1352話)私のこどものころ 米

 米

私んちは農業でしたが、田畑はあまり多くなく、小さな面積が7か所に分散していました。水田が3か所、畑が3か所、そしてサトイモ以外はつくれない湿地。それぞれのなかでも何枚にも分かれていました。

水田では米をつくっていました。苗代で苗を育てて、それを田植えします。父親が馬をつかって代掻きをし、近所の人に応援を頼んで植えていました。植えるのはたいてい女性たちです。お互いに手伝いあうんですけど、協定金額のお金を払っていたと思うのです。不公平になるのを、そうやって埋めていたのでしょう。お昼のときにアンパンを配っていました。

そのあともいろいろと手がかかります。草取りを何回もやっていました。爪のついた車を回して草を泥のなかに埋め込むのです。ヒエは手で抜いていました。まだ除草剤なんかありません。いちばん遠いタノメと呼んでいた水田は深くて、ずぶずぶと足が沈み込みました。その後、暗渠の工事をしたのです。

稲刈りには私たちこどもも参加しました。農繁期休暇があって、学校は休みになったのです。鋸鎌(ノコのような刃のついたカマ)で刈るんですけど、ドジな私は左の小指を切ってしまったのです。この歳になっても傷跡が鮮明です。

刈った稲は、小さな束にくくって、ハゼ竹にかけて乾燥させました。そのあとで家まで馬車で持ち帰り、脱穀、精米とすすみました。

わが家でとれる米の大部分は自家消費で、売るのはほんの少量。米価闘争のニュースがあると、父親は「米価が上がっても収入はわずかしか増えないし、ほかの物価が上がると困る」とぶつぶつ言っていました。
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