おはようございます。今日も五月晴れです。朝の空気はまだ爽やかでこの季節がいつまで続くのか今日もこの季節を大切に生きたいと思います。
今日は平成20年以降の竹の会の高校入試を振り返ってみました。思えば中学生の公式募集を止めたのが平成17年あたりではなかったかと思います。以後の竹の会にはそれまでにいた中学生と年に一人か二人の小学生からの繰り上がりの中学生がいるだけでした。
平成20年から竹の会の合格者を書き出してみました。
平成20年 都立西高校(豊島岡女子合格) 桐蔭学園理数(立教新座合格)
平成22年 都立富士高校(女子)
平成23年 都立小山台高校(女子) 都立文京高校(女子) 都立産業技術工業
平成24年 都立北園高校(女子)
平成26年 都立駒場高校(女子)
平成27年 都立戸山高校
さて、思い返してみれば、正直一つとして楽をして合格した高校はありませんでした。
推薦合格も実質倍率は4、5倍にもなり、結果が出るまで予断を許さないものでした。
上記の中では、平成22年の富士と24年の北園が推薦合格でした。富士のときも北園のときも、いわゆる内申型優等生で実力的に無理と判断していたため、推薦で落としたら後がないという危機感がひしひしとありました。いずれも高い内申が有利にはたらき無事合格を勝ち取ることができました。富士の子は素内申42/45、北園の子は、素内申45/45でした。北園の子は某私立中学で3年間学年1番、竹の会で小5、6を過ごした子でした。
平成27年、つまり本年の戸山合格者も小6の1年間竹の会で鍛えた子でした。都立両国高校附属中に失敗しました。その後竹の会に通うことになり今回の結果となりました。
合格への道は平坦ではなかった。
直前の12月には、「日比谷を受験したい」というのが、本人家族の希望であり、それに向けて勉強することとしました。しかし、正直内申が足りない。彼の通っていた中学は男子の内申が厳しく学年トップクラスの男子でも40と聞いております。内申が40に何個か手の届かない子が日比谷に挑戦するというのです。これほど厳しい選択があるでしょうか。もし都立を落とせば彼の場合は滑り止めの久我山に行くことになる。苦しい選択でした。
12月の過去問練習では、英語の長文が時間内に読み切れない、ことが判明します。わたしは偏差値70の長文テキストをとにかく冬期に7回回すことを命じますが、ほかにやることが多くて結局やれませんでした。作戦として、英文を読まないで、設問から関連する英文の前後のみを読むことにしました。また、英文は、スラッシュを入れながら読む、というような戦略も取り入れました。
今年はリスニングが難しかったようで、これまでのようにNHK基礎英語だけでは難しくなりました。
英作文は早くから対策をとってはきたのですが、やはり難しい。
ショックだったのは、数学がほとんど時間内に解けないことでした。わたしは去年の生徒が、やはり日比谷を受けるというとき、独自問題数学の解説レジュメの執筆を始めたのですが、結局日比谷は無理と判断して、そのレジュメも制作中断していました。
今年はそのレジュメ執筆を再開して、とにかく独自校の過去問を突き詰めようと決めました。それで暇さえあれば日比谷などの過去問を解いてはこつこつとレジュメにまとめていったのです。「第1集50問」が、完成してそれを7回解き直しさせました。
さらに「第2集」は、40問近くまで執筆して、時間切れでした。彼の希望で、作図問題と確率の問題のみを特集したレジュメも作りました。
こうして彼は本番ではあの難しかったと言われた、今年の戸山の数学で7割近い得点をとることができたのです。
国語だって大変だった。200字作文が難しいので、これについても、200字作文だけレジュメ化して、わたしの模範答案を制作して、学ばせました。本番では作文はばっちりだったと言っていました。
理科と社会は、私の一押しのテキスト(薄いテキストです)を中2の夏あたりからやらせてきました。こちらは早くに手を打ってきたのです。
1月のV模擬では、お腹を壊したということで、数学は壊滅で、判定は「E」でした。
こういう状況で、彼は都立本番へと臨んでいったのです。決して余裕をもって臨んだということはなかった。内申は他の受験生に比べてかなり悪い。内申が悪い分、高得点をとらなければならない。
わたしが都立本番の日から発表の日までどのようにして過ごしたか、苦しい日々でした。
高校受験は、少なくとも竹の会の受験生たちは、常にチャレンジャーであり、楽して受かったことはありません。
わたしはいつも「戸山に行きたい」「日比谷に行きたい」という言葉でそれを可能にするべくあれこれと腐心してぎりぎりの苦しい選択、指導をしてきたのです。
真実はいつも薄氷を踏む思いであった。しかし、竹の会の神様がいつも助けてくださった、そう思っています。
思い出せば、みなそれぞれに薄氷を踏む思いの合格でありました。
こうして一人の失敗もなく、合格者として掲げることができたのは幸運であったとしか言いようがありません。
平成27年都立戸山高校の掲示板(3月2日)
今日は平成20年以降の竹の会の高校入試を振り返ってみました。思えば中学生の公式募集を止めたのが平成17年あたりではなかったかと思います。以後の竹の会にはそれまでにいた中学生と年に一人か二人の小学生からの繰り上がりの中学生がいるだけでした。
平成20年から竹の会の合格者を書き出してみました。
平成20年 都立西高校(豊島岡女子合格) 桐蔭学園理数(立教新座合格)
平成22年 都立富士高校(女子)
平成23年 都立小山台高校(女子) 都立文京高校(女子) 都立産業技術工業
平成24年 都立北園高校(女子)
平成26年 都立駒場高校(女子)
平成27年 都立戸山高校
さて、思い返してみれば、正直一つとして楽をして合格した高校はありませんでした。
推薦合格も実質倍率は4、5倍にもなり、結果が出るまで予断を許さないものでした。
上記の中では、平成22年の富士と24年の北園が推薦合格でした。富士のときも北園のときも、いわゆる内申型優等生で実力的に無理と判断していたため、推薦で落としたら後がないという危機感がひしひしとありました。いずれも高い内申が有利にはたらき無事合格を勝ち取ることができました。富士の子は素内申42/45、北園の子は、素内申45/45でした。北園の子は某私立中学で3年間学年1番、竹の会で小5、6を過ごした子でした。
平成27年、つまり本年の戸山合格者も小6の1年間竹の会で鍛えた子でした。都立両国高校附属中に失敗しました。その後竹の会に通うことになり今回の結果となりました。
合格への道は平坦ではなかった。
直前の12月には、「日比谷を受験したい」というのが、本人家族の希望であり、それに向けて勉強することとしました。しかし、正直内申が足りない。彼の通っていた中学は男子の内申が厳しく学年トップクラスの男子でも40と聞いております。内申が40に何個か手の届かない子が日比谷に挑戦するというのです。これほど厳しい選択があるでしょうか。もし都立を落とせば彼の場合は滑り止めの久我山に行くことになる。苦しい選択でした。
12月の過去問練習では、英語の長文が時間内に読み切れない、ことが判明します。わたしは偏差値70の長文テキストをとにかく冬期に7回回すことを命じますが、ほかにやることが多くて結局やれませんでした。作戦として、英文を読まないで、設問から関連する英文の前後のみを読むことにしました。また、英文は、スラッシュを入れながら読む、というような戦略も取り入れました。
今年はリスニングが難しかったようで、これまでのようにNHK基礎英語だけでは難しくなりました。
英作文は早くから対策をとってはきたのですが、やはり難しい。
ショックだったのは、数学がほとんど時間内に解けないことでした。わたしは去年の生徒が、やはり日比谷を受けるというとき、独自問題数学の解説レジュメの執筆を始めたのですが、結局日比谷は無理と判断して、そのレジュメも制作中断していました。
今年はそのレジュメ執筆を再開して、とにかく独自校の過去問を突き詰めようと決めました。それで暇さえあれば日比谷などの過去問を解いてはこつこつとレジュメにまとめていったのです。「第1集50問」が、完成してそれを7回解き直しさせました。
さらに「第2集」は、40問近くまで執筆して、時間切れでした。彼の希望で、作図問題と確率の問題のみを特集したレジュメも作りました。
こうして彼は本番ではあの難しかったと言われた、今年の戸山の数学で7割近い得点をとることができたのです。
国語だって大変だった。200字作文が難しいので、これについても、200字作文だけレジュメ化して、わたしの模範答案を制作して、学ばせました。本番では作文はばっちりだったと言っていました。
理科と社会は、私の一押しのテキスト(薄いテキストです)を中2の夏あたりからやらせてきました。こちらは早くに手を打ってきたのです。
1月のV模擬では、お腹を壊したということで、数学は壊滅で、判定は「E」でした。
こういう状況で、彼は都立本番へと臨んでいったのです。決して余裕をもって臨んだということはなかった。内申は他の受験生に比べてかなり悪い。内申が悪い分、高得点をとらなければならない。
わたしが都立本番の日から発表の日までどのようにして過ごしたか、苦しい日々でした。
高校受験は、少なくとも竹の会の受験生たちは、常にチャレンジャーであり、楽して受かったことはありません。
わたしはいつも「戸山に行きたい」「日比谷に行きたい」という言葉でそれを可能にするべくあれこれと腐心してぎりぎりの苦しい選択、指導をしてきたのです。
真実はいつも薄氷を踏む思いであった。しかし、竹の会の神様がいつも助けてくださった、そう思っています。
思い出せば、みなそれぞれに薄氷を踏む思いの合格でありました。
こうして一人の失敗もなく、合格者として掲げることができたのは幸運であったとしか言いようがありません。
平成27年都立戸山高校の掲示板(3月2日)