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弘前でブラタモリ

2017-07-10 00:09:01 | 津軽のいろいろ
8日放送のNHK「ブラタモリ」は、弘前が舞台。
2015年春から東京以外も取り上げるようになって78回目。

「サムライがつくった 弘前の宝とは!?」として、弘前城天守、石垣工事、禅林街、町に残る古い町名と坂道、リンゴ剪定鋏の鍛冶、リンゴの剪定技術とその桜への応用、といった流れ。
お城とさくらとりんごの街として、ひと通りは押さえていた感じかな。


以下のことを、今回新たに知った。
禅林街が出城としての機能も持っていたこと。
秋田市の寺町も、城を防衛する役目があったそうだけど、なるほど、禅林街はがけの上にあって地形的にも有利だ。


古い地図に記されていた、緩い坂の場所が分からなかった。道の奥にイトーヨーカドーが見えたので、鍛冶町のどこかかなと思ったが、ちょっと違いそう。
公式ホームページで場所が紹介されており、弘前郵便局の向かいというか、北大通りの裏だそうだ。あの一帯はほとんど通ったことがない。

弘前市内には、寒沢スキー場とかもっとダイナミックな坂が多い。
坂好きのタモリさんなら、そちらのほうが喜びそうな気もするけれど、それは坂の素人の考えでしょうか…


明治時代にリンゴ栽培を普及させ、弘前城址に最初に桜を植えた(関連記事)、元津軽藩士・菊池楯衛(きくちたてえ)が紹介されていた。その写真は初めて見たかもしれない。
その孫の卓郎先生が、奇しくも弘前大学農学部(当時)でリンゴの研究をされていたことには、触れていなかった。


いちばん意外だったのは、冒頭。
説明役の弘前市立博物館の人が、津軽の気質として挙げた3つのうちの1つ。
3つとは、えふりこぎ(いいかっこしい)、もつけ(お調子者)、じょっぱり(頑固)。※いずれも番組の字幕の表記。

じょっぱりはよく知られている。もつけもそれなりに(津軽全体の気質とはちょっと違うような…)。
でも、えふりこぎが津軽の気質だとは初めて知った。そもそも津軽弁の語彙にあることも初めて知った。
番組では、弘前城の天守が裏表で見かけが違う(表側だけ立派)のは、えふりこぎによるものだとしていた。

個人的には、えふりこぎ(いいふりこき)と言えば秋田でしょ。
津軽でもいいふりこきなのかもしれないけれど、秋田のほうがいいふりこきの度合いはずっと強い。

弘前に引っ越した当初、驚いたことが、高校生とか大学生といった若者でも、一人称として津軽弁の「わ」を多用し、英文さえも津軽弁のようなイントネーションで読んでいたこと。つまり、地元の方言へのコンプレックスが薄く、堂々と使っているように感じた。
また、高校生や大学教授でも、雪が積もれば長靴をはいて、街中や学内を歩く人がちらほらいたのにも驚いた。

秋田だったら、家族【10日補足・あるいは気心が知れた知人】以外には意識して方言を使わない人が多い(でも端々で方言が出てしまうし、どんなにがんばっても全体的に共通語とはちょっと違うけど)し、真冬でもコートを着ない男子高校生なんてのもいる。
秋田のほうがずっといいふりこきじゃないだろうか。


古い町名をさっさと住居表示によりなくしてしまった秋田(これは全国的に多いけど)に対し、番組でも取り上げたように古い町名を使い続ける弘前。
残すべき意義がありそうな古い建物でもためらいなくぶっ壊してしまう秋田に対し、古い建物を大切に保存する弘前。
これらも秋田はいいふりこき、津軽はじょっぱりという気質を示しているのではないだろうか。
【10日補足】どちらが良い/悪いと決めつけるつもりはありません。番組内で、津軽とえふりこぎが結び付けられていたことについて、違和感を禁じ得なかったということです。

【13日追記】放送当日は弘前市土手町で「弘前バル街」が開催されており、そこでパブリックビューイングが行われた。
ネット上では、他の回のような地形についての掘り下げが足りなく、表面的な内容に終始したといった感想があった。なんとなく同意できる。弘前はもっともっと興味深いものが多い街なのに、それを紹介しきれていなかった。他の土地では2週連続で同じ街が取り上げられることも多いのに、弘前は1回で終わってしまったのも原因かもしれない。

【16日追記】番組の最後では「お礼肥(おれいごえ)」として、花が散った桜の根本に肥料を施す作業を、実際に体験しながら紹介していた。番組の取り上げ方では、「お礼肥」という名前や作業自体が弘前独特のものだと誤解してしまった人がいたかもしれない。実際には、園芸・ガーデニングの世界ではよく行われており、名前も知られている。(以上追記)

今週は、BSプレミアム「にっぽん縦断こころ旅」で青森が放送される
コメント (10)
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少し昔の弘前大学

2017-07-03 23:44:24 | 津軽のいろいろ
15年ほど前の弘前の写真シリーズ。※前回の記事
3回にわたる最後は、弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)。

まず、今年の正月にも取り上げた、正門周辺。
富田大通りに面した門柱や塀は、現在は赤茶色の凹凸のある石垣(?)風デザインだが、2000年代前半までは、グレーだった。
また、正門を入って右にある、大学の本部機能を持つ「事務局庁舎」は、2016年にリニューアルされて外観が変わった。以前は緑色っぽかった。
2001年10月
以前のグレーの門は、大きな石のタイル風のものだった。
現在よりも、そして記憶にあるよりも、少し背が低い感じ。しかも門柱はなく、門というよりただの「塀」。
2005年7月。門が現在と同じになり、路面もブロック敷きに

分かりにくいが、奥の事務局は、外壁の色のほかリニューアル後に塔時計が設置された出っ張り部分がないなど形状も現在と異なり、ほぼ箱型の建物。
庁舎は昭和47(1972)年築とのこと。


正門を入って、総合教育棟(旧・教養部)と附属図書館の間を左折すると広い通路。大学会館や教育学部以外の各学部といった主要施設に面したメインストリート。
2005年7月。現在とほぼ同じ光景のはず
上の写真左側の建物は、手前から総合教育棟と棟続きで人文学部。市道をはさんで、奥に少し飛び出た2つの低い建物が理工学部、その奥の11階建てが理工学部2号館、さらに奥の低いのが農学生命科学部。
現在は、建物の外観が統一され、ブロック敷きのきれいな広々とした道。
以前を知る者がこれを見ると、全体に面影はあるけれど、かなり変わったなという感慨になる。
2003年2月。上の写真とほぼ同じアングル
2003年時点では、奥の方の2学部は、既に建物の外観が改修され、新校舎と統一。
一方、手前はごく一部は新しくなっているが、大部分は未改修。

そして、現状しか知らない人は驚くと思うが、通路に自転車がずらりと並んでいる。現在、こんなことをしたら、不法駐輪として撤去されることだろう。
校舎側に屋根付き駐輪場があるように、当時はこれで問題なかった。右の屋根のない部分にも置かれているし、中央部の斜線の白線が引かれている場所に置くこともできた。
この時は雪が残っているから台数は少ないほうで、春~秋の一般教養の講義がある日は、びっしりと自転車が並んでいたものだ。
この後、学生は登録してシールを貼った自転車でないと学内へ乗り入れできなくなり、駐輪場は新たに整備された反対の富田大通り側に変更された。
【4日追記】以前の光景は雑然としているが、今はきれいになりすぎてよそよそしいようにも感じる。以前のほうが活気がある大学らしい光景だったと思う。(クルマはともかく、ここに自転車を入れても入れなくても、安全上は大して変わらない気がするけど…)

また、奥右の学生会館(食堂側)前の針葉樹がなくなり、大学生協によるコンビニが建てられた。

上2枚の間の途中経過。
2004年8月
通路はブロック敷きに。人文学部は改修済み、総合教育棟は工事中。
上の写真で工事中の出っ張っている部分が、総合教育棟の正面玄関。2階部分は部屋になっているように見えるけど、教室にしては小さい。何だったんだろう?
正面から。上の階の壁面も未改修
上の写真で見えている窓は、廊下側のはず。アルミサッシではなく、鉄枠だったようだ。開閉するとゴロゴロと重いんだよね。(もちろん改修後はアルミサッシに変わった)

この面は、たしか「305」「405」とかその辺の部屋番号の中規模の講義室だったはず。一部階では教官(1997年までは教養部所属の教官がいた)の研究室がこの側にもあったか?
正門すぐの201や301よりは小さく、階段状でない平らな部屋で、固定式の座席。室内の什器や備品にはいろいろと手が入っていたようだが、201・301とは共通性がなく、時期は別か。どちらが先かは分からない。
【5日補足】階段教室に比べて、部屋の面積も、机の配置もきゅうくつで詰めこまれているように感じられて、あまり好きな講義室ではなかった。

これらの部屋はワイヤレスマイクは非対応(隣接しているので混線しそう)で、レクチャーアンプが設置されていたか。
そして特徴的な設備が、パイオニア製の大画面のプロジェクションテレビと、ソニー製の8ミリビデオとVHSの「ダブルビデオ」デッキ。201・301にはなかった。
※プロジェクションテレビ(リアプロジェクションテレビ)は、大きさのわりには当時としては薄く、画面が平らなテレビ。複数のメーカーが発売していて、末期の「ニュースセンター9時」や以前の「世界ふしぎ発見!」のスタジオに置かれていたのが、たぶんそれ。この記事後半に実物の写真あり。
※8ミリビデオは家庭用ビデオカメラなどで使われていた小型のビデオテープ。8ミリフィルムとは別。「Hi8」は8ミリビデオを高画質化した規格。

現在、ソニーのホームページの取扱説明書ダウンロードでは、「ダブルビデオ」としては「ビデオカセットレコーダーWV-BW1」というのがいちばん古く、1995年11月10日発売の機種。教養部では、少なくとも1995年春の時点で設置されていたはずだから、さらに前の機種が存在するのだろうか??
このダブルビデオデッキ、一般的な教室に置くには不向きな機種に思えてならなかった。
WV-BW1取扱説明書より
「再生」ボタンは1つで、8ミリかVHSか再生するデッキを選択するボタンがある。テープが入っていないほうのデッキを誤って選択しても、自動切り替えはできないようで、正しく選択ボタンを押さないと「再生」しただけでは再生されない場合がある(消去防止ツメが折れたVHSテープを入れた時は自動で切り替わるそうだ)。

講義室のデッキでは、仕様なのか、あるいはコンセントが常時接続ではなく、都度入切していて起動のたびに初期状態に戻るせいか、電源を入れるといつも8ミリを再生する状態になっていた。
VHSを見るには、「VHS」選択ボタンを押して切り替えてから「再生」しないといけない。

そのことを知らない(画面や本体の表示に気づかない)先生が多く、見せようと持ってきたVHSのテープを入れて、「再生」ボタンだけ押してしまって、「カセットがありません。入れてから行なってください」とエラーになり、「あれ? テープを入れて再生ボタンを押してるのに??」と困惑する先生に何人もお目にかかった。(テープじゃなく「カセット」とか「行ってください」というソニー独特? の画面表示を覚えてしまうほど、戸惑う先生が多かった)

当時の映像記録媒体はVHSが圧倒的優勢。授業で使うビデオを8ミリで持ってくる教官などいただろうか。少なくとも僕は遭遇しなかった。
現場の実情を考慮せず、使いもしない過剰装備の機器を導入したことになる。導入してしまったとしても、事務局がこのことを把握していれば、説明書きを貼るとかフォローすることもできたわけだから、教官と事務局の意思疎通が取れていなかったのだろう。今は知らないけど当時の国立大学は、地方自治体などよりもずっと硬直化したお役所だった。【5日補足・会計検査院や何らかの監査の対象になれば、導入の経緯や活用方法について、指摘を受けるかもしれない】
話がそれました。

2004年夏。正面玄関からのぞくと、内部はきれいになくなって大がかりな工事
2004年度末までには、工事は完了したようだ。


もっとさかのぼって2000年3月。
できたばかり【4日補足・といっても丸1年経過した頃】の理工学部2号館の11階から、買ったばかりの100万画素のデジタルカメラで撮影した写真。
【4日追記】この高さから弘前の街を眺める機会はなかなかないが、改めて見ると、弘前もけっこう建物が密集していると感じた。
※コメント欄にて、2013年に同じ場所から撮影した写真をご提供いただきました。工事がほぼ終わった様子を、広角で分かりやすく見られます。
今までの写真の逆側から
右側が手前から改修中の理工学部、市道、人文学部~総合教育棟。その奥右方向が正門。
各校舎。中央右奥にイトーヨーカドーがかすかに
改修前は建物の形状も色もまちまちで、同じ学部でも新旧つぎはぎだったのが分かる。右手前のドームは理工学部の天体観測施設。【4日補足】ドームのある校舎は5階建てで、11階建ての理学部2号館ができる以前は、そこが弘大でいちばん高い建物だったはず。見た感じ外観の造りは周りより新しそう。昭和50年代築ってところかな?(周りの他の建物は40年代っぽい)
今もそれぞれの建物の形状はそのままだが、色が統一されて、だいぶ落ち着いた。
また、中央奥には、
緑色のドーム屋根?!
手前は総合教育棟の人文学部寄りで、教官の研究室があった辺り。その奥に体育館のようなカマボコ屋根があった。
位置からすると、201・301、そして最大の401講義室の上。401は天井が高いため、こういう構造なんだろうか。下からは見えないし、今回写真で初めて気づいた。

カマボコ屋根といえば、少し左へ目を転じれば、
赤いカマボコ屋根の第一体育館。右は教育学部
現在は、校舎群と同じ色への塗替えと耐震補強らしきつっかえ棒が入れられた第一体育館。その改修前の姿も写っていた。


15年経てばいろいろ変わり、何気なく撮影した写真が記録と思い出になるものです。
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少し昔の弘前駅

2017-06-22 23:16:45 | 津軽のいろいろ
前回に続き、15年ほど昔の弘前の記録。今回は弘前駅。
現在の橋上駅舎ができたのは、2004年12月。4代目だそう。
(再掲)西側・中央口。ホテルルートイン弘前駅前から撮影
駅舎・自由通路は、上の写真右・南側の黒い箱型の建物。
左側の茶色い建物は、1987年にできた駅ビル「アプリーズ」。新旧駅舎いずれとも、つながっていた/いる。

僕の利用回数としては3代目駅舎のほうが多いわけで、もちろん記憶しているものの、例えばアプリーズとどうつながっていたかといった細部の記憶はない。これは先代の秋田駅舎でも同じことだけど。
大雑把には弘前も秋田も、横に長い建物で、ホームに面して改札ブースがずらりと並んでいた。国鉄のある程度の規模の地方駅は、どこも似たようなものだけど。

3代目駅舎は1981年完成だったそうなので、20年ちょっとで解体されたことになる。
一方、先代の秋田駅舎は35年ほど使われた。一般に秋田市より弘前のほうが古い建物を大事にする傾向があるけれど、駅舎は逆だったみたい。

では、当時の写真をいくつか。まず、参考として、
(再掲)現在の弘前駅中央口。ホテル東横インは2007年オープン
上の写真とほぼ同じアングルの15年前がこちら。
2002年4月
バス乗り場などは既に新しくなっている。駅舎より駅前広場整備のほうが先だった。
写真を改めて見て気がついたことが2つ。右手前にケヤキだろうか木があって、その周囲に座れるようになっているが、今はなくなってしまった。
それと、左の「1」乗り場の奥(見えないけど2番乗り場前)に、小さな建物があった。バスの案内所らしい。現在は、同じような建物が南側(写真の背後)、地下道出入口付近にあるので、後で移築されたのだろうか。分かりやすさとしては、駅出入口正面すぐのこの位置のほうがいいな。

旧駅舎が明確に分かる写真はこれぐらいしかないのだけど、雰囲気はお分かりいただけるだろうか。
上記の通り、まだ20年しか経っていない建物だから、外観に古さは感じない。駅の構造としては古くなってしまったが、2017年の今でも通用しそう。
駅舎とアプリーズの色合いが統一されていたのはよく覚えているけど、微妙に色合いは違ったようだ(順番からすれば、アプリーズが駅舎に合わせたということか)。茶色系統の細かいタイルを並べた壁面は、当時の流行りだったのか、秋田空港なんかもちょっと似た感じ。
両者の境に白い部分があって、その上に「JR弘前駅」とのネオンサイン。そこがコンコース・改札口への入口だったか。

駅舎前にはアーケード状の屋根付き通路があり、現在もあるリンゴが載った郵便ポストが置かれていた(写真では白い服の人で隠れている)。南側には喫茶店(JRが運営?)があった。2階建てか3階建てだったようだけど、2階以上は客は立ち入れなかったかな。

屋上にはねぷたの写真入り「We Love HIROSAKI/地域とともに歩む 東奥日報」の看板があって、下の壁面に改めてJR東日本のロゴと、アナログ時計、その下に逆三角形のマークがあるが、正体不明。
2002年10月。東奥日報のねぷたは色あせ気味?
現在の駅舎は、JRと並んで「弘南鉄道」の文字も出ているが、先代駅舎には見当たらない。

東奥日報の看板の下のJRの宣伝は「ヨーデル&やまびこ」。
東北新幹線八戸開業はこの年の12月。それまでは、高速バス「ヨーデル号」で盛岡へ行き、新幹線「やまびこ」に乗り換えるのが、仙台・東京へのメインルートだった。

【2020年9月15日追記】弘前市立中央公民館のツイッターで、平成2(1990)年の弘前駅舎の写真(大町町会「大町・わが町~平成二年の町並から」の転載)が紹介されていた。時期的に、建物は本記事で紹介しているのと同じ。
それを見ると、上の写真の「JR弘前駅」の緑色のネオンはなく、その下の白い壁の部分に赤色で「弘 前 駅」と表示されていた。また、その右のアナログ時計から下に、白い看板状のものが取り付けられ「21世紀まで  日です」のカウントダウンがあった。2002年に時計直下にあった逆三角形のマークは、その看板の中にある。もしかしたらライオンズクラブとか?? 僕が弘前にいた、21世紀直前の1990年代後半に残っていてもおかしくないが、見覚えはなし。


2003年夏でも3代目駅舎がまだ使われていた。内部を少々。
コンコース。2003年7月(以下同)
昔の秋田駅もこんな感じだったはずだし、今の大館駅なども似ているが、思っていたより広い。自動券売機やみどりの窓口の窓口は右側だった。
ラッチと呼ばれる駅員が入って改札業務を行う箱と通路の扉がずらりと並び、その向こうは1番線ホーム。冬は風が入って寒そうだけど、風よけなどは別段設置されなかったっけ。【23日補足】現在の大館駅などでは、アルミサッシの引き戸が後付けされているようだ。寒い日は閉めるのだろう。
ラッチ・通路の数もかなり多い。最近の記憶では、新幹線開業前の富山駅並み。

改札口はJRと弘南鉄道で別だったが、改札内に入れば区切りなどなくJRと共用。単にきっぷを見せる場所が違うだけ。
外から見て左側が弘南鉄道の改札口(券売機や窓口も左側だったはず)だったはず。それ以外はすべてJR分だが、時計の下に「JR改札口→」とあるように、JR利用時に通る入場用改札口は、右端。写真に写っている中央部のラッチは出口(集札)として使われ、列車到着の都度1つからせいぜい3通路ほど開き、それ以外は閉まっていた。
他のホームへの跨線橋の階段は左右両方にあったが、弘南鉄道のホームへつながるのは弘南鉄道改札口から遠い右(南)側だけ。動線としてはやや難ありだった。

下の写真は列車到着時だが、降車客が少ない列車だったようで1つのラッチにだけ駅員が入って集札している。
この写真だけ2003年8月

JR改札口周辺。右が入場口
上の巨大な時刻表も懐かしい。
入場用改札口だけは透明な風よけがある。その上に、方面別の3色LEDの発車標。原則として発車10分ほど前にならないとホームに入れてくれなかったので、「改札中」を表示するようになっている。(昔の秋田駅もそうだったし、現弘前駅舎でも自動改札設置前はそうだった)
「あけぼの」が懐かしい

ところで、2つ上の写真では、入場口左・時計の下に何やら装置があり、赤LEDで「お得なきっぷの」と表示されていて、その下が大きな横長画面のようになっている。

これは「電子掲示板」と呼べばいいのだろうか(現在ではネット掲示板と混同されそうだけど)。「デジタルサイネージ」の走りといったところ。通常はお得なきっぷなどの紹介、遅延運休発生時にはその告知をしていた。

この装置は表示方式がユニーク。「書いて消して消して書ける」というキャッチコピー(今は使ってない?)のタカラトミーの「せんせい」という磁気を使って文字や絵をかける玩具(磁石の粉が入った小さなカプセルが並んでいる)があるけれど、それを大きくしてコンピューターと接続したもの。液晶ディスプレイが高価で視野角が狭いなど未熟だった当時は、判読しやすく、表示内容を保持するのに電力がかからない(写真では照明は点灯している)メリットがあったのだろう。
なお、スコアボードやスポーツ試合での大型デジタル時計には、「磁気反転式」の表示装置が使われているが、それとは別。

1995年開学の秋田公立美術工芸短期大学(現・秋田公立美術大学)にも、弘前駅と同じくらいの大きさのものが2台あって、学生向けの情報(休講や呼び出し等)を伝える掲示板として使われていた。短大最後の年・2012年秋に撤去されたようだが、その年度までの学生には「マグメディア(パイロットの商品名? 現在は他社へ事業譲渡?)」として認知されていたようだ。
また、秋田テルサにも「マグメディア」があったものの、2012年の包括外部監査で使っていないことを指摘されている。
秋田駅にはなかったはず。弘前駅でも新駅舎へは継承されなかったはずで、美短と比べても短命だったようだ。


そして、2003年8月19日をもって3代目駅舎は役目を終えた。以下、2003年10月撮影。
3代目駅舎が解体されていた。これは南端?
工事中は、南側の現在駐車場になっているところに、仮駅舎が置かれた。
仮駅舎
リンゴポストも移設、「弘南鉄道」の表示あり。
仮駅舎改札口周辺。発車標は旧駅舎のものを移設したようだ
上の写真で改札内に見えている車両は弘南鉄道の電車。仮駅舎が南側にあることが分かる。

JRのホームそのものは、上屋以外は新旧駅舎で基本的に同じ。
1番線。線路寄りの一部を除いて屋根がなくなった。
写真の奥が南側・秋田方向なので、見えている跨線橋が、旧改札口右の弘南鉄道にもつながるもの。その奥右に仮駅舎の改札口があった。
この時は(おそらく2・3番線に着いた)列車を降りて改札口へ向かっているのだが、これまでならあまり利用者がいない、北側の跨線橋を渡って来て、1番線上をぞろぞろ歩いている。工事に伴い、9月1日から列車の停車位置が北(青森)側へ移動していたため、そのほうが近かったようだ。

掲示を抜粋。左が南・秋田方向。ピンク色が仮駅舎で、内部の配置が分かる
掲示の写真を見て思い出したが、弘南鉄道弘南線乗り場は、この工事でホームが新しくなったのだった。
JRと完全に分離され、弘南鉄道の弘前駅としての機能はすべて線路東側へ移った。


もう1つ、昔の弘前の話題をいずれまた
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少し昔の弘前のバス

2017-06-19 20:55:48 | 津軽のいろいろ
15年ほど前に撮影した弘前の写真がいくつかあり、今となっては懐かしいものが写っているので、何度かに分けてアップします。
当時のカメラの性能や腕のため、いい写真ではないものも多いですが、思い出と記録として。

今回は弘南バスの路線バス。
同社の路線バスでは、かつては貸切格下げ車も使われていたが、弘前に住んでいた1990年代後半頃からは、中型車や小型車が多数導入されるようになって、現在の体制になりつつあった。しかし、撮影した2000年代前半時点では、今ではほとんど存在しない、路線仕様の大型車も比較的残っていたようだ。
当時も珍しいと思って撮影した記憶はあるけれど、今は大型車に遭遇することすら難しい。

以下の3台は、いずれも新しい塗装で、中ドアがあり、側面の行き先表示器を撤去した痕跡があるので、いずれも他事業者の中古。正面の行き先表示の両脇や、側面表示器跡を、蛍光色のような緑色で埋めるのは、当時の弘南バスが好んでやっていた。
悔やまれるのは、ほぼ真正面からしか撮影していないこと。側面も写していれば、社番が分かって、年式や所属がはっきりするのだけど、当時は重要だと思っていなかった。
日野ブルーリボン「青森22 か11-86」2002年4月撮影
現在もブルーリボンがほそぼそと残っている(この記事中ほど)が、それは1989年製の横浜市営バスの中古。
これは、それとは別の車で、ヘッドライトの間が真っ黒なのが特徴的。元画像を拡大すると社番は「56113-5」か? とすれば1986年製造。都営バス辺りの中古かな??
「青森22」だから1999年春以前に転入してきたことになる。
社番からしても、行き先からしても、藤代車庫所属。


いすゞ+富士重工5Eボディ「青森22 か12-54」2003年7月撮影
1990年頃まで製造されていた、愛好家には人気がある古い富士重工の車体。個人的には、秋田では新車での導入事例はないのでなじみが薄く、古臭いデザインで好きじゃないけれど…
これの中型版の6Eボディは、5Eよりも5年ほど後まで製造されていたため、今でも散見され、弘南バスでもいくつか残っている(上と同じ記事ですがこの記事中ほど)はず。

秋田の中央交通では、中古導入の5Eボディの最後の1台が4年前に廃車になっているが、6Eボディはけっこう現存する。
中央交通の5Eは、川崎鶴見臨港バスの中古で窓枠が茶色だったが、この弘南バスのは窓枠が銀色。後輪のタイヤホイールが赤い。
狼森行きということは、弘前営業所所属だったのだろう。


最後は特に貴重。
三菱「青森22 か874」2002年10月撮影
エアロスターという車種名が付く前、1984年以前のモデル。
当時のバスはどのメーカーも同じようなものだったけれど、とりわけ三菱のはヘッドライト周りに凹凸があっていかついことから「ブルドッグ」と俗称される。
写真では前ドアが開いているが、その枠が幅広くてガラスが小さいのも、昔のバスならでは。取ってつけたようなバンパーも。
【20日追記】この後継車種が初代エアロスターなのだから、デザイン的には一気に時代が進んだ。

ネット上の情報によれば、これは神奈川中央交通の中古で、複数台在籍。1984(昭和59)年製、つまりエアロスターに代わる直前・最末期のブルドッグで、ギアはフィンガーシフト(レバーが床から生えていなくて、軽く操作できるもの)だったそうだ。
向かって右のヘッドライト上・ウインカー左に、黒い枠があるが、それが神奈川中央交通独特の、乗車ドア位置・運賃支払い方式の表示板を埋めた跡。

これらの所属は「弘前と藤代」だったとする情報もあるが、別の情報では「か874」は「35904-12」号車だったそうで、「-12」とは「高崎営業所」所属を意味する。その高崎営業所は1998年に廃止されている(駅の反対側・さくら野周辺?)。
撮影時は桜ヶ丘行きの表示だし、当時は車両配置があった桜ヶ丘案内所所属だろうか。
桜ヶ丘案内所は1998年までは高崎営業所の管理下だったそうで、その頃から桜ヶ丘線でよく見かけた記憶がある。弘前に住んでいた当時の桜ヶ丘線といえば、この車が、桔梗野十文字~樹木の狭い道をぐわんと走っていたイメージ。
一方、弘前営業所所属車が多く走る富田大通り経由では、この車はあまり見なかったかもしれない。乗ったこともない。


中央交通では三菱と取り引きがなかった頃で、中古車も来ていない。秋田市営バスにはワンロマ車など何台か在籍したものの、1990年代のうちにすべてなくなっていた。
後部もまた独特のデザインなのだけど、それは前部と比べてちょっと斬新な後のバスに通ずるスタイルで、好きだった。

この車は、正面の行き先表示の幕が横に細長い。秋田市営バスでは、現在と同じサイズの大きい幕の車もあったが、ワンロマ車は小さい幕でもっと左右の幅が狭かった。
それと、現在は「金属団地・桜ヶ丘線」として、全便が南高校・金属団地に立ち寄って桜ヶ丘へ向かう経路だが、この当時は、経由しない直行便があった。この車は「(桔梗野)桜ケ丘」という表示だから、直行便だろうか。【2022年3月1日追記】この時点では、金属団地を経由しない「桔梗野経由桜ヶ丘線」と桜ヶ丘へ行かずに金属団地で折り返す「桔梗野経由金属団地線」の2路線に分かれていたのだそうだ。2003年に統合。この記事も参照
現在の金属団地・桜ヶ丘線は1時間に2本程度(1時間来ない時間帯もある)になってしまったが、当時は本数はもっと多く、名実ともに主要路線だったものだ。

今にして思えば、弘南バスの現行塗装とブルドッグの組み合わせは意外だし、昭和50年代のバスが21世紀に走っていたのも不思議な感じ(当時は車齢20年未満だから不思議ではないのだけど)。
※ブルドッグと同じ頃製造のいすゞのバスについて。

以上3台、どの車両も、いつの間にか姿を消してしまった。


最後に、バス停の表示板を1つ。
「市立病院前」バス停。2002年4月撮影
土手町の通り側の循環バス用ではなく、病院の真ん前にある、ほとんどバスが通らないほうのポール。

1990年代後半時点では、ミニバス城南線の城南地区などと同じ背が低い四角いポールだったはずだが、ダルマ型に更新され、かつ表示板の書体が珍しかったので撮影した。
「弘南バス」の社名はステンシルテンプレート(型紙)を当てて、スプレーをかけたようだ。
バス停名は、ものすごく味があるというかなんというか。楷書とか行書とか分類できない、普通に筆をふるっては書けない文字。よほどの書の名人の作か、ハサミで切って作ったかのような文字。

このポール自体は、比較的新しくかつ少数。現在あるものは、社名表記は同じながら、バス停名は細い丸ゴシック体風の手書き文字の表示板。市立病院前も、現在は丸ゴシックになっている。
(再掲)「千畳敷」。「西弘前駅前」もこのタイプ

そういえば、市立病院の前に、「ひまわり号」だか「ひまわりバス」とかいう、旧塗装の路線バス(専属車両?)が停まっていたのを見たことがあった。
弘前市が関わる通院支援か何かのバスだと聞いたような気がするが、今はどうなっているだろうか。


バス以外の昔の弘前の写真は、いずれまた

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弘前いろいろ

2017-02-07 23:59:11 | 津軽のいろいろ
年末年始の弘前訪問記(前回の記事)は、この記事にておしまい。
取りこぼしていたネタを最後に。

以前、弘前市内のごみ集積所に設置されている、地域外からの持ちこみを禁ずる看板を紹介していた。
(再掲)
ごみをこっそり捨てようとしている人物のシルエット。忍び足なのか、どこかユーモラスな足取り。
弘前市が作って、各町内に配った看板だと思われるが、弘前オリジナルなのか、他の自治体でも見られる汎用品なのかは不明。

もう1つ別の同じような看板があった。
下は例の看板だけど、一部隠れている
「ポイ捨てはやめてください」なので、ごみ置き場以外にも設置されているはず。以前から見かけていた。
手足の生えた空き缶自身が、厳しい表情で怒っている図柄。

「空き缶が泣いている」絵のポイ捨て禁止看板は、各地でちらほらあるようだけど、怒っているのは珍しいかも。
現在では、小容量のPETボトルが普及したので、ポイ捨てといえばPETボトルが主流だろう。この看板では、下に小さくPETボトル(形状からして容量は1リットル?)があるものの、主役は缶。缶は350mlだろうか。タブは分離する「プルタブ」ではなく、現行の「ステイオンタブ」。
その辺りからして、500mlなどの小容量PETボトルが広まる(解禁は1996年だそうだが、普及はその数年後か)以前、2000年前後の作成かな。


“寒沢スキー場”上の弘南鉄道大鰐線の踏切(名前はあるのかな?)。
奥が弘高下・中央弘前方向、左が坂道
線路端に信号機のようなものが立っている。
踏切が正常に作動していることを列車の運転士に知らせるもので、かつては私鉄各社には設置が義務付けられていたそうだ。弘南鉄道の場合、踏切が閉まっている時に、白く点滅するはず。ちなみにJRにはなく、代わりに非常ボタンが押された時に点滅するものが設置されている。
よく見ると、
ビニール袋をかけて、結束バンドで縛っている
雪がくっつかないための袋だろうか?
たしかに、むき出しよりは雪が落ちやすそう。道路の信号機にも応用できるかも?!
【13日追記】秋田市の奥羽本線貨物支線(JR貨物管轄)では、別のタイプの鉄道用信号機を透明なビニールで覆っていた。一般的な手段なのだろうか。


工藤パンで正月用の月餅など(リンク先後半)が発売されていたことを紹介した。
秋田のたけや製パンでは、ホームページでの紹介はなかったものの、鏡餅が各種発売される。秋田の多くの店では、全国的に有名な越後製菓やサトウに負けないほど置かれていた。
工藤パンでもホームページには出ていないが、同様にいろいろ製造されていた。
透明な袋に脱酸素剤とともに入った小さめの鏡餅は、たけやのものとほぼ同一に見えた。その鏡餅に、プラスチック製のダイダイらしき柑橘類が載っかったものもあった(これはたけやではない?)。


秋田では、正月のカマボコが独特。宮城屋蒲鉾店のシェアが高い。
青森では、おにぎりをよく見かける「高橋蒲鉾店」というメーカーがあるから、そこで正月用商品を作っているかと、スーパーをいくつか見たけれど、見当たらず。紀文など全国的メーカーのカマボコばかりだった。

その土地に行ってみなければ分からないものって、たくさんあるものだと、今回もまた実感した。
次は、弘前城の石垣が解体されている頃にでも、おじゃましましょう。

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弘大正門周辺/西弘信号

2017-02-03 00:29:05 | 津軽のいろいろ
昨日に続いて弘前市内の話題。
弘前大学文京町地区。2011年春の記事の実質的続き。
※ほかに富田大通りの流雪溝弘大農学生命科学部前バス停について、アップ済み。

弘前大学正門の左側
2000年代前半だろうか、正門と続く塀がリニューアルされ、かつては灰色系だったのが茶色になった。(門自体の基礎というか枠というかは、以前のものを活用しているはず)リニューアル前の正門などについて

その際、向かって左側の塀の一部に大型ディスプレイ2台が埋め込まれた。
2005年にパイオニア株式会社から寄贈されたプラズマディスプレイ(同社は2009年にプラズマから撤退)で、「弘前大学インフォメーションボード」として8時から19時まで、大学や街の情報が表示されていた。
(再掲)
2011年春に見た時は稼働していたものの、昼間の明るさに対して輝度が低すぎてよく見えず、わざわざ足を止めて見る人もいなかった。さらに、東日本大震災直後の節電が叫ばれていた時期に、消費電力の多いプラズマを2台もつけっぱなしにすることに対しては、引っかかるものがあった。

その後、2014年7月に行ったら、ディスプレイは消灯し、ディスプレイを縁取る装飾が一部脱落するなど、みっともない状態だった。修理するか、フタでもして隠すかしたほうがいいと感じた。

上の写真の通り、現在はディスプレイは撤去され、桜と岩木山の写真入り看板と、構内案内図が掲出されている。見た目はこれで問題なく、無難なところでしょう。


さて、上の写真の右奥。そこが以前と変わっていた。白い建物と、その壁に大きな時計がある。
正門を入った右側のその建物は、大学の「本部」的な建物。
学生にはまず縁がない建物だけど、僕は2度ほど入ったことがある。
名称としては「事務局庁舎」(少なくとも現在の呼称。国立大学法人化される前などは違っていた可能性あり)らしい。ネット上の公式文書には「戦略本部棟」という、よく分からない名称も使われている。案内図などでは「事務局」が一般的な模様。
その建物に、2015年夏頃から1年ほどかけて「耐震化等改修工事」が施工されていた。
改修後の事務局庁舎
以前と違ったのは分かるけれど、以前の姿をよく思い出せなかった。地味な雰囲気だったのは確実だけど。
後で調べると、以前はもっと平面的な横長の箱状の建物。外観は灰色がかった緑色で、2階より上は微妙に色合いが違うタイルでモザイク状なっていた。
雰囲気としては、秋田大学手形キャンパスの正門の左側にある同じ趣旨の建物、「本部管理棟」の色違いみたいな感じだったようだ。

改修後は、中央の玄関部分に、3階までつながる白い出っ張りがついた。その壁に、「弘前大学」の文字と、壁面を文字盤にしたアナログ時計を設置。
※このような壁に埋め込んだ時計のことを、メーカーでは「塔時計」と呼んでいるらしい。
壁そのものの色は、1階がグレー、2階以上が肌色っぽい茶色で、先に改修された各学部校舎や図書館と統一。
しかし、2階より上には、壁の外側に白くて縦に細長い板をランダムに配置。それによって壁の地色も窓もほとんど見えなくなった。
最近の建築界では、こういう風に、外壁に細長いデザインを散りばめるのが流行っているみたいだ。でも、この建物の場合、これでは外壁の色を変えた意味がないし、他の建物との統一感もなくなるのでは? 風呂のフタを立てかけたように見えて(?)イマイチよく分からないし、古くなって汚れたら、外壁がところどころはがれ落ちたボロ家みたいに見えないでしょうか…

出っ張り部分。照明もある
中央の出っ張りは、ガラス張りの吹き抜けっぽく、中にらせん状のオブジェみたいなのが入っているのだろうか。近くで見なかったので詳細不明。
【2017年7月3日追記】2017年3月1日付「弘前大学同窓会報 第18号」で、「弘前大学事務局庁舎リニューアル」として、大学施設環境部整備計画課による説明が掲載されていた。
塔時計(「大時計」と表記)がある出っ張りは「アトリウム」だそうで、つまり吹き抜け。そのガラス張り部分はステンドグラスで、桜の花がモチーフ。桜から5色の虹が出ていて、その色は5学部を示す。
壁全体に散らばった風呂のフタのような縦長の物体は「日射を抑制する外装シェード(縦長パネル)」。だったらすき間なく埋めればいいのに…
庁舎は昭和47(1972)年築。(以上追記)


塔時計といえば、比較的近年に建設された秋田市立小中学校の校舎の必須装備。
(再掲)保戸野小学校。文字盤の仕様は弘大のと同じっぽいので、同じメーカーかも?
秋田市立学校のと比べると、弘前大学のは3倍くらい大きそう。建物1フロアの高さと文字盤の直径がだいたい同じ。

これだけ大きな時計だと、遠くからでもよく見えそう。
でも、正門から奥まった位置に、しかもやや右にずれて設置されている。そもそも正門の向かいは建物があるので、見える範囲は限られている。


そうそう。大学正面の時計といえば、
 (いずれも再掲)当時はこういう緑がかったガラス張りの建物が流行っていた
秋田大学手形キャンパスの正門にもあった。ただし、デジタル式。
2011年春に、正門から見てほぼ真ん中に新たに造られた渡り廊下に設置されている。秋大も奥まった位置でどこからでも見えるわけではないが、正門の真向かいにまっすぐな道があるから、多少は見られていそう。



2015年春に久しぶりにじっくり歩いた、弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前(旧・西弘前)駅の南西側、稔町~城南付近。
線路からすぐの青森銀行城南出張所は閉店していて、現在もそのままだった。
駅南側の踏切越しに。信号の奥左が銀行跡
その銀行跡角の小さな十字路。
僕が弘前にいた頃に、新たに信号機が設置されたのだが、それがいつだったのかは覚えていなかった。
ただ、信号機は当時と同じものが今も設置されているから、その銘板で製造年月を確認すれば、見当はつく。それを実行。
「平成8年11月」
予想というか漠然としたイメージでは、1996年度の前半くらいのような気がしていたけれど、それよりはわずかに後だった。
秋田県警の場合、製造されたその月中に設置されるケースもあるが、数か月後になることもある。
青森県警でもそうだとすれば、1996年末、もう少し広げて1996年度末にかけて設置されたということになろう。
永年の(些細な)疑問が解決して、(ちょっとだけ)スッキリした。

弘前の話題はもう少し続きます
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弘前駅周辺の変化

2017-02-01 23:59:20 | 津軽のいろいろ
引き続き、年末年始の弘前の話題いろいろ。今回は弘前駅前周辺。
以前、郵便ポストの記事で、投函口が1つの中でいちばん大きい旧タイプ「3号」を取り上げた。
秋田市内では元から少なかったのが絶滅したようだが、弘前市内にはけっこう残っていたはず。
その時、写真を掲載したのが、イトーヨーカドー弘前店前の3号だった。
(再掲)

今回通りかかると…
あれ!?
向かい側のパチンコヨーデル跡のマンションもだいぶできている。

3号がなくなって、新しい小型のポストになってしまっていた。いちばん小さい「14号」か。
銘板
2014年1月製。
「十四号W」とある。「W」とは、従来の14号より投函口をわずかに広げたタイプだそうで、2014年から登場しているとのこと。とすれば、14号Wの最初期タイプのようだ。

以前の3号は、旧型とはいえきれいな状態に保たれていたから、まだまだ交換されないと思っていた。それがなくなってしまって、しかも、後継に大型でも中型でもなく小型が設置されてしまったとは、ショッキング。

ここはそんなに投函量が少ないのだろうか…

でも、2014年1月より後にここを通ったこともあったけど、このポストだったかな?
Googleストリートビューで確認すると、2015年8月時点では、まだ以前の3号だった。

ということは、製造後だいぶ経ってから設置されたことになる。
もしかしたら、車が突っこむなどして、前のポストが壊れてしまい、予備の小さいポストを設置したのかもしれない。運用してみて小型でもあふれるほど投函されないから、そのままでいいや…となったとかだろうか。(まったくの推測です)



倒産して、全国チェーン入りして再出発した弘前プリンスホテルに宿泊。
基本的に以前と変わらなかったものの、冷蔵庫が新設され、カーペットやテレビなど備品は更新されており、ニクロム線むき出しの湯沸かし器も電気ポットに代わっていた。
ホテル向かいにあった同経営の「日本料理プリンスさくら亭」は廃業し、解体されていた。
向かい側の空き地にあった

ホテル6階から。手前左がさくら亭跡
プリンスさくら亭側は区画整理事業が行われていて、さくら亭跡の北側に、東西方向の新たな道路ができつつあった。東端であるホテル向かいには柵があって、既存の道路からは出入りできないが、奥の西側では既存道とつながっていて、区画整理エリア内に用がある車がたまに走っていた。
西端
新しい道路の西端のさらに西は、一方通行出口の細い道。もう1ブロック先が北大通りだが、最終的にはそこへ接続するのだろうか。その先には土淵川があるはずで、さらに先にホテルニューキャッスルやライオンズマンション弘前公園が見える。
1年前と比べて、思ったほど進んでいないようにも感じた。

弘前大学文京町地区周辺について、後日

2017年夏の区画整理の状況
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弘南バス近況

2017-01-31 23:55:51 | 津軽のいろいろ
この記事に続いて、年末年始の弘南バスいろいろ。

2016年の弘前でブームだったそうなのが、
「ふらいんぐうぃっち」「ようこそ、魔女の街「弘前」へ」
弘前へ魔女の修業に来た少女が主人公の「ふらいんぐうぃっち」という漫画がアニメ化(日本テレビほかで放送、多くの局で既に放送終了)され、舞台の弘前へ聖地巡礼に訪れる人が多かったそうだ。原作者も弘前の人。

作中にも登場するらしい(?)弘南バスや弘南鉄道では、ラッピング車両の運行、バス停の装飾、キャラクターによる車内放送(現在は終了)も行われた。
写真は一般路線バス用の中型バスへのラッピング。「50707-2」号車で、どこかの中古で元は土手町循環100円バス専属。ラッピング開始当初も土手町循環で使われていたそうだが、この時は学園町線に入っていた。
おそらく、前回伝えたように循環バスに新たな中古車が入ったことにより、押し出されて一般路線に転じたのだろう。
作品はよく知らないけど、せっかくなのでご紹介
弘南鉄道大鰐線の車両のラッピングも見かけたが、そちらのほうが一部ドア部分も使うなど、ダイナミックで見応えがあると感じた。
弘南バスでは、車体全面を使ったラッピングはほとんどない。やりたがらないのか、何らかの事情でできないのか。


狼森(おいのもり)行き
外板がだいぶ傷んだ、三菱エアロミディ。前だけにドアがある、弘南バス自社発注車。
「青森22か904」「30501-2」だから、1993年製。
同型の「905(おそらく30502-2)」も相馬行きで目撃。

今年で24年目の車両。そういえば、秋田中央交通にも1993年製のエアロミディが残っている。秋田市営バスから譲渡された、オートマの元291号車。ただし、これはヘッドライトやテールランプの形状が異なる。1993年9月にモデルチェンジされたので、弘南バスはそれ以前、秋田市営はそれ以後(年末のはず)に導入したことになる。
テールランプは高い位置に小さな「バス協テール」
モデルチェンジ前の丸いヘッドライトの車は、かつては多くの街で見かけたが、今はほとんど見かけなくなった。
中央交通では秋田市営バスから譲渡された1992年製のうち1台(元274号車)が2015年までがんばっていた。青森市営バスでも数年前には走っていたが、どうしているだろう。
中央交通の子会社では、スポーツクラブ所有の自家用バスを受託運行しているが、そのうち1台も同世代。ヘッドライトはモデルチェンジ前、テールランプはモデルチェンジ後という仕様だが、路線車より走行距離はずっと少ないはず。
やっぱり弘南バスは物持ちがいい。

この車、中ドアがないことと、屋根にマーカーランプがあることを除けば、外観は元秋田市営バスのエアロミディとほとんど変わらなくて、ちょっと懐かしい。車内の床は、おそらく板張り。秋田市営バスのものは樹脂製だった。
今は弘前営業所所属だが、昔は別の営業所に配置されており、乗る機会はほとんどなかったはず。
前ドア・前輪の上に、
小さな「MMC」。秋田市営バスにはなかった
当時は、バス・トラックが三菱ふそうとして分社化される前。三菱自動車はCMなどで「MMC」とコールしていた。
秋田市営バスの同世代の車には、車体やリアウィンドウにはメーカー名の表示が一切なく、他社と比べて控えめだと思っていた。弘南バスでも、それは同じようだが、この「MMC」が小さな自己主張。

※この後、2017年9月時点でも904はまだ走っている。その他も含めてエアロミディの状況


富田大通りの「弘大農学生命科学部前」バス停。
(再掲)上り側
以前は、上下両側とも「農学部前」だった頃からの、旧・標準タイプのポールが立っていた。
(再掲)こんなの

今回行くと上の写真のように、両側とも、赤い枠が目立つ、新・標準タイプに更新されていた。しかも、
なんかくっついてる
ソーラーパネル付きのLED照明。
向かってくるバスから見える面で、時刻表を照らすように設置されている。

2016年4月18日の陸奥新報に「バス停にソーラー照明で安全快適に/弘前」として取り上げられていた。
昨年4月13日に「弘前市内の主要なバス停7カ所に蓄電式ソーラー発電LED照明を設置した。乗客に安全、快適なバスの待ち時間を過ごしてもらうことが目的。」とのこと。

ここ以外はどこのバス停なのかは不明だが、あまり費用をかけずに、サービス向上ができそう。街路灯・防犯灯の役目も果たすことだろう。秋田のバス会社も見習ってほしい。
なお、隣の「弘前大学前」は以前のままで、上り側は電照式、下り側は旧・標準タイプ。下り側は大学前、農学部前とも乗車する人は多くないと思うが、どちらかと言えば大学前のほうが多そうだから、そっちに照明を付けたほうがいいような気がしなくもない。※その後、大学前の上り側はこのタイプに更新された。


以下は写真なし。
2014年に、車内放送広告がかなり増えていた
今回は若干減った印象、スポンサーや内容の入れ替わりもあった。

弘前バスターミナル前では、美容室の広告は継続ながら、電話番号の語呂合わせ「さんぱちむごむご」はカット。「理系志望の弘高生諸君」の塾は撤退し、別業種に代わっていた。

上代官町の天賞堂も撤退。

弘前大学前では、なんとフクロウカフェの広告が登場!
場所は駅向こうの城東のほうらしいが、弘前にフクロウカフェがあって(秋田にはないよね※)、バスで広告が流れるとはびっくり。
「いいらしいですよ」というフレーズもあったかな。
※秋田では、その後2017年4月28日秋田市泉に「秋田初」のふくろうカフェがオープンした。



城東環状100円バスに乗ったら、さくら野へ買い物に行く、高校生と思しき女性2人組の会話が耳に入った。
「この辺(環状バス沿線)に住んでる人っていいな。バスが100円だから」とのこと。
彼女は駅の西側(弘前公園側)に住んでおり、通学にはバスを乗り継がなければならず、料金が高い上、本数が少ないので、うまく乗り継ぎできず、学校から乗り継ぐバス停まで走ったこともあったとか。
城東環状バスは、駅東側の住宅地をルートに含んで、朝から夜まで運行されており、駅東側においては一般路線バス同様の役割を担っている。そうした点を考えれば、たしかに料金の面でもダイヤの面でも、弘前市内ではバスが利用しやすいエリアではある。
実際のところは自家用車を使う人が大多数なんだろうけれど、弘前だけでなく秋田市などどこの街でも、こういう視点で、街の住みやすさを考えることも必要だろう。

弘前の話題は続きます
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中古バス続々

2017-01-26 00:03:56 | 津軽のいろいろ
年末年始の弘前では、弘南バスの新車に乗れた。
1年ぶりの来訪だっただけに、それ以外にも車両に変化があった。
なんか以前よりも小型バスをあまり見なかった気もした(その分中型バスが多い)けれど、気のせいかもしれないし、年末年始なので通常と運用が違ったのかもしれない。それはともかく、まずは、
土手町循環100円バス
土手町循環バスでは、基本的に一般路線とは区別された専用車両が使われている。これまでそれらは、自家用バス仕様の中古車が多かった。
↑このような路線バスタイプの車両は、昔はあった(ボロい車だった)が近年はなく、LED式先表示の土手町循環バスは初めて見た。「100円バス/土手町循環バス」と表示されるのか。

このバスは、「いすゞエルガミオ」と「日野レインボー2」の共通車種。いすゞと日野ではヘッドライトの形が違うのだが、初期に製造されたものは日野製でもいすゞと同じライトなので、区別できない。
弘南バスでは、これまでエルガミオは1台も購入しておらず、すべてレインボー2を採用していた。
したがって、最初見た時は、一般路線バス用のレインボー2が、年末年始態勢で循環バスの応援に入ったのかなと思った。

だけど、塗装が妙にきれい。
しかもナンバープレートは「10-24」なので、昨年末に入ったばかりの新車「10-43」とそう違わない。
社番は「11201-2」号車。この「112」は「いすゞで2000年に製造された」ことを意味する。
ということで、来たばかりのいすゞエルガミオの中古車だった。
弘南バスにエルガミオが導入されたのは、これが初めてかもしれない。とすれば、1999年の発売開始以来、17年経ってからの初登場。上記の通り、初期のレインボー2と外観は同一で目新しさはないけどね。
しかも、塗装変更の時などにはがされてしまったのか、「ISUZU」「ERGAmio」といった表示も見当たらないから、なおさら分かりにくい。
(再掲)既存のレインボー2【28日追記】この車はワンステップ。上のエルガミオとは側窓の高さが違うが、これは床の高さ=ステップの数が違うから。詳細は後述
新車で購入したレインボー2と比べて、正面の「K」ロゴが少し小さい。フロントガラス下のワイパーがある部分が、新車では車体と同じベージュ色で、こちらは黒いのも違う。
どこのバス会社でも、塗装変更時に意図したのかしないのか、細かな差異は出てしまうようだ。

社番「11201-2」は、「貸切や高速も含めた弘南バス保有の2000年のいすゞ製のバスで1台目」を意味する。製造年が基準で、中古車が来た場合は新車に続く番号が付与される。中古車なのに「01」なのは珍しい。
ということは、2000年当時はいすゞから1台も買っていなかったことになる。(買ったけど既に廃車になったという可能性もあるが)
当時は、日野レインボーや日野と三菱の小型バスは盛んに導入していた頃だが、貸切や高速用でいすゞを数台は導入しているかと思っていた。

最初は運転席側しか見なかったが、後でドア側を見たらびっくり。ただのエルガミオじゃなかった!
ちょっと分かりにくいかな

後ろにドアがある!!
弘南バスではどっちみち使わないが、車両中央部でなく後部に引き戸のドアが付いている!
後ろのドアは、主に西日本方面を中心に、昔のバスで見られた仕様だが、車椅子対応になった最近のバスでは、中ドアに統一されたと思っていた。エルガミオでこんな車があったとは!
※秋田中央交通には、もっと古い南海バスの中古で後ろにドアがある車がある。
【2023年1月8日追記・検診車(レントゲン車)で、バスベースのものでは、この位置に折戸のドアがある(トラックベースは後部もある)。秋田県総合保険事業団には、2015年のフルモデルチェンジ前のエルガの顔で、後寄り折戸、ツーステップの胃部検診車がある。ドアの種類は違うが、こうした需要に応えるため、後ろにドアを付けることは今でも可能なのだろう。】

小さいことだけど、後部には「乗降中」を表示する装置が設置されていた痕跡がある。その処理は雑で穴がそのまま開いていて、色が塗られていない。じゃあ、塗装を塗り替えてから取り外したの?

正面の行き先表示はLEDだけど、側面にも後部にもない。側面には弘南バスでは今なおよく使われる、板(鉄道業界ではサイドボードを略して「サボ」)をぶら下げている。土手町循環専用車両なのか。【26日追記】これまで弘南バスでは、LED式行き先表示は新車にしか採用されず、古い車と中古車は一貫して幕式表示だった。前だけとはいえ、中古車にLEDが設置されたのはこの車が初ではないだろうか。
一方で、乗れなかったので車内は不明だが、写真を拡大して見ると整理券発行器は設置されているようだ。土手町循環では整理券は使わない。運賃表示器の有無は不明(設置されていなければ、循環バス専用車両と断定できる)。【下の追記の通り、液晶式表示器搭載】
大みそかも元日も土手町循環に入っていたけれど、土手町循環優先使用車両みたいな位置づけなんだろうか。

座席は、標準的な路線バスのようで、少なくとも前方は1人掛け。
多くの車両が全部2人掛けだった土手町循環バスとしては、着席人数が減ってしまうことになる。でも、時期によっては乗降もままならないほど混雑する路線なので、個人的にはこれでいいと思う。長距離乗る人もいないのだから。

この車、ほかにも変わったところがある。
ワンステップではなく、ツーステップのようだ。そのため、側面の窓が、見慣れたエルガミオよりもやや上に位置している。エルガミオのツーステップはオプション仕様。
それに、走行音を聞くと、オートマっぽい。

かなりの珍車。前の所有者は?
調べたら、珍車だけに簡単に分かった。埼玉や茨城で展開する「朝日自動車」という、東武鉄道系列のバス会社が、同仕様のバスをまとまった数、保有していた。

【11月4日追記】
土手町循環バス用の中古エルガミオは、少なくとも2台在籍していた。2017年9月に、その2台に乗車できた。
もともとの仕様も、弘南バス譲渡時に改造された仕様も、2台に違いは見つけられなかった。強いて言えば、戸袋の出っ張ったところの降車合図ボタンの設置位置が違った。1台は他のボタンと同じ横向き、もう1台は前向き(座っていると見つけづらい)。他社の(特に古い)バスでも見られる差異ではあるが、この2台は同時に製造され、その製造時点から設置されたボタンのはずなのに、統一されていないのがおもしろい。

座席はほぼ全部が1人掛け。低い背もたれの一般的な路線バス用。ツーステップの分の天井の低さ、窓の位置の不自然さなどは感じなかった。エルガミオのオートマは、名古屋市営バスで乗って以来2度目の乗車だったが、滑らかで良好な加減速。
整理券は、従来の車両に搭載されていたものの使い回しか、インク式。運賃箱も、小田原機器製の旧タイプ。
運賃表示器だけは、レシップ製の液晶2画面の最新式。弘南バスの一般路線車のごく一部で搭載されているのと同じ、黒い外枠のもの。(秋田中央交通やJR東日本のレシップ製は、枠がグレー)
といっても100円バスだから、表示されるのは運賃よりもバス停名などの案内。バス停名は5か国後、弘前公園までの地図なども表示される。設定すれば一般路線の運賃表示にも対応しているということだろうか。(以上追記)


エルガミオ以外にも。
これも土手町循環
ナンバーは「952」なのでエルガミオの少し前の登録。
こちらは日野純正のレインボー、行き先表示は幕式で、土手町循環バスではこれまでにもあったタイプだから、違和感が少ない。
「51215-2」だから、中古エルガミオと同じ2000年製(当時はいすゞとの統合車種になる前)。「1215」だから弘南バスには、既に14台の2000年製日野車がある。
ところが、これも後ろにドアがあり、オートマのようで、座席からしても、おそらく朝日自動車の中古。
整理券発行器はある模様。
後ドアに「弘南バス」と表記
エルガミオでは後ろドアよりも後ろの車体部分に「弘南バス」と表記されているが、レインボーではそこが網になっているためか、ドアに書いている。秋田中央交通でもそうしていた。

一般路線バスではこれとそっくりな「954」が走っていた。弘前営業所以外の所属かな。
さらに、城東環状100円バスには、ナンバーは飛んでいるが同一仕様と思われる「10-16」が入っていた。
弘南バスでは、朝日自動車の中古車をまとまって導入したことになる。
【26日追記】車齢15年超の後ドアという珍仕様では、中古で引き取りたいバス会社は少ないのかもしれない。弘南バスなら後ドアは使わないし、これまでの自家用バスの寄せ集めのような車両群と比べても、この程度ならさして問題がなかったということかな。


城東環状100円バスで10-16に乗車できた。
城東環状は専用車両ではなく、和徳車庫の一般路線車が使われているので、運賃表示器があり、従来通りの7セグメント方式50コマ表示のレシップ製LED式。
車内はほぼ全席が1人掛け。
普通乗用車のものによく似たレバー(ただしPレンジがない)で操作する、トルクコンバーター式のオートマチックトランスミッション。
弘南バスでオートマのバスに乗るのは初めて。

日野のオートマといえば、タイミング悪い変速の秋田市中心市街地循環バス予備車のリエッセには、今も時々乗ることができる。
あとは、秋田市営バスの日野レインボー。1994年度導入の121~125号車がそうだった。
(再掲)
10-16は、秋田市営バスの車よりは6年ほど新しいことになるが、レバーや乗り心地、音はそっくりだった。忘れていた感覚を思い出した。
リエッセほどではないものの、変速時のショックがやや強いというか、ぎこちないのは、当時の日野の特徴なんだろうか。(秋田市交通局が入れていた、同時期の日産ディーゼルや三菱と比べてもそう感じる)

秋田市営バスのATレインボーは、他の車両と同じく中央交通へ譲渡されて使用されたのだが、その5台だけは早々(車齢15年弱ほど?)に廃車になってしまった(他社のオートマは、車齢20年を越えて今なお走っているものもある)。中央交通では、いろいろあって、扱いづらい車と判断したようだ。
このことを記憶する隣県の者としては、弘南バスさんは15年以上経ってから大量に入れてしまって、大丈夫なのかと、少々心配してしまう。
【28日追記】弘南バスの運転士さんたちは、オートマのバスの扱いに慣れていないはずだから、操作には充分気をつけてね。

ちなみに、エルガミオのオートマは、名古屋市営バスで乗ったことがあったが、乗り心地は良かった。【11月4日追記】弘南バスのも良かった。


さらにさらに、朝日自動車の中古かどうかは分からないが、中古レインボーをもう1台見た。
学園町線を走っていた、「930」「51214-2」号車。
窓枠は茶色だが、ドアは前だけのトップドア仕様。背もたれがやや高く、2人掛け席が多そうで、上記各車とは違う。MTかATかは不明。
バンパーが銀色ではなく、車体と同じベージュ色に塗装されているのが珍しい。


以上、弘南バスには新たな中古車が多数入っていた。
これまで土手町循環バスで使われていた自家用仕様のバスは、平成元年製造のもあったけれど、廃車されたのか、はたまた郊外の路線などで走り続けているのだろうか。子どもたちによる絵などラッピングがされていた車もあったが、新しい車両でもいずれ実施されるだろうか。

そういえば、以前の土手町循環バスでは、100円玉に手足が生えた黄色いステッカーを正面に貼っていたが、今回はそれがなく、フロントガラス右下に小さいものを出していた。不慣れな人には、ちょっと分かりづらくなってしまったかな。

弘南バスのその他いろいろは、また後日
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石垣ナンバリング

2017-01-18 21:17:36 | 津軽のいろいろ
年末年始の弘前の続き。※前回の記事
大みそかの午後、弘前城跡・弘前公園へ。
市役所向かい追手門。堀は凍結
市役所前の追手門広場で恒例のイルミネーションが行われているが、訪れた時はそのことをすっかり忘れ、市立観光館も休みだし、暗くならないうちに公園内だけ見ておけばいいと、とっとと巡ってしまった。イルミネーションはこの日は終夜点灯だったとのこと。

この時点では雪はそう多くはなく、いつもよりは少ないながらもちらほらと観光客が歩いていた。
花見の時は人だらけの撮影スポットの下乗橋も、たまに人が通るだけ。
後方に天守
天守は石垣修理のため曳家されている。※1年以上前の前回訪問時
(再掲)本来の光景

堀越しに天守台。右奥に天守の頭が見える。堀は工事用に埋められ、残った一部は凍結

ところで、石垣に、雪のほかに、黄色いものが点々とくっついているのにお気づきだろうか。
黄色いビニールテープ

油性ペンで「カタカナ-数字」
これは、石垣の石の位置を記録するためのナンバリング。
2017年春からの石垣解体に先立って、その位置を記録するため(後で復元できるよう)に、10月24日から12月19日までかけて、2518個の石にナンバリングが行われた。
上の写真を見ると、小さな石にはテープだけで文字が書かれていないもの、さらにテープすら貼っていないように見えるのもある。これらは大丈夫(2518個に含まれるの?)なんでしょうか?

それにしても、今どきの技術なら、石にICタグを付けて、GPSもしくは精細なデジタル写真を使って…とかで位置を記録することもできそうだけど、やっぱり原始的な方法がいちばん確実ということか。いや、ビニールテープと油性ペンを使っただけでも、前回の明治の修復から見れば新技術か。

冬期は入場無料の本丸へ。ただし、天守内の公開は休止。
主が留守の天守台
天守台の下の階段部分の石垣にも、黄色いテープ。

ウッドデッキ風の展望デッキから、仮置き中の天守を眺める。
後方には頭に雲をかぶった岩木山
展望デッキのスロープは冬期間は閉鎖され。昇降は階段のみ。
この時は階段の各段に雪が固まって付着し、下りる時は怖かった。木製の手すりは、多少風格が出てきて、ささくれ立っているところもあった。

蓮池越しに岩木山
雪が融け、さくらまつりが終われば、いよいよ石垣の解体が始まる。次に来た時はどうなっているだろう。
【2017年4月9日追記】2017年4月9日から、石垣の解体作業が始まった。内堀にせり出す見学用のデッキも設置。

弘前の話題は続きます。
石垣工事の続き(2017年9月)はこちら

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富田大通りの流雪溝

2017-01-15 21:01:57 | 津軽のいろいろ
この冬一番の寒波襲来の中、大学入試センター試験が行われた。
東北地方北部の平地では、降雪・積雪量はそれなりに増え、寒さも厳しいが、心配された暴風はそれほどでなく、列車の遅延や試験トラブルも目立ったものはなさそう。月曜以降は気温が上がるので、積雪が融けて道路がぐしゃぐしゃになりそうなのと、落雪や屋根の雪下ろし中の事故には注意。
一方で、福島・新潟県の内陸では豪雪のようだし、太平洋側や瀬戸内海側でも積雪し、事故や試験への影響が出ている。


唐突ですが、「流雪溝」というのがある。道路端の側溝に水を多く流し、その上の路面にあるフタを開いて、積もった雪を投入する仕組み。豪雪地帯で、ある程度家が密集したところ(農村部ではなく)に設置されているところがある。
青森市では「流雪溝」と「融雪溝」が存在したり、青森県弘前市では「消流雪溝」が公式な呼称のようだが、一般的には「流雪溝」だろう。
秋田市はさほど積雪がないこともあって一般的ではないが、中央部の八橋地区の旧国道沿いには設置されている。近くの秋田市上下水道局「八橋下水道終末処理場」の下水処理水を流雪溝に流し、同じく近くの草生津川へ放流するもの。
投入は手作業だし、放流時間が決められるそうだし、水があふれたり転落事故が起きたりすることがある。でも、せっかく作ったのだから、あるのに使わないのはもったいない。

前にも書いたけれど、初めて弘前へ行って驚いたのが、積雪時の道路の歩きにくさ。
秋田市より降雪が多いから当然なのだけど、20年前は路肩や歩道は雪が積もり放題で閉口した。一部流雪溝らしきものもあるにはあったが、使われていないようにも見受けられた。

そんな場所の1つであった市立大成小学校前の道路を2013年に通ると、流雪溝を使って地域のみなさんが除雪作業をしており、昔より格段に歩きやすくなっていた。ここは昔から流雪溝があったのかは不明。

もう1つが、富田大通り(青森県道127号線)の弘前大学文京町地区前。
ここは20年前の時点で、歩道部分に流雪溝らしきものが設置されていた。
しかし、当時は使われた形跡がないどころか、除雪作業が一切されていないようだった。格子状の「グレーチング」でできた流雪溝のフタ部分では、雪が下(流雪溝の中)に落ちて雪が積もらないから、そうでない部分とは高低差が生じる。
弘前最初の冬は、積雪が50センチを越えていた上、県道の車道部分で除雪された雪も歩道に降り注ぐので、古いバスに乗り降りするみたいな段差ができていた。
だから、歩行者は、本来はある程度の広さがある平坦な歩道なのに、狭くなって、しょっちゅう登り下り(しかも滑りやすい)して歩かねばならなかった。特に正門側よりも農学部(当時)側のほうがひどかった。高齢者や中学生など地元の人もたくさん歩く道なのに。

弘前大学当局の手が(気が)回らないのか、道路管理者である青森県も何かできないのか、と思っていたら、数年後には歩道部分をロータリー式の除雪車が除雪するようになった。大学か県か誰がやったのかは不明。
ということは、富田大通りのあれは流雪溝っぽいけど、単なる暗渠(フタ付き水路)なの? と思っていた。
今年元日の農学生命科学部前。バス停のポールについては後日また
上の写真のように、富田大通りの歩道には、グレーチングが点々と続いているのだが…


さて、ローカル報道向けに大学入試センター試験を取材させる場合、県単位で特定の会場の特定の教室を公開する。
秋田では例によって秋田大学(のいつもの部屋?)だったが、青森では弘大ではなく青森市の青森公立大学だった。
でも、前日13日の準備風景は弘前大学を取材したところが複数あった。室内の準備作業は恒例の旧・教養部201講義室か301講義室だったようだが、なじみがない教壇側からのアングルが多かったため、ピンとこなかった。

NHKでは、弘前大学試験会場の屋外の準備風景が、全国向けにも放送された。
NHK青森放送局サイトより
上の画像、奥は富田大通りを走る弘南バス。
手前は大学前の道路の歩道を除雪する大学職員たち。この人たちは寄せた雪を、開いたグレーチングの中へ落としていた。字幕で隠れているが、この後、穴の中がアップで映った。
やっぱり富田大通りのあれは流雪溝だったのか!!

この時点で40センチほど積もっていたから、除雪作業は必要だろうけど、20年前とは雲泥の差。今は日頃からこんなに丁寧にやってくれてるの? それこそロータリーでざっと道を作ってくれる程度でいいのでは?
映像では正門に「排雪作業中」の看板が立ち、トラックが中に入っていくシーンがあった。構内の雪はよそへ運んで捨てているようだ。

この調子で、文京町3番地の農学生命科学部側まで除雪したとすれば、けっこう大変な作業。
センター試験は正門側の1番地だけで実施されるはずだから、除雪も1番地側だけで、3番地は相変わらず段差になってたりはしないでしょうね。数は少なくとも受験生が通るであろう、裏手の寒沢スキー場入口、バカヤローカーブ側もどうなっているやら。
歩きやすくしてくれること自体は、受験生以外にもありがたい。職員だけじゃなく、学生の手を借りて、日頃からやるとかしてもいいのでは。それこそ地域と共生する大学。
【15日追記】「雪かたづけ隊」という学生ボランティア団体が市内各所で除雪をしているようだ。だったらセンター試験前の大学前でもやればいいのに。

それにしても、毎年思って・書いてしまうけど、1年でいちばん気候が厳しいこの時期に、全国共通の大事な試験を実施するのはなんとかならないのだろうか。他の時期ならば、道路や鉄道の遅延、除雪の手間と費用、暖房費、インフルエンザ流行の危険など、あらゆる点で軽減できるのに…
センター試験に代わる試験が検討されているが、時期は変わらなそう。
悪天候の地域が多い中、東京は晴れていたようだ。そんな土地からでは、やっぱり地方の厳しさは感じてもらえないのかもしれない。
こんな時こそ、弘前大学なり秋田大学なり、あるいは県知事、県選出国会議員などが国へ提言するくらいしてくれてもいいのではないだろうか。



その他、センター試験雑感。
・昨年、秋田大学会場において、使用が禁止された格言入り鉛筆を机上に置く受験者の姿がローカルニュースで放送された。大学入試センター側の周知も分かりにくいように思われたので、その旨、余った年賀はがきを使って意見を送った。
返信はなかったばかりか、募集要項の記述も変わらなかったようだ。試験会場での注意などは分からない。今年の秋田のテレビでは机上がアップになるシーンはなかった。
ちなみに、NHKニュースでは「大学入試センターによりますと、この2日間で、禁止された電卓や定規などを使った不正行為をした受験生が12人」いて「すべての試験結果を無効とする措置」となったと伝えた。※格言鉛筆は使用禁止であって、使っても直ちに不正行為と見なされるわけではないらしい。

・秋田市では、秋大、県立大秋田キャンパスのほか、ノースアジア大学も試験会場。
路線バスが廃止されたノースアジア大へのアクセスが不安になるが、大学ホームページによれば、秋田駅東口からの無料送迎バスをセンター試験用ダイヤを設定して運行していた。試験時刻に合わせていると思われる。
センター試験時にバス会社が有料の路線バスを特発するのは、全国的にあるようだが、自前のバスを出すのは、どうなんだろう。親切ともいえるが、当然ともいえる。
ノースアジア大の立地からすれば、この対応がなければ地獄だけど、これだけの対応があれば、駅から秋田大学まで歩くのと比べても…どうかは人それぞれでしょうけど。※センター試験の受験会場は、受験者は選択できないはず。

・試験会場の構内(屋外)で、高校や予備校の先生が、受験者を励ます姿がよく報道される。最近では、先生がお菓子や使い捨てカイロを、教え子に配ることが流行っているようだ。メーカー側が験担ぎのお菓子を売っている影響もあるのだろう。
20年ちょっと前、僕の高校からは多くの生徒が秋田大学でセンター試験を受験した(当時は秋田県内で秋田大学だけが会場)。だけど、そこで高校の先生との接触はなかった。先生が会場にに来ていたかすら分からないが、来ていたのなら事前に「会場に行くからあいさつに来なさい」ぐらいの指導はあってもよさそうだが記憶にない。寒いなか、待っていてくれなくてもいいけどね。

・14日のTBS「新・情報7daysニュースキャスター」の最後で、コメンテーターの明治大学教授・齋藤孝氏が、「センター試験は評価が高い試験制度で、(近い将来の新試験導入によって)廃止されるのは残念」といった趣旨の発言をされていた。そうなんだ…

【17日追記】
新聞には、前日実施分のセンター試験の問題と解答が掲載されるものだが、2017年の秋田魁新報にはなかった。2016年がどうだったかは記憶にないが、昔は魁にも掲載されていたのに。
今年も、科目ごとの出題傾向などの分析は掲載され、ホームページでは、問題・解答がアップされた共同通信社の「47news」サイトへのリンクはある。
全国紙にも、大学入試センターのサイトにも掲載されるわけだし、あえて紙面を割く必要もないという判断なんだろうか。理解はできる。
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濃いシチュー×青森

2017-01-13 00:22:07 | 津軽のいろいろ
エスビー食品のシチュールウ「濃いシチュー」。
2010年頃の発売開始のようだが、白いの(クリーム)と茶色いの(ビーフ)があった。

2016年8月15日、それらがリニューアルされる(外見としては箱の角が丸くなった)とともに、「追加アイテム」として新しい味が加わった。「キャロット」と「パンプキン」。
パンプキンは完熟栗かぼちゃを使ったもので発売期間限定。
キャロットのほうは常時発売で、3番目の定番商品になったそうだが、そのわりには店頭にあまりないような。


そのキャロットの原料として使われているニンジンは、青森県深浦町の「ふかうら雪人参」。
雪の下から収穫されて甘いのが特徴で、近年はお菓子の原料として供給されるようにもなっていた。

シチューのパッケージ裏面にも、その説明が出ている。

そこには「深浦町舮作(へなし)で作られる」とあった。深浦町全域で作られているわけではなく、町内の地域限定なのか。(雪人参ブランドでないニンジンは作られているのかもしれない)
五能線の難読駅名として知られる「艫作」と同じ場所だが、地名や農事組合法人の名称としては「舮作」表記を使っているらしい。

調理例
色はまさしくニンジン色。パッケージの絵や作り方にも書いてあるが、具材としてもニンジンを入れたほうがいいようだ。
普通のホワイトシチューの味の中に、ニンジンの甘さがほんのり。どこかカボチャのような味もする。
ニンジン「臭く」は感じなかったけれど、苦手な人はそう感じてしまうかもしれない。
栄養成分欄には記載がないが、β-カロテン量がどの程度なのか、気になるところ。


ふかうら雪人参は冬の収穫だから、夏から発売されたこの商品の原料は昨シーズンの収穫だろう。
2016年は、北海道が雨の被害で大打撃を受け、ニンジンを含む野菜が高騰した。青森県ではどうだったか分からないけれど、来シーズン用の供給は大丈夫だろうか。

S&Bが全国発売するシチューに「青森県産ふかうら雪人参」(ついでに裏面だけど「舮作」も)の文字が入るのは、大きな宣伝になるはず。
だけど、このことが青森県内ではどれくらい知られているのだろうか。単一の農事組合法人とSBの契約であって、県庁などが関わることではないのかもしれないが、「決め手は、青森産県。」 などと県産食材をPRしている県にしては、そっけないかな。
秋田県でも、グリコパナップのメロンで同じことがありました

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弘前で初年越し

2017-01-12 00:21:05 | 津軽のいろいろ
2016年は八戸へ行ったけれど、弘前へは行っていなかった。
ちょっと時間ができ、天候も穏やかそうだったので、弘前で2016年から2017年への年越しをしようと思い立った。

4年間弘前で暮らしたとはいえ、いつも年末年始は秋田へ帰っていた。4年次でも、12月31日から1月5日は弘前にいなかったらしい(自分の記録が正しければ)ので、まさに初めて弘前で年を越した。
弘前プリンスホテルから望む元旦の岩木山。大みそかからてっぺんの雲はなくならず、やがて全部が隠れてしまった
お盆を弘前で過ごした時は、秋田市ではほとんど行われない、迎え火・送り火が盛んに行われていて、弘前の違う一面を見た気がした。では、初めて過ごす弘前の年越しは、どんなものか…

結論としては、あちこち出かけなかったこともあって、いつもより少し静かだなという程度。
秋田市はほとんど雪がない年越しだった。
弘前市は、秋田市よりは雪があったものの、弘前としてはとても少なかった。元日の観測上の積雪は11センチ。平年値は22センチ。
秋田市ならばたまにあることだけど、弘前でこの少なさなのはより珍しいのではないだろうか。【13日追記】秋田市と比較して、弘前はより冷え込んで、風が弱いのはいつもの冬のことだが、この正月は晴れ間や青空が長時間出たのが特徴的。
大みそか夜の弘前駅。風はないが冷え込んで、路面は恐怖のブラックアイスバーン
大みそかの弘前公園(後日また)は、少ないけれど観光客がいたことはさすが弘前。【14日追記】駅の観光案内所は開いていた。市役所・弘前公園向かいの市立観光館は休み。

初詣。弘前は城下町のわりには、街中に初詣に行くような神社は多くない気がする。秋田市の千秋公園近辺のように、破魔矢を持った初詣帰りの人を見かけることはなかった。(本来の初詣は、自宅近くへ詣でるもののようですが)
一方、神社でなく仏教寺院に初詣することが一般的で、弘前市街地の五重塔のある「最勝院」が津軽地方最多参拝者数の初詣寺社。
秋田市では、正月に寺、しかも自分の家の菩提寺以外の寺を参拝する人は、かなり少ないはず。全国的にお寺で初詣するのが一般的な土地もたくさんあるので、秋田市のほうが珍しいのかもしれない。
秋田市民としては、お寺で初詣という発想がなく、最勝院の近くへは行かないで終わってしまったのだけど、周辺は混雑したかもしれない。
また、津軽には、「津軽一代様」といって、十二支ごとに守護する神仏が定められていて、自分の干支担当の寺社へ初詣する風習がある。その寺社は弘前市郊外や市外にも点在しており、そちらへ行く人もいたのだろう。
今年は雪がほとんどなく、初詣しやすかったかもしれない。しかし、途中で遭遇したとある初詣スポット近くでは、参拝者と思しき車で渋滞が発生していた。寺社側の誘導が下手なようにも見えたが、その中で自分勝手な強引な運転により、一歩間違えれば大事故になりかねない場面を目撃した。初詣に行って交通事故を起こしちゃあ、正月から縁起が悪い。初詣したご利益で事故にならずに済んだのかもしれないが…

初売り。ご多分にもれず、1月1日から初売りするところが多かった。
イトーヨーカドー弘前店、ヒロロ、中三弘前店、さくら野弘前店、どこもにぎわっていた。
一方で、地元スーパーとしては大手である「ユニバース(本社は八戸)」や「カブセンター(青森市の紅屋商事)」は2日からの営業で1日はお休みだった。現代としては割り切った発想を、県内大手2社が揃って実行しているのが、興味深い。
弘前の「佐藤長」は1日から営業。本社は大館の「いとく」もそうかな?

バス。弘南バスの一般路線バスは、例年どおり、大みそかは19時00分より後、1日は8時前と19時より後、2日は8時前がそれぞれ運休し、それ以外は平常ダイヤで運行。(今年は元から土日だが、大みそかや2日が平日の場合は平日ダイヤベース?【2018年12月30日追記】2018年12月31日は月曜日だが土日ダイヤで19時05分以降運休。平日の2019年1月2~3日は土日ダイヤ適用となった。)
したがって、昼間は普段通りの本数が走っている。
見た限りでは、それなりに乗客はいるものの、いつもよりは少ない感じ。もうちょっと減らしてもいいような気もするが、これ以上減便しては、本数が少ない行き先で困ったことになるのかもしれない。
さくら野へ行く、城東環状100円バスはなかなか盛況。一方、土手町循環100円バスはかなり利用が少ないようだった。

弘南鉄道は乗る機会がなかったが、最勝院や大鰐のお寺など、沿線に初詣スポットがある。利用状況はどうなんだろう。
元日の"寒沢スキー場”。背後が弘南鉄道の踏切
弘前大学裏の“寒沢スキー場”は、ロードヒーティングが設置されたこともあり、乾いた路面。【13日追記】左側の電気屋さんの三菱電機の看板が、新しくなっていた。
岩木山は雲に隠れてしまった。

駅の装飾。
大みそかのみどりの窓口前自由通路。左隣奥が改札口
自由通路には、大館アメッコ市のアメの木と、LEDで飾りつけられたツリー。
駅前向かい側の遊歩道の公園部分の針葉樹にも、同じようなイルミネーションが施されていた。ギラギラせず品が良く、クリスマスを過ぎていても違和感はなく、いい感じ。
みどりの窓口前
みどりの窓口前には門松。秋田駅の門松よりは少し背が低そうだけど、竹1本1本は太い?

テレビ関係。
大みそかは土曜日なので、いつもどおり、6日遅れの「サザエさん」が17時から青森テレビ(ATV。TBS系)で放送されていた。
スポンサーは日曜のフジ系とは別。サザエさんが「この番組はご覧のスポンサーの提供でお送り…」と紹介する部分はアニメはそのままで、テロップを差し替えていたようだ。

「その話、ちょっと待って!」
特殊詐欺防止のCM。出演は民謡歌手・ローカルタレントの「津軽のエンターテイナー」こと黒石八郎氏(過去の記事)。久々にお見かけしたら、頭髪が…
秋田県では、超神ネイガーなどが出演して「電話一本詐欺のもと」というCMが流れている。その青森版なんだなと思ったが、青森では右上に「消費者ホットライン・電話188」というのが表示されている。秋田はなかったような?
帰ってから調べると、秋田版では「#9110」。
すなわち、両県で広告主が違い、青森は青森県消費生活センター、秋田は秋田県警察本部(と秋田県?)で、それぞれの窓口の連絡先を表示しているのだった。

ローカル年賀CMを集めた5分ほどの番組が青森テレビで「年賀ガイド」として放送されていた。
そのタイトル

大みそかの青森朝日放送(ABA)の短いローカルニュースでは、最後にアナウンサーが、「今年1年、ABAをご覧いただき、ありがとうございました。良い年をお迎えください」とあいさつ。その旨のテロップも出た。
年明けの青森テレビでは、
キャラクターからごあいさつ(関連記事
さらに、
「今年も青森テレビの番組をよろしくお願いします!」背景左の「わっち」は番組名
青森テレビのアナウンサーが勢揃いしてあいさつするスポットも流れた。
青森テレビのホームページにアナウンサーとして掲載されているのは6名なので、これで全員だとすれば、みんな若くて知らない人。川口浩一さんは定年? 津田禎さんは?


ろくなあいさつもなく年末年始は休業状態だったNHK県域局(少なくとも秋田局)はともかく、秋田の民放局ではこのような局としてのあいさつ(番組ごとではやっているものもありそう)はやっているだろうか。青森の民放局は義理堅いのかも。

弘前の話題は続きます
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弘南バスに新レインボー

2017-01-04 00:27:41 | 津軽のいろいろ
秋田中央交通に、恒例の路線バス用新車が12月21日に導入されたとの情報をいただいた。
今回はいすゞ製中型ノンステップバス「エルガミオ」が2台と、やや少なめで日野製はなし。12-27が秋田営業所、12-28が臨海営業所配置。

エルガミオは、2016年に発売開始以来17年ぶりのフルモデルチェンジが行われており、従来車とは違う点も多そう。
なかなか遭遇できないでいたら、暮れも押し詰まった30日の夜、秋田駅前で2台がほぼ連続して走るのを目撃できた。暗かったのでよく分からず、乗ることもかなわなかったけれど。※中央交通の新車については、こちらで少々。


1月1日は弘前にいました。
1年ちょっとぶりの弘前だけに、弘南バスにもいくつかの変化があった。その1つが…

冷え込んだ朝のイトーヨーカドー隣のセブン-イレブン前を歩いていると、バスターミナル終点の路線バスが入ってきた。
それは、中央交通のと同じ、新型エルガミオ?! 弘南バスも買っていたのか!
いや、リアウインドウに「HINO」とあるので、正確には同設計の日野「レインボー」のほうだ。
弘南バスでは、ここ10年ちょっとは、新車で購入する中型路線バスはすべて日野製で、いすゞと日野の製造部門が統合されて同車種となってからも、それが続いている。(中古や貸切などではいすゞを導入)

と思っているうちに、回送になって市立病院のほうへ行ってしまった。


それから数時間後、弘前大学前から駅行きのバスに乗ったら、
新型レインボー!
さっきの車が弘前営業所で休んで戻ってきたのか? とにかくラッキー。秋田でより先に弘前で新車に乗れるとは!
ナンバーは「か10-43」。青森県には八戸ナンバーもあるので、全県1つの秋田ナンバーより進みは遅い。
社番は「52804-2」号車。弘前営業所所属で、2016年の日野製4台目の導入であることを意味しているが、先の3台はモデルチェンジ前に導入されたものかもしれないし、高速・貸切車かもしれない。

弘南バスとして特筆すべきは、ノンステップバスであること。弘前で初のノンステップバスであろう。
積雪地では、底を雪にこすったり乗り上げたりすることを恐れ、ノンステップバスの導入を敬遠する事業者が多かった。価格もあるでしょうけど。
ところが今回のモデルチェンジで、ワンステップ仕様が廃止されたらしく、弘南バスとしてはやむを得ずノンステップバスになったのかもしれない。
正面向かって右のヘッドライト上と後ろに控えめに「ノンステップバス」と書いてあるだけで、「国土交通省標準仕様ノンステップバス」認証シールもなし(今回の中央交通では、前と横と後ろの3か所も貼っている。ピンク色)。せっかくなのだから、目立つようにしてPRすればいいのに。

メーカー側の変更のようだが、正面行き先表示の右の車椅子マークに加えて、左はベビーカーマークになった。

前モデルまでの「日野レインボー2」は、いすゞエルガミオとヘッドライトの形状が違って区別できた。ただし、初期はいすゞと同じヘッドライトで、弘南バスにも在籍。
今回のモデルチェンジでは、ヘッドライトが再び共通になり、従来の日野がつり目になったような形。
車種名は「2」が取れて「レインボー」になったそうで、共通車種でない日野純正レインボーとの区別がなくなってしまった。

車体には「レインボー」の表記はなく、正面右ワイパーの付け根の右に小さく「HINO」、従来と同じリアウインドウ右下にも「HINO」があるのみ。これを見なければ外観でいすゞか日野か識別できなさそう。


(再掲)前モデルの日野レインボー2
今までの車種では、日野レインボー2のデザイン(というかヘッドライト周り)はあまり好きでなかった。いすゞの二番煎じなんだし、何か古臭いような間抜けなような印象を持ってしまっていた。
今回のモデルチェンジで、いすゞ側も日野っぽいデザインになってしまったと感じていた。バスに限らず、昨今は乗用車でも家電でも、つり上がったようなキツイ顔つきのものが多く、この点でもあまり好きではなかった。
でも、実車を見ると、なかなかカッコイイ。従来のいすゞエルガミオよりいいかも(特徴的な縦に並んだライトがなくなったのは惜しいけど)。
精悍な雰囲気もありながら、ヘッドライトの周りの車体やバンパーがややふっくらした形状でキツさを軽減している。正面から見ると、全体に縦長で面長になった印象も受ける。【4日追記】行き先表示の辺りのラインも変わったせいか、頭でっかちにも見える。
屋根上の冷房装置の穴の形が、従来と変わった。
正面のウインカーは、ヘッドライト脇からバンパー内に下げられた。昔は、積雪時に隠れることを嫌って、標準よりも高い位置にウインカーを付けていた事業者(弘南バス、青森市営、秋田市営の各一部など)もあったが、今はもういいのかな。

側面は、
従来の弘南バスとほぼ同じかな
前ドア後ろの前輪の上に、新たな灯火が出っ張っている。
窓は、前ドア-行き先表示(固定窓)-縦長固定窓-戸袋窓-中ドア-下固定・上引違い窓×2 の配置。
弘南バスでは中ドアは車椅子・ベビーカー専用で、乗降とも前ドアなので、前ドアには「出入口 DOOR WAY」と表示。「DOORWAY」はまさに「出入口」の意味だそう。

後部
後ろも従来より縦長な印象。
リアウインドウの天地がやや狭くなったのと、その下の灯火がある部分の板の左右に黒い部分が目立つのが特徴。
中央交通の車で初めてこの板を見た時、板が外れかけているのかと思ってしまった。


最近は、LED式行き先表示に白色表示可能なフルカラータイプが登場しているが、弘南バスは従来と同じレシップ製オレンジ色。
整理券は、弘南バスとしては初めてかもしれない、感熱紙タイプ。「弘南バス」の社名や日付も入る。発行器のボディはいぶし銀色(?)のようで昔ながらだけど、新品のようだ。←【4日訂正・中央交通と同じベージュ色のボディらしいので削除します】中央交通のと同じ券面だから小田原機器製か。
運賃表示器は、弘南バスでは既に導入されているのだろうか、レシップ製の液晶2画面。中央交通やJR東日本秋田支社のと同型のようだが、画面表示の配色は異なり、黒っぽかった。

天井の照明はLEDで、従来より薄く、数が多そう。
座席は、優先席も窓を背にする横向き3席から、正面向き2席に変更。車内転倒事故防止上は、前向きのほうが安全らしい。
【4日配置】座席の配置は、ノンステップ部分(中ドアより前)の運転席側は、車椅子スペースの折りたたみ席2列も含めて、すべて2人掛けのようだ。前モデルの弘南バスでは、すべて1人掛け(かつての秋田市営バスと同じ)。これまでの中央交通とほぼ同じ配置(折りたたみ席は1人掛け)になって、着席人数を増やしたことになるが、モデルチェンジでノンステップ部分の立ち席面積が広くなったことも関係しているのかも。【2018年2月11日補足】折りたたみ座席は、2人掛けと1人掛けを選択できるそうだ。

いすゞのホームページを見て気になっていたのが、座席の形状。背もたれが低く硬そうで、把手(とって)のデザインが、従来とはだいぶ違った。同社の大型車「エルガ」でも同じものが採用されていて、ホームページでは「全席に採用した樹脂製シートは汚れがつきにくく、車内清掃が楽になります」と説明。
弘南バスのも、そのタイプ。
弘南バスでは、2000年前後に導入していた純正日野レインボー(ワンステップ初期の頃)で、それに似たデザインの座席を採用していたことがあったが、それよりはクッション性があって硬めながらも座り心地は悪くない。個人差はあるでしょうけど。
中央交通にある小田急中古の、ベニヤ板に薄いクッションを入れただけみたいな座席に比べれば、適度なフィット感・ホールド感があり、数十分乗る程度なら問題ないと思う。これで秋田から五城目とか、青森から五所川原とかだったら、どうだろうか…
永年使うと、座席のクッションがヘタってスカスカになることもあったが、その意味での耐久性は増したのではないだろうか。
(再掲)古いけどこれまでの一般的なバスの座席
現在主流のバスの座席において、把手は、背もたれの後ろ側に、1つ後ろの席の人が使う「Ω」状のものと、肩の部分に立つ人が使う「?」状の、いずれも樹脂製のものが付いていた。

この新車では、2つの把手を統合して、背もたれ上部に横幅いっぱいに棒状のものが設置された。
金属パイプを芯にして、表面を樹脂で巻いた構造だと思われる。少し前のバスに多用されていた、天井につながったつかまるためのパイプをわずかに細くした感じ。
把手全体がワイドになり、円形の断面で握りやすくなり、とっさにつかまりやすいかもしれない。
だけど、立っている時とか、前の席の人が長髪だったりフード付きの服を着たりしていたら、つかみにくそうな気もしなくはない。

これと同じような把手は、上記の2000年頃の弘南バスのレインボーのほか、昭和50年代の秋田市営バスのいすゞの中型車でも使われていた。北村製作所というメーカーの架装で、平成初期に廃車。これは金属に塗装しただけながら、太さや配置は、今回の新車にとてもよく似ていると思う。北村製作所か秋田市交通局か、先見の明があったのか?!


乗って運転席を見ると、シフトレバーの形がユニーク。
遠くてはっきりとは分からないが、ジグザグした「ゲート型シフトレバー」っぽい。オートマ?
ところが、走行音はマニュアル車と同じ、アクセルから足を離したような加速が止まるタイミングがある。
これは何だ?【4日追記】普通乗用車のゲート型では、Rなどに入れる時に押すロック解除ボタンはない(ゲートの形状がその役目を果たすので)のが一般的だが、このバスは押しボタンもあった。ゲート型と見た目は似ているものの、別物ということ。

予備知識がなかったが、今回のモデルチェンジで、従来のマニュアルもオートマも廃止され、「AMT」に一本化されていた。※大型車では、AMTのほかトルクコンバータ式AT仕様も継続。
AMTとは「自動変速マニュアルトランスミッション」。オートマのようにも運転できるし、シフトアップ/ダウンを指定することもできるが、クラッチペダルはない車らしい。
この時の運転士は、レバーに左手をしょっちゅう載せていた。オートマならそんなに触らなくてもと思ったけれど、手動で変速していたのかもしれない。
そのおかげか、乗り心地は良好。【4日追記】変速ショックや不自然なタイミングで変速されるようなことはなかった。
停車する直前に、「ぎゅるんぎゅるん」という音とかすかな振動【2018年4月29日補足・シフトダウンしてエンジンブレーキがかかっているような感じ】があったような気がした。

あっという間の乗車だったけれど、良かった。
弘南バスでは、新たに中古車もまとまった数が導入されており、なかなか珍しい車だった。後日

ちなみに中央交通の新車では、メーカーロゴは当然として、バンパーの色、側窓の配置は異なる。行き先表示は、従来と同じオージ製のオレンジ色LED。

【4日追記】ネット上の情報では、12月28日頃からこの車の目撃情報があるので、ほんとうに導入間もない時に乗れたことになる。
連番で同型の、ナンバー「10-44」の「52805-6」号車が青森営業所に配属されたとのこと。【8日追記】コメント欄の通り、青森営業所にさらにもう1台導入されたとのこと。

【8月20日追記】やっと秋田中央交通の同型車にも乗車できた。車内は弘南バスと特に違いなし。
運転士は、弘南バスのようにシフトレバーに手を載せっぱなしではなかったが、「D」固定ではなく、こまめにシフトアップとシフトダウンを切り替えていた。つまり、レバーから手を離しても、アップ/ダウン位置に固定できる構造。弘南バスの運転士を見た時は、離すと戻ってしまうのかもと思っていた。
秋田市街地の運行では、シフトアップよりもシフトダウン位置のほうをよく使っており、普通乗用車の免許しか持たない者の感覚としては、「ここではシフトアップでしょ」というタイミングでも、シフトダウンにすることが何度かあった。
【2018年2月11日追記】その後、中央交通で2度ほど乗ったが、その時はどちらも走行中はDレンジ固定だった。すると、納得の乗り心地。知らなければ、従来と同じマニュアル車かと思ってしまいそうだが、意識していると、マニュアル車でギアチェンジしてシフトペダルから足を離す時に相当する「ガクッ(運転者や条件によって程度の差はあれ)」という衝撃がなく、「ふわっ」と滑らかにクラッチがつながる感じ。
中央交通では、車いすスペースの折りたたみ座席は、従来通り1人掛けだが、従来車よりはやや幅が広そう。また、12-27号車(もう1台の12-28は未確認)では、後部の床が高い部分、1番前の運転席側の席(2人掛け)だけ、肘掛けが少し昔のバスと同じ、大型のもの。その席の通路部分が階段になっているから、転落防止や乗降時につかまりやすいための配慮なんだろうか?
【2018年4月29日追記】客席の側窓上部の開閉する部分は、天地方向の高さが、前モデルよりも広くなっており、開口面積が大きくなっている。また、客室内から見ると、前モデルより側窓全体が下(床方向)に移動しているような印象。

【11月4日追記】日野レインボーは、この後2017年8月に、新しい排出ガス規制に適応するマイナーチェンジを実施。弘南バスでは10月末~11月始め頃に、その車両を導入したとのこと。この記事中ほどに写真あり。
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ねぶた漬おにぎり

2016-12-09 00:11:50 | 津軽のいろいろ
秋田市内のスーパーの惣菜・弁当売り場でこんなものが売られていた。
あおもりの味 ねぶた漬(R) 8%税込み138円
海苔を直巻きして袋に入った、おにぎり。
「ねぶた漬」は、青森県外の人にはなじみが薄いかもしれないが、青森では著名。包装にも「永年のベストセラーです。」とある。
要するに「松前漬」を、青森市の「ヤマモト食品」が「ねぶた漬」の商品名で製造販売しているもの。

ちなみに、弘前市の「鎌田屋商店」は松前漬を「つがる漬」として製造販売。
以前、弘前の津軽藩ねぷた村の土産屋で、観光客が店員に「ねぶた漬はあるか?」と尋ねる場面に遭遇した。店員は「ねぶた漬は青森市のものなので、こちら(弘前)では、つがる漬です。」と説明して案内していた。
それぞれのこだわりや特長はあるのかもしれないが、大して違わないはず。


僕は、弘前にいた頃、何漬けかは知らないけれど、松前漬を何度か食べたことがあったので、それがおにぎりになって秋田で遭遇できたのはうれしかった。

製造者は青森市の「丸高 高橋蒲鉾店」。甘口の赤飯おにぎりを作っているところだ。
裏面に「青森県産米使用」との記載はあるが、品種は不明。
ちゃんと数の子も入ってる
思ったよりねぶた漬の量が少なく、独特の粘りと味は控えめ。

コンビニおにぎりでも、ツナマヨを「シーチキン(R)」と表示しているところがあるように、これも製造者と原料提供者がコラボした商品ということになりそうだが、ネットで調べたところ販売店舗も限定されていた。今年7月20日から、青森、岩手、秋田各県のイオングループのスーパーで販売しているとのこと。販売期間は不明(購入したのは11月でした)。
秋田市では、イオンリテールとマックスバリュ東北の各店で扱っているが、他店では見かけないのはそういうわけか。
粘りと汁気があるねぶた漬をおにぎりにするのは難しかったようだ。
値段が値段だし、塩分が気になるけど、もうちょっと量がほしいところかな。あと、ご飯を「青天の霹靂」にしたら、より付加価値が出そう。

【2017年1月8日追記】イオンリテールの東北の店舗やマックスバリュ東北が販売する、2017年2月の節分用「恵方巻き」にも、ねぶた漬を使ったものがラインナップされた。
コメント (2)
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