ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

侍と呼ばれた男

2005年01月14日 | その他
WBAでスーパー・フライ級とバンタム級(暫定王座)の
2階級を制覇した元世界王者、戸高秀樹が引退を表明した。
以前に患った眼疾の状態が思わしくないためで、バンタム級の
初防衛戦で敗れた試合が結局ラストファイトになってしまった。
昨年3月の敗戦の後、彼の動向のニュースが全く伝わって
こなかったので、どうしてるのかなあ、と思っていたのだが・・・。

宮崎県出身の戸高は、ボクシングを始めたのも日本王者になったのも
宮崎のジムにいる時だったが、その後転機を求めたのか、名古屋の
緑ジム」に移籍し、そこでついに世界チャンピオンとなったのだった。

年齢が近く、地元名古屋の世界王者とあって、僕は戸高のことを
長らく応援してきた。スーパー・フライ級王者時代、レオ・ガメスに
顎を砕かれてKO負けした時には本当に胸が痛んだし、怪我から
カムバックして再起を表明した時には、エキシビジョン(公開
スパーリングのようなもの)を会場まで見に行ったほどだ。
そして宿敵ガメスと階級を上げて再戦、判定勝ちで見事リベンジ
果たした姿に、言葉にならない喜びと感動を覚え、震えたものだ。

打たれても打たれてもひるまず、果敢に前進していくファイトスタイルに、
いつしか「侍」の称号が与えられた。実際は軽やかな身のこなしや
素早い踏み込みなども重要な武器だったのだが、世界レベルでは
相手のパンチをもらわずに勝つなんて至難の業である。戸高といえば
ガンガン打ち合う「魂のファイター」というイメージが強くなっていった。
しかしその激闘の代償は小さくなかった、ということなのかもしれない。

常に熱いファイトで、見る者の心を揺さぶった戸高秀樹。ベストファイトは、
劣勢でスタートしながら、打ち合いでじわじわと挽回して逆転KOに
結びつけたヨックタイ・シスオー戦だろうか。個人的には、当時
「最も世界に近い男」と言われた名護明彦を空転させ続けた試合や、
燃えたぎる闘志とクールな頭脳を融合させたガメスとの再戦なども
非常に強く印象に残っている。

今後は、東京でジム経営をしたいとのこと。頑張って欲しい。