草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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合否を分けるもの

2011年07月17日 15時00分27秒 | 
 夢中で勉強する心がなければいい成績などはとれないし、合格できるはずもない。ごく普通の人間にとって、あれもやりこれもやり、そして勉強もやるというようなことで、勉強がうまくいくはずもない。私は、県下の進学校御三家と言われた学校の一つで学んだ。学んだというよりは、語弊があるかもしれない。高校の先生が、数学にしても英語にしても系統だって教えるということはなかったからである。たいていのことは、自分で解決していくのが進学校の授業である。教科書を教えられるということはない。高校の科目数と科目の専門性を考えると1日5時間の勉強でも落ちこぼれるかもしれない。進学するというのはそういうことであると思う。高校はまたいろいろと部活が盛んで本格的でもある。が、私の級友たちで体育会系はもちろん文化系の部活でものめり込んだらもはや一流大への進学の可能性は「ない」というのが現実であった。もちろん例外的な秀才はいつでもいるものではあるが、それは無視できるほど希有なケースであった。
 都立中高一貫校に入学するのは、高校入学と同じである。まだ中1だからと部活に入れば必ず勉強に影響する。これは間違いない。
 一般の公立中の生徒が部活で勉強しなくなるというのは昔からあったことでこちらはまともな高校に行けなくなるというマイナスが露骨でかつ悲惨である。
 さて、都立中高一貫校をめざすとしても、ここ2年で合格は至難な状況となった。まだ精神的に未熟で幼い小6には、「夢中で勉強する」などということができる子は少ない。そして、残念ではあるが、もって生まれた能力に規定されるという面も認めざるを得ない。
 「集中する」ということの意味が、わかってない子が多い。一度考え出したら、もうそのことばかりに気をとられて周りのことが耳に目に入らないという状態をいう。時間を忘れる。周りに人がいることも忘れる。つまりは、集中するというのは、勉強以外のことはすべて「忘れる」ほどに夢中になることである。休日も勉強が「気になって」しかたないというところまでいけば集中も本物である。
 ゲームで時間を何時間も潰すとか、無為な時間をだらだら過ごすとか、いつもどこかで動き回っているとか、野球に夢中、サッカーに夢中などといううちは、勉強などできるようにはならない。 
 人間というのは、普通は、ひとつのことしかできないようにできている。二兎も三兎も追えるはずもない。そのかわりそのひとつのことに集中することもできるようにできている。
 都立一貫校をめざす子どもたちの中で最後に掲示板に自分の番号を見つけられるのは、能力があるのなら、後は「夢中で勉強する心」がある者のみであろう。
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