号外11)森と文明

今は砂漠化の深刻な大同に、輝ける時代がありました。4世紀末から約100年、北魏の都が置かれ(平城京)、北方仏教の中心だったのです。
「雲崗石窟」はその頃作られ、東西1キロの岩壁に50近い洞窟と5万余体の石仏が残されて、当時の文明の華麗さ、壮大さを伝えています。2001年に世界遺産に登録されました。日本の初期の仏教が北魏様式と呼ばれるように、日本の文化にも深い影響を与えたのです。梁と金の時代、大同は副都です。
 明代までは森林があったといいます。大同の西南70キロの応県には、高さ67メートル、木造建築としては世界最大級の塔があります。950年前、遼代の建造で、カラマツの巨木を使う一方、鉄くぎなどは一切使わず木組みだけで作った骨太の構造です。近くに森林があり、木の文化の蓄積があってはじめて成り立つことです。
 森林を破壊したのは人間の文明です。都市建設のために大量の木材を消費しました。土器や瓦の焼成、金属の精錬にも使われました。万里の長城の大量のれんがを焼くのにも必要でしたし、戦火で灰になった森林も少なくなかったでしょう。
 いったん失われると、乾燥地では森の再生は容易ではありません。木に守られないと水も土も失われます。水と土がないところに、木は育ちません。
 文明の子孫たちは、荒廃した大地で、自らもさらなる負荷を環境にかけながら生きていくしかありません。輝かしい文明が後に残したのは砂漠です。
【写真】応県木塔の木組み。鉄釘などは使われていない。木の文化の蓄積がなかったら、このような技術は存在しなかっただろう。
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