田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

アメフト選手の会見

2018年05月23日 | 日記
 きっぱり謝罪し、反省し、決して他人を自分の尺度では測らない姿勢は大学生スポーツマンらしい態度でした。私など『あれだけ言ってるのだから、被害者以外は納得するでしょう』なんて思いました。
 
 立派だったアメフト選手が、高校時代のコーチ共々大学に進んだことを知り、私の昔の出来事を思い出しました。今日はスポーツと進学の思い出です。
 
 昔々、高校時代の話です。私の高校は県下有数の進学校でした。進学を目的とする高校でしたが、スポーツも盛んで、バレーボールとハンドボールは県内トップでした。バレーボールは国体まで出場しました。
 
 バレーボールのキャプテンだったH君、早々と地元国立大学へ行くらしいとの噂が駆け巡りました。H君は文系クラスで成績も良く、将来の教職を常に語っていましたので、皆が納得していました。そして、そのままの道を歩き、県下高校のバレー部の名だたる監督として、何度も新聞で見かけました。
 
 ハンドボール部のキャプテンY君は、理系で同じクラスでした。彼の成績は校内一桁でした。彼は東京の私立に目標を置いていましたが、地元国立大学から、内々に入学を要請されていました。ただし条件があり、チームメイトのW君と○君と一緒ならばの条件だと、私に悩みながら告白しました。
 
 W君は成績は二の次、ハンドボールに打ち込んでいました。それは、彼が家庭の事情で、進学をあきらめていたからです。○君は、成績だけでは地元国立への入学はおぼつきませんでした。
 
 Y君が私に秘密を話したのは、W君と○君二人にも、大学からの要請があったかを知りたかったからです。私はそれを理解しても、家庭の事情と、○君が淡い期待感を持つのでは、と考えてしまい、とても二人に聞くことはできなく、放っておくしかありませんでした。
 
 Y君は自分の意志を貫きました。長い年月の後、彼は、某有名玩具会社の、無くてはならない下請け会社の社長になりました。○君は生まれ故郷の役場職員になったと聞きました。噂が全く聞こえなくなったW君、きっとどこかで皆に愛されて働いているような気がします。