WBAでスーパー・フライ級とバンタム級(暫定王座)の
2階級を制覇した元世界王者、戸高秀樹が引退を表明した。
以前に患った眼疾の状態が思わしくないためで、バンタム級の
初防衛戦で敗れた試合が結局ラストファイトになってしまった。
昨年3月の敗戦の後、彼の動向のニュースが全く伝わって
こなかったので、どうしてるのかなあ、と思っていたのだが・・・。
宮崎県出身の戸高は、ボクシングを始めたのも日本王者になったのも
宮崎のジムにいる時だったが、その後転機を求めたのか、名古屋の
「緑ジム」に移籍し、そこでついに世界チャンピオンとなったのだった。
年齢が近く、地元名古屋の世界王者とあって、僕は戸高のことを
長らく応援してきた。スーパー・フライ級王者時代、レオ・ガメスに
顎を砕かれてKO負けした時には本当に胸が痛んだし、怪我から
カムバックして再起を表明した時には、エキシビジョン(公開
スパーリングのようなもの)を会場まで見に行ったほどだ。
そして宿敵ガメスと階級を上げて再戦、判定勝ちで見事リベンジを
果たした姿に、言葉にならない喜びと感動を覚え、震えたものだ。
打たれても打たれてもひるまず、果敢に前進していくファイトスタイルに、
いつしか「侍」の称号が与えられた。実際は軽やかな身のこなしや
素早い踏み込みなども重要な武器だったのだが、世界レベルでは
相手のパンチをもらわずに勝つなんて至難の業である。戸高といえば
ガンガン打ち合う「魂のファイター」というイメージが強くなっていった。
しかしその激闘の代償は小さくなかった、ということなのかもしれない。
常に熱いファイトで、見る者の心を揺さぶった戸高秀樹。ベストファイトは、
劣勢でスタートしながら、打ち合いでじわじわと挽回して逆転KOに
結びつけたヨックタイ・シスオー戦だろうか。個人的には、当時
「最も世界に近い男」と言われた名護明彦を空転させ続けた試合や、
燃えたぎる闘志とクールな頭脳を融合させたガメスとの再戦なども
非常に強く印象に残っている。
今後は、東京でジム経営をしたいとのこと。頑張って欲しい。
2階級を制覇した元世界王者、戸高秀樹が引退を表明した。
以前に患った眼疾の状態が思わしくないためで、バンタム級の
初防衛戦で敗れた試合が結局ラストファイトになってしまった。
昨年3月の敗戦の後、彼の動向のニュースが全く伝わって
こなかったので、どうしてるのかなあ、と思っていたのだが・・・。
宮崎県出身の戸高は、ボクシングを始めたのも日本王者になったのも
宮崎のジムにいる時だったが、その後転機を求めたのか、名古屋の
「緑ジム」に移籍し、そこでついに世界チャンピオンとなったのだった。
年齢が近く、地元名古屋の世界王者とあって、僕は戸高のことを
長らく応援してきた。スーパー・フライ級王者時代、レオ・ガメスに
顎を砕かれてKO負けした時には本当に胸が痛んだし、怪我から
カムバックして再起を表明した時には、エキシビジョン(公開
スパーリングのようなもの)を会場まで見に行ったほどだ。
そして宿敵ガメスと階級を上げて再戦、判定勝ちで見事リベンジを
果たした姿に、言葉にならない喜びと感動を覚え、震えたものだ。
打たれても打たれてもひるまず、果敢に前進していくファイトスタイルに、
いつしか「侍」の称号が与えられた。実際は軽やかな身のこなしや
素早い踏み込みなども重要な武器だったのだが、世界レベルでは
相手のパンチをもらわずに勝つなんて至難の業である。戸高といえば
ガンガン打ち合う「魂のファイター」というイメージが強くなっていった。
しかしその激闘の代償は小さくなかった、ということなのかもしれない。
常に熱いファイトで、見る者の心を揺さぶった戸高秀樹。ベストファイトは、
劣勢でスタートしながら、打ち合いでじわじわと挽回して逆転KOに
結びつけたヨックタイ・シスオー戦だろうか。個人的には、当時
「最も世界に近い男」と言われた名護明彦を空転させ続けた試合や、
燃えたぎる闘志とクールな頭脳を融合させたガメスとの再戦なども
非常に強く印象に残っている。
今後は、東京でジム経営をしたいとのこと。頑張って欲しい。