図書館から借りていた、曽野綾子著 「あとは野となれ」(朝日新聞社)を 読み終えた。本書は 1984年(昭和59年)に発刊された書で、教育、愛、老いの問題等々、著者の深い信仰生活や日常生活をスケッチした名エッセイ、48篇が収録されている。物事の本質を見つめるあたたかい心と、著者の流麗な筆致は、今日を生き、明日を考える人に確かな指針を与える書だと思う。
(目次)
1、時の過ぎ行く中で、
タヒチと下町、自由人ーシスター・スタック、私にとっての「平和」、結婚してよかった、
宿縁、アウシュビッツの夜、コルベ神父の列聖をめぐって、柔らかな緑色の美しさ、
地球の懐に還る、カジノの神様、或る陶芸家との出会い、日めくり、ペン大会と私の立場、
我が家でも「郵便配達は日に二度ベルを鳴らす」
2、或る転機
「夕明」、シロウト鍼師のつぶやき、私のなかのモネ、或る神父への手紙、
3、人と人のあいだで
一人で生きていく、偽者と付き合って蒙る迷惑、一本の白髪の旅、勇者の戦い、
想像もできない未来の手前、
4、三つの断章
教育をめぐって、
親がまずまっとうに生きてみせる、表裏のある人間になること、
この世の中を一人で歩けるように、正当な競争をさせて精神を鍛える、
愛をめぐって、
その人のために死ねるか、肉体の表現、精神の表現、恋から愛への変質、
すべての人は”眼がない”、愛するに到るまで、かわいい女になる秘訣、
愛をめぐるパウロの手紙、
老いをめぐって、
年をとったら、若い世代の将来は、若いうちから、人間的な死にざまを、
老年の一つの非常に高級な仕事は、死に急がぬこと、
5、聖書の中の言葉
白く塗った墓、星を名づける、扉を閉めた家、暗闇の中の神、開放の日、
ぶどう園の労働者、スペインの母、
あとがき 曽野綾子
解題 岡宣子
アトランダム拾い読み
◯冒頭で著者は、「あとは野となれ、山となれは、絶望的な、無責任な言葉のようでもあるが、私はむしろ絢爛たる自然のなりゆきに頭をさげさせられている人間を連想する」と記述している。さらに、「人間の執念がどれほどのものであろうと、自然はそのような茶番をあとにも留めない。野山は誰のことも記憶してはくれない・・・」と。
◯人間は一人で生きて、一人で死ぬ、生の基本は一人である。
◯私達は、常に教えられるために心を開いていなければならない。知ったかぶりより知らない方がいい。知っていても、時には知らないと言えることは、知ったかぶりするより、はるかに人間として味のある踏み止まり方だということだ。
◯テレビを見ない生活では、時間がたっぷり有り、間が持てなくなり、音楽を聞いたり、楽器を弾いたり、読書するようになる。青春とは、生活とは、そういうもののはずだ。
◯練習しても練習しても、常に自分の前に強者が有り、自分に砂埃をかけていくスポーツ、それに耐え、自分を見失わなうことのない人間になること。それがスポーツの産物だ。
◯「すべての人は眼がない」・恋は客観的な真実ではなく、どれだけ相手を誤解出来るかということだ。
◯どうも、脚と脳は連動作用しているような気がする。ボケたくなかったら歩く他無いような感じがする。
◯若い内から楽しかったことをよく記憶しておいて、これだけ面白い人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常にしておく習慣をつけること。
◯一生に一度も良いことが無かった等という人は、この世にあり得ないはずだと思う。
◯様々な理由で、「心ならずも」で、一生の目的が果たせないことが多い。ささやかな人生の目的も本人にとっては重大な目的。
◯自分で得られなかった希望や望みに対して、きれいに諦めを持てるように、常日頃、自分の心を馴らしておくことだ。
◯愛する人を殺された憎しみ位強いものはない。「主よ、兄弟が、私に対して罪を犯したら、何度まで許すべきでしょうか」
曽野綾子さん、いいですよね。
私は彼女のエッセーが大好きです。
産経新聞に連載されてた日本財団でお仕事されてた頃の話は興味深かったです。
その曽野さんが朝日新聞社から本を出していらっしゃったこともあったのですね。彼女はクリスチャンでもありましたから。
愛する人を殺された憎しみ位強いものはない。
切ない言葉です、いろいろと。
コメントいただき有難うございます。
我流で拙作ですがよろしくお願いいたします。
簡単ですが、先ずはお礼まで・・・
コメントいただき有難うございます。