草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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誤解

2008年07月16日 11時43分17秒 | 
 今の中学の学習は親や子に大いなる錯覚をもたせているような気がしてしょうがない。中1・中2は大過なく過ぎる。大過なくというのは, それほど学校で悪い成績もとることもなくという意味である。評価が絶対評価に変わって, 通知表の3は個人の到達度の問題とされ, もはや友達との能力の違いではないとされる。事実4を取る子が増え, 少々悪くても3はとれるという状態が日常となる。これで親も子も平和である。特に成績が悪いと悩むこともなく親は成績に関心が薄れがちである。実力はなにもついていないのに。中1・中2の易しい問題をこなせば, それで4がとれる。が, 中3になるとそうはいかない。いくら平易に問題を作るとしても, 限界がある。平方根といい多項式といい因数分解といい, 中2のように平易なレベルでごまかすことも限界である。内容そのものがもともと難しいのに加えて, 高校入試という現実が入り込んでくる。平易な問題でごまかせるのは中2までである。高校入試の問題は, いくら絶対評価だといい, 「ゆとり教育」だといって, 別に平易化されたわけではない。それどころか都立独自校の数学・英語・国語の問題は難関私立並である。ここに大きなギャップがある。それまで部活に一生懸命で勉強はそこそこと過ごしてきたつけがここで一気に噴出する。高校入試という現実にはごまかしは効かない。学校空間ののんびりとした空気に騙されてはいけない。冷静に考えればわかることである。中1・中2こそきちんと勉強しておくべきなのである。中3になって英語の基本が出鱈目という悲劇を何度となく見てきた。中には大手に目いっぱい通っていたという子も多い。この子たちは中1から目いっぱい勉強していたのであり, その失敗の原因は別のところにある。大手は優秀な生徒にはいいのかもしれない。しかし, たとえばかなり知能の高いと思われる子でも, 3人称単数現在のSをミスなく体現できるようになるには, 夥しい数の練習をこなさなければならない。しくみが頭で「わかった」というのではだめなのである。だから中1・中2の時期は百人いたら百種類の微妙な指導調整が必要なのである。一律に知識を与えただけでは何も解決されない。指導というのは, ひとりの子の理解状況をみて, 何を指導するかを決める。さらにその上でその出来不出来を見て, 微調整する。微調整の連続である。こうして夥しいレジュメで理解するまで考えられる手段を駆使する。それでも理解してもらえなければまた悩む。悩んで解決策を見つける。こういう指導のための連鎖が積み重ねこそが指導の本質であり日常である。こうした努力もしないでただ「与える」だけの大手で過ごしてきたつけは大きい。特に英語という科目は中3になっての付け焼刃ではどうにもできない。積み重ねが大切な科目である。
 中3になって成績が下がるのには理由がある。それまでの内容とは質・量ともに高度になるからである。その高度な内容についていけないということである。それまでの悠久とした生活がもたらす弊でもある。ここは認識を新たに見据えてほしい。中1からきちんとした指導を受けなければだめだということである。
 子どもたちを指導しているとどうも「読む」のが苦手である。読んで理解するという基本が訓練されてない。いきなりノートにまとめるというのは, 感心できない。やはり読んで内容を理解する。理解できなければ何度も読む。内容に疑問が起こらないのがまた近頃の子どもたちである。読んで「なぜ」と思わない。これは実は内容を何も理解していないということである。活字をなぞっただけということである。ひとつひとつの文章に反応して疑問が湧き上がるというのが読んでいる証拠である。文章を素通りしているだけで「読んだ」といい平然としている。書いてあることに何もひっかかりはなかったのか。それはおかしい。「読む」ということの意味がわかるまで「読ませる」しかない。そのうえで私はリトマス試験紙的な質問を浴びせることになる。「読む」指導こそ急務のような気がする。
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