草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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与謝野馨は原発の化身

2011年05月21日 22時23分59秒 | 
 なぜ与謝野馨という本来国民に見放された自民党政権の中枢にいた男が民主党で経済財政担当大臣になっているのか、不可解この上ない。さてその与謝野が、20日の記者会見で、次のような発言をしたという。
 「(福島第1原発事故にについて)神様の仕業としか説明できない。神様の仕業とは自然現象だ。人間の予想や知恵をはるかに超える津波が起きたのは自然現象であり、あたかも原子力事業者が事故の発生原因まで責任を負わなければならないという言動があるのはおかしなことだ」
 注 産経新聞は、「過剰な東京電力批判に疑問を呈した」とコメントしている。
 15日の閣議後の会見
 「今後も日本経済にとって、電力供給にとって、原子力発電は大事だ。(原発を)推進してきたことは、決して間違いではない」
 注 朝日新聞は、東京電力福島第1原発事故を受けても原子力は必要なエネルギー源との認識を示したものとコメントしている。
 「(原発の安全性について)言い分けがましいことは言いたくないが、最良の知見、最善の知識、最良の技術でベストなものを当時は作ったと確信していた」(原発を推進してきた立場として今回の事故に謝罪するつまりはないかとの記者の質問に「ないです」ときっぱり言った。
 注 与謝野は日本原子力発電出身で、自民党では通産相などとして原発を推進してきた一人である。1963年東大法卒。母の知人である中曽根康弘の紹介で日本原子力発電に入社している。社内では、技術部に配属された。英語専門文献の翻訳、米国での資金調達、原子力保険といった金融業務に従事したとされている。政界入りのきっかけは民社党の調査団に社命で随行したときとされている。渡邊恒雄を通じて中曽根の秘書になったとされている。中曽根は日本の原発の強力な推進者であったことはもちろんである。

 与謝野は4月22日、福島第1原発事故に関連し、「日本中どこの地域を探しても環太平洋火山帯の上に乗っている国だから地震が多いというその運命は避けようがない」と述べて、原発推進の立場から地震が多いことは原発を止める理由にならないとの考えを強調した。そして「将来とも原子力は日本の社会や経済を支える重要なエネルギー源であることは間違いない」と語り、あくまでも原発を続けるべきだとの考えを示した。

 「人間の予想や知恵をはるかに超える津波が起きたのは自然現象」であるから、東電には責任はないと言っているようですが、そういえばそんな主旨のことを言っていたジャーナリストもいました。今回の地震については、マグニチュード9.0という数値についてもこれまでの計算法を変えて過去の地震との比較を困難にしていますが、それは措いておいても、まず、同じ津波被害を受けた女川原発が間一髪で重大事故を免れたこととの比較が指摘されています。そもそも福島第1原発には、様々な構造上の欠陥がそのままに放置されたまま運転されており、地震や津波対策が不十分として東電側に改善の申し入れが再三行われてきたという経緯があります。一切の指摘を一笑に付し不作為を囲ってきたのが東電の態度でした。人災と言っているのはそのような安全対策を全く講じることもしないで無視してきた東電の不作為を故意あるあるいは重大な過失ある行為と考えてのことでした。
 東電には今回の事故について重大な過失行為があります。それは未必の故意といってもいいと思います。そして私はそういう議論は成り立つとしても、与謝野の「最良の知見、最善の知識、最良の技術でベストなものを当時は作ったと確信していた」という言葉が原発そのものを実は作ってはならなかったということにならないのがおかしいと思うのです。この男の言い分を聞いていると、「最良の知見、最善の知識、最良の技術でベストなものを当時は作ったと確信していた」なら、事故が起きたとしても仕方ないというふうにとれるのですが、まず人間というのは本来誤りを犯すのがおうおうにしてあることであり、予想もしない思い違いやミス、故意行為をするものであるという事実を全く考えていないのではないか。「最良の知見、最善の知識、最良の技術でベストなものを当時は作った」としてもそれだから事故はないとは言えないであろう。それでひとたび事故を起こせば一瞬にして日本は死の島と化すということの危機認識が全くといっていいほど感じられないのである。予想(想定)を超える自然現象は「ない」と考えていることがまず信じられない。人間の知恵というものが予想しうるものなど自然の巨大さ深遠さに比べればほんの僅かでしかない。それなのに人間の予想を超えたらしかたないなどという尊大な考えをとれるのはどこから身についた自然を少しも恐れない尊大さなのであろうか。いくら科学技術が発達したとはいえ宇宙や地球の営みのどれだけのことがわかったといえるのか。そんな程度の科学で予想しうることなど何の役にも立たないことは謙虚な人間ならだれでもわかることである。そういう予想もできない自然現象は確かに突如として人間に襲いかかるのはありうることなのである。千年ないから想定しなくていいということにはならない。ひとたびそういう自然現象に襲われたとき、一瞬にして日本列島全体が滅び去ってしまうような殺人産業を作ること自体がおかしいのである。「日本中どこの地域を探しても環太平洋火山帯の上に乗っている国だから地震が多いというその運命は避けようがない」から原発は作ってはならないというのが、普通の論理なのに、逆に「だから作る」という頭の構造は理解しがたい。まるで地震国では地震を恐れていたら原発は作れないとでも言っているようだ。つまり、原発を作るというまず前提である。頭がおかしいのではないか。原発は、「将来とも原子力は日本の社会や経済を支える重要なエネルギー源」と言っているが、もし重大事故が発生すれば、「将来」などないのに。
 21日のニュースによると、3号機から海に20兆ベクレルという超高濃度の放射性物質を含む水が海へ流れ込んだということを東電が保安院に報告したとされている。汚染水が流出した期間は10日午前2時から11日午後7時までの約41時間と推定されるという。流出量は毎時約6トン、計約250トンとされている。また、3号機建屋の南側で毎時千ミリシーベルトの高い放射線量のがれきが見つかったことも判明したとされる。
 福島第1原発事故が幸いにも今のところ日本列島全体を覆う大事故に至っていないことを何を血迷ったか「事故はまるで終わった」かのように早原発推進論を展開する輩である。これから梅雨時期に入れば千ミリシーベルトのがれきに雨が叩きつけ海に汚染された雨水を流し続けることになる。いやそれ以上につねに日本全体は福島のむき出しになった放射性物質から放出される放射線に晒され続けるのである。台風が来れば、日本だけではなく韓国や中国にもどれだけ放射性物質が吹き飛ぶことであろうか。
 原発作業員がどれだけこれから死ぬかもしれないことを考えたことがあるのであろうか。福島の子どもたちがこれから先どのようなことになるのか考えたことがあるのであろうか。福島や宮城や茨城の農民や漁民たちが原発のためにどれだけ苦しんでいるのか考えたことがあるのであろうか。当面の生計を失った人たちは将来の被曝による死の心配よりも今の生活を心配しなければならない。こんな理不尽がどこにあるというのか。それでも「「将来とも原子力は日本の社会や経済を支える重要なエネルギー源である」などと涼しい顔をして言っていられるのか。もしそうだとしたら、原発という殺人産業の化身としかいいようがない。こんな理不尽な殺人産業である原発を推進するなどということが決してあってはならない。決してあってはならない。決してあってはならない。
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