草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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 4月という季節

2014年04月05日 09時12分32秒 | 
 お早うございます。明日から4月日程が始まります。桜の季節は一瞬です。桜には惹かれますが桜に群がる蟻のような人の大群には辟易とします。去年京都に行ったときも金閣寺は人で埋まり身動きができなかったことを思い出しました。
 4月、5月といい季節が続き、6月には梅雨が始まり、7月、8月と暑い夏の到来です。
 2月、3月と新小6にはすでに受検レベルの指導をしてきました。かなり質の高い指導内容になったと思います。8倍10倍という倍率を考えるとレベルは落としたくはない、逆に今の竹の会の指導についてこれなければ受検はあきらめたほうがいいということです。
 3月からはかなり国語を重視した指導にもなっております。子どもたちにはとにかくできなくてもいい、国語と何らの形で関わっていてほしいという強い思いがあります。
 国語に限らず勉強の基本は「読む」ことだと思います。よく理科や社会のできない中学生の親が「うちの子は勉強の方法がわからないからできないのだ」といった主旨のことを言いますけど、わたしには何を言っているのかさっぱりわかりません。方法といったってやるのは「読む」ことなんです。勉強というのは、読んで理解する、それだけのことです。ノートのまとめ方とか、理解のしかた、覚え方に特別の方法があると信じて、「うちの子はそれを知らないからできない」と本当に信じ込んでいるのです。自分の子は能力はあるのに要領が悪いからできないと思い込んでいる。親というのはそんなものです。
 頭の悪い子というのは、「読んで理解する」ということができない。それがすべてなのです。わたしは人間の、いや勉強の基本というのは、まず「読む」ことだと思っています。読む、ひたすら読む。読むという作業は、理解するという作業でもあります。だが、当面は「読む」ことに集中することです。一つの文章は最低十回は読まなくては理解できないと思います。読んでもわからなければまた読むだけのことです。わかるまで読むのです。
 国語の苦手な子というのはほとんど文章というものを読んでいない。問題文なんかも1回だけ読んですぐ問題を解こうとする。ちょっと待て!まず十回は読んでからだろ、とツッコミたくなります。
 「読む」ということを甘くみてはいないか。意味がとれるまでひたすら「読む」のが勉強です。「読む」ことに神経を注いで時を忘れたことがあるか、です。勉強する人は、「読む」達人をめざさなければならない。珠算で1級をめざす人、書道て段をめざす人、いろいろいると思いますが、それと同じように「読む」ことの達人をめざさなければならないのです。「読む」達人になることが、国語の勉強であるし、理科や社会、つまりはすべての勉強の基本ということです。
 あなたたちは「読む」ということを余りにも軽視しています。ここで「読む」というのは、単なる本好き、読書好きになれと言っているのではありません。「読む」ことにこだわれと言っているのです。
 わたしは高校のとき、現代国語の教科書の新単元に入るたびに毎日10回速続かつ音読しました。すごいスピードで正確に読めるまで「読む」ことをくり返しました。後々考えてもわたしが現代国語だけは何も特別の勉強はしたことがなかったのに、いつも高得点をとっていたのはそれが理由であるとしか考えられないのです。いいですか。毎日ですよ。毎日10回、最低10回現代国語の教科書―それは難しい論説文ばかりです―を一日も休まず読み続けたのですよ。
 国語ができないというあなたたちがどれだけ国語と関わってきたのですか。なんの努力もなしにただ「できない」と嘆くことだけはやめてほしい。
 わたしの言う「読む」というのは、それなりの高度な内容の文章を必死に「読む」ということです。一般的な読書を言っているわけではありません。
 理科ができない、社会ができないという人の何人が、教科書を10回以上読んでいるでしょうか。読まないで「できない」などと言わないで欲しい。
 もうすぐ5月6日です。竹の会渋谷教室2年目の日です。それまでの4月という季節、わたしは大切に指導の粋を尽くしたいと思います。
 
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