広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

少し昔の弘前のバス

2017-06-19 20:55:48 | 津軽のいろいろ
15年ほど前に撮影した弘前の写真がいくつかあり、今となっては懐かしいものが写っているので、何度かに分けてアップします。
当時のカメラの性能や腕のため、いい写真ではないものも多いですが、思い出と記録として。

今回は弘南バスの路線バス。
同社の路線バスでは、かつては貸切格下げ車も使われていたが、弘前に住んでいた1990年代後半頃からは、中型車や小型車が多数導入されるようになって、現在の体制になりつつあった。しかし、撮影した2000年代前半時点では、今ではほとんど存在しない、路線仕様の大型車も比較的残っていたようだ。
当時も珍しいと思って撮影した記憶はあるけれど、今は大型車に遭遇することすら難しい。

以下の3台は、いずれも新しい塗装で、中ドアがあり、側面の行き先表示器を撤去した痕跡があるので、いずれも他事業者の中古。正面の行き先表示の両脇や、側面表示器跡を、蛍光色のような緑色で埋めるのは、当時の弘南バスが好んでやっていた。
悔やまれるのは、ほぼ真正面からしか撮影していないこと。側面も写していれば、社番が分かって、年式や所属がはっきりするのだけど、当時は重要だと思っていなかった。
日野ブルーリボン「青森22 か11-86」2002年4月撮影
現在もブルーリボンがほそぼそと残っている(この記事中ほど)が、それは1989年製の横浜市営バスの中古。
これは、それとは別の車で、ヘッドライトの間が真っ黒なのが特徴的。元画像を拡大すると社番は「56113-5」か? とすれば1986年製造。都営バス辺りの中古かな??
「青森22」だから1999年春以前に転入してきたことになる。
社番からしても、行き先からしても、藤代車庫所属。


いすゞ+富士重工5Eボディ「青森22 か12-54」2003年7月撮影
1990年頃まで製造されていた、愛好家には人気がある古い富士重工の車体。個人的には、秋田では新車での導入事例はないのでなじみが薄く、古臭いデザインで好きじゃないけれど…
これの中型版の6Eボディは、5Eよりも5年ほど後まで製造されていたため、今でも散見され、弘南バスでもいくつか残っている(上と同じ記事ですがこの記事中ほど)はず。

秋田の中央交通では、中古導入の5Eボディの最後の1台が4年前に廃車になっているが、6Eボディはけっこう現存する。
中央交通の5Eは、川崎鶴見臨港バスの中古で窓枠が茶色だったが、この弘南バスのは窓枠が銀色。後輪のタイヤホイールが赤い。
狼森行きということは、弘前営業所所属だったのだろう。


最後は特に貴重。
三菱「青森22 か874」2002年10月撮影
エアロスターという車種名が付く前、1984年以前のモデル。
当時のバスはどのメーカーも同じようなものだったけれど、とりわけ三菱のはヘッドライト周りに凹凸があっていかついことから「ブルドッグ」と俗称される。
写真では前ドアが開いているが、その枠が幅広くてガラスが小さいのも、昔のバスならでは。取ってつけたようなバンパーも。
【20日追記】この後継車種が初代エアロスターなのだから、デザイン的には一気に時代が進んだ。

ネット上の情報によれば、これは神奈川中央交通の中古で、複数台在籍。1984(昭和59)年製、つまりエアロスターに代わる直前・最末期のブルドッグで、ギアはフィンガーシフト(レバーが床から生えていなくて、軽く操作できるもの)だったそうだ。
向かって右のヘッドライト上・ウインカー左に、黒い枠があるが、それが神奈川中央交通独特の、乗車ドア位置・運賃支払い方式の表示板を埋めた跡。

これらの所属は「弘前と藤代」だったとする情報もあるが、別の情報では「か874」は「35904-12」号車だったそうで、「-12」とは「高崎営業所」所属を意味する。その高崎営業所は1998年に廃止されている(駅の反対側・さくら野周辺?)。
撮影時は桜ヶ丘行きの表示だし、当時は車両配置があった桜ヶ丘案内所所属だろうか。
桜ヶ丘案内所は1998年までは高崎営業所の管理下だったそうで、その頃から桜ヶ丘線でよく見かけた記憶がある。弘前に住んでいた当時の桜ヶ丘線といえば、この車が、桔梗野十文字~樹木の狭い道をぐわんと走っていたイメージ。
一方、弘前営業所所属車が多く走る富田大通り経由では、この車はあまり見なかったかもしれない。乗ったこともない。


中央交通では三菱と取り引きがなかった頃で、中古車も来ていない。秋田市営バスにはワンロマ車など何台か在籍したものの、1990年代のうちにすべてなくなっていた。
後部もまた独特のデザインなのだけど、それは前部と比べてちょっと斬新な後のバスに通ずるスタイルで、好きだった。

この車は、正面の行き先表示の幕が横に細長い。秋田市営バスでは、現在と同じサイズの大きい幕の車もあったが、ワンロマ車は小さい幕でもっと左右の幅が狭かった。
それと、現在は「金属団地・桜ヶ丘線」として、全便が南高校・金属団地に立ち寄って桜ヶ丘へ向かう経路だが、この当時は、経由しない直行便があった。この車は「(桔梗野)桜ケ丘」という表示だから、直行便だろうか。【2022年3月1日追記】この時点では、金属団地を経由しない「桔梗野経由桜ヶ丘線」と桜ヶ丘へ行かずに金属団地で折り返す「桔梗野経由金属団地線」の2路線に分かれていたのだそうだ。2003年に統合。この記事も参照
現在の金属団地・桜ヶ丘線は1時間に2本程度(1時間来ない時間帯もある)になってしまったが、当時は本数はもっと多く、名実ともに主要路線だったものだ。

今にして思えば、弘南バスの現行塗装とブルドッグの組み合わせは意外だし、昭和50年代のバスが21世紀に走っていたのも不思議な感じ(当時は車齢20年未満だから不思議ではないのだけど)。
※ブルドッグと同じ頃製造のいすゞのバスについて。

以上3台、どの車両も、いつの間にか姿を消してしまった。


最後に、バス停の表示板を1つ。
「市立病院前」バス停。2002年4月撮影
土手町の通り側の循環バス用ではなく、病院の真ん前にある、ほとんどバスが通らないほうのポール。

1990年代後半時点では、ミニバス城南線の城南地区などと同じ背が低い四角いポールだったはずだが、ダルマ型に更新され、かつ表示板の書体が珍しかったので撮影した。
「弘南バス」の社名はステンシルテンプレート(型紙)を当てて、スプレーをかけたようだ。
バス停名は、ものすごく味があるというかなんというか。楷書とか行書とか分類できない、普通に筆をふるっては書けない文字。よほどの書の名人の作か、ハサミで切って作ったかのような文字。

このポール自体は、比較的新しくかつ少数。現在あるものは、社名表記は同じながら、バス停名は細い丸ゴシック体風の手書き文字の表示板。市立病院前も、現在は丸ゴシックになっている。
(再掲)「千畳敷」。「西弘前駅前」もこのタイプ

そういえば、市立病院の前に、「ひまわり号」だか「ひまわりバス」とかいう、旧塗装の路線バス(専属車両?)が停まっていたのを見たことがあった。
弘前市が関わる通院支援か何かのバスだと聞いたような気がするが、今はどうなっているだろうか。


バス以外の昔の弘前の写真は、いずれまた

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 笑っせ さなづら | トップ | 少し昔の弘前駅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿