草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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振替という発想

2012年04月19日 21時59分36秒 | 
 かつて時間を切り売りしていたころよく振替が当然とされていた。規定回数だけ出ないと損をしたという発想である。形式的な帳尻さえ合えばよしとした。たとえば、退塾する際、残りの何回かを出ることにどういう意味があったのか。回数分出席しなければ損をしたということなのであろう。指導というものが将来の見通しのもとに様々な指示をなすものならばもはや止めるという子にいったい何を指導するのか。
 世の中の塾は時間数と費用を対価関係におく。それで1回「いくら」などとまるでものを売る感覚である。しかし、指導というのは、長期的なスパンをひとつの全体として子どもを仕上げていくものであり、決して各回の指導を分断して販売できる性質のものではない。
 竹の会は、指導を時間で小分けして「いくら」という設定はもちろんしていない。竹の会には振替という発想はないのである。いつ来ても長期的なスパンの一環の中の一コマとして指導するだけのことである。指導は連続して一体である。ある回の指導だけ取りだして「いくら」というものではない。各回の指導の質も量も一定したものではない。
 それと誤解してほしくないのは、夏などの長時間指導は決して通常の指導の継続だけではないということである。長時間指導では、通常指導では配布できない高価ではあるが質の高いテキストが配布することができる。、竹の会はテキスト代はとらないためにこうした機会を利用してテキストの費用をふくめるかたちでいいテキストをとりいれるしかない。もちろん長期指導にのみに特に実施配布するレジュメもある。長期指導で配布するレジュメはその後の通常の指導では使うことはない。それはその後の平日指導において不断に新レジュメが配布されるからである。だから長期指導を休めば連続したレジュメの途中がすっぽり抜けることが普通である。こういう事態を避ける意味からも長期指導は必須としているわけである。
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