草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

推理ができない

2007年07月27日 10時43分35秒 | 
 高偏差値校をねらうべく大手などで早くから準備してきた子たちが多く小6の今頃壁に突き当たる。算数がある一定水準から絶対的に伸び悩むのである。これは大手に通う多くの子どもたちが今現実に抱えている悩みのはずである。
 大手のテキストはびっしりと高水準の問題が組み込まれ, 子どもたちはわからないままに説明を受けてなんとか理解したことにする。いわゆる付け焼き刃の積み重ねである。
 こういう付け焼き刃な勉強を続けていると最後には頭がコチコチになりいかにも融通のきかない石頭になることは目に見えている。秋になって過去問をやりはじめる。そこで全くできないことに気がつく。2割そこそこしかとれないというのが現実であろう。付け焼き刃な勉強をしてきたつけは重く, 過去問との落差に愕然とすることになる。しかも市販の過去問は解答が必ずしも親切ではない。こういう子たちが最後の悪あがきでやるのが, とにかく市販の過去問を覚えるくらいにやることである。
 こういう状況になったときに不思議な現象に気がつくはずである。例えば, 平成10年の過去問をやったら20点だったとする。そこで解説を見てその解き方を理解する。その上で今度は平成11年の過去問をやる。するとやっぱり20点そこそこだ。それで同じように解説を読んで理解する。そして次に平成12年の過去問をやってみる。すると今度も20点そこそこしかとれない。これは実に不思議な現象である。私の過去20数年の実験では必ずこの現象が繰り返された。これが思考という鋼を鍛えることなく, 他人の書いた解説を読んでは勉強してきた者のたどる道なのである。今そのことを大手に通う多くの子たちが実感しているはずである。
 思考を鍛えぬくことこそが飛躍の唯一の方法なのである。1問に何時間もかけて考え抜くという過程が思考を作り上げていく。思考を繰り返すことで思考は思考の節約, 思考経済を会得していく。様々な思考のあやを体得していく。これは付け焼き刃な他人から教わるだけの勉強では決して得られないものである。鋼からたたき上げていくことである。
 ささ, てところで推理とはいかなるものであろうか。
私は近頃は高校入試の問題などではどうも推理にならなくて困っている。問題を見た途端に解答の道筋が見えてしまうのである。どうも問題を解きすぎたらしい。新しく私を悩ましてくれる問題には近頃とんとめぐり合わない。推理の楽しみは高校入試の問題にはそれほど少なくとも私にはない。
 算数は推理問題の宝庫である。私などは高校入試の問題を見て, xやyを使わないで, 算数で考えようとするくせがついてしまって苦笑いである。文字を使った方が楽なのはわかっている。しかし, 算数には推理の楽しみがある。多く大手の子たちで算数に伸び悩んでいる子たちはこの推理が全くといっていいほどできない。他人の解説を鵜呑みにすることだけに費やしてきて, 自ら思考することをほとんどしてこなかった子たちには, 推理の力が育たなかったとしても少しも不思議ではない。
 私は特に慶應の問題が好きである。公立中高一貫にも使える良問がたくさんあり, 私は指導ネタに困らない。
慶應平成9年のある問題から。
「赤いリボンが2つ, 白いリボンが3つあり, この中からC君がA,B2人の帽子にリボンを2つずつつけました。A,B2人には自分のリボンは見えませんが,最初の各個数と帽子にいくつついているか知っています。
 A,B2人はそれぞれ相手のリボンを見ながら, 自分のリボンが何色かを当てます。B君は初めわかりませんでしたが, A君が「わからない」と言ったことを聞いて, 自分のリボンの色がわかりました。C君はA,B2人に何色のリボンをつけたのでしょうか。」

 推理力を思考力を鍛え上げてきた者には, 楽しい問題です。他人の解説を鵜呑みにして自ら悩むということをしてこなかった者には解答不可能な問題です。
 さてここでこの問題の謎解きをするつもりはありません。この問題を解くには, いかなる思考つまりは推理の作法が必要となるのかということをいっておきたかったのです。
 推理というものは, 「仮定と論証」の繰り返し, あるいは積み重ねからなっているということです。私などは高校入試の数学では推理するまでもなく解答の道筋が見えてしまいますので, もはや推理するということもないのですが, それは今までに「仮定と論証」を嫌というほどやってきたおかげで推理するまでもなく一本道に方法が見えてしまうようになってしまったということなのです。「もし~なら, ~となるはず」としてこの仮説が成り立つかを考えます。ある仮定から場合分けが必然出てくることが普通です。その場合は, 場合のそれぞれについて論証をする必要があります。成り立たないことを論証する必要があることも多いでしょう。
 さてさて, 推理というものがどのようなものか少しわかってきたでしょうか。推理を鍛える。はがね(鋼)からたたきあげて鍛えるということの意味がわかってもらえたでしょうか。
 私は1あたりの思考を徹底して, 初学者にたたき込んでいますが, 1あたりの思考は推理の基本を鋼から鍛え上げようとするものです。

この記事についてブログを書く
« 付け焼刃 | トップ | 根気 »