草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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日々雑感

2011年08月31日 13時58分28秒 | 
 坂岡真(さかおかしん)の小説「ひなげし雨竜剣」の中の一節。   ; 雨上がりの杣道(そまみち)や日だまりに咲く蓮華草、そよ風に靡(なび)く青田や海原に夕陽の転びおちるさま、花木や風、肌で感じる季節の移りかわり。生きてさえいれば、そうした風物に喜びを感じることができる。    福島の原発事故以来、福島の人たちはもちろんのことと思うが、福島第1原発から200km離れた東京に住む私の心は実はいつも晴れないままに悶々としたままであった。「とりあえずの日常」にすがるように今ある日常に埋没していることで「逃れられる」はずのない原発事故の惨禍に憤りをどうしょうもない憤りを心に宿した自分にやや疲れ気味である。坂本信の叙述は言い得て妙である。福島の人たち、いやその周辺、首都圏までも取り込んだ放射能禍は、四季に安らぎを覚えるそれまで日本に普通にあったはずの日常を一瞬にして葬り去ってしまった。もはや「生きてさえいれば、きっとよいこともあろう」とは言えない世界が福島である。「この世への断ち切りがたい未練」が、人間を苦しめる。しかし、それを凌ぐほどの力が震災・原発事故にはあった。震災自殺者が増えているという。  最近は、放射能と付き合う方法みたいな本が目立つ。日本人らしく現状を受け入れてそれとうまく付き合おうという半ばあきらめにも似た従順ぶりである。もちろん国が信用できないし、また何もしないであろうという悲壮感はある。  「この世は理不尽なことだらけじゃ。洪水、地震、火事、飢餓、江戸には人の死が日常茶飯に存在する」と坂岡真は登場人物に語らせる。「政道は腐敗し、悪徳商人は横行し、私利私欲を貪る金の亡者たちがふんどり返っている。富める者はいっそう富み、貧しい者はいっそう貧しくなる。この差を埋めることは難しい。世知辛い今の世で、浪人を雇う旗本は皆無といって過言ではなかろう。雇ってもらった以上は忠誠を誓わねばならぬ。いかに、理不尽な命であろうとも果たし、恩返しをせねばならぬ。根が真面目な者だけに、そう考えたのじゃろう」  現代の政道の腐敗は、利権政党の横行である。悪徳商人とは、東京電力などの電力会社か。差し詰め経産省の役人は、悪代官一味であろうか。私利私欲を貪る金の亡者とは、官僚を言うのであろう。雇ってもらった以上は忠誠を誓わねばならぬ。いかに、理不尽な命であろうとも果たし、恩返しをせねばならぬ。これは、現代の会社、官庁ではたらく真面目な人たちの姿なのであろうか。  坂岡真の小説に出てくる納得の言葉があった。  「跡継ぎは母親に甘やかされて育ったらしく、世間の常識を知らない」  今はさすがに竹の会にはいないが、こういう子どもが竹の会にも時たま紛れ込むことがかつてあったものである。生活がだらしなくて勉強する意思がほとんどないという子は、例外なく「母親に甘やかされて育って」いた。なかには心配のあまり耽溺に近いものがあった。子に甘い母親がそのままに世間知らずの非常識ということもよくある話であった。  子どもたちは、程度の差こそあれ、良くも悪くも、ほとんどが母親の影響を色濃く残す。子どもたちと接して、感じる「母の厳しさ」というものを感じるとなにかほっとする。
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