草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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マインドセット

2008年06月29日 19時51分30秒 | 
タイトルは朝日の書評欄に紹介されていた本の書名です。副題として「ものを考える力」とある。書評では「跳び箱の跳び方について, 手足の使い方などノウハウを細かく書いた本と, 思い切り踏み切ったら空を飛ぶように跳ぶと意識の持ち方を伝える本とでは, つい手にとるのは前者だが, 本当に跳べるようになるのは後者だ」とある。ノウハウ本というのは, 内容がなくて読む気がしないのだが, この書評はうまい。実際買って読んではみたものの内容はやはりなかった。ノウハウ本というのは帯に書かれたキャッチコピーとか書名がその内容のすべてでそれ以上の内容はない。週刊誌の広告の見出しがそうであるように。勝間和代氏が速読しているのを見て笑ってしまった。ノウハウ本ばかり読んでいるのも笑えた。しかし, 朝日の書評の書き出しはうまかった。なにか真理みたいなものがある。いやあるように思ってしまう。
 ゴルフ(やったことはないのですが)のレッスン番組はかなり見ていてきつい。手首がどうだとか足の位置がどうだとか姿勢がどうだとかいろいろ指示がうるさい。人間の意識などというものは, 一度に複数の命令はこなせないようにできている。手首のことを考えながら足の位置を考えながら姿勢のことを考えながら一瞬のうちに体が動かせるわけがない。できないことを理論にのっとってと言わんばかりに説く。ウィンブルドンを見ているとテニスの一流選手たちが精神的なところから崩れていくことがよくある。人間というのはほんとうに意識的なものの影響からは逃れられない。ゴルフのパットもメンタルなところでなかなかメジャーになれない。「思い切り踏み切ったら空を飛ぶように跳ぶ」ように意識すると何か跳べそうな気がする。体を動かすスポーツならこういう説明の方が頭にすっと入るような気がする。人間が1つのことしか命令できないという事の理にもかなう。高校のころ柔道をやっていた。近くの道場に練習に行ってた頃, たまたま全日本レベルの人に指導を受けたことがあった。背負い投げをかけようと何度も試みた。あまり空振りに終わるので, その人がひとこと言った。「うでを相手の胸にぴったりとくっつけてそのまま相手のふところにはいりこめばいいんだ」。これが私が背負い投げに自信をもつようになった秘密であった。高校の柔道場で面白いように背負いが決った。教えるのはひとつのことでなければならない。それが人間にいちばん自然に入る。
 さて, 勉強ではどうか。前回は「変化という技術」について触れた。これも1つ1つの変化をマスターするまで繰り返すという人間の意識の性質にかなった指導ということである。とにかくまず1つをマスターさせるということである。何かをやるというとき, 脳が命令できるのは1つの命令だけである。が, 1つの命令が終われば, 次の命令も出せる。つまり同時に命令はこなせないが, 1つ1つを順番にならこなせる。指導というのは実はこういう理屈にのっとっている。子どもを指導するのにひとつの命令から次の命令という具合に命令を時系列にこなさせることは可能ということである。
 子どもを指導する極意は, 1つの命令のみを実践させるということである。決して一度にいろいろな命令を矢継ぎ早に繰り出してはいけない。子どもはすぐにパニックをおこす。
 さて, それでも「思い切り踏み切ったら空を飛ぶように跳ぶ」というような説明には何か夢を感じる。それは一瞬で何かをするときに意識におおまかなイメージをあずけて細かな動きはすべて意識のなせる技にまかすということである。意識がイメージ通りに動くかは普段の地道な練習が不可欠であろう。
 人間というものは意識の持ちようでどうにでもなるというところが確かにある。とすればだ。指導という次元でもこの意識のもっていき方というのは, かなりに重要なはずである。意識のもっていきかたでわかったりわからなかったりするということもある。
実は, 日々の指導というのは, 子どもたちの意識との触れ合いを通じて彼らに意識の方法をつまりはものの考え方というものを形成していくことなのではなかろうか。意識というものは形のないものである。人間は1つのことを「思う」。その形のない意識に思考の枠組みを作る。一つの枠を作り, その枠を基礎にまた1つの枠を組重ねる。そういう骨の折れる作業である。次第に立体化していく思考の枠組みが構築できるかが指導の難しさである。こうしてみると指導による思考作りというのは, 形のない意識世界を相手に目に見えない思考枠組を作り上げるということである。私は思考枠組を作るということにこだわってきた。問題の解き方を教えるのではなく, その問題を考える思考を作るというのが私の指導コンセプトである。塾といえば, 問題集を用意してその解き方を教えてくれるところだと信じて疑わない親子には竹の会を理解してもらうことは不可能に近い。竹の会の子どもたちが成績がいいのは, 私が問題の解き方を教えたからではなく, 彼らが自ら解いたからにすぎない。そして私が指導するのは問題の解き方を教えることではなく, 問題が解けるように意識を作り上げることである。その意味で「マインドセット」という言葉はこれから竹の会の指導の指標として使えそうだ。
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