書斎(トイレね)のおともに古ーいロッキングオンを持ち込んでいます。
79~87年まで処分せずにいるのですが、
そのバックナンバーの山から発掘されました。
1979年。今から34年前の週間FM!
同じクラスの奴が「FMレコパル」を愛読していて
対抗心から週間FMを購読していました。
ベーヤン!タバコタバコ!!
FMレコパルのビギナー向けのノリが好みだったので本心はレコパルが読みたい!だった。
高校に入り友人と別れてから晴れてFMレコパルにチェンジしました。
(FMfanは大人過ぎた)
当時は中三。今で言う中二病の一年後。
中二病(出典Wiki)
- 洋楽を聴き始める。
- 旨くもないコーヒーを飲み始める。
- 売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
- やればできると思っている。
- 母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
- 社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。
の内、「洋楽を聴き始める」な時期(まぁビートルズは兄貴の影響で小学校から聴いていましたが・・・)
お年玉で買ったラジカセでエアチェックをしていた時期です。
ソニーのモノラル。79年頃はステレオラジカセが欲しくて欲しくて・・
同じくソニーのステレオZILBAPやサースリー、ワンランク下げてゴングなどなど。
晴れて一年後、ダイエーのバイトで貯めたお金で買ったのは何故かシャープのザ・サーチャー。
懐かしいな。とペラペラめくると世はメタルテープ時代の到来。
名機ヤマハのスタモニの広告やDEVOなどなど ^^
まさかこの4年後に「ここ」に就職するとは。。
シントクエコーは私が最初に就職した会社です。残念ながら今はもうありません。
オーディオが好きで、学校から紹介された会社がココでした。
総合家電販売店だったので「オーディオ」売場に配属されたのは奇跡。
18の若造がトーンアームとカートリッジ担当。
オーディオマニアのお客様にバカにされながらも楽しい日々でした。(遠い目)
しかし思いっきりタイアップな広告だな。
一番最初の上司。凄く穏やかでいい人でした。
写真右側は当時秋葉原でも一二を争う視聴室「レインボーホール」。
その後買ったビクターの名器SX-7(白いの)が写ってる!
この人は存じ上げません。
思えば高一年の時に初めて買ったラジカセに外部スピーカーを接続するべく
オンキョーのスピーカーを買いに行ったのがシントク電気本店。縁があったのかぁ。
就職したときは壊されたいましたが、私がいたシントクエコー店の一階にはサテライトスタジオがあり
ロイジェームス「シントク・サテライトアワー」というニッポン放送の公開収録が行われていました。
ロイジェームスというと「Fujiya歌謡ベストテン」を思い出す。。。。
今のようにFM放送局がたくさんある時代ではなく
当時は(私が住んでいる東京では)NHK-FMとFM東京の2局のみ。
いまでは全て廃刊になったFM情報誌は2週間分の放送内容を紹介する雑誌でした。
好みの放送内容、流される曲目を蛍光ペンでチェックしたものです。
なんと満ち足りた時を送っていた事か!
NHK-FMの放送内容は流される曲目すべてを紹介していました。演奏時間まで。
写真のサウンドストリート。もうヤングジョッキーでは無くなっていたか・・・
DJ松任谷正隆!毎晩聴いていたが全く記憶にないぞ。
中学から帰って来て聴いていたのが「軽音楽をあなたに」
この番組でカーズもYMOも初めて聴いた。
写真の回もリアルタイムで聴きました。
エレクトリックライトオーケストラの「Shine A Little Love」を録音したかったのに
ロンドン行き最終列車でガッカリ。
クロスオーバーイレブン。選曲は小倉エージ
TOTOのジョージーポーギー!
今晩は。城達也です
ダーイヤトーン ポップスベストテン!
成田フライトインフォメーション。
今野雄二は相変わらずトーキングヘッズ!
松田聖子さんもやっていた ひとつぶの青春 by グリコ
の歌謡ベストテンとポップスベストテンのランキングも2週遅れで紹介。
バドカンがいるぞ!グラハムパーカーがいるぞ!!!
これも嬉しかった本場のチャート。
日本では、本場に遅れて3ヶ月後にチャートイン
knock On Woodの邦題が 恋の直撃
野口五郎がパクっていた曲。
ハートオブグラスは、現在トヨタアクアのCM曲に使われいる。
おまけに日本のチャート
レイフギャレットにヴィレッジピープルが混ざってる。
押し並べてのどかな時代だったなぁ。
最近なにかノスタルジーな感じで イカンイカン
最後に模型。035は内装のためのパーツ整形に入っています。