爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 aw

2014年09月26日 | 悪童の書
aw

 加虐性と受容力のバランスの実験。もちろん、度が過ぎる場合もある。失敗を重ねたうえでの完成品こそ貴いのだ。

 ひとを、無意識(いくらか意図的)にせよ、怒らせたい願望がぼくにある。隠れて。違う。詳細に分析すれば、ひとそれぞれが怒りの沸点をどこに置いているのか調査したいと思っている。温泉の適度な湯加減と暑過ぎるという極めてあいまいな分岐点の目盛りのように。適切さはどこなのか? 自分で認識しても、さらに第三者の監査があってはじめて有効かどうかであるかも決定する。この最後の工程をいつも怠り、大体は省く。

 怒った人間の、本気の愚かさの中心にある核のようなものを認め、アボカドの種を取り出すように、二つに割ることを試みてみる。普通のひとは避けるべきものとして考えているのだろうか。材料を得るには、だから、誰かと対面しなければならない。いざ、出陣。

 自分が存在しているのは、職場と飲み屋だけのような気もしている。調査の対象になる場所も二か所に限定されるが、職場にいろいろなものをもちこむのも妥当ではないので、さらにサンプルも偏ったものとして一か所に限定される。

 好奇心の誤った放出でもあるのだ。しかし、調和ではなく、破綻こそが美を担うのだと仮定する。いや、事実に近い。

 常連という調和のもとでバランスを取っている和やかな店内である。新入りにもチャンスが到来。ひとり、いじられるひとがいて、そのひとと一対一のやり取りをみなが注視している。おおまかな展開は、いまはいない美女でユーモアあふれる女性客のことをおじさんは夢中なのである。そのおじさんは、ぼくをこの場限りで、気に入った体にして、なんでも好きなものをプレゼントすると言う。

「じゃあ、そのひと」さらに、「おじさんの住まい」

 みなの笑い声が聞こえる。酒場など、つまらない小さな宇宙に過ぎないのだ。そこを泳ぐ。怒りのブイにはまだぶつからない。おじさん、最終的に切り札の名刺を出す。商品の仕入れのようなことをしていると言う。

「で、名刺は?」交換を要求される。

「もってないですよ!」ぼくの発言にがっかりしている。そもそも、酒場なんか、仕事やさまざまな社会で負わされる役割を(かなぐり)捨て、自分という素材のみで訪れるところではないだろうか。新入りには、この持論を語る勇気もないが、断固、ゆずる気もさらさらない。平日にたまった気苦労を、酒の利点を利用して、脳の伝達をショートさせようとしているのだ。月曜の朝までは。

「でも、なんか仮に買うとしたら、マージンって、どれぐらいなんですか?」迎合のひとことが思わぬ結果をうむ。
「いまどきの会社、そんなもの取らないよ!」

 いままで、聞き耳をたて、にこにこしていた隣のお客さんが急に激怒している。彼の沸点はここだった。ぼくは地雷を踏む。

 しかし、冷静になる。どんな商売だって、安く買ったものを高く売るというのが基本である。マージンでなくても、手数料、利益、という商人の行動理念のひとつで最たる価値でもある。なぜ、怒りだしたのだろう? 子どもですら、使わなくなったゲームを売り、それが店の利益を上乗せされ、再販されることを知っている。そのことを訊かないことがルールだったのか? 分からない、社会である。

 もやもやしながら、別の店に入る。ちょっと飲み、お金を払って帰ろうとすると、
「この前みたいな飲み方ダメよ! ルールは守らなくちゃ。あのひと、今度、会ったらただじゃおかないと言ってたわよ!」
 しつけをされる四十五才という動かぬ悲しみ。

 ぼくは前回の記憶を引っ張り出す。普通に話していたつもりだが、相手にとってかなり迷惑なのだろう。ぼくは楽しかったという記憶しかない。こうして、ひとつの居心地良き店を失う。パラダイス・ロスト。しかし、怒りなぞ、その場で発揮するから楽しいのではないのだろうか? 持続させることなど、怒りには不向きだ。いや、これも言葉の綾で、自分を大きくみせるため、居なくなったぼくという対象にこう架空の宣言をしたのかもしれない。オレだって、からかわれているばかりではなく、強いんだ。ぼくは、このときにいた別の女性から見かけより若いと言われたので、若者の生意気さとして、認定されてしまったのかもしれない。どちらにせよ、酒癖が悪いのは事実であり、今後は家でしか飲まない、と守ることも望んでいない約束を自分に課した。翌々日にすぐに破り、外で飲む。家の近所でなければ静かなものである。慣れ過ぎるとすぐに、こころのネクタイをゆるめ、ステテコ一丁同然になる。

 これが一日に起こったことなので、もちろん、衝撃がある。その衝撃をこうして書く題材にして祭り上げる。祭壇には犠牲や供え物が不可欠なのだ。ぼくの人体実験はこうしてすすむ。長生きという観念も毛頭ないので、迷惑もいやがる気持ちにも無頓着になってしまった。数年後には、なくなる命である。だが、控えるということも覚えることにしよう。

 ぼくは仕事を離れれば怒りを持続させることすらできない。小さなイライラぐらいはあるが、今度、あったときまで、という流れは理解できない。それでも、脅えている。自分のことをこう思っているひとが少なくてもひとりはいるのだ。夏の家の床をうごめく黒い虫は、いっぴき見つければ、もう無数にいるそうである。その理屈をあてはめれば、ぼくにも無数の敵がいた。男の子にも七人の敵がいる。敵を生み出しているのも、もちろん、自分の不用意な、あるいは用意した発言が原因である。