ここ2,3年の都立中高一貫校は序列化が進み、かつ難易度の上昇も著しい。倍率的には、4倍~8倍あたりで落ち着きつつあるが、それだけ受検者もしぼられつつあるということであろう。いわゆる猫も杓子もという時期は去った。ただ時折かなりに牧歌的な受検親子に出会うことがあるが、なんとも認識の甘いのに驚かされることがある。さていずれにしても圧倒的多数の子どもたちは、結局は公立中へと進むことになる。そしてそれぞれに都立入試でそれなりの高校に入ることを誓うのであろう。しかし、公立中というのは、圧倒的多数の子たちが「勉強しない」ところである。勉強しなくてもどこかに入れるというぬるま湯のようなところである。。たいていの子たちは、部活に流され、中1の終わりから中2の1学期にかけての十分な中だるみの時期にすっかり勉強へ気持ちが冷めてしまう。ほとんどの子は、私立単願推薦という無試験入試に逃避するか、経済的理由で低偏差値都立に入るかで終わることになる。
良質都立とは、どの程度の都立を言うのか。
渋谷区だと、都立駒場、都立新宿が基準となる。都立富士、都立青山、都立戸山、都立西、都立小山台といったところであろうか。竹の会からは今年都立文京に合格しているが、ここも合格するには最低でもオール4以上は必要である。オール4以上が前提で、あとは5を何個そろえられるかで決まる。都立西や都立日比谷だとオール5ばかりの子が競うことになる。いずれも推薦の合格基準は5が7個以上は必要と思われる。このような勉強強豪校に受かる人というのは、9科目すべてに悪くても80点以上、ほとんどが90点以上をとる人たちである。そして、公立中には必ずこのような優等生がいる。実はトップ都立というのは、そういう人たちのためにだけある入試である。
ところで単願推薦といったが、私立高校というのは今では定員の50%について、推薦合格させる。一般入試50%である。そして専修大や日大系クラスの推薦は、5科目オール4以上が合格基準とされている。これはこれて中々大変である。もし専修大クラスを一般で受けるとなると50%の枠で競うのでそれだけ厳しい。昨今は、少子化で定員を確保できない私立が増えており、低偏差値私立が特進クラスや特待生制度により比較的内申のいい生徒を取り込むことが流行っている。公立で「勉強しない」か、「能力のない」生徒は畢竟偏差値50前後以下の私立校へと進学するのがほとんどである。こちらは事実上無試験で入れる。が、中学でほとんど勉強らしい勉強をしてこなかった生徒たちがこのような高校へ入ってまともに勉強するとはとても思われない。特に比較的知能は高かったのに怠けたためにこのような高校へ進んだ子というのは、退学する傾向が強いと思われる。
公立中に進んで9科目オール4以上という子はそんなにはいない。英語はできるが数学は弱いとか、数学はできるが英語は弱いとか、国語が弱いとか、理科が弱いとか、音楽がダメという弱点を抱えた子たちで溢れかえっているのが公立中である。その中にあって9科目すべてに4以上わとる子のみが将来を約束される。それが公立中の現実である。
漠然と公立中に進み漠然と都立駒場や新宿に憧れるのは勝手だが現実は甘くはない。
竹の会では、中1時オール3だった子を中3時にオール4以上に導いたという事例は枚挙に暇がない。いや5の個数を増やすのは竹の会では当然の仕事であった。そういう成功事例の子たちというのは、「勉強に真摯に向き合う」子たちである。公立中の罠に嵌まる子たちがほとんどの中で、真摯に勉強に向き合った結果、良質都立合格を勝ち得た子たちであった。すべての子たちが手にすることのできないことである。例えば、オール3でも可能なのは、それだけの知能があったからである。指導しても「それだけの」知能がなければまずだめである。良質の知能は時として示される理解力によって私の深奥に響く。この子は「知能が高い」と私の中の直感が教える。実はこの直感は、すでに小学にその芽を見ることができる。竹の会で都立西に合格した2人はすでに小6時に私をしてその知能の高さに驚嘆せしめていた。小学時にそれなりの知能がなければ中学で成功することはない。小学で見合う知能がないのが原因でできない子が中学で成功する道理はない。それが現実である。
良質都立とは、どの程度の都立を言うのか。
渋谷区だと、都立駒場、都立新宿が基準となる。都立富士、都立青山、都立戸山、都立西、都立小山台といったところであろうか。竹の会からは今年都立文京に合格しているが、ここも合格するには最低でもオール4以上は必要である。オール4以上が前提で、あとは5を何個そろえられるかで決まる。都立西や都立日比谷だとオール5ばかりの子が競うことになる。いずれも推薦の合格基準は5が7個以上は必要と思われる。このような勉強強豪校に受かる人というのは、9科目すべてに悪くても80点以上、ほとんどが90点以上をとる人たちである。そして、公立中には必ずこのような優等生がいる。実はトップ都立というのは、そういう人たちのためにだけある入試である。
ところで単願推薦といったが、私立高校というのは今では定員の50%について、推薦合格させる。一般入試50%である。そして専修大や日大系クラスの推薦は、5科目オール4以上が合格基準とされている。これはこれて中々大変である。もし専修大クラスを一般で受けるとなると50%の枠で競うのでそれだけ厳しい。昨今は、少子化で定員を確保できない私立が増えており、低偏差値私立が特進クラスや特待生制度により比較的内申のいい生徒を取り込むことが流行っている。公立で「勉強しない」か、「能力のない」生徒は畢竟偏差値50前後以下の私立校へと進学するのがほとんどである。こちらは事実上無試験で入れる。が、中学でほとんど勉強らしい勉強をしてこなかった生徒たちがこのような高校へ入ってまともに勉強するとはとても思われない。特に比較的知能は高かったのに怠けたためにこのような高校へ進んだ子というのは、退学する傾向が強いと思われる。
公立中に進んで9科目オール4以上という子はそんなにはいない。英語はできるが数学は弱いとか、数学はできるが英語は弱いとか、国語が弱いとか、理科が弱いとか、音楽がダメという弱点を抱えた子たちで溢れかえっているのが公立中である。その中にあって9科目すべてに4以上わとる子のみが将来を約束される。それが公立中の現実である。
漠然と公立中に進み漠然と都立駒場や新宿に憧れるのは勝手だが現実は甘くはない。
竹の会では、中1時オール3だった子を中3時にオール4以上に導いたという事例は枚挙に暇がない。いや5の個数を増やすのは竹の会では当然の仕事であった。そういう成功事例の子たちというのは、「勉強に真摯に向き合う」子たちである。公立中の罠に嵌まる子たちがほとんどの中で、真摯に勉強に向き合った結果、良質都立合格を勝ち得た子たちであった。すべての子たちが手にすることのできないことである。例えば、オール3でも可能なのは、それだけの知能があったからである。指導しても「それだけの」知能がなければまずだめである。良質の知能は時として示される理解力によって私の深奥に響く。この子は「知能が高い」と私の中の直感が教える。実はこの直感は、すでに小学にその芽を見ることができる。竹の会で都立西に合格した2人はすでに小6時に私をしてその知能の高さに驚嘆せしめていた。小学時にそれなりの知能がなければ中学で成功することはない。小学で見合う知能がないのが原因でできない子が中学で成功する道理はない。それが現実である。