草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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多くの小学生は「1あたり」が超苦手

2007年07月03日 08時17分09秒 | 
 小学生の指導では, まず分数の計算がこなせることが一つのポイントになる。この段階で多くの時間を費やす子もいるわけだ。計算というのは, 一つのルールであって, 計算をするときには, 分数なら分数で分数にまつわる計算ルールが確認されながら実行されているわけである。よく「なぜそのようなルールとなるのかを説明しなければ・・・」という主張がなされる。たとえば分数の割り算では「なぜ割るほうの分数を逆数にしてかけるのか」といった議論である。しかし, ルールのよってたつ由来を理解することとルールそのものを適用することができるかとは別ものである。特に計算のルールはその理論的理由を理解しなくてもルールのみの達人になることはできる。
 さてこのルールを覚えるというか使えるという場合も, 原始的なルール, ある意味単純なルールのみに固執しそれ以上上級の計算ルールのスキルアップを拒む子もいる。拒むというのは, その子にとっては新しいルールが原始的ルールで完結した自己の状態を壊すからである。理解したルールを抱えきるのが精一杯なのだ。決してそれ以上の計算の要領を覚えようとはしないという子もいる。計算技術のスキルアップを頑なに拒む子といのうのはその子なりに自己保存に懸命なのである。
 さて, 前置きが長くなったが, 計算を仮にクリアしても, 多くの小学生が1あたりの理論で壁に突き当たることになる。なにしろこの1あたりを理解できるか否かが, その後のその子の将来を振り分けるといっても過言ではないのであるから, 「多く」の小学生ができないというのは深刻なのである。特にそういう子を指導する塾の責任は重大である。1あたりを理解できなかった子は, 中学にいっても成績は芳しくないのが一般である。数学や理科といった科目は1あたりが基底にあるから当然としても, 1あたりを理解するだけの思考力がないということは, 他の科目すべてが思考力を前提するのであってみれば, 結局科目全般がさえないという結果になるからである。
 中学入試をする子にとっては, 1あたりを理解するかしないかは合否の分水嶺になる。大手にいっている子で試験本番が近づいた小6の秋あたりからジタバタし始めるのはこのパターンである。大手の子には, 割合などは理解していると思われるのに思考が固定化して, いわゆる思考が働かなくなった子というのが圧倒的に多いという別の問題がありますけどね。いずれにしても, 1あたりというものの本質をじっくり思考を深めるという形で指導を受けてこなかったということでは同じようなものです。
 1あたりの思考には, 算数の理解を深めるのに重要な思考の素みたいなものがある。この1あたりを理解するだけで中学入試の算数の問題の7割はカバーしてしまう。1あたりを柔軟に使えることはその他の問題状況に対してもその柔軟な思考力を発揮できるということである。
 私は小学生にいかにしてこの1あたりの考え方を伝えるのかに腐心しているわけです。ものごとを形式的に表面的にしか理解できない子たちを相手にです。同じことを表現を変えると思考停止してしまうのはつまりは1あたりの思考の本質が伝わっていないということなのです。1あたりを理解するというのはそれほど単純ではありません。事実を分析して分解して状況を客観的に認識するという(これが思考力なのだ)作業が必要だからです。単純に「1000円の○%は何円ですか」という問題を考えるというのではありません。もちろん1あたりのしくみを理解させるということはします。しかし, 子どもたちにとってもっとも困難な障碍となるのは, 複雑に入り組んだ事実の把握なのです。
 「○円で仕入れた品物に2割5分の利益をみこんで定価をつけましたが, 売れないので, 定価の1割4分引きで売ったら ,利益は90円になりました」という問題を見て, 小学生のほとんどが思考停止してしまいます。もちろん大手にいっている優秀な子にはなんでもない定型問題です。子どもたちは, 上の文程度の事実でももう思考停止してしまうに十分なのです。この定型問題に出てきている数のうち, 実体的な数は90円だけです。そして2割5分とか1割4分などという数字はいわば思考の道具である「あたり数」なのです。この90円こそが手がかりなのです。この90円に「対応」する「○あたり」を見つけることが1あたりの思考なのです。仕入れ値を1とすると定価は1.25になる。売り値は1.25かける0.86にして1.075だ。すると利益は0.075だから, 0.075あたりが90円だ, とここまで思考をもってこれるかなのです。つまり1あたりの思考とは1あたりの考え方を使える状態にまで事実を分析してもってこれるかなのです。小学生はここができないのです。単純に1000円の25%は何円などというところでつまづいているわけではありません。これはもう算数の問題というよりも思考力つまりは事実分析力なのです。 事実の分析は小学生にはなかなかやっかいなのです。論理的分析つまり推理力はいまだ「ない」のです。私が算数を通して推理力をつけるというのは, こうした事実分析のことをさしています。状況を正確に認識できるかです。
 こうして事実分析に資する「考える」という精神作用はひとり算数だけの問題ではなく ,国語,社会,理科などのすべての修得を通して養成されるべきことがわかってきます。国語の指導ではとにかく語彙を増やす必要があります。語彙は思考の道具です。抽象的なことばを使いこなせるというのは有益です。また読解というのはやはり「考える」を刺激します。理科や社会を指導するに際しても「考える」を刺激するような指導が必要です。
 こうして私は日々の指導に「いかにして事実分析させるか」を考えた指導教材をつくるようにこころがけています。私のたゆまぬこうした悩みぬいた日々のもがきがいつか報われる日を信じて私は今日も朝6時からパソコンに向かっています。

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