爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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拒絶の歴史(130)

2010年11月28日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(130)

 仕事の最終日を終え、シャワーを浴びたあと、実家の運送業を継いでいるラグビー部時代の友人の力とトラックを借り、荷物を積み込んだ。それは、思ったより少ないものだった。だが、少ないながらもぼくの26年間が積み込まれているのだなとも感じた。

 妹と母は、おにぎりやコーヒーをポットに入れ渡してくれた。これから、夜中かけて彼は運転してくれるのだ。自分では必要ないとも思ったが、それを受け取った。

 車は走り出し、すぐに高速道路に乗った。車は快適にすすみ、途中何度かはサービスエリアなどに停まり、もらったおにぎりやコーヒーなどを口のなかに積め込んだ。運転してくれる彼は、口数が少なかった。高校時代からそうだった。だが、チームワークを乱そうとも一度も考えたことはなく、ただ、自分の与えられたパートをきっちりと行った。それは、きっちりという範疇を越えていたのかもしれない。だが、彼がミスをしないので、その評価はかえって高まらず、数回のミスが逆に目立つことになった。ときに、そういう人間がいることを知ることになる。そのきっかけが彼だった。

 それで、ぼくは小さな音量でラジオが流れていることも気にならず、自分の10年ほどの生活を振り返るチャンスが暗い外の景色にくるまれた中で与えられ、それを充分すぎるほど活用した。

 大雑把にいえば、そこにはふたりの女性がでてきた。ひとりは、ぼくの生活から追い出し、ひとりは、ぼくに愛を与えてくれながらも、最終的にはぼくの前から去った。それを、させたのも自分であるのかもしれない、ということを考えるのは辛かった。だが、ぼくの前には新しい生活が待ち構え、希望があるというより、反対にあの小さな町でやり直したことがあるのではないかという後悔の方が大きかった。だが、トラックは、順調に前に進んでいった。それが順調過ぎれば過ぎるほど、ぼくは後ろ髪を引かれていく。

 もう関東に入り、最後のサービスエリアで底をついたコーヒーを飲みながら、友人と話している。
「あの高校のときの近藤の彼女、スタンドで応援をしているのを見ながら、オレも好きになりそうになっていた」
 と、彼は恥らいながら、そう告白した。

「そうなんだ、気付かなかった」
「お前は、いろんなことに気付かない性質なんだよ。スター選手は地道な人間の頑張りの上にたっていることもな」彼は皮肉でもなく、そう言った。

「そうかもしれないな。最近になって、そう感じるよ」
「ああいう子と別れられたお前が信じられなかった。最後だから、言っておこうと思う」
「自分でも信じられないけど、そのときの衝動というものは、自分で制御できていると思うのも間違いだと思う」
「まあ、それでも楽しかったんだから良かったんだろう?」それは、質問でもないようだったので、ぼくは答えずにいる。ただ、彼女の崇拝者がここにもいたことを新たに知ったのだった。ぼくは、もうその女性の姿をリアルな形として思い出せなくもなっていた。その後、知った数人の女性のミックスされた映像とそれは結びつき、また別のときには、その女性たちの誰とも似ていないことも知る。

 車は、再び走り出し、1時間もしないうちに指定されたアパートの前に停まった。それは、会社が用意してくれたもので、安い賃料で借りられた。家具もほぼ揃っており、服や趣味のものを持ってくるだけで良かった。

 そのアパートのそばのコンビニでは、朝の配達があって荷物を運んでいるドライバーの姿があった。また新聞配達の帰りであろうバイクも仕事を終えた余韻のようなものを引き摺りながら、朝日とともに消え去った。

 ぼくらはトラックの中で仮眠した。だが、ぼくは目が冴えてしまい、雪代のことを考え続けている。ぼくがふと目を覚ましたときに、ぐっすりと眠っている身体の横になっている姿勢などを。まくらの上には髪がいつもの匂いを発して乗っていた。ぼくは、別れても何度かその匂いの持つ女性を探そうとしている自分を発見することになる。だが、もう当分は、また一生会うこともないのかもしれないという気持ちがぼくを存分に落胆させた。

 会社に出勤するサラリーマンの姿も去った後、ぼくらはアパートに荷物を運び込んだ。それも終え、お茶でも飲んでいけよというぼくの誘いに応じず、彼は去っていった。そういうあっさりとした性分なのだ。

「このポット、家に帰していくよ」と、言って空になったトラックをぼくは見送った。
 また、新たな部屋に戻り、トイレや風呂や収納などを確認し、ほっと一息をついた。

 少しずつ、段ボールを開放し、さまざまな荷物を取り出そうとしたが、半分ぐらいで飽きやめてしまった。スーツはハンガーにかけ、タンスにしまい、当面着る服も出たので、あとはゆっくりと今後やればよかった。その気持ちにさせたのは、雪代の手紙が出てきたことが大きかったのだが、それを敢えて、気付かないように振舞ったが、その主張は大きく、とうとうぼくはそれを手にしてしまう。

 封を開け、また読み出すと、ぼくはその存在を失った重みに耐え切れず、声をあげるほど泣いてしまった。彼女は、いま目覚め、一体何をしているのだろう? と考え続けた。離れても、電話一本で声ぐらいは聞けるのだ。前にぼくらは反対の立場で離れて暮らしていたとき、よくそうして愛を確認し合ったのだ。だが、なにかがぼくにストップをさせ、行動をとらせなかった。ソファに座りなおし、もうひとつだけ段ボールを開けた。実家を出る前の分で、そこには雪代の匂いすら詰まっているように感じた。あたりを見回せば、あの服も雪代と買いに行ったんだと思ったり、あれは彼女がくれたものだ、と記憶をもどすきっかけにもなった。そう考え部屋中を見回すと、いたるところに雪代の残像がのこっていることを改めて発見することにもなった。

(終)

ネクスト
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拒絶の歴史(129)

2010年11月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(129)

「もう最後なんで、サッカーの練習に顔を出してくれよ」と、なんどか友人の松田に誘われていたが、いろいろと片付けることがあり、本意ではないにしろ断っていた。だが、最後の週になって、それでは、あんまりだという執拗な誘いがあって、ぼくは履き慣れたサッカーシューズを持ち出した。これは、東京に持って行く荷物には、なぜだか入っていなかった。向こうで、そうした仲間ができるとも潜在的には思っていなかったのだろう。

 春は間近に迫り、ぼくは爽やかな気分でグラウンドに立っている。たくさんの少年たちがいて、思い思いにウオーミングアップをしていた。ぼくもあらゆる筋肉を伸ばし、彼らに最後ぐらいは良い印象を持ってもらって、今日を終えたかった。ぼくは、少年時代はサッカーを日が暮れるまで練習していた。高校生になり、ラグビーに種目を変えてから、そこそこの選手になったが、全国大会に出るという夢は叶えられなかった。だが、なぜだか今はそれで良かったのかもしれないと考え直している。

 ラグビーを通して、掛け替えのない友人ができ、それを熱心に追い続けている後輩もでき、彼はいずれ妹と結婚してくれるのだろう。ぼくの無様ながらの頑張りも応援してくれた幾人かもいて、そのうちの一人と熱烈な恋愛もできた。いつもぼくらが負けてしまうライバルもいて、スポーツだけが人生ではないということも彼らは教えてくれた。名前を明かせば、それは、雪代であり島本さんであった。ぼくは、その人生にもう関与することも出来ず、ただ新たな未来を作るよう模索するのだろう。だが、それも悪いことではなかった。もっと、悪いことが起こる可能性だってあったのだ。誰も、ぼくを認めず、誰もぼくをこころの底から愛してくれるひとも見つけられない人生だってあったのだ。

 しかし、ぼくは数年間、本気で愛されたらしい。そのことを手紙という形でありありと知った。その地を離れてしまうことは淋しかったが、生きるということは、こういう自分の思い通りに行かないことを含めて成り立っているのだろう。

「やっと、来てくれたんだ」と、松田は言った。彼は、高校を不本意ながらも途中で辞め、そのときから彼のサッカーのセンスを失うのをもったいなく思っていたが、彼は小さな子どもたちに教えるチャンスを与えられたことにより、その才能をまた開花させることになった。その原因となった、彼の子どももきちんと教育され、徐々に大人になっていった。その小さな命がこの地上になかったことなど、ぼくはもう考えられずにいる。ただの友人がそう考えるぐらいだから、実の親はもっと真剣に考え続けているのだろう。

 ぼくは最初のうちは自分自身の身体の動きに馴染めずにいたが、次第に自分の思い通りに身体は指令を受け、さまざまなパスや、守備を的確にこなし、その練習を楽しめている自分を発見する。もうそうなれば、さまざまな悩みや、東京への転勤など自分の頭のどこにも見当たらなかった。ただ、いまがあり、ただ、そこだけが現実であった。過去も未来もぼくの思いから消え、それはぼくが持っていないぐらいだから、誰の支配下に入るものでもなかった。

 汗を同時に流した分だけ、ぼくは認められ、不甲斐ない動きをした分だけぼくの信用は損なわれることになる。だが、その日はぼくの信用はずっと残ったままだった。

 練習が終わり、松田やもうひとりのコーチがジュースやお菓子を買ってきてくれて、グラウンドで汚れたウエアのまま食べた。
 それが終わると、もう少年時代が過ぎた子たちもいつのまにか集まり、集合写真を撮るためにわざわざぼくのために来てくれた。

 ぼくは4、50人の子たちに囲まれ、最大の笑顔でその写真の中心にうつることになる。それを東京に行く前に貰い、その写真がいずれ、ひとりの人間に影響を与えるなど、そのときのぼくは考えることもできずにいる。まあ、当然の話だが。

 ぼくは、なぜだかその後、涙が流れそうになり、トイレに消えた。そこから出ても、誰かにそのことを知られるのを恐れていた。しかし、ある一人の女性がその前にたたずんでいた。

「みんな、近藤君のことが好きみたいだね」それは、あるサッカー少年の母であり、ぼくが社長としばしば通った飲食店の女性でもあった。
「そうみたいですね。なぜか、分からないけど」
「東京に行っても、こっちのこと、忘れない?」
「もちろんですよ」
「きれいな子もいたけど、わたしみたいなひともいたことも忘れない?」
「忘れることなんかできないですよ」
「ほんとうに?」
「だって、忘れさせようとしたのは、あなたじゃないですか?」
 ぼくは、そこで彼女の唇の暖かさを知る。それは、どのようなものにも例えられないほど、信用や信頼という言葉にふさわしかった。

「これで、じゃあ、ほんとうに何年も忘れない?」
 ぼくは、洗練された返事もできず、ただ、無力な少年のようにうなずいた。また、女性への憧憬と恐怖心も同時に植え付けられていったのだろう。
 またそこを後にし、グラウンドに出ると、松田に声をかけられた。
「うちの手料理を最後に食って行ってくれよ」というセリフにぼくは何気ない現実の愛おしさを知ったのだった。
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拒絶の歴史(128)

2010年11月21日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(128)

 ぼくの家のポストに手紙が入っていた。その手紙はいまは自分の部屋の机の上に置かれている。
 丁寧に封を開くと、見慣れた文字が飛び込んできた。

 ひろし君。
 こんにちは。
 お元気ですか?
 といっても、まだそんなに離れてから時間も経っていないけどね。
 前には、わたしが東京にいるとき、たまにこのような手紙をやりとりしましたね。あの頃のことを思い出しながら、書いてます。

 どこかに、あの手紙がしまわれていると思うけど、どこに行ってしまったのかは謎ですけど。
 それでも、さまざまなひろし君がくれた手紙の内容は、わたしのこころの奥に刻みつけられています。
 もう一度さがして、またあの気持ちをリフレッシュさせて確認したいです。
 そういえば、この前は、映画館で会いましたけど、繊細なこころの持ち主であるひろし君が、わたしたちの姿を見て傷ついていないといいんだけれど。

 あのひとは、わたしが極端に淋しがってると思って、映画に誘ってくれました。みな、わたしに対して優しい感情をもってくれていることに、いつも感謝しています。

 こちらで暮らすのも、もう直き終わってしまうんですね。その前に、なるべくなら誤解を与えたくはないと思っていたんだけど、してしまったことはもう取り戻せないことなので仕方がありません。
 もう終わった関係なので、あまり真剣に受け止めないで、ひろし君はこの手紙のつづきを読んでください。

 そう前置きをしておきます。
 わたしは、ひろし君のことが、こころの底から好きでした。
 誰よりも、懸命な気持ちで愛していました。
 それなのに、わたしの気持ちと比較しても、ひろし君のわたしへの愛情が少なく感じました。それも、だんだんと減っているのではないかとの心配も増えました。それが、どうしてもわたしには許せませんでした。

 なんかいか憎んでしまおうと思ってもみたんですが、それすらもできず、しつこくわたしへの愛情があるかどうか訊いてしまいました。

 たまには、優しく答えてもくれたりしたけど、やはりあまりのしつこさで何度かはいやな顔もしましたね。もう、これで訊くまいとも思ってみたけど、最後には誘惑に負け、また質問してしまいました。ごめんなさい。でも、もうこうなれば問われる心配もないんですもんね。

 その反面、ひろし君はわたしの愛情に対して、訊くことはしませんでした。もっと尋ねてくれればいいとも思っていました。ひろし君は、その気持ちにあぐらをかけるほど、余裕があったのかもしれません。
 その気持ちを比較すると、悲しくなりました。

 でも、年上のわたしは、あまり重みをかけるようなことはしたくありませんでした。
 だけど、やはり最後にはこのような手紙を書き、愛情を押し付けようと思っているのかもしれません。
 ごめんね。

 東京にどれぐらい居るのか分からないけど、元気で頑張ってください。地元には、あなたの味方がたくさんいることを忘れないでください。また、忘れてしまうほど、東京で素敵な友人たちをたくさん作ってくれればいい、とも同時に思っています。
 また、いつか少しだけ大人になって再び会えるといいですね。それまでは、もっと立派になった男性がわたしの目の前に表れることを想像しておきます。
 これまでのわたしを支えてくれて、好きになってくれたことに対して、率直にありがとうと言います。
 また、あなたの成長に付き合えて良かったですし、同じ歩みを与えてくれたこれまでの時間にも感謝しています。
 では、お元気で。
 いままでの、たくさんのことをありがとう。
 河口雪代。

 ぼくはそれを読み終え、なんども封にしまっては、また取り出して、ひろげて、読み進めて、またしまった。
 自分も返事を書こうと思ってペンを取ったが、どんな気持ちを伝えればいいのか分からずにいた。簡単に電話をかけて声をきこうかとも思ったが、彼女がそのような手段を使わなかった以上、その努力の度合いの違いが失礼に感じてしまい、それもできずにいた。

 結局は、引越しの荷物のなかに忍び入れ、ガムテープでその箱を閉じてしまった。いま、直ぐにやり直すことは、重い決断をさせてしまった自分にとって、安易すぎる方法に思えた。また、彼女がぼくの愛情が比較して少ないと誤解を与えてしまったことを、払拭させる自信もなかった。なぜ、彼女はぼくの気持ちをきづかないのだろう? というやるせない気持ちも同時にあった。

 妹が楽しそうに、多分、山下と話しているのだろう、電話の声が聞こえる。ぼくも、だれかと、ただ未来が真っ白で築かれていない相手と話したいもんだと思った。思ってみても、雪代の書いた手紙の筆跡と、そのときの彼女が机の前に座っている姿まで、はっきりと頭に映っていた。やはり、ぼくも愛情の表れを手紙に残すべきだと考え直すが、また再度躊躇する自分もそこに残っていた。
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拒絶の歴史(127)

2010年11月20日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(127)

 同僚の女性と外回りをして、いったん会社に戻り、今日の仕事をまとめた。それから、自分の車に乗り換え、さっきの女性と映画を見ることになっている。その前に、すこし時間があったので喫茶店で時間をつぶした。

「いままで、時間をたくさん取らせて悪かったね」
「だって、誰かが近藤さんの仕事を引き継がなきゃいけないんだし、しょうがないですよ」
 ぼくらは同僚の噂話をしたり、未来についてのささやかな展望を話したりした。もちろん、もっと身近な未来でもあるこれから見る映画についても話した。

「このようなラブストーリーって、男性はつまらないですか?」と、彼女は訊いた。
「そんなことないよ。普通に見るよ。だけど、泣いたりするのは、ちょっと恥ずかしいけど」
 そこを出て、映画館にあるいて向かった。まだ、空気は冷たく、溶けない雪が道路のはじに追いやられていた。その横を通り過ぎる車のライトが雪を照らし、不思議な色合いを見せていた。

 チケットを二人分買い、ロビーにあった椅子に座って待っていると、ぼくは見慣れた顔を見ることになった。それは、雪代だった。そんなに時間が経っていなかったが、もう自分との縁が切れたせいなのか、印象が違って見えた。彼女はぼくの存在に気づいていなかったようだが、隣にいた男性、島本さんが彼女のひじをつつき、ぼくの方に視線を変えた。それで、彼女はぼくを見た。ぼくは自然と目を逸らせるようにしてしまった。彼女らの噂はきいていたが、実際にそれを目にすると、ぼくは動揺し、やはり傷ついた。となりにいた同僚は、その変化に気づかずに天真爛漫に話をつづけていた。ぼくは、相槌がおろそかになり、彼女は一瞬、会話を止めた。

「どうかしました?」
「ううん、別に。それで?」と、話のつづきを聞こうと努力した。もし、彼女をぼくの新しい交際相手だと雪代が考えていたとしたら、彼女も傷つくのだろうかと想像してみた。だが、その結果はどうやっても出てこなかった。もう、ぼくのことなど忘れ、それで島本さんをまた選んだのだろう。そして、皮肉なことだけれど、彼らが寄り添っていると、とても似合っていて、それだけで、自分は敗因をもっていることを知った。

 前の回は終わり、たくさんの人々が出てきた。何人かはハンカチで目元をぬぐい、そうしないひとも、目元が赤かったりした。これから見る映画はそうした映画なのだ。

 中にはいり、ぼくらは左側に、雪代たちは右側に座っていた。ぼくは、なるべく映画に集中しようとして、彼らのことを考えないようにしたが、その行為すら無駄であることを知るのであった。ぼくは、雪代のことを考え続け、島本さんの存在を憎んでいた。だが、雪代の幸福の要因に島本さんが今後なるのであるならば、その憎むこと自体が無意味であった。

 およそ2時間経って、ぼくのとなりの同僚は泣き、ぼくはただその映画に入り込めない自分がいた。館内が明るくなると、雪代たちはもういなくなっていた。そして、いなくなっていたとしても、ぼくのこころの中には彼らがありありと座り続けていた。
「楽しめませんでした?」
「そんなことないよ。多分、もう一回みないことには、なぜあのような行動をしたのか理解できないと思う」と、本気のような、言い訳のような言葉をぼくは吐いた。

 それから、ぼくらは車にふたたび乗り、イタリアン・レストランに向かった。なるべくなら、もう雪代たちに会いたくなかった。ニアミスは、一日に一度で充分だった。だが、前から予約したのでいないとも限らないその店へ向かった。その心配は取り越し苦労で、彼らの顔はその店にはなかった。

 さきほどまで、あんなにも泣いていた女性とは思えないほど、彼女の食欲は旺盛だった。デザートまで行っても、美味しそうな表情は絶えることがなかった。ぼくは、その顔を見て、いくらか安堵した気持ちになっていたが、車でなければ、やはりワインでも飲んで、今日のことを忘れたかった。

 ぼくらは楽しい会話をし、ぼくの東京での活躍の言葉をきき、また車に戻った。彼女は、玄関に向かいながらきれいなハイヒールの音を立てていた。そのリズミカルな歩み自体に希望が含まれているようだった。そして、ドアを開ける際に振り向き、「とても楽しかったです、今日は」という言葉を残した。

 ぼくも同じ気持ちであったが、辛いこともあったので、同じ言葉を返すことができず、ただ、暗い車内でうなずいた。

 ドアが閉じても、ぼくは動くことができず、カセットテープを探した。古いソウル・ミュージックがあり、それを入れた。甘い歌声はぼくを癒すことができるかもしれず、それに期待したが、やはりこころの底からの開放など、その日には訪れようがなかった。

 最後にコンビニに寄り、必要なものを買い込み、その店員がぼくが知っていたゆり江という子に似ていることに気づいたが、もちろんただ気づいただけで終わった。仕事が終わってから数時間でぼくの気持ちが大幅に変わってしまうことなど予想すらしていなかったのに、やはり現実とはむごいものだとのいくらか幻滅した気持ちも手に提げたビニール袋の中に入っているようだった。
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拒絶の歴史(126)

2010年11月15日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(126)

 会社での送別会も終え、ぼくは宙ぶらりんのような状態になる。やるべき仕事にはもう手を出すこともできず、新しい仕事はこの地にはなかった。外回りをして挨拶もしたが、それにも限度があった。知り合いを探し、彼らと勤務中にも関わらず喫茶店でコーヒーを飲みながら話し、さまざまな噂話を聞いた。

「そういえば・・・」という感じで友人は切り出した。「雪代さんと島本さんは、どうも縒りを戻したみたいだよ」
「そうなんだ」ぼくは平然とした顔を装ったが、それは無理だったかもしれない。「なんで、知っているの?」
「だって、いっしょに歩いているところを何人かが見ているみたいだから、そういうことなんだろう」
「ふん、そうか」ぼくは、急に世界がつまらない場所であると感じ、疎外されているとも感じていた。

 それからも、話は続いたが身が入ったものとはならず、ぼくは見てもいない映像を必死に探し、追った。それは、難しいものではなかった。ぼくは、高校の数年間、彼らの親しそうな映像を何度も見ていたのだ。それを数年スライドさせれば、いまのような状態になるべきだった。彼らは一体どのような会話をし、雪代はぼくといるより楽しいのか、安心させてもらえるのかと考えていた。もし、そうならば彼女にとって幸福なことになる以上、仕方のないことかもしれなかったが、そう平易に自分の気持ちを納得させることなどできなかった。

 会社に戻り、社長に、「もう少し身を入れて、後輩の心配をしてやれよ」と軽く叱責された。普段、彼の言葉を素直に聞き入れていた自分だったが、今日は虫の居所が悪いせいか、「充分、教えているつもりですよ」と返答してしまった。彼は、すこし驚いたが、それ以上なにも言わなかった。彼は、ぼくのことを高校時代から知っており、運動部の常として、目上のひとに刃向かう自分など知らなかったはずだ。ひとは、ときに余計な振る舞いをしてしまうものだ。

 その言葉が間違いではないことを立証するため、ぼくは誰彼構わず、熱心に指導した。それはいくらか空回りしながらも、ほんのすこしだけは助けになっていたのだろう。その様子をみて、何人かは相談しにきた。自分のことは自分で片付ける風潮が最近はあったが、それがなくなると後輩たちも仕事がやりやすそうな雰囲気を見せた。ぼくが、ここに残っている限りは、こうした役目を引き受けようと考え出した瞬間だった。

 ぼくが仕事を引き継ぐ女性が外回りに行くので、ぼくもそれに同行することにした。彼女が車を出し、ぼくは横に座り、ネクタイの結び目などを確認した。
「東京での生活、心配じゃないですか?」
「まあ、いくらかそういう思いはあるけど、仕様がないことだし」
「わたしだったら断るかも」
「ぼくだって、ここでずっと生活するはずだったんだよ、気持ちのなかではね」ぼくは、その生活に雪代がいることを望んでいた。
「着きましたね」
「ぼくは、なにもしないからね。頑張って」彼女は、少しにらんだような目をして、ぼくを見た。

 ぼくは、どこにいても、誰といても、雪代が別の男性と歩いたり、話したりしている映像が消えなかった。そのときも、まだその衝撃が強く、こころはどこかに飛んで行ってしまっているようであり、その場に馴染めなかったが、さすがに彼女がお客様の前でうろたえている状態を察し、手助けをした。ラグビー部の本能のようなものが、いつもぼくをそういう行動にとらせた。
「ありがとうございました」と、車に戻り、彼女は言った。

「いや、ぼくもどれだけミスしたか教えてあげたいところだよ」そして、今現在、どうやっても戻すことのできないミスを継続中であることは当然のところ伏せていた。

 次の場所に移動する前に時間があったので、コーヒーをふたりで飲んだ。
「そうだ、仕事の引継ぎなんかで残業させたお詫びとして、ご飯でも今度おごるよ」彼女は断ると思っていたが、直ぐにスケジュール帳を取り出し、あれこれと予定を調整していた。

「この日なら、大丈夫そうです。あと、ひとりでは行けないような映画があるので、付き合ってくれません?」
「まあ、いいけど。即決型なんだね」
「あの社長が、いつも口を酸っぱくして言ってるから」

 その日も終わり、職場に戻った。机の整理をしていると、どこからか社長が近寄ってきた。大体、こういうときは飲みの誘いなのだ。
「ちょっと、行かないか? いつものところへ」
「あそこですよね?」
「なんか、あったのか?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど、行きましょうか」

 店に着き、ぼくらはいつものような流れで、飲み物を頼み、料理を注文した。社長は自論をまた展開し、すこしだけぼくの心配をし、東京に行かせることを詫びて、ペースをあげて飲んだ。その間もそこの女性はぼくに対して冷静な対応をしていた。女性のこういう何事もなかったような態度を見るたびに、ぼくはいくらか動揺し、すこしだけなぜか傷ついた。
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拒絶の歴史(125)

2010年11月14日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(125)

 ぼくは、なんとなくだが、東京にいるのは2年ぐらいなのだろうと考えるようになっていた。あまりにも大雑把な予測だが、それは、雪代が向こうに2年いて戻ってきたことが、頭のどこかの片隅に眠っていたのかもしれない。だが、2年であったとしても、それなりに別れをいうべきひとの顔が浮かび、それらのひとを訪れた。

 ぼくは、学生時代にバイトでお世話になった店に行った。

「そうか。まあ、それも人生だし、頑張ってこいよ」と店長は言った。
「そうですね。何が待っているか分かりませんが、何とかやってきます」
「それにしても、あのきれいな子はどうするんだ?」
「待っててくれるといったんですけど、結局は別れちゃいました」
「なんで?」

「なんでって、向こうが愛想が尽きたんでしょう」
「酷い。ひろし君は大丈夫なの?」と、そこの娘のまゆみちゃんは言った。彼女は、もう小学校の高学年になり、身長も伸びて、大人の入り口に立っているようだった。
「酷いけど。まゆみちゃんも大人になれば、分かるよ」
「分かりたくないけど」
 それ以降も、ぼくはそこで世間話に興じた。新しいバイトの子とも話した。スポーツショップでずっと男性を雇っていたが、いまは大学生の細身の少女がそこにいた。その子と、スポーツの話をしたり、大学の勉強について話した。ぼくは、ラグビーで頑張った時期の話をしたが、それを自慢話にしないようにするには工夫がいった。だが、どこからかまゆみちゃんがぼくの学生時代の写真をもってきて、彼女に見せた。
「精悍だったんですね」
「え?」
「精悍です」
「そうかもね。精悍だった」

 まゆみちゃんは見てもいないぼくの残像を熱心に話した。バイトの子をライバル視しているようにも感じた。それから、
「ひろし君、きょうの予定は?」と訊いた。
「今日は別にないよ。もう挨拶も済んだし」
「じゃあ、わたしと付き合って。買い物に行く」ぼくは、妹が小さかったころのことを思い出している。ぼくにも小さな正義感があって、弱いものを守ろうという気持ちがあったのかもしれない。それで、小さな妹の手をひいて、いっしょに歩いた。いまは、それがまゆみちゃんになろうとしていた。

「ごめん、付き合ってあげてくれよ」と、店長が言った。「そういうの言うの、やめて」とまゆみちゃんは店の奥に言った。それで、ぼくらはふたり並んで歩いた。ときには、会話もつづいた。
「別れたりすると、電話とかもしなくなるの?」
「それは、しないよ。他人というか、つながりがなくなっちゃったんだから」
「そう簡単にいくの?」
「簡単じゃないけど、無理してでもそうしないと、けじめというものだからね」
「電話すれば? いま」
「誰に?」
「誰にって、あのひとに」
「そんなに心配しなくていいよ」
「わたし、学校の帰りにひろし君の彼女の店の前を通った。とても、きれいで、わたしもああいう大人になりたいって思った」
「たぶん、なれるよ」
「ひろし君とあのひと、お似合いだと思うけどな」
「ありがとう、ぼくもそう思っていた」
「わたしが大人になって、ああいう素敵な女性になったら、ひろし君も振り向いてくれる?」
「いまでも、充分すぎるほど大切に思っているよ。その時には格好いい男性も現れて奪い合いになったら、ぼくは、もうおじさんで負けてしまうしね」
「ふふふ」と彼女は大人のような笑い方をした。

 ぼくらは、その町でいちばん大きなデパートに入り、ぼくも東京で必要になりそうなものを考えたが、それは東京で選んだほうが選択肢が多くなることに気づいた。彼女は、自分に似合いそうな服をあてがった。いま、それは似合っても、成長の早い彼女の身体は、もう来年には着られなくなっているだろうことを予想させた。そして、来年また次の年には、彼女がどう日々変化しているのか、ぼくは興味をもったが、知ることができないということを淋しくも感じた。

 まゆみちゃんはひとつの帽子をかぶって、こちらを振り向いた。とても魅力的な笑顔で、値札が端にぶらさがっていたが、それすらも愛らしく感じさせた。ぼくと雪代のように、彼女も誰かに恋するのだろう。その幸福な男性はいったい、いまごろ、なにをしているのだろうと考えた。

「良く似合ってるね。買ってあげるよ」
「ほんと?」
「しばらくは会えなくなるだろうし、それぐらいはしてあげれるよ」
「次に会うときまで被っている」
「もう、ぼろぼろになっちゃっているよ」
「大切に被るよ」
「サイズも変わっちゃうよ」
「これ以上、頭なんか大きくしないよ」ぼくは、笑った。子どものように無心に笑った。

 店を出て、ぼくらは初めてデートをするようにファーストフードのお店でジュースとアイスコーヒーを飲んだ。途中、彼女はトイレに消え、買ったばかりの帽子を被ってきた。ぼくは、それに触れず、彼女もなにも言わなかった。今度、会うときがもし2年後ぐらいだったら、彼女はきっと多感な時期になっているのだろう。ぼくと、自然とこうして会話もしなくなるだろう、と考えていた。だが、会わなかったとしても連絡を取る方法はいくらでもあるのだし、いつか、大人になった彼女を発見するのは、それは楽しいことだろうなと思って、最後のコーヒーをすすった。
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拒絶の歴史(124)

2010年11月13日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(124)

 一筋縄では行かないというのが人生の真実であるならば、やはり真実は、ぼくにも当然のこと当て嵌まった。

 いま考えると、ぼくは自分の考え出した結論や決断に依然として悩んでおり、それを見かねた雪代はわざと自分に冷たくするよう決めていたのかもしれない。ぼくらの関係は徐々にぎくしゃくとし出し、潤滑油のない機械のように軋み出した。そして、何度も彼女が放った言葉、

「ひろし君は、前のような情熱でわたしを愛してくれているのかしら?」を何度も連呼し、確認を求めた。そして、最後には、「あのような状態に戻るまで、わたしたち少し距離を置きましょう」と小さく言った。さらに、「将来、それでも、わたし、ひろし君とまた会うことになると思う」と自分のこころに告げるように、それまで伏せていた目を上げて、ぼくに言った。
「将来また会うんだったら、このまま継続していくのと、違わないと思うんだけど」と未練を含んだ言葉を自分は発した。
「違う。大違い」と子どもをたしなめるような口調で彼女は答えた。「ひろし君の問題でもあるし、わたしのこころの問題でもある」

 それは、ぼくらにとって大事件であった。ぼくは、こころの支えを失おうとしていることを実感した。そして、ぼくは何度も彼女が放った言葉を考えている。仕事中、車の運転をしながら、信号で停まると、その言葉を丁寧に雪代の口調でなぞった。そうしていると、信号で停まるたびにその言葉を思い出すことが癖のようになってしまった。段々と、ぼくは自分の反省点も探すようになる。やはり、以前のような情熱で、ぼくは雪代を愛することを忘れてしまったのだろう、と結論を下す。しかし、それは時間という流れがある以上、仕方がないことだとも思えた。新鮮さが物事の重要な基準ならば、ぼくは合格点を取れず、成熟を判断の材料とするならば、ぼくは失敗していないことになった。

 それから、何日か経って、自分は荷物を実家に送り、自分自身も雪代に鍵を渡し、そこから離れることになった。それでも、最後にぼくらはベッドの中で抱き合った。なにが自分たちを別れさせたのか、ふたりとも分かっていなかったと思う。あのとき、ぼくは何らかの言葉を発していたら、この喪失感を味あわないで済んだのかもしれない。ぼくらは、パーフェクトに抱き合い、パーフェクトに優しさを出し合った。

 朝になり、その日はぼくは休みだったので、小さなバックに最後の残した荷物を詰め込み、家を出た。
「いままで、ありがとう」とぼくは言った。
「わたし、こんなときだけど泣かないよ」と、ほほにえくぼのようなものを見せ、雪代は言った。
「うん、元気で。また会うという言葉が本当なら、そのときまで元気でいて」
「ひろし君も」

 ぼくは玄関のドアを閉め、上空の青空を眺めた。もし、そのときをもう一度やり直すならば、ぼくは玄関をまた開けるべきだったかもしれないし、彼女もそれを開けて飛び込んでくるべきたったかもしれない。だが、ふたりはそうしなかった。そうしない以上、ぼくらは自分の未熟な判断を固く守ったことになる。

 家に着くと、親父はあまり言葉を言いたがらなかった。母は、何度か、
「それでいいの? あの子に迷惑かけていない」と念を押すように言った。
「ふたりとも子どもじゃないし」と、ぼくは答えるにとどめた。この家にいるのもあと一月半ほどなのだ。あとは、東京に行ってしまう。

 妹は、もっと直接的に、
「高校生のときの女性みたいに、お兄ちゃんはすぐに別れることができる。人間が冷酷にできているのよ」と冷たくなじった。それを、ぼくは神秘の書のなかに書かれている自分のページを探りあてたような気持ちで聴いた。
「お前らみたいに、意中のひとがひとりで済ますことができたらな」
「本当は、できたんでしょう? ただ、しなかったんでしょう?」
 と、疑問のように訊いたが、それは問いでもなかった。ただの答えであった。

 ぼくは、自分の荷物が入った段ボールを開けず、それを東京までの一時的な経由地であり、保管場所のように自分の実家のことを考えていた。ぼくは、8年ぐらいそこから離れており、ある面では家族に対して醒めていて、またこころのなかでは、それだからこそ頼っており愛していた。しかし、彼らは心配のあまり、ぼくやぼくの行動に対して辛口だった。

 ぼくは、残された仕事をし、引き継げるものは引き継ぐよう、資料を整理した。夜は、雪代の存在を忘れるかのように酒を飲んだ。飲み屋の女性と何度かそういう関係になり、ぼくらは、互いに未来のない関係を楽しんでいたが、最後には、「本気になってしまう前にやめましょう」と、冷たく言われた。情のある女性は、自分の情に対して、能動的になることを恐れていた。ぼくは、違う場所で飲むようになり、雪代を忘れたかったのか、その女性を忘れるようにしていたのか、酔った頭で判断できないようにまでなった。

 仕事は暇になり、ぼくの送別会の予定が組まれるようになった。
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拒絶の歴史(123)

2010年11月07日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(123)

 何日か経って、ゆっくりとした時間ができた。テーブルの前には雪代がいた。
「唐突な話なんだけど、東京に行かないかっていう話があって」
「出張?」
「違うよ。向こうの支店にさ」
「良かったじゃない。いろいろ経験できるかもしれなくて」
「でも、そうそう会えなくなるよ」
「むかし、反対の立場があったこと覚えてないの?」
「忘れるわけなんかないじゃん。覚えているよ」
「なら、今度も乗り越えられるよ」
「そう思ってくれてるならいいけど」
「行きたくない理由を探している?」
「多分、あの社長が決めたことだから、断ることもできないと思うしさ」
「ふたりの関係と距離を乗り越える自信がない? 今度ばかりは」
「あの時は、若かったけど、いまはいろいろなものを安定させる時期なのに、と思って」
「大切に考えてくれてるんだ」
「もちろんだよ」
「だけど、あの若いときみたいな情熱は薄らいでしまった?」
「また、それを言う」

 ぼくらは、しばらく黙り、それぞれの言葉を考えている。言葉のうらに隠されている意味合いも計ろうとしている。
「行ってきなさいよ。わたし、ずっと待ってるから。そんないじいじした女性じゃないけど。ひろし君ももっと大きな男性になるべきだよ」

「うん。じゃあ、そっちの方向で答えるよ」しかし、本当はもう行くことに決めていた。だが、こころのどこかで引き止めてくれるなら、そのチャンスを棒に振ってもいいと考えている自分もいた。

 ぼくらは普段どおり、食事をとり、皿を洗い、それを乾かしたり拭いたりした。テレビを見て、テレビを消し、音楽を聴いた。レスター・ヤングという才能あるサックス・プレーヤーは聴き手に自分の能力を微塵も感じさせず、ただ淡々とその世界を構築していた。ぼくは身近にあった雑誌を広げ、洋服やそれを着ている女性たちを無心に眺めた。無心といっても前にそこにいた雪代を思い出し、それを取り戻そうとしていた。また、あの頃の新鮮な自分と雪代の関係も考えないわけにはいかなかった。

 雪代はシャワーを浴び終え、それをぼくにも促した。ぼくはだらだらとグラス片手にレスター・ヤングの世界にとどまっていたかった。そこには変化も悩みもないような印象があったからだ。だが、その世界の音楽は終わり、ぼくも言われたとおり、頭を洗い、身体の汗を流した。

 明かりを消し、ベッドに潜り込んだ。雪代の足はすこし冷たかった。それをぼくの足で暖めようとしている。
「わたしも仕事は自由になるから東京に会いに行くよ」
「うん」
「それとも、迷惑?」
「迷惑じゃないよ。嬉しいよ」
「そう」
 彼女の足はこころもち暖かくなったようだが、それでも、まだ依然として冷たかった。だが、そのうちに寝息が聞こえ、足も次第に離れていった。ぼくは、普段そんなことはないのだが、目をつぶっていても眠れなかった。目は暗い中のものまで見えるように醒め、ここ何年かの自分と雪代のことを考えている。ぼくらは運命のひとに会ったかのように一心になり、こころの奥まで分かりあえたような感覚もあった。だが、それに安住すればするほどに、その気持ちは不安定なものになっていく。

 彼女は寝返りを打った。その拍子に枕から頭がはずれ、華奢な首は居心地悪そうにシーツに触れている。ぼくは頭を支え、柔らかな枕を耳の下にそっと置いた。彼女の眠りは深く、なにをしても今日は起きそうになかった。
 翌日になり、ぼくらはまた同じ日常に戻る。
「じゃあ、社長に昨日のこと、返事しちゃうよ」
「うん、頑張って。いってらっしゃい」

 ぼくは、会社に向かう。彼女は、ずっと待つと言った。ぼくも大学生のときに、彼女が東京で働いていたため、約2年間の空白があった。それを追体験する覚悟はあったが、それが今回も成功するとも思えなかった。ぼくらはもう一段階すすんだ関係に突入する時期に来ていたのだ。それを水に流してしまうようなことが簡単に許されるとも思えなかった。

 会社に着き、ぼくは目で社長に合図をして時間を作ってもらった。それは、雪代に言いました、という言葉を説明するものだった。

「彼女は、納得した?」
「ええ、まあ」
「やっぱり、大人だねぇ」とへんな感心をした。
 ぼくはいつも通りの仕事をしたが、不図、彼女の様子を考えてしまう時間があった。ほんとうに彼女は待っていてくれるのだろうか? 彼女は発言したことをきちんと守ることは知っている。だが、ぼくの東京での期間は正式にはないも同然だった。社長の思いつきで戻って来いと言うかもしれないし、永遠に言わないかもしれない。それをただの口の約束だからと言って、その愛情に依存しすぎて良いものなのだろうか? ぼくは、いろいろな不安要素を掻き集めては、ただ迷った。

 結局は、いまの自分は知っているのだが、もちろん互いの考え出した結論なのだが、ぼくは彼女にそのチャンスを与えなかった。ほかのチャンスの方がおいしいぞ、とでも言うように意気地のない考えを導き出した。だが、それはもう少し時間が経ってからの話だ。
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拒絶の歴史(122)

2010年11月06日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(122)

 いつも行く馴染みの酒場で社長と座っている。彼が珍しくお願いがあると言った。多分、息子である上田先輩に関してのことだろうと気楽な気持ちで待っていた。

 ぼくはビールを飲みながら、店の女性と話していた。そこにいつも慌ただしくしている社長が入ってきた。今日起こった乗り越えるべき困難を楽しそうに語り、ぼくはゲームの主人公のようになっている社長を想像している。主人公はたくさんの難題を乗り越えて、次なるステージに行くのだ。次の場面でももちろんのことパワーアップした難題がまっているのだが。そして、出来事を一通り話し終えあると途端に真面目な顔つきになった。

「近藤君、東京に行かないか?」
「出張ですか?」
「違うよ、なに言ってんだよ。あっちの支店にさ」
「だって、もう人数も揃ってますよね」
「だけど、あっちで揉まれてこいよ、という愛情のしるしだよ」
「その気持ちは嬉しいですけど、ぼくには、雪代もいるし」
「誰も、一生いてくれなんて、お願いしているわけでもないしさ」
「分かりますけど」
「彼女もそれぐらいは待ってくれるだろう」

 ぼくは目の前にあった料理に手をつけるのを忘れていて、考え事をするためと、なにも性急に言葉を発したくないため、両方の意味合いで口のなかにものを運んだ。

「直ぐ、回答が欲しいわけでもないんだよ」といいながら、彼が宣言した以上は、彼のこころのなかでは固まっている事実を告げているに違いなかった。「まあ、今日は飲んで、家で相談しろよ」といってまた日常の話に戻った。社長のカバンから息子と嫁の写真がでてきた。ぼくはそれを見ながら、この前泊まったときの話をした。彼はぼくらの友情の話を聞くのが好きだった。だから、ぼくはある面では大げさに話した。また、嫁の飾らない性格を愛していて、そのエピソードも訊きたがった。だから、ぼくは進行形ではない話も含めて彼に披露した。

 その話も一段落すると、社長は用事があるといって出て行った。「ゆっくり飲んでいけよ」と言ってある程度の勘定を済ませてそこから消えた。

「近藤君、東京行くの? 寂しくなるね」
「まだ決まった訳じゃないですけど、社長がああ言った以上、彼はもう段取りまでしているはずです」
「そいうひとだもんね」
「せっかちで、思ったことを直ぐ行動に移す。結果はあとでまとめればいい?」
「そういうことね。なに飲む?」

 ぼくはお代わりを告げ、グラスを手にする。もうその時点で、今日は酔ってしまおうと決めていたのかもしれない。ピッチは早くなり、その女性を相手にぼくはこの町の幼少期からの思い出を一方的に話した。それは、この町への決別を自分自身に与える役目を果たしたのかもしれなかったし、また、自分へ刻み付ける営みだったのかもしれない。口に出せば思い出はより鮮明になり、大事なひとの何人かの映像が目のまえに浮かんだ。
「初恋って、いまのひと?」
「どうだろう。違うかもしれないね」
「誰?」

 ぼくは裕紀という子のことを思い出し、それを脚色なしで話した。ぼくには良い思い出しか残っておらず、反対にその子が、もし、ぼくのことを思い出すときは憎しみしかないのかもしれないと考えると、恐怖と絶望が浮かんだ。
「あの女性の前に、近藤君にはそんな子がいたんだ。素敵ね」
「でも、さっきも話したように酷いことをしてしまったんですよ。憎んでますかね?」ぼくは、そこで許しの言葉を聞きたかったのかもしれない。

「さあ、どうなんだろう? 青春の1ページみたいに良い思い出に変化しているかもね。でも、酷いことをしたもんね」と言って彼女は笑った。店はもう閉店を迎えており、なぜかそれでもぼくの腰は重かった。
「もうそろそろ帰らないと」
「あと、何回かしか来れないんだから、もう少し居ていいわよ」

 ぼくはその言葉に甘え、彼女の息子のサッカーが上達した話を聞いた。ぼくはそれでまた何人かの知人たちの顔を思い浮かべる。いくらかセンチメンタルになり、それぞれの良い一面を手のひらに転がすように考えた。死ぬほど憎むことを誓ったような学生時代のひとりのことも思い浮かんだが、それでもそのひとの良い面をあらためて発見するまでにセンチメンタルになっていた。またその当時の自分の未熟な感情を憐れに思った。

 ぼくは酔いつぶれる寸前までになり、うとうとした。だが、その後にその女性の顔がぼくに近付いて揺すぶり起こしてくれる感覚を覚えている。その彼女の顔はより鮮明になって、ぼくの頬にキスしてくれた。そうなってしまうとぼくには歯止めが利かず、肉体的な関係をもってしまった。もしかしたら、ずっとここに通っていたのも潜在的にそれを望んでいたからかもしれなかった。

 ぼくはスーツに腕を通し、暗い夜道をひとりで歩いている。酔いはまだ残っていて、足はふらふらとした。そして、この町に対する思い出がまたひとつ増えたことを実感している。
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拒絶の歴史(121)

2010年11月03日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(121)

 ぼくは、雪代のことについて考えるのをわざと忘れようとしているのかもしれない。だが、ぼくらの残された関係は終わりに近づいている。それを思い出すことは、まだ楽しいということよりも、哀しさがつきまとうのも事実だった。しかし、哀しみがあったとしても、先延ばしにはできなかった。

 ぼくは、途中に時間が空いたとしても、雪代とここ数年ずっといっしょにいた。ぼくのこころのなかの大切な箱のなかには彼女がいて、またそれ以外はいらなかったし必要なかった。愛しているのは間違いのないことだったが、ぼくらの関係はコンクリートに亀裂が見られるように、目を防ごうとしてもありありと感じられた。どちらもその関係を維持しようと努力しなかったわけでもないし、壊れることなど望んでもいなかった。修復できるならば、どんなことがあろうと修復したかった。しかし、これもまた人生に訪れる別れのひとつなのかと、ふと考えてしまうこともあった。

 それでも、お互いには日常のさまざまな雑事があり、仕事にも追われた。ぼくは短い出張を繰り返し、彼女も買い付けやらで家を空けてしまうこともあった。彼女の店はすこし離れた場所に二つ目の店をオープンさせた。それは、彼女の能力や自分の意思の手の届く範囲を超えてしまったのかもしれない。しかし、始めてしまった以上、時間が奪われるのは仕方のないことだった。

 その分、ぼくらがゆったり過ごす時間は減り、また同様に会話をする機会も減った。分かり合えていたはずだと思っていたが、ぼくらは互いのことを理解し得ない領域を増やしていった。ぼくは、何を彼女が求めているのか、もう分からなかったし、その追求も避けていた。多分、彼女も同じような気持ちだっただろう。

 それで仕事がうまくいかなかったり手がつかないということはまったくなく、ぼくも順調に成果を延ばし、彼女の店も売り上げを上げていった。それゆえに、楽しいことのほうに時間を多く割いた。ぼくも先輩や後輩たちとたまには社長と仕事が終わったあとも過ごす時間が増えた。

 そうしながらも、休日が合えばぼくらはいっしょに外出し、ドライブにも行った。会話が少なくなったとしても、ぼくらは表面的には安定したふたりに見えたことだろう。ぼくらは互いのことを優先しあい、それは衝突を避ける意味合いもあったのかもしれないが、それゆえにいたわりあうふたりだった。

 夜になって、ぼくらはリビングで、またはベッドのなかで存在を感じた。彼女はときに、
「ひろし君は、以前のようにわたしを愛してくれてるのかな?」と言った。

 彼女にとって、それは最重要な問題らしかった。ぼくは笑顔でそうだと答えることもあったし、ふてくされた態度で「何度もきくなよ」と言ったりもした。ぼくは、当然そうだと考えていたが、訊かれれば訊かれるほど自分自身に疑心をもち、自信をうしない、やぶれかぶれな気持ちにさせた。

 だが、勘がいい彼女がそう思うならば、それもまた事実なのだろうと考えた。ぼくは疑いをもったオセロのように彼女の言葉を何パーセントかは真に受けていった。

 でも、それで彼女の美点が消えるわけでもなかった。相変わらず美しかったし、ぼくが望んでいたものをすべてもっていた女性でもあったし、彼女の移り行くなかにぼく自身の成長もとどめていた。彼女を失えば、ぼくのここ何年間かも無駄に消滅してしまうようにも思えた。利己的な考え方なのは分かっていたが、ぼくはそれを失いたくなかった。ある日の自分をもっとも知っているのは、当然のこと雪代なのであった。その人以外は、ぼくの一部分しか知っておらず、それは象のしっぽだけを握って全体像を判断するようないびつなものだったかもしれない。

 また逆にいえば、彼女のあるべき理想を知っているのも自分だった。若いモデル時代にすでに自分の目標を掲げ、彼女は邁進していった。それでも、一瞬たりとも優しさを失わず、店のバイトの子たちの心配をいつでもしていた。自然なぐらいに世話を焼き、暖かさのベールのようなものが彼女を包んでいた。

 だが、やはりぼくらは夢の国に住んでいけるはずもなく、ある日、社長から東京に支店をつくるということを聞かされる。ぼくは、そのことを自分の人生とは関係ないものとして聞き、ある日、それが自分に降りかかってくるものとは思ってもみなかった。雪代は、もう少し、ぼくを人間として高めたいようだった。それだったら、犠牲を問わないという潔さも兼ね備えていた。ぼくらの気持ちは平行線をたどり、ぼくの愛は目減りしていると誤解され、仕事は次の場所への移動を求めていた。

 ぼくはもっと愛情だけのことを考えるべきだったのかもしれない。この移動中には彼女の素晴らしさだけを考えるべきだったのかもしれない。だが、瑣末なことだけに人生の真実があるならば、ぼくはその瑣末なことも愛していた。
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拒絶の歴史(120)

2010年10月31日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(120)

 そのようにして他の友人たちの活躍を目にして、自分も頑張ろうと思うのだが、普段の仕事の成果というものはそう簡単に計れないものである。数字として目に見えるものもあれば、いまはまだ準備期間なのだから、大した成果を上げていないように見えるものも、あとでどう化けるものなのか分からなかった。

 日常は、もうそう大幅に変化することもなかった。日々の積み重ねがあるだけだった。ぼくは、さまざまなひとと会い商談をし、雪代とテーブルに向かい合ってご飯を食べ、暇な時間がとれなくても短い時間を活用して勉強した。

 知り合いのひとの顔は増え、何人かとは没交渉になり、深い関係になれそうな友人たちと会えそうなチャンスはめっきり減った。それでも、何人かからは電話がかかってきて会うことになる。友人たちは地元から去ったひともいれば、まだまだ残っている人も多かった。

 ぼくは友人の松田に誘われ、彼のサッカーのコーチ振りを久し振りに見に行った。彼はその役割を充分に楽しんでおり、誰かに与えられたということではなく、生まれついてそれに向いているような感じがした。

 小さな子どもたちは彼を慕っており、ぼくが知らない子どもたちも当然のことながら増え、その子たちの注目を集めていた。彼の子どもは、まだチームには入っていなかったが、隅の方でひとりでボールを蹴っていた。となりには彼の奥さんがいた。ぼくは手持ち無沙汰になり彼らのそばに寄った。

「ひろし君」と彼らは言った。
「こんにちは、那美ちゃん」とぼくは奥さんの名前を呼び、男の子の頭を撫でた。そして、彼からボールを奪い取り、足をつかって戯れた。ぼくにもまだその年代なら、ボールを器用にあつかってあしらうことはできたのだった。
 20分ぐらいそうしていただろうか、松田は休憩を取り、こちらに近寄ってきた。
「なんだ、練習に参加してくれると思っていたのに」と笑顔で言った。
「もう無理かもしれないね」

 自分はブランクが空いてしまった時間を恐れていた。いつも最上級の自分をもってこないことには、相手に負けてしまうという考えがあって、中途半端な自分が嫌いだった。ただ単にスポーツを楽しめることができればそれに越したことはないが、いまは考えが違った。また未来のある日には、普通に楽しめるようになるのかもしれない。

 松田は、意図しない子どもができて学校を辞めており、そのときの楽しい機会を取り戻すかのようにグラウンドで楽しそうに走っていた。それを見ると自分も快活な気持ちになった。

「練習が終わるまで待っててくれるだろう?」と言い残し、またグラウンドの輪に戻っていった。
 後半もぼくはベンチに座り他の父兄たちに混じって、その様子を見た。何人かは顔見知りで彼らと話した。ぼくを何かに当てはめて判断するようなことはなく、以前のサッカーが好きなお兄さんというような感じで接した。ぼくもそれに普段とは違う入れ物のようで、居心地良く感じた。

 練習がすべて終わり、ぼくを知っている小さな子どもたちやもうひとりのコーチと楽しく話した。彼らは、ぼくの体内にある小さな悩みの数々を払拭してくれるほど、温かなひとたちだった。ぼくは普段の仕事を忘れ、そうした時間がもてることに感謝し満足していた。

 ぼくは松田の車の後部座席に乗り込み、男の子と話していたが、かれはいつの間にか眠ってしまった。家の前まで着いても目を覚まさないので、ぼくは彼を担ぎ上げた。
「悪いな。いつもこうなんだ」と松田は言った。もう抱っこするには大きくなりすぎたその身体をぼくは落とさないように固く抱いた。

 部屋に入り、松田はシャワーを浴び、那美さんは料理を作ってくれた。目を覚ました松田の息子は美味しそうにジュースを飲んでいた。風呂場から出てきた松田の手にはビンのビールが握られ、ぼくらはそれを飲んだ。

 料理ができると那美さんもいっしょにすわって、ぼくらはビールを飲み、美味しい料理を堪能しながら楽しく話した。女性は女性がどう扱われているかに関心があるらしく、雪代のことを聞きたがった。

 ぼくは問われるままに、その題材を無視しなかった。彼女はささいなことで驚き、時には感心し、またときにはぼくの対応への不満を漏らした。ぼくは酔った記憶でありながらもそれを覚えておこうと努力したことを思い出す。だが、覚えていたとしてもそれを実行できるかはまた別問題だった。

 楽しい時間は過ぎ、朝の早い彼の仕事の関係からもぼくはさよならを告げる。家は歩いて20分ぐらいかかったが、ぼくはその間に考え事をしたくて、ひとりで歩いて帰った。

 ぼくは、いままでいたあそこの部屋の暖かさを感じている。自分にも子どもがいて、雪代が料理を作っているイメージを思い浮かべようとした。だが、なぜかそれは現実味を帯びず、よその世界の話のようにも思えた。また、何人かの女性の顔が浮かび、ぼくはそれをトランプを裏返して確認するかのように、それぞれの美点を思い浮かべるのだった。
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拒絶の歴史(119)

2010年10月30日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(119)

 後輩の山下は社会人になってもラグビーで活躍していた。そのリーグの試合でも活躍し順当に勝ち上がっていって、自分の名声を高めていった。

 その頃になると、ぼくはもう自分がなにかを教えたり、いっしょに練習に励んでいたという事実はまったくのこと忘れ、ただ妹の恋人という観点で見ることの方が多くなった。そして、いちラグビーフアンに戻り、彼の活躍を無心に応援していた。

 彼の試合を実際に応援するために久々に東京に行った。席は先輩の上田さんが買っておいてくれ、ぼくらはそのスタジアムがある駅の前で待ち合わせをした。そこには彼の妻になったぼくの幼馴染でもある智美もいた。彼女は、ぼくが知っている頃より見違えるほど変わってしまい、それは良い方向への変化で一段と女性らしくなっていた。髪も伸びており、ぼくのイメージの中に眠っている活発でショートカットの女の子はどこかに消えてしまい、外見だけではただのおとなしい女性であった。

「よっ、久し振り」と、彼はぼくの肩を叩いた。
「こんにちは」と智美もその後に言った。
 長い間、離れていてもぼくらには見えない糸のようなつながりがあった。最近のことを情報として交換し合えば、あとは数秒で以前の関係に戻れた。そうすると、まだ10代半ばのような智美が戻ってきた。彼女はぼくの家族ともずっと親しくしていた。たまには電話でぼくの母とも連絡するようで、ぼくの最近に起こったことも多少のことは知っていた。そして、そのことを夫である上田さんも共有していた。

 試合前の興奮は、いつでも心地よいものである。ぼくらは会話をしながらも頭の中でそれぞれの試合の展開を予想しあっていた。無言になりながら考え、予想の内容を語り合っては、展開の場面をイメージし、さらに膨らませていった。だが、山下の姿を見れば、ぼくらの興奮は最高潮に達し、それはもちろんのこと思考を奪った。

 山下の身体はぼくらの遠い場所から見ても一段と大きくなっていることが確認できた。彼は声援の方を一瞬だけ振り返り、ぼくらはその顔に闘志が秘められていることを発見する。

 試合が始まった。試合の運びには、そのランクに達していれば当然のことなのかもしれないが、大きな差は見られず緊張感がみなぎる時間が遅々と過ぎていった。

 山下の頑張りがあったにも関わらず、(個人のゲームではないが、彼に注目するのは否めなかった)彼のチームの方が点数が少なかった。ハーフ・タイムの間、ぼくらはその時間のやり場に困っていた。ぼくらも、控えに戻ってあれこれ鼓舞するような時間を持ちたかったのだ。しかし、グラウンドから去った以上、それはできなかった。

 後半になっても手に汗にぎる展開が続いた。ぼくらは息を殺すように黙る時間を持ち、また声を枯らすまで絶叫する時間もあった。結局のところいつの間にか山下のチームは逆転していて、試合が終わるとそこで死闘を尽くした以上にぼくらは疲れ果てていた。見るより、自分で動いたほうが楽なこともあるのだ。それは仕事でも同じで自分で安易に動いたほうが簡単に解決することもあったが、後輩は仕事を覚えなければならないこともあった。それは失敗を多く要求したが、やはり失敗はそれなりの見返りをくれた。ぼくは、その試合後にそんな感想を持っていたのだ。自分がもうがむしゃらに駆けずり回っていたスポーツマンではないこともあらためて確認した一瞬でもあったのだが。

 それから、夜は山下と久々に待ち合わせをして、ビア・ホールでビールをたくさん飲んだ。ぼくは、上田さんの部屋に泊まることになっていたので、安心してビールを飲んだ。その安心感がぼくを帰って量以上に酔わせることになったのかもしれない。
 ぼくは雪代への愛情が停滞していることを語り、彼らが最愛のひと以外に女性を発見しなかったことをうらやみ、また逆に同時になじった。

「河口さんを手に入れるために、あのひとを失ったんじゃないですか。同じ間違いをしないでくださいね」急に大人になった山下はそんなことを言った。その言葉はぼくの胸に刺さる言葉だった。智美はその場面を取り繕い、ぼくらが言い合いになるのを避けた。

 ぼくは酔って、上田さんの家に転がるように入った。急いで布団は敷かれ、ぼくはそこに寝転がり、水を求めた。

「ぼくは、ずっと失敗してきたのかもしれない」と、何度もうわ言のように呟いていた。自分の耳はそんな自分の感情を聞くことに飽き、ぼくはいつの間にか眠っていた。次に目が覚めると、そこには東京のきれいでもない空の色が目にはいった。
「なんか酔ってたね。悩める少年みたいに」と、智美は言った。

「ごめん」とぼくは小さな声で言い返すしかなかった。ぼくは、あのチームメートに囲まれていると油断して、甘えてしまう自分がいることを見つける。それを理解していいものなのか、納得していいものなのかまだ判断はできなかった。
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拒絶の歴史(118)

2010年10月17日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(118)

 妹も働くようになっている。化粧品会社の研究所のようなところといったが、小さな会社なので、それだけを専属に行えるということはないのかもしれない。これで、親の当面の役割は終わったのだった。

 彼女は、たまには雪代の店にも行くらしい。雪代から、毎回ではないがそのような言葉を聞いた。それで、ぼくと似ている部分をあげたり、またまったくの他人のような似ていない性格も雪代は告げた。男女の差もあるが、妹のほうが開放的な性格にできている。それで、いろいろな興味があり、実際に雪代の店に行ったりして、自分の肌で感じたことを学習し、吸収するようにできているのだろう。

 自分は建築を学んだ。肌で触れることもあるが、その前に設計をしたり、構想を練ったりと事前の準備が必要だった。それだからなのか分からないが、自分はそう簡単に開けっ広げにはならないと思っていた。だが、他のひとから見れば、そうじゃないかもしれず雪代はぼくのことを、見知らぬひととも境界線の少ないひとと評した。
 仕事でもいろいろなひとと接し、信頼されたりまたは憎まれるようなこともあった。それは、自分のなにかが良かったとも悪かったとも言えず、ただ相手の機嫌に大きく左右されることなのだと思おうとした。そうしないと、ひとの判断を過大ししすぎる傾向に負けてしまい、自分の仕事がままならなくなることが増えていきそうな気がしたからだ。自分は地道に歩を進めていきたかった。
 だが、自分の未熟さゆえの失敗に謝り、またもっと上のひとからも謝ってもらったりした。それは仕方がないことだった。自分も後輩のために謝り、また連携の悪さを隠そうとした業者のためにも謝った。それが仕事といえば、そう呼べた。
 休日には、ぼくは気分転換にラグビーの試合を見たり、サッカーの応援をしたりした。ビール片手にそうしている自分には仕事上の悩みも消失し、さまざまな人間関係やその足かせを忘れることができた。

 雪代と休みが合えば、ぼくらはドライブをした。どちらも日常から自分たちをちょっとだけずらし、新鮮さを注入する必要があるようだった。

 ときには二人が仕事を終えてから待ち合わせて映画を見に行ったりした。彼女は、しっかりと自分の仕事を管理し、従業員の悩みを聞き、さまざまな時間のやりくりに追われていた。それで、ただの女性になる時間が最終的には必要であるのかもしれない、とやっとそのころの自分は気付いた。

 映画が終わり、雨があがったばかりの湿った空気を感じながら、彼女がぼくの肩に頭をもたれかけて歩いていた姿をぼくは思い出している。ぼくらには年齢差があったが、そのようなときにはそれは逆転し、ぼくがはじめて彼女を見たときの印象がよみがえってくるような瞬間でもあった。ぼくは20代の半ばで彼女はまだ19歳ぐらいなのだ。

 だが、幻想は幻想で、日々の暮らしに戻れば、役割はそれをまっとうするように、それらをぼくらに押し付けてくる。

 ある日、ぼくは実家に戻っている。急に祖母が息を引き取り、この世との関係を絶ったからだ。よくよく考えてみると、ぼくは彼女の生活のなにも知らないという事実に驚くことになる。ぼくは、ぼくと雪代との関係を良く思われていない時期があったので、家族と疎遠の期間が数年間あった。その間に祖母の身体は弱っていき、その日に至った。祖母はぼくや妹の孫の顔を見ることはできなかったが、それはどういうことなのだろうと自分は考えている。その後、数日はばたばたし慌ただしく過ぎることになる。その間は感傷的になっていたが、普段の生活に戻れば、祖母のことを考える時間は日に日に減っていき、最後は思い出すことすらしなかった。

「お祖母ちゃんって、幸せだったと思う?」と、雪代はたずねる。
「さあ、どうだろう。ぼくには本当に分からないんだ」と、なにをとっかかりにして幸せの判断にするかの情報をぼくは持ち合わせていないことを実感する。幼少のころは父の店の店番をいっしょにしたりした。たくさんの会話をしたとも思っていたが、なにを話したかの具体的な語句はぼくにはもう戻ってこず、ぼんやりと空想するのみだった。

 ぼくはまた休日になり、スタンドで後輩たちのラグビーを見ることになっていた。もうぼくの存在を覚えているひとも見当たらず、監督も変わっていた。ぼくの話は誰かの口を通して語られることもあるらしいが、それには姿かたちは伴っていなくて、ここに座っているひとりの青年のことだとは誰も気付かないようだった。それで、やっとぼくも自分の役目が終わったようにも感じていた。

 ふと、そうしてスタンドに座っていると過去の情景を思い出すことになる。ぼくは、幼少期はサッカーをしていた。スタンドには応援にきていた元気なころの祖母もいたはずだ。まだ、おじいちゃんも元気でいて、ぼくの活躍をあたたかく見守っていてくれていた。ぼくは、その安心感に包まれるように、身体はなにも考えずに最短の動きをしてゴールを決めることができた。

 試合が終わって、ぼくは祖母と祖父に挟まれ、ソフトクリームを食べている自分を思い出している。その二人の笑顔をぼくは自分の目前にいるかのように感じていた。雪代は、「祖母は、幸せだったのか?」と訊いた。その答えが、ぼくにはその映像として返ってきたようだった。

 いつの間にかラグビーの試合の前半は終わっていた。天気は晴れたり雲に覆われたりと安定しない様相を示していた。

 後半が始まる前にぼくは公衆電話に向かい、雪代にいまの情景を告げたいと思っていた。だが、今夜にしようと思い直し、躊躇している間に後半が始まる笛がなった。
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拒絶の歴史(117)

2010年10月16日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(117)

 しかし、ゆり江という子はその後、転勤になりぼくらは自然と会わないようになっていった。ずるずると引き延ばされていた関係は終わったのだ。大事になるまえに未然にさまざまなものを防げたとも思ったが、またその反面さびしい気持ちも勝手なことながら正直なところあった。

 ぼくのこころの一部からなにかが失われ、少し腑抜けになってしまったようだが、それでも、その失われたものに気づかないように毎日を過ごした。もしかしたら、過ごしたというより、やり過ごしたという方が言葉として近かったかもしれない。

 彼女が借りていたアパートの一室はきれいに清掃され、その後、新しい借り手がついた。だが、ぼくは外回りの途中でそのアパートの横を通ると、彼女のいろいろな良い面を瞬時に思い浮かべることになる。そして、日が経つにつれ忘れてしまうことも増えていくが、逆にかえって鮮明に印象にのこることもあるということを発見する。彼女の語った言葉を当時はなんとも思わなかったが、車のなかで「ああいう気持ちで言ったのか」と、今更ながら理解することもあった。

 こうして、会わないひとたちの記憶はそこで途切れ、そこから変わらないので、もちろん更新されていかないので、情報を整理しやすいのかもしれなかった。

 雪代と毎日、暮らしている。情報は新たなものを追加していくが、そこに新鮮さを見出すのもまた難しいものになっている。こころのなかには怠慢さがあった。驚かす内容のことも、もうぼくらには残っていないのかもしれないと感じることもあった。それは愛情が軽減されたということではないが、彼女はふと淋しそうな様子を見せることもあった。ゆり江という子には、毎回驚かされて、ぼくの興味を湧きたててくれたが、雪代との関係はもっと長いので、同じ天秤で量るのは酷かもしれなかった。それでも、ぼくが一番好きだったのは雪代だったし、ゆり江という子と継続した関係でうまくいくとも、なぜだかなかなか思えなかった。
 そのような時期にぼくらは引っ越した。メゾネットタイプで全部で4戸だけあったきれいな部屋だった。部屋が広くなって居心地は良くなったが、その分、ぼくらの関係も間が延びてしまったような感じを与えた。

 彼女は部屋のインテリアをきれいに整え、ぼくらはそれを保てるように頻繁に掃除をした。またそれを維持していくために外でも懸命に働いた。

 ある日、同僚と昼食を出先で取っていると見覚えのある顔に出くわした。それは、島本というひとだった。彼は大学でも、社会人になってもラグビーを続けるほど優秀だったぼくらの憧れの存在だった。彼のいたチームにぼくらはいつも勝てず悔しい思いを何度もさせられた。でも怪我に泣き、地元に戻ってきて家業を継いだという噂を耳にしていたが、実際に会うのは戻ってから初めてだった。
「お、久し振り」
「ああ、島本さん。お久し振りです」
 という距離のあいた挨拶をして、あとは近況などを語り合った。彼は奥の席に座り、そのあとを小柄な女性ががあとから入ってきて、そちらの席に向かった。彼らのほうが帰るのが早く、また二人はぼくらに会釈して外に出て行った。

 同僚には、ぼくらの関係を大まかに説明したが、もっと入り組んだことはとうぜんのところ伏せていた。

 家に帰り、雪代にその日のことを話した。彼女は新しいキッチンにまだ馴れない様子で、いろいろと無駄な動きをしているようだった。ぼくは、テーブルに座り、雑誌を読みながら顔を伏せたまま、そのこと話している。
「島本さんに昼に会ったよ」
「そうね。戻ってきたみたいね」
「なんだ、知ってたんだ」
 ぼくと付き合う前に彼女は島本さんと交際していた。ぼくら、後輩から見ても、彼らは似合いのカップルでもあったのだ。
「うん。小柄な女性と歩いているのを見かけた」
「今日会ったのもその人かもね。なつかしい?」
「まあね」と言って、なにか料理の材料を取ってくれと言ったので、ぼくはテーブルからそれを持っていった。「ひろし君、たまに意地の悪い質問をすることを自分で知っている?」
「そうかな」
「わたしが、誰かとの関係で責めたことがあった?」
「ないけど」
「じゃあ、わたしにもやめて」
 ぼくらは、ちょっとだけ気まずい思いと戦い、だが、片づけを済ませふたりでテレビを見ていると、直ぐに完璧なる関係にもどった。

 一日も終わりベッドの中にはいると、これも部屋を変えたときに買い換えたものだが、彼女は言った。
「わたしは誰よりもひろし君のことが好きなんだよ。それだけは分かってて欲しいな。ひろし君はどうだか知らないけど」
「知ってるだろう」
「誰?」言葉というものをときに虚しく感じるが、それでも、はっきりと言うべき言葉をタイミングよく使うことは必要なのだ。
「雪代だよ」
「だと思っているけど。前みたいな情熱で愛してくれている?」
 ぼくはその言葉で質問されるたびに、10代の未熟で無力な自分を思い出すが、その反面がむしゃらだった勢いある自分も懐かしく思うのだった。
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拒絶の歴史(116)

2010年10月11日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(116)

 思いがけない楽しみというものも突然訪れるものだ。

 ぼくがサッカーのコーチを頼まれて間もなくの頃、その子はまだ小学生だった。中学に行ってもそのままサッカーを続け、能力を発揮し続けていたと聞いていたが、高校のチームになってレギュラーを直ぐに掴んだ。その地域で大会があり、彼の学校は順当に勝ち続けていた。ぼくも、ローカルな新聞で彼の活躍を知ったし、追いかけ続けた。

 ある日、仕事の休みと重なり、ぼくはゆり江という子を誘い、その試合を見に行った。ぼくらは後ろめたい関係をもっていたが、彼女の弟もサッカーをしていて、ぼくもコーチをしていたという間柄でもあったので、自分なりに不自然ではないと判断しいっしょに行くことにした。

「変なふうに思われないかな? でも、嬉しいけど」
 彼女は薄手のきれいなワンピースを着ていた。ぼくは似たようなものを雪代が着ていたことを思い出していた。そして、彼女の存在を横に感じながら、ぼくは自分がグラウンドに立っている側だったときのことを振り返っていた。やはり、いま考えてもあちらにいた時の方がエキサイティングだったな、と感慨にふけった。
「なに、考えているんですか?」
「むかしは、あっちにいたな、って」
「楽しかったですか?」
「もちろん、だけど、もうできない。無我夢中になることもできない」
「淋しいですか?」
「それとは、違うけど」
「スタンドにいる誰かの存在って気づきます?」
「最初のうちはね。だけど、試合がすすめば頭はほかのことに占領された」
「どっちのひとが、頭に浮かんでました?」
「どっちって?」
「ふたりのうちのどちらかです。いまのひとか、裕紀さんです」
「単刀直入だね」
「教えてくれてもいいでしょう?」

「両方だよ。ずるいけど」ぼくは、その同じ質問を別のひとにも今後訊かれつづけるとは、当然のこと思っていなかった。
「ずるいですね。ひろし君っぽいですけど」
 そう話していると時間は直ぐに過ぎ、審判の笛が鳴って試合がはじまった。ぼくらが教えていた小学生とは格段の違いがそこにあり、ぼくは興味をもってその試合の攻防を見た。横で、ゆり江は悲鳴を上げたり、ハンカチを握り締めたり、ゴールが決まれば喜んで立ち上がり、ぼくの肩をこぶしで殴った。ぼくは、その自然な振る舞いに魅せられていた。誰も、彼女のようではなかった。

 その後、後半に同点のゴールを決められると、彼女はぼくの方を向いて泣きそうな顔をした。
「大丈夫だよ。相手の足は止まってきているから」と彼女をなのか、自分なのかが分からないまま安心させるような言葉を吐いた。だが、その言葉は見事に的中し、相手のチームの防御は完全に崩壊した。

 その間を彼はきちんとすり抜け、ゴールを決めた。その場で飛び上がって、チームメートと抱き合った。あのような歓喜の瞬間も自分は過去にもっていたんだな、と納得していた。勝利の側にはそうなるような仕組みがあった。彼らにはそれが表れ、相手には作戦の未熟さのようなものがあった。その隙間は少しなのかもしれないが、勝利はいつも甘美なものをふくむ勝利である。
「よかったね、よかったね」と何度もゆり江は連呼し、ぼくは彼女の腕で肩を揺さぶられた。
 試合が終わって、帰ろうと席を離れると、ぼくの教え子が来た。

「見に来てくれたんですね。近藤さん。あ、お姉さんも」
「急に大きくなって、急に上達しちゃって」と、ぼくはからかう口調で言った。
「急にじゃないですよ。毎日の努力ですよ。近藤さんなら知っているでしょうけどね」
「あと1試合だね。頑張って」
「はい。そうします」と言ってぼくらは別れた。試合の興奮が冷めないまま、ぼくらは車に乗って、隣町に向かった。もちろん、その頃は若かったのだが、若いスポーツマンに接して、もっともっと若やいだ気分になった。年上の雪代に合わせるようにぼくも日常的に大人びた感覚を身に着けようとしていたが、その日はそうする必要など皆無だった。
 料理がおいしいと同僚が言っていた店に入った。ゆり江という子が目の前にいる。
「そのワンピース、似合ってるね」
「そうかしら。ありがとう。試合が終わって嬉しさを誰に伝えたかった。どっちのひと?」
「こだわるね」
「知りたくて仕様がないんだもん」

「最初は裕紀で、彼女は正当なことをいつも言った。失敗も含めてね。その後、雪代さんのところに行くと、そのころは河口さんとか呼んでいたのかな、彼女はぼくの全部を受け入れてくれていた。失敗しても、それは当然の利息のようなものだと。頑張りの利息なんだ」
「頑張りの代償?」
「そうかな」
「わたしも全部見ることができたらな。そして、彼女たちと同じような競争できる立場にいたならな」
「本気じゃないんでしょう?」
「そう。そこに自分を想像で置いてみただけ。三番目なんて自分でもがっかりするしね。だって三番目だよ。いないも同然でしょう?」
「どうだろう」
 だが、ぼくらの相性はそういう関係であったからこそなのか、とても良かった。未来もなく、過去への嫉妬も本来的な意味では、実際にはなかった。いまがあり、今日があった。そして、それで充分だと考えていた。
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