草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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ストーリーこそ命

2008年04月12日 19時13分36秒 | 
 標題は説明がいると思います。このところ小学生(パスポートのみ)に新小学問題集の理科・社会を単元指定して読んでもらっています。まず自分の頭で説明文を読解することを指示しています。読んでわかるというのが普通のスタイルだと思うからです。なんでもかんでも「まず説明ありき」ではだめなことは自明です。中学入試という目的を設定すると理科・社会も膨大な知識をただ丸暗記するということになりがちです。ところが人間の頭は意味もなく「覚える」ことが無理なようにできています。丸暗記というのは, 小学生から中学生のころがいちばん得意な時期かもしれません。都道府県やその県庁所在地, 山地や平野, 川の名など丸暗記が活躍する場面はいくらでもあります。だがこの丸暗記というのはやはり限界があります。ただ覚えるというのでは必ず壁に突き当たります。私は, 知識というのは, ストーリーによる意味づけができてただ覚えるという空虚感から脳内に存在感を得ることができると思っています。ストーリのない知識は頭に残らないということです。忘れるというのが丸暗記知識の最大の欠点です。しかし, ストーリーで認識した知識はなかなか忘れない。子どもたちは童話や物語の内容はなかなか忘れない。これは内容がまとまったストーリとして認識されたからだと思うのです。問題は知識をストーリー化するのは, やはり指導者がいなければできないということです。私は子どもたちに知識をストーリー化して内在化させるということを考えています。ただやみくもに覚えさせるということでは理科・社会はなかなかものにできないと思うのです。知識は「意味づけ」こそが大切だということです。この意味づけということに関しては詳細な記述は避けたいと思います。今ひとつ私の言っていることが抽象的でわかりにくいであろうとは自覚しています。そこでひとつだけ例をあげて説明してみます。平安時代の建築に寝殿造りなるものがあります。これを貴族の生活のようすとからめた図でみて後は覚えるというのが丸暗記です。しかし, 「なぜあんな建物が必要だったのか」と考えて, あの大広間はいったい何に使うのだろうか。プライベートな部屋はあったのかな。トイレはどこにあるのかな。などと想像をめぐらせます。あの大広間は貴族たちが毎晩宴会をするために必要だったのだということ。実はトイレはなかったのだということ。えっ, どうするの。こういう想像をめぐらしていく。そこからストーリー化(意味づけ)ができあがってくる。このようにして意味づけして認識した知識はなかなか忘れない。ただの丸暗記とは違うのです。ストーリーは自由な想像をめぐらすだけでいいのです。私は新小問をまず読んで「読み取り」という作業をさせていますが, そのうちテーマごとに簡単なコメント文を作らせることを考えています。とにかく自分でできる格闘はしてもらいます。その上で私の作ったレジュメのストーリーを「読み取って」もらおうと考えています。先に知識は膨大だといいましたが, 理科に限っても実は必須の知識, 私流にいえば常識の範囲内の知識はそれほどでもないと考えています。中学入試という目的設定ではなく, 小学生に必要な過不足のない「常識」とはどこまでの知識をいうのかという設定で見ることにすると指導の輪郭が具体的に見えてきます。
 知識というのは, ストーリーで脳に植えつけていく。そして最後は無駄な知識を削ぎ落としていく。ここのところは私は「知識の収斂(しゅうれん)」と呼んでいます。こうはいってみても, 具体的に言わないとなかなかわかってもらえないと思うのですが, これからの竹の会の指導を子どもさんを通して知ってもらえればと思っています。
 
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