爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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当人相応の要求(20)

2007年05月31日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(20)

例えば、こうである。
幸福とは、撃ち終わった後の銃口の温かさ。
名称が、象徴するもの。シンボリックな名前。ウインチェスターという響き。
1850年代に会社を興したオリバー・ウインチェスターという人は、武器も扱うようになり、ライフル銃なども作っていく。自国では、人気がすぐには出なかったらしいが、解体する前の帝国時代のロシアで採用される。
何ゆえに、銃というものが発明され、重宝されていったのか。
彼は、教壇に立つ教師の声をきく。織田信長という人が、火縄銃を使い、戦さの終息に役立ったと習う。その事実に卑怯な感じをもった。アンフェアな匂いが、どことなく漂っている。どちらも、同じような武器を持って、対峙しているなら話は別だが。
動物の猟のために、使うのならばどうだろう? まあ、それならば問題はないかもしれないが、ああした殺傷能力を有するものを手にして、影響を受けない人間のこころなどあるだろうか。
矢が刺さった鴨がニュースに取り上げられるのを、彼は眼にする。特別、良心を持っているとか、持っていないとかは抜きにして、普通のようにこころを痛める。
彼は、1980年代の半ばに、ビートルズの音楽を時代の流れとは関係もなく、夢中になる。その、ロックというか、人間の極限の叫びとしての、ひとりの声に惹かれる。5、6年も前にニューヨークのダコタ・アパートの前で銃弾に倒れた物体としてはもう存在しない人。それほどまでに、ある人間たちの共感を射止めた証拠のように。フアンは、その音楽家と一体化になりたい気持ちをもつ。
ここで、銃の被害にあった人たちを羅列する。当然のように昭和生まれの銃とあまり縁のない彼が、一時にせよ夢中になった人々の記録として。
サム・クック。圧迫から開放される前、救済がもう少しで、到来するのを事前に察知しているかのような歌声。ゴスペルという神のために唄っていた人が、普通のにきびも出来る青年たちのためにも歌うようになる。まさしく二人といない生命感豊かな響きを放つ声の持ち主は、33歳の若さで、モーテルの管理人に発砲され、命を絶たれる。
それでも、銃は必要か?
マーヴィン・ゲイというこの世で、もっともセクシーな声を有する人。「ワッツ・ゴーイン・オン」という完璧なアルバムをこの地上に送り出す。コンセプトが見事にまで開花した証拠。本人は、人々にたくさんの勇気を与え続けるような印象があるが、その反面、人にはいえない苦労もつきまとうのだろう。そうしたものは無くなった方が良いが、それは自分が克服するという条件付きでだ。その、カラフルな歌声の人物も、45歳になる直前、父親の放った銃を浴び、この世での浮き沈みとも関係ない場所につれていかれる。
それでも、銃は必要か?
リー・モーガン。やんちゃの象徴のようなジャズのトランペッター。18歳で鮮烈にジャズ界の一流レーベルにアルバムを残し、ロック寄りの楽曲でも、その才能を発揮する。ドライブには最高の音楽。そういうジャンルという拘泥しない耳をもってとしてだが。その、細身のスーツを颯爽と着こなしているイメージの音楽家も、33歳の、円熟にも達しない年齢で、ライブのステージとステージの合間に女性に撃たれ、もうそれ以上、楽器に息を吹き込むこともなくなった。ミュージシャンとしては最高にインパクトのある最後だが、音楽を地道に収集したい彼にとっては、もちろん大きな痛手となる。
はっきり言おう、それでも銃は必要か?
1992年、アメリカのルイジアナ。そこに留学している日本人。聞きなれない「フリーズ」という言葉。病んでしまっているこころと、当然のように権利を主張する人々。
過去には、映画の俳優でもあったレーガンという大統領を銃で狙う人。その横で犠牲になる人。ブレディという名前の報道官。後日、その人の名前で示される法案。
彼は、暗い中で映画を見る。タクシー・ドライバーという孤独の果てのような中味。その中でフィクションのように感じているものが、いつのまにか現実になってしまっている驚きを感じて。

当人相応の要求(19)

2007年05月30日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(19)

例えば、こうである。
空を飛ぶことを、足が地面から離れて浮遊することを夢想する人類。
まったくのシャガール的なメルヘンタッチのイメージで。
一方、実用的なレオナルド・ダヴィンチという天才と呼ばれる人の設計図。その完璧なまでのデザイン。具体的な模型になったものを、昭和生まれの彼は見る。美術館内部の、静かだが、迫力のある宣誓的な骨組み。実際に、その画家でもある人は、いずれそうした頭の中にあるイメージが実現されることを知っていたのだろう。
その実現される日。1867年と1871年生まれの兄弟。あまりにも有名なライト兄弟。
1903年に飛行に成功したという一説が残っている。夢が実現に近づき、追い越す日。もちろん、それから、改良を加えられ、高度もあがり、燃料を詰め込み、遠くに行くことが可能になる。映画の主人公にもなる、チャールズ・リンドバーグという人物。もう早くも、1927年にはニューヨークからパリに無着陸で、33時間という長い時間をかけ、一人で飛び立つ。その、映画、「翼よ、あれがパリの灯だ!」という映画の内容が、「老人と海」という映画と共通しているように、彼は感じる。なぜならば、海の生物との孤独な戦いと、コクピットに入り込んだ虫と、こころを通わせるという共通の土台があるように感じたからだ。これが、日本的な考えに染まっている彼には、分かりづらかった。
セントルイスの魂という名前の乗り物。
しかし、その航空することのために生まれてきた人間は、名声を得ると同時に、同じような力で負のパワーを受け取ってしまうようにも思える。
パリに行ってから、5年後、1932年に子供を持ったパイロットは、その子を誘拐されてしまう。何者かに。名声を得ることの代償がどのようなものであるかは、彼は知らないが、それ相応のものは犠牲になるのだろうか、とも思う。そこから、逃げることなど出来ないことなのか。
それから、理想主義的な「かもめのジョナサン」につながる。この舞台から逃げること。与えられたステージを放棄する決意。
飛行機のことに戻る。彼も、旅行で活用するようになる。数々の戦争という試練と試行錯誤を経て、民間の一般人の乗り物になっていく空飛ぶ物体。
その英雄的なイメージを洗脳されたトップガンという映画。選ばれていくエリート。挫けながらも、最後には以前の自信を取り戻すというアメリカ大衆的なストーリー。
また一方で、その豊かさの象徴のような国にもぐりこみ、飛行機の訓練を習う中東の人。そのようなことをアジアの片隅で知ることもなく、平和の恩恵を受けている日本人。
武器を大量に載せ、油田のうえに向かう。また、1960年代の半ばには、ベトナムに飛ぶ。もっと前には、韓国と朝鮮を分けるため、もっと前にはベルリン上空に。そして、飛行を圧倒的な美化に仕向けた日本のパイロットたち。
飛行機は、最低限、荷物を載せ輸送されるために出来ていなかったのではないか?
そして、当然の帰結のように2001年9月11日につながる。武器を運搬してきた飛行機の有効的な使い方。紀元前と以後のように刻印を押されてしまった日。暗黒が宿った瞬間。本当の笑顔をもつことを許されなくなった高い2つのビル近くに住む人々。グラウンド・ゼロ。もう、どうにも戻れない最後の箱の蓋を開けてしまった人類。あとは、賞味期限が切れるのを待つだけなのだろう。どう、もがいたとしても。
彼の耳に鳴り響く、ロックの洗練された揺らぎを感じさせる「上を向いて歩こう」という楽曲。まだ、それでもこの地上で平衡を保ちながら行き続けなければならない。だが、あれ以降、人類の、科学の、人間の頭の中の進歩や、それ以上に何に期待をかけて生きれば良いのだろうか?
もし、鳥のように飛べたら、という無邪気な希望。メルヘン的な絵本の題材的な発想力。
パスポートを手に、よその国に入る旅行者としての彼。疑われるべき荷物と挙動。ライト兄弟の影にかくれるサントス・デュモンという人物。本来の意味での飛行気乗り。
その由来を知り、旅行者の彼は、その人物の名前がついた時計をおみやげに、再び飛行機に乗り、成田に帰って来る。ビーフ・オア・チキンと何度も訊かれ。ブルース・オア・トゥルースと口ずさみ。

当人相応の要求(18)

2007年05月23日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(18)

例えば、こうである。
立体的なものを、立体的に写す試み。また、立体的なものを平面というキャンバスに、移動させる技術ある人。
そもそもの絵画のはじめは、どういうものだろう。ある日、過去の技術ある人が描いた、色彩豊かな絵が暗い洞窟の中で発見される。無記名だが、真贋を詳しく調べないで、その長年たっても、人間は記録したいという事実に圧倒される。そして、年月はずいぶんと経ち、数名のこの暗い洞窟のような鬱々とした世の中に、絵画という光を残してくれた人。指先のバランス。
カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチ。1878年のウクライナに生まれたとされる。調べると、別々の言語で、読み、書き、生活するということになっている。そのことが与える影響。一つの言語で、まったく不自由のない生活を送る彼には分からない。ただ、いくつかの分裂的な症状が、体系的に将来訪れそうな予感は残る。
その人が描く人間。丸味がないようでいて、それにも関わらずふっくらして、機械的にも見えるが、そのために別の面から覗くと、なによりも動物としての人間のようにも見える。
カラフルな色彩の時代もある。実際に、その画家が住んでいる地域の人がどのような色合いの服を着ていたかは、彼は知らない。だが、本物の農民は、そんな色の洋服を着ない感じもするが、しかし、残されたものとして、絵を確認すると、それ以外の地味な絵の具ではなく、その画家が使った黄色い色でしか、内部も外部もある瞬間の人間を表現できない気がしてくる。
その画家は、変貌を遂げる。まったくのピカソ的な意味合いで。もちろん、ピカソほど、変貌することを評価されることも、一般的な名声を得る(デパートでの単独の展覧会などないという意味で)こともなく。しかし、この物語の彼には、それだからこそなのだろうか、素晴らしい画家というのは、こころを開いている限り見つけられるのだ、という事実にひきつけられる。具象とか、抽象とか、専門的な判断は、一切抜きにして。
首の長い人間を描く画家。さらに、アーモンド形の瞳のない眼。アメデオ・モディリアーニ。モンパルナスという地名のイメージ。創作に励んだ形跡ではなく、日常のごたごたの積み重ねの記録の結果としての芸術作品。
1884年生まれ。絵という芸術の最盛期。写真前なのだろうか。その画家の描く人間の形は、最高な形でバランスが取れているように彼は思う。現実の人間は、そんなにひょろ長い首を有しているわけでもなく、どこを見ているか分からない瞳を外界に向けるわけでもないが。しかし、彼は、その画家の絵の前で、立ち止まる。なんて、人間が分かっている人なのだろう、という感激を足掛かりにして、その場から立ち去れ難くなる。深みのある色合いの背景だけでも、名作であるという動かぬ事実に感激する。現世に土台を築かない人のように、1920年に36という若さで没する。
もう一人。モーリス・ユトリロという人。1883年。将来の自分の一生をコントロールできる力を与えられていない人のように、この世に送り込まれる。実際のパリの、それも裏町がどのような風景か、日本に生まれている彼は知らない。だが、彼が思うに実際のパリは、ユトリロが描いたような寂れた白色であってほしいように思う。現実は動かせないことは身にしみて感じているにしても。時代は、機能的な建物を、無暗に生み出そうと働き続けているとしても。
アルコールという活力(たくましい人から見れば現実逃避だろうが、そんな人々は、そもそも絵画の前で立ち止まるだろうか)と引き換えに、身の回りの景色を描く。その街並みを愛しているのか、愛想を尽かしているのかは知らない。ただ、何より、その街に縛られているようなことだけは理解できる。その画家が、いなかったらモンマルトルという町は、どのような印象を人々のこころに残すことになったのだろう。そして、訪れることもないであろう小さな教会に思い入れをもって眺めることになったのだろう。架空の街のような風景を描いた、幸いの少なそうな画家は、この地上の街並みを描くことが1955年に出来なくなる。残してくれたものは偉大という言葉が似合わないが、真実味ということでは、偉大すぎる。
付け足しのように1898年に佐伯祐三という画家は大阪に生まれる。だが、その画家も本領を発揮するのは、パリという町を描いたことによって。30歳という若さで亡くなるまでに、そもそも活動時期が短いというハンディキャップを抜きにしても、本物より郷愁を感じさせる街並みを残す。

当人相応の要求(17)

2007年05月17日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(17)

例えば、こうである。
別にどこといって、目的地がある訳でもないが、スピードを出す楽しみ。
彼に、スピードの世界を教えてくれたのは、小学生時代の友人。その子が、熱心に語っていたので覚えてしまったある人の名前。
ニキ・ラウダ。
顔にやけどを負った後なので、それは76年以降ということなのか。あの頃の、レーシング・カーの美しさ。研ぎ澄まされていく過程と機能美。まだ、公害などが騒がれる前の時代だったのだろうか。フェラーリという名前が象徴する悪びれたイメージ。模範生ではないこと。
時代は、外国車に夢中になる子供が増えてきた頃でもあった。小学生の彼も、親に連れられて、日本の車にはない設計された形と音を見に行く。将来は、自分も。
しかし、自分が運転する何年も前のことだった。
その後。高校生になった彼は学校をさぼるようになり、映画館に入る。ただ、時間を潰すために費やすはずだったのに、そこでも思いがけなくスピードにぶつかる。
ライト・スタッフ。宇宙飛行士を養成する映画。自分もそういう一員になりたいと彼は、単純に思った。そして、2国間の(当然のようにアメリカとソ連との関係)競争がある。地球は青かったという有名な言葉。ガガーリンという名前の響き。未開の土地を経験する人類。片や、負けることがらが嫌いな国民。エリートを拾い集め、よそで出来ることは自分の国でもという不文律。
さらに、ライト・スタッフでも影のように、また逆に光のようになる主役の人間がいる。チャック・イェーガー。この人物も人類が経験しなかった事柄を超える。音速の壁。それは、50年も前の話。鳥のように飛べる機械は、人やものを一瞬にして打ち落とす道具にもなる。
スピードを出すこと。空という地面との接触のないところで。また、路面との摩擦を受けて、それでも爆音とともにスピードに夢中になる面々。当然のように、単純な思考経路だが、危険と隣り合わせすることも往々にある。
誰も命など落としたいとは思ってもいないのだろう。
核となるエンジンというものが出来上がる。そこには、工業国になる、ものを作り出す国家としての日本も見え隠れする。
世界的に、日本車が走るようになる。その小回りのきく、燃費の良い、故障しないものを作り出す国民性。あっと、驚くような画期的なものは作れないとしても、必要不可欠という言葉とイメージで、隙間に挟まっていくものたち。世界は、その神秘さもない代わりに、そこにあるということが当たり前になって受け入れていく。
世界は、走ろうとしている。国家間も情報という伝達器具を使い、縮まろうとしている。
鈴鹿という言葉がイメージするもの。その付属物としての容姿のきれいな女性たち。
生け贄を求める世界。
ガガーリンという人。27歳にして、宇宙を廻って帰ってきた経験。環境の犠牲者。1968年、宇宙の思い出とともに、この地上での生活を終える。翌年になる。1969年7月、負けることが嫌いな国家も、遅れながらも月面に到達することで面目を保つ。スピードをまったく感じさせない月面での動きで。
しかし、住む場所、生きる地域をかえない人類は、狭い道を回転する。モナコで、その言葉とともに思い出す、やはり車で亡くなった王妃とともに。また、汚れた世界に生きるのは不向きのようなウエールズを代表するいつも泣き顔のような女性。カミラという女性を離さなかった男性の傍らから逃げるように。場所はパリで。
そう考えると、車というのは、本当に便利で、人間の役に立つものなのだろうか? ただ、奪い去ってしまうものなのではないのだろうか。
やけどなどを起こしながらもタフに生きられる人物。世界を廻り、車に乗って、英雄に祭り上げられる行為。
1994年。アイルトン・セナという人物がいたが、その紳士的な風貌の人物は、あっという間に帰らぬ人になる。音速の向こう側の住人にでもなるのだろうか。

当人相応の要求(16)

2007年05月03日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(16)

例えば、こうである。
疑いをかけられたことに対する結果としての動揺。それから、仲間うちでの理解できる言語と、それぞれの自立。そのことを、一人の人間として小さく扱うのか、国家の問題として捉えるべきか。
1894年のフランスに住むドレフュスという人物に起こった事柄から開始する。情報というものが今より大事であったか、どうかは分からない。ただ、疑われるべき(外部に情報が洩れてしまう)ことがあって、その犯人をつきとめたいという衝動も人間にはあり(往々にしてみつからないことも多々あり)、その二つの決着点にドレフュスさんという人が表れる。国籍を抜きにした所属する人種という問題。そう、かのドレフュスさんはユダヤ人。金銭的に有利にあった(なぜ、その民族はそのことに優れているのだろう)支配というか状況の下で、貧しい人たちの嫉みも前提にある。しかし、本当の犯人より、もろもろの権力のここちよい解決策としての犯人像は、ドレフュスが引き受けることになる。もちろん、当人や家族のないがしろにされた気持ちは無視することとして。ゾラという作家もそのことを、不正は不正という当然の帰結としてペンで太刀打ちするが、その抵抗もむなしく有罪というハンコを押され解決。
彼は、思う。小さな疑いをかけられることは生きていく限りあるということを。そして、問題を生み出した人たちは、その疑いを解決しようなどと、ほとんど思っていないことを。
自立の問題に話を移す。あきらめてしまうことと、それを希望のつぼみにすりかえること。テーオドール・へルツルという人物が現れる。とりあえず自分たちの安住できる土地が必要だろう、との気持ちを、その事件を新聞記者として追いかけるうちに見出していくのだろう。自分の憎まれている民族(言い過ぎか?)誤解を受けやすい人々。1860年生まれなので、事件当時は34歳ということになる。
小さなこととして自分の感情に引きずり込むため、彼も自分の親元での生活ではなく、自分の小さな国家、簡単にいえば一人暮らしのこととして捉えようと考える。なにも干渉されないで、我が法律を作ること。法律があれば条文もある。それを読み上げる言語もある。
言語の問題に移行する。集団としての流行り言葉。仲間うちでの、くだけた、それでいて寛いだ会話。
エリエゼル・ベン・イェフダーという人物を、ここで登場させる。リトアニアという国から、パレスチナに移住し、ヘブライ語を現代に取り戻す。本人がどこまで本気であったのか、それとも、言語を習ったり話す能力が、ひときわ好きとか、向いていたのかどうかも分からない。ただ、その人物は、埋もれていた遺跡を掘り起こすように、言語のまわりについていたほこりを取り除き、博物館のなかに眠らせるのでもなく、生きたものとして流通させる。
その人の息子は、その言語で幼いころから教育させる。ほぼ2000年を経ての、その言語を母国語にした人物が産まれる。奇跡のような結論。
この物語の彼は、体感的にはこれらのことがらについて何事も理解していないし、判断もできないような状況でいる。しかし、呪われたような辛い運命は、「質屋」というニューヨークを舞台にした映画で、一端でも知ろうとする。その救いのないようなクインシー・ジョーンズの映画音楽を足がかりにして。
言語に戻る。バスク語というものがあるらしい。フランスとスペインに挟まれた山沿いの場所。そこの人々は、その両隣の大国と、自分の言語を持たされてしまうらしい。必要上と信念上か。だが、そのバスク語というものは、世界中のどの言語とも似ていないということになっている。彼は、考えをめぐらす。そんなことがありえるのだろうか。
それから、疑いをかけられないように、自分の小さな王国を築くこと。仲間うちだけでも、理解できるような言語をもつこと。しかし、どの面においても難しい。ひとからいろいろ言われ、生き方を注意されること自体が、生きている証のようにも思えてくる。
彼は、黙る。でも、こころの奥で理解しあえる関係と、その通信手段としての言語の投げ合いを強固なものとして、育む共同体や、共同生活を夢想する。1948年5月14日。イスラエルという国家が中東に誕生する。それで、物事が丸く収まったかどうかは、他の人々のほうが良く知っているだろう。