中国の内陸部での緑化協力にかかわる報告です。
続々・黄土高原レポート
332話)親指シフト
この黄土高原レポートもそうですし、そのほかの雑文やさまざまな報告書もこの7年間、1台のノートパソコンで書いてきました。大同の農村滞在中を含め、毎日数時間はそのキーボードにさわってきたのです。いわば、とても親しい友人。一昔前の人は「戦友」などと呼ぶのかもしれない。だいじにはつかってきましたけど、いたるところに、使用感がありあり。
でも私は、情の薄い人間なのでしょうね。「ノートパソコンがほしい」という人が現れたのを機に、さっさとゆずることにしました。そして、ネットのオークションで、それに替わる中古機を入手したのです。発売当時は高嶺の花だった機種が、4年たって、ネットブック以下の値段で買えたのです。届いたのをみて、またびっくり。擦り傷ひとつなくて、まるで新品のよう。
私がはじめてキーボードにふれたのは1984年で、もう四半世紀がたちます。富士通のワープロ専用機で、キーボードは親指シフトと呼ばれるもの。その後、パソコンになって、Macintosh、Windows、何台も何台もつかってきましたが、キーボードだけは、いろんなソフトの助けを借りて、親指シフトでとおしています。自分でつくった小さなシールを張っているのがそれ。
でも私は、情の薄い人間なのでしょうね。「ノートパソコンがほしい」という人が現れたのを機に、さっさとゆずることにしました。そして、ネットのオークションで、それに替わる中古機を入手したのです。発売当時は高嶺の花だった機種が、4年たって、ネットブック以下の値段で買えたのです。届いたのをみて、またびっくり。擦り傷ひとつなくて、まるで新品のよう。
私がはじめてキーボードにふれたのは1984年で、もう四半世紀がたちます。富士通のワープロ専用機で、キーボードは親指シフトと呼ばれるもの。その後、パソコンになって、Macintosh、Windows、何台も何台もつかってきましたが、キーボードだけは、いろんなソフトの助けを借りて、親指シフトでとおしています。自分でつくった小さなシールを張っているのがそれ。
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