草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

2010年 12月31日 快晴

2010年12月31日 10時55分43秒 | 
 穏やかな冬の朝です。太陽がゐる冬の朝がなんとも心安らぎます。居間のある部屋からガラス越し見える少し白がかった青空がまぶしい。
 久しぶりの休みの日を大事に大切にと思い押し抱くように大切に思う。心おきなく体を伸ばし, 買ってまだページも開いたこともない本の数々に初めて手を差し出す。
 今年は都立両国中と桜修館に合格し, 私には別の思いから感動的な年でした。竹の会のような小塾には大手志向の秀才がやってくることはまずありません。ほとんどが普通の子たちです。数年前までは私立中全盛期で受験と縁のない子たちはたいてい公立中へ進みそれから高校入試という道に進みました。
 竹の会を訪れる子たちはほんとうに普通の子たちでした。その中には大手に一度は通ったがどうも「違う」とか「合わなかった」という子たちもよくいます。大手に懐疑的な親御さんが竹の会へくるということはよくあったと思います。
 ところでここ3, 4年で首都圏の受験情勢は大きく変わりました。公立中高一貫校ブームがそれまで受験と縁のなかった子たちを一気に取り込んでいったのです。今でこそ大手は武蔵コースなどと公立中高一貫校コースを謳っていますが, 大手はもともと私立中のノウハウしかなく全くの素人でした。都立適性検査がスタートした2年の19年に竹の会は幸運にも区立九段中等教育学校へ1名の合格者を出しました。その時から竹の会では都立中合格のための本格的な指導研究に取り組み始めたといっていいと思います。当時まだだれも決定的なノウハウを持たなかった時代に, 竹の会では様々な草分け的な指導法を展開してきました。九段に合格者を出した翌年の20年には都立桜修館に1名合格者が出ましたが, 公立小の子どもたちの勉強に対するモチベーションは低く, 親の認識も受検にはあまりにも程遠いものでした。20年は竹の会には受検生は8人はいたはずです。しかし, 受かったの1人だけでした。ほとんどの子が早くて小5の終わり, たいていは小6になった4月から7月に受検勉強を始めたのです。そしてほとんどの子が分数の計算の初歩から手ほどきしなければならないという状況でした。子どもの習い事やスポーツそして旅行を優先させるなど親たちの受検認識も浅く甘いものでした。それまでに何もしてきていない, 塾も初めてという子ばかりでした。このときの失敗で私は安易に小6の子を受け入れることの愚を悟りました。小4から指導しておかなければダメだと確信しました。
 翌年の21年はパスした年です。私は当時の小4と小5を対象に22年受検に向けての指導研究に専念しました。この間様々なレジュメを発明開発して子どもたちの能力開発に全力で取り組んできたのです。
 22年都立一貫校志望者は竹の会では4名いました。そのうち私の過去問指導法を忠実に実行したのは2名のみでした。特に桜修館に合格した子は11月には過去問指導法の理想形を完成させていました。過去問指導法を中途半端にしかやらなかった1名は落ち, 途中放棄した1名も落ちました。過去問指導法はその忠実な実行者にのみ有効でした。そしてその威力は恐るべきものでした。両国に合格した子は小3の2月入会です。しかし, 小4まではほとんどただ通っているだけというのが正直なところでした。彼が本格的に勉強に取り組んだのは小5の夏からではなかったでしょうか。
 20年は公立中高一貫校を受けたいといえばだれでも受け入れましたが, 私は20年の苦い失敗から, 小4をとることにこだわってきました。さらには勉強に対するモチベーションの旺盛な子をとるようにしています。勉強意欲の低調な子は怯まず退塾を勧告してきましたし, 実際そのように実行もしました。
 「勉強意欲の低調な子」「勉強に対する向上心のない子」というのは指導していて虚しさばかりを味合わなければなりません。指導はいつも肩すかしに合い, 空ぶりに終わるのです。指導における充実した精神がいつも打ち砕かれるのです。そういう子が, 竹の会にいる理由は全くありません。これだけは絶対の前提だと思っています。だからどのようなしがらみがあったとしてもたとえ教育熱心な親御さんの懇請があったとしても「勉強しない小学生・中学生」を指導する気持ちだけは絶対あり得ないことだと思っています。
 22年の両国中合格と桜修館の合格は私には特別の思いがあったのです。ただ両国合格者が一度は私の過去問指導法を放棄したときには正直慌てましたし, 不合格も覚悟しました。
 大手というのはやはり世のお母さんたちには大変引きつけられる何かがあるのでしょうね。
 
○「草枕」のこと
 冬は時間に追われてなかなか書く時間がとれません。また読書ができないこともさらには思索ができないことも書けない理由です。それでもたくさんの読者の皆さんのことを考えると休めないと思い原稿ページを開き呻吟します。

○年賀状のこと
 会員の皆さんには喪中の方を除いて全員に差し上げています。今年は特に夏休みの終わりに1mmの丸刈りにしたときの写真を載せました。どうか笑わずに読み捨ててください。私の1mmカットは現在家族から強い禁止命令を受けていますので希少写真です。今年の夏に1mmカットで帰省したとき, 父は違和感を持ったようですが, 県庁に合格したばかりの甥が「武田信玄に似ている」と言うと高齢の父も急に合点したようで今度はやたらニコニコしていました。私も事あるごとに両手を合わせて「南無~」「かかれ~」などとやりましたのでまあ笑い飛ばして終わりということでした。
 塾では女の子が私の頭を見てギョっとしたあと声を殺してくすくすと2時間ほど笑い続けていましたっけ。私はその度に合掌して「南無~」と唱えたものでした。
 来年が皆さんに取りましていい年となるようにとお祈りしつつ晦日の夜を過ごしたいと思います。
 
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