田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

ノーベル平和賞は論争を呼ぶ賞

2014年10月13日 | 日記
 ノーベル平和賞は選定基準と過程があいまいだそうだ。マハトマガンジー氏は5回も候補に指名されたが受けられなかった。だからと言って、マララさんの受賞が色あせるわけではない。

 
 ノーベル平和賞は、国家間の友愛のために、軍兵力の廃止・縮小のために、平和増進のために、最大または最高の努力をした人や機関に与えるとされている。マララさんがこれに当てはまらないから、とやかく言う人がいるのだろう。マララさんは17歳、まだ幼い少女だ。この一人の少女が、迫害をを恐れず発言し続けていることが、国家間、宗教間の理解を深めることだろうが、すでに朝刊では、次のような恐ろしい声明が発表されているのが事実だ。



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 イスラム原理主義のみならず、仏教原理主義がオーム事件を引き起こし、多くの人の命を奪い怪我を負わせた。心の傷を負った人は数知れぬであろう。同様に、キリスト教は改宗の名の下に諸国を征服し、殺戮した歴史がある。後の歴史に残る社会において、これらは正されたかのように見えるが、宗教を語ることがタブー視されることによって地下に潜っただけである。エホバと呼ばれるキリスト教原理主義は、信者間および信者を取り巻く環境下において、排斥という無視、無関心を規律を乱した信者、および自分達の信仰を決して認めない者に対して与えるそうだ。子供じみた幼稚ないじめと思える迫害である。心に刺さる錆びた棘であろう。

 
 何を信じようが奉ろうが、個人に与えられた権利であるからして自由である。しかし権利を得るまでに、おのれ一人で成長できたのではない。乳をいただき、親は食わずとも、食わせてもらえてこそ得られた権利なのである。家族の縁を切ったと言う人にも親はいる。親は決して悪魔でも異邦人でも無かったはずである。家を買う頭金を親に無心し、母親は大金を腹巻に包み込み、汗をかきながら届けたことを忘れてしまったのか?。マララさんの百万分の一の勇気を持ちなよ。