草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

「理解する」とは、「つながる」こと

2014年02月06日 13時48分35秒 | 
 お早うございます。今朝はことのほか冷え込んでしまい、明け方に喉がひりひりしていたのには少し慌てました。インフルエンザ・ウィルスにしても、風邪の細菌にしても、まず乾燥した喉に張り付くところから始まります、というかそういう固定観念に支配されていますので、そこは乾けば緑茶で潤すのようなことをやっています。寝ているとき体温が下がるのでウィルスなどには好都合ということもありまして、結局寝ているときがいちばん危険ということですね。
 2月は募集の時期なんですけど、今年は特に募集の予定なしです。新しくきた子たちは後半やや集中切れというか、疲れたようです。教室では「静寂を保つ」ということが新しい子たちをふくめて浸透すること願っています。
 特に、中学生は小学生に範を示すということを自覚してほしいと思います。
 新しく竹の会に参加した子たちが、竹の会の指導に早く順応することを願っていますが、いちおうこの2~3か月がひとつのヤマになろうかと考えています。
 竹の会は、静かな環境で勉強に集中することをもっとも大切にと考えております。これだけは譲れない竹の会の憲法のようなものです。竹の会は「騒ぐ」子はいらないということです。どうかよろしくご認識くださるようにお願いいたします。
 2月は、例年静かに過ごすというのが、竹の会の慣例なのですけど、そして子どもたちがいなくなってわたしもゆっくりしているというのがいつもの風景なんですけど、2月、3月でも今は忙しいのは、どうしてなのでしょうか。ひとつはひとりひとり丁寧に念入りに指導せざるを得ない状況の子どもたちが増えたということがあります。なかなか一人では進められない、手助けのいる子というのが「手がかかる」子ということです。1問1問に「詰まる」わけです。ですから手がかかる。入会試験を導入したことでこうした指導の停滞は少しずつ解消していくと予測しています。また初期指導の段階はとにかく手がかかります。1問1問とにかく確かめながらの指導ですからね。
 小3ですと、もう何人かは体験してきたのですが、理解力の差というのが如実に出る年齢なのかなと思います。ここできちんと理解する子となかなかできない子というのが分かれるような気がします。
 竹の会でいうところの訓練過程で終わってしまうか、思考鍛錬の過程へ入れるか、そういう分水嶺の兆候がすでに出ていると思います。
 なかなか理解しないというのは、ひとつは意味が「つながらない」という状態なのではないかと思料します。理解するというのは、あることとあることの関連がわかる、つまりあることとしあることが意味で「つながる」ということなのだと思いますが、理解できない子というのは、この意味のつなぎができないということです。三重苦(目の障害・耳の障害したがって話すことも障害)のヘレンケラーが、waterという綴りが、すなわち手に流れ落ちる「水」を意味しているのだと言うことを理解するまでの苦しみは言語に絶するものがありましたが、「わからない」という子たちは、この意味をつなぐことができないものと推測されます。それは理解という思考作用が「転移」という脳のはたらきを介して応用という脳のはたらかせかたを可能にすると思われるのですが、そうした過程へ進むことを遮断してしまうのかなと思います。竹の会の入会試験ではまだそうした子どもの判別までは完成されていないように認識しています。
 現在竹の会の募集定数は、小4・小5・小6各学年各5名ということでいちおう落ち着きました。
 入会には所定の入会試験に合格すること、及び面接による審査も加味しております。「騒ぐ」子を排除する主旨です。さらに通知表で「よくできる」をそろえていることを次の試験からは必要としました。これは入会試験で見抜けないところを補う主旨です。
 竹の会ではいったん入会を許可した場合でも、一定期間の指導でお子さんに理解困難等によるストレス症状が出ていると判断した場合は、竹の会に拘泥されることなく退塾される英断をお選びください。竹の会からの退塾告知ということはしません。自主的な退塾が望ましいと考えます。
 竹の会は指導の見通しもないのに漫然と月謝だけとって子どもさんをつなぎとめるということは絶対にしたくありません。退塾というのは双方にとって不幸な結果ですけれど塾は万能ではないのはあたりまえですし、竹の会はできることとできないことを正直に告白して良心にしたがって行動したいと考えております。
 正直な気持ち本当に勉強したいという少数の子どもたちがいればそれで十分と思っております。指導にストレスを感じるのは正常な状態ではないと長年の経験が教えてくれています。今のわたしは一年一年が勝負であり、いつ倒れて塾ができなくなるかもしれないという覚悟をしています。ですから自分の納得した指導というものにこだわりたいと思っています。もう無理をして生徒を集めてがんばるということは考えなくなりました。
 塾はたくさんあります。竹の会もたくさんある塾の中のひとつです。
 「竹の会のようなすばらしい塾はどこを捜しても無いと確信しております」という手紙が家の中を整理していたら出てきました。これまでどれだけ多くの親御さんたちから竹の会に感謝の言葉が寄せられたことか、これは本当のことなんです。「竹の会に入会してよかった」とどれほど多くのみなさんが竹の会に発信してきたことか。
 そういうみなさんの感謝のお言葉は、静かな環境で心ゆくまで勉強に集中させることができたことと無関係ではありえない。わたしはそういう思いから決して勉強に熱心な子たちの妨害となるよう行為に塾の自己利益でスルーしてはならないと決意したのです。

 
 
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