草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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合否は最初から予測できていた

2013年03月31日 09時24分31秒 | 
 わたしには「この子は受かる」という独特の勘があると思います。知能の高い子に出会ってもこの勘が「危ない」というサインを出すこともよくあることでした。知能が高ければ受かるというようにはなっていない。それだけではダメということです。性格というのもかなりに大きいと思うのです。感情の起伏の激しい子というのはやはり受かりにくいのではないかというのが経験です。情緒が安定しているにこしたことはない。しかし、試験直前はほとんどの子が情緒は不安定になるものです。その中でも「自信」という精神状態、「信頼」という精神状態というものが、この不安な精神状態を吹き飛ばすに威力絶大であることは疑いありません。
 わたしが「落ちる」と思うのは、「解けない」というその事実のありようにあります。自分の頭で「解いている」という事実の積み重ねが「ない」子は、まず99%落ちると思います。悪い兆候というものもあります。本来ならば、せいぜい5~10分ほどで解けなければならないのに、これに1時間以上かかったり、そういうことが頻繁にあるなら、その子は「落ちる」蓋然性がかなりに高いと云えます。あるいは、作文がどうしてもAがとれる常態にない子というのも「落ちる」蓋然性の高い子です。わたしは、子どもたちの作文を添削するとき、A~D4段階の評価をしています。Aが「合格」作文です。Bは「可」です。Cは「不可」です。Dは「論外」です。わたしからAをとった子は作文で落ちることはありません。その点は信頼してくださってけっこうです。
 わたしはかつて都立国際高校開設の年に、渋谷区で各中学から7名ほどが校長推薦を得て、臨んだ推薦試験において、作文指導をした子を受からせたことがあります。あの年は作文勝負でした。21倍の難関でした。それも合格者は渋谷区で1名だけでした。その1名が竹の会から出たのです。
 よく都立中受検志望の母親が見学にきて、「作文はどうなっているのですか」と不安げに訊くことがありますが、いろいろ不安なことばかりなのでしょうね、たいてい大手に行ってしまいます。大手なら作文も安心とでも考えているのでしょうか。わたしから言わせれば「笑わせる」と思うのですが、わたしは何も言いませんね。
 これはもちろん高校入試でも変わらない。数学が「解けない」子は、落ちる可能性が非常に強いと言えます。また、英語はできてあたりまえの科目です。都立でしたら、V模擬で90点以上とってあたりまえです。英語というのは、知能が高いから「できる」とか、いうようにはなっていない科目です。知能は普通でも、あるいは数学が苦手な子でも、努力を怠らない子は英語はできます。もし数学は普通以上なのに英語ができないという生徒がいるとすれば、継続的な努力を怠ってきたからです。そしてそういう子はすでにして見込みはありません。英語という科目は、中1で、いや正確には、中1になる前の2か月で決まります。最初で英語を勉強する習慣をつけた者が、その者のみが残るのです。英語こそ「習慣」の科目です。頭の良し悪しは一切関係ありません。だから、英語はできてあたりまえで、そういう前提で、数学勝負ということです。
 都立の国語は、まず易しいです。これが独自校の国語だといきなり難しいですね。中学で国語のできる子というのは、わたしの経験では、本好きな子が多いですね。国語ができないという子に限って、ほとんど読書してないようです。これも語学ですから、習慣の科目ですが、母国語ということでなめてかかっているわけです。
 漢検は2級をとるのがベストです。それも中2までにとることです。中3になったら忙しくてなかなか時間がとれないからです。昨今は小6でも2級という子がいますから、真剣にやればとれなくはないはずなんですが、中学生はなかなか勉強に専念できない環境があり、そういう環境に振り回されて、自分を見失う子が多いということです。
 わたしの内心では、合格不合格は怜悧に結論が出ていました。ただわたしは竹の会の子たちにはやはり受かってほしいと思います。それで何か奇跡でも起こればと思うわけです。でもいつも奇跡は起きませんでした。やはりわたしの怜悧な判断のとおりに結果が出てしまいます。今年白鴎に合格した子のお母さんから、「先生は、なぜうちの子が受かると思ったのですか。やはり漢検2級をもっていたことですか」という質問がありましたが、「レジュメのやりとりですね」と答えました。指導のときに「不安」を見る子と、「わたしに合格を予見させる」子というのがいるのです。わたしは、後者の子に遭遇すると、思わず「あなたは合格する可能性が高い」とか、「あなたは合格すると思います」などと言ってしまうのです。そしてわたしがそう言った子というのは、これまで100%合格しています。これはわたしにも不思議なことなんですが、わたしにそう言わせる子というのは、素直でわたしの指示をまるで神様の言葉のようにきちんと健気に実行している、それでわたしのほうも「なんとかこの子を受からせなければ」といつも思っているということがあります。
 わたしは男子にはよく「解き直しはちゃんとやっているのか」とか、「作文はどうした」などと訊きます。女子はそれをしっかり聞いていて、あるときわたしのところにそっとやってきて、ポツンと「先生、今4回目終わりました」と小声で報告するのですね。わたしは自分の気持ちがちゃんと届いていたことを知ってとてもうれしいんですね。それで「この子をなんとか受からせてあげなければ」と真摯に思うわけです。合格する子というのは、控えめな子がほとんどなんです。これも不思議な共通点です。わいわい騒ぐ子というのは受からないですね。
 自省的で、謙虚な子というのがやはり合格するタイプということなのでしょうか。
 早実に合格した鈴木君は、知能は卓越していましたが、謙虚で穏やかで、わたしに対する信頼は絶対的でしたね。彼もあの年は渋谷区で唯一の早稲田実業合格者だったんですよね。代ゼミの模試でも全国順位の上位者に名前を乗せて、竹の会の名前を知らしめてくれました。
 最後に、鈴木英治の小説の一節です。
 「あいつのひらめきが事件を解決したようにいわれているが、ひらめきというのではなく、あいつが必死に考え続けて最後に残ったものがそう呼ばれているのでは、とわしは思っている」。
 「ひらめき」というのは、「必死に考え続けて最後に残ったもの」というのが、 示唆的です。
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