窓ガラスを伝わって落ちるほどの水滴ぐらいの差しかなかったのだ。

 ふたりでする最たるもの。いまのぼくらは片方が本を読み、もう片方は眠っていた。時間の永続性の断片だけを切り取り、あとで思い返したりもする。ぼくは以前の女性のことを思い出そうとした。ぼくらは海辺にいた。けっこう大きな犬が彼女にたわむれようとした。犬は孤独を嫌うようなものだった。結局は、あの瞬間をぼくは先頭にもってきていた。ふたりでいられることの束の間の幸福を楽しんでいた。だが、犬に邪魔されてもまったく迷惑だとも感じていなかった。このかなり時間が経過した冬の朝に、ぼくはまだ新鮮な印象でその瞬間を保管し、取り出すことを楽しみにしていた。ぼくは、いつの日か奈美のどの部分を思い出すのだろうか。指についた水滴。パンを食べた唇。しかし、これから加わることも限りなく多くありそうだった。

流求と覚醒の街角(57)耳

2013年10月06日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(57)耳

 奈美の部屋にいた。ぼくはテレビを見ている。日曜の昼から夕方に移行する時間。世の中は平和であり、神秘的なことは一切なく、現実だけがただ自然にぼくらを覆っていた。

「そこのドライバー、取ってくれない?」奈美がベランダから声をかける。ぼくは、見るともなくゴルフを見ていた。奈美はベランダで最近、関心のあるプランターの前で作業をしている。水をやったり、たまに写真をとったりして。その一部を昨日の料理につかったことを説明されたはずだが、ぼくはもう何も覚えていなかった。そして、ぼくはアイアンとかパターと同じジャンルのドライバーを想像していた。この部屋には当然のことだがなかった。奈美が首だけ部屋のなかにいれ、もう一度、「そのドライバー、取ってくれない?」と指差したので、その延長線上にある、ネジを締めたり緩めたりする用途のほうのドライバーを取った。

「はい」と言ってぼくは手渡す。同時に奈美の目の前に広げられているものを見渡した。多少の泥と、種の袋。「排水口につまんないの?」
「下にもまた、これ敷いてあるから」と言ってプラスティックの容器を爪で叩いた。甲高い音が響く。室内では拍手の音がした。振り向くと、砂場をならしているひとがいた。ひとはミスをして、それをどうにか盛り返すよう努力する。

「そこでゴルフの素振りでもするのかと思った。ドライバーって言ったから」
「あ、これね」奈美は片手でそれを振り回す。「同じだね」

 世の中には山ほどの言葉があり、また同じ言葉で違う意味を与えられたものも、それほど少なくないぐらいにあった。でも、いまは直ぐに思い出せない。日曜のこの時間がもっとも思考が停まる時間ではないのだろうか。
「楽しい?」
「楽しいよ」

 ぼくらは顔を見ずに気になったときだけ会話をした。土と種と水があれば、何かは育つのだという当然の事実を知りながらも、行動を起こすひともいて、まったく無縁の自分みたいなものもいた。やはり、その成長も神秘のひとつなのだろう。誰かが手にかけたものを調理し、袋や容器につめられて売っている。ぼくはそれを買い、ただレンジで暖めるだけなのだ。暖める機械の内部や仕組みも同じく神秘だろうが、あまりにもとぼけた完成の合図の音を出すので、いささか神秘性は減った。

 ぼくは目の前にいる奈美も同じように見ているのかもしれない。どこかで自分の介在しない場所で大人になり、その成長を見守ったひとや、成長の途中で勇気や応援したひとも無視して、ただ出来上がったものだけに満足するのだ。安易だといえばそういえたし、満足や幸福の最終の姿なのだと呼べば、そうも考えられた。

 奈美は夢中になっている。その状態にいるひとの常のことのように、ひとりごとを言った。ぼくは返事をしない。期待も関心もなかったゴルフの観戦に集中してしまっていた。相手を威嚇することもののしることもしないスポーツ。一見、蹴落とすことも皆無のようだった。こころは平静であるべきなのだ。確実に相手より少ない数で回れば良いだけなのだ。やろうと思えばできるのだろうが、やろうと思っても簡単にはできないものたち。

 奈美はいつか飽きるのだろうか。時間に追われるということを最前にもってきて、かつ有効になる言い訳につかう。ひとはいろいろなものを手放し、また手放す理由をくっつける。ぼくはこの時間に飽きるのだろうか? この静かなるデッド・ヒートも終われば飽きるだろう。奈美は手を洗い、ぼくらは外食をして日曜の夕刻をしめくくる。ぼくは奈美のことすらも飽きるのだろうか? ひとは手放すことに言い訳を考え、また新たなものを探すためにも、もう一度、取り戻すためにも正当になり得る理由を考えついた。しかし、ボギーはパーにはならない。ミスはどの観点から眺めてもミスであり、17番のミスを18番で帳消しにすることを願う。過去のミスに執着すれば未来を失った。ぼくは奈美との交際をつづけながらも、前日のミスをずっとひきずっていた。

「はい、終わった」最後のひとりごと。でも、それは完全なるひとりごとでもない、ぼくの耳にも入ることを望んでいるささやき。これからの予定を遂行するための静かなる号砲。

 奈美は手を洗い出した。それから、「体重をはかるのを待って」と突然に言い出した。洗濯機のよこにはヘルス・メーターがあった。
「どうしたの? 壊れてるの?」
「さっきから、ずっと同音異義語を考えていた。どっちもウェイト」
「空を見る。違う、海を見る」
「平和の一欠けら」

 ぼくらは順番に思いつく単語を言ったが、かなりの間が挟まっていた。ぼくはテレビのスイッチを消し、窓を開けた。土のうえには何もなかった。芽生えさせるためには一度、埋めなければならないのだ、という単純な工程を理解しようとした。ぼくらには、大人になったぼくらにはゆっくりと成長するための時間などないような気もした。すべてはやりかけであり、すべてはやり残しでもあるようだった。18個の穴にボールを沈めれば、それらのゴールをきちんと回れば片付くのだということもなさそうだった。その中で正確な答えを導き出し、その途中でミスを増やさないようにするだけだった。頭上を通り過ぎる風を、その地中の種も感じているのか想像したが、ぼくには答えなどもらえないことだけは知っている。奈美は化粧をはじめる。その過程にはどれほどの数があり、ボギーとか、イーグルがあるのかも考えようとした。ただ待っている自分の顔は楽なものであり、おそらくパーというのはこういう状態を指すのかと勝手に結論づけた。

流求と覚醒の街角(56)スキー

2013年10月05日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(56)スキー

 雪山の絵はがきが届く。奈美は、たまにこういう古風な真似をした。例えば、そのひとの印象を作り上げるものは、いったいどういうものであるのだろう? 最初は、外見に魅せられ、それはある意味で惑わされてもいるのかもしれない。そのひとの表情を知り、趣味や好きなものを知る。そのひとが作った料理を知り、書かれた文字を見る。余程、親しくならなければ、また密に接しなければそのひとの文字など知らないままで終わってしまう。奈美は、こういう字を書くのか、という気持ちになったのはかなり前のような気もした。しかし、それほど時間は経っていないのかもしれなかった。

 奈美は両親とスキーに行っていた。ぼくも誘われたが結局は断った。ぼくはスキーなどしたことがなかった。こういう場合は親の影響下で暮らした環境の差を感じた。あるときから自分の意志でもいけたが、やはり大人になっても克服できない苦手な料理のように、ぼくはすすんで箸をのばすことを敢えてしなかった。ぼくはその頃、仕事に追われ、自由に余分な休日がとれなかった。かなり遅い時間に帰宅するとポストにそのはがきが入っていた。夜、ニュースを見ながらその文面を何回も読んだ。しかし、はがきというものでは秘密も保たれないし、絶対的な隠された気持ちを打ち明けるのには向いていないものだった。ただ、この文字を書いたときはここにいるという証明には向いていた。いま、奈美は家にいない。あと、数日、スキーを楽しむのだ。雪山をくだり、リフトで登る。夜は温泉でも入って両親と語るのだろうか。

 ニュースは天気予報になった。ぼくは明日のこの町の空の情報を知り、ついでにこのはがきが投函された町の天気を知った。当然ながら温度差があった。日本は長細くできているのだと単純に感じた。ぼくは寝そべったままテレビを消すこともせずに居眠りをしてしまった。起き上がり、きちんとベッドにはいった。奈美の冷たい足を、なんとなくなつかしんでいた。そのひとの手足の温度も、これもまた親しくなければ分からない情報だと思いながらも、直ぐに寝た。

 翌朝、天気予報は見事に外れていた。みなは傘を差し、駅のホームは濡れていた。かなり横殴りの雨だったのだ。だが、遠くの空はきれいに晴れている様子だった。そこが奈美のいる方なのか直ぐには分からなかった。電車は地下に入った。天気の心配を忘れる。

 会わないということと別れるということはまったくの別物だった。だが、状態としては数日なら同じなのだ。ぼくは奈美と会っていないし、横にいることもない。昨日の楽しさも、反対に多少の苛立ちも知り得なかった。それでも、数日したらぼくは奈美から聞くことができるのだろう。ぼくは話すこともなかった。ただ、満員電車に揺られ、車輪のなかで駆け回るハムスターのように仕事をこなした。その空間から飛び降りることもできることさえ考えていなかった。

 その週末、奈美と会った。いくらか日焼けしているようだった。寒い土地に行って肌が黒くなるということに、ぼくはずっと違和感を持ちつづけている。ぼくはそのことを告げる。途端に奈美はいやそうな顔をした。しばらくしてはがきが届いたことも言った。なぜだか急に幸せそうな顔になった。ぼくは奈美の冷たい足を思い出していた。いまは踵の高い靴を履いている。彼女の指を見る。その指がペンを握り、文字を書く。誰とも似ていない字。お手本があるにも関わらず、ひとは癖のある文字を書くものだ。千差万別に。それは料理の味の相違以上のものがあるようだった。家のカレーは、家のカレーだ。

「返事は書けないけどね。居なくなるところには」
「わたしの部屋に送ってくれてもいいのに」奈美は生の魚を食べている。新鮮なものから遠ざかっていたといって要望したのだ。いまなら冷凍でどこにいても食べられるのだろう。だが、現地に行かないと理解できないものがたくさんあり、もちろん、苦楽をともにしないと分からない人間の一面もあった。それにしても、愛すべきひとには苦労などしてもらいたくないのだ。

「スキーって、いまでも上達するの?」
「上達するっていうより、勘を取り戻す感じかな」
 ぼくは頭のなかでそれに匹敵するものを想像した。子どもに高等な趣味を植え付けようと熱心な教育をのぞむであろう両親のもとで暮らせばヴァイオリンとでも言えるのだろうが、ぼくは無意味にバッドの素振りをすることで時間を過ごしていた。これでは勘もなにもないようだった。

 ぼくはテーブルの上で裏返っているレシートを見る。この文字からそのひとの性格を見出そうとした。
「どうしたの?」
「いやね、親しくならないと文字なんか見る機会もないんだなと思ってね。上手いのと、読みやすいのもまた違うんだなって。この字、誰が読んでも見間違えない」
「厨房のひとがきっとうるさいんだよ。教育」

 ぼくは奈美の滑る姿を今後、見ることができるのだろうか? 泳ぐ姿。寝顔。恥ずかしさ。犬を抱く。子どもを抱く姿はこの前見た。恒久的なものと細切れになった時間。会っている状態と別れのとき。次の約束。来年の楽しみ。レシートにはさらに文字が加わった。時間をかけ丁寧に書いたものでもないのに、とにかく、読みやすい。運ばれてくるのはまだだが、ぼくの脳だかお腹のどちらかは、そろそろ満腹に近付くと告げていた。