001)十年のうち九年は干ばつ

「靠着山呀没柴焼、十箇年頭九年旱一年[シ労]」(山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は日照りで一年は大水……上田信訳)。大同市陽高県の民謡の一節です。私はここの農村に通って12年めですけど、まさに実感です。
山には、木も草もほとんど生えていません。山腹や丘陵の急斜面まで、畑になっています。耕して天に到る、というのは誇張ではないんです。
旱魃のひどさは、日本人には想像できないでしょうね。99年がひどかった。トウモロコシが膝か腰の高さです。穂がでても、雄しべに花粉ができないから、収穫は望めない。ジャガイモは20センチほどで花を咲かせました。掘ってみると、たいていはビー玉クラス、最大でピンポン玉。てのひらに10個以上も並びます。建国いらい最悪の旱魃ということで、大同市の収穫高は平年の18パーセントに落ち込みました。
ところが2001年はさらにひどかったんです。作付けを諦めて放棄した畑が34パーセント。地下水による灌漑が可能な畑のほかは全滅でした。山には草も生えず、春と同じ黄色い大地。100年に1度の旱魃だというんですよ。
津軽の生まれ育ちで、戦前の冷害を知る相馬昭男さんがふしぎがります。「あれは悲惨でしたよ。だけど、客観的にみれば、ここのほうがひどい。飲み水にも困るんですから。でも、悲惨さが感じられない。どうしてでしょうね?」
 【写真】穂が出る時期になっても、丈が20センチほどのキビ。収穫はまったく見込めない。
(2003年1月25日号)
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